陰キャの成長は陽キャとなることなのか?の返信
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陰キャの成長は陽キャとなることなのか?(元記事)
こんにちは、サイドです。
普段は掌編などでお世話になっている者です。
質問についてですが、タイトルの通り「陰キャの成長は陽キャとなることなのか?」です。
今、応募を目指した学園ラブコメを書いており、物語としては、
「カースト最下位の陰キャ主人公が、トップスリーの陽キャヒロイン達と出会い、ある事件を経て成長する」
がテーマになっています。
最初に作ったプロットの最後は、
「殻に閉じこもりがちだった主人公が、ヒロイン達を大切にし、視野を広めて前向きになる」
でした。
しかし、執筆が終盤に差し掛かり、「陰キャが陽キャへ変化する(陰キャの記号を陽キャのそれへ入れ替える)=成長」ではないのでは? と思う様になりました。
「陰キャ」と「陽キャ」という言葉が使われるようになったのは、ここ数年のことだと思います。
ですが、少し古い小説やアニメを見ても、「内向的な少年が、成長して前向きになる」は存在するので、物語の形としては王道だと理解もしているつもりです。
ここでどうして主人公が陽キャの属性に近付くことに違和感を持ったのかというと、
〇上記した「ある事件」とその解決法が、ヒロイン達といることで広まった妬み、嫌がらせなどの悪い噂の原因を見つけ、対処、解決することに比重が置かれているから
だと、考えました。
もしも、それらの悪い噂にはっきりとした犯人(例 カースト十位の嫌味な優男など)が存在し、それを打ち負かし、成り上がっていく作風であれば、主人公の成長が陽キャへ近づくのは納得できると思います。
しかし、書いていくにつれて主人公の行動指針は「悪い噂の解明と対応、及び解決」だけであり、成り上がりには興味のない人物になっていきました。
結果、競争心のない人物像となり、ラノベらしくないのでは? と感じています。
そこで、最後に辿り着く二つの主人公像を考えてみて、その判断をお聞きしたいと思っています。
一 他と関連、比較させてみて、初めて自身の存在をとらえ、最下位という劣等感を克服しようとする、相対的な判断をする主人公
(比較という性質を持つため、競争や成り上がりへの意識が強い)
二 他と関連、比較などはせず、出会いを経てカースト最下位という自身の存在をとらえ、劣等感を持っている自分も自分だとする、絶対的な判断をする主人公
(優劣の意識があまりない為、ありのまま気楽に構えていればいいやと割り切っている)
個人的には、僕自身の性格が「二」寄りなので、そちらの方が書きやすくしっくりきます。
繰り返しになりますが、物語に「カースト十位の嫌なやつ」(この場合、悪い噂を流した張本人)などの明確な「敵」が存在せず、交流を経た内面の成長に比重を置き、成り上がりの性質は少ない為、話の流れとしても「二」が納得できると感じています。
ですが、ラノベ的にはカーストというランクがあるのなら、ヒロイン達の助けを借りつつどんどん駆けあがって行く、「一」の様な性格になる方が王道のような気もしています。
また、先に挙げたような「絶対的な評価」の主人公像をラノベ業界であまり見た事がないので、自分の書きたいものを書いているだけで需要や王道を無視しているのでは? とも感じています。
この二つの主人公像や現在の需要、自分としては違和感があっても多くある王道へシフトする方がいいのか? に悩んでいるので、何か助言をいただければ幸いです。
陰キャの成長は陽キャとなることなのか?の返信
投稿者 あまくさ 投稿日時: : 1
>陰キャの成長は陽キャとなることなのか?
それは違うでしょう。もしそうだとしたら陽キャは陰キャよりも優れているという前提が必要になりますが、そんなこともないわけで。
ただ、ご質問の趣旨はむしろ次の二択についてのようです。
>一 他と関連、比較させてみて、初めて自身の存在をとらえ、最下位という劣等感を克服しようとする、相対的な判断をする主人公
>(比較という性質を持つため、競争や成り上がりへの意識が強い)
>二 他と関連、比較などはせず、出会いを経てカースト最下位という自身の存在をとらえ、劣等感を持っている自分も自分だとする、絶対的な判断をする主人公
>(優劣の意識があまりない為、ありのまま気楽に構えていればいいやと割り切っている)
この二つの主人公像について、成長ということにからめて意見がほしい。要するにそういうことですね?
わかりました。じゃ、私見を書きます。
前者は成長ではなく、外面的な「成功」を目指しているにすぎません。
後者はより主人公の内面性に焦点があたっていますが、最初からふっきれた性格なので成長はしそうもありません。
>しかし、書いていくにつれて主人公の行動指針は「悪い噂の解明と対応、及び解決」だけであり、成り上がりには興味のない人物になっていきました。
結果、競争心のない人物像となり、ラノベらしくないのでは? と感じています。
ラノベらしいかどうかはともかく、なんだか名探偵が事件の解決に取り組んでいるような感じですね。「名探偵」というのは事件に対して利害関係がありません。すなわち当事者ではないわけです。
しかし御作の場合、
>「ある事件」とその解決法が、ヒロイン達といることで広まった妬み、嫌がらせなどの悪い噂の原因を見つけ、対処、解決することに比重が置かれている
ということですから、どう考えても当事者そのものです。にも関わらず、自分の利害よりもクエストをクリアするような感覚で行動する。
そんなキャラクターになっているのではないでしょうか?
ある意味、面白い性格だと思います。いっそのこと、そういう根っからのアウトサイダー気質みたいな主人公像に振り切ってしまう方がサイドさんには向いているんじゃないかと思わないでもありませんが。
ただまあ、それだと主人公が成長するストーリーにはなりませんね。
そこで、もう一度考えてみてほしいのですが。
サイドさんは、本当に主人公が成長するストーリーを書きたいのでしょうか?
もしそうであれば、
>一 他と関連、比較させてみて、初めて自身の存在をとらえ、最下位という劣等感を克服しようとする、相対的な判断をする主人公
>(比較という性質を持つため、競争や成り上がりへの意識が強い)
>二 他と関連、比較などはせず、出会いを経てカースト最下位という自身の存在をとらえ、劣等感を持っている自分も自分だとする、絶対的な判断をする主人公
>(優劣の意識があまりない為、ありのまま気楽に構えていればいいやと割り切っている)
仮に私が書くとしたら、主人公の心境をストーリーの前半では一、後半では二へと変化させます。
カーストを登りつめることが成長だと考えていた主人公(一)が、本当の自分らしさに目覚める(二)みたいな話にすれば、オーソドックスな成長ストーリーにはなると思います。
サイドさんの二の発想だと最初から吹っ切れているから成長のしようがないんです。成長させたいのなら、ストーリーのスタート地点では吹っ切れていないことにするのが当然の定石でしょう。
ところで、『弱キャラ友崎くん』は読まれたでしょうか?
成長ストーリーなら「一 → 二」がオーソドックスだと書きましたが、『弱キャラ友崎くん』は真逆。主人公は二タイプのキャラなのですが、あるヒロインとの出会いをきっかけとして一に取り組むようになり、その過程を通じて主人公の真の成長が予感できてしまうという驚くべき大技が進行しています。
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