本題の方に返信するのを忘れていました……
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情景描写の量についての返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信(元記事)
うん……それはね、マリンさんのもとのイメージがアニメという映像媒体からきてるから、神視点がたぶん適切だろうなと思ってしまったってことなんだと思うよ。
直近のトピックの「主人公が意識を失っている時の描写はどうしたらいい?」のところで皆さん思い思いに意見を述べていますから、どうぞそちらをご覧ください。
私の意見としては、文章媒体ってのは言葉で構成されている。言葉は人の意思によって生み出されるものだから、人の内面から出てくる。だからどんなに客観的に見える文章を紡いだところで、その人の主観は免れない。それが登場人物のうちの誰でもない場合、それは一体誰なの?そこで横で見ている部外者に、登場人物の真剣な胸の内がどれだけわかるっていうの?てところ。
実際、多視点を乱用したがる人(注:プロで多視点を扱っている人ではない)のキャラクターは、無責任だったり、他人事感が強かったり、他者を思いやれなかったりKYだったりってことが多い。キツめのいい方をすると作者本人が「やたら他者の思考を覗き見したがる出歯亀趣味」か「その人の視点では表現しにくいことを他者の視点に切り替えて押し付けようとする無責任な人」だったりする。「登場人物ごとの心情のおいしいところだけをつまみ食いしようとしている」とも言える。だから、似たような趣味の読者の受けはとりやすくて、序盤~中盤の読者受けはそこそこよかったりする。
でもこれが中盤~終盤になってくると、その移り気さ、無責任さが悪い方向に出て、事態の収拾がつかないまでに放っておいたりして、完結を目指すのがぐっと苦しくなってくる。そんでもって破綻したり作者の意欲がなくなってエターなることも多い。だから、読み手としては「いいんじゃない、面白そうだからやれば?」って無責任に言えるけど、書き手としては「終わらせる自信や気力がないならやめとけ」って感じ。もしくは「終わらなくてもいいって考えているんならいいんじゃない」かな。途中までは楽しいから。次を期待している読者の前では口が裂けても言えないけれど。
マリンさんくらいの単行本1冊以内で済むボリュームだったらなんとかなったりするよ。
あとは登場人物にどれだけ思い入れられるか、かな。
その人の一生を背負うくらいの覚悟がなければやめとけって言いたい気分。
本題の方に返信するのを忘れていました……
スレ主 鬼の王の墓標 投稿日時: : 0
今更ですが返信を書きます。
>>やたら他者の思考を覗き見したがる出歯亀趣味
>>その人の視点では表現しにくいことを他者の視点に切り替えて押し付けようとする無責任な人
お手厳しいですが、前者は自分にも少し思い当たるフシがあります。
アクセントで少量入れるだけなら全然構わないのでしょうけど、多視点は使いすぎると毒なようですね。
群像劇とか短編連作の要素が強い作品なら全然構わないのでしょうけど
>>その人の一生を背負うくらいの覚悟がなければやめとけって言いたい気分。
基本的に私は自分で作ったキャラクターは(後から失敗したと思ったキャラも含めて)みんな好きなので、hexa様の言った「その人の一生を背負うくらいの覚悟」というものは持っているつもりです。
(あとボリュームに関してもこれ以上増大させたいとは思っていませんね。前作はこう見えても書き上げるのに一年以上掛かっているので、たとえあの程度の出来でもしんどいと思いながら完走した方です)
ジャンプとかで十年以上連載を続けている漫画家の皆様はめちゃくちゃすごいと思っています。編集部が自分の望む形で完結させてくれなくても描き続けるなんて、相当の覚悟が必要だと思いますよ。
(長期化が原因でダレているストーリーに難癖をつける人の気持ちもわかりますが……)
PS
これはなろうにある小説の書き方のエッセイで聞いたことなのですが、三人称でも心理描写はなるべく主人公に限定するべきという記述がありました。
拙作のクライマックスのような「ラスボスの心理描写を思いっきり書く」というのはあまり良くないのでしょうか……?
複数人の心理描写を書けることが三人称の利点だと思っていた(そしてそれを有効活用しないなら三人称の意味がないとも思っていた)のですが、この意見は私の認識と正反対なのでかなり気になっています。
カテゴリー : 文章・描写 スレッド: 情景描写の量について