シルヴィさんの質問2016/06/07
『神は細部に宿る』の真意とは?の回答ありがとうございます!疑問に思ったことがあったので、続けて質問させてください。
まずは細部を気にせず大雑把な設定を作り、大まかな物語を作り、それを土台にひとまず書いてみる。
そして書き上げてから、細部を書きこんでいく。絵を描く作業でアタリを取ったりラフを描いたりして、そこから人物や背景を描き、ひとまず人に見せられるくらいの形にする。そっから細部を描きこんでいく。
これと同じことじゃないかなと。全体をまず作る。
なるほど。全体、ですか。我ながら言い訳がましいと思いますが、それが難しいところです。
私は設定から創る方で、ストーリー(の断片)から先に思いつくことは今までにはありませんでした。
そんな中、
設定を創っているうちにストーリーの断片を思いつく
↓
それを膨らませてあらすじを創ろうとする
↓
考えていくうちに「これは難しい、拙い」と思いそれを没にする
↓
それから相応しいと思えるものが思いつけず停止状態になる。
ということを何回も繰り返してきました。
この現状をなんとかしたいと思い、ここに相談したまでです。
私は細部を気にしすぎるあまり、全体を創ることを忘れてしまったのだろうと思いました。
たぶん、細部の不具合から作品全体が崩れていくことを恐れていたからでもあったのかもしれません。
細部からしっかり描いていくと(あるいは最初から細部を意識しすぎると)、細部だけは綺麗なんだけど全体で見るとバランス悪すぎで下手くそな絵になるってことは、絵描きにはよくあることです。
なるほど。そういえば、「日本神話や神道の世界観を下敷きにしたファンタジー」の先駆者である「空色勾玉」は、世界観は素晴らしいながら、それが拙い文章・物語・人物で台無しになっていました。
あなたの意見を聞いて、「空色勾玉」はおそらく、全体を疎かにしていたためにそうなったのかもしれないと思いました。
この作品を制作の戒めにしておきたいと思います。
それに、細部にこだわる作品を書く人は、そもそも設定やプロット時点でシンプルだろうと、いざ執筆してみたらすげー細かい描写になるってだけじゃないかなと思います。
なるほど。もしかしたらそうかもしれません。
しかし、本当にそうなら「マギ」「精霊の守り人」「獣の奏者」はどうなのか、と思う自分もいます。
これらの作品はどれも設定の時点で細かく、それ故に緻密な作品に仕上がったのではと考えてしまうくらいです。
ストーリーは全体から決めていたとしても、設定が単純なら作品の緻密な仕上がりは説明できないと思います。
そもそも「精霊の守り人」「獣の奏者」は著者の頭に突然浮かんだワンシーンが発端となったといいますが、
おそらくそこからどんどん突き詰めていって、緻密な作品を創り上げたのではと私は思うのです。
●オルトさんの回答
うーん。
イメージとして、ピラミッド型の組織図を思い浮かべてみてください。
その組織の末端は何千人もいますが、トップは一人です。平社員と社長みたいな感じですね。
さて、会社を作ろうというとき、平社員から集めますか?
普通はピラミッド型の上から順に人を集め、役を決めていきますよね。
全体と言ったのは、組織図の詳細という意味じゃなく、一番上のヤツを最初に決めようという意味に近いです。
物語を作ろうとしたとき、「全体を作ろう」というのは、
例えば勇者が魔王を倒す話なら、全体ってのはまさに「勇者が魔王を倒す」です。
細部にこだわりすぎてるために、難しく考えすぎているんじゃないかと思います。
「勇者が魔王を倒す話」なら、次に考えることは「どうやって倒すか」や「なぜ倒すか」など手段や動機になります。
更に噛み砕けば「どのような勇者か」とか「勇者はなぜ妥当魔王を思ったのか」とか、「魔王はどのような存在か」とか、最初に考えた全体からどんどん細かくなっていきます。
シルヴィさんが求めるような細かさまで噛み砕くのは掲示板では難しいですが、こうして噛み砕いていけば、次第に「設定の時点で細かく、それ故に緻密な作品」と言えるくらいに細かくなります。
木を見て森を見ずという言葉があります。
例に上がったタイトルの中では「精霊の守り人」くらいしか読んだことありませんが、読み終わったとき、物語全体を見てみましょう。
その物語を一文で表現するなら、どんな物語でしたか?
それが全体で、読者視点ではなく作者視点(書き手の思考という意味ね)で考えるなら、これを最初に考えなければなりませんし、作者としてもまずそこを目指してからアイディアを出しているものと思います。
ワンシーンのアイディアから作り上げたという作品も、そのワンシーンを効果的に書ける物語(の全体)を、思いついたワンシーンをもとに最初に考えるものです。
なので、
設定を創っているうちにストーリーの断片を思いつく
↓
その断片のワンシーンを書けそうな物語(の全体。一文でいい)を考える。
↓
それを膨らませてあらすじを創ろうとする
と、行程を一つ増やしてみると良いかもしれないと思います。
物語の全体が先に決まっていないと、どうやって物語を終わらせたらいいのかもわからないし、終わりがわからないとどういう展開にしたらいいのかもわからないまま、まとまりなく思考だけが空回りするので、ほぼ100%途中でつまずきます。
「拙い」というのも、先の展開を想定してない(終わりを考えていない)ために、その場限りの間に合わせに感じるからだと思います。
例え本当に稚拙な展開だったとしても、物語を終わらせるために必要な事なら、妥協を知るなり開き直るなり、やらざるをえないし、それを拙いと切って捨てるような事はないです。
必要だから書いてあるんだし、私なら言葉のレトリックで誤魔化します。
完結済みの有名作品を一文でまとめてみるというトレーニングをしてみたらいいかもしれません。
もっとも、「だから、その全体の一文が思いつかないんだよ」という話なんでしょう。
これは創作を始めた人によくあることで、「せっかく作るなら良いものを作りたい」という向上心が邪魔をしています。
「勇者が魔王を倒す話」という例を見て、鼻で笑ったりしませんでしたか? 古すぎる題材だし、ステレオタイプだし、ありきたりでつまらないし参考にならない。と。
しかし、物語の全体というのはどんな緻密な作品だろうと、案外シンプル(というか複雑な話ほど本筋はシンプル)で割とありきたりだったりします。
つーか、シンプルじゃないと一文にまとまらないし。
まあ、この時点でネタの面白さは決まると思うから、これにもコツはあるけど、長くなるし面白さについては今はやめとこう。
物語全体の案は、作者の「こういうのが書きたい」という原動力の一文なんで、英雄が悪漢を倒す話なら勇者や魔王でなくてもいいし、政治や経済について書きたいなら「有能な某が傾いた国を立て直す」とかでもいいわけで、ハッキリ言って、この時点ではかなり適当です。何でもいいんです。
なにしろ、読者に届くのは、シルヴィさんが「細部」と表現した部分であって、この全体ってのは読者には見えにくいものなんで。
最初に作る「全体」ってのは、そんなしっかりしたものじゃなくてもいい。書くための指針ってだけ。
そこからゆっくりと肉付けして、プロットという物語っぽい形にして、そこから細部を考えるなどして、執筆しながら書き込んでいきます。
執筆しながらが無理なら、一度執筆してから推敲の時点で細かい部分をつけ足したりしていきます。
そうして完成した作品を読んだ読者はこう思うでしょう。設定が緻密な作品だと。
そして自分も緻密な作品を書こうとして、全体を考えず細かい設定から考えて頓挫する。
まあ、正直白状すると経験談ではありますが、割とこの読者と作者の視点の違いによる勘違いは様式美で、誰でも通る道だと思います。
長々書いてしまいましたが、普通、こうした視点の違いは言われてわかるようなものでもないと思うので、私の話が必ずしも正しいわけではありませんが、きっとご自身で気付くのは(自分なりの解釈ができるのは)何度も失敗した後になると思います。