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元記事:セリフ対地の文が1:1=ほぼ動画の返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信

 追記です。
 物語の流れ未回収=伏線、目的
 だと思います。
 というのも、物語の流れは普通はすぐに回収されます。
 【敵が出たら倒す】【剣を出したら使う】【立ち上がったら何かする】
 こういうのはすぐに回収されます。ですが伏線や目的というのは、
 【銃があったら使われる】【元の世界に帰るために魔王を倒す】
 こういうものだからすぐには回収されません。
 物語の流れを未回収にすると、興味が残ったまま進むことになります。これが伏線とか目的とかですね。

 具体的な状況を想像してみます。このシーンの前に銃が登場するシーンがあり、それは回収されていません。【魔王を倒す】も解決されてないです。
 【敵が出たら倒す】【銃があったら使われる】【元の世界に帰るために魔王を倒す】
 このシーンでは物語の流れは三つあると思います。
 さっき登場した銃は使うのだろうか、この敵を倒すと魔王討伐にどう影響するのだろうか、あと敵が出たらどうする? という三つです。
 それぞれ現状枠と伏線枠と目的枠なんですけど、それぞれ解決と未解決のスパンの長さは、
 現状枠<伏線枠<目的枠
 ですね。

上記の回答(セリフ対地の文が1:1=ほぼ動画の返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信)

投稿者 サタン : 0 投稿日時:

だいぶ話が変わってきてると思う。
もとはと言えば情報量の多い少ないでスピード感を演出できるかって話の中での回答なので、整理して再度回答すると、
読者が文章をスムーズに追えるようにすればスピード感は得られやすいと思う。読者は興味の対象を中心に文章を追うのだから、この興味を作者側がコントロールできればそれは実現できる。
ではその手段はと言えば、「剣を構える」のであれば「構えた剣をどうするか」が気になるのは道理なわけで、そうしたアクションを用いることがわかりやすいと思われる。
であれば、あくまで「スピード感」という点で言えば、このアクションを次から次へと畳みかけるようにすればスピード感は得られると思う。
という回答をしました。
でも、その後のスレ主さんの追記から話が「スピード感」からズレてるような気がします。
私の回答はあくまでスピード感を演出するためにはどうするかという質問に対する回答の一つなので、文章作成そのもののコツとか秘訣とかそういうのじゃないです。

まあ、もともとはスピード感の話でもなく動画的な文章作成の話なので、そっちに話を戻してるのかもしれないけど、枠だとかアクションだとかって例え話はあくまでスピード感を出す話なので、別の事にまで通用する例え話ではないと思います。

カテゴリー : 流行分析(なろう研究) スレッド: セリフ対地の文が1:1=ほぼ動画

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元記事:セリフ対地の文が1:1=ほぼ動画の返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信

 ごめんなさい。もう一回追記です。
 物語の流れというのは同時に複数個存在し得ると思いました。なぜなら当然のことで、人は同時に複数個の興味を持てないわけないからですね。
 サタンさんのお話を借りてさっきの例に当てはめてみると、

 敵は不敵に笑う
 人質を死なせないために、剣は右肩から入って左に抜ける。【敵が不敵に笑ったら人質が〇ぬ】【敵が不敵に笑ったら油断している。主人公は油断を逃さない】

 こうなりますね。

上記の回答(セリフ対地の文が1:1=ほぼ動画の返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信)

投稿者 サタン : 0 投稿日時:

>同時に複数個存在し得ると思いました。
複数の「興味」を与えることは出来るけど、「同時に」は正確には無理で、そして出来れば一つに絞ってあまり詰め込まない方が良いと思います。
というのも、確かに複数の事柄に興味を持つことは出来ますが、それらを同時に思考することは出来ないからです。普通は一つのことを処理してから次の事を処理する。つまり一個づつです。
日常生活においてはその処理感覚が数秒内であれば「同時」と人は認識しますが、正確には同時ではない。
なぜ同時ではないことにこだわるのかと言えば、それは、並行処理は単純に読者に負担がかかるからです。
一つのことを考えるのと二つのことを考えるのでは、「わかりやすさ」の面で言えば確実に一個に絞った方がいい。
だから、掲示板で出せるような例文の範囲内であれば簡単だから複数の興味を散りばめた文章でも読み取ることは容易いが、これが長文の小説となると「わかりにくい文章」の素になりかねない。
そして何より、二つのことを考えるのと一つのことを考えるのでは、一つのほうが集中力は高い。

なので、例文の場合、確かに複数の興味を与える余地はあるけど、私の解釈は違って、
【敵が不敵に笑ったら人質が〇ぬ】ということを伝えたい文章なのか、【敵が不敵に笑ったら油断している。主人公は油断を逃さない】ということを伝えたい文章なのか、読者に与える印象がフワッとしてしまう。と考えます。
あまり意識したことなかったけど、こういう話題なので改めて自分が執筆するときの文章を考えてみると、

 主人公は剣を構えた。正眼で敵を真っすぐにとらえ、呼吸を整える。

こう書いた場合、複数の「興味」があるように思えるけど、この一行全部で「剣を構えてる様子」を書いているので、アクションとしては「構えた」の一個だけ。あとは構えた事に対する装飾。
一方で、

 敵は短剣をこちらに向けていた。――あれは毒が塗ってあるな。短剣の形状を見て主人公はそう判断し、警戒した。

と続く場合、こちらは「興味」まあここではアクションでいいか。アクションが「構えた」から「敵の武器」に移ってるから改行してるし、こんな感じで基本的に「別のアクション・別の興味」に移る場合は一個の文章にまとめることはせず、句点で閉じて複数の文章にしたほうがいい。
この文章も一行の中で「敵の様子」「武器・毒」「主人公は警戒する」と変化しているけど、それぞれの要素は句点で閉じて短い文で分けてる。
それを改行するかどうかは好みによると思うけど、個人的には、この文章は「敵の短剣を見た主人公が瞬時に判断した」って文章のつもりなので、その「瞬時」という枠組みで一行にまとめた。
言い換えると、その「枠組み」が変わるときに改行してる。
ただこれは、強調するけども、あくまで「私個人の書き方」ね。
普通に日本語の文章作成の勉強で出てくる話の個人解釈で、ようは主語が変わる場合は句点で区切る、話題が変われば改行する、みたいな話を個人的な創作論にからめて難しそうに語ってるに過ぎないです。
まあ、それで言っても例文は、前半は主語が省略されてるけど「主人公は」が主語で、後半は「主人公の剣は」が主語になる文章だから、二つの文章にわけたほうがいいと思うけども。

ともかく、確かに複数の興味を与えることは出来るけど、それは同時にやると「わかりにくい文章」になりがちで(例文は指摘したように主語が変わってる)でも、私も例文で返したけども、句点で区切って複数の文章にしてしまえば問題ないと考えている。
けどそれはやはり一個づつの処理なので、一行に書かれてても同時ではないかなと。

カテゴリー : 流行分析(なろう研究) スレッド: セリフ対地の文が1:1=ほぼ動画

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元記事:セリフ対地の文が1:1=ほぼ動画の返信の返信の返信の返信の返信

 追記です。

 主人公は剣を構えた。
 切っ先を真正面の敵に向ける。
 柄を握る右手は軽く、逆に踏み込む脚に力を込めて剣を振りかぶった。
 敵にとっては一瞬だったろう。
 剣は右肩から入って左に抜ける。
 主人公の剣には返り血もつかないほど鋭い一閃だった。

 これをスローにさせないためには【敵が出た】→【倒す】の矢印に別のアクションを入れるということですよね。今の動きは全部敵を倒すためにやっていることだから。
 敵を倒すために、主人公は剣を構えた。
 敵を倒すために、切っ先を真正面の敵に向ける。
 敵を倒すために、柄を握る右手は軽く、逆に踏み込む脚に力を込めて剣を振りかぶった。
 敵を倒すために、剣は右肩から入って左に抜ける。

 【敵を倒すために】を変えると、

 敵を倒すために、主人公は剣を構えた。【敵が出たら倒す】
 人質に目をやる
 人質を助けるために、切っ先を真正面の敵に向ける。【人質がいたら助ける】
 敵は侮辱する
 自身の名誉を守るために、柄を握る右手は軽く、逆に踏み込む脚に力を込めて剣を振りかぶった。【侮辱されたらやり返す】
 敵は不敵に笑う
 人質を死なせないために、剣は右肩から入って左に抜ける。【敵が不敵に笑ったら人質が〇ぬ】

 多少文がおかしくなりましたけど、こういう認識で合ってますか?

上記の回答(セリフ対地の文が1:1=ほぼ動画の返信の返信の返信の返信の返信の返信)

投稿者 サタン : 0 投稿日時:

>こういう認識で合ってますか?
私の言が正解ってわけじゃないけど、たぶん私の理解は伝わってると思います。
ようは、読者が「スムーズに文章を追える」ようにすべきで、そのためにはアクションで流れを作るのがラノベ的エンタメには良いだろう、という感じ。
アクション、つまり行動があるとその行動を追えばいいとわかりやすいですから。
逆にアクションを作らずに文章を続ければスローに思えるし、アクションを挟む頻度をコントロールすることで、あくまで読書感の速度はコントロールできるだろう。という考え。
なので、一文を短く改行多めにすることはアクションを挟む頻度を短くできるし、長ければ長くなる。だから、前レスで書いたように短く改行多めにすることでそういう効果はあると思う。
けど、文章を短く改行多めにしてもアクションが無ければ意味がないし、逆に文章が長くても文章の中で複数のアクションを取ってたり長すぎず適度にアクションを起こしてれば読書感にスローは感じない。と思う。

でも、これはあくまで「わかりやすいように」の最たるものとして「アクション」を挙げてるまでで、
つまり「敵が出る」なら読者は「敵を倒す」を追えばいいと言わなくてもわかるわけで、一番わかりやすいわけで、
前レスでも一応書いたけど、この「アクション」の本質は「読者の興味」を指しています。
その場面で興味ある事柄があればアクションでなくても流れは作れる。
例えば主人公の技量は明らかに敵より劣っているのに敵を圧倒した、みたいなシーンなら「その種明かし」に読者の興味は向かうわけで、その説明をするためにいちいち登場人物が行動を挟んできたら逆に鬱陶しいでしょ。その説明において読者の興味は「種明かし」にあるわけだから。

それで言うと、「人質」を挟んできたのはいいね。
白状すると私は単純に「剣を構えて敵に切りかかる」「いなされるが敵の脚に傷を与えられた」「速度を奪えたので、二の太刀で敵を切り捨てる」とか、戦闘のみで考えてた。
でも人質を入れることで「敵を倒す」ための障害として人質が役立つから、そっちのほうが面白い。
私の戦闘のみの例だとスピード感を出すには長く書けないから、スピード感を出す代わりに味気ないシーンになりかねない。
人質を挟むことで読者の興味は「敵を倒す」から「人質を助ける」に変化するから、そういう障害を絡めるのは良いと思う。
けど、そしたら以降の文章は「人質」に興味が向いてしまうわけだから、それに関係するアクションが望ましいと思う。
すると「敵からの侮辱」は人質を絡めたセリフになるだろうし、自身の名誉は関係ないんじゃないかなと。「不敵に笑う」はそれを油断と取って主人公が行動開始する起点=主人公のアクションになって、「敵を倒した」でまとまる感じか。

ただ、私も常にこんなこと考えて執筆してはいないです。「ここはスピード感を出したいな」とか「ここは印象付けたいからスローな展開にしたいな」とかという場面で文章を再構成するときに考えたりして、主に推敲でやってます。

カテゴリー : 流行分析(なろう研究) スレッド: セリフ対地の文が1:1=ほぼ動画

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元記事:セリフ対地の文が1:1=ほぼ動画の返信の返信の返信

 例えるなら釣ですかね。「読まなくても内容が分かる」つまりテンプレの段階は魚が食いついたけど、まだとれていない状態で、釣り上げるには設定とかの好みに合わせることが必要。だから1ページでも読んでもらって好みが合致しているか確認してもらう段階を作れる「読まなくても内容が分かる」というところのすごさ、みたいなところですかね。
 「読まなくても内容が分かる」ってのはテンプレの流れで決まったことしか書かないということで、そこを崩すけど成立させる、ってのはちょっと矛盾があって無理な技術ですよね。それで成立したらそれが新たなテンプレになってますよね。

 漫画アニメの武器って展開速度の速さだと思うんですよね。でもそこを小説が目指すと出来上がるのは漫画アニメの劣化版で、だから小説の武器を推さないと劣化版にしかならないんですね。あと水を差すなんてとんでもないです。それが欲しかったのでありがたいことです。

 セリフと地の文の比率についてですが、セリフは短い文でも確実に存在感が出る、という所が地の文との決定的な差だと思います。セリフは短い時間で存在感を伝えられるから、1:1は極端にしてもそこの比率を工夫することで展開の速度をコントロールできそうです。その結果小説の武器を捨てることになったら元も子もないですけど。それにただセリフだけ、地の文だけでストーリーが実質進んでいないというのも避けるべきところだと思います。
 全部セリフでも何でもいいんですけど、やりたいのは展開の速度をコントロールすることです。

上記の回答(セリフ対地の文が1:1=ほぼ動画の返信の返信の返信の返信)

投稿者 サタン : 0 投稿日時:

>全部セリフでも何でもいいんですけど、やりたいのは展開の速度をコントロールすることです。
あぁ、わかった。そういうことか。展開の速度をコントロールって意味では、言ってしまえば前のスレッドの「情報量が多いが短い文はスピード感のある文?」から話は続いてるのね。

うーん……
スレッドが違うけど前スレの「情報量の多い・少ない」を絡めて答えると、
演出の一つとして結果的にそういう効果はあるし、意図してすることもあるけれど、でもそれは「文字が少ないからスピード感がある」というわけではなく、逆も然り。
例えばダラダラした戦闘を書いてしまったなと思って、じゃあ改行多めに短く余白が多いページに書き直したところで、その戦闘シーンがスピード感出るかっていうと出ない。スッカスカな戦闘シーンって言われるのがオチ。
ただ、現実問題として「1ページを読む速度」は明らか違うし情報の濃淡は目に見えるから、何らかの演出で意識することはあるし、スピード感を出すにおいても意識はする。

けど、前述した通り「短けりゃ・情報量少なければスピード感がある」ってわけじゃないから、じゃあどうすればスピード感出るんだろうって考えると、
そもそも「展開が早い」って言葉は文章量が少ないことを指してるわけじゃないよね?
一つの展開が始まって終わって次の展開が始まる、そのスパンが短いことを指してる。強いては読者の理解が追い付く前に次の展開へ行ってしまうことにもなりかねない事だけども。
これを一つの展開からその中のワンシーン(戦闘シーン)に落とし込むと、これは「アクションが早い」に言い換えられるんじゃないかと考えてる。
つまり、文章や情報の量の如何によらず、アクションからアクションへの流れが止まるような事が無ければ、そしてそれが連続していれば、スピード感のあるワンシーンになってると思う。

例えば、敵と対していて剣で切りつけるってシーンでは、文章を短くするだけだと、下手するとこうなる。
 主人公は剣を構えた。
 切っ先を真正面の敵に向ける。
 柄を握る右手は軽く、逆に踏み込む脚に力を込めて剣を振りかぶった。
 敵にとっては一瞬だったろう。
 剣は右肩から入って左に抜ける。
 主人公の剣には返り血もつかないほど鋭い一閃だった。
これ、スピード感ないっていうか、逆にスローじゃない?
これがなぜスローかっていうと、「剣で敵を切りつける」ってただそれだけの事を6行もかけて書いてるから。
スピード感を出したいならこの逆をすべきだから、
つまり、「剣で切りつける」「切りつけたあとどうなる」「それを切っ掛けに次の事が起こる」って感じで、アクションの連続で畳みかけてやるのが大事だと思う。
それで言えば「剣を構える」も「切っ先を敵に向ける」もアクションなんだけど、「何をしたら次に進むか?」というのが物語の流れの中にはあって、特に説明も前振りもなければ戦闘シーンにおいては「敵が出れば敵を倒すこと」「剣を構えたらそれを振るうこと」が「次」になるから、「敵を倒すまで」「剣を振るうまで」が長いと、短い文章の連続でもそれはスローに感じてしまう。
「展開」で言えば、「いつまでたっても次の展開に進まない」っていう状態と同じ事になってる。
その「次」はどう考えたらいいのかっていうと、
それはもう単純にその場面その文章で読者の興味がどこに向くかってのを考えるしかない。
例えば「主人公は剣を抜いた」って書いたら「その剣でどうするのか」に興味が向く。
興味っていうか、単に「はじまり」があれば「おわり」が気になるよねって程度の話ね。
一方で「主人公は剣を抜いたが、敵を切れなかった」と書いたら、「敵の反応」に興味が向くでしょ。
この場合、「剣を抜いた」「敵を切れなかった」と書くのと、「剣を抜いたが敵を切れなかった」と書くのでは、今回のスレッドの主旨においてスレ主さんの言う「スピード感」は違うのではないか、と思う。
もし、この回答にピンと来るものがあるのであれば、少なくとも私はそうやってコントロールしているよ、という感じ。

結論として、文章を短くすりゃスピード感が出るってわけじゃない。
「アクション」の連続、ないし「次」への切り替えに流れがあってスムーズなことが大事だと思う。
そして、その流れというのは言ってしまえば物語の流れなので、地の文だろうとセリフだろうとストーリーは進められるし、そこについてもつまりは「何をしたら次の展開に進むか」を考えられていれば、展開の展開するスピード感もストーリー進行のコントロールも自在に出来ると思う。

確かにセリフには地の文より存在感があるけども、少なくとも書いているものは物語であって自分の仕事はストーリーを進めることなので、地の文だけでもセリフだけでもそれは出来ると思うため、だから私にはその比率の話にピンとこないのかもしれないです。

カテゴリー : 流行分析(なろう研究) スレッド: セリフ対地の文が1:1=ほぼ動画

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元記事:セリフ対地の文が1:1=ほぼ動画の返信

 共有したかったことはそれです。「展開の速度」という観点に立つと、主題からかけ離れたところまで書くとか、そういったところを克服すれば映像と同じ土俵に乗れる、というかそもそも既に乗っているんですね。映像は膨大な情報量の中から表現したいことに注目させ、小説は主題が伝わるように書く。

 決定的な違い→能動的/受動的
 確かに、これは超えられない壁ですよね。ちょっと曲解するなら「自分の意志じゃないのにページをめくってしまう」というところまで持っていけたら、ある意味受動的ではないでしょうか。でもさすがに曲解すぎますね。
 漫画の方が近いというのは納得しました。

 流し読みとか適当読みとかは絶対避けたいですけど、中身空っぽじゃなくて技術があったら、むしろ漫画の様な小説ってどうですか。
 しっかりとしたアクション/リアクションの連鎖があって、小説の優位性である「登場人物の心の中に入れる」があったら割といけると思います。
 とはいえセリフ対地の文1:1は極端ですけどね。

上記の回答(セリフ対地の文が1:1=ほぼ動画の返信の返信)

投稿者 サタン : 1 投稿日時:

>流し読みとか適当読みとかは絶対避けたいですけど、中身空っぽじゃなくて技術があったら、むしろ漫画の様な小説ってどうですか。
あえて「中身空っぽ」ってあまり良く思われないような言い方をしたけども、というのも実際そう言われるような作品に多いからで、そんな作品が何故人気なのか、なぜ自分も読んでられるのかって考えた結果の回答だからなんだけども、
でも、別に蔑むような感情からそう書いたわけではなくて、
そもそも流し読みや読み飛ばしても内容把握できるって、つまり「読まなくても内容がわかる」って実は結構凄い事なんじゃないかって思ってます。
読者が頭空っぽにして、スマホをスクロールする親指が惰性で動いてるだけ(=受動的)で読んでいるなら、それは暇つぶしにYoutube動画を見てる状態と変わらないだろうな、とは思います。
でもこの解釈のポイントは「読まなくても内容がわかる」ってところだから、ストーリーが動く要所を明確にして作者が意図的に「読んでほしい要所」と「読み飛ばしてもいい装飾部分」を書き分けたり、まあ、現状そこまで考えてる作者さんはいないと思うけど、現状からもう一歩踏み込もうと思ったら一気に難しくなると思います。
現状の「中身空っぽ」は、大したことしてないし良くある異世界テンプレに沿った王道だし、その流れだなと確認できる程度の流し読みで把握できるので、だから「読まなくても内容がわかる」が成立してるだけだと思うので。
なので、そこを変えたら成立しなくなるため、成立させつつ一歩踏み込むとなるとまた別のアイディアが必要になってくるからかなり難しいと思います。
今は「中身空っぽ」でありながら設定が好みに合えば読んでられるという程度で、まだ技術には昇華できてないし、少なくとも私には技術に押し上げるだけのアイディアはないから分析以上のことは出来ないし、たぶんコレはここまでで技術にはならんかなと思ってます。

また、「アニメや漫画のような小説としてライトノベルを書く」という挑戦をした作家は過去にいて、「サクラ大戦」なんかで有名になった あかほりさとる という作家は凄い数のタイトルを手掛けてきたけど、その中のラノベはほぼ全てが、曰く「アニメや漫画を見るような感覚で読めるよう書いた」と答えています。
もう20年くらい前の作品で、当時の感覚と当時の技術なので、今になって何も知らない人が読んだら「これのどこが? てか文章力クソすぎ」ってなると思うけど、少なくとも挑戦した人はいて、それは当時の大物作家で、スレ主さんとは違う角度からの切り込みだったと思います。

セリフと地の文の比率の話はよくわからないけども、そんなにセリフと地の文で差を感じるのだったら一人称で全部主人公のセリフにしてしまえばいいじゃない、と思います。
その先駆者が『スレイヤーズ』の神坂一で、彼は一人称という技法を崩しまくってほぼ主人公の独白で周囲の状況やストーリーを描写し、それまでの一人称とは別物の「ライトノベルの一人称」を作ったと言ってもいい感じの人です。

>映像と同じ土俵に乗れる、というかそもそも既に乗っているんですね。
「表現方法が違う」だけで、つまり表現するための道具が違うだけで、同じ土俵というか、別に小説が漫画アニメより劣ってるということはないですよ。
道具が違うからこそアニメや漫画の表現が小説には出来ないけれど、絵も音もないからこそ、小説は文字だけで勝負できて、
アニメや漫画が持ってる武器を小説は持ってないから劣ってる、アニメや漫画と同じ武器を持つにはどうしたらいいのかって考える人は結構いる感じはあるけど、
武器の違いを理解してないから優劣でものを見てるんだと思う。
そこを目指すと小説としての武器を捨てることになるので、そんなにアニメや漫画と同じ武器を持ちたいならアニメ・漫画原作で頑張ればってなっちゃう。
少なくとも私は、かつて あかほりさとる を読んでそう思った。
アニメや漫画のような読書感を目指しましたって、聞こえはいいけど、いやコレ話は面白いんだから漫画にしてよ、って。まあ あかほりさとる 原作はだいたい漫画化アニメ化されてるんだけども。

小説としての、というか自分が持ってる作家としての武器をちゃんと確認したほうがいいと思うかな。
>小説の優位性である「登場人物の心の中に入れる」があったら割といけると思います。
いけるいけないで言ったら、たぶんいけると私も思います。
あかほりさとる とは違う方向性で一歩先へいけないことは無いと思う。
けど、行った先で待ってるのは、ほぼ間違いなく当時の私と同じ反応で「なら漫画描けよ」になると思う。
読者にとって、我々が小説を書いてるとか漫画描いてるとか、漫画的な小説を書くために頑張ったんだとか、そんなん関係ないんですよね。
出来上がるのは、読者にとっては「質の悪い小説」か、「漫画未満で絵描きを捕まえられなかった漫画原作のリメイク作品」ってとこで、水差しちゃって申し訳ないけども、その方向性は時間を無駄にするから目指さないほうがいいと思うよ。

カテゴリー : 流行分析(なろう研究) スレッド: セリフ対地の文が1:1=ほぼ動画

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元記事:小説+αを読んでも何も思わない

あれだけ分析する(前スレ)といって、ここには質問しづらかったのですけれど……とても。大したものではないと受け止められがちであり、リアルでもネットでも回答がもらえなかったため、ここに質問させていただきました。
気恥ずかしいです。

娯楽作品を鑑賞しても何も思わず、悩んでいます。
小説を読んで感想が思い浮かばないので、能動的に訴える媒体である映画を途中まで鑑賞しましたが、これでも感想が思いつきませんでした。

別に気にしなくてもいいと仰る方もいるかもしれませんが、作品を素通りしてエッセンスを得られないというのは、わりと重大な悩みだったりします。

その映画のレビューでは色んな感想がのっていました。ですが私には、物語でこのシーン良いな!とか、このシーンはないな…とか、そんな感情がありません。
雑念に囚われてるとか、頭では他のことを考えているとか、集中できてないというべきなのでしょうか?
特に映画そのものよりもあらすじやレビューを見たときのほうが面白そうに感じました。噛み砕いている表現だから?

この状態から脱するにはどうすればよいのでしょうか?
ご回答よろしくお願いします。繰り返すようですが、かなり恥ずかしいです。

上記の回答(小説+αを読んでも何も思わないの返信)

投稿者 ものとん : 0

取り急ぎ、過去の書き込みも読んで、思ったことを書きます。
失礼ですがわさびさん、発達障害の可能性はないでしょうか?
本が読めない、というのはディスレクシアかなと思いました。
ですが、作品に集中できないとか、他の回答者さんに対するレスのズレを見ていると、ADHD傾向かな?とも思います。
わさびさんの書き込みから私がそう思った根拠は他にもあって、全部説明できたらいいのですが、私自身が今メンタル絶不調で、考えをまとめることができません。
中途半端な情報しか出せなくてごめんなさい。
ただ、もしもそうならば、ここでいくら聞いても無駄だろうと思うので。
ネット上で、脳の特性傾向や発達障害のセルフチェックができるサイトは色々あるので、一度自己診断してみるのはどうでしょうか?

カテゴリー : その他 スレッド: 小説+αを読んでも何も思わない

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投稿日時:

元記事:文章がつまらない。

 初めまして、こんばんは。早速ですが本題に。

 私は最近、自分の書く文章に靄がかかったような違和感があり、つまらないと感じています。
 それを解消するために改稿重ねているのですが、具体的にどこが悪いのか分からず、悩んでいます。

 万人受けするものが書きたいとは思っていません。
 初めて読まれる方に、私の文章がどのように見えているのか(分かりにくい、物足りない、など)を知りたいです。
 できれば具体的な部分を示して下さると嬉しいです。

 こちらの作品 https://novelup.plus/story/452139898 です。
 お時間あればよろしくお願いいたします。

上記の回答(文章がつまらない。の返信)

投稿者 ごたんだ : 3 人気回答!

キャラクターが掴めて無いんでね?
>弥豆子

自身の作品で虹創作
しかも爾文が無い会話劇でキャラクターの輪郭を掴み直した方が良い。

カテゴリー : 小説の批評依頼 スレッド: 文章がつまらない。

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投稿日時:

元記事:異世界の文化や言語を考えるのは不毛か

売れる/売れない等は別として、異世界(=この世界と地続きでない世界)の文化や言語(あるいは異世界を構成する任意の「この世界と異なる要素」)を考えることは(SFとしてまたは純文学として)「正しい」のでしょうか。

というのも人が異世界へ行ったとき、その人が異世界に辿り着き生存し知的生命体と遭遇する確率はともかくとしても、たどり着いた世界の住民が肺で酸素を取り入れ呼吸するものである確率や, 住民の口腔等の形が地球人のものと似ていて人間の可聴域内かつ発声可能な音を出す確率, 会話の内容が人間の持つ処理能力で理解できる確率などを考えるとあまりにもご都合主義であり、今更言語や文化といった余りに微々たる違いを考えたところでそれらを埋め合わせることはできないように思えます。そこまで「運命力的な力」が働いているなら、なぜ完全に地球と同じ世界まで持っていくことはできなかったのかと思うのです。

これについて二つほど反論を知っています。一つは「異世界側の人物が呪文で主人公を呼び寄せていたり、あるいは異世界に関わる何らかの意思持つ存在が主人公を移動させる話の場合、人間に近い存在がしたことであるので異世界に人間が居るのは納得できることである」というもの。
もう一つは「それが転移モノ(=主人公が異世界の人物に生まれ変わる話)である場合、魂の器は人間しか有り得ないから、異世界へ行く場合は人間の住む世界だけを選んで転移できる」というもの。
どちらも納得できる論だとは思うのですが、何故かなんとなく違和感を覚えます。うまく言葉に出来ないのですが、どこかに作者の匙加減な部分が見える気がするのです。

また自分でも一つ反論を考えてみました。それは「あらゆるフィクションに於いて超自然的な出来事を語る際には読者の理解しやすいものに加工する必要があり、異世界のありようはその影響を受けている」または、「少なくとも自分の考える異世界では常人には理解できない出来事が繰り広げられており、それらを他者に語った時点で人間の理解できる形に喩えられる性質がある」というものです。しかしながらこの論はともすると「読者に理解できなさそうな出来事は考えなくて良い」という考えにも繋がる筈で、そのようにして作者や読者の都合のために「嘘っぽくなさ」を追求するのをやめるのは甘えではないかと思っています。

ファンタジー世界の架空言語を考えていらっしゃる方々がたまにいらっしゃいます(トールキン, セレン, Fafs F. Sashimi, 中野智宏, etc...、敬称略)。その人たちは架空言語を何からの形で存在させたいから書いているのでしょうが、自分としては設定面と同様、物語としての「嘘っぽくなさ」も大事にしたいと考えています。

ファンタジー(あるいはフィクション全般)に言えることなのかも知れませんが、ともかく自分はこうした疑問を抱き、創作が止まってしまいます。些細な問題かと思いますが、回答お願いします。

上記の回答(異世界の文化や言語を考えるのは不毛かの返信)

投稿者 手塚満 : 0

何のために、誰のために作品を書いているかという点を外してるんじゃないかと思います。要は読者度外視で考えを進めちゃってるようです。以下、少し説明してみます。

1.正確さよりも分かりやすさが大事

物語って、受け手が理解できることが最低限の条件です。物語は異世界の住人とか異星人とか出てきますが、作中で何らかの意思表示をする生物は全て、人間を模したものか、人間の拡張です。その周辺にはまずペットや家畜に類する生物、その外には野生生物を模したものがあります。異世界、異星とて、この現実世界の類似であり拡張なんですよ。

でないと受け手としては分からないから。仮に、例えばケイ素ベースの生物が発生するとして、シミュレーションして文化、文明まで到達するまでを構築できたとします。それを作品に書いたとする。読者が強いられる作業は何でしょうか。その世界の成り立ちを理解する勉強です。

2.全く異なる世界については、お勉強から始まってしまう:英語

その世界で、その世界の住人がドラマを起こすとして、世界観や生物の基礎的な部分が理解できないとドラマだって理解できない。この現実世界だって、似たようなことが起こってるわけです。例えば日英の言語の違い。英語知らないで、英語圏で起こってることなんか理解できるわけない。

では翻訳したらいいのか。不可です。多少英語を学んだら分かることですが、各単語からして意味範囲が違いますよね。そのことは、例えば英和辞書、和英辞書を見てみれば分かる。ある英単語には多数の日本語単語が対応させてある。例えば"fall"は「落ちる」だけじゃない。降る、もげる、倒れる、ひれ伏す、死ぬ、陥落する、垂れる、退く、静まる等々、多数の日本語単語が対応します。

だからといって、「落ちる」がfallに包含されているわけではない。「落ちる」も多数の英単語が対応する。一方の単語には、他方の単語がいろいろ、ちょっとずつ対応するわけです。なぜなら日英言語は生まれも育ちも全く異なるから。逆に言えば、印欧語圏内だと、かなり類似しており、異世界ファンタジーとこの世界の読者との距離感に近いかもしれません。

3.全く異なる世界については、お勉強から始まってしまう:異文明技術

今は世界中の情報が得やすくなりましたが、例えば明治維新辺りだと、海外に行った日本人の経験は異世界に飛ばされたに近かったでしょうね。こないだ終了したNHKの大河ドラマ「青天を衝け」では維新前後の洋行した主人公らが、欧州で見たものが最初は何か分からないとう描写が頻繁にありました。視聴者には分かりますから、ドラマをサクサク進めてましたが、もし我々が維新前後で日本から出たことがないし、海外の話なんか知らずに育っていたらどうしょう。ドラマで出てくるもの全部、詳しく説明してもらわないと、作中のキャラクターが何してるか理解できないはずです。

4.物語は楽しむためにある

そして、仮に説明してもらって分かるとする。そんなもん、面白いんでしょうか。知識欲を満たすことができるとしても、それなら物語なんかにしなくていい。海外≒異世界にあるものをストレートに説明してもらうほうが分かりやすい。ドラマなんてノイズになります。そしてもし、その異世界が想像上のものだったら。知識得ても何にも使えないですよね。徒労の極みです。

そんな作品、作っちゃダメなわけです。異世界の構築に興味があるんなら、作者一人でやればいい。読者に「どうですか?」なんて見せるもんじゃない。作者は作ってるからある程度面白く感じますが、読者は作者の考えた設定を聞かされるだけです。それくらいなら、読者は自分で妄想しているほうがよっぽど楽しい。自分で考えると20倍くらい面白いんですよ。

5.作者方針の違いを正しさを求める議論と誤解してはいけない

ご質問文には、ある主張とそれに対する反論があるかのように書かれていますが、全く違いますね。作者方針がいろいろ、という状況に過ぎません。例えば「こういう魔法がある」で済ますケースもあれば、「この魔法は発動にはこういう条件があって」と言う部分が詳細なものもあるし、「その魔法の発生源はこういう魔力の源があって」みたいなものもある。

6.分かるのではなく分かった気がするのが大事

全部、それらしく描くにはどうしたらいいか、を作品それぞれで工夫しているに過ぎません。なぜそれらしくしたいか。読者が分かった気がするからです。フィクション作品では、読者は分かる必要はありません。分かった気がする、つまり気分でよいのです。繰り返しになりますが、勉強じゃないんですからね。楽しみたいわけですから。楽しいって、気分なんですよ。おまけ程度に現実で役立つ知識があってもいいという程度です。

言葉を変えますと、「文句のつけようがないくらい、設定が上手く組みあがっている」なんてところに、読者は感心もしないし、ましてや感動なんかしません。作品世界のキャラクター、特に主人公が何を為したかに感動します。感情移入の大事さはよく説かれるところです。一方、設定が完璧でないといけない、なんてコツはほぼ聞きません。楽しむためには何が大事か、そのことだけでも明らかです。

7.スレ主さんのお考えも作者方針の1つ

念のためですが、スレ主さんが「異世界が、この世界と出自も歴史も異なるように作る」とお望みだとして、それがいけないと申し上げているわけではありません。そんなことを望む受け手は極めて少ないし、ましてや他人が考えたことを聞きたがる人はさらに少ないというだけの話です。

スレ主さんがこうしたいと思えば、そうなさればいい。ただし、それが正しいとか、他は間違いだとか理屈づけないほうがいいでしょう。フィクションは楽しめる嘘です。正しさを求めること自体、不毛です。

カテゴリー : 設定(世界観) スレッド: 異世界の文化や言語を考えるのは不毛か

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