あまくさんの意見
患者を寝かせた移動寝台。その先にはどこでもドアがあります。ドアのすぐ向こうには医師やカメラ技師がいます。どこでもドア技師が「5メートル先へ」と言い、扉を開けます。
患者を乗せた寝台は静々とどこでもドアを潜り抜けて行きます。患者の断面が見えてきます。医師は「ふーむ、問題はなさそうだな。あ、ここにポリープが! あっちには」などと正常や異常所見を次々と判定して行きます。体全部が通り抜けたら診察完了です。
ああ、なるほど。ダン・シーネンさんの考察は、空間移動の原理の方に着目されているんですね。興味深く読ませていただきました。
ところで。
その考え方ですと、ドアのどちら側から入るかによって、移動先でどちら側から出てくるかが決まることになると思います。二次元の円筒に切れ目を入れる例で考えると、切れ目(線)のどちら側から移動しても同じ移動先に出ますが、切れ目が繋がっている側は異なるからです。
そこで、三次元の場合で私が使ったA面・B面という言葉(移動元に向いている面をA面、移動先に向いている面をB面)で言いますと、この装置は、
(1)A・Bどちら側からでも通行可能。(あくまで思考実験なので、原作で一方通行と描写されていても必ずしもこだわる必要はないと考えます)
(2)A(B)面から入った場合は、必ずB(A)面から出る。
または、
(3)A(B)面から入った場合は、かならずA(B)面から出る。
(2)と(3)の2拓になるのだと思います。上記のロジックから考えると、(3)になりそうな気がしますが、どうお考えでしょうか?
どこでもドアに向かって、「手前10センチ!」と叫んだとします。すると、どこでもドアの出口は、どこでもドアの入り口と自分の間に出現します。出口が入り口の前に立ちはだかっています。仕方ないので、どこでもドアで元の場所に帰るのと同じ要領で、ドアを引いて開けます。
すると、引いて開けたドアの10センチ向こうには、どこでもドアの入り口があり、そのドアは引いて開けられていて、開けているのは他ならぬ自分自身です。
また、接近設置問題については。本質は移動先が前か後ろかではなく、移動先の装置が出現したときに同一面が向いあうのか異なる面が向いあうのか、ということになりますね。
で、両方向型で上記の(3)だと仮定し、10cmの距離を置いて出現したとします。同一面、仮にA面が向いあっていれば、両方ともB面が外に向いていますから、Bから入ってBから出ることになり、単なる10cmの瞬間移動です。
異なる面が向いあっていれば、Aから入った場合、1枚目のA→2枚目のA→1枚目のB→2枚目のBというルートをたどり、結局ループはしないで通過を終了します。要するに2枚の間で一度、逆方向に戻ってから、結局2枚目のBから出てくることになりますね。
ダン・シーネンさんの意見
つまらない駄弁りに考察まで頂いて恐縮です。とはいえ、先のはご考察を順番に読んで行って、ふと思いついたものです。
それはさておき、2次元円筒面モデルでのどこでもドアですと仰るように、
二次元の円筒に切れ目を入れる例で考えると、切れ目(線)のどちら側から移動しても同じ移動先に出ますが、切れ目が繋がっている側は異なるからです。
となりますね。どこでもドア(切れ目)がない場合ですと、円筒面の半径方向に向かっていれば、視界の先のずっと遠くには自分の背中が見えます。切れ目を円筒の円周方向に向かってのものにしておくと、
切れ目(線)のどちら側から移動しても同じ移動先
は、切れ目を単純につないだ場合ですから、やはり自分の背中が見えるはずです。一方、
切れ目が繋がっている側は異なる
のようにするには、切れ目から反対側の切れ目までを平たいストローでつなぎ、反対側にに出るまでストローを180度捻っておけばできます。
この切れ目(どこでもドア)も円筒の円周方向を向いているとすると、ずっと先を見てみると、切れ目の反対側が見えます(どこでもドアの裏側)。もしどこでもドアの設定通りに切れ目の裏側からは素通しだとすると、自分の正面が見えるはずです。
これは鏡のようではなく、切れ目のずっと先に見える自分の右手は、左側に見えるはずです。
ちょっと考えにくくなりますが、ストローを捻らずに反対側につながるようにすると、メビウスの輪のようなものになります(円筒面の表裏を考えると、切れ目て表と裏をつなげる)。円筒面の住人は2次元だから上下はないんですけれど、3次元で上下考えてみると、ひっくり返ってもいます。
どちらから入ったときに、どちらから出て来るかは、途中をどうつなぐか、どう捻るかになりますので、
(2)A(B)面から入った場合は、必ずB(A)面から出る。
(3)A(B)面から入った場合は、かならずA(B)面から出る。
のどちらも、どこでもドア(両面タイプ)の設計次第で可能ではないかと思います。
と考えて来て、また以下のような戯言を思いつきました。先にちょっと触れて割愛した、どこでもドアの出口が自分を向いてしまったときに、出口の向こう側が鏡像になった場合のものです。