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あざらしさんの返信一覧。最新の投稿順19ページ目

元記事:頭のいい人の思考を再現するには

こんにちわ、にごり酒と申します。

今書いているノベルに、非常に頭の良いキャラクターがいます。賢者のような人なのですが、こういったキャラクターが頭を使ったり、本当に言いたいことを遠回しに言ったりするときに会話する描写を皆様ならどのように描かれますか?

拙い質問文ではありますが、もし宜しければご教授いただけると幸いです。

上記の回答(頭のいい人の思考を再現するにはの返信)

投稿者 あざらし : 3 人気回答! 投稿日時:

頭が良いという共通項があっても性格は様々、会話も描写もにごり酒さんが作られたキャラクターに合ったものとしか言えませんし、そもそも書き手じゃないので控えます。

ですので、ご質問から感じるところをいくつか。
世間一般で『頭が良い』というと、勉強が出来る。具体的には偏差値が高い人と同義になってるようにも感じますが、これは結果論です。
勉強に専念できる環境にあった人が、勉強を習慣づけて継続することができるということが大きく作用しますから、家庭環境にも起因します。

たとえば聖徳太子と現代の高校生が数学のテストをやれば、まず間違いなく高校生の方が点数は良いはずです。
5世紀の人間が現代数学を知っているはずがありませんから、聖徳太子は問題の意味を理解することも怪しいでしょう。

ではなぜ聖徳太子に”頭が良い”というイメージがついているかというと、代表格は10人~30人の人が同時に話したことを聞き取り、理解できた、という豊聡耳にまつわる逸話です。
これを現代風にいうと、まぁ耳が素晴らしく良いのは間違いありませんれど、それよりも特筆すべきはIQとEQが極めて高いということでしょう。

よくあるたとえ話ですが、車でいうとIQはエンジン性能。
アクセルを開けたときにどれだけの回転数、その恩恵として速度を得られるか、ということです。
対してEQは制御能力、コントロール性能。
ハンドリングやブレーキといった、猛スピードで走る車をコントロールする能力です。
どちらも高性能で、初めてレーシングコースを短時間で周回できます。

頭が良いというのは、普通の人間が10分かかることを数秒で終えてしまう。
加えて、普通の人間は一つの問題を解くのが精一杯なところを、同時に数種の問題を解決してしまう並行処理をやってのけるようなことだと思います。

で、これ、小説では充分に可能だと思うのです。
にごり酒さんが三日悩んで書いた会話と描写、仮に五行だとしますが、

>非常に頭の良いキャラクター ~中略~ 本当に言いたいことを遠回しに言ったりする

これを読者が読むのは一瞬ですよね。五行なんて誰でもすぐ読めます。
読めますが、頭が良い人がやってのける『常人を遙かに上回る速度での処理速度とマルチタスク』に、にごり酒さんがかけた時間は解りません。
著者が3日悩んでも、キャラクターは一瞬でやってのけてるわけです。
充分に頭の良いキャラクターを作り出せるのではないでしょうか?

頭が良い、というのは他にもありますが、IQとEQに関しては著者が時間をかけてでも悩むことで実現可能かと思います。

最後に。
友人にメンサの会員がいるのですが、飲み会での印象的な言葉をひとつ。
「(仕事が)楽しくて仕方が無いならともかく、そうじゃなければ会社員なんてやめればいいのに。そんなに暇なら(金が目的なら)さっさと起業すればいい。すぐ死ぬ(残り100年はないの意味)のにモッタイナイ」
EQと忍耐力はたぶん人並みだし、言われた人は会社員を続けてます。

カテゴリー : キャラクター スレッド: 頭のいい人の思考を再現するには

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元記事:主人公の過去描写のタイミング

主人公の過去を描写するタイミングについて質問があります。
主人公の目的や考え方に関わってくるので必須なのですが、物語の途中で入れることが難しそうです。
このような場合、最初に主人公の回想を入れるのはアリですか。
ご教示いただければ幸いです。
また、最初に入れるとしたら、何ページくらいに抑えるべきですか?

上記の回答(主人公の過去描写のタイミングの返信)

投稿者 あざらし : 1 投稿日時:

お悩みを解消するために。
まずは『主人公の過去話を挿入するタイミング』で悩んでいるのではなく、『物語の始め方』と『構成』の問題だと認識された方が良いように感じました。
そもそも全ての物語は、クライマックスである物語のピークを主体にすれば、冒頭は過去話だと見ることもできます。
つまりは主人公の過去話だと感じてしまう時点で、冒頭が物語から地続きにならずに浮いてしまっているのかも知れません。
主人公という、ひとりの人間の人生に影響を与えるほど大きな出来事で、物語に必須ならば、それは見せ方の問題で、本来読者のハートをつかみ取るエピソードになるはずです。
”おそらくは”と付け加えますが、kwsrさんの質問を読む限り、ご本人も構成として『なにかおかしい』という直感が働いていらっしゃるようですし、おそらくそれは間違いないのだろうと思います。
(これより以下は細かい説明ですので、必要ならばどうぞ)

仮に物語の開始時点が『主人公10歳』
物語の本編が『主人公17歳』だとしましょうか。
この場合、小説を冒頭から読み進める読者から見れば、本来過去話ではなく単に時系列に並んでいる出来事です。

一方、物語途中に挿入すると、これは疑いようもなく過去話になります。
主人公が語り出せば女々しい印象をつけてしまいかねませんし、もし芯の強いヒーロー然とした性格なら整合性がとれなるかも知れません。
こういった転び方をすればシーンとしても、物語としても浮いてしまいます。

主人公10歳時点でのエピソードに読者のハートをグッとつかみ取るだけのパワーがあるならば、冒頭に使用しても全く問題なく、むしろ古典的なパターンです。
手垢のついたやり方ですが、時間の乖離、エピソードと本編の接着剤は『――それから○年後』というやつですね。

方法をいくつかあげておきます。(極力ネタバレは避けますが、気になる方は読まないでください)

現在までを時系列できっちりと並べるのは、とくに映画で使いやすいパターンですが変化球として使う方法もあります。
例えば【園子温監督:愛のむき出し】
主人公の子供時代、母親がお祈りの最中に妙な咳をするシーンから始まり『母は、僕が小学生のときに死んだ』というナレーションから、(本編主人公視点で)これまでの半生で印象的だった出来事を振り返り、今日を作り出している人格を炙り出すというやり方です。
この映画は変化球の連続で、映画文法をことごとく崩していくので参考になるのではないでしょうか。
三人の主要人物の半生を、現在の一点に収束していき物語本編に点火させる方法は映画的ではありますが斬新かつ印象的です。

小説で変化球ならば【山田宗樹著:嫌われ松子の一生】
新聞記事(直近過去)で始まり、甥の手によって(現在)、松子という女性の生涯(過去)を炙り出す、という構成になっています。

物語本編の主人公が過去を振り返る方式で始まるならば、たとえば【桜庭一樹著:少女には向かない職業】
引用~ 
中学二年生の一年間で、あたし、大西葵13歳は、人をふたり殺した。夏休みにひとり。それと、冬休みにもうひとり。
~引用終わり
極めて小説的な書き出しですし、読了すれば冒頭との絡みが参考になると思います。
キャッチーな冒頭で、最低限の決まり事、おおまかな小説のジャンルも語っていますし、短文でありながら『あたしの現在年齢』『あたしの名前』『時間の開きから計画性殺人の予感』という情報量もあります。
過去そのものが本編であり、現在の”あたし”は本編から見れば未来という位置づけですので、ひとりの人間を決定づける出来事の大きさ、エピソードの大切さを逆説的に読めるかと思います。

まるっきり過去エピソードで始めるなら【秋山瑞人著:龍盤七朝 DRAGONBUSTER 】
引用~
遠い昔、老人は”竜”をみたことがある。
~引用終わり
この後、厠から這い出てきた糞まみれの女が砦の一群を双剣で壊滅させるエピソードへと続くのですが、回想シーンである移ろいゆく記憶をエピソード内での時系列の揺れを利用しつつ、事件後の老人の半生の片鱗を見せながら、年老いても決して忘れることのない強烈な印象が生々しく想起されます。
主人公の過去ではなく、つまり視点移動のある小説ならではですが、物語の根幹である”竜”を読者に強烈に印象づけることに成功しています。

いくつか例を交えましたが、読者の興味を引きつけ、物語の推進力に成り、読者へのサービスになるならば、過去話から始めることには全く問題を感じません。
例に出したのはごく一例で、やり方は先人が作り出した方法だけでも色々ありますので、物語全体を見渡し、構成として最も行かせる方法を考えてみてください。

最後になりますが、気になったことを。

>主人公の目的や考え方に関わってくるので必須

この点です。
――主人公の目的
――主人公の考え方
どちらも過去話に拘らずともエピソードを利用し、物語中のリアルタイムで語れることです。
『過去話は出てこないが、キャラクターの半生が人格を通してぼんやりと見える』
これは小説は無論、漫画でも映画でもプロ作品では普通にやってます。全くやってないのは三流の監督と脚本家が、数字を取れるタレントを使って撮る盆暗ドラマぐらいです。これは制作者がポンコツであるが故に、そうとしか造れないパターン。
もうちょっと追求すると、家事をしながらでも見た気になる(させる)テレビドラマで意図的に使われる手法、要するに頭を使わずとも満足感を与える必要があるならば『直接的に伝わりやすく』することは決して否定しません。
それはそれで、制作者が意図的に使う立派なやり方です。漫画だとヤング誌では少なく、少年誌によく使われます。
代表的には【吾峠呼世晴著:鬼滅の刃】が過去話を組み込んだ成功例ですね。敵側の事情も読者に伝えることが売りのひとつになってます。
目新しい手法ではありませんが、あそこまで徹底すると斬新になってしまうという好例ですし、印象が強いだけに下手に使うと『鬼滅っぽさ』が匂ってしまいかねないほど強烈になってます。

一方、直接的に伝わりやすくする手法に対して、想像させることで伝える手法。
こっちは物語から撤退しない、言い方を変えると物語を楽しませる以前に収益を得ているメディア、映画も小説でもスタンダードな方法。
手っ取り早くは金獅子賞だとかアカデミー賞、ドラマでもなじみ深いところだとエミー賞、こういった作品は軒並みそうです。

で、ライトノベル的な小説の場合、どちらもあります。
ライトノベルでヒットを飛ばす作品だと、直接伝える部分を抑え気味に、伝える場合はサービス重視の感、より読者を楽しませるためが多少強いでしょうか。
これは小説というジャンルにある以上、もともと読者と想像を切り離せない部分が手伝っていると思います。

見せ方を熟慮され工夫を見せられるならば、良い悪いではなく、どちらが相応しいのかはkwsrさんの筆致と作風で決定されるて良いかと思います。
長々と書きましたが、疑問を感じたら、そう感じた己の感性を信じ、逆説的に洗い出し、新たな手法を開発するというのは、クリエイターの常套手段です。
執筆頑張ってください。応援いたします。

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: 主人公の過去描写のタイミング

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元記事:「創作は競争ではない」はどこまでが真実でどこからが嘘なんですか?

前に他の作家さんの文章力が高すぎて嫉妬する、
という相談をネット上(ここではなく)でしたところ、
「気にしなくていいよ、別に物書きの道は競争じゃないんだから」
と言われたことがあるんですけど、
競争ですよね?物書きの道って。

「物書きの道は競争じゃない」が真実だったら
新人賞でデビューをかけて何千人も応募して審査されて競ったりしないはずだし、
デビューしてからも生き残りをかけて売り上げを競ったりしないじゃないですか。
そもそもアマチュア作家の集まる小説投稿サイトからして、
作家たちはランキングで競争してますし。

それなりに実績のあるライターさんの発言だったので、
理解の足りない素人の発言として見過ごすこともできなかったのですが、
結局「創作は競争ではない」はどこまでが真実でどこからが嘘なんでしょうか?
純度100%の真実ではないことは確実だと思いますが。

あと「プロの作家も最初は下手だった」も純度100%真実、ではないですよね?
本当にそうならなんでデビュー作でいきなりアニメ化する作家がいるんだという話ですし。
最初から上手いじゃないですかあの人たち

上記の回答(「創作は競争ではない」はどこまでが真実でどこからが嘘なんですか?の返信)

投稿者 あざらし : 2 投稿日時:

そもそも”競争”というのは、他者と優劣を競うことです。
この一点に関して創作は競争ではないというのは、業種が違うので80%ぐらいとしますが真実です。
クリエイティブ系の職種に競争とか優劣って、あんまり関係ありません。強いていえば血気盛んな若輩時代に多少あるぐらいでしょうか。

人間は個々人が『興味のフィルター』を持っていると考えてみてください。
本が大好きで好奇心旺盛な人ほど”目の細かいフィルター”を持っていて、様々なジャンルの本をフィルターで引っかけます。
一方で全く本を読まない人は、フィルターと言うよりザル。流れてくる情報は引っかからずにどんどん素通りしていきます。

世が出版不況と呼ばれて久しいですが、これをフィルターに例えると『一般的にフィルターの目が粗くなっている』ということです。
米粒大じゃあフィルターに引っかからずに流されていくけれども、小豆大なら引っかかる人もいる、ということです。

米粒がいくら優劣を競ったところで意味はありません。
どうしたって米粒はフィルターに引っかからずに流れていくわけで、つまりは『読まれない』という事実です。
おまけに読者によってフィルターの目が違いますから、小豆大よりずっと大きくジャガイモサイズになる方がより多数に読まれるという意味で良いわけです。

はい。
米粒大の存在がジャガイモサイズになるか否か、これは本人次第です。
冒頭で書きました80%ぐらいの、残り20%がこれ。
大きくなるため、昨日の自分との競い合いです。
他者が介在する余地なんてなく、そんなヒマなことやってる場合じゃありません。

新人賞というのも同じ。
一次選考という目の細かいフィルターが、二次・三次と進むにつれてフィルターの目が荒くなっていく。要するに”世間のフィルター”に近づいていきます。
ラノベはあんまり聞きませんが、一般文芸だと『該当作なし』というのも珍しくありませんよね。
該当作なしというのは「残念! 今回はジャガイモがいなかった。どいつもこいつも小豆ばっか」ということです。

同時に、賞レースに引っかからずともフィルターに引っかかるというのもありますね。
『なんかコイツ、小ぶりだけどフィルターに引っかかる』パターン。
小さくつるんと丸くまとまっているのではなく、小ぶりでもウニみたいにトゲが引っかかって、すんなりとフィルターを通り抜けない。
ウニに限らず、ナマコでも、イカでも良いんですが、とにかく他者とは明確に異なる形状、個性を持っているとジャガイモほどのサイズがなくとも目にとまるものです。

これと似ていますが【プロの作家も最初は下手だった】というのは、下手は下手なりに『いずれ世に出る』という可能性でしょう。
最も大きく左右されるのはセンス。
センスについては、当人の職種とは異なる部分で磨かれていくものです。
デザイナーが他人のやったデザインでセンスを磨くなんてことをやっているうちは、間違いなく三流の作品しか作れません。
まったく違う業種に親しみ磨くのがセンスです。

出版社からすれば、デビューさせる時点で最低限「読むことができる」というレベルに持って行く必要があるでしょうし、そのレベルに達していないうちは書き直しがあるでしょう。
技術的なことは回数をこなせば誰だって身につきますから、その時点で著者本人にすれば『全くの最初』ではないはず。
デビュー作=全く最初の作品、というのは読者の錯誤だと思いますよ。

最後になりますが、ここからは全くの余談。
ちょっと関係する話ですのであえて書きますが、クリエイターが同業種他者の素晴らしい作品を観て『悔しい!』って思うのは普通です。
これが競争でないというのは、悔しいと思う全て自分の内側に向かってくるからです。他者との比較じゃないんですね。

こういう職種は、たぶん結構あると思いますよ。
例えば、飲食店だって『よその店と比較して、うちの店はどうか?』なんて熱心に追求しても仕方ないでしょ?
少なくとも私はそんな店より、他店との比較ではなく、自店が提供できる料理を美味しくすることを熱心に追求する店を信用しますし、行きたいです。

競争、比較というものに思考が向いてしまうのは、有り体にいえば学校教育の副作用かと思います。
高校までの学校教育、教育機関によっては大学も含めて、優れたプロレタリアートを作り上げるシステムにもなっていますから仕方ありません。
これは決して悪いことじゃありません。
多くの親御さんの人生での価値観が、安定した大きな会社という、俗にいう一流企業で賃金労働者階級になること、あわよくば役員になってくれればですから、教育システムもそれに併せられています。
枝葉を除いてひとことでいえば”競争社会”ですから、大義名分として『みんな平等』という価値観が加えられていますが、実質は学校教育そのものが競争です。
代表格が100点満点から減点方式での評価という、実にプロレタリアート的な手法ですね。

一方でクリエイティブ系の評価の本質は、0点からの加点方式です。
要するに200点でも300点でもありえるが、しかしマイナス加点もありえます。
プロレタリアートにとって下手すれば邪魔になりかねない、他者とは異なる唯一無二の売りどころこそが生き残る手段です。
学校教育で培った思考のベクトルからして変化させるほうが、余計な雑音が減り、真摯に向き合えるのではないかと思います。
ではでは執筆頑張ってください。

カテゴリー : やる気・動機・スランプ スレッド: 「創作は競争ではない」はどこまでが真実でどこからが嘘なんですか?

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元記事:小説+αを読んでも何も思わない

あれだけ分析する(前スレ)といって、ここには質問しづらかったのですけれど……とても。大したものではないと受け止められがちであり、リアルでもネットでも回答がもらえなかったため、ここに質問させていただきました。
気恥ずかしいです。

娯楽作品を鑑賞しても何も思わず、悩んでいます。
小説を読んで感想が思い浮かばないので、能動的に訴える媒体である映画を途中まで鑑賞しましたが、これでも感想が思いつきませんでした。

別に気にしなくてもいいと仰る方もいるかもしれませんが、作品を素通りしてエッセンスを得られないというのは、わりと重大な悩みだったりします。

その映画のレビューでは色んな感想がのっていました。ですが私には、物語でこのシーン良いな!とか、このシーンはないな…とか、そんな感情がありません。
雑念に囚われてるとか、頭では他のことを考えているとか、集中できてないというべきなのでしょうか?
特に映画そのものよりもあらすじやレビューを見たときのほうが面白そうに感じました。噛み砕いている表現だから?

この状態から脱するにはどうすればよいのでしょうか?
ご回答よろしくお願いします。繰り返すようですが、かなり恥ずかしいです。

上記の回答(小説+αを読んでも何も思わないの返信)

投稿者 あざらし : 1 投稿日時:

初めに。
丁寧な語句を選ぶより、口語口調を用いた方が書きやすいご質問でしたのでざっくばらんに書かせて頂きます。
わさびさんへの敬意を欠く意図はありませんのでご了承を。

正直ピンポイントでわからない。
原因として考えられることが多すぎるので、まず3つ。
1)分析より以前、良好な作品を楽しんで観る
2)判断を急がない
3)終着駅を考慮に入れる

細かく書く前にひとつだけ。
『レビューやあらすじを読む。』これは映画を観た後のことですよね?
もしも観る前に読んでいるなら、感動を薄めるだけですから、まずはそれを辞めましょう。レビューは映画を観た後で楽しめばよろしい。
元来こういったことは好き好きの話しですが、映画から何らかのエッセンスを求めるなら邪魔になっている公算が高い。
レビューもあらすじも他者のフィルター、しかも多くは個人のフィルターを通したものです。
他者の目ではなく、わさびさんの心で観て、感情を動かしてください。

世の中の映画を全て観るのは絶対に不可能ですから、どこかで他人のフィルターに頼ることにはなりますが「どの映画を観るか?」ということを決めかねてレビューやあらすじを読んでいるなら、世界三大映画祭のベネチア・カンヌ・ベルリン。
加えてアメリカで上映がされる映画に絞ったアカデミー賞。
いずれも歴史がありますから、これだけで数百本の映画がありますし、賞ですから多人数のフィルターです。
アカデミーは商業色も強いのでちょっと首をかしげることもありますが、それでも悪い映画にあたることはありません。
一応書きますが、ここらの賞を受賞する映画は娯楽映画です。感覚的な話しなので人によって異なりますが、娯楽映画から抜け出すのはテオ・アンゲロプロス監督あたりが第一歩。
好事家の類いになりますが、あえてクソ映画を観たいときはゴールデンラズベリー賞が参考になります。最低映画も、これまた楽しいものです。
あ、ちなみに映画は受動的だと思います。

では本編。細かく書きます。
『娯楽作品を鑑賞しても何も思わず』ということですので、感情を動かす、解りやすく感動に絞っていきます。
1)
そもそも良い映画・面白い映画を観ている?
これが真っ先に浮かんだ疑問です。
映画って『観てるときは最高に面白いけど、あとはなーんも残らん』ってのもありますし、『見終わってからが本番』というスルメみたいな映画もありますよね。
見終わったらなにも残らない映画、これはこれで良いのですが『どうあがいても時間と金の無駄』ってのもあります。
とはいえ人それぞれ、それこそ金返せ映画だって楽しみ方はあるんですが、心が動きようないのに感動出来ないのも当たり前。
まずはそこから。心が動くだろう映画を観てください。※後述します!

それと『映画を途中まで鑑賞しましたが』とありますが、これも原因になりえる。
映画はですね、基本的に映画館で商売しようとして造られています。
オンデマンドだとかブルーレイ、TV放送ってのも金が入りますがベースは映画館です。
映画館の初動興行収入がいまいちなのに後のヒットなんてのは、少ないながら実際にありますがプロデューサーなりがそれを目標として造れるのではなく、結果的に、の話しです。
要するに映画館ってのは、お金を払って入場するので物語の盛り上げ方が色々できるんです。極端には途中で退場する人がかなーり少ない。
小説や漫画とは違った手法でスポットライトを集中させることができます。
例えば【マイケル・チミノ監督:ディアハンター】(予告・・・あえて観ない方が良いと思います。ネタバレゼロで造るのも難しい内容。予告制作者の苦労が忍ばれます)
間違いなくいえますが、わさびさんの映画の鑑賞方法では絶対に感動しっこなく、それどころか面白くもない。
冒頭30分ほど下手すれば『退屈』という人もいますが、映画を最後まで見終わると超一級の名作を観たという感想に化けます。(私というフィルターだけでなく、おおよそ世間の評価も同様だと思います)
同時に退屈と受け取られかねない冒頭30分が非常に愛おしく、物語で瓦全と光り輝く意味を持ち、青春映画という顔も併せ持つようになります。

続いて2)
あらすじやレビューを読んでしまうという点からも感じましたが、ちょっとせっかちなんでしょうか?
物知りだろうと年寄りだろうと、世の中は既知で構成されているわけではなく、知らないことの方が多いのが普通で、感動のタイプもそれに所以されるケースがあります。

同様に大きな疑問ですが【吸血鬼カーミラ】というタイトルまで浮かんでいるのに、読んでいないという点。
『映画は観た』という意味かな? と考えたのですが、そこで1)の疑問が同時発生しました。(決して悪い映画だとは言いませんが、もうちょっと、ねえ)

せっかく興味が湧き【J・S・レ・ファニュ著:吸血鬼カーミラ】の雰囲気がお好きなら、是非読んでみてください。短編なのですぐ読めます。
『これは同性愛か微妙な線があるので』とのことですが、著者のファニュ氏は吸血鬼に性別はない、という前提で書いてます。人間から見れば同性愛でも吸血鬼にとってはそうじゃないというのもミソ。
要するに『同性愛』という結論を急いだために、好きになるかも知れないものを自分で遠ざけちゃってるんですよ。
こういった具合に自身の中で結論をつけ、せっかく感情が動くだろう出来事に積極的に蓋をしているような感じも受けました。

吸血鬼ものに興味が持てるなら【フランシス・フォード・コッポラ監督:ドラキュラ(原題Bram Stoker's Dracula)1992年】をどうぞ。
原題でおわかりの通りブラムストーカーの小説が原作です。
これ以前にもドラキュラは小説のネタとして数多くありますが、今日的な吸血鬼イメージの元ですね。
ヒロインのウィノナライダーは演技よりも、当時年齢が最高に合致していたのと絶妙なカメラワーク、そしてメイクアップ、なによりも監督のおかげでしょう。
『そりゃドラキュラに狙われるわな』という完璧なヒロイン、ミナを見ることができます。
少なくとも私にとってドラキュラ映画の最高峰です。おすすめ。
(予告 http://y2u.be/fgFPIh5mvNc)

さて。
1)と似ていますが、結構ありそうなのが3)です。
”好みの話し”とも近いですが、わさびさんにとって映画鑑賞は楽しみだけではなく訓練や勉強の意味がありますよね。
ならば好き嫌いは一回おいて良い映画を観てください。

ここで関係するのが映画の種類です。(ジャンルじゃありません、種類)
感動する物語って、映画では大きく2種類あります。
『読解能力が不要でボケーっとしてても大丈夫』
『観客が読解能力を発揮させるのが前提の造り』

決して”良い・悪い”ではありませんよ。
ただ、より大衆向けの位置づけなのは読解能力不要な作品。
映画で大ヒットする作品は、圧倒的にこちらが多いです。

感動に絞ってますので、それに沿いますが『耳に優しい言葉を発し、感極まって涙を流し、ここぞとばかり音楽で盛り上げる』
カメラも演出も全てが”誰にでも解りやすく”感動という地盤を盛り上げて噴火を目指すという造り方。
日本のテレビドラマも大半がこっち。大衆向けってのはリテラシー不要で誰にでも観られるということでもあります。
同時に、日本のドラマがつまらん、という声が囁かれて久しいですが、これが大きな原因のひとつ。解りやすさのやりすぎ。
映画でいえば、お手本がタイタニック。

一方で読解能力が必要な作品は『感動は、あくまで観ている人の心の中で発生させる』タイプ。
こっちは役者に演技が求められ、ストーリーラインがより重視されます。

ちょっと伝わりにくかったかも知れませんが、読解力が必要になる映画を観られることをお勧めします。
理由は簡単。
読解力が必要な映画を観ることができる人は、どっちのタイプも解る、分析しようと思えばできるから。
慣れれば映画の極序盤で終着駅(読解力が必要とされるか?)程度はわかるはず。
『いま観ている映画はどっち?』
この判読ができることが、まずは分析の土台に必須ではないかと思います。

最後に何本かアニメを。
【宮崎駿監督:風立ちぬ】
【片渕須直監督:この世界の片隅に】
ここ10年以内の劇場アニメ映画で大傑作。(という、個人的フィルター)
なおかつ読解力が前提になっています。(つまり読解力といっても、そう難しくないということが理解頂けるはず。当家の娘、小学生でもOKです)
ちなみに一般的な覚えもよさそうな10年以内の他作品、かつ一定レベル以上の作品をあげると、
【細田守監督:おおかみこどもの雨と雪】読解力不要。そう狙ってる。
【新海誠監督:君の名は。】ほとんど読解力いりません。監督の計算が光る。
【外崎春雄監督:鬼滅の刃 無限列車編】読解力ふよー。

なにも思わない、ということでしたので感動に絞りましたが、『なにか思うだろ?』という映画をまずは観てください。
それでもダメなら、また話しが変わってきます。
ではでは執筆頑張ってください。

カテゴリー : その他 スレッド: 小説+αを読んでも何も思わない

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元記事:小説+αを読んでも何も思わないの返信

初めに。
丁寧な語句を選ぶより、口語口調を用いた方が書きやすいご質問でしたのでざっくばらんに書かせて頂きます。
わさびさんへの敬意を欠く意図はありませんのでご了承を。

正直ピンポイントでわからない。
原因として考えられることが多すぎるので、まず3つ。
1)分析より以前、良好な作品を楽しんで観る
2)判断を急がない
3)終着駅を考慮に入れる

細かく書く前にひとつだけ。
『レビューやあらすじを読む。』これは映画を観た後のことですよね?
もしも観る前に読んでいるなら、感動を薄めるだけですから、まずはそれを辞めましょう。レビューは映画を観た後で楽しめばよろしい。
元来こういったことは好き好きの話しですが、映画から何らかのエッセンスを求めるなら邪魔になっている公算が高い。
レビューもあらすじも他者のフィルター、しかも多くは個人のフィルターを通したものです。
他者の目ではなく、わさびさんの心で観て、感情を動かしてください。

世の中の映画を全て観るのは絶対に不可能ですから、どこかで他人のフィルターに頼ることにはなりますが「どの映画を観るか?」ということを決めかねてレビューやあらすじを読んでいるなら、世界三大映画祭のベネチア・カンヌ・ベルリン。
加えてアメリカで上映がされる映画に絞ったアカデミー賞。
いずれも歴史がありますから、これだけで数百本の映画がありますし、賞ですから多人数のフィルターです。
アカデミーは商業色も強いのでちょっと首をかしげることもありますが、それでも悪い映画にあたることはありません。
一応書きますが、ここらの賞を受賞する映画は娯楽映画です。感覚的な話しなので人によって異なりますが、娯楽映画から抜け出すのはテオ・アンゲロプロス監督あたりが第一歩。
好事家の類いになりますが、あえてクソ映画を観たいときはゴールデンラズベリー賞が参考になります。最低映画も、これまた楽しいものです。
あ、ちなみに映画は受動的だと思います。

では本編。細かく書きます。
『娯楽作品を鑑賞しても何も思わず』ということですので、感情を動かす、解りやすく感動に絞っていきます。
1)
そもそも良い映画・面白い映画を観ている?
これが真っ先に浮かんだ疑問です。
映画って『観てるときは最高に面白いけど、あとはなーんも残らん』ってのもありますし、『見終わってからが本番』というスルメみたいな映画もありますよね。
見終わったらなにも残らない映画、これはこれで良いのですが『どうあがいても時間と金の無駄』ってのもあります。
とはいえ人それぞれ、それこそ金返せ映画だって楽しみ方はあるんですが、心が動きようないのに感動出来ないのも当たり前。
まずはそこから。心が動くだろう映画を観てください。※後述します!

それと『映画を途中まで鑑賞しましたが』とありますが、これも原因になりえる。
映画はですね、基本的に映画館で商売しようとして造られています。
オンデマンドだとかブルーレイ、TV放送ってのも金が入りますがベースは映画館です。
映画館の初動興行収入がいまいちなのに後のヒットなんてのは、少ないながら実際にありますがプロデューサーなりがそれを目標として造れるのではなく、結果的に、の話しです。
要するに映画館ってのは、お金を払って入場するので物語の盛り上げ方が色々できるんです。極端には途中で退場する人がかなーり少ない。
小説や漫画とは違った手法でスポットライトを集中させることができます。
例えば【マイケル・チミノ監督:ディアハンター】(予告・・・あえて観ない方が良いと思います。ネタバレゼロで造るのも難しい内容。予告制作者の苦労が忍ばれます)
間違いなくいえますが、わさびさんの映画の鑑賞方法では絶対に感動しっこなく、それどころか面白くもない。
冒頭30分ほど下手すれば『退屈』という人もいますが、映画を最後まで見終わると超一級の名作を観たという感想に化けます。(私というフィルターだけでなく、おおよそ世間の評価も同様だと思います)
同時に退屈と受け取られかねない冒頭30分が非常に愛おしく、物語で瓦全と光り輝く意味を持ち、青春映画という顔も併せ持つようになります。

続いて2)
あらすじやレビューを読んでしまうという点からも感じましたが、ちょっとせっかちなんでしょうか?
物知りだろうと年寄りだろうと、世の中は既知で構成されているわけではなく、知らないことの方が多いのが普通で、感動のタイプもそれに所以されるケースがあります。

同様に大きな疑問ですが【吸血鬼カーミラ】というタイトルまで浮かんでいるのに、読んでいないという点。
『映画は観た』という意味かな? と考えたのですが、そこで1)の疑問が同時発生しました。(決して悪い映画だとは言いませんが、もうちょっと、ねえ)

せっかく興味が湧き【J・S・レ・ファニュ著:吸血鬼カーミラ】の雰囲気がお好きなら、是非読んでみてください。短編なのですぐ読めます。
『これは同性愛か微妙な線があるので』とのことですが、著者のファニュ氏は吸血鬼に性別はない、という前提で書いてます。人間から見れば同性愛でも吸血鬼にとってはそうじゃないというのもミソ。
要するに『同性愛』という結論を急いだために、好きになるかも知れないものを自分で遠ざけちゃってるんですよ。
こういった具合に自身の中で結論をつけ、せっかく感情が動くだろう出来事に積極的に蓋をしているような感じも受けました。

吸血鬼ものに興味が持てるなら【フランシス・フォード・コッポラ監督:ドラキュラ(原題Bram Stoker's Dracula)1992年】をどうぞ。
原題でおわかりの通りブラムストーカーの小説が原作です。
これ以前にもドラキュラは小説のネタとして数多くありますが、今日的な吸血鬼イメージの元ですね。
ヒロインのウィノナライダーは演技よりも、当時年齢が最高に合致していたのと絶妙なカメラワーク、そしてメイクアップ、なによりも監督のおかげでしょう。
『そりゃドラキュラに狙われるわな』という完璧なヒロイン、ミナを見ることができます。
少なくとも私にとってドラキュラ映画の最高峰です。おすすめ。
(予告 http://y2u.be/fgFPIh5mvNc)

さて。
1)と似ていますが、結構ありそうなのが3)です。
”好みの話し”とも近いですが、わさびさんにとって映画鑑賞は楽しみだけではなく訓練や勉強の意味がありますよね。
ならば好き嫌いは一回おいて良い映画を観てください。

ここで関係するのが映画の種類です。(ジャンルじゃありません、種類)
感動する物語って、映画では大きく2種類あります。
『読解能力が不要でボケーっとしてても大丈夫』
『観客が読解能力を発揮させるのが前提の造り』

決して”良い・悪い”ではありませんよ。
ただ、より大衆向けの位置づけなのは読解能力不要な作品。
映画で大ヒットする作品は、圧倒的にこちらが多いです。

感動に絞ってますので、それに沿いますが『耳に優しい言葉を発し、感極まって涙を流し、ここぞとばかり音楽で盛り上げる』
カメラも演出も全てが”誰にでも解りやすく”感動という地盤を盛り上げて噴火を目指すという造り方。
日本のテレビドラマも大半がこっち。大衆向けってのはリテラシー不要で誰にでも観られるということでもあります。
同時に、日本のドラマがつまらん、という声が囁かれて久しいですが、これが大きな原因のひとつ。解りやすさのやりすぎ。
映画でいえば、お手本がタイタニック。

一方で読解能力が必要な作品は『感動は、あくまで観ている人の心の中で発生させる』タイプ。
こっちは役者に演技が求められ、ストーリーラインがより重視されます。

ちょっと伝わりにくかったかも知れませんが、読解力が必要になる映画を観られることをお勧めします。
理由は簡単。
読解力が必要な映画を観ることができる人は、どっちのタイプも解る、分析しようと思えばできるから。
慣れれば映画の極序盤で終着駅(読解力が必要とされるか?)程度はわかるはず。
『いま観ている映画はどっち?』
この判読ができることが、まずは分析の土台に必須ではないかと思います。

最後に何本かアニメを。
【宮崎駿監督:風立ちぬ】
【片渕須直監督:この世界の片隅に】
ここ10年以内の劇場アニメ映画で大傑作。(という、個人的フィルター)
なおかつ読解力が前提になっています。(つまり読解力といっても、そう難しくないということが理解頂けるはず。当家の娘、小学生でもOKです)
ちなみに一般的な覚えもよさそうな10年以内の他作品、かつ一定レベル以上の作品をあげると、
【細田守監督:おおかみこどもの雨と雪】読解力不要。そう狙ってる。
【新海誠監督:君の名は。】ほとんど読解力いりません。監督の計算が光る。
【外崎春雄監督:鬼滅の刃 無限列車編】読解力ふよー。

なにも思わない、ということでしたので感動に絞りましたが、『なにか思うだろ?』という映画をまずは観てください。
それでもダメなら、また話しが変わってきます。
ではでは執筆頑張ってください。

上記の回答(小説+αを読んでも何も思わないの返信の返信)

投稿者 あざらし : 0 投稿日時:

失礼。
映画ドラキュラのリンク間違ってましたので、張り直し。
http://y2u.be/fgFPIh5mvNc

カテゴリー : その他 スレッド: 小説+αを読んでも何も思わない

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元記事:次が読みたくなる文章が書けない

自分は二週間ほど前からカクヨムに小説を投稿していて(可憐な魔女、で検索すると出てきます。作者が弱気なところをあまり見せたくないので敢えてこちらから名前は出しません)、二話以降を読んでくださる方が大体20人に一人くらいの割合です。

自分でどの辺りが悪くて、どうすればいいのか分からなかったので、こちらに相談しにきました。

個人的に感じたことが三つほどあって、第一に、自分は視点の移動というか、普通は見せたいモノを配置するように空間を作って、文章に合うようカメラを動かしていく、といった具合に作ると思うんですが、自分はその空間を作るのが苦手で、つい飛ばしてしまうということ。

第二に、自分はSF小説の翻訳調みたいな文章が書きたいのですが、比喩などの加減がわからなくて分かりにくい文章になってしまっているということ。

第三に、冗長になるのを恐れて、説明を所々飛ばしてしまうということ。また、自分でも何が“説明できていない”のか把握できないということ。そしてそのためにテンポも悪くなってしまうということ。

自分で読んでも文章が悪いことは分かるのですが、治し方もわからないし、上に挙げた反省が正しいものかどうかもわかりません。
どうすれば他のカクヨムの作家の人たちようにいい文章が書けるのでしょうか。教えてください。

上記の回答(次が読みたくなる文章が書けないの返信)

投稿者 読むせん : 1

①ガールズラブ・および百合表記の作品は「一般的な女読者」が嫌がる傾向があります。

カクヨムくわしくないし、レーベル的にOKなのかもしれませんが・・・・男性だろう貴方は、【ボーイズラブ】・および【薔薇】表記のある小説を何の偏見もなく、あるいは積極的に読めるタイプですか?

もし違うなら女性読者を逃がしていることは認識してほしい。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
②SF小説の翻訳調みたいな文章?が読みにくい

私はルイスCキャロル「不思議の国のアリス」の邦語訳違いを趣味で集めています。

アリスの不親切な訳本は、初めて読んだ読者が「アリスとか糞じゃん」って言いたくなるほどパサパサで無味乾燥な文章になってしまっています。あれ読むのマジで苦痛よ?

その不親切翻訳より読みにくいです。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
毎回主語がないので「で、この言葉や文節は【どこ】に掛かっているの?」ってなりますね。
  
一部抜かせていただきます
=================
四月の空気が朝の霧を駆けた。(ここ改行じゃね?)日本という国では(つまり日本じゃないのね?)セーラー服と呼ばれる襟の群青の萼(どとうの「の」つづき言葉が三連発かよ)から、黒く短い髪をはためかせながら(で?こいつ誰?ホラー冒頭の生贄キャスト(捨てキャラ)か?)。当分先のはずだった(だから何が?)。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
みたいな感じ。
原作面白くてもこの翻訳じゃあ誰も読まんよ?

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: 次が読みたくなる文章が書けない

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投稿日時:

元記事:三人称一元視点を書くコツと注意点

 先日、三人称一元視点についてとある作者様と話していました。
 しかし作者様には理解がしがたい説明になってしまったらしく、作者様を混乱させてしまったような気がします。
 良い機会なのでみなさんの意見を聞いて、偏っているところがあるなら、自分の認識を改めたいなと思い、スレを立てさせていただきました。

前提としてその作品は、
・作者は三人称一元視点だと思って書いている。
・しかし、読者からは作品は視点ブレが多いと指摘されている。
・少なくとも、シーンが切り替わると、前のキャラとは別のキャラクターに焦点があたり、そのキャラのことを描いてしまっていたりする。結果的に複数の視点から作品を構成してしまっている。
・描写も、三人称よりで、一人称のようではない。

 と私は思っています。

 で、私が認識している三人称一元視点というのは、

・カメラ位置としては、視点主がハンディカメラを持っているような視点になる。
・少し主人公と離れた位置から三人称を用いて主人公が知りえない状況、知らないことも書けたりする。
・しかし基本的には一人称と同じ表現にする。

 というものでした。

 相手方の三人称一元視点の主張は、

・地の文に語り部キャラクターの主観が入っていない。(作者の主観は入りうる)
・カメラは視点主のそばにいる。基本的には視点主の立ち位置から撮影し続けて、たまに視点主の内部に潜って心の声を録音し、また離れる……そんなイメージ。

→これは、たぶん「三人称一元視点」をググると最初に出てくるサイトからそのままコピペしてきたやつだと思うんですが、まあ、大体合っているのだと思います。
 主観、というのは、思い込みは書けない、ということなのかなと思います。
 嘘は書けない、みたいな?
 でも、主人公はこう思っている……というのは書けそうな気もしますが。
 また、カメラ位置はいわゆるゲゲゲの鬼太郎の目玉おやじである、ということでしょう。

 でも、この考え方って落とし穴がある気がするんですよね。
 主人公とは別の存在なので、心情がいわば吾輩は猫であるの猫の視点から主人公を描くみたいな認識になりますよね。
 そうすると実質視点主とは別キャラクターの思考が存在することになります。
 これは読者からすればとても混乱するような気が、私はしました。

 気がするだけで、確信はないので、みなさんに突っ込んでもらおうかなと思った次第です。

 例えば、主人公がなにか食べ物を食べたとき、
「まずそうに食べた」という描写は、三人称ならありですが、一人称だとかなり違和感がある表現だと私は思いました。まずそうな表情をしている、という、客観描写ですよね。

「まずいと思った」、もしくは「まずい」と言い切っちゃっていいと私は思ったんですが、たしかに目玉おやじを通して描かれているならその主人公の表情を読みとって「まずそうな表情」と書いても問題ないような気はします。

しかし、それだと三人称一元視点のメリットが薄いし、場合によっては別のキャラクターの視点から描かれる神視点だと読者は勘違いしかねないのではないか、思いました。

 そこで質問です。

 みなさんは三人称一元視点を書くとき、意識していることはなんでしょうか。
 また、どうしたらうまく書けるようになるのか、上達方法などもあれば教えていただければ嬉しいです。

上記の回答(三人称一元視点を書くコツと注意点の返信)

投稿者 あまくさ : 1

極論すると、三人称には視点はありません。あるいは、視点はあってもなくてもどちらでもいい、と言った方が正確かも。

1)AとBは、レストランで向かい合って食事した。(視点なしに事実だけを書いている)

2)AとBは、レストランで向かい合って食事している。(視点を特定のキャラにおかず、空間のどこかに「カメラ」をおいている)

3)Aは、レストランでBと向かい合って食事している。(特定のキャラに視点をおいている)

要はこれだけのことです。

1と2は結果としてほぼ同じ文章になります。1は書き手が視点を意識せず、淡々と事実だけを書き連ねているということです。

3を採用する場合の主な目的は臨場感。
ストーリー的には、二人が会話しているということと会話の内容に意味があるわけですが、どうせならAの視点からBの表情を見て思惑を想像したり、店内の様子や空気感を見渡したり、会話の途中でドアが開いて別のキャラが入ってくるのが見えたりとか、そんなふうに書く方が読者は情景をイメージしやすいのではないか? ということです。

で、おわかりのように、こういう書き方をしたいならば普通は一人称を採用します。
しかし、この一場面だけのために一人称にしてしまうと、他の場面も一人称の制約を受けることになり、すこぶる窮屈です。他の場面の大半は三人称向きということもあるでしょう。

なので、ベースを三人称にしておいて、必要なときだけ3の書き方をするという手法があるわけです。繰り返しますが、三人称は視点を入れても入れなくてもいいのです。

   *   *   *

というわけなので、個人的にはベースは普通の三人称、必要なパートだけ一視点という書き方がいいんじゃないかと思います。
ただ、三人称一視点は読み味が一人称っぽくなるので、ルールもどきを逸脱すると違和感が生じるということはあるかもしれません。
そこは作者の感覚で匙加減すればよいと思いますが、すべてをセンスでコントロールするのは大変でしょうから、一視点でいくなら一視点で通した方が簡単、ということはあるかもしれません。

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: 三人称一元視点を書くコツと注意点

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投稿日時:

元記事:文章が書けなくなってしまった時

タイトル通りになります。
すらすら書ける時はまるで自分の手ではないように動くのですが、書けない時は一行書くのにも何十分もかかってしまいます。
有体に言うと「降りて来ない」というのでしょうか。
こういった際、皆様はどうやって「降りて来」させますか?
締切を意識すると焦りだけが膨らんでより書けない、という悪循環に陥っています。

上記の回答(文章が書けなくなってしまった時の返信)

投稿者 迷える狼 : 0

う~ん、どうだろうな。

私の場合、締め切りが近付いて追い込まれて来ると、尻上がり的に調子が良くなって、何とか仕上げてしまうんですけどね。

とにかく、頭の中で色々考える事です。
色々考えているうちに、ああしたらどうだ、こうすればいいんじゃないかと、アイディアって出て来るもんです。

ところで、サタン様も仰られていますが、作品に取り掛かる前に、しっかりと下準備って出来ていますか?

作品の世界観やキャラクター設定、おおまかな流れを書いたプロット(フローチャート方式で十分)、用意していますか?
詰まった時にそれらを見直して、どうすれば良いのか考えたら良いと思います。特に、プロットを良く見直して、作品の流れを自分で確認したら、どうやって持って行けば良いのか、自然と解って来るはずです。

このキャラクターは、こういう性格だからこの場面ではどう動くのかなど、そういった事も考えてみて下さい。
キャラクターになり切って考えてみるのも方法です。

もし、あなたが何も用意しないで、行き当たりばったりで作品を書こうと思っていたら、それは間違いです。
図面を引かずに家を建てる様なものです。

プロの中には、本当に何も考えないで、行き当たりばったりで思った事をそのまま書いてしまう人も居るみたいですが、それはその人の才能であって、他人が真似出来るものでは無いです。

エジソン「天才は、1%のひらめきと、99%の努力である。」

1%のひらめきの為に、99%の努力が必要なんです。その努力とは、他でもない作品作りに必要な下準備です。
困った時には、何度も自分で作った設定を見直して、降りて来るのを待つしか無いんですよ。

ろくな下準備もせずに、締め切りに追われてあたふたする様でしたら、まずそこからきちんとやれ、と大抵の人は思うはずです。

また、どうしても降りて来ない時には、それまで自分で書いたものを読み直す事をオススメします。
そうすると、気になる部分が浮かんで来る事があります。そうやって考えて手直ししていると、アイディアが降臨する事がありますよ。

カテゴリー : その他 スレッド: 文章が書けなくなってしまった時

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