leoponさんの質問 2016/10/12
よくある質問の一種ではありますが、ジジさんが過去に答えていたか失念してしまい、ジジさんのアドバイスが聞きたくて質問させていただきます。
面白さとリアリティはどちらが優先されるのか、という質問でしたらおそらく面白さだとお答えになられると思います。
ですが、極端なケースの場合はどうなのでしょう?
昨今、色んなサイトで目にするようになったのが、書籍化もされていない素人の『小説家になろう』に投稿された趣味の作品を掲示板に晒しあげ、笑いものにし、それを拡散しているネット界隈の動きです。
なんて酷い奴らだと思う一方で、晒されている作品のほとんどが、ほんの少しでも常識的な知識があれば不可能だとわかることをさも素晴らしい名案であるかのように作中で語り、もてはやされ、大成功するという作品なのです。
私は、趣味の小説なのだし、とツッコミも入れずスルーしてきましたが、ふと疑問が頭の中に浮かんでしまいました。
これは作者がコッチの展開の方が面白く盛り上がると思ってやっているはず。つまりリアリティより面白さを優先した結果ではないのか。
『ライトノベルの選考において優先される面白さも、このようにリアリティを度外視した物さえ許容出来るのだろうか?』と。
あえて上記の作品のような例をあげるなら『雷雨が日常的な異世界に召喚された何の力もない主人公がてるてる坊主を作り吊るすとその地域から雷雨が必ず消え去り主人公が神として崇められていくようになる』みたいな感じです。
神として崇められるという面白さを優先し、てるてる坊主で雷雨を消すというありえないことをあえて無視した結果、そのような作品が生まれるのだと思います。
もちろんその作品が面白いことが大前提ではありますが、面白さとリアリティ、こんな極端な作品の場合でも優先されるのは面白さなのでしょうか?
●下読みジジさんの回答
もちろんその作品が面白いことが大前提ではありますが、面白さとリアリティ、こんな極端な作品の場合でも優先されるのは面白さなのでしょうか?
それはもちろん「おもしろさ」が優先されます。
狙い澄ましたネタであれ、偶然そのような形に収まったネタであれ、人の心に爪痕を残すものだけが正義です。
整合性がネタを殺すのであれば、それは単なる悪でしかありません。
ただ、槍玉に挙げられるような作品はおもしろいのではなく「拙い」だけのものがほとんどかと。
ひとつのネタを成立させるための設定や展開というものには、なにかしらの計算が必要となります。それができていないものには説得力がありませんので、そもそもおもしろくなれません。