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あざらしさんの返信一覧。最新の投稿順17ページ目

元記事:小学生主人公が難しいのはロリコン作品でも言えること?

ラノベの読者は中高生なので主人公も近い年齢がいい
これはよく言われますがロリコン系でも言えることでしょうか?
りゅうおうのおしごと!ロウきゅーぶ!には主人公の女の子が出ますが彼女らは主人公ではありません
主人公はやはり男子高生です
漫画アニメではのんのんびより、よつばと!魔法少女リリカルなのはなどの小学生女子の主人公(よつばは5歳)が出ますがラノベと漫画アニメは違うものなのでしょうか?

上記の回答(小学生主人公が難しいのはロリコン作品でも言えること?の返信)

投稿者 あざらし : 1 投稿日時:

漫画やアニメ、これらとストーリーの語り方が違いますから、ハードルが高いとは思います。
個人的には小説の場合「難しい」というより、大げさに聞こえるかも知れませんが「専門家の仕事」だと思います。

漫画やアニメといったビジュアルを利用する媒体は、基本的に外から見た状態です。
例に挙げられている【よつばと!】が解りやすいかと思いますが、よつばの心情には踏み込みませんよね。(あったかも知れませんが、私の記憶が正しければ無かったと思います)
よつばが考えていることをモノローグで語ったりはしません。漫画のテクニックを駆使して読者に心情を想像させています。
外から見ている、つまり客体視点でのよつばです。

一方で小説の場合、とくにライトノベルといったエンタメまっしぐらの小説は、多くの場合、主人公が視点人物になります。
ここらは人称にも関わってくるので割愛しますが、ありていには、その時の視点人物の心情(を)(も)地の文で書く、これが普通の状態です。

つまり、小説で小学生を主人公にした場合『小学生の考え方を不自然ないように地の文で書く』ということが、まぁ程度問題ではありますが多少なりとも求められてきます。
もし小学生として不自然な思考をしていた場合、読者の目には『とても小学生とは思えない』という感想が生まれ、下手すると『看過できない違和感』となり物語に集中することを阻害します。
誰でも小学生だった時期がある、という読者の経験に基づいているだけに違和感が際立ってしまう可能性が拭えません。

【りゅうおうのおしごと!】【ロウきゅーぶ!】
これらもヒロインである小学生は『(主人公の視点で)外から見た状態』で、心情には直接踏み込みません。(両作品とも既読ですが、たぶん無かったはず)

小学生を主人公にした小説も、もちろんあります。
誰しもが読んだ経験のあるだろう児童文学がそうですね。
これは多くの場合、児童文学作家という専門家が書いています。
筆致が独特なものが多く、そういう意味でやや特殊ではありますが、心情を違和感なく語る、しかも同年代の少年少女に読ませるというのは、やっぱり専門家ならではではないでしょうか。

では専門家以外の書く小学生主人公はどうかというと、変化球が多いように思います。
例えば世界的ベストセラー【スティーブンキング著:スタンド・バイ・ミー】は夏休みに12歳のやんちゃ仲間4人が、少年の死体を探しに行く物語です。
この物語の変化球は『34歳の作家になったゴーディが思い出を綴った』という形式。
つまり12才の心理でありながら、34才の作家でもあります。

>ラノベと漫画アニメは違うものなのでしょうか?

小説を主体にして書きます。
小説では人称や視点の使い方によって、自然に、しかも作中でのリアルタイムで心情に踏み込むことができます。
視点人物であれば『思っていること』を地の文なりを利用して書くことができますし、ラノベではあまり使われませんが神の視点であれば全ての登場人物の心情に踏み込むことも出来ます。
小説の場合は、これが普通の状態です。

一方、ビジュアルを利用する漫画やアニメーションで『思っていること』をストレートに書く場合、(やり方は色々ありますが)モノローグといった『心の声』やナレーションといった『過去を振り返っての声・神視点の声』を表現する効果が必要になります。

漫画なら吹き出しを集中線にしたり、雲状の吹き出しに変えたりといった効果、映像作品の場合は、演技による主体と客体の使い分けはもちろん、映像でもそれと解る工夫により『普通とは異なる特別な状態に切り替える』わけです。
ラノベのアニメ化、特に一人称小説が原作は(監督の手腕によりけりですが)効果として比較的わかりやすいと思います。

カテゴリー : キャラクター スレッド: 小学生主人公が難しいのはロリコン作品でも言えること?

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元記事:冒頭に関する話

以前読んだ本か、あるいは映画のコメンタリーだったかもしれませんが、「アクション映画は開始10分以内にアクションを描かないと観客は退屈して帰る」のような話を聞いたことがあります。
質問したいのは、この「開始10分」は小説に置き換えて考えるとどこまでの部分なのか?という疑問です。ついでにアクションを描く際に並んで重要そうな「主人公の活躍」についてもお聞きしたいです。

自分が好きで読んだ小説をおぼろげな記憶で思い出すと、確か「フルメタル・パニック!」は少女が逃げ回るシーンからだったと思います。この作品の場合はミリタリーアクションですので「開始0分でアクション」でかつ「開始10分以内に主人公が派手に活躍」していて、どういった作品で何を期待して読めばいいのか?が明確かつテンポよく描写されていました。
「魔術士オーフェン」は化け物が部屋から飛び立つシーンからだったでしょうか?アクションでこそありませんが緊迫した場面でした。直後にギャグ風味に暴れてるので「主人公の活躍」は恐らく満たしています。
「とある魔術の禁書目録」はちょっと思い出が混濁しているのですが、最強クラスの能力者との一騎打ちからだったはず。「アクション」も「主人公の活躍」もバッチリです。
ここまで書いて思ったのですが、自分が好きな作品というのは「物語開始時点で主人公が戦闘能力を有している」ものばかりに思えます。他にも漫画になりますがジョジョでは4部が一番好きです(これは前に3作品分の積み重ねがあっての序盤なのでちょっと違うかもしれません)。

この法則をどう適用すればいいのかを若干悩んでいるのが異世界転生系です。
最初に描くのは「アクション」でも「主人公の活躍」でもなく「取得する能力の解説」だったり、なんらかの説明になりますよね?
今では転生が浸透してきて転生過程を省いていきなり本番というパターンもあると聞きます。先人の説明努力の上で成り立っていると考えると、なかなか歴史を感じます。ただ、自分はこのパターンは書けませんでした。いざ書いてみようとすると、いちいち物語の舞台のいろんなアイテムやモンスターに対する疑問を案内役に聞いてしまう展開が多くて、以前アドバイスでいただいた「設定はイベントで見せる」を実践できませんでした。解説ばかりで肝心の活躍まで行数がかかってしまったのです。
古典的手法では「最初に能力を使っての戦闘を書き、『そもそもこうなった発端は~』と回想で説明する」というものがあります。こちらもうまくものにできませんでした。回想シーンである以上、その場面に至るまでを書くことになるわけですが、どうしても長い話になってしまい、2回目の活躍までにかなりのページを食うことになってしまいました。こうなってはやはり設定資料の域を出られそうにないと感じたのと、そこまでを(作者にとって)既知の情報を延々連ねるのは思った以上に退屈で飽きてしまったのです。「暴れて欲しいところまでお行儀よく主人公を歩かせる」のは想像以上に地味で、先人の皆さまはこれを越えたのかと思うとただただ頭が下がります。

結局今は、最初から妙なことはせず時系列通りに書こうとしていて、それなりに進めることができました。ところが今度は冒頭から一向にアクションしてくれないのです。書いてる側としては一歩一歩話が進んでいるという感覚があって安心できるのですが、読者にはそんな書き手の心情など関係ないでしょう。あと一歩で派手に活躍するんだ!と思っても、そこまでに脱落されては本末転倒なわけです。できる限りの早回しで進んではいるのですが……。

今回の質問は「Webで文字を読む場合、『開始10分』は何文字程度、あるいは何章程度までに当たるのか?」というものです。世間一般の文字数内に今書いているものが収まっていれば安心して執筆できますし、はみ出していれば修正の必要があります。よろしくお願いします。

上記の回答(冒頭に関する話の返信)

投稿者 あざらし : 3 人気回答! 投稿日時:

個人的な結論から書かせて頂きます。

>Webで文字を読む場合、『開始10分』は何文字程度、あるいは何章程度までに当たるのか?

時間はとりあえず保留してですが、退屈して帰っちゃうのはWebなら速くて5行。
ページではなく、行です。
以下、ご質問の所感を細かく書きます。

個人的には、まず、大前提がちょっと違うと思います。

>「アクション映画は開始10分以内にアクションを描かないと観客は退屈して帰る」のような話を聞いたことがあります。

コメンタリーの場合、問題は『この映画が何か?』です。
マーベル系なら、まぁその通り。そういう映画で観客もそれを望んでいますから。
アクション映画全般を指すなら、一理あるとは思いますが実例が多いだけに首を傾げます。
これが広く『アクションもある映画』になると噴飯ものの話しになっちゃいます。

本だった場合も含めて、多分に比喩的な意味が強いのでは、と感じました。
そもそもアクションものに限った話しではありません。
本であれコメンタリーであれ、これはおそらくは深読みが必要な情報で『面白い映画にするには(なんらかの方法で)開始10分で観客のハートを掴み、スクリーンに没頭させないといけない』という意味あいが強いのではないでしょうか。話題の対象がアクション映画だったので『アクションでは』という枕詞がついたように思います。

私も月に5本以上は映画館で観ますけれど、大はずれの映画でも10分で帰る人なんかいません。少なくとも私はそんなの察知したことはありません。
元話の空気を読まず、あえて書きますが、クソつまんねー映画でも観る前にお金を払ってますから30分ぐらいは持ちます。
映画というのは観る前にお金を払い、あらかじめ上映時間を確保した上で観るものですから、そうそう帰りません。30分ほど過ぎると絶えきれないらしく寝る人は出ますが(笑)

で、これは『映画ならば』です。
漫画や小説の場合『退屈して帰る(作品切り)』は、もっとシビアです。
漫画雑誌では定期的に新連載が始まりますよね。雑誌によって違いますし、ギャグ等の短いものもありますがストーリー漫画の初回は60ページ前後がおおよその基本になってます。
面白ければ全部読むのは当たり前ですが、好みに合わなかった場合、初回だからという理由で全ページ読み通すかというと、まぁ、私は読みません。
切っちゃう場合は、おおよそ半分ぐらいで『退屈して帰る(読むのをやめる)』パターンが多いように思います。

小説の場合、雑誌での連載もありますが、書き下ろしが珍しくありません。
ライトノベルの場合は、大半の作品で文庫が初お目見えとなっています。

私個人を例にすると面白そうな作品を書店に探しに行くのは映画館とセットになっているのですが、タイトルで目を引いた作品冒頭をパラパラとめくります。
購入の有無を決めるのは本文5~10ページぐらいです。書恥の類いの人間ですので、『あまりにも平凡』という作品以外はおおよそ買っちゃいますが、やはり冒頭でハートを掴む作品で無いと後回しになります。

と、ここまでは漫画でも小説でもプロ作品です。
編集というプロの目を通した後に世に送り出された作品の場合でも、これぐらいのページです。
もちろん個人差はあるでしょうが、いずれにせよ世の中に出てきた全ての作品を読み通すことは不可能ですから、『退屈して帰る(読むのをやめる)』は誰しもがあることだと思います。

さて。
アマチュア作品の場合はというと、さらにシビアになります。
というのも、プロ作品の場合『最低限度の質、底の底よりは上』を保っています。(人気・有名レーベルの小説、漫画全般は競争が激しい分、レベルは必然的に底上げされていますね)
プロ作品の場合、全作品とは口が裂けても申しませんが、おおよそレベルではなく『好みの問題』が大半で読むのをやめています。
言い方を変えれば、読者にとってギリギリラインであれど『時間の無駄にはならない、大丈夫だろうという期待』が手伝っての結果です。

一方、これはアマチュア小説の良いところでもあるのですが、まさに玉石混淆。
編集というプロ、慣れた人の介入によって平らにされていない尖りっぷりが、良くも悪くもストレートに出ています。

アマチュア作品もそれなりに、というか、むしろ結構読んでいる方だと思うのですが『時間の無駄にはならない、大丈夫だろうという期待』これを裏切られる経験も、読んだ数の分母に比例して増えていきます。
正しく作品の質だけで読むという状態。
ある意味、健康的ですね。

結果、速ければ数行で読むのをやめる、というケースもあります。
これは単純に小説以前の問題で『日本語の不備』手っ取り早くいうと「読むのが苦痛」という場合。

こういった最低限のことが出来ていたとしても、読むのをやめる場合、多くて5ページでしょうか。
プロ作品より短くなるのは、『それぐらい解りやすく読む価値を見いだせない』これに尽きます。

>最初に描くのは ~略~ なんらかの説明になりますよね?

ごめんなさい。
あくまで私の場合ですが、『説明』これが最も解りやすく切る(読むのをやめる)パターンです。
もちろん説明から始まっていても光るものがあれば読みますが、そうではない場合、そして大多数のそういった作品は早々に読むのをやめてしまいます。

>確か「フルメタル・パニック!」は少女が逃げ回るシーンからだったと思います。

ご質問にある作品から一本目を例に。
異世界もやり方は同じなんです。
考え方を変えてみて下さい。
おおよそ現代を舞台にしたフィクションですが、『アーム・スレイブという人型兵器が存在して、一般学校に兵隊が転校してくる』という異世界を描いていると考えれば、見えてくるものがあるかと思います。
フィクションってのは重箱の隅をつつけば異世界に違いないわけですよ。

読者には説明せず、エピソードを通じて周知してください。
フルメタでいえば、プロローグ。
☆コピー用紙を手に入れるために、発煙弾を使用する。
☆補完としてヒロインが罵倒【引用】『戦争ボケのネクラ男』
このふたつでプロローグの役目、もっといえば作品の骨子(アクションあり・恋愛要素にも期待できる)を表しています。
もっとも説明っぽいヒロインのセリフが【引用】『スゴ腕の傭兵だか、AS乗りだか知らないけど ~』です。
おおよそ、これが説明のギリギリライン。

>解説ばかりで肝心の活躍まで行数がかかってしまったのです。

もっとも基本的な物語進行ですが、『活躍から書く』『出来事の最中から書く』ことを意識してみてください。
読者への設定説明なんて後でもできます。(フルメタだってそうでしょ?)
謎のままで結構ですので、とにかく読者に向けてボールを投げて続けて下さい。
ボールを投げ続けられる限り、そうそう飽きませんが、投げられてくるボールがないのにバッターボックスに立ち続ける暇人はそうはいません。

そして物語で、読者にわき上がるクエスチョンをエピソードで(徐々にでも)読者に伝えてください。
断片の情報でも、読者は頭で組み立てて一本の筋道をつけます。
ここは読者を信用して下さい。
出来事を丁寧に時系列で順番に書いていく、しかも飽きさせない、これを成立させるには『飛び抜けて魅力的な筆致』もしくは『飛び抜けて魅力的なキャラクター』が必須となります。
おそらくこちらの方が遙かに困難であるはずです。

>古典的手法では ~略~ こちらもうまくものにできませんでした。

戦闘シーンから始める必要はありません。
冒頭に戻りますが、「アクション映画は開始10分以内にアクションを描かないと観客は退屈して帰る」これをストレートに取るのではなく、意味を汲み取るべきだと思います。

小説の場合、まず第一に飽きさせないために、説明するのではなくエピソードで伝える。
そのための手法のひとつが『活躍から書く』『出来事の最中から書く』という冒頭です。

>時系列通りに書こうとしていて、~略~ 一向にアクションしてくれないのです

それは時系列通りではあるが、物語の開始地点に問題があるように思います。
小学校の宿題の定番ですから、日記をつけられたことはあると思います。
普通は「その日で最も思い出深い出来事」を中心にしますよね。朝起きて歯を磨いたことは飛ばしますし、トイレに行った回数だって書きません。
海に泳ぎに行ったなら、その思い出を書くべきで、家を出るところから書く必要はありません。
いきなり、
「クラゲに刺された!」
から始まってもいいのです。
この一文だけで海に行ってることは解りますよね。山でクラゲに刺されるヤツはいません。
これを冒頭にして5W1Hを交えながら日記を書くことだって出来ますよね。

>できる限りの早回しで進んではいるのですが……。

悪手のように感じます。
早回しできる、というのは、それが無駄となって存在している証明ではないでしょうか。
本当に面白い小説は、一行の無駄もありません。
家で映画を観てても、面白ければチャプターを飛ばしたりしないはずです。
『本当に早回しが出来るシーンを飛ばすことは出来ないだろうか』
これを著者であるパクトボーさんではなく『読者にとってどうか? 削ることで読者が混乱するだろうか? 混乱させない方法はないだろうか』これを基準に判断してみて下さい。

最後になりますが参考書籍を。
【冬月いろり著:鏡のむこうの最果て図書館 光の勇者と偽りの魔王】
2018年電撃大賞の銀賞受賞作ですから既読かも知れませんが、デビュー作にして上々です。
読者にとって必要な情報はエピソードで読ませる、ということが理解しやすいと思います。

ではでは執筆頑張って下さい。
応援いたします。

カテゴリー : 流行分析(なろう研究) スレッド: 冒頭に関する話

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元記事:創作クラスタのための心理学の参考書

心理学を用いてキャラクターを作りたいと思っています。心理学に完全に従うのではありませんが、虚構を作るのには現実をある程度知っている必要性もあると考えています。
その一環として、心理学を知ろうと思うのですが、何から手をつけたらいいか分かりません。
キャラクターの性格を作るのに最適な心理学書はありますでしょうか。
出典となる統計や論文が十分に記載されたものでお願いします。

上記の回答(創作クラスタのための心理学の参考書の返信)

投稿者 あざらし : 9 人気回答! 投稿日時:

結論から書かせて頂くと、図書館が役立つ場になるはずです。大きな図書館で司書さんに相談されることが最も役立つと思います。
お勧めする書籍に悩み、また高価な本が多いため『空ぶり』させるのが申し訳ないという思いもあります。

以下、細かく書きます。
大変に難しいご質問です。
生業での縁があり定期的に客員として教壇に立つ都合上、勧められたこともあり何冊かの専門書には目を通していますが、心理学と一口にいっても主立ったジャンルで20種ほど、さらに同一ジャンルの中で流派があり、「奥が深い」と簡単にいうのが憚られるのが実情だと思います。
単純には専門家として資格を取る、その受験資格を得る段階で大学院まで通う必要があるわけで、6年間必死で勉強されている世界です。
もちろん、かろんさんが専門家を目指して質問されているわけではないことは重々承知していますが、

>出典となる統計や論文が十分に記載されたもの

難しいのはここ。
”十分に”となるほど専門性が強くなります。
招いて頂いている学校にも国家資格受験を前提にしているガチガチの学部がありますが、人間の心理云々以前に統計学をみっちりとやるそうです。『心理学に対するイメージを持っている学生ほど面食らう』らしいです。
これは心理学を科学にするため、とのこと。(私も実際の教育現場は、飲みの席での雑談で知った程度です)
で、統計が十分に記載された書物というのは、基礎となる統計学を専門的に熟知している前提で書かれています。ここをサラサラと読める人向けです。
私も借りて読んではみましたが投げ出しました。もっとも私はド文系で Σ を見たら気が遠くなるタチですが(笑)

>キャラクターの性格を作るのに最適な心理学書はありますでしょうか。

これが難しいのです。
ご質問の主目的は、失礼にきこえるかも知れませんが『ふわっとした心理学』の方向性が強いように思います。

>統計や論文が十分に記載されたものでお願いします。

十分に、という条件を満たすならガチガチの専門書。
正直、この類いの本を読んで『人間(キャラクター)の心理とは』と勉強するのは、お勧めできません。否定はしませんが自動車学校に通うために整備士資格を目指すような具合です。(生涯学習的な意味合いが優先で、それを小説に生かすのは素晴らしいことだと思います)

>キャラクターの性格を作るのに最適な心理学書はありますでしょうか。

大学でもこっちは『人間科学』的な名称で存在する学部、前述の「ふわっとした心理学」の方です。
この方面の書籍は知る限り注釈的な意味合いが強く、それを利用しての論までは至っていない印象があります。
程度問題ではありますが『統計や論文が十分に記載されたもの』を満たすことが、難しいです。

その上で、お勧め書籍を。

【鹿取 廣人 (著, 編集), 杉本 敏夫 (著, 編集), 鳥居 修晃 (著, 編集):心理学 第5版】
基礎本にどうぞ。全般を学ばれるならば、ここから世界を広げていくのが近道だと思います。
おもしろく読める本を選択しました。

【杉山 尚子 (著), 島宗理 (著), 佐藤方哉 (著), リチャード・W. マロット (著), アリア・E・マロット (著):行動分析学入門】
人間の行動、観察に絞るとジャンルとして行動分析が必要になるはずです。
お勧めを悩みましたが、前提知識が他書籍より少なくても理解しやすい本を選びました。

【ゲイル・F. メルスン (著), Gail F. Melson (原著), 横山 章光 (翻訳), 加藤 謙介 (翻訳):動物と子どもの関係学―発達心理からみた動物の意味】
発達心理の本が必要だと思ったのですが、どうしても幼児期から児童期の本が多くなります。(本来は65才以上の成熟期まで幅広く発達心理学の対象です)幅広くなると全体像がボヤますので、切り口を変え、キャラクター作成に役立ちそうなものを選びました。
「動物?」と思われるかも知れませんが、理解を進める非常に良い本です。

【A.H. マズロー (著), 小口 忠彦 (翻訳):人間性の心理学―モチベーションとパーソナリティ】
自己実現理論で有名なマズローさんの著書です。画一的ではないキャラクターの動機を描かれるに有益な著書だと思います。
古いと一蹴するのは簡単ですが、ここをすっ飛ばして学ぶのも難しいだろうと選択しました。

【ゆうきゆう (著), ソウ (著):マンガで分かる心療内科 アドラー心理学編】
最後に究極的にふわっとした本を。
本屋にいくと五月蠅いぐらい並んでいるアドラー本ですが、下手に怪しげな本に手を出すぐらいなら、たぶんこれが一番お勧め。堅苦しく学ぶより、これぐらい柔らかい方が個人的にはピッタリなアドラーさんです。精神科医でもある著者は心理学漫画本でベストセラーの方ですし、安心して読めるはず。
主人公っぽい、ヒロインっぽい考え方の役に立つと思います。

勝手な判断により、お勧め本の意に沿わない結果になったかと思います。
ガチガチの本が必要ならリクエストください。
私には理解不能の本も含め、ある程度はあげられるかと思います。
ではでは、執筆頑張って下さい。

カテゴリー : キャラクター スレッド: 創作クラスタのための心理学の参考書

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元記事:創作クラスタのための心理学の参考書の返信

ありがとうございます。統計については教材を借りて別で勉強するつもりでしたので、どんどんお教えください。

上記の回答(創作クラスタのための心理学の参考書の返信の返信)

投稿者 あざらし : 0 投稿日時:

より専門的なものを求められている、ということでよろしいでしょうか?

統計を勉強されるということですので、まずはそちらから一冊だけ。
【新谷歩著:今日から使える 医療統計】
ド文系でも解った気分になってしまう本。
これは実際スゴイことだと思います。
少なくとも数字から読み取る考え方が一新されました。
二度、三度と読みこめば本当に解る(と、思います)

これ以上のレベルは投げ出しますので、お勧めできるかどうかの判断も出来ません。
続きまして本題のガチガチの専門書。
統計と論文を求める、つまりはエビデンスであり医学になっていきますので、専門書の例に漏れず高価な書物です。
空ぶりを防ぐ意味で必要性の高いものから順に書いておきます。
以下、共著のためタイトルのみ記載します。

【ヒルガードの心理学 第16版】
入門書であり教科書です。
屋台骨ですので以下のお勧め本を読まれる前にどうぞ。この本を飛ばして先に進むことをお勧めしません。

【DSM-5 精神疾患の診断・統計マニュアル】
後述のカプランとセットにして読まれるのが良いでしょう。
辞書的な意味合いも強いのですが、論理や統計を求められるのなら役に立つはず。
臨床目的ですので、恣意的な読み方をすると弊害のみが際立つ悪書になりかねませんのでご注意を。

【カプラン臨床精神医学テキスト DSM-5診断基準の臨床への展開 第3版 】
手にした途端、分厚さに引きますが辞書なので致し方なし。
前述のDSMと事実上の対です。
個人差もあるでしょうが、ペラペラと捲って興味を持った知識をさらに他書に求めるなら、こちらの方が面白いと思います。

とりあえず必読レベルを三冊抜き出しましたが、他書籍を中る道案内として十分に役立つと思います。
が、大前提となる専門書に手を出す動機を固めることを強くお勧めしたいところです。
知識は凶器でもあります。
万人に対してとは申しませんが、日常生活の営みに不安無くとも精神的に不安定な人にとっては恐ろしい凶器にもなります。
そして精神的に不安定な時期、肉親を亡くしたり、自身の尊厳が著しく侵害されたりといった強いショックにあれば、誰しもにとって、時系列を現在に限定しなければ、かろんさんご本人にとっても凶器となり得る危険を内包しています。
知識は凶器でもありますが、精神医療にとっては素晴らしく切れ味のよいメスです。精神疾患という病巣に差し込まれるメスが健康な部位に影響を与えることのないよう、ご留意ください。

そのために番外変として一冊。
【ヴィクトール・E・フランクル 著:夜と霧 (新版)】
あえて説明はしません。

ではでは執筆頑張って下さい。

カテゴリー : キャラクター スレッド: 創作クラスタのための心理学の参考書

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元記事:作中の障碍者の扱いについて。

 どうもこんにちは。壱番合戦 仁です。

 前々から世間で疑問視され続けていた重大なテーマについてお聞きしたいと思います。

 ズバリ!

 『障碍者を使って泣ける話を作って、自慰行為するなッ!!』
 はい、これまんまの話です。障害を持った人が主人公のドラマとか、映画って、見ていてなんか違和感ありませんか?でも、僕からしてみれば、よくよく見るとどう考えても、『疲れた健常者のために作られている』としか思えません。当事者にこれっぽっちも優しくないんです。
 すこし福祉の心得がある人ならすぐわかると思うのですが、当事者からしてみれば『いつも通り生きているだけなのに一挙手一投足に感動すんなよ。ウゼェな』というのが本音なのです。
 特に挙動や振る舞いが健常者にかなり近い(流暢に会話する、空気はそこそこ読める、的外れだけど気を使うくらいはできる、集団行動は訓練したから後天的にできる、身だしなみも気を付けている、常識も気にしている)僕の様な「アスペルガー型」からすると、偏見以外の何物でもありません。
 ああいったものばかりが世に出回っているおかげで、僕たちの認知が一向に進まないのです。実に腹立たしい。
 実際、僕はそういったお涙頂戴物のドラマなど見ません。カナー型自閉症の男の子の恋が【健常者の女性に対して】実ったみたいな話は、制作者の意図が透けて見えて、反吐が出ます。
 また、アニメや漫画での障害の扱いは非常に軽いと思います。例えば、「アルプスの少女ハイジ」。

 クララが立てるようになるシーンは名作と言われていますが、そもそもクララはシリーズの途中で足が完治します。あとは本人が立てるようになるだけなのに、心療内科的な症状で立つことができません。そこを友人であるハイジらが励まし、彼女は障害を乗り越える。これだけならいいのです。この作品はきちんと障害に向き合った上で乗り越える様子を丁寧に描写していたはずです。

 ですがしかし、【本当にそれは、障害という設定を使ってまでやっていいことだったのでしょうか?】

 古来、物語において、キャラクターの『足や腕、または心の機能を取り戻す』というのは、自らの忌むべき過去との対決を意味しました。ですが、現実の多くの障碍者にとって、後天性なら自らの障害にまつわる忌むべき過去はあるかもしれませんが、もう今となってはどうしようもないことなのです。【現代医学では治せない】【ほぼ一生治らない】から障害なのです。「障害を乗り越えるべきものととらえるなど、烏滸がましいにもほどがあるのでは?」と少なからず疑問を覚えてしまうのです。
 僕は『障害を抱えたまま、成長していくこと』については大賛成です。それが本来の障碍者の讃えられるべき生き様だと思うからです。だから僕は、僕の異世界冒険記、改め、「イドラとユクサー」を書いています。
(ちなみに以前の質問で『私はただ夢が見たいだけ』とおっしゃっていた方もいらっしゃいましたので、あくまでその人も、僕も、一意見にすぎませんが)皆さんは障碍者を物語の中心に据える場合、どんな書き方をしますか?また、この命題に皆さまはどんな考えをお持ちでしょうか?

 倫理的な問題につながっているので、参考にしたいです。

 回答を心よりお待ちしております

上記の回答(作中の障碍者の扱いについて。の返信)

投稿者 あざらし : 2 投稿日時:

所感を綴ります。

>障碍者を使って泣ける話を作って、自慰行為するなッ!!

桂香さんも書いていらっしゃいますが、いわゆる感動ポルノですね。
この問題の難しいところは発信者側だけの話しではなく、受け取り側のとらえ方でも変化するという点でしょう。

同じ物語でも、
Aさんは「感動した、素晴らしい作品」
Bさんは「感動ポルノで唾棄すべき作品」
当たり前の出来事です。
本質的には、ですが、作品に対する評価ですから、それは作品を味わった人それぞれが判断することです。
障害を扱うということに特異性を持ちやすいだけで、本質的には、あくまで根っこの部分としてはどの作品も変わりはありません。

もちろん例外『中身以前に大前提として首を傾げる』というのは存在します。
感動ポルノという言葉を日本で広めるきっかけになった番組でもありますが【24時間テレビ】ですね。
本当に募金を募ることが目的のひとつにするならば、
『TV局はCMによって得た収益を寄付』
『お金の流れ、システム的に必要となる広告代理店も収益の一部を寄付』
『出演者はボランティアでまかなう』
これを満たすべきですが、そうはなっていません。ゴールデン30秒のCM料金がおおよそ1000万ですから、募金金額が2億やそこらでは、収益が目的の商売だと思われても仕方ない。

内容も、個人的に品位があるとは到底感じられない作り、はっきり言えば下品ですが、個人的な拒否感と社会的意義は別枠で考えるべきだと思うのです。
『番組の存在により募金したであろう人の存在』
『番組がきっかけとなり、障害者の存在を意識したであろう人の存在』
この存在がゼロで無い限り、社会的意義もゼロではない。
「1000を1200にする」ということより、「ゼロを1にする」ということは遙かに困難ですから、人の行動のきっかけになる限り、手法を完全否定することも私は出来ません。
いかな手法、自己矛盾を孕んでいてすら、受け取り側である視聴者によって肯定されれば、その結果が単純に社会通念上でも『善いこと』になっていくのではないでしょうか。
感動ポルノ、これそのものが現象を指す言葉であって、特定の作品を示すべきではないと私は思うのです。

>また、アニメや漫画での障害の扱いは非常に軽いと思います。例えば、「アルプスの少女ハイジ」。

そもそもアニメのハイジは子供向け番組として作られています。
物語の内容が全て理解できなくとも、幼稚園にあがる頃には十分に楽しめますし、元々はそういった幼児でもみることができ、小学生になれば話しの隅々まで見ることができるように作られています。

アニメは1970年半ばの作品です。
今日でもそうですが、小学生にせよ幼児にせよ、日常生活で「歩けない人」に接する機会がどれぐらいあるでしょう? 
もちろん祖父母が車いすを使っているならば、それなりに機会があるでしょうが、そうでなければ街中で見かけるだけで『ほとんど存在を認識していない(実感できない)』という場合もあるでしょう。
視聴者からすればクララという『同年代であったり、お姉さんの年齢で歩けない人がいる』ということをアニメを通して実感する、これは大変に意味のあることだと私は思います。
ハイジはクララと初めて合ったとき「歩けないの?」と聞きます。大人だったら聞きません。
でも、子供であるハイジは聞くのです。
残酷であると受け止めることもできますが、真実の意味でフラットな反応と受け止めることもできますし、見ようによっては確かに軽いと見ることも出来ますね。
いずれにせよハイジにとってはクララを特別視するためではなく、今後の『日常』としてスタートだと思います。

>本当にそれは、障害という設定を使ってまでやっていいことだったのでしょうか?

私は子供に見せるアニメとして、障害者の存在を隠すより、よほどよいと思います。
クララが歩けないのは原作の通りです。
原作で歩けないクララが、アニメでは歩けることになっている。
こうなってしまうなら大問題でしょう。

>「障害を乗り越えるべきものととらえるなど、烏滸がましいにもほどがあるのでは?」と少なからず疑問を覚えてしまうのです。

ハイジの場合を先に書きますが(作中で明示されていませんが)転換性障害、機能性神経症状症、ひょっとすると脳の機能障害(もしくは併発)かも知れませんし、お嬢様でかごの鳥状態ですから日光の不足、ビタミンD欠乏による”くる病”かも知れません。
原作が書かれた19世紀だと、ひっくるめてヒステリーと呼称されてもおかしくありません。(日本語での語感、感情をコントロールできなくなっている状態、の意味とは異なります)
ぶっちゃけ当時も快癒する可能性がありますから、周囲と本人が治って欲しいと思い、それに伴った行動をするのは至極真っ当だと私は思います。
治る可能性が感じられる限り、そりゃ周囲も乗り越えるように手助けするでしょう。
ハイジもそうしていたと思いますよ。(ペーター、だったかな? 車いすを壊してしまうという行動も心理としてよいメタファーになっていたと思います)

さて。
個人的に、健常者は障害を持っている人を特別視するのではなく、そういった個性であると認識するべきだと思っています。

そう特別なことだと思わない方が良いと思うのです。
当たり前ですが、嫁さんは私より力がありません。
『男性に比べて女性は重労働には向かない』という産まれ持った性差による個性です。
ですので買い物に行ったら荷物は私が持ちますし、階段でベビーカーを苦労して持ち上げている女性がいたら『持ちましょうか?』と声をかけます。

目の不自由な方は『視覚情報に頼ることができない』という個性です。
ですので『私が代わりに見ることで助けにならないか?』を訪ねます。
同じことなんです。

昨今、アメリカでは障害者のことを先天・後天性に関わらずChallengedと呼称する文化が根付いてきています。
これは単純なポリティカルコレクトネスとは明確に異なります。
今日的には差別用語より若干マシ『(少なくとも公的な場では)つかうべきではない言葉』になっていますが、それ以前は障害者を意味するDisabledpersonやHandicappedです。
日本でなら外来語としてのハンディキャップですね。
スポーツ等でも使いますが『不利な条件』を示します。
つまり『健常者を平均としてのハンディキャップ』であり、人間に使うにはあまりにもネガティブです。

Challengedというのは、無理矢理日本語にすると『(神により特別に)挑戦する資格を与えられた人』です。(言葉の背景にキリスト教の価値観が関わります。あの国は、あの科学技術をもってして、人口の半分が進化論を拒否するぐらい生活の基盤で神の存在が普通のことです)

この言葉の重要なところは、
健常者にむいては『ネガティブに特別視するな。かわいそう、それが差別が無くならない理由』
障碍者にむいては『(神に特別に選ばれた)チャレンジドであることに誇りを持って生きよう』
こういった意味を内包しています。
健常者が乗り越えろと考えているのではなく、障碍者自身の望みでもあると私は解釈しています。

不慣れな土地で道に迷っている人と一緒。
自分で解決できそうな人に案内を買って出るのは不躾ですが、困っているならば助けるべきでしょう。
『自分で解決すべき』とは思いませんし、かといって『過干渉すべき』とも思いません。
道に迷っている本人の意思、本人の自由で判断することを、案内人は尊重するべきだと思います。
チャレンジドの方にも同じスタンスで行動すべきだと私は思います。

>皆さんは障碍者を物語の中心に据える場合、どんな書き方をしますか?また、この命題に皆さまはどんな考えをお持ちでしょうか?

私は執筆しない単なる読者ですので、その視点で書きます。
障碍に限らず、万人に画一的な答えを当てはめられない問題は世に五万とあります。

例えば、死刑制度。
賛成派・反対派が存在する以上、扱いが難しいですよね。
いずれの発言にも納得できる部分はあります。
もちろんケースバイケースによって異なりますし、問われたタイミングで答えが変化することもあります。

こういった万人が画一的な答えを持っていない題材を扱う場合、
ストーリーは登場人物を利用して可能な限りフラットに。物語を通して読者の心に発生した感情を作品のこたえにする』これがベストだろうと思います。
著者が発表した時点で、それは著者の手から離れ、個々読者にとっての作品に変わります。結論部分は読者にゆだねてよいのではないでしょうか。

品がないと感じるのは『制作者により予め用意された解釈による結論の押しつけ』
この結論を『感動』にすれば、安っすい邦画によくあるパターンです(笑)
こういうのは、鼻で笑い飛ばすぐらいしか反応できません。
こんなの態々時間を使って読ませるな、という話しです。

一本だけおすすめ映画を。
先日も放送していましたが【この世界の片隅に】
原作の同タイトル作品【こうの史代著】をかなり忠実にやってますので、漫画で読んでもよいと思いますが、アニメもよく出来ています。
安っすい著者や監督がやると、『鼻で笑い飛ばすしかない』題材を、流石の手腕でお見事に調理しています。

カテゴリー : 創作論・評論 スレッド: 作中の障碍者の扱いについて。

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元記事:漢字の開き方について

漢字は開いたほうが読みやすいというのを聞いて、なんでもかんでも漢字にするところから卒業しました。
難読漢字厨から卒業できたのはいいのですが、開くことによってひらがなが続き、読みにくいなと感じる場合は皆さんどうしているのでしょうか?
そこだけ変えてしまうと、『表記ゆれ』ということになりますよね?
また、ひとり、1人、一人は使い分けるようですが、同じ文章内に混在してもよいものでしょうか?

上記の回答(漢字の開き方についての返信)

投稿者 スイ : 0

 つまりは、「文法の最小単位」とでもいうのか、いわゆる「形態素(けいたいそ)」を、「スっとばしてしまう」こともなしに読んでゆける、いうなれば「可読性(カドクセイ)に優れた」といったような「文章」が、書ければいいのですよね。
 
 あたかも読者にとっては、どう書かれると、「わかりづらい」のか、それに留意しながらも、「読みやすい(と判断しうる)」のであろう「叙述」を、連ねてゆきたいのです。
 そんな文章を書いてゆける「技術」をつけるのには、つねに「考えて」ゆく毎日を重ねるほか、ありません。
 
 普段のシゴトからしても、人と「協働」してゆくからには、必ず「相手」がいますからね。
 そもそも「伝える(あるいは、隠す)」のには、どういった表現をしたらよいのか、それを徹底的なまでに、考えてぬいていってください。
 
 いわゆる「漢字」を開くのにしても、そのコツとしてあるのは、文字を連ねることによる「伝達」の、いわば「合・目的性」を適えるため、なのですからね。
 
 なるがゆえ、まずは「その文章」を書いてゆく「目的」をハッキりと定めることが、「第1」にあります。
 そのつぎに、日本語における「文法」と文章表記との関係を、つきつめて考えておくことが、「第2」なんですね。
 
 だけれども、この「第2」である「文法と文章表記」は、カナリ難しいので、大変ですよ~! 
 ジブンは考えぬくのに、かるく「10 年」ほど(あるいは、それ以上だった!)かかりましたからね……。
 
     (^_^;) 

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: 漢字の開き方について

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元記事:プロットはできたけれど……

はじめて質問させていただきます。

先日ようやく自分でも面白いとおもえるレベルのプロットを作ることができました。

しかしいざ文章へといったところで全然ペンが進みません。

さまざまな参考資料や文章の書き方のような本を読みましたが、プロットの重要性、作り方までは丁寧に書かれていてもそれを文章にする方法が書かれていません。

なにかプロットを文章に変化させるコツなどがあれば是非教えていただきたいです。

上記の回答(プロットはできたけれど……の返信)

投稿者 長巻 守宮 : 2

初めまして、長巻ヤモリです。

プロットをいかに文章に起こすか、むずかしいですよね。
かく言うヤモリも、いつも文章の構築に苦戦し、執筆が進まず苦悩しております。

ですが、ヤモリが執筆の際に心がけてる事があります。
これは完全な自己流ではなく、あるラノベ指南書の受け売りですが、簡潔に申しますとそれは、頭の中に絵を思い浮かべる事を忘れない様にするのが秘訣なんだそうです。
そこから、登場人物の表情や動作、心情の変化等をイメージし、その様子を文章として表す、つまり、頭の中で浮かべたその情景をあなたなりの言葉で表す、あるいはその光景を見てあなたがどう感じたか、という率直な感想な気持ちを言葉にすれば良いとの事です。
ヤモリもそうやって、頭の中に場面を浮かべ、登場人物に会話をさせてみたり、動かしたりして言葉を見つけ、紡ぐ書き方をしております。
的確なアドバイス、とは少々異なってしまった様な気がしますが、僅かなりとも参考になれば幸いです。
執筆が成功すると良いですね。

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: プロットはできたけれど……

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投稿日時:

元記事:物語の終わり方と受けるか否かについて

はじめまして、雨降りと申します。
私は今現在SF要素(未来や過去、並行世界など)を混ぜ込んだラブコメを書いているのですが、物語の終わり方に悩んでいます。
マルチエンディングというべきなのかは判りませんが、ヒロイン1〜3までの誰か1人と付き合い、共に物語の命題や困難を乗り越えて終幕! という、いわゆる美少女ゲームのエンディングのような形で締めたいのですが、やはりこのような「物語の終わり方が複数ある」タイプの小説は受けないのでしょうか?

上記の回答(物語の終わり方と受けるか否かについての返信)

投稿者 ヘキサ : 1

なろうでもいくつか見たことありますよ。流行りにはなっていませんが。
他の方も仰っていますが、R18との相性がよく(要するにお好きな相手とどうぞ、ということで)、最初からそういう意図で書かれているもの、本編終了後にサブキャラに人気が出過ぎたのでそちら方面へのファンサービスで書かれたと思われたもの、などがありました。

前者は全体として短めだったので「そういう試みで書かれたんだな」と思っただけでしたが、後者は本編のほうがしっかり長編のハッピーエンドだったため「本編で思いっきりフッたサブキャラとの話出されても……」という気持ちになることもあったり。

他には、恋愛系というわけではなく「ここが運命の分岐点」というような状態でハッピーエンド・バッドエンド二通りあるものがありました。どちらも決して面白くないわけではなかったのですが、選択肢が妙に理不尽に思えたので(相手をしっかり気にかける行動を選んだほうがバッドエンドだった)、読後にモヤモヤ感が残らなくもなかったり。

……とかいいつつ、自分もIFバージョンを書いたものがあります、本編を書き終えてからいちばん迷った分岐の可能性があった箇所がずっと気になって書いてみました。それは結局のところ本編と同じ方向に行きついたのでその時点で筆をおきましたが、他人に見せるかどうかということになると悩みます。

ヒロイン3人というと、fate/stay nightのようにギリギリ飽きない構成にできるか否か、といったところかと思いますが、ノベルゲームのような体感を小説でも感じてもらえるか、というところでは難しいかも、という気がしています。
一作くらい試みるのはいいんじゃないのかな、くらいには思っています。

カテゴリー : ストーリー スレッド: 物語の終わり方と受けるか否かについて

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