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元記事:『黄金バット』のような主人公を作りたい

2016/05/13 クリエさんの質問

黄金バットを知らない方が多いかと思いますが…?

私は昔のアニメの『黄金バット』のようなキャラを主人公としたライトノベルを書きたいと思っているのですが、黄金バットが大好きな私でもなぜ彼があれほど魅力あるキャラとして皆に愛されているかが分からないのです。

黄金バットのアニメを見た方なら分かると思いますが、黄金バットはライトノベルのタブーを犯しまくっているような造形やキャラです。見たことのない方のために書けば……
・顔が骸骨というおどろおどろしい造形
・最初から最後までまったく苦戦しないという、敵がかわいそうに感じられるほどの強さ
・サイタマのような無敵系ヒーローとも違い何らかの欠点もない
・最初から完成されていて常に絶対的でわかりやすい正義

たいていのライトノベルの本には「主人公には欠点を設けろ」とか「何らかの成長要素を入れろ」と書かれてありますが黄金バットはそのことごとくを無視しています。そして何故か人気があり、話自体も非常に面白くできています。(少なくとも面白くないと言ってる意見はほとんどないです)

一体なぜ黄金バットのようなキャラクターが皆に人気が得られているのでしょうか?
そのようなキャラクターをライトノベルで主人公にするのは無謀なのでしょうか。というより、ライトノベルでそのようなキャラを出した成功例はあるのでしょうか?

上記の回答(『黄金バット』のような主人公を作りたいの返信)

投稿者 うっぴー : 1 投稿日時:

2016/05/13 クリエさんの返信

ご回答ありがとうございます。

いえ、わたしが疑問に思ったのは、ニコニコ動画でアニメが放送されたときにほとんどが「時代とか関係なくマジで面白い」という意見で、実際掲示板がものすごく盛り上がり、否定意見もほとんどなく、話も時代抜きで大傑作だと言える話(45話とか最終話とか)がいくつもあったのが意外だなあと思ったことです。

特に45話なんて結構な数の深夜アニメを差し置いてランキングに出ましたし。

実際ニコニコ動画であれほど盛り上がった昔のアニメは黄金バットだけでした。再生数、コメント数も同年代のものと比べると何倍も違います。
なのでなぜ、最強で無敵でおまけで絶対的なヒーローがあれほど今でも受けたのかなあ、と思って質問させていただきました。
なので、「時代のせい」とするのは違うなあと思います。

カテゴリー : キャラクター スレッド: 『黄金バット』のような主人公を作りたい

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元記事:『黄金バット』のような主人公を作りたい

2016/05/13 クリエさんの質問

黄金バットを知らない方が多いかと思いますが…?

私は昔のアニメの『黄金バット』のようなキャラを主人公としたライトノベルを書きたいと思っているのですが、黄金バットが大好きな私でもなぜ彼があれほど魅力あるキャラとして皆に愛されているかが分からないのです。

黄金バットのアニメを見た方なら分かると思いますが、黄金バットはライトノベルのタブーを犯しまくっているような造形やキャラです。見たことのない方のために書けば……
・顔が骸骨というおどろおどろしい造形
・最初から最後までまったく苦戦しないという、敵がかわいそうに感じられるほどの強さ
・サイタマのような無敵系ヒーローとも違い何らかの欠点もない
・最初から完成されていて常に絶対的でわかりやすい正義

たいていのライトノベルの本には「主人公には欠点を設けろ」とか「何らかの成長要素を入れろ」と書かれてありますが黄金バットはそのことごとくを無視しています。そして何故か人気があり、話自体も非常に面白くできています。(少なくとも面白くないと言ってる意見はほとんどないです)

一体なぜ黄金バットのようなキャラクターが皆に人気が得られているのでしょうか?
そのようなキャラクターをライトノベルで主人公にするのは無謀なのでしょうか。というより、ライトノベルでそのようなキャラを出した成功例はあるのでしょうか?

上記の回答(『黄金バット』のような主人公を作りたいの返信)

投稿者 よしはむ : 0 投稿日時:

2016/05/13 オルトさんの意見

私見ですが、流行った時代を考えてみると答えが出るのでは。
「たいていのライトノベルの本には」とありますが、それは昭和頃から現代にかけてまで、先人たちが必死に切磋琢磨して面白いものを作ろう努力してきた結果、現代で「こういうのがいいんじゃないだろうか」と辿り着いた一つの答えであって、昔から「たいていのライトノベルの本」に書かれてるような公式があったわけじゃありません。
昔のヒーロー像と今のヒーロー像が違うのは当たり前です。

黄金バットのような昔のヒーロー像を現代で扱いたいのであれば、現代風にアレンジしなければ通用しないでしょう。
黄金バットを評価しているのは、あくまで「当時では」という考えのもとの評価ではないでしょうか。ああいうアンチヒーロー的なものというか、ヒーローなのにドクロ仮面っていう真逆の要素を入れてくるのは多分黄金バットが初だと思うし。今、似たようなものを新しくやったとしたら見向きもされないのでは。

正直、キャラデザインだけは現代でも通用する奇抜さ(誰も真似しようとは思わなかったとも言えるが)だと思います。
金ピカのドクロで紳士が持つようなステッキにマント姿って……。

今でこそドクロのキャラやコッテコテな紳士キャラなんかもいますが、昭和初期に黄金バットのキャラデザを思いついたってのは、すごいというか、思いついても普通やらないだろ、と思える斬新さだと思います。

すごいはすごいけど、あくまでそれは「当時では」という話で、

>たいていのライトノベルの本には「主人公には欠点を設けろ」とか「何らかの成長要素を入れろ」と書かれてありますが黄金バットはそのことごとくを無視しています。

そういう今現在の話を持ちだしたら、そりゃ違うに決まってると思います。
黄金バットは確かに昭和初期に一大ブームを引き起こしたと言える作品ですが、現代まで残っているのはと言うとゲゲゲの鬼太郎(アニメ化は黄金バットと同じ昭和40年頃)や、幼児向けならアンパンマン(これも昭和40年頃に連載開始)、といった有名所でしょう。

鬼太郎もアンパンマンも、昔からあるけど、そのキャラクターは初期と比べると「現代風」に変わってきてると思います。
黄金バットは、キャラクターの見た目だけが現代に残ってるだけで、知名度だけはあると思いますが、キャラクター性が紙芝居の頃からあんま現代風に変化してこなかったので、アニメ化当時の昭和40年頃(原作は昭和4年)の他の作品と比べると、「皆に人気がある」というのはちょっと言い過ぎではないかなと思います。

リボンの騎士とか魔法使いサリーとかパーマンとかおそ松くんとか、あのあたりのほうがずっと人気あると思う。
私も流石に黄金バット世代ではありませんが、個人的には紙芝居の時代の英雄で、そこに取り残されたヒーローという印象です。
アンチヒーローは黄金バットで育った手塚治虫あたりが「三つ目がとおる」とかで食い散らかしてしまった感がある。

これをそのまま現代ライトノベルに持ってくるのは、無謀でしょう。
そもそも「わかりやすい正義の味方像」というのが今はウケない。

なので、現代風にアレンジしていけばライトノベルで挑戦するのもやぶさかではないと思いますが、紙芝居の時代のヒーローをいきなり現代ライトノベル風にアレンジしたら、おそらくそれは別物になっちゃうんじゃないかと思います。
……ただ、単純に「アンチヒーロー」や「ダークヒーロー」っぽいのを主役にというなら、成功例は割りとあると思います。

カテゴリー : キャラクター スレッド: 『黄金バット』のような主人公を作りたい

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元記事:『黄金バット』のような主人公を作りたい

2016/05/13 クリエさんの質問

黄金バットを知らない方が多いかと思いますが…?

私は昔のアニメの『黄金バット』のようなキャラを主人公としたライトノベルを書きたいと思っているのですが、黄金バットが大好きな私でもなぜ彼があれほど魅力あるキャラとして皆に愛されているかが分からないのです。

黄金バットのアニメを見た方なら分かると思いますが、黄金バットはライトノベルのタブーを犯しまくっているような造形やキャラです。見たことのない方のために書けば……
・顔が骸骨というおどろおどろしい造形
・最初から最後までまったく苦戦しないという、敵がかわいそうに感じられるほどの強さ
・サイタマのような無敵系ヒーローとも違い何らかの欠点もない
・最初から完成されていて常に絶対的でわかりやすい正義

たいていのライトノベルの本には「主人公には欠点を設けろ」とか「何らかの成長要素を入れろ」と書かれてありますが黄金バットはそのことごとくを無視しています。そして何故か人気があり、話自体も非常に面白くできています。(少なくとも面白くないと言ってる意見はほとんどないです)

一体なぜ黄金バットのようなキャラクターが皆に人気が得られているのでしょうか?
そのようなキャラクターをライトノベルで主人公にするのは無謀なのでしょうか。というより、ライトノベルでそのようなキャラを出した成功例はあるのでしょうか?

上記の回答(『黄金バット』のような主人公を作りたいの返信)

投稿者 よしはむ : 0 投稿日時:

2016/05/13 トータスさんの意見

そのものズバリ=骸骨に近いものとしては、オーバーロードが挙げられるかと。
他にも、骸骨騎士様、只今異世界へお出掛け中、がありますね。

あと、近いとしたら、デスマーチから始まる異世界狂想曲も近いかなとは感じますね。あの無敵具合が。

そもそも、黄金バットは紙芝居から生まれたものであり、元々子供の為に作られた創作で、子供の反応をリアルに伺いながら即興で話を作っていたそうですよ。

とにかくその頃は著作権という言葉すら意識する事がなかったので、二次三次、果ては魔改造された物が乱立していたそうです。

そこから、とにかく強いのが良い、負けちゃイヤだ、といった最も求められる根本的な原点が凝縮された結果なのかと。

普通なら、格好付けてそんなのはナンセンス! とつっぱらかしていても、実はその事を最も意識してしまうからこその人気だったのかと。

まぁ、人は誰しも負けず嫌いです。
負ける事が気持ちが良いといった変わった方も居ない訳ではありませんが、大多数の人は優越感を得たいと思うからこそ。

負けたくないという想いは誰しもが持っていて、誰しもが絶対的勝利を夢見るからこその人気かなと。

私はこの様に考えて見ました。

カテゴリー : キャラクター スレッド: 『黄金バット』のような主人公を作りたい

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元記事:小説の場面転換のタイミングとは?

苑子と申します。

小説には必ず「場面転換」があると思うのですが、どのタイミングで転換したら違和感を感じずに読めるでしょうか?
いつもそこで悩んでしまい、手が止まってしまいます。

上記の回答(シーンの切り替えは本当に必要なのか)

投稿者 【本人から削除依頼】 : 5 人気回答! 投稿日時:

 考え方として「どこでシーンを切り替えるか」は作者側視点の発想ですよね。説明や描写の都合を考えるものになります。その視点は必要です。その見方を欠くと、ストーリーの運び方がグダグダになりがちです。

 一方、小説は読者に読んでもらうものですよね。読者側視点でいえば、「見て面白いものを見せてくれ」です。この見方でいえば、「つまらなくなる前にシーンを切り替える」ということになります。

 とはいえ、各シーンがぶつ切りでつながりを欠いてはストーリーになりません(だから作者側視点も必要)。必要な情報は引継ぎながら、どうでもいいことはバッサリ削除してしまう必要があります。

 森鴎外の「寒山拾得」に名描写と言われているものがあったのを思い出しました。ただ、誰が凄いと褒めていたか失念してしまいました。すみません。自分でも確認してみて、こういう運びはいいなと思いましたので、引用してみます。説明の都合上、一文ごとに改行し、各文に番号を振ってみます。

(主人公の閭(りょ)が病を得たところに、謎の僧侶が訪ねてきて、水で治せると申し出たところから。)
01> 閭(りょ)は小女を呼んで、汲みたての水を鉢に入れて来いと命じた。
02> 水が来た。
03> 僧はそれを受け取って、胸に捧げて、じっと閭を見つめた。
04> 清浄な水でもよければ、不潔な水でもいい、湯でも茶でもいいのである。
05> 不潔な水でなかったのは、閭がためには勿怪の幸いであった。
06> しばらく見つめているうちに、閭は覚えず精神を僧の捧げている水に集注した。
07> このとき僧は鉄鉢の水を口にふくんで、突然ふっと閭の頭に吹きかけた。
(この直後、閭の病はたちまり良くなってしまう。心因性の疾患をうかがわせるものです。)

 01で水を用意する段取りを始める。そうすると、小女が水を取りに行く様子、戻って来る様子などを書きたくなります。カメラ視点が小女に移り、もしかすると井戸から水をくむところなんかも描写したくなるかもしれません。

 しかし鴎外はそうせず、02でいきなり水を出しました。途中のシーンをカットしたわけです。考えてみると、このシーンで大事なのは、まずは僧の動きです。僧の不可思議な所作に読者として注目がいけば、主人公の閭(りょ)も僧に集中したような印象が生じます。だから小女に注目が行ってしまうことを避けた。それが01→02です。

 水を持ってくる動きについては02によりカット、続いて03で僧の動きの描写に移っています。何をするか不明な感じで、閭を見つめるわけですから、読者は自然と閭視点で僧に注意が向きます。

 そうしておいて04で水に注意を移します。これは06の後で分かる効果ですが、僧の不思議な動きで高めた緊張を一瞬緩めるものになっています。05で水について、まだ読者には知り得ない情報を出す。「不潔な水でないから何なの?」という感じですね。

 そうしておいて、06でまたカメラ視点を僧に移す。03で受けた印象が蘇る感じですね。そして07で僧が素早いアクションを起こす。

 もし、02を長々説明したら、03以降の効果は薄れます。小女が水くみに行くところを描写してしまえば、つい小女が僧を不気味に思う描写を入れたくなり、小女が帰って来るシーンで不安感を出そうとしてしまいそうです(私のような下手くそがやりがち)。

 でも、それでは主人公の閭視点での緊張感が途切れてしまいます。もう一度、緊張感を高める必要性が出てしまい、作者としては二度手間ですし、読者としてはあっちもこっちもと目移り、というより目が滑る感じすらしてしまいそうです。

 だから単に「水が来た。」としたのだと思います。物語に必要なものが何か、鴎外はよく承知していて、思い切った省略を用いたんでしょう。

 シーンを切り替えない話を長々としてしまいました。シーンをどこで切り替えるか、というご相談なのに。すみません。でも意図はあるんです。

 サタンさんが非常に良くて、基本に忠実なシーン切り替えの例を出していらっしゃいます。それをお借りして、そのパターンをさらに省略することを考えてみたいと思います。

> その日は素直に帰って、明日に備えて早めに就寝した。次の日は特に何が起こるわけでもなく、放課後、僕は約束の場所へと向かう。

 見事な例文ですね。必然性のあることを簡潔に描写し、かつ読む手間は少ない。イベントがない場合の時間の流し方の好例だと思います。通常はこういうシーン切り替えを用いるべきでしょう。

 しかしもし、上記描写が緊張感を高めた後で、かつ「約束の場所」について、読者の注意と緊張感を持続したかったら。上記の鴎外の手法(全部バッサリ削る)が使えると思います。例えば、

「翌日の放課後、僕は約束の場所に来てみた。」

といった感じ。つまり、「シーンを切り替えたい」と思ったとき、「本当にシーンを切り替える必要があるのか?」「そのままイベントになだれ込んでしまえないか?」といったことを考える必要があると思います。もしかすると、シーンを切り替える必要がないのに、シーンを切り替えようと思うから、悩んでしまうこともあるかもしれないのです。

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: 小説の場面転換のタイミングとは?

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元記事:小説の場面転換のタイミングとは?

苑子と申します。

小説には必ず「場面転換」があると思うのですが、どのタイミングで転換したら違和感を感じずに読めるでしょうか?
いつもそこで悩んでしまい、手が止まってしまいます。

上記の回答(はじめまして。の返信)

投稿者 t : 5 人気回答! 投稿日時:

こんばんは
起承転結や三幕構成などの大きな枠なら、時間経過や効果や演出。
第一話の内容は――、といった文章での場面転換なら
テンポよくを意識すると違和感を感じずに読めます。

テンポよく進めるためにはストーリーを知っておく必要があります。
ストーリーとは目的に沿った行動や文章になっているかです。
上達したら場面転換で悩まなくなったというものでもないので、
どの場面転換を指しているのかよく分からないのですが。

ありがちなケースでは、自分ではあると思っていても、読者から見てストーリーをまったく感じられない作品が多くあります。
すでに苑子様がこの実力でないなら意味のない話になってしまいますが。
最初のうちは過剰なくらい目的を書くくらいの感覚でやって、ようやく読者にストーリーが伝わります。

目的があるということは、例えば目の前の一文が、どれだけ目的に沿った書き方をできているか。もし考えている文章が2つあったなら、どちらの文章がより読者に目的を連想させるかを基準に考えていくと、文章を数値化できるようになってきます。
テンポよく書くためには、数値の低い、つまり目的から遠い文章は削る。
数値の高い文章だけを繋ぎあわせていけば、それがいつの間にか「場面転換」になっていて、スムーズにことが運びます。

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: 小説の場面転換のタイミングとは?

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元記事:夢の中

こんばんは。

主人公が夢のを見ているとき会話のみしか書けない気がするのですが間違っていますか?考えるほどわからなくなってきました。よろしくお願いします。

上記の回答(夢の中の返信)

投稿者 サタン : 5 人気回答!

別に、一人称は主人公の心の声しか書けないわけではないので、夢の中も現実も関係なく同じように書くことは出来ます。
ただ、夢っぽさを表現するための気遣いは必要でしょう。
例えばあくまで夢なので「視点主が知らないこと」は出さないほうが良く出すなら工夫が必要だと思うし、玄翁さんの例のように「記憶の中の風景」など出していく、ありえない事を書いていく、といった事で夢っぽさを表現していくのがよくある形かなと思います。

カテゴリー : ストーリー スレッド: 夢の中

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投稿日時:

元記事:どういう人が嫌いですか?

 ええ、あけましておめでとうございます。
 新年一発目から、割とぶっこんだ質問をしましたが、おふざけや雑談の類とも言い切れず、そこそこ真面目な質問だったりするのです。

 なぜそこに至ったかという経緯を説明します。近頃思うんですが、『こういうヤツとは絶対にそりが合わない/嫌いだ』っていうのは、キャラクター作りの上で結構重要な『そのキャラのこだわり・プライド』を示すいい指標となっているように思います。

 という訳で、雑談半分サンプル採取半分で皆さんの『こういうヤツが嫌いだー!』と聞きたいと思って書き込みました。

 ただ、センシティブな質問でもあると思うので、いくつか注意事項をば。

・まず、当然ですが個人が特定可能だったり、特定個人を攻撃するような表現は出来るだけ控えて下さい。
・また、『自分が攻撃された』と感じた方も、相手の方にその意図が無い可能性も高いので、一回目までは見逃してあげるようにお願いします。
 
 この二点の問題に関しては、事態にもよりますが、スレ主として介入・及び管理人へのスレ版削除の依頼を責任を持って行わせていただきます。

・それから、主にハードモードな人生を送ってきた皆さん。ネタのデリケートさが分かり難いので『自分は気にしてないんだけど/結構コンプレックスだから丁寧に扱って欲しいんだけど』と明言してから書いてもらえると幸いです。
・また、スレの性質上、後々俺が作品のネタにする可能性がそこそこ高いです。ネタにされたくない方はその旨も書いてもらえるとありがたいです。

 さて、最後に。
 大野知人は、こういう人が嫌いです。

『他人の努力を評価できない人』

 文章の批評についてもそうですが、割と全般的に『相手がどういう努力をしたか』を考えていない人間が苦手ですし、嫌いです。
 『やった成果』だけではなく、『やったという事』自体にもちゃんと目を向ける人が好きだし、そうありたいと思って生きています。

 その昔、大野の一族は少しばかり相続でもめたことがあったのですが、親戚のA君が『自力でやって何とかなるだろ』と言い出し、弁護士を頼らなかった挙句にとんでもなく酷い目に遭いました。A君以外の――後始末担当だった人が。
 ちなみに当時、A君は何のかんの理由を付けていましたが、要するに弁護士に払うお金が惜しかったようです。
 当然ですが、相続の時に弁護士を呼ぶのにはそれ相応の理由があり、弁護士は弁護士になるためにとても努力した訳です。弁護士への依頼料と言うのは、その努力に払われるべき代価である訳で……。

 勿論、自力で何とか出来るならプロを頼らなくても良いのですが、それとは別側面の問題として『他人の努力をよく見ていない人間』と言うのが全般的に嫌いです。

 まあ、俺自身もそんなに人を見る目がある訳じゃないので、『よりよく生きるにはどうしたらいいか』みたいなのを自分で考える、一つの指標みたいなものなんですが。

上記の回答(どういう人が嫌いですか?の返信)

投稿者 あまくさ : 1

あけましておめでとうございます。

この質問は、実際やばいです。人間、誰しも内心思っていることってあるでしょ? 自分の胸に手を当てて内心だけで思っていることをすべて口に出したら、かなり大変なことになるって思いませんか?

こう書くと「おまえはそんなに悪いことばっかり考えているのか」と言われかねませんが、いや、はっきり言って皆そうですよ。そうだと思わない人は自分を騙しているだけ。

他人の悪いところに気がついても口にしないのは、無用のトラブルを避けるためのオトナの知恵でもありますが、実は優しさでもあるんです。

他人の悪いところが見える時なんていくらでもありますが、自分にも悪いところがいっぱいあることも知ってますからね。お互い様なんですよ。我も人なり。彼も人なり。そもそも人間なんて大した生き物じゃありません。

なので私は、倫理的な理由で誰かを嫌いになることはあまりありません。

一番きらいなのは、

頭の悪い人。

これだけです。

ここで言う頭の悪い人というのは、

視野の狭い人。

という意味です。
視野が狭い人は他人の悪いところばかりが気になって、自分にも悪いところがあることに気がつきません。
いや。
もっと正確に言うと、自分にも悪いところがあることに少しは気がついてはいるんだけど、自分の悪いところを過小評価し、他人の悪いところを過大評価するんですね。

◎自分の悪いところを過小評価し、他人の悪いところを過大評価する。

それだけはやめてくれと強く思います。

   *   *   *

>大野知人は、こういう人が嫌いです。

>『他人の努力を評価できない人』

それは同意。
そして、そういう人が他人の努力を評価できない理由は、「自分の悪いところを過小評価し、他人の悪いところを過大評価する」からです。

努力しても結果に繋がらないことは、いくらでもあります。結果が悪ければそこだけ目立つし、その人が実はけっこう努力していたことは気づきにくいものです。

頭の悪い人(視野の狭い人)は、

1)他人の悪いところが目につき、良いところもあることを評価しないから、

2)その他人は本当に悪いのだと思い込んでしまう。

3)しかし、その他人が自分より評価されたり、それなりの立場を手に入れたりしていることもあるので、

4)世の中がおかしいのだと思い込む。

5)そうして性格が歪んでいく。

こういう流れをたどって、本当にイヤな人になっていくんですね。
私にはそういう人が歪んだ理由もわかるので、倫理的に嫌うことはありません。しかしながら、

6)本来悪い人ではないのに、(そもそも生まれたときから悪い人なんていません)

7)自分も他人も似たようなものという単純なことが理解できないために、他人を誤解して歪んでいく。

こういう流れでイヤな人になっていくことが、とてもイヤなんです。

だから、そういう人がというよりも、そういう人が大量生産されてしまう「人の世」というものが嫌いです。

カテゴリー : その他 スレッド: どういう人が嫌いですか?

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投稿日時:

元記事:プロットの書き方は簡単なあらすじと、本文に近い方法はどちらが楽ですか?

例えば簡単なあらすじ系は
おじいさんとおばあさんがいる家で、おばあさんは桃を持ってくる。切った桃から子供が生まれ、彼は桃太郎と名付けられた。
このような要点以外を削ぎ落とした感じです(桃太郎なので次は犬や鬼なども出てきます。)

本文に近いのは
おじいさんとおばあさんは寂れた家に住んでいた。
「ふうふう、なんという大きい桃なのかしら」
おばあさんは川で洗たくをしていたら、自分の膝くらいはある大きな桃が流れてきた。
「美味しそうだから家に持って帰ろう」
興奮しているのか、老人とは思えない力を出し、桃を抱えて家に向かっていく。
家には芝刈りを終えたおじいさんが帰っていた。
「な、なんじゃその桃は?」
おじいさんが驚くのも無理の無いことだった。
おばあさんが桃を切ろうとすると、赤子の泣き声のような音が響く。
怪訝に思い、外から切っていくと、中に本当に赤子がいた。
このように簡単とは言え普通の小説に近いプロットを書き、この文を穴埋めする感じです。

皆さんはどちらが書きやすいと思いますか?

上記の回答(シーン逆算型)

投稿者 ごたんだ : 0

ポロットと第一稿は違わなくないねんっ!!?

確かにライトがあれだったドラゴンフォロワーな卵のコンブライセンスが、どうこうなアヌビスみたいな造り方あるけど違わないねん!!!?

カテゴリー : その他 スレッド: プロットの書き方は簡単なあらすじと、本文に近い方法はどちらが楽ですか?

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