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異世界の文化や言語を考えるのは不毛か (No: 1)

スレ主 いろふぁ 投稿日時:

売れる/売れない等は別として、異世界(=この世界と地続きでない世界)の文化や言語(あるいは異世界を構成する任意の「この世界と異なる要素」)を考えることは(SFとしてまたは純文学として)「正しい」のでしょうか。

というのも人が異世界へ行ったとき、その人が異世界に辿り着き生存し知的生命体と遭遇する確率はともかくとしても、たどり着いた世界の住民が肺で酸素を取り入れ呼吸するものである確率や, 住民の口腔等の形が地球人のものと似ていて人間の可聴域内かつ発声可能な音を出す確率, 会話の内容が人間の持つ処理能力で理解できる確率などを考えるとあまりにもご都合主義であり、今更言語や文化といった余りに微々たる違いを考えたところでそれらを埋め合わせることはできないように思えます。そこまで「運命力的な力」が働いているなら、なぜ完全に地球と同じ世界まで持っていくことはできなかったのかと思うのです。

これについて二つほど反論を知っています。一つは「異世界側の人物が呪文で主人公を呼び寄せていたり、あるいは異世界に関わる何らかの意思持つ存在が主人公を移動させる話の場合、人間に近い存在がしたことであるので異世界に人間が居るのは納得できることである」というもの。
もう一つは「それが転移モノ(=主人公が異世界の人物に生まれ変わる話)である場合、魂の器は人間しか有り得ないから、異世界へ行く場合は人間の住む世界だけを選んで転移できる」というもの。
どちらも納得できる論だとは思うのですが、何故かなんとなく違和感を覚えます。うまく言葉に出来ないのですが、どこかに作者の匙加減な部分が見える気がするのです。

また自分でも一つ反論を考えてみました。それは「あらゆるフィクションに於いて超自然的な出来事を語る際には読者の理解しやすいものに加工する必要があり、異世界のありようはその影響を受けている」または、「少なくとも自分の考える異世界では常人には理解できない出来事が繰り広げられており、それらを他者に語った時点で人間の理解できる形に喩えられる性質がある」というものです。しかしながらこの論はともすると「読者に理解できなさそうな出来事は考えなくて良い」という考えにも繋がる筈で、そのようにして作者や読者の都合のために「嘘っぽくなさ」を追求するのをやめるのは甘えではないかと思っています。

ファンタジー世界の架空言語を考えていらっしゃる方々がたまにいらっしゃいます(トールキン, セレン, Fafs F. Sashimi, 中野智宏, etc...、敬称略)。その人たちは架空言語を何からの形で存在させたいから書いているのでしょうが、自分としては設定面と同様、物語としての「嘘っぽくなさ」も大事にしたいと考えています。

ファンタジー(あるいはフィクション全般)に言えることなのかも知れませんが、ともかく自分はこうした疑問を抱き、創作が止まってしまいます。些細な問題かと思いますが、回答お願いします。

カテゴリー: 設定(世界観)

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異世界の文化や言語を考えるのは不毛かの返信 (No: 2)

投稿者 あまくさ : 1 No: 1の返信

投稿日時:

SFやファンタジーにかぎらず純文学・私小説まで含めて、すべての小説は作者の脳内で作り出されたものであり、現実そのものではありません。したがって徹底的にリアリティを追求した小説であっても、作者の「作為」が微塵も入らないということは有り得ません。
また、純文学の作者が実体験や現実社会の事象にもとづいて作品を書いたとしても、そこには作品を通じて何かを読者に伝えたいという「意図」があるはずです。「意図」があれば当然、ストーリーの組み立てを「作為的」に「操作」することになります。
そのような「作為」「意図」「操作」は、あえて悪い言葉に置き換えれば「ご都合主義」に他なりません。作者の意図する方向にストーリーを誘導していることには違いないですから。

昭和のころの純文学作家は「いや、そういう操作をいっさい排除して、ありのままに書くのが真の文学だ」みたいなことを言ってましたけどね。そういう主張に対しては昭和の純文学界の中でさえ「そんなことは不可能。滑稽な思い込みに過ぎない。小説には作為があるのがあたりまえだ」という批判も出ていましたよ。
だいたい太宰治とか芥川龍之介とか、そうとう話を盛る作家じゃないですか。

という認識をふまえるなら、ファンタジーから純文学まで含めて実は「ご都合主義」が小説の本質だと言えます。

ま、これはあくまで私の考えなので異論はみとめますが、仮に上記の認識を前提にすれば、ファンタジー設定の現実との矛盾がどうのなんて議論は根底から崩壊してしまうんですね。

ファンタジーなんだから好きなように書けばよい。ただし、演出としての真実味と、作品世界内の最低限の整合性は必要。
また、異世界の文化や言語を考えるのは、不毛とか不毛じゃないとか議論するのがそもそもナンセンス。そうしたければそうすればよいし、したくないなら別にしなくてもかまわない。

それだけの話です。

   *   *   *

ということで、差し支えなければスレ主様の「フィクションの定義」をまずお聞きしたいところです。

補足 (No: 3)

投稿者 あまくさ : 1 No: 2の返信

投稿日時:

せっかくなので、もう少しご質問の文面に即した回答も試みます。

まず、

>というのも人が異世界へ行ったとき、その人が異世界に辿り着き生存し知的生命体と遭遇する確率はともかくとしても、
(中略)
>そこまで「運命力的な力」が働いているなら、なぜ完全に地球と同じ世界まで持っていくことはできなかったのかと思うのです。

ここまでの疑問は、煎じ詰めると以下の2点に要約できると思います。

1)異世界ものの設定は、作者の都合の良い部分だけは現実世界と同じであることが自明であるように描かれているにもかかわらず、一部の異質点だけが詳細に説明される。その恣意性に違和感をいだく。

2)異世界の住人が現実世界の人間とほぼ同じ生物で、会話も通じる理由がわからない。

この疑問については、まあ、そうではありますね。

次に。

>これについては二つほど反論を知っています。

としてあげていらっしゃる二つの「反論」について検討してみます。

まず。

>「異世界側の人物が呪文で主人公を呼び寄せていたり、(略)

>「それが転移モノ(=主人公が異世界の人物に生まれ変わる話)である場合、(略)

この二説は、正確に言うと反論ではなく「理由付け」です。
つまりですね。
(2)の疑問は要するに「異世界の住人が人間に似ているのは偶然なのか必然なのかわからない」とおっしゃっているわけです。
しかし、異世界人が人間的か非人間的か自体は単なる設定に過ぎません。ただ、その理由付けのあいまいさが問題視されるということなので、二説は理由付けを試みているのです。
ただしそれは、
「そんなに理由付けがほしいなら、例えばこんなのはどう?」という案にすぎず、正しいとか間違っているという問題ではありません。
よって、別に何も反論はしていないのです。

次。

>また自分でも一つ反論を考えてみました。

これもスレ主様の考えられた別の理由付けになります。一つと言いながら二つありますが、まあ、検討してみます。

>あらゆるフィクションに於いて超自然的な出来事を語る際には読者の理解しやすいものに加工する必要があり、異世界のありようはその影響を受けている

これは失礼ながら論理が破綻しています。どこがおかしいかと言うと、「読者の理解しやすいもの」というメタ要素が物語内の事象に作用してしまっている点です。これは反則技でしょう。理由付けはあくまで物語内だけで完結させる方が読者にとって納得しやすいものになります。

>少なくとも自分の考える異世界では常人には理解できない出来事が繰り広げられており、それらを他者に語った時点で人間の理解できる形に喩えられる性質がある

こちらはメタとか反則技ということはありませんが、ちょっと哲学的になってしまっていますね。これは「理解不能な事象を他者に語った時点で、理解できる形に固定される」ということで、不確定性原理みたいなアイデアになっています。うまく説明できるといいのですが、難解になりがちな理由付けと言えます。

>しかしながらこの論はともすると「読者に理解できなさそうな出来事は考えなくて良い」という考えにも繋がる筈で、

そうかな。繋がらない気がしますが。

ここまで語られている問題意識の内容は、「作中で起こっている事象の理由付けがあいまいでは納得できない」という一点につきます。
四説はそれに対して理由付けのアイデアを並べているだけで、そもそも何も議論はしていません。

ただし、理由付けを並べること自体はいいんですよ。

ここで一つ前の私の書き込みにもどりますが、フィクションなのだから、設定自体は自由でいいのだと強調したいです。ただ読者によっては理由付けがないと納得しない人もいるから、そこを埋める工夫をしているだけという話です。
問題はその理由付けの内容や説明が上手いかどうかだけです。
これは読者の理解や納得感を重視しているということではあるので、「読者に理解できなさそうな出来事は考えなくて良い」という姿勢には繋がっていないでしょう。

   *   *   *

それはそれとして、異世界の文化や言語を考えることが読者の理解や納得感を高めることに寄与するのかどうかという問題は残りますけどね。

しかしながらスレ主様のご相談の文面は、その点については「ある部分ではいい加減なのに、言語や文化だけ詳細なのはなぜか?」という話にずれてしまい、文化や言語の詳述そのものの是非については語られていません。

よって、もう少し論点を整理してから再質問された方がよろしいかと思います。

異世界の文化や言語を考えるのは不毛かの返信の返信 (No: 11)

スレ主 いろふぁ : 0 No: 2の返信

投稿日時:

返信ありがとうございます。仰る通りもう少し固まってから質問しようと思います。

「フィクション」が何かについては、歴史の教科書や物理学の論文も含めて、「作者が感じた何かしらの世界を事後的に切り取って語ったものよ全て」あるいはそれを視聴したり、視聴した経験を振り返ったりしているときの「読者の脳内に作り出されている世界」だと理解しています(ノンフィクションという用語は言葉のあやであって、誰かが何かを語るときにそうした作為が全く含まれないということはなく、ただそれでもできる限り客観的に寄ろうとしたものを近似的に客観的であるとしているに過ぎない)。

問題としては、「ある設定について、読者が(その読書経験を事後的に振り返っている場面も含めて)その本に関わっているすべての段階において、矛盾がないと考えるか、あるいは矛盾を発見してもその設定に納得がいくようにするにはどうすれば良いか」ということだと思います。
SF漫画等では論理の不整合を読者の「一瞬でも自分を騙した作者への賛辞」によって補っているかと思いますが、上述の3, 4つの理由づけは少なくともそうした「SF漫画的な補い方」としては強度が足りないように感じました。

異世界の文化や言語を考えるのは不毛かの返信 (No: 4)

投稿者 読むせん : 1 No: 1の返信

投稿日時:

あー・・・・

>>これについて二つほど反論を知っています。
一つは「異世界サイドの人物が、呪文で主人公を呼び寄せていたり、あるいは異世界ゴッドとかが主人公を移動させる話の場合。

そもそも【呼んでいる側】がヒューマノイド型を厳選している点で、納得できることである」というもの。

もう一つは「それが転移モノ(=主人公が異世界の人物に生まれ変わる話)である場合

魂の器は人間しか有り得ないから、異世界へ行く場合は人間の住む世界だけを選んで転移できる」というもの。

ーーーーーーーーーーーーーー
すめん、【魂の器は人間しか有り得ないから、異世界へ行く場合は人間の住む世界だけを選んで転移できる」というもの。】

私、神仏習合系の宗教派閥だから、魂の器は一寸の虫にも五分の魂と魂を保管する器【不滅のティグレ】的なものが有る派だから、めちゃ合わない。

その持論だと、人外転生とかモンスター転生とかは除外されるし、モンスター的なものが宗教もっている展開も好きだし。

申し訳ないけど、思想の偏りがみえて面倒。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
異世界(=この世界と地続きでない世界)の文化や言語(あるいは異世界を構成する任意の「この世界と異なる要素」)を考えることは(SFとしてまたは純文学として)「正しい」のでしょうか。

正しい以前に穴と矛盾だらけに感じるわ。
世界を読み解く方程式というよりカルト宗教の持論みたい。

かなり古い作品だけど
【神様は異世界にお引越ししました 】
https://ncode.syosetu.com/n9829bi/
とか勧めときます。奇想は意外と身近くにあるよ。

異世界の文化や言語を考えるのは不毛かの返信 (No: 5)

投稿者 サタン : 1 No: 1の返信

投稿日時:

まず、書きたいジャンルがよくわからないのだけど、SFを書きたいのか純文学を書きたいのかファンタジーを書きたいのか。
ファンタジーを書きたい場合に異世界言語を考えることは不毛とまでは言わないけど、あくまで異世界っぽさを考えるエッセンスでしかないので、そこに注力してしまうのは間違いだろうと思います。
SFを主としたSFファンタジーを書きたいのであれば、SFつまりサイエンスの側面から見て言語が同じというのはおかしいので、それなりに定義しておく必要があるだろうと思います。
純文学の場合は、専門ではないからよーわからんけど、そもそも娯楽を主とした大衆小説に対して芸術性を主としてるのが純文学ですから、絵画で例えりゃ写実画ではなく抽象画のようなもので、個人的には純文学こそ、物語や小説自体の芸術性のために異世界言語の創作はさほど重要ではないと思います。

目的に対しての道具選びの問題で、その目的が定まってないように感じる。

個人的な異世界論の話をすると、
>というのも人が異世界へ行ったとき、その人が異世界に辿り着き生存し知的生命体と遭遇する確率はともかくとしても
このあたりは、例えば人間は肺呼吸だけど猫も犬も肺呼吸で哺乳類はだいたい同じような構造で生きてますよね。あくまで生命を維持する機能として。骨も筋肉も形は違っても構造は同じ。
逆を言うと、「人間のような姿かたちの異世界人」がいるのなら、その構造や習性は人間と同じである可能性が非常に高いし、姿は人間と似てるけど肺呼吸ではないと定義するほうが不自然だと思う。
地球は人間以外に文明を持ってる知的生物が存在しないけど、似たような文明を持つくらいに発展する生命であれば、それは結果的に人間と同じような姿で同じような形に進化するんじゃないのかな。
確か、異世界ではなく地球外生命体においてそういう説を唱えてる論文があったはず。

>納得できる論だとは思うのですが、何故かなんとなく違和感を覚えます。
その2つの反論に違和感を覚えるのは、その2つは別に反論なんかじゃなく、単に「人間と同じような存在がいる異世界」という結果に対して納得しうる過程を書いたに過ぎないからですね。
「結果」がどうなるのかと気にしてるスレ主さんに対し反論は結果ありきで過程を作ってるので、反論になってないため、スレ主さんは納得しつつも違和感を覚えてるってことでしょう。
ちなみに、私はいま、その反論に対して意見してるのではなく、その2つの意見を「反論」と感じてるスレ主さんに意見してるってことを間違えないでください。

確率がどんだけ低くても、ゼロではないなら「偶然その確率を引いた」ことに何の問題があるのでしょう。
ラスベガスで一攫千金を得られる確率は、確か地球に隕石が降ってくる確率よりも低い。けどラスベガスでは毎日ジャックポットを当てる人が何人もいる。
そして、物語において「ベガスでジャックポットを当てた主人公」は、「ジャックポットを当てたから主人公」なわけで、それは前提条件なわけです。
「勇者の血をひく主人公」は「勇者の血をひいてるから主人公」なわけですよ。
異世界に転生転移した主人公は、「そこで人間そっくりの異世界人と生活する地球の知識を持つ人物」だから主人公足り得てるわけです。
「こういう主人公」ないし「こういう前提条件」に対して「なぜ」は無いんです。
そこにあるのは、反論なんかじゃなく単に「こういう前提」に対して納得しうる でっちあげ だけです。

一方で、おそらくスレ主さんの反論と近い思想で書かれた小説に宮部みゆきの「ドリームバスター」があります。
これは異世界の住人と地球人とで時間も空間も、それどころか位相が違う感じで、夢の中でしか対面することができない。異世界人は夢を見てる人の脳を利用して活動しているので、言語の問題なんかも完全に無く、おそらくは異世界人の姿形も夢を見てる人の妄想で形作られているので人間に近い。異世界人は現代人の理解の外側にあるけど、夢を通すのでそれは現代人の理解力に変換される、という感じ。実はうろ覚えなんだけども。
ただこれも、別に「反論」ではなくて、悪夢を退治する話だからこのような設定になったってだけの話です。

>「嘘っぽくなさ」を追求するのをやめるのは甘えではないかと思っています。
正直、その「嘘っぽくなさ」が言外に「現実味」って感じの言葉に聞こえるのだけど、もしそのように考えられているのであれば、そこが間違ってるなーと思います。
例えば「ラスベガスで大当たりを当てた主人公」と言ったら、そんな天文学的に低い確率を当てるなんて偶然に頼りすぎててリアリティがない、と思いますかね。
でも、そんな人間は毎日ラスベガスに生まれてるんだから、「現実としてあること」なんですよ。
「納得」と「現実味」は違うもので、いくら現実味があっても嘘っぽさは消えないし、現実味がなくとも納得できるものは納得できるものです。
だから、「ベガスで一攫千金を得た偶然」という出来事を納得できるように書けば良いだけなんです。
そしてそれは、何も「一攫千金を得られるだろう理屈」を考える必要はなくて、例えば
「押し付けられた借金から逃げるため、日本からベガスに来たけど乞食みたいな生活をして無一文で食うものもなくて、もう死ぬしかない、日本に残してきた妻も子供も心配だけど、自分は昔からいざってときに躓いて不幸になる」そんな主人公がスロットのコインを拾ってマシンに入れると偶然ジャックポットを当てて一気に何十億って賞金を手に入れた。
こう書くと、そんな偶然あるわけねえけど、最初に「不幸で可哀想な主人公」を出したから読者は「救われて欲しい」と思うわけで、こんな偶然でも受け入れてくれるわけですよ。
これが「納得」を書くってことで、設定やらで理屈を積み上げていくのも手段の1つですが、それだけに頼ってることこそ創作に対する「甘え」だと私は思う。

異世界言語に関しては最初に書いた通りだけど、そもそも言語に関する内容を書くんでない限り、話題にしなけりゃ良いだけで「違う言語だ」ということを書かなきゃ良いだけだと思うよ。
最近アニメやってる「無職転生」だと、転生だから「赤ちゃん状態は吸収が早くてすぐ言葉を覚えた」くらいにしか書かれて無くて、原作中盤くらいに出てくる、転生じゃなく転移した人物が日本語で主人公に話しかけて、そのとき、たぶんはじめて「違う言語なんだ」って明確に書かれたんじゃないかと思う。
アニメだと絵と声があるから序盤から言語が違うってことが明確だけど、小説は文字だから話題にしない限りは書く必要がそもそも無くて、そういった必要ないことを考えて書いてしまうとテンポが崩れて面白くなくなることも多いし、自分で「不毛ではないか?」と疑問に思われたのなら不毛なんだと思います。
物語に必要ないからそう疑問に思ったんだろうし。
なんにせよ、これも最初に書いたけど、何を書きたいのかっていう目的が不明瞭な気がします。

異世界の文化や言語を考えるのは不毛かの返信 (No: 6)

投稿者 手塚満 : 0 No: 1の返信

投稿日時:

何のために、誰のために作品を書いているかという点を外してるんじゃないかと思います。要は読者度外視で考えを進めちゃってるようです。以下、少し説明してみます。

1.正確さよりも分かりやすさが大事

物語って、受け手が理解できることが最低限の条件です。物語は異世界の住人とか異星人とか出てきますが、作中で何らかの意思表示をする生物は全て、人間を模したものか、人間の拡張です。その周辺にはまずペットや家畜に類する生物、その外には野生生物を模したものがあります。異世界、異星とて、この現実世界の類似であり拡張なんですよ。

でないと受け手としては分からないから。仮に、例えばケイ素ベースの生物が発生するとして、シミュレーションして文化、文明まで到達するまでを構築できたとします。それを作品に書いたとする。読者が強いられる作業は何でしょうか。その世界の成り立ちを理解する勉強です。

2.全く異なる世界については、お勉強から始まってしまう:英語

その世界で、その世界の住人がドラマを起こすとして、世界観や生物の基礎的な部分が理解できないとドラマだって理解できない。この現実世界だって、似たようなことが起こってるわけです。例えば日英の言語の違い。英語知らないで、英語圏で起こってることなんか理解できるわけない。

では翻訳したらいいのか。不可です。多少英語を学んだら分かることですが、各単語からして意味範囲が違いますよね。そのことは、例えば英和辞書、和英辞書を見てみれば分かる。ある英単語には多数の日本語単語が対応させてある。例えば"fall"は「落ちる」だけじゃない。降る、もげる、倒れる、ひれ伏す、死ぬ、陥落する、垂れる、退く、静まる等々、多数の日本語単語が対応します。

だからといって、「落ちる」がfallに包含されているわけではない。「落ちる」も多数の英単語が対応する。一方の単語には、他方の単語がいろいろ、ちょっとずつ対応するわけです。なぜなら日英言語は生まれも育ちも全く異なるから。逆に言えば、印欧語圏内だと、かなり類似しており、異世界ファンタジーとこの世界の読者との距離感に近いかもしれません。

3.全く異なる世界については、お勉強から始まってしまう:異文明技術

今は世界中の情報が得やすくなりましたが、例えば明治維新辺りだと、海外に行った日本人の経験は異世界に飛ばされたに近かったでしょうね。こないだ終了したNHKの大河ドラマ「青天を衝け」では維新前後の洋行した主人公らが、欧州で見たものが最初は何か分からないとう描写が頻繁にありました。視聴者には分かりますから、ドラマをサクサク進めてましたが、もし我々が維新前後で日本から出たことがないし、海外の話なんか知らずに育っていたらどうしょう。ドラマで出てくるもの全部、詳しく説明してもらわないと、作中のキャラクターが何してるか理解できないはずです。

4.物語は楽しむためにある

そして、仮に説明してもらって分かるとする。そんなもん、面白いんでしょうか。知識欲を満たすことができるとしても、それなら物語なんかにしなくていい。海外≒異世界にあるものをストレートに説明してもらうほうが分かりやすい。ドラマなんてノイズになります。そしてもし、その異世界が想像上のものだったら。知識得ても何にも使えないですよね。徒労の極みです。

そんな作品、作っちゃダメなわけです。異世界の構築に興味があるんなら、作者一人でやればいい。読者に「どうですか?」なんて見せるもんじゃない。作者は作ってるからある程度面白く感じますが、読者は作者の考えた設定を聞かされるだけです。それくらいなら、読者は自分で妄想しているほうがよっぽど楽しい。自分で考えると20倍くらい面白いんですよ。

5.作者方針の違いを正しさを求める議論と誤解してはいけない

ご質問文には、ある主張とそれに対する反論があるかのように書かれていますが、全く違いますね。作者方針がいろいろ、という状況に過ぎません。例えば「こういう魔法がある」で済ますケースもあれば、「この魔法は発動にはこういう条件があって」と言う部分が詳細なものもあるし、「その魔法の発生源はこういう魔力の源があって」みたいなものもある。

6.分かるのではなく分かった気がするのが大事

全部、それらしく描くにはどうしたらいいか、を作品それぞれで工夫しているに過ぎません。なぜそれらしくしたいか。読者が分かった気がするからです。フィクション作品では、読者は分かる必要はありません。分かった気がする、つまり気分でよいのです。繰り返しになりますが、勉強じゃないんですからね。楽しみたいわけですから。楽しいって、気分なんですよ。おまけ程度に現実で役立つ知識があってもいいという程度です。

言葉を変えますと、「文句のつけようがないくらい、設定が上手く組みあがっている」なんてところに、読者は感心もしないし、ましてや感動なんかしません。作品世界のキャラクター、特に主人公が何を為したかに感動します。感情移入の大事さはよく説かれるところです。一方、設定が完璧でないといけない、なんてコツはほぼ聞きません。楽しむためには何が大事か、そのことだけでも明らかです。

7.スレ主さんのお考えも作者方針の1つ

念のためですが、スレ主さんが「異世界が、この世界と出自も歴史も異なるように作る」とお望みだとして、それがいけないと申し上げているわけではありません。そんなことを望む受け手は極めて少ないし、ましてや他人が考えたことを聞きたがる人はさらに少ないというだけの話です。

スレ主さんがこうしたいと思えば、そうなさればいい。ただし、それが正しいとか、他は間違いだとか理屈づけないほうがいいでしょう。フィクションは楽しめる嘘です。正しさを求めること自体、不毛です。

異世界の文化や言語を考えるのは不毛かの返信 (No: 7)

投稿者 大野知人 : 0 No: 1の返信

投稿日時:

 失礼を承知で言いますが。問そのものがナンセンスである。
 と、言われても困ると思うので。結論だけ先に言っておきます。

 『自由にすれば?』以上に言える事はないです。

 もし、『こうしたい』と言うのが無いのであれば、
 ①『小説を作りたい』
 ②『リアリティのある設定を作りたい』
 の二つのどちらなのかを考えた方が良いかもしんないです。

 先に言ってしまえば、小説の場合どこまで行っても『尺』の都合が出てくるので。設定を細かく作りこんだ所で、往々にしてそれが『無駄』になるというのは、良くあることです。
 ただし、もし媒体を小説に絞らないのであれば、形を変えて活かすことは出来ると思います。
 そのため、『小説として作る』以外の選択肢も視野に入れると良いでしょう。

 こっからは補足。
 まず。なぜ『好きにすればいい』と思うか。

 作者さんの仰る『反論』の通り、基本的に小説という物は『読者に理解できる形』にまとめる必要があるため、細かく作りこみすぎる・説明に時間が掛かりすぎるタイプの物は好まれません。
 
 いえ、この問題は『表現』そのものが抱えている総括的な問題であり、音楽だろうが文章だろうが絵画だろうが。結論から言えば『人間は理解し合うことが出来ない』という事に尽きます。
 『存在するものを真似て作れば、その事くらいは伝わるだろう』と思うかもしれませんが、例え同じものを見ていたとしても、(これは感受性ではなく、脳の神経伝達の問題として)『全く同じように』見えているとは限らない訳です。

 さて、その上で。
 もう一つ問題が有ります。

 それは、『現代の科学が正しいとは限らない』という事です。
 コペルニクス達が文句を言いだすまで、地球を中心にしてその周りを太陽がグルグル回っていました。
 古代物理学にあっては、物質の根っこは『エレメント』という訳の分からない四種類の物質で、ロバート・ボイルがその後に所謂『元素』なんてものを言い出し、更にその後の時代には『不確定性原理』やら『量子論』やら『波であり粒子である』なんていう訳の分からない話が出てきた訳です。が……。

 そこで問いましょう。
 『リアリティ』って何ですか?

 太陽が地球の周りをまわっていた時代には、天動説準拠のストーリーが『リアル』でした。
 要するに、科学的な正しさと、小説におけるリアリティは意味合いが違う、と言う話です。

 奇跡が起きる確率を考えるのは、小説のリアリティじゃない。
 奇跡が起きるからエンタメであり、そこに確かに存在する奇跡をいかに読者に読ませるかが『リアリティ』です。

 その上で、言うのであれば。まずもって、小説に対して『不毛か否か』を問うことそのものがナンセンスでしょう。

 作業効率を言うのであれば、『作中に登場しない設定』を作る事は『不毛』ではなく『無意味』です。
 作品への思い入れを考えるなら、それは『見えない部分の作りこみ』ではなく、もっと単純に『愛』です。『不毛』と言うのは失礼だ。

 嘘っぽくない物、を作りたいのであれば。まず、『奇跡が起こる確率』という考えをやめましょう。
 『真実っぽい嘘』を言う事よりも、『大嘘を真実っぽく』書く方が、よっぽど良いと思いますよ。
 
 キャッチ―な言い回しを狙い過ぎて、分かり難くなっちゃったので補足。
 要するに。
『九割方現実だけど、ちょっとだけフィクション』という事をやるよりも、『根本的にフィクションなんだけど、そのフィクションを前提にした世界のリアリティを描く』ほうが良いだろう、って事。

 なぜかって言うとね。
 
 そっちの方が面白そうじゃん?

異世界の文化や言語を考えるのは不毛かの返信 (No: 8)

投稿者 スイ : 1 No: 1の返信

投稿日時:

 こういう議論が出るのは、いまだに「宇宙人」と会ったヤツが少数だからだよ。

 それでも言語学者あたりなんかが推定してはいるんだけど、現行の人間言語であれば「宇宙語」とは、さほど違ってもいない(だろう)と。
 宇宙どこでも物質資源は有限だから、それを効率的に使うのに知的生命体は、どうしても言語を持たなければならない。
 そう言語が違ってもいないなら、すなわち文化も違いすぎてはいない。

 地球でも、動植物たちが言語を使っている、と解明されてきています。

 アメリカの鼠だかイタチみたいな動物が、たしか形容詞を持った言語を使っているらしい。
 日本京大の学者さんなんかが突き止めて、学術誌に発表したそうですよ。

異世界の文化や言語を考えるのは不毛かの返信 (No: 9)

投稿者 雨オカマ : 0 No: 1の返信

投稿日時:

ストーリーという点から見れば、「主人公の目的が達成される」ということが軸になることが多いでしょう。例えばコテコテのスーパーロボットモノの「操縦型の超でかいマシーン」と「超でかい敵」っていうのは見かけから「軍隊じゃ勝てない感じ」に説得力を持たせて、「主人公がやらねば誰がやる」って状況を分かりやすく作ってると思います。つまり割と簡単に「選ばれし者」に主人公がなるという展開。
そうなってやっと主人公の行為が世界にとって重要になり、その意思と価値観に意味が生じる。シンプルにいけば、世界を守る戦いを描くなら世界中の誰もかなわない存在とそれを倒せる設定だけでいい。
でも、お話が複雑化した現代、ライバルとの死闘、社会との関りや思春期の葛藤、リアルな戦争などの内容を含まなくてはいけなくなってきた。国家・組織との関りを描きたいのに超強すぎるロボットだと不都合ということがあって設定も複雑化せざるを得ない。ただただ無敵の力を扱うのではなく、味方や社会に依存したり、そのことによる葛藤を描きたいと思う人、それを見たい人が増えた。
でもそもそも異世界も超能力も超科学ロボットも「詳しい理由は説明しません」の言い換えみたいなものです。詳しい説明を入れなくてもいい舞台を整えて、そこに「好き勝手に匙加減していく」ための装置です。むしろ現実の面倒ごとを除去していると言ってもいい。

なので「異世界という超非現実な道具は使って、そこの自然環境はご都合で、そこに呼び出されるのもご都合なのに、そこでの生活は緻密に描くって・・・それでリアリティ感じさせれんの~?」っていうのは、一理ある疑問ですが「それが異世界という舞台立てです」としか言いようがないです。
それが嫌ならば自分自身納得のいく異世界と現実に近い移転前の世界の在り方を設定しなおすしかないではないでしょう。そして、それを描かなくてはならないのはあなたがそういう要素が作品に必要と思ったからであって、異世界自体に「原子力発電所」とか「相対性理論」みたいなもののように、特定のリアリティを要求する要素はなく(とまでは言えなくともかなり薄く)、ストーリーとの兼ね合いで色々加わるだけで、要は「そういう世界だから」を実現させる道具の一つだと思います。
多分異世界物のテンプレ的な設定から、遠い星と類比的に考えるのが妥当と判断なさったのでしょうが、別に異世界がそういった設定を持っていなくてはならない理由はなく、「なぜ異世界の環境が都合よく人間にあっているのか」というのが問題になっているのは、あなたがそういう設定にしてしまってるからで、それにはストーリーやイメージから要求される何かがあったのではないでしょうか。
なにか違和感があるとすれば異世界やそこへの召喚ということが物語の雰囲気みたいなものを欠損するからでしょうが、それはもしかしたら異世界のことを現実的な科学とか歴史学から考えすぎてストーリーの雰囲気がリアリズム的になっているのに、描こうとするイメージが少年誌みたいな内容になっていて、そのテンプレと設定が不釣り合いを起こしてるのかもしれない。

クラリオン乙女 (No: 10)

投稿者 ごたんだ : 0 No: 1の返信

投稿日時:

そういう疑念をストーリーに組み込めるるかが(後付けでも!)風呂と海女の大きな溝だと錘

Hレンとヨカサのカップ麺って、合わないんだよな…
『新聞の巨人』 嫌いなアン○はまず
そこを突く! だけど、それを解消して物語の起点にする当たりに舌を巻いたわ!!!

奨学金的に『アン○』に寄せたラストな訳だ。

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タイトル:異世界の文化や言語を考えるのは不毛か 投稿者: いろふぁ

売れる/売れない等は別として、異世界(=この世界と地続きでない世界)の文化や言語(あるいは異世界を構成する任意の「この世界と異なる要素」)を考えることは(SFとしてまたは純文学として)「正しい」のでしょうか。

というのも人が異世界へ行ったとき、その人が異世界に辿り着き生存し知的生命体と遭遇する確率はともかくとしても、たどり着いた世界の住民が肺で酸素を取り入れ呼吸するものである確率や, 住民の口腔等の形が地球人のものと似ていて人間の可聴域内かつ発声可能な音を出す確率, 会話の内容が人間の持つ処理能力で理解できる確率などを考えるとあまりにもご都合主義であり、今更言語や文化といった余りに微々たる違いを考えたところでそれらを埋め合わせることはできないように思えます。そこまで「運命力的な力」が働いているなら、なぜ完全に地球と同じ世界まで持っていくことはできなかったのかと思うのです。

これについて二つほど反論を知っています。一つは「異世界側の人物が呪文で主人公を呼び寄せていたり、あるいは異世界に関わる何らかの意思持つ存在が主人公を移動させる話の場合、人間に近い存在がしたことであるので異世界に人間が居るのは納得できることである」というもの。
もう一つは「それが転移モノ(=主人公が異世界の人物に生まれ変わる話)である場合、魂の器は人間しか有り得ないから、異世界へ行く場合は人間の住む世界だけを選んで転移できる」というもの。
どちらも納得できる論だとは思うのですが、何故かなんとなく違和感を覚えます。うまく言葉に出来ないのですが、どこかに作者の匙加減な部分が見える気がするのです。

また自分でも一つ反論を考えてみました。それは「あらゆるフィクションに於いて超自然的な出来事を語る際には読者の理解しやすいものに加工する必要があり、異世界のありようはその影響を受けている」または、「少なくとも自分の考える異世界では常人には理解できない出来事が繰り広げられており、それらを他者に語った時点で人間の理解できる形に喩えられる性質がある」というものです。しかしながらこの論はともすると「読者に理解できなさそうな出来事は考えなくて良い」という考えにも繋がる筈で、そのようにして作者や読者の都合のために「嘘っぽくなさ」を追求するのをやめるのは甘えではないかと思っています。

ファンタジー世界の架空言語を考えていらっしゃる方々がたまにいらっしゃいます(トールキン, セレン, Fafs F. Sashimi, 中野智宏, etc...、敬称略)。その人たちは架空言語を何からの形で存在させたいから書いているのでしょうが、自分としては設定面と同様、物語としての「嘘っぽくなさ」も大事にしたいと考えています。

ファンタジー(あるいはフィクション全般)に言えることなのかも知れませんが、ともかく自分はこうした疑問を抱き、創作が止まってしまいます。些細な問題かと思いますが、回答お願いします。

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