情景描写の量についての返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信
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前回の書き込みから間が空きましたが、返信を書かせていただきます。
多視点を多用すると主人公の心理描写が疎かになるようですね。これはプロット段階での問題ですから、次回からはまた主人公中心の物語に戻します。
そういえば私のものは三人称一元視点というよりかは三人称神視点に近い構成なのですが、神視点があまり奨励されていないのはどういうことなのでしょうか?
前作は神視点が一番相性のいい視点だと判断して採用したのですが(途中一元とどっちつかずになったりしていましたけど)あまり良くないなら完全に一元にシフトチェンジしようと思っています。
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投稿者 ヘキサ 投稿日時: : 2
うん……それはね、マリンさんのもとのイメージがアニメという映像媒体からきてるから、神視点がたぶん適切だろうなと思ってしまったってことなんだと思うよ。
直近のトピックの「主人公が意識を失っている時の描写はどうしたらいい?」のところで皆さん思い思いに意見を述べていますから、どうぞそちらをご覧ください。
私の意見としては、文章媒体ってのは言葉で構成されている。言葉は人の意思によって生み出されるものだから、人の内面から出てくる。だからどんなに客観的に見える文章を紡いだところで、その人の主観は免れない。それが登場人物のうちの誰でもない場合、それは一体誰なの?そこで横で見ている部外者に、登場人物の真剣な胸の内がどれだけわかるっていうの?てところ。
実際、多視点を乱用したがる人(注:プロで多視点を扱っている人ではない)のキャラクターは、無責任だったり、他人事感が強かったり、他者を思いやれなかったりKYだったりってことが多い。キツめのいい方をすると作者本人が「やたら他者の思考を覗き見したがる出歯亀趣味」か「その人の視点では表現しにくいことを他者の視点に切り替えて押し付けようとする無責任な人」だったりする。「登場人物ごとの心情のおいしいところだけをつまみ食いしようとしている」とも言える。だから、似たような趣味の読者の受けはとりやすくて、序盤~中盤の読者受けはそこそこよかったりする。
でもこれが中盤~終盤になってくると、その移り気さ、無責任さが悪い方向に出て、事態の収拾がつかないまでに放っておいたりして、完結を目指すのがぐっと苦しくなってくる。そんでもって破綻したり作者の意欲がなくなってエターなることも多い。だから、読み手としては「いいんじゃない、面白そうだからやれば?」って無責任に言えるけど、書き手としては「終わらせる自信や気力がないならやめとけ」って感じ。もしくは「終わらなくてもいいって考えているんならいいんじゃない」かな。途中までは楽しいから。次を期待している読者の前では口が裂けても言えないけれど。
マリンさんくらいの単行本1冊以内で済むボリュームだったらなんとかなったりするよ。
あとは登場人物にどれだけ思い入れられるか、かな。
その人の一生を背負うくらいの覚悟がなければやめとけって言いたい気分。
カテゴリー : 文章・描写 スレッド: 情景描写の量について