『存在しない観念』の表現方法。の返信
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『存在しない観念』の表現方法。(元記事)
大野です。最近では珍しく、まともな質問です。
今俺は、ファンタジー世界を舞台にしつつ、SF的な所のある古代文明が出てくる作品を作っています。
今回の質問内容は、『現実には存在するけど作中には存在しない観念』を、『登場キャラには理解させぬまま、作中世界に存在しない・意図的に消された』ことを表現したく、悩んでいます。
抽象的過ぎたので、以下具体例。
『戦争を起こさないために統一帝国を作って、攻撃魔法の技術や宗教などを消し、仮初の楽園を作った』が『数千年ほどして、溜まり切った軋轢によって戦争が起こり』、『戦乱の世界を生きる主人公がひょんなことから古代文明の兵器を拾う』という展開なのですが、『古代文明の兵器』の性質が作中世界の宗教と密接にかかわりあっていて、しかし『宗教』の存在を主人公が知らない場合、ですね。
どなたか、ご教授願います。
『存在しない観念』の表現方法。の返信
投稿者 手塚満 投稿日時: : 1
作者の腕前が試される難しいものでもありますし、身近にヒントになる事例があるものでもあるように思います。以下、少し説明してみます。
1.言わずに悟らせるのはテーマなど最重要のことを語るコツ
お考えのことは難しい技術でして、なぜなら作品のテーマとか、最も大事なことを読者に伝えるコツだからです。やり方は知られておらず(一般的なものはたぶん無い)、こうしたほうがいいということだけ知られています。
大事なことは作者が言わずに読者に悟ってもらえ、というわけですが、自分で「分かった!」と思えるほうが感動が深いし、納得もしやすいからでしょう。作者が「こういうことだ」と押し付けても、読者は「そうかなあ?」と疑問に思ったり、反発すらしかねません。
そのことは「作中で描かれるものは、描かれないもののシルエットを浮かび上がらせるためにある」みたいなコツとして言われることもあります。自分などは、そう聞いただけで諦めたくなったりします。
2.演出レベルもあるし現実にもある
とはいえ、単に忘れ去られたものの一部だけ残っているという演出もありますよね。身近にもあるものでしょう。例えば、何かが駄目になることを「オシャカ」「お陀仏」と言ったりします。ちょっと考えれば仏教由来と分かるものではありますが、そう意識せずに使ってる言葉でしょうか。
3.迷信:夜爪を切るなの事例
迷信、ことわざなどにも同様のものがあります。例えば「夜爪を切ると親の死に目に会えない」ということが古くから言われています。諸説ありますが、例えば実用上の理由だとするのが、
・昔は夜が暗かった(灯りは暗いし、高価でもあった)
・今の爪切り発明以前は小刀などで爪を切ったり、削ったりしていた。
ことから、夜に爪を切ると手足の指を切ったり、深爪したりしがちでした。深爪はしばしば雑菌の侵入を招きます。昔はわらじ程度で土の道を歩きますし、人口の大多数は農民です。土や肥料を触ったり踏んだりするわけですから、手足の傷とか深爪は衛生上、危険であるわけです。
つまり死亡リスクを高めてしまう。それなら親より先に死ぬかも、ということで「死に目に会えない」。
別の説では戦国時代の武士の城の「夜詰め」(夜勤の警護)というのもあります。「夜詰め」と「夜爪」のダジャレです。「夜詰め」は夜襲に備える大事な役割なので、たとえ親が病床に会っても城に詰めていなければなりません。それくらい大事であり、嫌な役割でもあるので、夜爪と言い換えて「死に目に会えない」と愚痴った。爪の話かと思ったら戦の話であるわけです。
4.衛生上の経験則の事例:手で触るな
迷信っぽい別の事例も。修行僧多数のある禅寺では、あれは手で触ってはいけない、これも駄目と、触ってはならないものの禁則多数で、触っていいものを覚えるほうが早いほどだとTVで紹介されてました。手は不浄だから仏様に失礼だ、みたいな説明だったと記憶しています。
でも、コロナ禍を経験している今の我々だと、なんとなく分かりますよね。狭い場所に多数の集団生活では感染症の流行が起こりやすい。接触感染は感染症の主要径路の1つです。昔は細菌、ウイルスなんて知らないわけですが、「何かに触る機会が多い者は疫病で死にやすい」と観察から経験則を導いた人がいたんでしょう。だから「触るな」になったけれど、理由は説明できない。そこで禅寺ですから仏様を理由にしておいた。そんなところではないかと思います。
5.箸の持ち方:理由が形骸化している
箸の持ち方も同様です。正しいとか言いたくないので、標準的と言っておきますが、そういう持ち方をせよ、とだけ言われていることが多いですね。理由を語る人はほとんどいません。あの標準的な持ち方ですと、食べ物をつまみやすいのです。例えば、X字型の交差箸ですと、つまもうとした食べ物を押しやるような感じなのでつまみにくい。
標準的な箸の持ち方であれば、食べたい部分を食べたいだけつまみ上げることが容易であるわけです。美味しく食べられますよね。そういう食べ方であれば、皿の上のおかずも動きにくく、食べた後も乱れない。サンマの塩焼きを食べた後、皿があまり汚れず、サンマの骨も最初の位置からあまりずれていないなら、美味しく食べた結果ということになります。根幹は「美味しく食べる」なんですが、結果だけを暗記しているケースが多そうです。
ねぶり箸、そら箸等々の不適切とされる箸の使用法も衛生上の理由が見て取れるものがあります。ですが理由は、はしたないとか、汚いとかで済ますことが多いようです。
こんな風に現実にいろいろあります。気を付けて身の回りを観察したり、思い出したりすれば、お考えの作品のヒントになるものがあるんじゃないかと思います。
6.お考えの失われた古代宗教で考えてみると
具体例についても少し。古代には兵器があったが封印されて忘れられていたわけですね。しかし主人公が偶然見つけだしてしまう。使えてしまうということにもなるんでしょう(でないと、話が進まない)。
仮に普通の長剣は作品世界の現代にあるとします。古代の兵器は斬るものだけど、なぜか円形だとします。円(や球)って、例えば古代ギリシアでは完全なものの象徴だったりします。作品世界の失われた古代宗教でも円は完全なものだから、ということなら不便だけど円形の剣でいいでしょう。古代の宗教に魔力があるなら、円形だから威力がある、ともできます(使いやすいように作り直すと威力が失われる)。
あるいは、見た目は普通の長剣で威力があるんだけど手応えが強すぎるとか。極端には誰かを斬ったら、自分にも斬られた痛みを感じるほどとか(岩を斬り裂いた場合は痛みは感じない、としておいても可かも)。裏設定としては「強すぎる古代の兵器の封印に呪いがかかっており、使用者に相手の痛みが与えられる」とかしておく。
しかし、古代兵器を通じて「戦いによって滅亡寸前に至った世界」を浮かび上がらせようとするなら、上述の通り、テーマを言わずに悟らせることとなり、「こうすればできる」といった方法はないと思います。
主人公が知らない(作者が隠す)ことが、演出なのか、テーマなどの根幹なのか、よく見極めてから、方法をお考えになってはどうかと思います。
カテゴリー : 文章・描写 スレッド: 『存在しない観念』の表現方法。