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物書きへの適正について (No: 1)

スレ主 蛇鷲 投稿日時:

当方自分は文章を書くのに向いてないと思っています。
理由はだいたい二つ
1) 何事にも無感動、無感想
作文を一行未満で完成とし、講義の感想?を書けといわれて30分以上居残りさせられるような人間です。無論読書感想文は鬼門、正直一人で書き上げた覚えがないです。
2) 対人能力の不足
当方中学卒業後はネット環境を含めても交友関係がほとんどありません。そもそも人の気持ちをうかがうこと・空気を読むことがまるでできず、弟の同級生が亡くなった際、その人が長期入院中だったと聞いて『どうせ誰も覚えていない』と発言するほどです。
他に、他人とはだいぶ違った思考をする点(例えば好きな人に値段をつけてといわれれば10円だか50円だかという安値をつけたり、怖いものと聞かれてペストと答えたり)も挙げられるでしょうか。
国語自体は答えればたいてい当たるほどには得意なのですが、こんな人間はアイデアをプロット投稿板に投げて他人頼みにするほうがいいんでしょうか?
それとも意地と執念だけを頼りに自分で書くことに挑戦した方がいいのでしょうか?

カテゴリー: やる気・動機・スランプ

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物書きへの適正についての返信 (No: 2)

投稿者 サタン : 1 No: 1の返信

投稿日時:

無感動、コミュ障、まあ、私もそうだよ。
これはね、あくまで「創作能力は」という意味で答えると、たいした問題ではないよ。
というのも、純文学ならともかくエンタメの物語は感性で書くのではなく割と計算で書くからだね。
しっかりと感動へ持ってく組み立てをすれば感動する話は誰にでも書けるのよ。感性で誤魔化そうとしなければね。
ただやっぱアイディアや演出の面では才能・センスというのは光ってくるから、感性が重要ではないと言ってるわけではないよ。
物語として楽しめるモノ、それ自体は感性で書くものではない、ってこと。センス云々はそこから先の話。
そんでもって、そのセンスってのは「創作パラメータで突出してる何か」って事じゃなくて、誰でも持ってる「その人の個性」の事だから、結局コレも誰でも書けることなのよ。
まあ、その自前の個性が大衆向けではないとか他者に理解されにくいとか、そういう部分でハンディを背負うこともあるけど、むしろそこまで自分を理解出来てるならその分野で突出すれば良い話で、へんなプライドとこだわりを捨てりゃ、誰でも一級品になれる素質は持ってるんだよ。
「値段をつけてと言われて興味なさげに安値をつける」それも個性でしょ?

>アイデアをプロット投稿板に投げて他人頼みにするほうがいいんでしょうか?
>それとも意地と執念だけを頼りに自分で書くことに挑戦した方がいいのでしょうか?
これは、本題なんだろうけど、正直どっちがいいか判断できないな。
「他人頼み」とは言うけど、どこまで意見を採用してるのかわからないしさ。
その意見を咀嚼して自分なりに組み込んでるんなら、そりゃ単に参考にしてるだけであって、資料を読んで本編にネタを差し込むのと大して変わらない事だと思うよ。
オリジナルってのは自分だけで考えたものだ、と妙に固執する人もいるし、それは場合によっては確かにその通りではあるんだけど、創作って模倣から始まるからね。
誰か・何かを真似るのは創作的にとても大事なことだよ。
だから、誤解を恐れずハッキリ言えば、練習するなら最初は好きな作品を丸パクリしたほうが合理的なんだよね。
なので、アイディアにしろ何にしろ他人の意見を参考にするってのは悪くないし、似た作品を読んでそれを真似るのも悪くない。
「自分だけで自力で誰も見たことない凄いのを思いつこうとする」というのは、一見して良いことに見えるけど、正直言って非常に愚かなことだと思う。
「誰も見たことない」ってことは前例がないってことだもの。ソレの良し悪しが初心者にわかるの? わからんでしょ。
プロが作る凄いアイディアだって、「読者が見たこともないアイディア」なんであって、「作者が見たこともないアイディア」ではないんだよ。

で。
それを理解したうえで「相談は最小限に自力で考える」というのは他人に頼らず参考にする術を持っているということ。
それが可能なんであれば、他人の意見(は大事ではあるけど)に振り回されることもないので自分だけで考えたほうがアイディアはスマートにまとまる。

もし、プロットの感想が自分の求めてる意見ではないと感じているのだとしたら、それは作品で書きたい事が表現しきれていないプロットである、と思われます。
ありきたりだけど「主人公が成長して無双する」という主旨の話を書いてるとすると、まず「成長してる」って事が伝わるプロットでなければその事に関する意見はもらえませんよね。
成長して「だから何なの?」というカタルシスもなければならないので、最低限「成長して頼りになる場面」なんかもないとダメですよね。
このあたりは前述した「感性で書くのではなく、計算で書く」という事なんですが、作品で書きたい事、その主旨を伝えきれていないプロットはプロットの時点で未熟ですし、計算が出来てないのでそれを読んだこちらとしても間違った計算(作者の意図とは違う計算)で回答するので、当然、欲しい意見は返ってきません。
なので、相談の時点で「こういう事を書きたいが上手く表現できてるか?」と書いておいたり「どこそこのシーン・キャラにはこういう意図があるが伝わってるか?」と、欲しい回答を書いておくと得られる回答の質は変わります。
プロットの内容だけ、こういうアイディアがあると書くだけ、この展開はどう思うかと漠然とした質問だけ、という人は、おそらく欲しい回答が得られていないと思います。

エンタメの創作は計算なので、アイディアや設定やキャラといった要素は、そもそも「表現したい主旨」に対して有効かどうかという判断をして良し悪しがわかります。
その主旨が読み取れないプロットにおいて「このアイディアどう?」って聞かれても答えようがないでしょ。
問題文が伏せ字だらけで式もないのに答えや解き方を聞かれてるようなものですから。

そんなわけで、欲しい意見を書いてプロット板を利用する、というのが良いのではないでしょうか。
その意見に振り回されてると感じてきたら自分だけで相談は最小限にしたほうが良いと思います。

物書きへの適正についての返信の返信 (No: 3)

投稿者 サタン : 2 No: 2の返信

投稿日時:

長く書きすぎたせいで書き漏らした。
>あくまで「創作能力は」という意味で答えると
これはあくまで創作能力の話ね。
「作家としてどうか」というと、コミュ障なのは実際かなりキツいです。
ぶっちゃけ自営業みたいなモンなので、営業を自分でやらんと仕事が来ない。その営業も様々だろうけど、ほっといても客が寄ってくるレベルの名作を書ける人でないと、コミュ障なのは問題です。
でも別に社会人として普通なレベルがあれば問題ないので、そうでないとしたら演技でも良いので適当に相手に合わせる癖や人と接する機会が多いバイトなどしたほうが良いでしょう。

物書きへの適正についての返信 (No: 4)

投稿者 アルファ : 0 No: 1の返信

投稿日時:

無感情でも、すでに「何か書きたい」と思った時点で、何かの心が動かされている状態に入っているのではないでしょうか?

たとえ「何に心動かされたか」、は書けなくても、「何が得意か」は思い当たりますか? 得意分野もなく自分にさえ無関心な場合でも、それを事細かい描写で書いてみるといいかもしれません。
なので、一度あえて「無感情な人間を題材とした抜け殻のような人を主人公に作品」を書いてみてはどうでしょうか。無機質な人間の作品は世にあるものですし。無機質でも「何か」が在るものだし、知らないものが潜んでいる可能性もあります。あなたがよくしているであろう、自分を見つめて観察した「自身」を作品風にしてみることです。
本来なら、物語を書く引っ掛かりは「何に心動かされたか(喜怒哀楽)」という体験に肉付けしていくのも一つの方法ですが、それがあなたにはもとから無いんですよね?
けれど、あなたには「自分で何か書きたいという欲求ならある」のですから、世にすでにある物事よりも高尚なものが自分には書けるかもしれない、という意味かもしれませんよ。(誰もがそう思うものであり、ほぼ確実にすでに前例が作品や思想として世に出回ってるものですが)

どうやら無神経なことを言ってしまったと記憶しているから、人への死生観や人の値段のことを書いているのでしょうし(それを人から指摘されて気づいたというのならまた話は変わってきますが)、あなたにも心があるのかもしれませんよ。心の咎というものですね。
出逢う人によっては劇的に人としての心が育まれる瞬間もいつか巡ってくると思います。逆に誰それと出くわしたために脳細胞が劇的に死滅寸前に打撃をうけてボキャブラリーが木っ端みじんに吹っ飛んでくこともありますから、人との出会いには充分と気を付けてください。
気になることには、あなたは幼いころからある種のふれあいが欠けてたのでしょうか。無感情が生み出される条件は、幼少からの感情変化や先天性な心の動かなさの二つが考えられます。

あと、物書きには適正もへったくれもないんじゃないでしょうか。(ただひとえに仕事として求められるか否かで言ってしまったら適正してる人なんか極わずかになってしまいますが。)人はとにかく書きたいから書く。それがいつのまにか物語になっている。そんなものだということをプロアマ関係なく思います。人は感情関係ないとしても、生きてますから。
プロットというものが組めているのなら、どういったジャンルなのかが気になります。恋愛ではなさそうですが、小難しい化学的な分野の物語だと私は苦手です。

とはいえ、私も昔は頭のなかがほぼ毎日真っ白状態で頭が働かずにボーっとしていた、勉強できない、場の状況を読めない、人の感情に無頓着で場違いなことを言う、人が怒るだろうことが分からずに不思議に思ったことを不謹慎なのに気づかずに言って人を怒らせる・不審がらせる、問題解決能力が無い、遅刻ばかり、忘れ物ばかり、それらは全く悪気が無い、物覚えが悪すぎて習い事全部続かなかった、常に疲れ切っていた、気づくと無表情、ただし決して無感情ではなくむしろ感受性が人よりもろかった、なので、似たもの同士では無いでしょうが、何かしら近いものは感じるような気はします。
質問主さんの場合は私とは違ってしっかりした人だと思いますが。

対処として私は自分は脳の働きや脳の成長が著しく遅い、というのは自覚していましたから、自分でどうにかしなければ目の前のあらゆる悩みをこれからも対処できないと思って、小学生時代から好きな創作で感情や脳の記憶回路とかを磨いてきました。
自分で自分を鍛えることは重要だと思います。それが数学か、国語か、道徳か、視覚から得る絵画か、自作の作品かは人それぞれですが、もっといろいろな物を見て実感することは大切です。
意味のなさそうなものにこそ意味を見出してみる訓練とかも良いのではないでしょうか。例えばキュウリが緑の意味とか…は化学的に決まってるから考えることはないですが。

物書きへの適正についての返信 (No: 5)

投稿者 ヘキサ : 0 No: 1の返信

投稿日時:

 私も国語は得意だったけど、読書感想文はめちゃくちゃ苦手だった人だよ。でも、好きな作品の二次創作や考察・批評とか見ているうちに、大人になってから「ああ、そんな感じに書けばよかったのかもな」と思って感想メモとか残すようになってからむちゃくちゃ筆が乗るようになって、それで「書いてもいいかな、書けるかも」って状態になって書くに至ったところ。
 書いてみてわかったけど、小説ってけっこう理詰めで文章を構築できないと厳しいなって感じ。感性のみで書けるものではない。

 ちなみに現在の小学校は、読書感想文って必須課題ではなくなっております。「あんなもの書いても意味ねえだろ」って声がたくさん上がったんだと思うよ、他の人も薄々そう思ってたりでwwその代わり、エッセイや報告書などの書き方講義みたいなのの占める割合が増えてる。社会に出てからの実用性を考えると断然そっちのほうが重要だからじゃないのかなー。

 親戚の子の「読書カード(読んだ本とその感想のリスト)」みせてもらったけれど、感想が「たのしかった」「おもしろかった」「かなしかった」を顔記号で記しとけ、て感じだったり一行で済ませろ程度だったりで、むしろ無駄に長い文自体がNGになってる。そういう時代になってますよーという感じです。

 対人能力は……私も苦手だったけれど、仕事やら何やらで少しは鍛えられた。こればっかりは何とも言えないけれど、マナー本などを読み込むかってところかな。

 ところで 蛇鷲さんが何書こうとしている人だったか思い出してみたけれど、怪人もの書きたいって言っていた人ですか。個人的に「強殖装甲ガイバー」とか推してみますが。あれめっちゃ特撮怪人意識してる作品だから。改造の際のリスクとかめっちゃ細かいよ。生殖機能失うとか、寿命縮むとかで、その実験体扱いのキャラで格好いい人がいっぱいいて燃えます。
 
 とりあえずは趣味の範囲で書いて見てはどうでしょうか。というか、web小説が蔓延する昨今、専業でやること自体が難しくなっている感じもするので、肩の力を抜いて気軽に書き出してみてはどうでしょうか。

 あとここでもプロット提供板あったけど、過疎っていたせいかなくなりましたよね……理由はおそらく「プロット投げ出す人の持ち込むプロット自体が完成度が低くて誰も食指を動かさない」「完成度の高い人なら自分で書ける」あたりでしょうか。とにかく、他人に投げてもあんまりうまくいかないことのほうが多いです。下手でも自分で作ったほうが楽しいと思うんだけどなぁ……

物書きへの適正についての返信 (No: 6)

投稿者 ドラ猫 : 0 No: 1の返信

投稿日時:

何かの本でありましたが、作家というものは多かれ少なかれ「変わり者」だそうです。そういう人ほど面白い物語が書けるのだとか。
文章が書けないのは誰だってそうです。私も小学生の頃の読書感想文は「面白かった」くらいしか書けませんでした。社会の授業でやった「調べた内容をまとめる」作業も資料の丸写しです(自分の言葉で文章化できませんでした)。
それでもラノベを読み書きしていたら某賞三次落ちくらいまでは行けるようになったので、続けていればその悩みも晴れると思います。

物書きへの適正についての返信 (No: 7)

投稿者 読むせん : 0 No: 1の返信

投稿日時:

とりあえず、分かりやすく読みやすい言葉で対話してくれていると思いますよ?

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
私なんかはコミュ障と言うか典型的なアスペルガー型というか、興味を持つ範囲が狭く、そもそも興味が湧かない感じですから。

>>、弟の同級生が亡くなった際、その人が長期入院中だったと聞いて『どうせ誰も覚えていない』

くらい普通では?介護の必要な祖父母が早く死んでほしいなーとか、介護して生きていくの嫌だなー、とか、でも祖父母が死んだら私の存在価値無くなっちゃうから、私も祖父母と一笑に形見の品みたいに窯で焼いて欲しいかも・・・・。

みたいなことは小学生時点で思っていて、祖父母が亡くなり、もう15年経ちますが、そんな感覚は未だに漠然と持っていて生きにくいっすよ(;^_^A人生長すぎ。

小学校時点で介護くらしなので母親と【理想の死に方】で盛り上がる生活でしたし

「早く死んだ者勝ちだよねー」
「介護され生活とか寝たきりでずっととか嫌、心臓発作とかでポックリ逝きたい」
「わかるー、ずっと病みついて生きるの嫌やしねw辛そうw」

みたいな(笑)
要はコミュニケーションとは、自分の知らない異文化と交流し、それとの対比で自分を自覚したい、みたいなもんだと思っています。
海外と日本の生活様式の違いや倫理観、文化の違いって面白い。

分かりやすい言葉を使えて。自分と他人の違いを楽しめさえすれば、十分才能の片鱗があるのでは?

コミュは知りませんが人の読書感想文とか映画レビュー見るの好き(ちゃんと自分でも見てからのが、違う感想抱けて楽しいですよね)

物書きへの適正についての返信 (No: 8)

投稿者 玄翁 : 0 No: 1の返信

投稿日時:

はいはい。
私も学校の授業での作文や読書感想文はものすごく苦手で、ウンウンうなるばかりで一番最後までできなかったことなどざらでした。

他人の不幸に共感しにくいと言ってもどの程度の付き合いなのか、顔見知り程度なら知っていても感慨など持ちようもなかったりします。

ただそれをそのまま率直に言葉に出すのではなく、お気の毒ですねと言った言葉を使うのも大事だなと年を取って気づいただけだったりします。

実は私最近母親が亡くなりましたが、数年前から認知症を患っていて正直亡くなって悲しいと言う感情よりもホッとした部分(自分だけでなく、周囲や当人も鑑みて)があるのは事実で、家族であってもその関係性次第だったりします。

少し脱線しましたが、貴方自身が創作したいと言う気持ちがあるのならあくまで私基準ですが適性は十分有ると思いますよ。

もし今作品を作り上げることに不安があるのなら作家としての力をつけることが大事で、それには一にも二にも作品を書き上げること、様々な情報(自分が興味のあること以外でも)を自身にインプットし知見を高めることなどでしょうか。

自分の好きなものにしか興味がなく、それ以外は無感動であったとしてもそこで即作家として失格とはならないと思います。
それらも自分の好きなものに繋がることが分れば別に興味を持つ糸口になったりもしますし。

対人能力にしても、相手との齟齬があることを踏まえてある程度やり取りが出来れば十分なのではないでしょうか?

物書きへの適正についての返信 (No: 9)

投稿者 甘粕 : 0 No: 1の返信

投稿日時:

ここで適切な言葉選びが出来ているのだから、まあ創作能力はあるのだと思う。
作家というのは、変わり者が多いので
気にしなくてもいいのではと思います。

文章を書くのに向いてない、と
自分で決めつけてしまうのは悲しい
(私も自罰感情に左右されるとそうなるが)

自分はちょっと自信があるのだと
思い込むくらいで書くと上手くいくのではないか。

問題としては些細な事である。

物書きへの適正についての返信 (No: 10)

投稿者 ふ じ た に : 0 No: 1の返信

投稿日時:

書かれた文章を読みましたが、とても分かりやすかったですよ。
結論→理由と流れていて、何を言いたいのか伝わりやすかったです。
この分かりやすさっていうのは、エンタメ系の作品を書くには向いていると思いますよ。

このように、欠点だけではなく、できる点や良い点も考えて、
文章を書くのに向いてないと判断する必要があるかなぁと思いました。
また、欠点があっても、本人のやる気次第で、
年単位で時間を掛ければ直る場合もあるので、
それだけで向いてないとは判断しにくいとは思います。

御礼 (No: 11)

スレ主 蛇鷲 : 0 No: 1の返信

投稿日時:

皆様温かいお言葉ありがとうございます。
どなたか一人くらい『よせよせ』とはっきり言ってくれるかと思っていたのですが、そのような意見が一つもなかったので踏ん切りがつきました。
たとえ他人がどんな気持ちでどう動くかまるでわからなくても、感性で判断するのに理性で理由づけできなくても、挙句人としてねじが三四本外れていても、とにかくゆっくりでも書きづつけて話をきちんと他人に伝わる形にしたいと思います。
最後に、当方のような人でなしの背中でも押してくれる皆様へ重ねて御礼申し上げます。

物書きへの適正についての返信 (No: 12)

投稿者 かにさん : 0 No: 1の返信

投稿日時:

やれるだけやってみたらいいと思います。

無感動は「感情的にならず中立的な視点を持って物事を見れる」とも取れます。
対人能力の不足は「他にない独特な個性を持っている(集団と共有する背景が大きく異なるから意思疎通のハードルが高く、社交性がないように映る)」とも取れます。

上記の特徴は、小説家としては普通の人に比べて有利に働きうる素質でもあります。

長所と短所は裏返しなので、短所を無理に無くそうとする、克服しようとする必要はないです。日本社会は能力平等観に立った価値観(人の能力はみな平等だ)を持つ人が多くいるので、短所の克服を求めますが。個性的な人間に個性を克服させるのは無理ですし、やる意味がない、コスパに合わないと思います。

自分の長所が使えて、短所をなるべく使わないクリエイター系の職業につくのは、むしろ向いているのではないかとも思います。

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タイトル:物書きへの適正について 投稿者: 蛇鷲

当方自分は文章を書くのに向いてないと思っています。
理由はだいたい二つ
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他に、他人とはだいぶ違った思考をする点(例えば好きな人に値段をつけてといわれれば10円だか50円だかという安値をつけたり、怖いものと聞かれてペストと答えたり)も挙げられるでしょうか。
国語自体は答えればたいてい当たるほどには得意なのですが、こんな人間はアイデアをプロット投稿板に投げて他人頼みにするほうがいいんでしょうか?
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