元記事:恋愛にギャグの返信
大前提として作者にとってのギャグの面白さの定義をこしらえ
そのギャグがどのような仕組み流れでその面白さたりうるのか理解してから書かないと面白いギャグは狙って書けません
意図的に面白さが作りたいならその仕組みと法則と定義を知るだからこそ安定生産できるのです
今のあなたはおそらく面白いギャグの作り方も固まらず何をもって面白いギャグなのかという自分中の確かな定義もないためいろいろと作り方をかき集めても根幹である自分の中の定義と作り方にかみ合わず書きたくてもかけない状態
感覚や才能で出来ないなら後付けでこれらを得ないとうまい作り方がわからず難しくて当然ですよ
その構築の仕方は中々な技なので教えられませんし
答えは千差万別作者によって違うでしょうなので基本的には自分で考え研究するしかありません
たとえ教えたとしてもそう簡単にはできやしません
その手の教本一冊読んだってできない人が多いからこんなにたくさんあるのです
それと同じ誰かの答えを聞いたから大して苦労もせず面白いギャグが作れる魔法はありません
得られるのはヒントで後は本人次第
参考に言えば私は漫画ボーボボのギャグの完全再現に小説で成功しています
上記の回答(恋愛にギャグの返信の返信)
投稿者 奥 義 得 人 素人 : 0 投稿日時:
下の方の言うようにギャグのセンスを磨くというのは一つの正解ですが
センスを磨くため作品を読む際
自分中の面白いギャグの定義があるほうが吸収効率も違います
定義がないと何読んでも自分中々かみ合いませんよ
何故なら自分で何が正解かよくわからないから朧げでもいいので正解の大まかなカタチを得ていないと埋蔵金発掘みたいに大雑把な情報でそこらしこを掘り起こすようなものです
せめてもう少し具体的な情報があれば見つかる可能性は高くなります
その一つが求める正解のかたち定義なのです
そのため自分の中の面白いギャグとは何かこの定義はかなり重要です
それにセンスを磨くにしても正解もわからないのにセンスを磨くとか無理ゲーです
おぼろげな正解の形というアシストがあったほうがセンスは磨きやすくなります
まあこれは才能あれば関係ない話ですが大抵の人そういうセンスも才能もないので定義はあったほうがいいです
私だってボーボボのギャグを完全再現に至るまでに何年も多くのことを学びその結果再現できたわけでセンスは学びの蓄積により磨くことはできます
最初からできたとかではなく何年もの作家の様々な勉強の果て完全再現に至ったわけですし
沢山読んでセンスが磨ける人ならいいですがないなら爆死です
正解の定義を得るこれは才能センスの有無問わずお勧めできる方法の一つです
これのあるないで作品の見方だって違ってきますし沢山読んだのはいいがセンスは大して磨かれずただ読んただけルートの回避の可能性も高めます
センスを磨くなら自分な中の正解の形を作るそのアシストがあるほうが求める物は目に付きやすく理論的に頭でその都度吸収しやすくたくさん読んで感覚で学ぼうというできるできない人がはっきり分かれる成果の有無が出るか出ないかやるまでわからない博打よりは堅実に成長の可能性を高めてくれますよ
センスだって実際は本人が分からなくても無意識的なそれまでの積み重ねで成り立っているものですからセンスだって後天的な蓄積の技追加で獲るのにそれは何も感覚で鍛えろという縛りはありません
沢山読まずとも少しずつ学蓄積した果て磨かれるセンスもあるのです
感覚で学ぶよりも理屈や理論定義で学ぶ方がほうが安定して多くの人に恵みをくれますよ
沢山読んでセンスを磨くのは正解の定義というアシストがないとただ読んてしまい大してセンスは磨かれないなんてよくある話です