小説の創作相談掲示板:小説の書き方Q&A。執筆の悩み相談をしよう!

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元記事:書く意欲がほしいです

書くことに対して臆してしまうことと、楽しめないです。
毎日書かなければ上達しないのは自分でも分かります。
ですが、「今書いていいのか、もっと知識を増やした方がいいのではないか」「今の自分の未熟な表現力では良いものが書けない、プロの作品を読んでからにしよう」と結局書かずに1日が終わります。
頭の中にイメージがあるけど、パソコンの前に座るとそれらが霧散する。
そして、自分の中で根本的に書くことを楽しいと思えてないです。楽しいと思わなければ、続かない。
小説を読むことが好きなのは間違いない、だから自分でも書きたいと思ったのに書く意欲が無い。
矛盾しているには自覚しています。それが自分の状況です。

どうすれば書くことを怖がらず、楽しく書くことができるようになるでしょうか。

上記の回答(書く意欲がほしいですの返信)

投稿者 しをうしなうひと : 1 投稿日時:

沢山書かく上達するのは才能アリだけの話ですよ
受験勉強で考えてみましょう
たくさん書き写すこと沢山参考書以外に勉強の方法がないなんて馬鹿みたいな話はなんいように
小説の勉強は沢山書かなくても上達します
沢山書けば上手くなるなら三十年作品を書き続けて一度も一次すら通らす
誰にも評価されず
内容技術発想ともに下手な小学生レベルそして今更書く気が折れる
三十年作品を書き続けてもこんな奴がいるのですよ
そもそも沢山書くこと自体は内容をよくする力は大してありません
沢山書いている人だってそれから向上できる何かを拾うから成長するのです
ただ妄想を沢山書いて成長なんてできないのです
それに書けない人が無理に書くと有限のネタがなくなりさらに書けなくなのが落ちですよ
書けないなら書く以外で勉強しましょう
お勧めは作品の法則や技術これがわかれば書かなくても十分成長しますよ
算数の公式の使い方と意味を理解すれば何度も書かなくても問題が解けるように
小説のそれを構成する公式と法則を理解すれば書かなくたって上達はします
まあ書かないとわからないこともありますが
貴方の場合無理やり書くことは逆効果ですし今は小説を構成する公式と法則を理解する勉強したらいいと思いますよ
つまり書くための素手例えば描写セリフを作る小説の技術と公式と法則を理解するのです
それを積みあげれば作品を書く方法もわかってくるので書くことは簡単になります
それに沢山やることは能力でとんでもない成果の差が出るのでたくさんかくよむの幻想につかまる大抵の人は大量の時間に釣り合わない成果しか得られず多くの時間を無駄にしかねません
誰しも沢山書く読むことでその時間に釣り合う成果は得られないのです
沢山書く読むことで成果を得られるのは才能があるものか特別モノを持つ者だけですよ
沢山書くこと自体相当時間がかかり効率が悪いので書いて学べる何かがないと相当効率が悪いです
沢山書いて上達したいなら書いて学べる方法を得て書くこと学べる方法を得ないで書くではとんでもなく成果が違うでしょうね
方法を得ないで書いたらいくら書いてもどうやって腕に乗せるか迷子状態です
目的である学びの方法が迷子ではいくら書いても効率よく腕には乗りません
大概の作家志望がはまる罠ですよ
学びは質が重要です
数ではありません
それに一つ一つに質があったほうが数やるにしても別次元の成果を得られるのは言うまでもありません
巷の数書け数読め数完結させろそれで上達するなんて戯言は一部の才能アリだけの世界の出来事です
学ぶ素手や学ぶ方法を意識的か無意識的にあり学べるから数書け数読め数完結させて成長できるのです
数やって学べる方法素手のない人は対象外です
まあ私はまだ作家じゃありませんがね
方法媒体問わず許可なく晒さないでね
このサイトにもここ以外に掲載しないでね
結構な数の人が知りたくもない話なので
そういう夢を見て沢山書いて沢山読んで沢山完結させてしまって後戻りできない人に逆恨みされても嫌ので

カテゴリー : やる気・動機・スランプ スレッド: 書く意欲がほしいです

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元記事:根本的な物語の書き方が分かりません

例えばキャラクターについて考える時、「優しくて友のために行動できる」ぐらいの設定で深堀できない。ストーリーを考えると好きなライトノベルの展開のままになる。
他にも会話文はキャラクター同士の上手いやり取りが書けない。物語の本筋とは関係ないコメディシーンが書けない、ということもあります
今まで、短編なら書いたことがあるが、ライトノベル一冊分の長編となると気が遠くなる。
長いストーリーをどう膨らませればいいのか、矛盾のないストーリーはどうすれば書けるのか、どう展開していけば違和感の無い自然な流れになるのか、どれだけのキャラクターを登場させればいいのか。できないことばかりです。

何から手を付けたほうがいいのかわからなず迷ってばかりです。
どう考えればいいのかどんな訓練をしたらいいのか教えていただけますでしょうか。

上記の回答(根本的な物語の書き方が分かりませんの返信)

投稿者 しをうしなうひと : 1 投稿日時:

究極的には創作に訓練というものはないです
不格好だろうと形になってなかろうと、作品を完成させること、それを積み重ねることが最短の修練法

まったくもって違います
巷で全く知られていないだけで創作に訓練のようにちゃんとできればたいして書かなくても作品が上達する方法は確かに存在します
詳細は言えませんが小説の描写術構成術面白さを生み出す技術を読んで学ぶことが下の方の言うものよりもはるかに効率よく短時間で上達します
下の方が行っているのは数をこなして積み重ねて形にするという効率が悪い方法です
そんなことよりも小説の根幹的な技術を読んで学んだほうがはるかに早く短時間で上達します
数書くのにも時間がかかるのにその同じ時間小説の根幹的な技術を読んで学べれば沢山書くよりも短い時間で効率よく多く学べ同じ時間やれば別物の成果です
効率が違い過ぎるです
例えるなら下の方はわからない公式問題を自分なりにたくさん書いてその果てに使える形にする方法
私のやり方はわからない公式問題の仕組み法則を学び解き理解して使うための方法です
どちらができるなら効率的に早く短時間でその問題を解き応用することができるか言うまでもありません
下の方の方法では最悪沢山書いて形にしてもその構成している技を理解できず説明できない感覚で使っているため応用も流用も意図的にできないしかたもわからないことになりかねませんが
私のやり方のように技術を理解し学べば理解しているためその使われている法則仕組みも含め応用も流用もできます
そのためその方法ができるならほとんど書かず訓練として小説を数冊読んで学ぶことで劇的に文章力を上げることすら可能です
下の方のようなことを言う人は世にあふれていますが数こなせ理論は一番の効率の悪い方法です
そんなことよりも根源的な技術を学んだほうがより短時間で早く上達します
そんな雑な学びで成長できるのは一部の才能ありだけですよ
受験生で考えればその異常さがわかります
どこの受験生が問題単語公式を解いて使い方意味効果を理解して頭に入れることよりも理解はおろそかにしても数を優先して学力を上げようとするというのか
そんな方法では大多数はまともに学力が上がらず落ちて当たり前
小説の世界も同じ数を重視して積み重ねのはて形にするより技術を理解して質を積み上げたほうが学びの数と質は大きく違いますし理解しているためその技術の流用と応用はたやすい

究極的には創作に訓練というものはないです
不格好だろうと形になってなかろうと、作品を完成させること、それを積み重ねることが最短の修練法

全くもって馬鹿らしい
こんなの効率の悪く大した答えでもないたわごと信じたら才能に劣った時点で作品のまともな向上は期待できません
数よりも学びは質であるのはどの世界共通の真理です
同じ時間学びに数をとるものは同じ時間学びに質を取るものに置いて行かれるもまた真理
受験生なら当たり前ですよ
この程度の話が究極的な答えなら私がここにできるだけかかわらないようにしたのは正解ですね
今回はあまりにもレベルが低い究極的な答えだったのてつい回答したけどね
流石にその詳しい学び方は教えません
数やれば論者を否定することになり今更知っても引き返せるか!今までの時間と努力はどうなる!と逆恨みされいてもめんどくさいので
手の内は明かせませんしね嘘だと思うならご自由に
しかしいえることは数行うことは個人の力量センス才能により成果は劇的に違い同じ時間やっても同じ成果が得られるかわかりませんが
根幹的な技術を学べば理解している分応用も流用も使用も簡単ですよ
小説の技術という根本的な作品の作り方を学ぶこの方法は出来さえすれば才能能力の大小有無関係の博打要素がなく堅実な成果をくれます
これを見て数を取る質を取るかは見た人次第
言い争いもする気もありません
今回はあまりにもレベルの低い究極と称した答えだったので回答しただけですからね
下の方は自分が究極的なんて御大層なことが言える段階でまだまだないと知るべきですね
まあ私の方法は書くことで学ぶことを読んですませて大きく効率化する技詳しく教えないとできない人は多そうですが
小説の技を学ぶ訓練としてそれをおこないつつ読めば文章力は劇的に向上します
ただし一冊読み切るのに凄い時間がかかりますが同じ時間書くことと桁違いの学びの量なのは保証できます
要は書いて積み上げ会得する文章構成制作術を読み学び理解することで算数の公式を理解するように効率よく使えるようにする技
技術という公式の理解より数を重視して上達を目指すことが最短の修練法とは中々浅いですよ

カテゴリー : その他 スレッド: 根本的な物語の書き方が分かりません

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元記事:根本的な物語の書き方が分かりませんの返信の返信

描写や構築を学ぶにあたって参考になる本はありますか?

上記の回答(根本的な物語の書き方が分かりませんの返信の返信の返信)

投稿者 しをうしなうひと : 0 投稿日時:

そんなものはそれなりに文章力のある小説一つで十分です
私は教本一切読まず漫画や小説から数百個ほど学んでいるので
それに教本を読むとどうしても自分から理解する力が落ちるので小説からダイレクトに学んだほうがいいです
小説は技術の質は違えどの小説の技術も大抵は流用可能でどんな作品にも使えるのでより良い教本を求めるのではなくすべてが教本となる方法の確立が大切です
これができれば漫画から小説に普通に使える技なんてものも学べます
漫画も小説も面白さを生み出す技の多くは共通であることが多いので面白い作品なすべてが教本となりますよ
それに描写も攻構成も実物を見た判断したり解析するほうが他人の説明よりわかりやすいです
他人の良くわからない理論より自分なりの理論で学んだほうが他人の理論を当てはめるよりもわかりやすいです
何故なら他人の理論は説それにための出の何かの中ぬきなので細部はよくわかりません
しかし自分なりの理論なら細部もわかりますし応用も発展もしやすい
他人りに論でそれをやるのはなかなか難してず
どうやったかけばいいかわからないなら他人教本の意見は参考程度で自分なりに書き方の技を編み出したほうが使いやすく
書きやすくなりますよ
書き方がわからないなら自分なりの書き方を作ってしまえばいいのです

カテゴリー : その他 スレッド: 根本的な物語の書き方が分かりません

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元記事:根本的な物語の書き方が分かりませんの返信の返信

描写や構築を学ぶにあたって参考になる本はありますか?

上記の回答(根本的な物語の書き方が分かりませんの返信の返信の返信)

投稿者 しをうしなうひと : 0 投稿日時:

流石にあんまりかとおもうのでもう少しわかりやすく
あまり言いたくない話ですが
手っ取り早く文章力を上げたいなら作品すべての技を解析するのです
それができればいやでも上達します
例え作者が才能の説明できない感性で作った作品ででも必ず術理という技があります例え作者が説明できない一言の文章単語でも無意識かに意味と効果と狙いが隠されています
それを意図的に理解できればその技のいったんを学ぶことができるわけです
それを作品一本で行う
そんな感じに作品すべての言葉セリフの技を解析するのです
ただ楽しくはないし一冊読むのに大量の時間がかかり小説を読むのが大好きで作家を目指すような人にはお勧めできません
それにやりすぎると癖になり娯楽で読んでいても常時そうゆう読み方になる可能性もあります
しかし学びの数は別次元ですよ
今までの同じ時間書いて読むの成果とは比べ物にならない成果は得られます
他者が読んで気にも留めない技から基本的な技まで大量に学べますよ
小説は大量の文章技術の塊なのでこの学び方をすれば大量の学びが一冊から得られます
これだけの数の学びを得るには数論者の論でいえば数十冊読んでもここまでの数は学べないでしょうね
それを一冊で済ませられる
数論者が大量に読み飛ばしている学びをすべて学ぶそれだけでも学びの質が大きく違います
大量の学び残しのはて成果をつかもうとするより手に届くことを学んで成果をつかもうとするのが大多数の人にとって有益です
大量の学び残しのはて学力が上がるのは一部の天に愛された勝ち組だけです
それは作家の道も同じ
後はそれをすべて何かに記録してためていくそしてそれを理解して学んでいくそれができれば数論者の同じ時間数読む書く完結させることよりもはるかに有意義です
相手が数だと数読み飛ばして学んでいるまに一つ一つじっくり学んでいく受験生なら絶望的な差が生まれかねません
学びは質ですからね
それに描写セリフの技は大抵はどんなジャンルも流用可能なのでこのやり方で一冊がすべてを学べばよほどの底辺作でもないなら基本的な文章力は得れます
当然人によって効果は違いますが同じ時間沢山書くぞと書
いてたくさん読んで勉強だと数を重ねるよりも学びの成果と数は文字通り桁違いでしょうね
ただし覚悟のない人にはお勧めできません
やればやるほど学びが増え多くのことがわかってきますが同時にあらゆるエンタメの感じる面白さが減っていく来ます
面白さを生み出す技を多く学べば学ぶほど種がわかりきった手品のようにエンタメの感じる面白さが減っていきます
完全になくなりはしませんが大きくエンタメの感じる面白さが減りますよ
当然小説も漫画も映画もアニメもです
そのためこの方法は作家になれないとエンタメの面白さ激減が残ります
作家になれれば職業病で済ませられますが素人でこれは中々きついかと
私はどうしても作家になりたいのでこの道でいいですがね
くれぐれも覚悟がないならマネしないでね
マネしても何が起こっても自己責任ですよ
まあくだんの作品を完成させること、それを積み重ねることが最短の修練法よりははるかに効率がいい学びではありますがね
このサイトでここ以外掲載しないで方法媒体問わず曝さないでね

カテゴリー : その他 スレッド: 根本的な物語の書き方が分かりません

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元記事:このサイトの効果的な読書の方法が対して効率よくもないもんだと気づいている人います?

私は作家を目指して八年目ですが
ここの住人の中にこのサイトの効果的な読書の方法が対して効率よくもないもんだと気づいている人います?
あまりのレベルの低さなのに誰も指摘している様子がないので質問します
何故レベルが低いかというのは効果的と言いながら具体性がほとんどなく
ふんわりして細かい方法やり方のところは全く説明せず効果的というにはいかにも低レベルだからです
まあ前半四つは一理あるとしても後半四つがひどすぎます

朝の時間帯に本を読む

朝に読むとか多少の効果はあっても大した効果はありませんし
受験生なら朝以外で効果的に学べないなら問題しかありません
受験生だって通学中の満員列車で参考書を学べるように小説から本当に学べるなら同じく学べます
短い時間でも魅力的なセリフの構成術や魅力的な比喩の技術を解析したりピンポイントにすれば満員列車のわずかな時間でも小説から学べます

酒・タバコを吸いながら本を読んではダメ

そんなもんわかっていない奴のほうが少数あまりに当たり前すぎるレベルの低さ

本を読むしかない環境に身を置く

そもそもの話のやる気不足
満員電車で参考書を読んで勉強できる受験生レベルのやる気があればよほどの環境の悪さがないならどこだって学べる場です

流行のヒット作を追いかけ続ける!

追いかけるはいいとして結局最後まで具体的読んで学ぶ方法論どこをどう見てどう考える考え方ひとつもない

初心者サイトと思いきやここの内容は不親切であとは才能センスで補うできる人の上達法しかないし
なんでここの古参の住人でさえ指摘しないのでしょうか?
こんなもんが効果的な読書の方法でもなんでもないと勉強をゼロから始めで八年目の私でもわかりますよ
まあだからと言って私の方法は教えません
この前のでこりました
本当に効果的な読書の方法と銘打つなら
具体的な方法考え方ぐらい入れとかないと初心者と素質やレベルが低い人がやればその時点で成果すらつかめないのが落ちです
個々のサイトは勉強のため読むことを推奨しているのにそのやり方を教えない
参考書の問題の解き方考え方を持たないで勉強する受験生の末路が想像できないのですかね
小説という文章技術の問題の解き方考え方を得れば学びの成果は取り返しのつかないほど変わりかねないのに・・・・
効果的な読書するならこれは必ずといっいいほどの必須の技
学び方よくわからないけど学ぼうと数読むより同じ時間学ぶ方法を得て数読む人が読み飛ばす技術を一つ一つ学んだほうが数読んで個人差でどんな風にどのレベルに作家としての力がつくかわからない博打の勉強をするよりも学ぶ方法をえて無駄なく学んだほうが数こなしてどんなものがつくかわからない数やるよりも博打要素もなく堅実に多くの人が効率よく学べると思うのですが・・・・
マジだれも何も言わないのでしょうか?
ここの住人はかなりの熱量がある人もいるのに・・・・
なんでこんな低レベルな効果的な読書の方法が何年もつかずで放置されいてるですかね
本当にここの住人誰も気づいていないのですか?
言い争うほどの熱量をもって投稿していないので返信の内容によっては返信しません
飽きたら無責任に去ります
あまりにも効果的な読書の方法としてはレベルが低くひどい内容なのに誰一人の指摘しないので質問しました
流石にここのメソッドすべて見てして指摘するほど暇ではないので全ては見ていません
方法媒体問わず晒さないでね
何度も言いますが私の方法は教えられません
前のでこりました

上記の回答(このサイトの効果的な読書の方法が対して効率よくもないもんだと気づいている人います?の返信)

スレ主 しをうしなうひと : 0 投稿日時:

第2研究室・創作に役立つ知識
上から四つめにあるよ
https://www.raitonoveru.jp/

カテゴリー : 小説の批評依頼 スレッド: このサイトの効果的な読書の方法が対して効率よくもないもんだと気づいている人います?

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元記事:三幕構成のセントラル・クエスチョンとは暗示的でもいい?

絶賛三幕構成を勉強しなおし中のみりんです。

質問は、セントラル・クエスチョンについて。
ウィキペディアには、

「主人公の解決しなければならない問題である。これはセットアップの最後に観客への問いかけとして示され、その答えはクライマックスに Yes/No で与えられる。セントラル・クエスチョンは、主人公の行動する「きっかけ」という目線から立てられる (例: 「X はダイヤモンドを取り返せるか?」「Y は彼女をゲットするか?」「Z は殺人犯を逮捕できるか?」など)。すなわち「主人公は目的を成しとげられるでしょうか」ということがクエスチョンとなる (主人公の心理的な変化が目的となる場合もある)。セントラル・クエスチョンは、ストーリー上の全ての出来事に関係する。セントラル・クエスチョンの設定によってセットアップは終了し、本当のストーリーを始める準備ができる[142]。

セントラル・クエスチョンは、インサイティング・インシデントと対になっており、インサイティング・インシデントの事件によって示される」
と書かれていました。

でも今私の作品にいざあてはめようとするとうまくいきませんでした。
具体的には以下のような感じでして……

第一幕:セットアップ5W2H誰がどこでどのような状況で何をする話か:父が死に、悲しむ母を主人公天沢夜白はなぐさめる
テーマの提示:大切な人が死んでも、一緒に生きてほしい(「パパはお星様になってママと私を見守ってくれているよ」となぐさめることで提示)
インサイティング・インシデント (つかみ・FTのきっかけとなる出来事・引き込み要素):母が失踪し、母の友人と名乗る女・摩耶(ヴィラン)が家にやってくる
セントラル・クエスチョン:主人公の解決しなければならない問題:(ヴィランを倒せるか?)
主人公はどのような人物像か(主人公の日常):夜白はまじめで前向きな性格で、摩耶と仲良く暮らしていきたいと家事を率先して行うが摩耶は冷たい。
主人公をめぐる問題が具体的に何か明確化: 婚約者を名乗る月兎族の賢人が現れ、 悪霊化する幽霊の霊魂を夜空に上げる月の神になれるのは夜白しかいないと言われる。
ファースト・ターニングポイント(アクション・選択):母が生きていると知り、取り戻すと決意する

インサイティング・インシデントに連動したセントラル・クエスチョンとなると、ヴィランを倒せるでしょうか? という問いになるかと思ったんですけど、次のシーンで主人公の夜白は母の友人を名乗り、家の管理をしてくれるヴィランと仲良くしようとするような真面目な性格です。倒そうとしてないし……。(仲良くしようとする動機は、父が死に、ヴィランに母も死んだと言われ天涯孤独だと思っているため寂しいので前向きに仲良くしようとしています)つまり、セントラル・クエスチョンがすごくわかりづらい設計です。
さらに、ヴィランである摩耶がヴィランだと判明するのも、第二幕の中盤くらい。

このように、セントラル・クエスチョンが暗示的でも面白い作品になると思いますか?

というか、セントラル・クエスチョンとテーマの違いって何でしょうか?

ややこしい質問で申し訳ありません。
よろしくお願いいたします。

上記の回答(三幕構成のセントラル・クエスチョンとは暗示的でもいい?の返信)

投稿者 のん : 0

 こんばんは、思ってた話と違ったようなので再び失礼します。

▼大切な人が死んでも、一緒に生きてほしい
 これを「一緒にいて欲しい」と捉えたんですが、寂しさを表に出していたのは主人公よりも母親の方だったんですね。「死なないで」って意味でしたか。

 となるとこのテーマは息子を亡くしたヴィランにも当てはまりますし、他の方も仰っているようにヴィランを味方として考えたら良いんじゃないでしょうか。中盤で敵だと判明したとしても、「死なせたくない相手」くらいには出来ると思います。

 一幕目でヴィランを母親の代わりにすると、「息子を亡くした」ことや、それに対するヴィランの悲しみを出していくことになりますが。それでもよければ母親の代わりにしてテーマの提示に使って、ターニングポイントで母親の生存が分かったら、そちらも助ける方向に舵をきればいいでしょう。

 この場合セントラル・クエスチョンは「母親(の心)を救えるか?」ですかね。
 サブ的にヴィランの救済や敵対する事への葛藤も書けそうですが、何にせよヴィランが死んでしまうことでラストの何ともいえない物悲しさがうまれると思います。

 では、今度こそ失礼しました。
 

カテゴリー : ストーリー スレッド: 三幕構成のセントラル・クエスチョンとは暗示的でもいい?

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投稿日時:

元記事:キャラクターから作るのかストーリーから作るのか

ここでは何度も相談させていただいている者です。
そして一歩が踏み出せない者です。
ストーリーについて、あらすじにしてもプロットにしても何から手を付けるべきなのか悩んでいます。また登場人物もどう魅力的なキャラクターにしたらいいか悩んでいます。
転生するのか、舞台は現代なのかナーロッパなのかは置いておいて、私が書きたい大まかな要素は、
「主人公が複数のヒロインと一緒に敵と戦うファンタジーハーレムもの」
です。
キャラクターから作ってからストーリーを思いついたとしても、「このキャラはこのストーリーに相応しくない」ととなりキャラクターを作り直す。また、ストーリーを考えて、「面白くするにはどういうキャラクターにどんな役割を与えるべきか」が分からなくなりそうです。
自分が何から手をつけるべきなのか、そのために何を学ぶべきなのか教えていただきたいです。

上記の回答(キャラクターから作るのかストーリーから作るのかの返信)

投稿者 読むせん : 0

あほんだら(-。-)y-゜゜゜
貴様の地頭は死んだ。
ここにおるお前さんは単なるアホカスだと思う事にするわ。やーいカース。
==========
ほらオラクルだぞ泣いて感謝しろや
起こり
・死神の正位置、ちなみに№13
承り
・聖杯の8

・聖印の6

恋人達
ーーーーーーーーー
①仮想主人公「どんごる」は『過去との決別』を行う羽目になります。
追放などを表すカードです。男が黄金の杯8個を背にして去っていきます。失望なども表しますし、置き捨てられてしまった聖杯は価値あるトロフィーであるはずなのに、彼はそれらを持っていくことを許されず、粗末な杖を突き、衣一つで真っ暗な夜に独り去って行きます。
彼の背と彼の行く先を、2つの月が静かに照らしています。

これを【主人公の過去】とする。

②失望し、8つの宝を失意のままに失った男「どんごる」は死に出会います。
占っている私は、「死神」のカードは正位置でも、わりと良い意味で捉える派やから、なにか寓意でもいいし、それこそ主人公の死→転生の展開にしてもいい。
見たまんま死神ロリと契約し、「暗黒騎士」とかに成ってもいい。

これが【主人公の現状】とする。

③トラブルに出会う
②で「どんごる」はトラブルに巻き込まれます。カードの意味からして【公平な分配、慈善活動、人間の行う正義の行い】たぶん②でチート能力を得てしまった「どんごる」を妬んだカスから『ずるい!!不公平だ!!俺にもよこせ』と無理矢理奪われそうになるか、便利に搾取されそうになります。
 このカードは神が采配を振るう絶対無私の【正義】ではない、どこまでも人間尺度の【公平さ】を私は受け取る。

まあ主人公の過去【失意のまま失った8つのトロフィー】から考えて、普通に拒否る。


恋人達
神からも祝福される恋人達。
============
裏切りの剣聖の裏切り
謀略の果てに死地に送られた俺は戦乙女(ワルキューレ)にモテまくってハーレム形成しちゃいました。

って所やね。

カード番号としては聖杯8,死神13、聖印6、恋人達6
ハーレム要員は13人か6人。
8は人徳などを表す8徳か、8種類のすごい宝やチートにして、それらが主人公から奪われた設定をつける。

ただ、棒とか剣みたいに「戦い」に関するカードが今回は出ていないから、単なるザマァの可能性もあるな。

カテゴリー : ストーリー スレッド: キャラクターから作るのかストーリーから作るのか

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投稿日時:

元記事:物語の余韻について

先日、評価シートが届きまして、そこに『地の文や台詞に余韻が感じられない。余韻を感じられるようにすればもっと物語に深みが出る』と書かれていました。
この余韻というのはどういうものでしょうか? いえ、なんとなくならわかるのですが、それが果たして正しいのかどうか気になりまして。この疑問に答えを出すべく質問をさせていただいた次第です。

上記の回答(物語の余韻についての返信)

投稿者 手塚満 : 5 人気回答!

公募先からの評価が「地の文や台詞」とのことですので、どの部分で余韻が感じられないのか、小説本文を示して頂くのが難しいのでしょうか。余韻にもいろいろありますので、原因が多岐に渡っている可能性もありますよね。
(それでも「小説のタイトル・プロローグ改善相談所」掲示板で冒頭を投稿して相談してみてもいいかもしれません)。

余韻のなさについて、既出の良回答と被る部分もあるですが、思い当たることを列挙してみようと思います。

その前に余韻の意味や効果の確認から。余韻って、例えば寺の鐘がゴーンと鳴って、その後も長くなり続ける音のことですね。聞き続けていることもあれば、鳴り終わったと思っていたら、ふとかすかに鳴り続ける音に気が付いたりもする。

転じて、見たものや誰かが言ったことの、その後が気になるようなことを指すわけですね。小説なら、描写の後にも何かが引き続き起こると感じたり、台詞の後に何を言いたいかを感じたりする。

そういうものが、なぜ必要なのか、ということから考える必要がありそうに思います。なぜ、完全に説明したり、言いたいことを全部言ってしまうと、面白くなくなるのか。これは、書いている人なら心当たりのある現象があります。

考えたことが思った通りに書けていたら、嬉しいですよね。言葉にする前は非言語的なイメージもあったりするんですが、全てを言語化できたら充実感があります。例えば「そうだよ、こういうことが言いたかったんだ」という気持ち。

しかし、作者が言いたいことが全部言えていたら、読者はどうなるのか。ひたすら作者の言うことを聞くだけになってしまいますよね。想像を巡らせる余地がない。言われた通りにイメージするだけになる。読書が作業に堕してしまい、退屈です。

ある(地理担当の)予備校講師さんがTVで授業で行うような講義をやっていました。例えば「小麦の生産量は人口に比例する」と説明し、生徒Aに「世界で一番人口が多い国は、どこでしたっけ?」と問う。生徒Aは「えっと、イン(ここで講師がちょっと首をかしげて見せる)、あ、中国」と答える。講師はニコッと嬉しそうに「そうですねー!」と言い、生徒Bに「じゃあ、小麦生産が世界一なのは?」と問う。生徒Bはそこまでの話を踏まえて、「中国になるはず」と言い、講師がまた嬉しそうに「そうですよねー!」と言う。

そうやっていると、だんだん生徒も面白がってきます。正しく答えられたからだけではないでしょう(質問が簡単すぎますし)。講義に参加し、講義を補完しているという自覚が生じ、充実感が生じるのが大きな理由の一つになるように思います。ちょっと大げさに言えば、「この講義を仕上げたのは自分なんだぞ」という気持ちです。

余韻の効果は、風情とか深みとか曖昧に表現されることが多いんですが、ラノベに関して言えば、読者が物語を補完する、物語に参加する意識が出る、といった効果があるように思います。読者には、キャラに感情移入して欲しい、できればキャラになり切って物語を味わって欲しいわけですから、単なる見物客ではまずいわけです。だから、物語に参加してもらい、特に完結させる喜びは読者に譲る必要があります。そのための手法の一つが余韻であるわけです。

大事なことなので簡潔に繰り返しますと、「言いたいことを書き切れたら面白いわけだから、その面白さは読者に譲ろう。それが面白くするコツだ」ということになります。

余韻の大事さはこれくらいにしまして、どうして大事な余韻がなくなってしまうか、いくつかケースを考えてみます。

1.説明し切ってしまう
上述しましたが、キャラの行動・言動が完了してしまうという、おそらく最もよくある現象です。ご質問文を小説本文と考えて、例にしてみます。

> いえ、なんとなくならわかるのですが、それが果たして正しいのかどうか気になりまして。

「なんとなくならわかる」わけですよね。「なんとなく」なんですから、はっきりはしていないことが読み取れます。質問ですからはっきりさせる必要があって、「果たして正しいのかどうか」と続けるわけですが、これがキャラの台詞だったらどうでしょうか。

「いや、なんとなくなら分かるんだけど」

としてしまってもいいですよね。すると、「だけど」の逆接の後に何が言いたいか、自然と想像を働かせたくなります。

もし、キャラが続けて「果たして正しいのかどうか気になって」と言ったら、読者の気持ちは「ふんふん、なるほど」でしかありません。正確に言えば、「気になって」で途切れてますので、その続きは読者が補完します。

ですが、「分かるんだけど」で切ったほうが、補完できる幅が広がりますよね。質問ではまずいわけですが、小説でなら有効です。その後の展開でどうだったのか示すことも可能ですし、逆に小説の最後の台詞であれば、「完」の後で起こることを想像したくなります。

技法的には、台詞や地の文の末尾を「……」や「――」にする手法がよく知られています。明示的に「この後に言いたいことがあるが言わない」と示すものですね。

2.逆に中途半端すぎる

もう一度、同じ部分。

> いえ、なんとなくならわかるのですが、それが果たして正しいのかどうか気になりまして。

話をひっくり返すようですが、実は決定的に足りない部分もある。どう「なんとなくならわかる」のか、です。仮にこれが冒頭の台詞だとすると、想像のしようがありません。

余韻を残すには、おおむねですが「八割分かって、二割分からない」必要があります。必要な情報のうち、半分くらいしか出していないのでは、想像の余地がありすぎて、余韻どころではなく、むしろ混乱を招いてしまいます。

3.場面転換が速すぎる

例えば、「ヒロインが主人公のデートの誘いにちょっと戸惑った→いきなりヒロインが車にはねられた→車からテロリストが降りて来て銃乱射→…」と一気に話を進めたら、ヒロインがデートの誘いにどう思ったか、読者が考えてる暇はないですよね。

小説を読み進めてもらいたいあまり、目立つイベントを矢継ぎ早に出すと、余韻がなくなります。要は読者を振り回してしまうということです(話の展開でそういう狙いがあるなら、余韻は諦めるべき。余韻は常に必要なわけではない)。

4.シーン接続が密すぎる

上記3の逆です。1と同じことで、時系列でシーンを並べ、各シーンの間に時間経過がないと、シーン間で何かが起こったかどうか、迷わなくなり、想像も働かせなくなります。

5.シーン間が飛びすぎる

上記4の逆で、2と同様です。シーンの時間をあまりに空けたり、無関係な場所に変えてしまうと、シーン間で何かがあったかどうか気にならなくなり、読者が補完しなくなります。

6.シーンの同時並列進行を用い過ぎる

シーンというよりイベントと言うべきかもしれません。例えば、メインキャラA、Bが別行動を取り、「Aがこうした→その頃、Bはこうした」みたいなストーリー進行を用いることがあります。これ自体は、読者の補完、想像力を喚起させ得る手法です。Aのシーンのとき、Bはどうしているか考えたりしますから。

しかし、2つのシーンの同時進行なら大丈夫かもしれませんが、3つ、4つと増えてくると、読者は情報整理に追われ、ついにはお手上げになってしまいます。結果、作者の説明をただ聞くだけになってしまう。あるいは、3で申しましたような速すぎる切り替えで、同時進行シーンが細切れ過ぎる場合も同様です。要は、作者にしか分からなくなる。

思いつくものを挙げてみましたが、これ以外にも余韻が感じられなくなる要因はいろいろあると思います。ただ繰り返しですが、余韻は必ず必要なものではありません。比喩と同じく、使いすぎると嫌味な感じになりかねませんので、スパイスのつもりで少量用いればよいと思います。

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: 物語の余韻について

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