小説の創作相談掲示板:小説の書き方Q&A。執筆の悩み相談をしよう!

異世界の文化や言語を考えるのは不毛かの返信

元記事を読む

異世界の文化や言語を考えるのは不毛か(元記事)

売れる/売れない等は別として、異世界(=この世界と地続きでない世界)の文化や言語(あるいは異世界を構成する任意の「この世界と異なる要素」)を考えることは(SFとしてまたは純文学として)「正しい」のでしょうか。

というのも人が異世界へ行ったとき、その人が異世界に辿り着き生存し知的生命体と遭遇する確率はともかくとしても、たどり着いた世界の住民が肺で酸素を取り入れ呼吸するものである確率や, 住民の口腔等の形が地球人のものと似ていて人間の可聴域内かつ発声可能な音を出す確率, 会話の内容が人間の持つ処理能力で理解できる確率などを考えるとあまりにもご都合主義であり、今更言語や文化といった余りに微々たる違いを考えたところでそれらを埋め合わせることはできないように思えます。そこまで「運命力的な力」が働いているなら、なぜ完全に地球と同じ世界まで持っていくことはできなかったのかと思うのです。

これについて二つほど反論を知っています。一つは「異世界側の人物が呪文で主人公を呼び寄せていたり、あるいは異世界に関わる何らかの意思持つ存在が主人公を移動させる話の場合、人間に近い存在がしたことであるので異世界に人間が居るのは納得できることである」というもの。
もう一つは「それが転移モノ(=主人公が異世界の人物に生まれ変わる話)である場合、魂の器は人間しか有り得ないから、異世界へ行く場合は人間の住む世界だけを選んで転移できる」というもの。
どちらも納得できる論だとは思うのですが、何故かなんとなく違和感を覚えます。うまく言葉に出来ないのですが、どこかに作者の匙加減な部分が見える気がするのです。

また自分でも一つ反論を考えてみました。それは「あらゆるフィクションに於いて超自然的な出来事を語る際には読者の理解しやすいものに加工する必要があり、異世界のありようはその影響を受けている」または、「少なくとも自分の考える異世界では常人には理解できない出来事が繰り広げられており、それらを他者に語った時点で人間の理解できる形に喩えられる性質がある」というものです。しかしながらこの論はともすると「読者に理解できなさそうな出来事は考えなくて良い」という考えにも繋がる筈で、そのようにして作者や読者の都合のために「嘘っぽくなさ」を追求するのをやめるのは甘えではないかと思っています。

ファンタジー世界の架空言語を考えていらっしゃる方々がたまにいらっしゃいます(トールキン, セレン, Fafs F. Sashimi, 中野智宏, etc...、敬称略)。その人たちは架空言語を何からの形で存在させたいから書いているのでしょうが、自分としては設定面と同様、物語としての「嘘っぽくなさ」も大事にしたいと考えています。

ファンタジー(あるいはフィクション全般)に言えることなのかも知れませんが、ともかく自分はこうした疑問を抱き、創作が止まってしまいます。些細な問題かと思いますが、回答お願いします。

異世界の文化や言語を考えるのは不毛かの返信

投稿者 サタン 投稿日時: : 1

まず、書きたいジャンルがよくわからないのだけど、SFを書きたいのか純文学を書きたいのかファンタジーを書きたいのか。
ファンタジーを書きたい場合に異世界言語を考えることは不毛とまでは言わないけど、あくまで異世界っぽさを考えるエッセンスでしかないので、そこに注力してしまうのは間違いだろうと思います。
SFを主としたSFファンタジーを書きたいのであれば、SFつまりサイエンスの側面から見て言語が同じというのはおかしいので、それなりに定義しておく必要があるだろうと思います。
純文学の場合は、専門ではないからよーわからんけど、そもそも娯楽を主とした大衆小説に対して芸術性を主としてるのが純文学ですから、絵画で例えりゃ写実画ではなく抽象画のようなもので、個人的には純文学こそ、物語や小説自体の芸術性のために異世界言語の創作はさほど重要ではないと思います。

目的に対しての道具選びの問題で、その目的が定まってないように感じる。

個人的な異世界論の話をすると、
>というのも人が異世界へ行ったとき、その人が異世界に辿り着き生存し知的生命体と遭遇する確率はともかくとしても
このあたりは、例えば人間は肺呼吸だけど猫も犬も肺呼吸で哺乳類はだいたい同じような構造で生きてますよね。あくまで生命を維持する機能として。骨も筋肉も形は違っても構造は同じ。
逆を言うと、「人間のような姿かたちの異世界人」がいるのなら、その構造や習性は人間と同じである可能性が非常に高いし、姿は人間と似てるけど肺呼吸ではないと定義するほうが不自然だと思う。
地球は人間以外に文明を持ってる知的生物が存在しないけど、似たような文明を持つくらいに発展する生命であれば、それは結果的に人間と同じような姿で同じような形に進化するんじゃないのかな。
確か、異世界ではなく地球外生命体においてそういう説を唱えてる論文があったはず。

>納得できる論だとは思うのですが、何故かなんとなく違和感を覚えます。
その2つの反論に違和感を覚えるのは、その2つは別に反論なんかじゃなく、単に「人間と同じような存在がいる異世界」という結果に対して納得しうる過程を書いたに過ぎないからですね。
「結果」がどうなるのかと気にしてるスレ主さんに対し反論は結果ありきで過程を作ってるので、反論になってないため、スレ主さんは納得しつつも違和感を覚えてるってことでしょう。
ちなみに、私はいま、その反論に対して意見してるのではなく、その2つの意見を「反論」と感じてるスレ主さんに意見してるってことを間違えないでください。

確率がどんだけ低くても、ゼロではないなら「偶然その確率を引いた」ことに何の問題があるのでしょう。
ラスベガスで一攫千金を得られる確率は、確か地球に隕石が降ってくる確率よりも低い。けどラスベガスでは毎日ジャックポットを当てる人が何人もいる。
そして、物語において「ベガスでジャックポットを当てた主人公」は、「ジャックポットを当てたから主人公」なわけで、それは前提条件なわけです。
「勇者の血をひく主人公」は「勇者の血をひいてるから主人公」なわけですよ。
異世界に転生転移した主人公は、「そこで人間そっくりの異世界人と生活する地球の知識を持つ人物」だから主人公足り得てるわけです。
「こういう主人公」ないし「こういう前提条件」に対して「なぜ」は無いんです。
そこにあるのは、反論なんかじゃなく単に「こういう前提」に対して納得しうる でっちあげ だけです。

一方で、おそらくスレ主さんの反論と近い思想で書かれた小説に宮部みゆきの「ドリームバスター」があります。
これは異世界の住人と地球人とで時間も空間も、それどころか位相が違う感じで、夢の中でしか対面することができない。異世界人は夢を見てる人の脳を利用して活動しているので、言語の問題なんかも完全に無く、おそらくは異世界人の姿形も夢を見てる人の妄想で形作られているので人間に近い。異世界人は現代人の理解の外側にあるけど、夢を通すのでそれは現代人の理解力に変換される、という感じ。実はうろ覚えなんだけども。
ただこれも、別に「反論」ではなくて、悪夢を退治する話だからこのような設定になったってだけの話です。

>「嘘っぽくなさ」を追求するのをやめるのは甘えではないかと思っています。
正直、その「嘘っぽくなさ」が言外に「現実味」って感じの言葉に聞こえるのだけど、もしそのように考えられているのであれば、そこが間違ってるなーと思います。
例えば「ラスベガスで大当たりを当てた主人公」と言ったら、そんな天文学的に低い確率を当てるなんて偶然に頼りすぎててリアリティがない、と思いますかね。
でも、そんな人間は毎日ラスベガスに生まれてるんだから、「現実としてあること」なんですよ。
「納得」と「現実味」は違うもので、いくら現実味があっても嘘っぽさは消えないし、現実味がなくとも納得できるものは納得できるものです。
だから、「ベガスで一攫千金を得た偶然」という出来事を納得できるように書けば良いだけなんです。
そしてそれは、何も「一攫千金を得られるだろう理屈」を考える必要はなくて、例えば
「押し付けられた借金から逃げるため、日本からベガスに来たけど乞食みたいな生活をして無一文で食うものもなくて、もう死ぬしかない、日本に残してきた妻も子供も心配だけど、自分は昔からいざってときに躓いて不幸になる」そんな主人公がスロットのコインを拾ってマシンに入れると偶然ジャックポットを当てて一気に何十億って賞金を手に入れた。
こう書くと、そんな偶然あるわけねえけど、最初に「不幸で可哀想な主人公」を出したから読者は「救われて欲しい」と思うわけで、こんな偶然でも受け入れてくれるわけですよ。
これが「納得」を書くってことで、設定やらで理屈を積み上げていくのも手段の1つですが、それだけに頼ってることこそ創作に対する「甘え」だと私は思う。

異世界言語に関しては最初に書いた通りだけど、そもそも言語に関する内容を書くんでない限り、話題にしなけりゃ良いだけで「違う言語だ」ということを書かなきゃ良いだけだと思うよ。
最近アニメやってる「無職転生」だと、転生だから「赤ちゃん状態は吸収が早くてすぐ言葉を覚えた」くらいにしか書かれて無くて、原作中盤くらいに出てくる、転生じゃなく転移した人物が日本語で主人公に話しかけて、そのとき、たぶんはじめて「違う言語なんだ」って明確に書かれたんじゃないかと思う。
アニメだと絵と声があるから序盤から言語が違うってことが明確だけど、小説は文字だから話題にしない限りは書く必要がそもそも無くて、そういった必要ないことを考えて書いてしまうとテンポが崩れて面白くなくなることも多いし、自分で「不毛ではないか?」と疑問に思われたのなら不毛なんだと思います。
物語に必要ないからそう疑問に思ったんだろうし。
なんにせよ、これも最初に書いたけど、何を書きたいのかっていう目的が不明瞭な気がします。

カテゴリー : 設定(世界観) スレッド: 異世界の文化や言語を考えるのは不毛か

返信する!
コメントは4500文字以内。

「私はロボットではありません」にチェックを入れてください。

トップページへ ページの先頭へ

「異世界の文化や言語を考えるのは不毛か」の返信一覧

他の相談一覧

異世界から帰る方法

投稿者 天海 回答数 : 6

投稿日時:

異世界に行ってしまう話というのはよくありますが、逆に異世界から帰ってくる方法は何がありますか? あるきっかけで異世界に飛んでしまう... 続きを読む >>

人称について 一人称と三人称、どちらか片方に特化すべきか 両方とも書けるようになるべきか

投稿者 鬼の王の墓標 回答数 : 9

投稿日時:

初めましての方は初めまして。これまでのスレッドに書き込んでいただいた方々はお久しぶりです。マリン・Oと申します。 今回の質問は題名... 続きを読む >>

▼書き込みの検索

▼投稿者の検索

小説の書き方Q&A:創作相談掲示板の使い方・利用規約(必ずお読みください)。お問い合わせ