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文章が要約のようになってしまう (No: 1)
スレ主 三流学徒 投稿日時:
[要旨]
文章が要約のようになってしまう
[希望]
文章を(展開ではなく)膨らませるテクニック、或いはそうできるようになる為に有用な練習法
[詳細]
初めてこの掲示板を利用させてもらいます。某県在住の高校2年です。端的に纏めると、書いた文章が要約のようになってしまい、困っています。
事の発端として、先日教員に校内誌への文章の寄稿を求められました。校内誌自体のテーマが決まっているため話のネタも構成も割と早々に決まったのですが、いざ書き出してみれば文章がひどく薄っぺらになってしまいます。タイトルにもある通り、「要約のようになってしまう」のです。このままでは必要字数に達しそうにありません。
そのため、(展開ではなく)文章量を膨らませるために有用なテクニック、或いはそうできるようになる為に有用な練習法などがあれば教えていただきたい次第です。
筋を通して考えればその「要約のような文章」を添付し、具体的なダメ出しを乞うべきなのでしょう。しかし校内誌という媒体の特性上身バレの危険が少なからず存在するため、勝手ながら今回は掲載ができそうにありません。
ぶしつけかつ身勝手な相談かとは思いますが、どうかお力添えをお願いします。
カテゴリー: 文章・描写
この質問に返信する!文章が要約のようになってしまうの返信 (No: 2)
投稿日時:
それって、国語あたり教科書など必携だとか、の「古典文法ダイジェスト」みたいな引き締まった文章を書いてしまっている、とかなのですか? (^_^;)
まず推定に、なりますけど……。
たぶんアタマが良すぎるんですよ! ……ふつうライトノベルの読者わたしも含めて、ムヅカしいコトわかりません。
こちら感受性にシンクロしてくれる、ような「滲みてくる文章」なら読みたいかな~。
そういうの、古文の歌だとかにも、あるでしょう? (*^_^*)
文章が要約のようになってしまうの返信の返信 (No: 11)
投稿日時:
すをる様、回答ありがとうございます。
古文の歌、というのは盲点でした。伊勢物語など特に好きなので、この機会に読み返してみようと思います。
人気回答!文章が要約のようになってしまうの返信 (No: 3)
投稿日時:
なんとなく通った事ある道な気がするので、少し感覚的に書くけれど。
単純に言えば、『わかりにくさ』をきちんと作る事なんだと思うよ。
文章の分かりやすさって言うのは、言ってしまえば『共通認識を突き詰める』って事なんだよ。『分かりやすい単語』『分かりやすい順序』『慣用的で通じやすい表現』――そういうのを選りすぐって丁寧に並べた物が『分かりやすい文章』。またの名を『要約的な文章』です。平坦な精神状態、もっと言えば冷静な時に読みやすい文章ですね。
でも実際のところ、小説という形をとるのであればだけれど。読者に対して求められるのは『冷静さ』だけではありません。キャラクターへの感情移入や、景色・物の美しさへの感嘆、登場人物というフィルタを掛けて見ることによる『自分の意識とは少し違う世界の見え方』みたいな物。
ここら辺、人生経験積んだりひたすら人間観察しないと習得しづらい物もあるんだけど……。要するに『分かりやすい単語』選びや『分かりやすい文法』を避けることによって、文章に籠められる感情にグラデーションが出来る。それが『要約的じゃない文章』ってことじゃないのかな?
ま、つったってどうしたらいいかわかんねぇよと思うだろうから、具体的なアドバイス。短い文章をたくさん作って、そこに修飾語(形容詞や副詞や助詞や助動詞ね)を付けなさい。
で、勢いが大事な所は修飾語少なめに、感情描写ちゃんとやりたいシーンには修飾語多めで。バランスは分かんないと思うから、一回やってみて後からそれを推敲すればいい。
例:
要約的な文章
『新聞紙片手に商店街の肉屋で買って来た肉まんを齧り、梅昆布茶を啜る。』
沢山の短い文章
『新聞紙を読む。商店街で肉まんを買って来た。梅昆布茶を入れ、それを呑む』
修飾語を入れる
『新聞紙を膝に乗せ、パラパラとめくる。そういえば商店街で肉まんを買っていたのだった。思い出しがてら、梅昆布茶を入れる。肉まんをひと齧りして、香り高い梅昆布茶を啜る』
ちょっと寂しいので、モノローグと台詞を追加。
『新聞紙を膝に乗せ、パラパラとめくる。「一面の記事は……。通り魔!? 物騒だねぇ。あ、そう言えば!」商店街で肉まんを買っていたのだった。「なら……うん。やっぱ梅昆布茶かな」思い出しがてら、梅昆布茶を入れる。合わないと思うかもしれないが、これが何とも美味いのだ。肉まんをひと齧りして、香り高い梅昆布茶を啜る。「クゥー。ま、塩分過多で怒られそうではあるけどな……」』
と、まあこんな感じ。だいたい5倍弱って所だな。
基本的に『大したことない』ように見えるものを細かく書きだすのがコツ。
4個以上の名詞が出てくる文章は、形を変えると2つの文章に分けることが出来るものが多いから、そこら辺もコツ。
あとは、倒置法を使うとかね。
例:
元『目玉が三つもある上に頭からは角も生えている。間違いなく、それは怪物だった』
倒置『ギョロリと見渡す三つの血走った眼球。頭からは天を突きささんとばかりに角が生えている。ああ、間違いない。アニメや漫画で見るような怪物が、そこに立っていた』
ってな感じ。
ま、基本的には『不必要に細かく書き込む』って所だ。塩梅に関しては、完全に練習しないとどうにもならない。ガンバ!
以上、参考になれば幸いです。
文章が要約のようになってしまうの返信の返信 (No: 7)
投稿日時:
大野知人様、回答ありがとうございます。
「わかりにくさを作る」という観点は今まで自分にないものでした。参考にさせていただきます。
根底にある理由/思考まで丁寧に説明いただけたので、テクニックのほうもその重要性を理解できました。
無論すぐ使いこなせはしませんので、一先ずは練習をしていこうかと思います。
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文章が要約のようになってしまうの返信 (No: 4)
投稿日時:
ご相談の文面そのものが、「小論文の書き方」を意識したような文章になっています。もちろん質問文と論文は性格が違うわけですが、冒頭で要旨を示してから詳細に移っているところなど、そんな感じがしました。詳細パートも何に困っていて、何を教えてほしいのかなど、無駄なく簡潔にまとめられていて、むしろ感心したくらいです。
しかし、この場合はそういうスキルが邪魔をしているのかもしれません。
教室では「小論文は感想文とは違うのだから、個人的な好みや考えを書いてはいけない」みたいなことを教わりませんでしたか? 論文は「個人の意見」を書く場合も客観的な根拠が求められるんですね。
しかし、ご質問の案件では、むしろ「小論文の書き方」は忘れて「感想文」を書いてみる方がよいのかもしれません。「これは、他の人の考えていることとちょっと違うかもしれないな」と思っても、そう思うきっかけになった体験などを添えてスレ主様の「素朴な想い」を書いてみると、文章にふくらみが加わるのではないでしょうか。
単に文章量を増やすことだけを意識すると単なる「水増し」になってしまうので、推奨できません。論拠ではなく、体験を書くように心がけると良いかもしれません。
文章が要約のようになってしまうの返信の返信 (No: 8)
投稿日時:
あまくさ様、回答ありがとうございます。
実際に私が今まで書いていた文章が小論文に類するものだったので、僅かな情報量で看破されたことに驚愕しています。
「感想文」を書く、というのは完全に欠落している視点でした。ありがとうございます。
文章が要約のようになってしまうの返信 (No: 5)
投稿日時:
まず、基本的なことを押さえておきますが、ここはラノベのサイトです(主に書きたい人向け)。校内誌に寄稿する文章の書き手向けではありません(校内誌にラノベ連載するとかでない限り)。文章の目的が違えば、文章テクニックが全く違うんです。
ですので、何を回答しても役立つ可能性は低い。そう申し上げたうえで、問題点と思われるものを、一応、挙げてみることにします。文章サンプルはスレ主さんのご質問文となります。
結論を先に申し上げておきますと、「校内誌に間に合うような即効性の処方はない。これからは、たくさん読んで、たくさん書くようにしたらいいです」となります。
1.1回限りの事象
校内誌向けに何か書いてみた。それだけでご相談されてますね。以前から何か書いていたということはない。もしあるなら、校内誌で思わしくないと思った文章はサンプルとして示せなくても、以前から書いていた何かをここに転載することは可能のはずです。
しかしなさってない。つまり、まとまった文章を書く習慣はなく、事例がないか少なすぎる。すなわち、傾向的に「要約的になってしまう」のかどうかは不明です。あるかどうか分からない難点ですから、誰にもどうこうすることはできません。
2.要約的ではなく冗長で抜けが多い
スレ主さんのご質問文は、整理してあるようでいて、ごちゃごちゃしてます。短い文章なのに、同じ情報を繰り返したり、無用な情報を入れてあったりしてますよ。自己分析(要約的になってしまう)が間違っているんじゃないでしょうか。
例えば、ご質問の核心に関わる「要約」。タイトル含めて5回仰ってる。この短いご質問文で、です。そうかと思えば「某県在住」とか、どうでもいいことも書いてある。せいぜい「県であるエリア在住」としか分かりませんし、分かったところで無意味情報です。要約的に書く癖があるなら、あり得ない。
自分の文章が要約的だと気づいたエピソードも、ご質問趣旨には全く関係がありません。そのくせ、寄稿しようとした文章がどういうものか示せない。文章そのものを転載できないのはいいでしょう。個人情報は控えるべきものですから。
問題はジャンルなどの文章の目的、性質です。例えば紀行文なのか、論説文なのか、個人的なエッセイなのか。題材は何か、スレ主さんはその題材に詳しいのか疎いのか。書いて読み返して、何に行き詰ったと思ったのか。不要なことは熱心で、大事なことは抜けてしまう。
そういうのは要約的ではありません。要旨、希望、詳細と分けたから整うってもんじゃないです。何の情報を、どんな順序で出すかが大事です。それができていない。悩むべきポイントを間違っています。
3.書こうとしたことと、書いた内容がちぐはぐ
[要旨]から始めるのはいいですが、タイトルの繰り返しでは無駄が多い。しかも要旨って大事な点でしょ。辞書的に申せば、言い表そうとする最も大事な点。質問文の書き方では、読者(回答者)に「自分の書き方は要約的です」と知って欲しい、ということになりかねません。
[希望]では、相手(回答者)に対して、どうして欲しいかが抜けていますが、そこは推測はできるので大きな問題ではないでしょう。ただ、読者(回答者)に察してもらう癖は注意したほうがいいです。自分が分かることは相手にもわかるという思い込みは、しばしば(赤の他人の)読み手にとって分からない文章を生みがちです。
[詳細]は要旨、希望を詳しくしたものであるはずですが、挨拶から入ってますね。挨拶を書くなら、この場合は[要旨]の前が適切でしょう。概要が分かって、詳しい説明が聞けると思ったら挨拶されたんでは面食らいますし、何が言いたいんだろうといぶかしくもなります。
あるいは「(展開ではなく)文章量を膨らませるために有用なテクニック、或いはそうできるようになる為に有用な練習法」という部分は、[希望]の繰り返しですよね。掘り下げたり、具体化したりしてない。[詳細]と題しておいて、大事な部分が単なる繰り返しでは、形式的ながら3つに分けて整理した意味がありません。これでは水増しで、悪い意味で膨らましてしまっています。
4.即効性のある処方はおそらくない
とはいえ、文章を書き始めたら、よく起こる現象じゃないかと思います。それなりに書けるようになるには、時間がかかります。おそらく寄稿文は締め切りが1年後とかではないでしょう。間に合いません。身近な人に推敲、添削してもらうか、全部任せるかくらいしか手はなさそうです。
5.たくさん読んで、たくさん書いて、1年後に備える
1年後にそれなりに書けるようになることを期するなら、たくさん読んで、たくさん書いてください。最も基本的な練習法です。その際、できるだけ赤の他人に呼んでもらって、感想をもらうことも大事です。親しい人に読んでもらうのが悪いわけではないですが、スレ主さんをよく知る人だと、情報的に抜けた部分などを補完できてしまう可能性が高い。不特定多数に読まれることを前提とするなら、知らない人に読んでもらうのがいいです(例えばこのサイトを含む投稿サイトなどが役に立つ)。
文章が要約のようになってしまうの返信の返信 (No: 9)
投稿日時:
手塚満様、回答ありがとうございます。
本件でご不快な思いをさせたかもしれません。ごめんなさい。
文章の性質に関しては理解していたつもりでしたが、スレチな質問をしていた時点で軽視していた、と言われても仕方なく、少なからずそうであったと思います。
「過去のサンプルを示せるはずである」という指摘は深夜の質問で完全に頭から飛んでいました。
サンプルを探してみたのですが、殆どが顔の割れた場での公開、かつ記録に残りやすい媒体のものなので、どちらにしろサンプルの提出はできそうにありません。
[主旨]と[希望]に関しては投稿前の内容整理用のメモの消し忘れです。誤解を招いてしまい申し訳ありません。
また、ご指摘いただいた項目名と内容の不一致は文章化の際に悪影響となっていそうなので以降は気を付けます。
ご指摘の通り、結局は「読んで書くしかない」ので、一先ずはいくつかエッセイを読んできます。
文章が要約のようになってしまうの返信 (No: 6)
投稿日時:
初めまして、カイトと申します。
ご相談を読んで、自分も高校時代に図書委員として、毎月の図書館報に先生方の寄稿文(2000字程度)を掲載していたことを思い出しました。当時の話ですが、参考になれば。
先生といってもそれぞれ得手不得手があるもので、テーマについてダラダラと書くだけの要約にもなっていない「なんじゃこりゃ」な文章がある一方で、わかりやすく面白みがあり「次も読みたい!」と思わせるものもありました。
前者と後者の違いは、感情の書き方だったように思います。前者は、テーマについての事実を書き連ねるだけ。対する後者は、テーマについて自分がどう感じるか、詳細に書かれていました。
源氏物語を例に挙げると、
前者)
「源氏物語は、平安中期に紫式部によって書かれた物語で、世界最古の長編小説とも呼ばれる。主人公の光源氏を通して、恋愛、権力闘争、栄光と没落など、平安の貴族社会を詳細に描いている。光源氏のモデルには諸説あり〜」
後者)
「源氏物語を初めて読んだのは、私が高校生の時だった。多感な年頃だった私は、いくら美男子とはいえ、不誠実であちらこちらで浮き名を流す光源氏に、なぜああも多くの女性が心を奪われてしまうのか不思議でならず、苛立ちすら感じていた。しかし〜」
といった感じです。
寄稿文のテーマって、ある程度読む人の共通認識とされている内容であることが多いのではないでしょうか。それについての事実をただ述べるだけでは、例に挙げた源氏物語のように「いや知ってるよ」となってしまいます。
テーマについて自分がどう思うのか、なぜそう思うのか、それについて事細かに書いてみてはいかがでしょう。自分の気持ちについて述べるので、少なくとも要約にはならないと思います。
もう一つ、エッセイを書くときに自分が意識しているのは、「舞台俳優のように」です。ちょっと気恥ずかしいのですが、舞台俳優の独白のように感情丸出しで自己陶酔しながら書くのです。
作文と思うとどうしても、語尾が「〜と思いました」「〜と感じました」の連続になりがちです。これに変化をつけるために、倒置法を使ったり自問自答するような形を取ったりするのですが、その時「舞台俳優」を意識すると、それが自然にできたりします。
描いてる最中の様子は、あまり他人に見られたくないですが(笑 そして、最後に推敲して、大袈裟すぎると思う箇所の修正をお忘れなく。
以上です。少しでも参考になれば。
よい寄稿文ができればいいです
文章が要約のようになってしまうの返信の返信 (No: 10)
投稿日時:
カイト様、回答ありがとうございます。
事実ではなく感情を、舞台俳優の様に。
自分が好きなエッセイの好きな要因がそのまま取り出されたようで、合点がいきました。
私もそのような文章を書けるよう、精進していけたらと思います。