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異世界テンプレは創作論と矛盾しているのでは? (No: 1)

スレ主 サヴァ 投稿日時:

 俗になろう系と呼ばれる異世界転生/転移ファンタジー作品について、これらの作品で用いられるテンプレートが一般的な創作論との間に矛盾や乖離を生じているのではないのかと疑問が浮かんだのですが、それが自分の理解が足りていないだけなのかどうか判断がつかないので皆様の意見を伺いたく思った次第です。

 個人的に疑問に思った点は、
:いわゆるチート転生ものにおいて、ブレイク・スナイダーが【魔法のランプ】もので盲信二段重ねと呼ぶタブーを犯しているのではないのか?(1.異世界へ転移 2.その世界で異質/異常な能力を獲得 さらには「魔法なしでやることを学ぶ」という重大な要素にも反している)
:主人公のコンフリクト(葛藤、対立)が薄いか全く無く、それによってアーク(人格/精神面)の変化に乏しい(成長要素が能力面に偏っているか、最初から成長の余地がなく、いつまでも変わらない)
:「行って帰る」の「帰る」に値する部分が欠落しているのではないか?(転移したまま元の世界に戻らない/戻ろうとしない)

 また、自分が参考にした創作指南書は
・「SAVE THE CATの法則」(ブレイク・スナイダー)
・「工学的/物理学的ストーリー制作入門」(ラリー・ブルックス)
・「ストーリーメーカー」(大塚 英志)
他、となります。

 これらの創作論について間違った理解の仕方をしているようであればご指摘お願いします。

カテゴリー: 創作論・評論

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人気回答!異世界テンプレは創作論と矛盾しているのでは?の返信 (No: 2)

投稿者 日暮一星 : 5 No: 1の返信

投稿日時:

 初めまして、日暮一星です。
 自分も世に出回っている創作論を完全に理解してるわけではないのですが、少しだけ意見を。

 なろう系を初めとする異世界転生モノは、むしろ【難題に直面した平凡な奴】に近いジャンルかと思います。異世界へ飛ばされる主人公は良くも悪くも分かりやすい人間(学生であったり、無職であったり、エリートサラリーマンであったり)で、飛ばされた異世界で主人公は解決しなければならない問題に直面する……といった流れが大体ではないでしょうか。少なくとも『リゼロ』や『このすば』は間違いなくこのジャンルだと思います。

 葛藤や対立、特に成長などは『主人公のストーリーを面白くする要素の一つ』に過ぎず、なろう系においてはその限りではないのかと。むしろそれらを必要としない作品は『問題を苦労することなく打開し、その報酬によって主人公が成長する(恵まれる)ストーリーの語り方』が魅力となっているので、サヴァ様が提示する創作論が必ずしも(なろうを初めとするウェブ系では)一致するとは限らないのではないのでしょうか。

 つまり『難題に直面した平凡な奴』に『強くてニューゲーム』という『語り方(ひねり)』を加えたものが昨今の【異世界転生】なのだと思います。

 異世界から現実世界に帰る作品が珍しいのは、そもそも『現実世界に帰ることを目的としていない』ストーリーが多いからです。飛ばされた異世界でなにをするのかにフォーカスが当てられるので、大半は『異世界で居場所を探すための旅』で区切りが付いたり『異世界で見つけた居場所に戻るため』に帰ってこようとします。

 自分もハリウッド映画脚本のHOW・TOをいくつか拝読しているのですが、なろう系で人気を得ている作品は『これら創作本に書かれているルールや元型を、愚直に真似ようとも頭ごなしに反発しようともせず、結果的にうまく使いこなしたもの』なのだと思います。実際に映画脚本の創作を真似て行き詰まったことがあるので、創作論を理解した上で【いかにうまく使いこなせるか】が重要なのではないでしょうか。

人気回答!異世界テンプレは創作論と矛盾しているのでは?の返信 (No: 3)

投稿者 サタン : 3 No: 1の返信

投稿日時:

うーん……なに気に難しい話題だな、と……
まず、大前提として創作論は人それぞれ違うので、大作家や名脚本家の言うことが正しい、という道理はないです。経験に裏打ちされているので聞く価値はあるけど、それが絶対の真実ではありません。

次に、創作論というのは0から作り上げるときに使うもので、既存作品を分解してその仕組を理解しようというのは「ただ例として挙げてるだけだ」ということを忘れてはいけません。
というのも、既存作品を例に出した創作論の著者も、その論を信じて既存作を分解している我々も、作者自身ではないから作者がどう思ってその作品を作ったのかは正しくわからないためです。
つまり、解釈によって違うので、どうとでも言えちゃうんです。
例えば「チートものでタブーを犯してる」というものですが、よくある異世界チートをよく見てみてください。
これって、別に異世界人である必要ないよね? 確かに現代日本人って設定は利用されてるけど、極論「同じチート能力があれば現地人の若者でもOK」な物語ではないかな?
要するに、「異世界へ転移する」というのは「能力を得るためのスイッチ」でしかなくて、「異世界へ転移した」という事自体が主旨の物語ではない。
これは
>「行って帰る」の「帰る」に値する部分が欠落しているのではないか?
こちらにも言えるのだけど、「それが主旨ではない」から、そもそも「異世界に転移する」というのは「行って帰る」の「行く」には当たらない。
物理的に移動してる場面は目立ちやすいけど、これは「物語」という目に見えない概念の例えなので、物理的な移動にはこだわらないんだ。
例えば、比較的わかりやすいかなと思うものでは「貧乏な主人公がいる、思わぬ幸運から大金を手に入れて調子に乗るが、自業自得なオチで無一文に戻る」というストーリーがあるとすると、物理的に移動、それこそ異世界に転移したり元の世界へ帰ってきたりしなくても、ここで注目すべきは「貧乏」ってことなので、「貧乏、金持ち、貧乏」と「行って帰る」が成立してますよね?
なので、この疑問は「その物語のどこに注目するか」で答えは変わってしまう。
もちろん注目すべきは作品のテーマ(その話題のテーマ)に当たるので、それを正確に読み取る必要があります。

しかしそれを盲信していると、例えば「最低な場所から這い上がってく話」などを想定した場合、スタートが「最低な場所」なので「行って帰る」のであればラストシーンは「最低な場所」になってしまいます。
シンデレラは王子と結婚せずに灰被りに戻らなきゃおかしい、となりませんか?
なので、あえて「スタートを伏せる」というテクニックのようなものも無いことはないです。
あるいは舞踏会が終わって灰被りに「帰って」、本来はそこで終わるけどもう一歩突っ込んで「王子さまが迎えに来る」と一気に物語を変化させている、とも解釈できます。

>主人公のコンフリクト(葛藤、対立)が薄いか全く無く
この板で何度か触れているのですが、そもそも「英語を和訳した書物」は、日本語にない言葉を無理に和訳しているので「葛藤」という言葉になっているだけです。
日本語の意味での「葛藤」すなわち心理的葛藤のことを指しているわけではありませんし、AとBが対立してる状態のことを指しているわけでもないです。
コンフリクトは確かに葛藤・対立という意味ですが、英語圏の人がどういう意図を持って「conflict」と使っているのかを、和訳している人は考えていません。
これはどちらかと言うと「衝突」と考えたほうが良い単語です。
対立しているとAとBが衝突してそこにドラマが生まれるでしょ? この衝突する事を指しているんであって、対立してる状態の事を指してconflictと書かかれてるわけじゃないんですよ。
葛藤も同じく、主人公が思い悩んでる状況のことじゃなくて、そういう状態のときに心で衝突があるとそれが行動になるでしょ? それを指してるんです。
では、既存作品を見てみましょう。
ギャグ系で成長要素も無さそうなの「この素晴らしい世界に祝福を!」では、主人公とヒロインがしょっちゅう衝突していますよね。考えの違いからサブキャラクターとも衝突しっぱなしです。
conflictが無いどころか、サブカルチャーの物語ほど衝突が多い作品は他にないです。
そして、衝突したままでは話にならないので、物語が展開し話になってるって事は何かしらの変化があって衝突から展開したって事なわけで、変化しまくってます。

否定ばかりの内容を書いてしまったと思うのだけど、最初に書いた通り、創作論なんてのは人それぞれで解釈によって違うので、サヴァさんの考えを否定するものではないです。
むしろ、「自分には乖離してるように見える」と考え、創作論に沿ったものを書けばそれはそれで現状の作品とひと味違った作品になるでしょうから、それもまた間違いではないと思います。
偉そうに上から目線の否定を書いてしまったと思うけど、それはあくまで「私はそう思う」というだけで、私の回答にしても「このレスを読んでるあなたは違う」のは当然ですから、私の言も決して正しいわけではありません。

人気回答!異世界テンプレは創作論と矛盾しているのでは?の返信 (No: 4)

投稿者 あまくさ : 3 No: 1の返信

投稿日時:

『SAVE THE CATの法則』はかなり実践的な創作技術を解説している良書だと思いますが、金科玉条ではありません。あの本ではストーリーの基本パターンを「魔法のランプ」を含む10種類に類型化しています。それらは著者なりの経験則から発見した「このパターンでストーリーをまとめるとヒットしやすい」というテンプレートであって、当然ながらあれですべてを網羅しているというようなものではないでしょう。
と言うより、創作にすべてを網羅する一般理論があると考える方がおそらく勘違いです。「これで網羅したんじゃないか」と思っても、「いや、それらのどれにもあてはまらない、こういうパターンもあるよ」というのが実例付きですぐに見つかるものです。
ですからいかに優れた本であっても鵜呑みにしてはダメなんですね。『SAVE THE CATの法則』にしても単にこのテンプレがよいというだけではなくて、それを推奨する理由が書かれていますから、そこを理解して応用することが大切です。

1)ブレイク・スナイダーが【魔法のランプ】もので盲信二段重ねと呼ぶタブーを犯しているのではないのか?(1.異世界へ転移 2.その世界で異質/異常な能力を獲得 さらには「魔法なしでやることを学ぶ」という重大な要素にも反している)

この場合の魔法とは、ストーリーの序盤に提示されるご都合主義的で強烈な状況のこと。それが読者(観客)の願望に合致することによって、ご都合主義を感じさせずに強引に受け入れさせてしまうというような手法になりますが、そういうものを一作品に二つ登場させるのは通用しないという戒めでしょう。
しかしなろう系異世界転移モノの場合、冒頭の転移はお約束なので誰も驚きませんし、異世界転移と異常な能力の獲得までがセットになっているようなものなので、こみこみで一つの魔法と考えた方がいいです。
また「魔法なしでやることを学ぶ」はスナイダーの言う「魔法のランプ」物ではよくある着地点ということにすぎず、チート能力をふるう主人公をどこへ連れていくかという別の収まりのよい流れを考案できるなら問題ありません。

2)主人公のコンフリクト(葛藤、対立)が薄いか全く無く、それによってアーク(人格/精神面)の変化に乏しい(成長要素が能力面に偏っているか、最初から成長の余地がなく、いつまでも変わらない)

これは、1の後半と同じことです。前半に主人公が魔法によって無双する展開を描くなら、後半ではそういうやりかたでは本当の幸福を得られないという結論に導くのがプロットとして収まりがよいということ。結果的に前半と後半で主人公が真逆の方向を向くわけなので、必然的に途中に葛藤が生じるし、全体として成長物語になるわけです。
しかし、何度も言いますがそれはストーリーを「いい話」っぽくまとめやすいテンプレの一つということにすぎず、最後までチートで駈け抜ける爽快感を読者が好むならそれも成立するということ。その場合話が一本調子になってしまう危険はあるので、別の形で起伏をつける工夫は必要になります。

>「行って帰る」の「帰る」に値する部分が欠落しているのではないか?(転移したまま元の世界に戻らない/戻ろうとしない)

「帰る」というのはプロット上の象徴的な概念で、必ずしも元の世界に戻ることを指しません。これは、日常→非日常→日常という構造としてとらえた方が正確です。主人公が戦ったり冒険したり、何らかの課題に取り組んだりする「状態」を、「スペシャルワールド」と呼ぶ創作用語があります。これは日常系のストーリーにも当てはまることで、読者が現実世界では経験できないようなことを疑似体験させるのが本質です。そしてストーリーのラストで戦いなり課題の克服などが終わって平穏にもどる状態が、日常に「帰る」ということです。

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タイトル:異世界テンプレは創作論と矛盾しているのでは? 投稿者: サヴァ

 俗になろう系と呼ばれる異世界転生/転移ファンタジー作品について、これらの作品で用いられるテンプレートが一般的な創作論との間に矛盾や乖離を生じているのではないのかと疑問が浮かんだのですが、それが自分の理解が足りていないだけなのかどうか判断がつかないので皆様の意見を伺いたく思った次第です。

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:いわゆるチート転生ものにおいて、ブレイク・スナイダーが【魔法のランプ】もので盲信二段重ねと呼ぶタブーを犯しているのではないのか?(1.異世界へ転移 2.その世界で異質/異常な能力を獲得 さらには「魔法なしでやることを学ぶ」という重大な要素にも反している)
:主人公のコンフリクト(葛藤、対立)が薄いか全く無く、それによってアーク(人格/精神面)の変化に乏しい(成長要素が能力面に偏っているか、最初から成長の余地がなく、いつまでも変わらない)
:「行って帰る」の「帰る」に値する部分が欠落しているのではないか?(転移したまま元の世界に戻らない/戻ろうとしない)

 また、自分が参考にした創作指南書は
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