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物語の余韻について (No: 1)

スレ主 ドラ猫 投稿日時:

先日、評価シートが届きまして、そこに『地の文や台詞に余韻が感じられない。余韻を感じられるようにすればもっと物語に深みが出る』と書かれていました。
この余韻というのはどういうものでしょうか? いえ、なんとなくならわかるのですが、それが果たして正しいのかどうか気になりまして。この疑問に答えを出すべく質問をさせていただいた次第です。

カテゴリー: 文章・描写

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人気回答!物語の余韻についての返信 (No: 2)

投稿者 にわとり : 4 No: 1の返信

投稿日時:

 あなたの書いた作品を読んでみないことにはなんとも言えないですが、簡単に考えると、言葉で説明しすぎているんじゃないですかね。言わなくても伝わること、読者に自分で想像してもらう、気づいてもらうべきことを、全部ベタに書いてしまっている。野暮。みたいな。
 たとえばヒロインの危機に際して主人公の体が勝手に動く、みたいな場面があるとするじゃないですか。もうこれだけで主人公がヒロインのことを大事に思っていることが分かりますよね。ここに至って、主人公はヒロインを愛していたことに気づいた云々みたいな文章は要らないですよね。そういうのを書いちゃってるのかなという気がした。本当にたいせつなことは書かなくても伝わるようにしなきゃいけなくて、それを直に書いてしまったらそれは描写じゃなくて説明になってしまう、のだと思います。
 まあでもやっぱり読んでみないことにはよくわからない、というのが正直なところ。『余韻』ってけっこう抽象的な概念で、ハウツー的にこうすれば余韻が発生します、みたいな一般論はなかなか言いづらいものがあるので。

物語の余韻についての返信の返信 (No: 7)

スレ主 ドラ猫 : 0 No: 2の返信

投稿日時:

>>本当にたいせつなことは書かなくても伝わるようにしなきゃいけなくて、それを直に書いてしまったらそれは描写じゃなくて説明になってしまう、のだと思います。
ああっ、まさにそれだと思います!「書かないと読者は理解できないし曲解してしまう可能性がある」と思ってわかりやすさ重視で書いてしまっています。なんて言いますか、主人公の行動には必ず「筋を通している」という感じなんです。というのも好きな作品の一つが抽象的な描写が多く、読者にその辺を叩かれていたので……知らず知らずのうちに憶病になっていたようです。
ありがとうございました!

物語の余韻についての返信 (No: 4)

投稿者 ヘキサ : 1 No: 1の返信

投稿日時:

余韻にもいろいろなタイプがありますけどね……

例えばだけど、「遊戯王」の最後の遊戯VS闇遊戯の決闘。これをただカードバトルの手順だけ書き連ねても余韻は出ない。

でも、遊戯の勝利が確定するその一手を出す際に「この一手が、闇遊戯との永遠の別れを意味する。彼に対しての最後の挨拶でもある」とかいう台詞を入れてみたりすると、ぐーんと心にくるものが……来ませんかね? 私はそういうタイプなんですが。

いやもっと違う方面で、ということでしたら他にもいろいろあると思いますが。とりあえず一例として。

物語の余韻についての返信の返信 (No: 8)

スレ主 ドラ猫 : 0 No: 4の返信

投稿日時:

>>でも、遊戯の勝利が確定するその一手を出す際に「この一手が、闇遊戯との永遠の別れを意味する。彼に対しての最後の挨拶でもある」とかいう台詞を入れてみたりすると、ぐーんと心にくるものが……来ませんかね? 私はそういうタイプなんですが。

すごくよくわかりました。確かにそういう文章は全然入れてなかったと思います。どうも自分はそういう気取った文章が苦手のようです。読む方としては好きなんですが、書く側になると思いつかないみたいな。
とはいえ今後は積極的に取り入れていこうと思います。ありがとうございました。

物語の余韻についての返信 (No: 6)

投稿者 あまくさ : 1 No: 1の返信

投稿日時:

余韻とは言葉を換えれば「印象に残る」ということです。これはシチュエーションやストーリーでも作れますが、『地の文や台詞に余韻が感じられない』と言うのなら文章が硬い、もしくは面白味が足りないのではないでしょうか。

物語の余韻についての返信の返信 (No: 9)

スレ主 ドラ猫 : 0 No: 6の返信

投稿日時:

>>文章が硬い、もしくは面白味が足りないのではないでしょうか。
恐らくそれも含まれているのだと思います。丁寧さを心掛けているのでその分面白味が足りていないのだと思います。
レスありがとうございました。

物語の余韻についての返信 (No: 10)

投稿者 アンデッド : 2 No: 1の返信

投稿日時:

余韻は言い換えると引き際で更に言い換えると切り方です。
コツは全部語らない事だとも思ってます。それを如何に文章で演出して表現するか。
自身の経験的には小説の最大の醍醐味だと思ってます。鳥肌が立ったり感情が揺さぶられたりしますからね。
多分言っても解らないかもしれないので、一番実感として得られるのは自分の好きな小説だとか色んな小説の最後の一文をチェックしてみて下さい。
あらゆる巧みな小説家達の最後の一球、総決算の余韻の為に如何にどんな球を全力投球してるか解るかと思います。

物語の余韻についての返信の返信 (No: 11)

スレ主 ドラ猫 : 0 No: 10の返信

投稿日時:

ありがとうございます。皆さんに言われて気づきましたが、確かに私は『鳥肌が立つような』『心振るわせる』文章とかを除外していました。地の文ではなくストーリーキャラクターで感動させればいいと思ったからです。
しかし現実は余韻がないということでどれもこれも低評価になってしまいました。それに気づくことができた今、次回作に活かせるようにしていきたいと思います。

人気回答!物語の余韻についての返信 (No: 12)

投稿者 手塚満 : 3 No: 1の返信

投稿日時:

公募先からの評価が「地の文や台詞」とのことですので、どの部分で余韻が感じられないのか、小説本文を示して頂くのが難しいのでしょうか。余韻にもいろいろありますので、原因が多岐に渡っている可能性もありますよね。
(それでも「小説のタイトル・プロローグ改善相談所」掲示板で冒頭を投稿して相談してみてもいいかもしれません)。

余韻のなさについて、既出の良回答と被る部分もあるですが、思い当たることを列挙してみようと思います。

その前に余韻の意味や効果の確認から。余韻って、例えば寺の鐘がゴーンと鳴って、その後も長くなり続ける音のことですね。聞き続けていることもあれば、鳴り終わったと思っていたら、ふとかすかに鳴り続ける音に気が付いたりもする。

転じて、見たものや誰かが言ったことの、その後が気になるようなことを指すわけですね。小説なら、描写の後にも何かが引き続き起こると感じたり、台詞の後に何を言いたいかを感じたりする。

そういうものが、なぜ必要なのか、ということから考える必要がありそうに思います。なぜ、完全に説明したり、言いたいことを全部言ってしまうと、面白くなくなるのか。これは、書いている人なら心当たりのある現象があります。

考えたことが思った通りに書けていたら、嬉しいですよね。言葉にする前は非言語的なイメージもあったりするんですが、全てを言語化できたら充実感があります。例えば「そうだよ、こういうことが言いたかったんだ」という気持ち。

しかし、作者が言いたいことが全部言えていたら、読者はどうなるのか。ひたすら作者の言うことを聞くだけになってしまいますよね。想像を巡らせる余地がない。言われた通りにイメージするだけになる。読書が作業に堕してしまい、退屈です。

ある(地理担当の)予備校講師さんがTVで授業で行うような講義をやっていました。例えば「小麦の生産量は人口に比例する」と説明し、生徒Aに「世界で一番人口が多い国は、どこでしたっけ?」と問う。生徒Aは「えっと、イン(ここで講師がちょっと首をかしげて見せる)、あ、中国」と答える。講師はニコッと嬉しそうに「そうですねー!」と言い、生徒Bに「じゃあ、小麦生産が世界一なのは?」と問う。生徒Bはそこまでの話を踏まえて、「中国になるはず」と言い、講師がまた嬉しそうに「そうですよねー!」と言う。

そうやっていると、だんだん生徒も面白がってきます。正しく答えられたからだけではないでしょう(質問が簡単すぎますし)。講義に参加し、講義を補完しているという自覚が生じ、充実感が生じるのが大きな理由の一つになるように思います。ちょっと大げさに言えば、「この講義を仕上げたのは自分なんだぞ」という気持ちです。

余韻の効果は、風情とか深みとか曖昧に表現されることが多いんですが、ラノベに関して言えば、読者が物語を補完する、物語に参加する意識が出る、といった効果があるように思います。読者には、キャラに感情移入して欲しい、できればキャラになり切って物語を味わって欲しいわけですから、単なる見物客ではまずいわけです。だから、物語に参加してもらい、特に完結させる喜びは読者に譲る必要があります。そのための手法の一つが余韻であるわけです。

大事なことなので簡潔に繰り返しますと、「言いたいことを書き切れたら面白いわけだから、その面白さは読者に譲ろう。それが面白くするコツだ」ということになります。

余韻の大事さはこれくらいにしまして、どうして大事な余韻がなくなってしまうか、いくつかケースを考えてみます。

1.説明し切ってしまう
上述しましたが、キャラの行動・言動が完了してしまうという、おそらく最もよくある現象です。ご質問文を小説本文と考えて、例にしてみます。

> いえ、なんとなくならわかるのですが、それが果たして正しいのかどうか気になりまして。

「なんとなくならわかる」わけですよね。「なんとなく」なんですから、はっきりはしていないことが読み取れます。質問ですからはっきりさせる必要があって、「果たして正しいのかどうか」と続けるわけですが、これがキャラの台詞だったらどうでしょうか。

「いや、なんとなくなら分かるんだけど」

としてしまってもいいですよね。すると、「だけど」の逆接の後に何が言いたいか、自然と想像を働かせたくなります。

もし、キャラが続けて「果たして正しいのかどうか気になって」と言ったら、読者の気持ちは「ふんふん、なるほど」でしかありません。正確に言えば、「気になって」で途切れてますので、その続きは読者が補完します。

ですが、「分かるんだけど」で切ったほうが、補完できる幅が広がりますよね。質問ではまずいわけですが、小説でなら有効です。その後の展開でどうだったのか示すことも可能ですし、逆に小説の最後の台詞であれば、「完」の後で起こることを想像したくなります。

技法的には、台詞や地の文の末尾を「……」や「――」にする手法がよく知られています。明示的に「この後に言いたいことがあるが言わない」と示すものですね。

2.逆に中途半端すぎる

もう一度、同じ部分。

> いえ、なんとなくならわかるのですが、それが果たして正しいのかどうか気になりまして。

話をひっくり返すようですが、実は決定的に足りない部分もある。どう「なんとなくならわかる」のか、です。仮にこれが冒頭の台詞だとすると、想像のしようがありません。

余韻を残すには、おおむねですが「八割分かって、二割分からない」必要があります。必要な情報のうち、半分くらいしか出していないのでは、想像の余地がありすぎて、余韻どころではなく、むしろ混乱を招いてしまいます。

3.場面転換が速すぎる

例えば、「ヒロインが主人公のデートの誘いにちょっと戸惑った→いきなりヒロインが車にはねられた→車からテロリストが降りて来て銃乱射→…」と一気に話を進めたら、ヒロインがデートの誘いにどう思ったか、読者が考えてる暇はないですよね。

小説を読み進めてもらいたいあまり、目立つイベントを矢継ぎ早に出すと、余韻がなくなります。要は読者を振り回してしまうということです(話の展開でそういう狙いがあるなら、余韻は諦めるべき。余韻は常に必要なわけではない)。

4.シーン接続が密すぎる

上記3の逆です。1と同じことで、時系列でシーンを並べ、各シーンの間に時間経過がないと、シーン間で何かが起こったかどうか、迷わなくなり、想像も働かせなくなります。

5.シーン間が飛びすぎる

上記4の逆で、2と同様です。シーンの時間をあまりに空けたり、無関係な場所に変えてしまうと、シーン間で何かがあったかどうか気にならなくなり、読者が補完しなくなります。

6.シーンの同時並列進行を用い過ぎる

シーンというよりイベントと言うべきかもしれません。例えば、メインキャラA、Bが別行動を取り、「Aがこうした→その頃、Bはこうした」みたいなストーリー進行を用いることがあります。これ自体は、読者の補完、想像力を喚起させ得る手法です。Aのシーンのとき、Bはどうしているか考えたりしますから。

しかし、2つのシーンの同時進行なら大丈夫かもしれませんが、3つ、4つと増えてくると、読者は情報整理に追われ、ついにはお手上げになってしまいます。結果、作者の説明をただ聞くだけになってしまう。あるいは、3で申しましたような速すぎる切り替えで、同時進行シーンが細切れ過ぎる場合も同様です。要は、作者にしか分からなくなる。

思いつくものを挙げてみましたが、これ以外にも余韻が感じられなくなる要因はいろいろあると思います。ただ繰り返しですが、余韻は必ず必要なものではありません。比喩と同じく、使いすぎると嫌味な感じになりかねませんので、スパイスのつもりで少量用いればよいと思います。

人気回答!ローマの休日 (No: 14)

投稿者 あまくさ : 3 No: 1の返信

投稿日時:

再訪になります。なので、そちらから特に何かなければレスはお気遣いなく。

個人的な感覚でいうと、「地の文やセリフに余韻が感じられない」というコメントには少し違和感を持たないでもありません。余韻というのは後に残るものだと思うんですね。それは文章に雰囲気をまとわせるのとは、ちょっと違う気がします。
何人かの方が仰っている「余韻は語りきらないことによって作る」という指摘は、私もその通りだと思います。しかし言葉足らずで伝わらなければ意味がないわけで。語らないにもかかわらず、しっかり伝わるのが余韻です。ですから一部分ではなく、シークエンス(意味を持ったいくつかのシーンのつながり)で作るものなんじゃないかと個人的には思います。

名作といわれる古い外国映画には、余韻の作り方が巧い作品が多いです。
『ローマの休日』はご覧になったことがあるでしょうか? あの映画のラストシーンは余韻のかたまりです。一応ネタバレになるので詳しくは書きませんが、主人公とヒロインが意味のない短い言葉と視線だけで心が通じ合うという演出があるんです。そして二人の気持ちは観客にも伝わります。なぜ伝わるかというと、そこまでのストーリーによって二人の想いが十分に表現されているからです。ここが大事なところで、物語がしっかりしているからこそ最後に含みをもたせた演出が効果的な余韻になるのだと思います。

だから (No: 15)

投稿者 あまくさ : 1 No: 14の返信

投稿日時:

直接に余韻を感じさせる部分ではなく、それより前の部分に勝負はかかっているんだと思うんですよ。
細工は流々仕上げを御覧じろ、という言葉があります。
細工はプロット、仕上げが余韻……じゃ、ないのかなあ。なんてね。

物語の余韻についての返信 (No: 16)

投稿者 田中一郎 : 0 No: 1の返信

投稿日時:

そう評されたドラ猫さんの作品を見てないので、なかなか難しいですね。
漠然とした物言いになりますが、広がりが感じられないということかなと思いました。
例えば、地の文から推測される世界観。描写過多であったり逆に過小であると想像が働きません。
またはセリフから感じられるキャラクターのバックグラウンドや隠させた心情など。こちらも同様に適度な描写でないといけないのかなと。
あとは読了後に、その話の続きを想像するか、というのも余韻に含まれるかも知れません。ありていに言ってしまえば、「続きが読みたい」と思わせられたか否か、だったりするのではないかなと。

優等生的にまとまりすぎてるのかもしれませんね。機械的に評価するとマイナスになる部分でも「個性」として売りになる(こともある)のが創作の世界ですから。

物語の余韻についての返信 (No: 17)

スレ主 ドラ猫 : 0 No: 1の返信

投稿日時:

みなさん、レスありがとうございます。
>>優等生的にまとまりすぎてるのかもしれませんね。機械的に評価するとマイナスになる部分でも「個性」として売りになる(こともある)のが創作の世界ですから。
確かに私の文章はこんな感じだと思います。その時の状況を説明するだけで面白味がないというのでしょうか。一応「読んでいて楽しい文章」にするのを心掛けるようにしているのですが、やはり念頭に置いてるのは「読者が想像してもらえるように」なので、機械的で説明的なものになってしまうのだと思います。
現在執筆中の作品はその辺りを意識して書いて行こうと思います。

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タイトル:物語の余韻について 投稿者: ドラ猫

先日、評価シートが届きまして、そこに『地の文や台詞に余韻が感じられない。余韻を感じられるようにすればもっと物語に深みが出る』と書かれていました。
この余韻というのはどういうものでしょうか? いえ、なんとなくならわかるのですが、それが果たして正しいのかどうか気になりまして。この疑問に答えを出すべく質問をさせていただいた次第です。

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