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キャラクターによる殺害描写 (No: 1)
スレ主 アーニャ 投稿日時:
バトル物のライトノベルにおいて、メインキャラクターに悪役を殺させるのは、控えた方が良いのでしょうか?
物語において、悪役を退場させるなら死亡退場は鉄板だと思うのですが、さすがにメインキャラクターにやらせるのは避けるべきでしょうか?
カテゴリー: キャラクター
この質問に返信する!人気回答!キャラクターによる殺害描写の返信 (No: 2)
投稿日時:
初めまして。
ジャンルと、世界観に寄るかなぁと思います。
少女少年小説向けで警察のある世界観だったら、
悪役は警察に引き渡すのが順当かなぁと思います。
参考になれば幸いです!
キャラクターによる殺害描写の返信 (No: 3)
投稿日時:
殺害のような行為自体は、出しても大丈夫です(あまり頻繁に出てくると嫌になるかも)。
しかし、その殺害をするというキャラの感情は、しっかりと考え、描写せねばなりません。
というのも、殺害をしたキャラの性格によって、そのキャラが「自分が殺人を犯した」という事実をどう受け止めるかは変わってきます。
そのキャラの性格が「正義感が強い」というものなら、殺人したのに平然としてるなんておかしいです。
強い自己嫌悪を感じる、半狂乱になる、塞ぎ込む、自殺してしまう、など、反応は様々。
まぁ、ここまで酷い事になるかは微妙ですが、わかりやすく言うとこんな感じってことです。
殺害したなら、それなりの反応はあるでしょう、と。
逆に闇を抱えていたりすると、無反応というのも有り得るでしょう。
また、殺害する相手がモンスターの場合、ほとんどの作品では誰も気にしていません。相手によっても変わってくるので、こちらも意識してみたほうがよろしいかと。とはいえ、キャラの感情ほど意識する必要もありませんが。
といったように、殺害するならそれらしいの反応を示す、という事を注意しておいたら、それほど問題はありません。
キャラクターによる殺害描写の返信 (No: 4)
投稿者 【本人から削除依頼】 : 1 No: 1の返信
投稿日時:
作風にもよる話で、一括りにいい悪いは言いにくい問題ですね。
ドラマなども含めて、昔の作品を考えてみると(古典は物語がシンプルで考えやすい)、悪党を殺しまくっている作品もあります。最近でもスペシャルがある「必殺仕事人」ですね。この作品だと、主人公チームが悪党どもをラストで殺さないことには、話が締まりません。
必殺仕事人だけでなく、類例はいろいろ見つかりそうです。ただ、ダーク系という共通点はあると思います。
作品的な多数派としては、たとえ悪役を死なせるにしても、例えば「殺す」を「倒す」と言い換え、ラスボスを人間ではなく異形の化け物にしたりしています。やはり、主人公が悪役といえど「殺す」となると、主人公に「非情」「冷酷」といったイメージが付加されるからでしょう。
個人間バトルものの古典「ドラゴンボール」で主人公の悟空がどれくらい悪役を殺したか、ちょっと考えてみます。
・ピッコロ大魔王(初代)
→悟空が殺した。しかし、初代はジュニアを生み出し(転生を匂わせる)、以降、ライバルのレギュラーに。
・ベジータ(サイヤ人襲来編)
→悟空は撃退しただけ。以降、ライバルキャラ化。
・フリーザ
→悟空は止めを刺さず(むしろ助けようとした)、フリーザは自分の技で自滅して死亡。
→フリーザはサイボーグとして復活するが、止めを刺したのはトランクス。
・セル
→一度目はセルが自暴自棄の自爆(悟空は周辺への被害を防いでの巻き添えで死亡)。
→復活したセルに本当に止めを刺したのは、悟空ではなく息子の悟飯。
・魔人ブウ
→善と悪に分離したブウの悪のほうだけを悟空が殺した。悪のブウはすぐ、無垢な子供に転生し、悟空が面倒をみた。
確かに殺しているケースがありますが、殺された悪役はただちに転生などで蘇っています。その他のケースでは、サブキャラが殺し役になっています。
また、同作ではドラゴンボールを集めて生き返らせることもできると明示的に描写されています(さらにこの世とあまり変わらぬあの世があったり、いろいろ死に対するリカバリーがある)。
なぜ主人公が悪役を殺さないか。もちろん、主人公イメージが壊れる、汚れるといった直接的な理由は大きいと思います。しかし、それだけではなさそうです。
主人公が頑張るのは、善悪物では悪の起こす問題の解決のためです。悪がはびこるのを止めるためには悪を消すしかない。だから悪を殺す。そういうのが単純には解決を与えます。
ただ、悪を消すのは悪役キャラの退場だけではないですよね。悪役を改心させ、更生しようとする悪役を許す、というパターンもあります。これだと、主人公を聖化する感じになります。倒すより感銘度を高くできる(許しさえすればいい、というものではないですが)。
なぜなら、「殺す」より難しい「許す」ですから。聖書でも対人関係では「汝の隣人を愛せ」(旧約)から「汝の敵を愛せ」(新約)に歩を進めています。自分を殺しかねない敵を愛するって、事実上不可能だと思いますが(例えば家族を殺した殺人犯を許して愛せるか、とか)、要求水準が不可能レベルなのが宗教だったりします(多少弁護すると、「だから懺悔しよう、そうすれば神は喜んで許してくれる」がポイントだったりする)。
そのことを使った感じなのが、例えば「るろうに剣心」ですね。主人公の剣心は、初登場以前に数多を斬り殺したことになっています。しかし、ある事件を境に不殺を決意、殺さず解決することを誓ったキャラとしてスタートします。
でも、多数が殺し合った憎悪が残っているといっていい、明治維新直後の時代です。剣心がもう殺したくないといっても、敵が容赦なく襲ってくる。剣心に深く恨みを抱く敵も少なくない。剣心の大事な仲間も狙われる。
当然、剣心は再び殺すかどうかの境界線状で揺れ動くことになり、そこが作品の魅力の一つになっています。志々雄真実編(京都編)では、志々雄の信念をついに曲げることはできず、形式的には志々雄の自滅(身体が発火して死亡)ですが、事実上は剣心が止めを刺したと言っていい感じでした(そうなると分かっていて止めず、むしろ志々雄の生死を問わない奥義を繰り出した)。
しかし、何度もできる作劇ではありません。雪代縁編(人誅編)では、ラスボス敵役の雪代縁は生き残る結末になっています。雪代縁も、ヒロイン薫を拉致しても殺さなかったりするなど(薫殺害を偽装しただけ)、ラスボス側に殺されるべき理由が発生するのを回避してもいました。
あくまでも有名・人気作の一例でしかありませんが、ラスボスを殺すにしても殺さないにしても、そこを本気で描くなら、どちらも一筋縄ではいかない、なかなか難しいもののように思います。
人気回答!キャラクターによる殺害描写の返信 (No: 5)
投稿日時:
作品によるというか、作者が何を書きたいのかによるので、「絶対にダメ」とか「まったく問題ない」とか明確に答えられる話ではないでしょう。
アンチヒーローなんかじゃバンバン殺してますよね。
また、そうしたコンセプト上の話でなくても、例えば「ケリをつける」とか「物語を終わらせるために」とか、一種のケジメをつけるため、しっかり終わらせるという描写で主人公ないしレギュラーキャラによる悪人の殺害を明確に書いている場合もあります。
これで印象深いのは漫画「寄生獣」のラストですね。
ラスボスが死ぬか生きるか半々な状態まで追い詰めて、主人公っぽく「彼はただ生きてるだけだ、死ぬかどうかは自然にまかせよう」という感じの事を言って去るんですが、少し考えて、身の回りの人を守るためにやっぱり殺してしまう覚悟を決めて戻ってくる。
作者の後書きで「主人公が殺してしまうのはどうかと思ったから、敵の生死はあやふやなままにしようと思ったけど、それじゃ話がしっかり終わってないから主人公にケジメをつけさせた」という感じのことが書いてあって、あー主人公が迷ってたのは作者の迷いが出てたのか、と妙に納得した。
この場合、そのシーンの主旨は「主人公の選択」ということになる。だからしっかりケジメをつけて終わらせることが大事。
そのためには「殺す」ことも選択肢の一つだけど、ちゃんとケジメが付けば別に殺す必要はないので、少年誌など低年齢層に向けた漫画では基本的に不殺がまかり通っています。
要するに、敵をぶっ飛ばして反省させるなり改心させるなりすりゃ問題ないわけですね。
一方、悪人に主旨を置いた場合、すなわち「悪人にはどういう末路が相応しいか」という話になります。
そう考えると「強敵(主人公)と戦って敗れる」というのは、実に「良い死に方」ではないですかね?
例えば横暴で醜い領主が町娘をさらって好き放題していて、という悪人がいるとすると、そんな悪人に「主人公が直接手を下す」というのは、悪人には贅沢な最期じゃないかな?
それよりも「裸で広場に追い出され、それまで見下してた町民にボコボコにされ、瀕死になったところで女性に白い目で罵倒され、なんとか逃げ出したものの恐怖に囚われ汚い下水溝から出れなくなる」という生存ラストのほうが「相応しい最後」ではないかな。
こう考えると、「その悪人がどういう悪人か」と考えると相応しいラストが思いつきやすいです。
「仲間を仲間とも思わない非道な悪人」だったら「兄貴に裏切られて手下に殺される」というのが相応しいでしょう。
「お金に汚い悪人」だったら「財産を取り上げられ、貧乏になる」というのが相応しいでしょう。
「外面はいい著名人という悪人」なら「社会的に死ぬ」というのが相応しい。
「主人公に執着して何度も襲ってくる悪人」なら「主人公の手で」というのも一種の慈悲だし、許す選択肢がないならこれが相応しいと言えるでしょう。
ここからもとの話に戻って、「メインキャラに殺させるのは避けるべきか?」となると、「メインキャラに殺されるだけの価値がある悪人なのか」という話になります。
その価値がない、あるいは殺しは避けたいと思うなら、なんとか避けて悪人には「相応しい最期」を用意してやるべきでしょう。
価値があると判断できるなら、メインキャラに悪人を殺させることでメインキャラと悪人のキャラクター性がより良いものになるため、やるべきだと思います。
キャラクターによる殺害描写の返信の返信 (No: 6)
投稿日時:
僕からも質問なんですけど、 周りにも気づかれず、無自覚のうちに悪逆非道の限りを働いていたみたいなキャラクターの場合どんな最期を迎えると思いますか?
例えば一言で言うと、ものすごく運の悪い連続過失致死魔みたいな。
サタンさんの場合はどう考えるかなと思いまして問いました次第です。
返答よろしくお願いします。
キャラクターによる殺害描写の返信の返信の返信 (No: 7)
投稿日時:
まず言葉の問題ですが「最期」とは「命が尽きる時」という意味で、「最後」とは区別されて使われます。
そういう意味でこの質問は「キャラの死は前提」という質問になるのですが、それはよろしいでしょうか?
生存ラストを考えない場合、それこそ作品次第、作者が何を書きたいか次第で最期は千差万別でしょう。
キャラクターには悪意も害意もないのだから、「ものすごく運の悪い連続過失致死魔」と例えられたように、運の悪い最期をもって「可哀想な人」という印象を与えたいか、最後には自分のしてきたことを正しく認識し、善行をつもうとしてささやかな良いことのために命を落として救いを与えたいのか。
例えば、本編ではすごい悪人として書かれていたけど、黒幕に騙されてただけなのがわかって離反する、その後、子供が事故にあう場面に出くわして、悪人が身を挺して子供を救う。瀕死の悪人は感謝されて悪くない気分だと言いつつ命を落とす。なんて典型パターンなんかは覚えがあるんじゃないでしょうか?
もちろんこれはただの例で(前のレスの例も、あくまでただの例というだけです)、表現したい事次第でもっと考えられる展開はあるでしょう。
今回の質問のテーマは、そのキャラクターを「悪人」と捉えるか捉えないかで答えは大きく変わると思う。
生存ラストを考える場合、相応の「変化」が求められます。
キャラに変化を与える場合は「善行をつもうとする」など行動や性格に変化が見られることが多いです。
例えば「これらの生は罪を償うためにある」みたいなキャラとか、あるいはベジータじゃないけど主人公サイドに協力(すなわち行動で示す)していくことで「罪を恥じている」ことを表現していくとか。
キャラに変化を与えない場合は、周囲が変化する、キャラに対して理解を示すとか、解決しようとしてどうしようもないことを悟る主人公たちとか。
これはギャグやコメディなどでよくありますね。「不幸な呪いをかけられた善人」とか、本人が良かれと思って行動することの全てが周囲に不幸を呼ぶ、なんてのはまま見るキャラクターでしょう。そのうえ世話好きで責任感が強いキャラだから質が悪い。みたいな。
このように、キャラクターを限定しても状況や展開、作者や作品の方向性次第で大きく最適解が変わるので、キャラクターの扱いは一言で答えるには難しいものがあります。
例えば少年誌では年齢層が低いために直接描写はしないのが一般的ですが、「悪人が死なない」というのは「いずれまた出番がある可能性」を示唆しているわけで、「元悪人が改心して大事な局面で主人公の手助けをしてくれる」という熱い展開が生まれることになります。
元は「少年誌だから」という理由の「殺しはしない」という選択だったのが、「悪人が再び出てきて協力してくれる」というファンには嬉しい展開手段が新しく生まれたと言えます。
ここで私が良し悪しを語ったところで、新しい利用方法を思いつけば、私の考えなんぞなんも意味がない事になります。
好きにやりましょう、という以外に
キャラクターによる殺害描写の返信の返信の返信の返信 (No: 8)
投稿日時:
ええ、そうでしょうね。
少し愚問だったかもしれません。
有意義な回答ありがとうございました。