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『存在しない観念』の表現方法。の返信(元記事)
エウレカセブンでやっていましたねー。
涅槃(ニルヴァーナ)とか阿弥陀ドライブとか補陀落(ほだらく・ふだらく)とか。
ちょうどゲルク派の死者の書を「記号を追えても理解はできねー」とダーラダーラ読んでいる最中で、キーワード連発していた&死者の書の論とかなりリンクしていたから、
ムスカ大佐張りに「分かる・・・・理解できるぞ!!!」「そうかそういう事だったのか・・・・ククク」みたいな状態になり、兄に本気のドン引きをされました。
個人的に、宗教関連はきつい。
たしかエウレカセブンでのチベット密教論―———【アゲハ構想】だっけ?アレの大半って、私はだいたい理解できたんでムスカりましたが、分かっていなけりゃ電波回になってしまっていました。
私的に『輪るピングドラム』とか何かの宗教構造を敷き写しながら作ってあるのは分かるけど、理解できない。電波やん。もう電波やん。
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観念っていうのが難しいんですよね
たぶん『空即是色』とか『梵我一如』とか『ズンドコベロンチョ』とか言葉だけでは本質の理解に至らない物。
ディズニー映画のウォーリーで出てきた『ショクブツ』あるいはウォーリーの『自我』みたいな一言で表せるものとかじゃない?
ハガレンとかは『等価交換』で、「じゃあその「値の基準」を決めているのは誰?」みたいなSF展開っぽかったし、作中でずっと重要な命題であり続けた。
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この場合、突っ込んで尋ねてしまうと、知らないものが【宗教】という概念?観念でいいの?
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スレ主 大野知人 投稿日時: : 0
うん、言葉の厳密性を考えずに問うた俺が悪かった。
要するに、『信仰する』という考え方が存在せず、『神話・伝承』と呼びうるものが意図的に隠されたら、という話。
言葉としての『神、宗教、信仰』もそうであるし、『実在しない何かに願う・祈る・崇拝する』という形そのものでもあるし、あるいは空想した物語の人物に『過剰に感情移入する・内面で昇華して崇拝する』という実感でもある。
そう言ったものを知らない人が主舞台に居る世界で、つまり『存在しないことが当たり前』の世界で、『どうやら存在しないらしい』というのをどう表現するか、という質問でござる。
カテゴリー : 文章・描写 スレッド: 『存在しない観念』の表現方法。