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情景描写の鍛え方 (No: 1)
スレ主 めーゔ 投稿日時:
ただいま、人生で2作目の小説に挑戦しようと思っています。
今回は、情景や感覚の描写に力を入れたいと思っているのですがどうすればいいのかわかりません。
例えば、この色が綺麗だとか匂いや肌触りがどうだとかいう書き方は、何を意識してすればいいのでしょうか?よろしくお願いします。
カテゴリー: 文章・描写
この質問に返信する!人気回答!情景描写の鍛え方の返信 (No: 2)
投稿日時:
1、そのまま「何が美しい」かを述べた上で、それがどのような状態であるかを詳しく述べる。
2、なるべく、関係ないものに喩える。
3、見た者や、本人の身体の反応を描く。
4、以上を、起承転結で配置する。
人気回答!情景描写の鍛え方の返信 (No: 3)
投稿日時:
あまり執筆経験は多くない身ですけど、
あくまで私の場合ですが、一人称か三人称一元視点で書くことが多いので、
主人公の心情を印象づけられるように書いてます。
例えば、青い空ですが、
ウキウキなら、「空は青く爽やかだ」
苛々しているなら、「空の青が、目障りで鬱陶しい」
など、主人公の心情をそれとなく伝えられるかなぁと。
何かの参考になったら、幸いです。
人気回答!情景描写の鍛え方の返信 (No: 4)
投稿日時:
情景描写のテクニックよりも、そこに情景描写を挿入することによってどんな効果をねらうのかに注意した方がいいかなと思います。
ふじたにかなめさんが仰るようにキャラクターの心情を伝えるために情景描写を使うこともありますし、場面が変わった時などに、その場所の空気感を伝えることが効果的だと思ったときに描写を入れることもあります。
また、特にそういう狙いはなくても、行動主体の緊迫した場面や、必要に迫られて設定説明的なパートを書いた後などに、「息抜き」として風景描写を少し挟んでみるといった場合もあります。
流れが一本調子になることを避け、緩急をつけるためにも情景描写は使えるんですね。逆にそこを考えないで思い付きだけで書いていると、描写のテクニックだけは素晴らしくてもだらだらして退屈になってしまうおそれもあります。
なのでまずは、なぜここで情景描写が必要なのか考えること。
次にそれをどう描くかですが。
ふじたにさんがとてもよい例をあげてくださっているので、失礼して便乗します。
>ウキウキなら、「空は青く爽やかだ」
>苛々しているなら、「空の青が、目障りで鬱陶しい」
これをもう1歩進めることもできます。
あえて「爽やか」と書かずに、空の青さを爽やかに描写することによって主人公の爽やかになっている心情を伝える、という方法もあるわけです。
描写そのものがうまく書けるかどうかは、はっきり言って経験をつんでうまくなるしかありません。
しかし、上記のようなことを考えながら書いていれば、「ここで青空について書くにしても、どんなふうに書けばいいのか」という方向性が見えるでしょう? 書き手が目的を意識して書いていれば、うまく書けたかどうかはその目的に近づいているかどうかで判断できるので、何も考えずに書くよりも上達の早道だと思います。
目的意識はつねに必要。
目的地を知らずに闇雲に歩いていると、自分が目的地に近づいているかどうか分からないからです。その結果、あと少しで目的地につけることに気づかず諦めてしまったり、方向を見失って迷子になったりします。
人気回答!情景描写の鍛え方の返信 (No: 5)
投稿日時:
遠景から近景、目の前のもの等の(動く)絵を説明しても、単にそれだけですよね。状況は分かるけれど、読者の気持ちを動かしたりすることは、普通はできません。目の前で誰かが死んでいる、みたいなショッキングな場面なら(ある程度は)可能ですけど、そんなシーンばかり描くというのも話作りが難しくなってきます。
情景は光景+気持ちの動きと(辞書的に)考えるとしまして、誰の気持ちが動くのかということがあります。小説である以上、読者の気持ちを動かす必要があります。その読者はどうして、どういうときに気持ちが動くのかといえば、主に感情移入しているキャラの気持ちが動くときですよね。普通は主人公です。
気持ちを込めやすい、気持ちを描きやすいのは一人称でしょう。地の文でも主人公が喋っているわけですので、どう思ったり感じたりしたかをダイレクトに描きやすい。ですが、得てして主人公の自分語りに陥ってしまいます。
自分語りでも主人公の気持ちは描けています。ですが、それだけです。読者が同調しにくい。主人公が「俺は本当に腹が立った」と地の文で感情吐露しても、読者は「なんか主人公が怒ってるな」くらいにしか受け取らない。
言われた通りに解釈しても面白くないからですね。主人公の気持ちを察したと読者が感じたら、満足できて納得もしやすいのです。だから主人公の気持ちを間接的に描くと効果を上げやすい。情景を描く大事さが言われるのは、その間接的な表現が可能だからというのが、理由の1つです。
例えば、主人公が非常に寒い朝、学校へ向かうとする。普通の投稿ですから劇的な事件とかではない。問題は寒い(もしかしたらまだ眠くもある)ということなんですが、主人公が台詞や地の文で「寒い」「嫌だ」とか言っていても、実感はわきにくいでしょう。
そこで、「主人公が、通学路の自販機からホットの缶コーヒーを買う」というシーンを入れたりします。指がかじかんでいるし、震えているし、手袋もしているので、なかなか財布からコインが取り出せない。いったん、手に「はあー」と息を掛けたりして、ようやく暖かい缶コーヒーを買い、それで手をあっためてから開けて飲み、ほーっと一息つく。みたいな感じですね。
主人公が一言も「寒い」とも「暖かい」とも言わず、しかしどちらも読者が察することができるように表現するわけです。それが光景ではない情景の描き方の1つです。
大事なのは、主人公の周りに何があるか、周りがどういう状況かではないわけです。周りにあるものや状況で、どう主人公が感じているか、思っているかを暗示するのが大事なわけです。そうすると、後は読者が察します。繰り返しますが、間接的なことから主人公を察すると面白く感じやすいのです。
別の事例も考えてみます。実際に読んだアマチュア作品(一人称)で上手いなと思ったものです。主人公とヒロイン、さらに2人の子だと主張する幼児が登場します(実は未来から来ている)。話が進むにつれ、地の文で幼児について描写する割合が増えていっていました。
一人称ですから主人公が選んで述べているのは自明です。となると、主人公が次第に幼児を可愛く思えてきていることが伝わってきます。これも心情を情景で描く手の1つだと思います。地の文の語り手が選んで書くことが、地の文の語り手の興味対象というわけですね。
ですので、主人公の目に映るものをどう正確に(客観的に)描くかに心を砕くべきではありません。主人公の気持ちから、主人公が何に注目するかを考えて、描写すればいいです。言い換えれば、状況を俯瞰的、正確、均等に描くのは避け、主人公の目になって描けば効果的な情景描写にしやすいということです。
情景描写の鍛え方の返信 (No: 6)
投稿日時:
旅行記をコピペするくらいの気概で読む
情景?感覚?んなもん要らんやん
オッパイぼいんぼいんさせときゃいいんだよ。俺ツえーざまーWWして有頂天ぱいぱいハーレムさせときゃ男の子は喜ぶんやろ?それか金持ちイケメンの逆ハー
なぜ、そんな描写が必要なん?
・・・・ずばり「トリップ感」を疑似体験したいからやろ?
アンダルシアの目を焼く白い壁の建物たち、赤茶けた大地と突き抜けるような青空、巻き上げられた砂粒でじゃりじゃりする熱く乾いた風を肺に詰め込んでみたい。
京都の夜、祇園にともるボンボリとぽっくり下駄を響かせる小道、肌の全てを白粉でぼってりさせた舞妓ちゃん達の中に浮かぶ、塗り残された三角形のうなじ。三味線とも和琴とも知らぬ、つま弾かれている邦楽の旋律。格子越しに香る、椿油と脂粉(しふん)の匂いに焦がれてみたい。
赤い提灯に据(す)えたにおい、大麻煙管で曇った小道、澱んだパイプがツタ植物のように這いまわり、汚いコンクリートで造られた街と、そこに暮らす矮小な人々を絞め殺さんと手ぐすねを引く。
安っぽい金と赤で張り散らされ、剥がされ踏みにじられる「徐福」の文字。あきらかに悪い顔色を厚化粧で覆い隠し、下品な衣装に身を包み客を引く、ひどく幼げな街娼の影が伸びる。
・・・・ようは旅行よ旅行。コトリップとかジャフメイトとか旅行雑誌の「やだ、ここ思わず行ってみたくなるぅ!!」って誘惑されてしまうような魅力的な旅行コラムの表現を入念にパクるんだ。パクばれしないためにも沢山読んで、たくさん参考にしよう。
旅行記ってのは過去にも多々ある。ラフカディオハーンこと小泉八雲もしこたま日本の旅行記かいてる。そこに書かれている日本は「日本人が知らない日本」が幻想的で、それでいて優しく書かれています。なんかロマンティックな気分になるよアレ(笑)
情景描写の鍛え方の返信 (No: 7)
投稿日時:
>例えば、この色が綺麗だとか匂いや肌触りがどうだとかいう書き方は、何を意識してすればいいのでしょうか?
「目には青葉 山ほととぎす 初鰹」
わりと有名な江戸時代の俳句です。
これ、視覚・聴覚・味覚になっているんですね。で、おそらく最後の「初鰹」がポイント。
「目には青葉 山ほととぎす」だけだと平凡な感じがしないでしょうか?
上の句では、風景を描写しているのかと思ったら「初鰹」と急に食物が飛び出して意表を突くのが一つ。ただのカツオではなく「初鰹」という語感も新鮮な感じがします。
それと、俗に食い意地というように、味覚(食欲)は視覚や聴覚よりもある意味人間の欲望として強いのです。(もう一つは、せ×欲)
>この色が綺麗だとか
綺麗というのは人の主観。
物に綺麗とか美しいとかいう属性はなく、それは人の心の中の心象なんですね。だから「この色が綺麗」というのはある種の心情描写です。
なので、まず第一に誰が綺麗と感じているのかを意識することが大切。
それに加えて、食欲やせ×欲など人間にとって訴える力が強い要素を「さらっと」入れるのがわりと効果的です。
あくまで、さらっとですよ。露骨にやると生々しくなってしまって、それはそれで別の意味で効果的と言えなくもないですが、センスの良い描写にはなりません。
上の句の「初鰹」、すがすがしい感じがするでしょう?
女性の美しさを描写する場合も、隠し味程度にエロティックな雰囲気をくわえるのがこつだったりします。
手塚満さんが例としてあげられている「寒さ」なども、訴求力の強い体感描写といえます。寒いとか暑いとかは分かりやすい感覚で、しかも「寒くてつらい」という記憶は誰にでもあります。「つらいだろうな」というような想像は、共感を呼びやすいんです。
◎山道を歩きながらふと足を止める。見上げると木漏れ日がまぶしかった。風が梢をゆらし、汗ばんだ頬を心地よくなぜる。
さっと書いたので文章としてはあまり上手くないかもしれませんが、要領としてはこんな感じかな。
風が頬をなぜるのが心地よいのは汗ばむほどの暑さに、いくぶんつらさを感じていたからです。季節は夏なんだろうなと想像もつくのではないでしょうか?