異世界ファンタジーの数値化された能力についての返信
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異世界ファンタジーの数値化された能力について(元記事)
最近の異世界ファンタジー物は大抵の場合、ゲームの世界が舞台というわけでもないのに主人公の持つ能力をレベルやスキル、ステータス等、ゲームシステムのように数値化する傾向にあるように思いますが、これはなぜでしょうか?
ゲームであればストーリーの中でシステムに言及するのはメタ表現としてタブー視され、世界観に沿った表現に変更が加えられるのが普通だと思います。NPCがシステムに言及するときはプレイヤーに対する説明であって主人公に対する説明ではないはずです。NPC同士でポケモンの種族値がどうのといった会話は本来ありえません。
ライトノベルにおいて、特にゲーム世界が舞台ではない作品で登場人物の能力や強弱をゲームシステム的な数値によってあらわすことに関する世界観・設定上の理由、作中での説明で一般的なものは何でしょうか?
個人的にはスキルやステータスといった数値のみで強弱を示すものはあまり好みではありません。例えば、「200のダメージを与えた」だけではそれが致命傷なのかただのかすり傷程度なのかが判然としません。数値で強さを表すには比較対象や基準値が必要だと思いますが、それならば直接、常人なら死ぬであろう一撃を耐えた等と描写すればいいのではないでしょうか? わざわざ数値に置き換える必要は無い気がします。
ゲーム的な異世界について、数値化された能力について皆さんはどう思いますか?
異世界ファンタジーの数値化された能力についての返信
投稿者 読むせん 投稿日時: : 0
>>読者は対価の約束されていない努力が嫌い!主人公が成功することを冒頭の早い段階で約束し、期待感を煽るべき?
投稿者 うっぴー 、さん
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・・・・・・・・(むりやり抜粋)
>>3・主人公が能力的に成長していくのは快感である。
この際に必要な努力とは、ゲームのレベルアップである。
努力と感じさせない遊び感覚の努力。または、主人公(読者)が日常的に行っていたことが、異世界では異常に評価されるような設定が望ましい。
4・1を受けて必要なのは、主人公が成功することを冒頭の早い段階で約束することである。
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これがかなり近いのでは?
極端に言うと、努力や才能、技術の習得などが【具体的に目視できる】ことが受けている。
恥ずかしながら、私自身が耐久力や持久力の見極めによく失敗し、気力でも立て無くなったり、立ち眩み→失神とかをやらかします。気ばかり逸(はや)って自分の脆弱(ぜいじゃく)性を見極め損ねるんですよね・・・
バイクに乗っていた時なんか、ハンドルを掴む握力がヘロヘロになっていることに無自覚で、カーブの遠心力で手がすっぽ抜けて転がったり、疲れすぎて重心移動のタイミングを失敗し、車体ごと事故りかけた事も多々あります。
( ̄▽ ̄;)ステータス目視機能あれば、そうなる前に気付けて楽だし安心でしょうね。
ステータスがあれば、努力の方向音痴もなく、伸ばしたい個性が具体的に伸ばせているという実感も得られます。
根底には逆説的な発想「努力が無駄に終わることを恐れる心理」があるのかも?
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>>ライトノベルにおいて、特にゲーム世界が舞台ではない作品で登場人物の能力や強弱をゲームシステム的な数値によってあらわすことに関する世界観・設定上の理由、作中での説明で一般的なものは何でしょうか?
近未来系ならのデバイスや体調管理アプリケーション、ファンタジー系なら「この世界ではこれが当たり前」でぶん投げかと。
ディストピア系なら、ステータス依存主義社会によって未来を決定された少年少女たちの話は面白かった。
実際はステータス管理コンピューターの制度が怪しく、かなりの天才達が無能者として場末の工場勤務とかで一生を終えていることが判明するの。
カテゴリー : 設定(世界観) スレッド: 異世界ファンタジーの数値化された能力について