なろう系ラノベに努力の要素を持ち込むのはタブーか?の返信
元記事を読む
なろう系ラノベに努力の要素を持ち込むのはタブーか?(元記事)
なろう系ラノベは、「友情」「努力」「勝利」の法則を掲げた少年ジャンプとは対極にある存在で、読者はチートハーレムを望んでおり、主人公が努力するのはタブーである、ラノベ読者は努力が嫌いである、という言説があります。
一方で、ラノベ新人賞の下読みさんによると、物語には成長要素が不可欠で、読者は登場人物が成長していく姿に心を動かされると言います。
果たして努力をせずに、成長が描けるのか?
実は、なろう系ラノベの読者は努力が嫌いなのではなく、対価の約束されていない努力が嫌いというのが真実だと思います。
その証拠として、主人公がモンスターを倒して経験値を稼ぎ、ステータスをアップさせる、新たなスキルを獲得するというタイプの物語が多いことが挙げられます。
これはシリーズ累計発行部900万部突破のヒット作「ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか 」(GA文庫・2013/1/11刊行)がパイオニアとなった要素で、主人公などの登場人物のパラメータがゲーム的に表示され、モンスターを倒すたびにこれがアップしていきます。
「ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか 」の主人公は、登場した当初は最弱でしたが、成長速度が異様に早くなるスキルの持ち主で、どんどん強くなっていきます。
この成長要素が快感だったわけです。
なろう系の異世界転生とは、より本質的に言えば、ゲーム世界への転生です。
ゲームの世界では、モンスターを倒せば必ず経験値やアイテム、お金が手に入ることが約束されており、努力が無駄になりません。
これはラノベの読者層であるオタクに馴染みやすい要素であるため、受け入れやすく、努力して強くなっていく主人公に感情移入しやすくなっています。
しかし、これ以外の方法で努力したり、主人公の成長を描いたなろう系ラノベ(書籍化作品)は、寡聞にして知りません。
もし、これが以外の方法で努力したり、主人公の成長を描いた書籍化作品がありましたら、その内容などを教えていただけるとありがたいです。
なろう系に努力の要素を持ち込むのはタブーか?についてもご意見をいただけるとありがたいです!
なろう系ラノベに努力の要素を持ち込むのはタブーか?の返信
投稿者 のん 投稿日時: : 1
こんばんは、のんです。
なろう系の作品がチートで溢れかえったのは、読者様が既に抑圧された状況にあるからではないでしょうか?
サタン様が仰られているように、カタルシスを得るには『抑圧と解放』が必要です。
ライトノベルの主人公は基本的に読者様が感情移入しやすいよう、読者様に似せて作られていますよね。
でしたら読者様が既に抑圧された状況にある以上は主人公も同じであり、それは理解しやすいものだと思いますし。
サラッと弱者であることを提示して、その後いきなり転生してチートを貰って無双する。と言う、『解放』の段階へスキップする方法が合理的なのでしょう。
しかし最初はそれでよくとも、読者様はだんだんと物語に入り込み、現実とは切り離して考えるようになります。
勿論「自分も同じだ」と共感はするでしょうが、それはキャラクターが該当する言動をとった時だけ。物語内の『抑圧』を省略して『解放』へとスキップ出来る類いのものではありません。
結局は物語内での抑圧も必要になります。
何でもかんでもチートを使って一瞬で解決していては、ワンパターンで飽きてしまいますからね。主人公の努力と言いますか、ひねりが必要です。
例えば。チートといえど今の使い方では解決できない問題にぶつかったとします。
そこで主人公は新たなチートの使い方を模索する訳ですが……。チートはチートですから成功はほぼ約束されていますし、主人公も大して悩みません。
それでも、これは1つの努力と言えないでしょうか?
私の知っているなろう系は、こういった苦のない努力タイプが多かったです。
ストレスフリーな抑圧とでも言いましょうか。人気作ほどしかっり抑圧されている気がしますが、『抑圧と解放』の比率は大差ない印象を受けました。なろう系の特徴なんでしょうかね。
▼なろう系に努力の要素を持ち込むのはタブーか?
練習(修行)や勉強といった読者様にとって身近でストレートな『努力』はあまり見かけなくなりましたが、オブラートに包まれるようななっただけで『努力』は変わらずしています。
きっと、努力そのものが物語から排斥されることは無いでしょう。
カテゴリー : 創作論・評論 スレッド: なろう系ラノベに努力の要素を持ち込むのはタブーか?