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元記事:「チートもの」でなくとも必殺技や特殊能力は必要?

「アンチ異世界チートもの」を掲げた作品の構想を練っています。主人公は陰鬱とした展開を経て、奴隷から成り上がっていく粗筋なのですが、序章を途中まで書いて「華がねえ……」という事に気付きました。
例えるなら承太郎がスタンドではなくただの鉄拳で戦うようなものでしょうか。

自己満足で書くならともかく、あわよくばそのテの人の目に留まりたいと思って書いています。その場合にこの華の無さが「斬新な設定」と思われるか、「要件未達成」として流されるか、気の早い話ですが、気になってしまいます。
そのような観点では、やはり目を引く必殺技などは必要でしょうか?

上記の回答(「チートもの」でなくとも必殺技や特殊能力は必要?の返信)

投稿者 オミクロン : 2 投稿日時:

 オミクロンです。参考になればと思い私見を述べさせていただきます。

 まず必殺技に対する私の初見を述べさせてください。個人的には、「最低一つはあった方がいいが、多すぎると逆に価値を損なう」という印象です。

 なぜか。バトルものにおいて必殺技とは、戦闘にメリハリをつけるためにあるもの。という考えがあるからです。仮面ライダーシリーズにおける「ライダーキック」といえば伝わるでしょうか。それを放てば相手は死ぬ。故に必殺技なわけです。シンジさんがおっしゃる通り、バトルものにおける華の一つになります。

 また、それがあることによって、「なぜか効かない相手」や「不発に終わった時」という危機的状況を演出するにも役立つからです。実例としては、「北斗の拳」におけるサウザーでしょうか。

 同時に絶対的窮地における最後の手段。乾坤一擲の一撃というドラマ性を作ることもできます。これは「幽遊白書」における霊丸に近い位置づけになります。
 
 以上の理由から、私個人は必殺技があった方がいいと思います。

 ですが無数にありすぎると陳腐化して、価値を損なうというリスクも抱えます。「BLEACH」における卍解がそれにあたるでしょうか。なので最低一つということを書いたわけです。

 逆に、なくてもどうにかできる。というケースもあります。例えば範馬刃牙における、ビスケット・オリバ戦での殴り合いとか。父勇次郎との決着の際にあった、無呼吸連打とか。(例えが分かりにくくて申し訳ないです)必殺技なき決着は、ほかにもいろいろあると思います。

 先述の通り、必殺技はお手軽に戦闘における山場を作れます。ですがそれがないということは、より情景描写や演出、ギミック、心理描写に気を遣わなければならないリスクを抱えます。

 悪例が出た場合読者としては、「え、それで決着なの?」ということが起きるのです。意図して起こす(後の伏線などにする)場合を除けば、不完全燃焼感が残るでしょう。

 以上を総括して私個人の所感を述べます。まず「必殺技なき決着」は珍しいものではありません。あらゆる戦闘系の創作物で幾度となく使われています。

 ただ、作中に「一度も」必殺技が登場しない。もしくは主人公が使わない。という場合、確かに斬新と言える場合があるでしょう。

 ただし、これを貫く場合、通常の(必殺技ありの)創作物と比較して、多大な労力と徹底的な推敲が必須になることをとどめておいた方がいいと思います。参考になれば幸いです。

 駄文、長文失礼しました。

カテゴリー : 設定(世界観) スレッド: 「チートもの」でなくとも必殺技や特殊能力は必要?

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元記事:学園物の主人公を平凡、凡人にしたくないの返信の返信

返信ありがとうございます。
主人公である時点で凡人ではないというのは目から鱗です。
自己投影は物語の基本ですね。共感も大事ですが「こんな強くてカッコいい主人公いいな」と感じたいと私は思います。
私が一番嫌なのは主人公が弱かったり情けなかったりすることなんですよね。
劇場型というのは地の文が三人称とか神の視点で描くということでしょうか?

上記の回答(学園物の主人公を平凡、凡人にしたくないの返信の返信の返信)

投稿者 オミクロン : 0 投稿日時:

 返信が遅れて申し訳ありません。オミクロンです。劇場型の主人公と、投影型の主人公との差における、人称視点はあまり関係がないと考えています。

 むしろ金村様自身が、「共感も大事ですが「こんな強くてカッコいい主人公いいな」と感じたい」と、すでに答えをおっしゃっています。なのでこれから書くことは補足という名の蛇足に近いです。

 投影型の場合、大袈裟に言えば読者が作品内で自身が主人公であるという認識を抱いてもらう必要があると考えています。その為、投影型の主人公の特徴は、「おおよそ(ターゲット層)万人が持ちうる特徴」というわけです。当然持ちうる過去も「おおよその人が経験したであろう過去」になるわけです。

 もっと言えば没個性的、アクのない主人公でしょうか。これは私見が多分に混ざっていますが、投影型主人公には行動理念が希薄である傾向があると考えています。具体的に書けば、主人公の行動の「動機」を一般化しているといえばいいのでしょうか。

 極端ですが例を挙げましょう。目の前で暴漢に襲われかけている女性がいたとした場合を想定します。その時主人公自身にその暴漢を簡易に退け、女性を確実に救う方法(実力)があった場合です。主人公は暴漢から女性を救うために動きます。

 ここでたたき台に乗るのは、行動をするに至った動機の部分です。投影型主人公は、これを書かないか、極めて一般的なものにするのです。そうすることによって、一般的な考えを持つ読者の動機と一致するわけです。もしくは読者が勝手に補完してくれます。この性質上、一人称視点と非常に相性がいいのです。

 ですが劇場型主人公の場合は、某偉大な18禁ゲームの鬼畜戦士な主人公のように、「返礼という名目でヤりたいから」とか。ツンツン頭の幻想を殺す力を持った高校生のように、「困っている人を見捨てる理由がない」とか。

 そういった「誰もがそう思う以外の理由」や、一般人が持ちえない崇高な自己犠牲精神などの「明確な動機」で動きます。これはそれだけではなく、敵対者と相対した場合とか、トラブルに対する対処法など。主人公の身に起きうる全ての事象が対象です。

 それを繰り返していくと、最終的に一般人が真似しようもない人格を持った主人公が誕生するわけです。当然投影は不可能です。真似しようと思うどころか、「この主人公にはなりたくない」と思えるようになりますから。(特にツンツン頭の高校生はそうですよね。私も彼にはなりたくないです)

 ですが、彼らが中心になって紡ぐ物語が退屈かといえば、大いに否だといえます。その主人公の言動や行動に投影できなくとも惹かれていくわけです。さながら、劇を見ている観客のように、引き込まれるわけです。これが劇場型主人公だと私は考えます。

 なので繰り返すようですが、劇場型主人公を書くのに、三人称や神視点でなければならないという縛りは存在ません。

 最後に。本当に蛇足ですが、劇場型主人公を書く際の注意点がありますので、老婆心ながら記述させていただきます。劇場型主人公は、主義主張の一貫性や、言動のブレなどに気を使わないと、誰からも嫌われる主人公になるリスクを抱えます。

 なのでより一層人格設定に気を使うか、徹底的な一挙手一投足の推敲が必須になります。投影型よりも数段面倒なことは間違いありません。それでも書きたいという強い意思があるのなら、書いていて楽しいと私は思います。

 長文、駄文失礼しました。

カテゴリー : キャラクター スレッド: 学園物の主人公を平凡、凡人にしたくない

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元記事:学園物の主人公を平凡、凡人にしたくない

学園物や現代物の男主人公は顔はイケメンではない普通、勉強も運動も特別得意ではないということが多いです。

凡人が泥臭く頑張るのも一つの魅力かもしへませんが、そういう主人公は馬鹿だったり、嫌な奴に喧嘩に負けてヒロインに助けられ、取り柄はいざというときの機転と発想「だけ」で私は好きではありません。
学園物での主人公が凡人なのは必須条件なのでしょうか。
どなたかご意見をお願いします。

上記の回答(学園物の主人公を平凡、凡人にしたくないの返信)

投稿者 オミクロン : 3 人気回答! 投稿日時:

 オミクロンです。参考になればと思い、私見を述べさせていただきます。

 まず真に平凡な存在は、そもそも主人公になりえません。「平凡」を突き詰めると、語る価値のないモブに成り下がります。なので平凡な主人公は存在しません。

 金村様が述べている通り、「取り柄はいざというときの起点と発想だけ」という時点で平凡ではないのです。それだけで立派な個性です。

 また個性がありすぎる友人に囲まれる。という設定でも、アクが強すぎる中での唯一の常識人というスタンスを獲得します。周囲の環境が特殊な中での平凡も、逆に際立つという特徴を手にします。故に逆説的に、主人公である時点で平凡ではなくなるのです。

 もし仮に、本当に「平凡」な存在だけで物語を作成するとなると、ヤマなしオチなし意味なしの最悪三拍子が揃ったものが出来上がると思います。日常系漫画にすらなれないのです。

 ただ確かに、自称「平凡」主人公が飽和しているのは事実だと感じます。ですがこれは読者が投影しやすいようにする工夫だと思います。いわゆる投影型主人公、主人公イコール読者の形式ですね。

 ですが逆に、劇場型主人公というのもあります。これは読者は観客というスタンスです。オペラや劇場、漫画といったタイプでしょうか。だから個性も何もマシマシで付けることができます。もし「平凡」主人公を嫌うのなら、劇場型で書いてみることをお勧めします。

 駄文失礼しました。

カテゴリー : キャラクター スレッド: 学園物の主人公を平凡、凡人にしたくない

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元記事:執筆の乗り具合が悪い時は

 こんにちは。
 自分には執筆の乗り具合にかなりムラがあります。そこでですが、執筆の乗り具合が悪かったり、執筆の調子が乗らない時でも、やはり毎日欠かさず練習のために執筆は怠らない方がいいのでしょうか?

 調子が悪い時に執筆した場合以下のような問題点がありました。
〈問題点〉
 文章がおかしかったり、淡白、稚拙だったりする。
 同じ単語を使用していることが多い。
 文末が連続的に同じ言葉になる。「〜た」などのあれです。
 大まか作ったプロットストーリーとして執筆した場合、内容がつまらなくなる。アイデアやストーリー展開の思いつきに苦労して、それでも無理やりストーリーを作ろうとした場合の出来が悪い。

 と、こんな感じです
 調子が悪い時に執筆したストーリーと、調子が良い時(こんなストーリー、あんな展開にしたら面白くなりそうなどが直ぐに思いつく)に執筆したストーリーはかなり差があると思いました。自分の執筆した小説に自ら評価するのは変かもしれませんが。

 無理やり執筆した部分はしばらく寝かせておいて、あとから見直したりするのですが、面白くないと感じて一気に書き直すことがほとんどです。
 書き直した場合、書き直す前よりも大分面白くなったと感じることが多いです。その時は書き直す前と書き直した後のストーリーの結末が一緒でも、結末前の展開が変わったりしています。

 執筆することに辛いと感じることもありますが、それでもやめようと思うことはありません。とにかく執筆しようとしてます。でも、どうしてか筆が乗りません。
 そういう調子が悪い時でも執筆した方がいいのかそれともダメなのか、アドバイスをください。
 

 あとこれは延長線の問題ですが、執筆の乗り具合が悪い時は、ストーリー展開やアイデアが思い浮かばないことが多いです。その時に思いついたとしても、やっぱりつまらなく感じて書き直します。
 自分は、結末を予め考えておいて数行分のプロットを作って、執筆しながら浮かんだアイデアをストーリーに加えたり、展開を付け足したり変えたりしています。そういう執筆スタイルのため、調子が悪い時はとことん悪く、ストーリー内容や地の文がおざなりになるのかもしれません。

 調子が悪い時を少なくする為にも、アイデアが思い浮かぶ方法、アイデア発想力を鍛える方法を教えてください。

上記の回答(執筆の乗り具合が悪い時はの返信)

投稿者 オミクロン : 0 投稿日時:

オミクロンです。自分も執筆中に筆が乗らないときがあったりします。まぁ素人に近いですが参考になればと思い、投稿させていただきます。

 まず筆が乗らないときは書くべきか否か。ですが、私は書きません。書いても100字とか。過去文書の添削程度です。過去に丸2週間以上1文字も書かないでいる時もありました。

 モチベーションやインスピレーションが湧かないときに書くと、「義務感」を感じて苦痛になると思います。簡単に例えれば、歩くのも億劫な時に大好きなスポーツをしろと言われるようなものです。それが続けば好きなものも嫌いになるでしょう。

 もし商業作家さんであれば、プロなら泣き言を抜かすな。と一刀両断しますが、我々はアマチュアです。趣味の延長でしかありません。ならば好きなタイミングで好きなように書くのが、精神衛生上最良だと考えています。

 更に、自身が楽しく書いている文章と、嫌々書いている文章は質に大きな差が出るのは当然だと思います。特に小説は自身の心と頭から生まれるものなので、その影響を大きく受けるのは自然なことです。商業を除けば嫌々書いた文章は読むに堪えないものが多いです。なので気が乗らないとき、私は本当に最低限のことしかしないか、一切書きません。

 ただ、ここで私が留意しているのは、筆は動かさないが頭は動かす。ということです。作品のことを一旦忘れて奇麗さっぱりリフレッシュ! をしてしまうと、最悪作品自体を忘却してしまいます。なので常に頭のほんの片隅に忘れないように置いておく。そして波が来たら情熱のままに書き続ける。そんな感じです。

 なので私は連載をする気がありません。次の投稿時間に間に合わせるとか、連載ペースが在庫を食いつぶす。ということを完全に避けるためです。完結して校閲も推敲も終えたら投稿する。こんな風にしています。

 まぁこんなことをしてるから超長編とはいえ、執筆から1年半もかかってなお投稿に至らないのですが。それでも参考になればと思います。

 次に、「文末が連続的に同じ言葉になる。「〜た」などのあれです」について考えを述べたいと思います。

 そもそも起きているリアルタイムな出来事を、文章で書く以上、過去形や完了形が多用されるのは仕方のないことです。時制において現在形は進行形を除けば、文章での表現は難しいです。なにせ「今」は1秒にすら満たない場合もありますので。

 また、これを避ける手段に体言止めや疑問形、未来形があります。が、疑問形や未来形は用途が過去形に比べて狭いですし、体言止めは相応の技量を求められます。会話文以外でですます調の文章を書くのも変ですしね。

 その点過去形や完了形というのは非常に使いやすいです。なにせ「現在」からほんの刹那経過してしまうだけでも過去になりますから。なので過去や完了の時制を示す「~た」が多くなるのは必然的なことだと思います。

 それでも気になるのであれば、地の分で語ることを、キャラクターに言わせる事によって回避することもできます。ですがこれをやると文章の量が増えていくというデメリットも増すので、ご利用は計画的にお願いします。

 参考になれば幸いです。長文、駄文失礼しました。

カテゴリー : やる気・動機・スランプ スレッド: 執筆の乗り具合が悪い時は

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元記事:ストーリーを作っていくコツとは

はっきり申しますと、自分は作家志望の底辺初心者です。
自分は長編を一本も書き切ったことがありません。故に新人賞に投稿したことは一度もないです。
こんなストーリーを書いてみたい、という思いでワンシーンを書くくらいが自分の限界です。世界観のアイデアやキャラクターのアイデアが浮かんでも、アイデア止まりで終わってしまいます。
自分とは違い、何度も新人賞に原稿を出している作家希望者や、様々なストーリーを執筆している方は数多くします。
彼らのようにたくさんのストーリーを作るにはどうすればいいのでしょうか?

自分とストーリーを何本も完成させる、または新人賞に応募する方々とは才能の違いによる思い、自分に諦めをつかせようともしましたが、それでもやはり夢ですので、そう簡単に諦めきれず、小説を書きたいという思いが強まるばかりです。
才能を羨んでばかりではいられないので、情けない話ですが、アドバイスをお願い致します。

上記の回答(ストーリーを作っていくコツとはの返信)

投稿者 オミクロン : 0 投稿日時:

 オミクロンです。私も処女作(そのくせ超長編)を書いているので、ぜひ参考になればと思い投稿させていただきます。ただあくまでも私の経験と私見を並べるだけなので、もっと効率的な方法があると思います。ご了承ください。

 まず、ただ頭の中にある「空想」と「作品」の差は何か。と問われた際に、私は「実際に文字に起こしていること」と答えます。なのでまずはそのワンシーンでも文字に起こてみてはいかがでしょうか。

 そこからそのワンシーンにつながる前はどうなっているのか。とか、その後のシーンはどうするのか。とか、なぜそのシーンの状況になったのか。を連鎖的に考えていけばいいと思います。何も物語は冒頭から書かなければならない決まりはないですし。要は連想ゲームの超発展版みたいなものですね。

 そしてある程度の大筋が出来たら、それまで積んできたものをベースに設定やプロットを練り、初めから物語を書いていく。という感じです。

 物語を建物で例えるのなら、空想で完成予想図を描き、設定で基礎工事を行い、プロットで設計図を完成させ、執筆で建造していく。とでも言えばいいのでしょうか。ただ実際の建物建設で違うのは、投稿さえしなければ建造中に基礎や設計図の改定ができるという点です。

 というか実際に書いていて、「この設定邪魔だから消そう」とか、「これ補強しないと面倒になる」とか。挙句の果てに、「こいつメインヒロインにしなくてよくね?」といったちゃぶ台返しまで起きました。実経験です。参考になれば幸いです。

 最後に。複数のストーリーを完結させる。とか、新人賞への才能云々といった考えは全く不要だと思います。というか邪魔もの以外の何物でもないと私は思っています。

 我々は専業作家ではありません。「義務」で複数の文章を執筆しなければならない理由はありません。また、才能がなければ執筆してはいけない。という制約もありません。「やりたいからやる」「書きたいから書く」という情熱以外、すべて後付けでもどうにかなります。

 文章作法は執筆中でも学べます。情景描写は投稿さえしなければ納得いくまで書き直せます。不安があればここで相談事ができます。そもそも新人賞に輝かなくとも、売れている作品は無数にあります。

 なので野乃さんが筆を執れない理由は、「作品を書きたい」という情熱を自分で火消しているからだと思います。「完成させてから批評を聞こう」くらいの心構えでいいと思います。

 長文、駄文失礼しました。

カテゴリー : ストーリー スレッド: ストーリーを作っていくコツとは

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元記事:集中してもタッチパネルが巧く打てなくて話を忘れてしまいます。

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上記の回答(集中してもタッチパネルが巧く打てなくて話を忘れてしまいます。の返信)

投稿者 読むせん : 1

ん?別売りキーボードなかったっけ?スマホアクセサリーに

カテゴリー : やる気・動機・スランプ スレッド: 集中してもタッチパネルが巧く打てなくて話を忘れてしまいます。

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投稿日時:

元記事:三人称一元視点を書くコツと注意点

 先日、三人称一元視点についてとある作者様と話していました。
 しかし作者様には理解がしがたい説明になってしまったらしく、作者様を混乱させてしまったような気がします。
 良い機会なのでみなさんの意見を聞いて、偏っているところがあるなら、自分の認識を改めたいなと思い、スレを立てさせていただきました。

前提としてその作品は、
・作者は三人称一元視点だと思って書いている。
・しかし、読者からは作品は視点ブレが多いと指摘されている。
・少なくとも、シーンが切り替わると、前のキャラとは別のキャラクターに焦点があたり、そのキャラのことを描いてしまっていたりする。結果的に複数の視点から作品を構成してしまっている。
・描写も、三人称よりで、一人称のようではない。

 と私は思っています。

 で、私が認識している三人称一元視点というのは、

・カメラ位置としては、視点主がハンディカメラを持っているような視点になる。
・少し主人公と離れた位置から三人称を用いて主人公が知りえない状況、知らないことも書けたりする。
・しかし基本的には一人称と同じ表現にする。

 というものでした。

 相手方の三人称一元視点の主張は、

・地の文に語り部キャラクターの主観が入っていない。(作者の主観は入りうる)
・カメラは視点主のそばにいる。基本的には視点主の立ち位置から撮影し続けて、たまに視点主の内部に潜って心の声を録音し、また離れる……そんなイメージ。

→これは、たぶん「三人称一元視点」をググると最初に出てくるサイトからそのままコピペしてきたやつだと思うんですが、まあ、大体合っているのだと思います。
 主観、というのは、思い込みは書けない、ということなのかなと思います。
 嘘は書けない、みたいな?
 でも、主人公はこう思っている……というのは書けそうな気もしますが。
 また、カメラ位置はいわゆるゲゲゲの鬼太郎の目玉おやじである、ということでしょう。

 でも、この考え方って落とし穴がある気がするんですよね。
 主人公とは別の存在なので、心情がいわば吾輩は猫であるの猫の視点から主人公を描くみたいな認識になりますよね。
 そうすると実質視点主とは別キャラクターの思考が存在することになります。
 これは読者からすればとても混乱するような気が、私はしました。

 気がするだけで、確信はないので、みなさんに突っ込んでもらおうかなと思った次第です。

 例えば、主人公がなにか食べ物を食べたとき、
「まずそうに食べた」という描写は、三人称ならありですが、一人称だとかなり違和感がある表現だと私は思いました。まずそうな表情をしている、という、客観描写ですよね。

「まずいと思った」、もしくは「まずい」と言い切っちゃっていいと私は思ったんですが、たしかに目玉おやじを通して描かれているならその主人公の表情を読みとって「まずそうな表情」と書いても問題ないような気はします。

しかし、それだと三人称一元視点のメリットが薄いし、場合によっては別のキャラクターの視点から描かれる神視点だと読者は勘違いしかねないのではないか、思いました。

 そこで質問です。

 みなさんは三人称一元視点を書くとき、意識していることはなんでしょうか。
 また、どうしたらうまく書けるようになるのか、上達方法などもあれば教えていただければ嬉しいです。

上記の回答(誤字訂正)

投稿者 ドラコン : 1

誤字訂正です。失礼しました。

【誤】「「三人称一次元」で」
【正】「「三人称一元視点」で」

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: 三人称一元視点を書くコツと注意点

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投稿日時:

元記事:情景描写、表現について

人物の気持ち、周囲の状況等を説明するとき
「~の様な」と、「様」を多用してしまう癖があります
書いてる途中でそれに気付いて他の表現方法を探すのですが他に思い浮かびません

「人のはらわたの内側の様な」
「肌の表面に氷を押し当てられている様な」
「そのどれでもある様な、どれでも無い様な」
「最初からそうであったかの様」

これが全て13行の中に入ってしまっています
「様」を減らすにはどうしたら良いのでしょうか
宜しくおねがいします

上記の回答(情景描写、表現についての返信)

投稿者 読むせん : 0

あー・・・・
○○なそれは、人のはらわたを思わせる。(せた。)
肌に氷を押し付けられる感覚(不快感、冷たさ○○とかの感覚への修飾語てきな?)
そのどれでもあり、そして全てが違う。
まるで最初から「そうであった」かのようだった。

とか?

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: 情景描写、表現について

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