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高野豆腐さんの返信一覧。得点の高い順3ページ目

元記事:表現技法と「憎悪の理由」へのご意見募集

 オミクロンです。現在進行形で執筆中の長編も、終盤に差し掛かってまいりました。皆様の温かい助言あって、ここまでこれたと思います。此度もまたいくつか助言を頂きたく、ここに投稿させていただいた次第です。よろしくお願いいたします。

 本題に入らせていただきます。まず一つ目の質問は、「主人公在籍での三人称多元視点メインの可否について」です。

 物語のある決定的な出来事から、当初は主人公一人称視点の基本文体(地の文)から、三人称神視点に基本文体がシフトします。そしてさらなる決定的な出来事による主人公復活まで徹底しているのです。ですが主人公は死亡も離脱もしていないのです。

 主人公を主人公から一時的に引きずりおろし、主人公含む中心人物の人間関係を主人公に据えるといえばいいでしょうか。私はこれを「主人公が自分自身すら見失う」のと、「主人公以外の人物の掘り下げ」という理由で使用しております。

 ここで問題なのが、主人公という存在がいながら、全体俯瞰のような視点が長く(おおよそ20万字ほど)続くということです。もちろん主人公が復活した後は、基本主人公の一人称視点に戻ります。さらに復活直後に「自分自身すら見失っていた」という主人公の独白(地の文)が入ります。

 皆様に評していただきたい一つ目は、この技法はありか、なしか。という点です。もちろん忌憚なき意見もお待ちしております。

 次なる質問に参ります。内容としては「一人称視点で恣意的に五感情報を書かない技法はありか、無しか」という点です。似通っていて申し訳ありません。

 一人称視点における五感情報の重要性については重々把握しています。視覚のみならず嗅覚、聴覚、触覚、味覚を過不足なく文章に組み込むことにより、情景描写がよくなることは承知の上です。

 ですが先述の「自分自身すら見失っていた時期」や、「蛇足のため省略したさほど重要でもない時期」に度重なる無茶を主人公は重ねます。その結果、主人公から五感情報が徐々に失われ、最終的には色彩以外の視覚と聴覚以外を全喪失します。

 要は徐々に痛覚(感覚)が薄れ、味を感じなくなり、匂いが区別できず。色彩すら失われていくのです。

 これももちろん終盤で人物会話でネタばらしをします。ですがそれまでは完全シームレスに五感情報を著しく欠いた一人称視点文章が続きます。皆様に評していただきたいのは、この技法の是非についてです。

 最期の質問に参ります。これは技法とは関係がありません。単純に意見を募りたく書きました。内容としては、「人間はどんな存在に対して絶対的な不快感を抱くか」という内容です。

 ここで書いた「不快感」の意味において、五感情報や容姿、因縁は関係ありません。一片の対話の余地もなく、微塵の躊躇もなく「排除」したくなるような感覚です。

 憎悪であり、嫌悪であり、軽蔑でもあり、不寛容でもあります。作品中にも書いていますが、まさに「不倶戴天の敵」という意味です。

 私はこの理由に、「自分とはほんの少しだけ、だが決定的に違うIFの姿」という同族嫌悪のようなナニカを理由に据えました。分かりやすくするのなら、Fateのエミヤが衛宮士郎に抱く感情を、逆に衛宮士郎がエミヤに抱いている。とでも言えばいいのでしょうか。

 ですが個人的にはもう一押し「絶対的な不快感」の理由が欲しいところです。なにかアイディアがあれば教えていただけると幸いです。

 以上です。よろしくお願いいたします。後、私自身が少々繁忙期に入った関係により、返信が非常に遅れる可能性があります。ご容赦ください。

上記の回答(表現技法と「憎悪の理由」へのご意見募集の返信)

投稿者 高野豆腐 : 0 投稿日時:

んん?
なんだか、混迷を深めている気がしてなりません
あなたの言っている事は、やはり表現媒体の選択ミスではないでしょうか?
私にはどうにも、漫画のコマの右上隅などにある□内の強調表現や、テレビアニメの
ように「本の前のよい子のみんな!私が"自分"こと作者だ。黒塗り規制で見えないだ
ろうけど、ヒロインが死んで、主人公は五感を失いつつあるぞ!自分がBPOに狙われ
ている気がするので、その表現が出来なくてすみません。」と言いたいのだと訴えて
いるような気がしてなりません
技法や作中進行状況の再確認や、是非の話ではない気がします
そこに他人の手本を持ち込み過ぎて、意味が分からなくなっています
あなたによる規制の、解除をお願いします

もしくは現時点では、あなたが主人公の五感を補い直してその自分の思い入れに
沿ってこれまでの経過を語り直そうとしている(ただし話は先に進むので、その齟齬
が一部【】という形になる)、そのために遡って"自分"表記の不統一を行って初期から顔を出して誤魔化そうとしている、それを技法と呼ぼうとしているという状態です
それでは欺瞞としか思えないのですが、懸念とはまた、一体何があったのでしょうか?
だんだんと、主人公ではなくあなたの為の物語へと、変貌しつつある気がしています

・憎悪と不快感について
一旦、あえて衝突という言葉を用います
それが実際に起きるであろうことだからです
衝突の理由に感情論を持ち込むのでは、ただ安易な暴力を誘発させるだけです
スローガンで動くという発想はただの短慮です
その実例が、昨今話題のヘイトスピーチや思い立ってのテロとその応酬です
要するに、「必要の感情論さえテキトーに満たせばそれでいいや」という発想です
本人たちは信念だけを口にしますが、ただの信念が物理的には、他の性質を帯びて
スピーチ・テロ、衝突という現象になるのです
ただ感情と信念だけでは、物理的に衝突する条件を十分に満たしていません

ネットがそうなのですが、基本的に距離が遠かったり遭遇していないと衝突は
起きませんし、出会っても罵るだけで終わったり、不干渉を貫いたり、したければ
仲直りしても構いません
このうちのどれ、あるいはそれ以外を衝突と呼べるでしょうか?
こうして時間と条件を無視して単語を並べコメントも残せるので、やたらと近しく
錯覚されることがあるだけです
自分の記憶に、言語情報が残ってしまうからです
ネットと言語情報は相手や対象そのものではなく、その一部の媒体でしかないのが、
記憶によってやや混同されるのです
ただしここまででも、近しいであってただの要因のみ、衝突ではありません

そしてテロが迷惑なのは衝突の為に武器の供給が既に行われたから、というのは
有名な話です
あとは主犯が概ね思想犯、自分ではない他者を拝し、また排するものであることです
憎悪や不快感が絶対的であろうとも、無駄なものは無駄に終わる事があるので、それ
を実現させてしまう物理的環境の方もまた、同じだけ厄介なのです
武器や兵器、凶器(狂気ではない)がどういう性質を帯びているか、感覚的に理解
出来たでしょうか?
ある衝突状況において、少し特殊な仲裁や介入が必要なのは、この為です
憎悪や狂気という表現が、これらをどれだけ言い当てていたのかと、こちらから
問い質そうと思います
必要と十分に関しては、学校の数学で教わっていると思います

・後押しと助言について
それから、同族嫌悪という言葉はその意味する文脈を、意外なほどに喪失しています
要するにもはや悪口表現の一つでしかありません
性質の違う二人を引き合いに出したり、他の商業作品を持ち出してみても、失われている文脈を補いきれていません
比喩表現に比喩表現が並ぶだけなので、持ち出されても意見も何もありません
熟語過ぎて、却ってそういうことが起きています
なので助言としては、引用を繰り返し続けて著作権に抵触するか自分の内心が
埋もれる前に、後押しではなく、ここまで来てしまったらさっさと引用した要素を
捨てて行って、シンプルな言葉で済ます、という所です
それで残るものが、あなたが影響を受けつつも、辿ってきたものです
人はそれを表現して、同門の者に対し「同じくせよ」と言うでしょう
なんだか文系と理系の違いによる、論文指導の要点に近いのではないかという気が
してなりません

どうにも、表現活動・心的活動をしたいのか、論理的正誤とその論証を欲するのかを
履き違えたまま、感情論で解決を急ごうとしているように見えます
私だけ出自が違うので、いつも冷たい意見ですみません

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: 表現技法と「憎悪の理由」へのご意見募集

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元記事:推理小説物の書き方について

推理小説を書いてみたいんですが、トリックの書き方がよくわかりません。
トリックを考える時ってどうしたらいいんですか?

また推理物は頭が悪いと書けないって聞いたんですが、頭が悪くても書けますか?

上記の回答(推理小説物の書き方についての返信)

投稿者 高野豆腐 : 0 投稿日時:

あなたの思う頭の良さ、というのがよく分かりませんが、推理とトリック(欺き)の
違いから書いていこうと思います
推理自体は解く(厳密には論理過程を再現・証明)ことが可能であることで、これを
阻んだり、隠したり、推理の過程を辿ろうとする者を騙すのがトリックです
そして探偵役(主人公・探偵キャラ・または読者)に解かせる準備をすることが、
だいだい作者の方々が悩むところです
超能力やら魔法やらが出てきて「驚き!これが実行の手段と、なんでそんなことを
したのかの理由」という形式の、ざっくりと謎という言葉に則った、ゆるゆるミステリも沢山あります
怪文書と身の危険を感じる事件の連続、と思いきや、実は繋げて頭文字を読むと
ラブレターと思い誤っての熱烈なアタック、とかそういう話も読んだ事があります
それが物理的な犯行と、マジカルな文脈にあるものと、双方ともとても面白かった
です
それから、何故現実的でなければいけないのかは、現実に則った説得力が必要である
推理文脈だからであり、その為に正確な知識に裏付けられてなければならないという
逆説と、その証拠の為の裏付けを知っていなければならない理由があるだけです
それを事前に知っておき考えていくことを、頭の良さと言っているのでしょうか
それはいわゆる「頑張ればどうにかなる」ものであり、また同時に「無理をしている
うちは、絶対に考えつかない」ということでもあります
思いだけで終わることもある、良し悪しとは違うのです

殺人だけでも、誰にもバレないように殺害状況を用意すること、もしくは大胆不敵に
見せつけることまでする
それから殺人犯・犯行時間を隠すまたは欺くためにあれこれする…と、その都度
細かいトリックを考えなければならず、それを解かせるか、解いた頃には逃亡・
または自害で悲しい結末に終わるなどと、物語の性質まで考えなければならないです

小さい子どもが、「夜更かしの興奮からトイレに行かずに寝て、両親に見られて
いない時におねしょをして(不可視状況での犯罪)、布団を部屋の机の奥に押し込んで
(トリック)、お母さんに見つかって(推理または発見)、そして怒られた話(結末)」も、
推理として解こうとし事の顛末まで考えれば、推理小説として扱うことが出来ます

どういったものをお望みかは分かりませんが、ある意味「もう無理だ」と思った
所から出発するものなので、無理を現実的に乗り越えるよい訓練になります
頑張って下さい

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: 推理小説物の書き方について

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元記事:簡単に出来ません。

最近(?)、主人公がラノベ作家(あるいはもどき)という設定のラノベ原作のアニメが放送されたのですが、私的に許せない事があります。

それは、文字通りライトノベルが軽く見られる様な描写がある事です。

例えば、劇中で10話分くらいを一気に投稿サイトにあげて、「いつ書いたの?」「今書いた」とか、「33話NEW!」「34話NEW!」「35話NEW!」みたいに、もの凄い勢いでアップし続けたり、分厚い原稿の束の新作1本を一から書いてたった一晩で仕上げる様な事をしたりという、「この人(原作者)は本当に作家なのか?」と思える様な事を平気でする事です。

小説って、そんな簡単にホイホイ書ける様なもんじゃありません!」

一体、この作中のキャラクターは、どれくらいの速度で原稿(作品)を書いているんですかと。

私は、賞の応募をするのに締め切りに迫られて、1日で最高(応募規定のA4で)27枚書いた事がありますが、それだって火事場の馬鹿力みたいなものであり、こんな無茶がいつも出来る訳ではもちろんありません。

それを、いとも簡単に次々と書き上げて行く作中のキャラクター達には、とても腹が立ちます。
原稿をまるで、判で押すみたいに量産していく様は、ラノベ自体が簡単に出来るかの様な誤解を招きかねないと危惧します。
今は乱発によって、ただでさえラノベ自体が軽く見られているのに、何も知らない人からみたら、

「な~んだ、やっぱりラノベって簡単に出来るんだ」

などと誤解されて、軽蔑というか侮蔑の目で見られかねないと思います。

そんなに簡単にオリジナルで面白い作品が書けたら、苦労しません。
こういう、自分で自分の首を絞めるというか、自らラノベを貶(おとし)める様な、誤解を招く内容で作る事は、プロならやめて欲しいと思いますが、いかがでしょう。

私は、「小説ってそんなに簡単に書けるもんじゃないんだよ」と言う事が、ラノベやアニメのファンの方々に言いたいだけなのですが、考え過ぎでしょうか。

上記の回答(簡単に出来ません。の返信)

投稿者 高野豆腐 : 0 投稿日時:

私のような者の意見が参考になるかは分かりませんが、正直なんでもあり、ならば
その「軽々しさ」がライトノベルのライトたる所以、なのではないでしょうか?
軽々しさを、概ね具体性に欠けていようが飛躍なり(責任を一旦脇に置いた)自由と
捉えてみる事に怪しからんと思うのは、多分いつの時代でも起きたことだと思います
私が趣味で読むファンタジィ自体も、大昔からボコボコにされています

私がたまに腹立たしく思うのは、その設定の枠を守らずに言葉を軽々しく、または
それに反するように口先のみで重々しく、或いは誇大に「作外で」語る行為なので、
フィクションとしての誇張の枠組みに収まり続ける限りは、その出鱈目ぶりは愛すべきものなのではないか、と思っています
そうではないと、おそらく表現の自由が侵害される、ということになります
昨今皆さん大変なようですが

ただ、私のところに来る人も、その辺を妙な悩み方をしていて私の所にライトノベル
を持ち込んできており、また私にここを紹介したのも、似たようなことを口走っていたので、結局趣味で勉強に来ています
ただ、それは「やれば分かる」系の代物なので、あなた自身は黙して語らずを行けば
よいのではないでしょうか
私の領域も、やらない者には分からない専門性のあるものです

創作というか、それを生む自分の心自体は半分は自分自身のものなので、その延長
上にある創作も、自分の心に沿う以外のことをしている暇があるのでしょうか?と
逆にお聞きします
誰かを許さずにいて、そのことやその時間を計測し続けることは、あなたが偽りなく
自分の創作のために欲するものであると、断言することが出来ますか?
私から聞きたいのは、フィクションどうこうではなく、専門家としてあなた自身は
どうされていますか?どうしていきますか?という事です
更に迷わせて済みません

カテゴリー : 流行分析(なろう研究) スレッド: 簡単に出来ません。

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元記事:ネタは湧くのにアウトプットする気力が出ません

初めまして、天使美羽と申します。
メンタルの治療を受けていて薬も飲んでいるレベルだからなのか只のだらけなのかは定かで無いですが、ネタが湧いても絵や文章にする気力が全く出てきません。
よくある、まず5分だけでも、等を試してみようにも、準備する気力も出なかったり、継続出来なくてそのまま終息したりと、酷い体たらくです。
それに、やったところで誰得なのと感じ、自分以外別に求めていないなら脳内だけで、アウトプットしなくて良いのでは?と常々思います。

数年前に、今も通院している心療内科で検査を受けました。
発達障害で、こういう事が得意不得意、という検査の結果が書かれた紙を見た姉に、不意に「だから君、絵下手なのか」と言われました。
普段描いた絵をそう人に見せる訳では無いのでいつ見たの?どうやって見たの?まさか文章系(?)も見てる?やら、というか何を受けての『だから』なの?やら、色々浮かびました。
その日から、それまで日々していた落書きのみならず、物書き等創作活動全般が変にトラウマになりました。
流石に時が経って多少は回復したものの、楽しむ等は夢のまた夢、重過ぎる腰を上げてやってみたところで、学習能力無いのかというレベルで落ち込みます。
それを繰り返していたら、そもそもやる気が出なくなりました。

でも困った事に、ネタは湧きます。
勿体無いから誰かに提供したいレベル、しかしそれは厚かましいだろう、という事で、困っております。
何とかやる気を出す方法、もしくはいっそ、ネタが湧かなくなる方法なぞ、ありませんでしょうか?
自分でも屑過ぎるとは思いますが、もし宜しければ、皆様の御意見を賜りたく思います。

上記の回答(ネタは湧くのにアウトプットする気力が出ませんの返信)

投稿者 高野豆腐 : 0 投稿日時:

とりあえず私からは、日記を提案します
絵や小説は、申し訳ありませんが、完成までに多大な労力と時間を費やします
またその最中の隙も多いので、後ろからお姉さんの様に覗き放題です
対して、日記は(絵日記だとしても)スペースが概ねB5とかなので、手で隠しながら
取り組むことが出来ます
省スペース・省エネルギーの、いい手本です
それに、出来不出来に何か言うようなものでもないので、短い「おはなし」を考える
よい訓練になります
あとは、色々悩んだり思いついたりするあなたを、とりあえず『一日』という時間で、強制的に区切ることが出来ます
走り書きで終わりがちなメモよりも、ある程度の体裁もあった方がよいのだろうと
考えています
分量やその出来栄えに文句を言う者など、その中において誰も存在しませんし、体調
の変動を観察する自己観察日記や、体調の目安にも転用できます

アウトプットに関しては2つあります
1つは、あなたを罵ることで強制的に、あなたを混乱へと導く小説というものから、
退散させる方法があります
出版物の著作権というか、間接的な財産の存在は、大の大人でも目の色を変えて
追いかける代物なので、迂闊に他人に話を持ちかけて、誰の取り分かで揉めると、
わりと屑という表現では済まないものを直視することになりますし、巻き込まれます
それは個人の思う厚かましさなどではなくて、全くおすすめが出来ないものです
相手の方から引くぐらいの話を持ちかけて来る者は、掃いて捨てるほど実在します

もう1つは、あなたの言う「アウトプット」に関して、出来うる限りの注意喚起を
することです
アウトプットというのは機械的表現であり、その裏にプログラムが走っていて出来る事です
いちおう西洋東洋的違いの考え方もあるようですが、そういう割り切り方が日本人は
苦手です
そこに突撃していくのは、やめた方が良いです
で、日記のような「できるだけ近似の行為」からお勧めして、一度考え直す事を
考え直す事を、お勧めします

ただ、そうなる前に、誰のためでもなく自分のためだけのもの(創作)を行って、
それが確かに自分を支える満足、自信というものであることを、自覚し直して下さい
結局は、これが一番だと思います
誰かにと思っているだけだと、返事がないので不安になり、それが結局自分を責める
ことになるのは、当然と言えば当然だからです
それは、危ない行為です

卑下というものは、季節性の風邪のようなものです
大人になるにつれて、他人との差がどんどん開くように見え、その差が何であるかに
悩むものも多いですが、抗体(経験や才覚)か、感染環境に居なかった(たまたま
上手く行っていた)だけのことなので、全く嘆くようなことではありません
ただの、経験を積まないうちに他人を見ては、思って当然なことです
しかも流行ごとに風邪の種が違ってくると、何回でも罹ります
流行りを追うのは大変です

あなたのお姉さんが何者かは知りませんが、病人に向かって「やーい」とか言ってる
だけの可能性があるので、それはほっとけばいいのです
そんなことをする家族だって他人ですし、私も冷酷な赤の他人です
その者達が風邪にかかるかどうかというのが、あなたの人生においてどれだけ
大切なことなのか、一度考え直した方がよいと思われます
そこにアウトプットという機械性の強い言葉で死力を振り絞っては、そのうち
人間ジュースが出来上って、思った以上にまず体を壊します

カテゴリー : やる気・動機・スランプ スレッド: ネタは湧くのにアウトプットする気力が出ません

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元記事:可愛いヒロインの描写

ヒロインを始めとした女性キャラの可愛い台詞や可愛い描写や可愛くなる展開がイマイチ思いつきません。
パッと思いつくのが
・ヤキモチを焼く
・照れる
・主人公を好きな気持ちを自覚して「そんなことない」と否定したり、主人公とのイチャイチャを妄想してニヤけるなどです。

他にもヒロインの可愛い描写を教えてください。

上記の回答(可愛いヒロインの描写の返信)

投稿者 高野豆腐 : 0 投稿日時:

それはあなたの作風、好みによりますと、身も蓋も無い事を言っておきます
展開どころか「ぶりっ子も可愛けりゃ許される」とさえ言い切ろうと思います

あとは、面と向かって会話している最中に、急に目を逸らして「なんでもない」と
誤魔化したり、無意味に電話を長引かせる、関係が出来上ってるなら、近くで長い
ことドライヤーを使い続けて同じ時間を楽しむのもいいでしょうし、
主人公と関係ないところで、女同士で華やいだ会話をしているのも人格の魅力なの
かもしれません

実際にそれを受け入れる者(主人公)がどう思うか、そしてどれだけアピールする
かの、その見た目の相関関係と、行動と内心の因果関係の合致を、まざまざと書く
のがあなたのなさることです
可愛くても、結局フラれる可能性すら考えられます
客観的な「魅惑の絶対カワイイ」なぞ、他人が示すことは出来ません
パッと思いつくのではなく、ある時に急にハッとしてもいいのです
ご自分の信じる可愛いを、どうぞ

カテゴリー : キャラクター スレッド: 可愛いヒロインの描写

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元記事:表記ゆれへの見解

連続投稿すみません。
私は小説を書くうえで『読みやすい文章』『美しい文章』を書きたいと思っています。

なので基本的に作中で漢字を統一することはなく(統一すると表現の幅をせばめると考えているため)、文章のバランスを見てその都度てきせつな漢字を開くようにしていました。
『響きわたる』など言い回しによっては統一しているものもあります。

しかしその弊害で作中で『表記ゆれ』が多発していて、これが良いものなのか判別がつかないので皆さんの見解を聞かせていただきたいです。

私はひらがなが多めの文章が好きで、漢字2〜3割・ひらがな7〜8割になるよう意識しているのですが、これは捨てた方がいいエゴなのでしょうか?

上記の回答(表記ゆれへの見解の返信)

投稿者 サタン : 3 人気回答!

そいつは、「こうしたほうがいい」と誰かに言われたり、自分で方向性を決めて「こうする」と考えるものじゃなくて、書いてりゃ自然にそうなる、という感じで手癖に身を任せたほうがいいと思うよ。

私も、というか書き手であれば誰でも「読みやすい文章」とか「美しい文章」を求めて試行錯誤したりするものだと思うけど、少なくとも私の場合は、それは 作者が「読みやすい」「美しい」と思ってるだけで読者にはまったく関係ないことだった と気が付いてからは作者のエゴだと思うようになったし、昔の自分が目の前にいるなら鼻で笑って今すぐ捨てろと言う。
けど、それはあくまで 私 の話であって、スレ主さんは私とは違うから、そのこだわりが独特な文体を作り上げるかもしれないし、安易に口出しすることはできないと思う。
だから、自然と なるようになる ように身を任せりゃいいと思う。

一応、なんでエゴだと思うようになったかの理由と、今はどんな文章を心がけてるのかを書いてみるけど、繰り返し、これはあくまで 私は って話ね。
作者が「読みやすい」「美しい」と思ってるだけって書いたけど、ようはそれって「作者にとって読みやすく美しい文章」なだけで、読者には別にそんなもん届いてないのよ。
なぜかって、小説の中で「青い空がこんなにも美しいものだったなんて!」とセリフを書いたとして、でも、そのセリフの素晴らしさは展開や演出次第であって、「セリフ」の如何ではないでしょ?
そのセリフを口にするキャラクター次第では、もっと口汚い言葉を使ったほうが逆に「美しい言葉」にもなる。
言葉選びは大事だけど、読者に届く「良さ」は文章それ自体からくるものではないんだよ。

例えば「読みやすい文章」とスレ主さんは書いているけど、じゃあその「読みやすさ」って何さ?
漢字の割合や句読点の打ち方、言葉のリズム、そういうものかな。
だとしたら、小説のすべての文章は俳句や短歌あるいは歌詞のように詩で書けばいい。もちろんこれは極論すぎる暴論だが。
でも、気が付いて欲しいのは、スレ主さんは「文章」を書いてるわけじゃなくて、俳句でも短歌でも詩でもなく、「物語」を書いてるんだってこと。
じゃあ、「読みやすい文章」って、いったい「何が読みやすいのか」と考えてみてほしい。
それは間違いなく「物語が読みやすい」ってことだと思う。
つまり、「読みやすい文章」っていうのは「物語を理解しやすい文章」のことなのよ。
ここでまた暴論だけど、
例えば「頭のネジが吹っ飛んでる狂人」というキャラクターを書くとき、理路整然と「読みやすい文章」で狂人を書いたほうが良いか。あるいはあえて「読みにくい無茶苦茶な文章」で書いたほうが良いか。どちらか。
これはもちろん作者のセンスにもよるけど、少なくとも私は「あえて無茶苦茶に書いたほうが狂人っぽさが出る」と思う。
「文章」として読みやすいのは前者。けど、「キャラクター」がわかりやすいのは後者だと思う。だから後者で書く。
私が書いてるのは「文章」ではなく「物語」で、この場合キャラクター描写をしているからね。

つまり、「読みやすい文章」というのはそのままイコールで「読みやすい小説」にはならんのよ。
「読みやすい」ってのは「そのシーン・情景がわかりやすい文章」であって、そこに「文章の上手さ」はあんま関係ない。
もちろん、伝えたいことを伝わりやすく書ける能力のことを「文章力」っていうから、文章力が不要だって話じゃない。

読者を思って「読みやすい文章」を考えるなら、たった一行の「文章」それ単体を考えるのではなく、もっと広くワンカットやワンシーンの単位で「その場の状況」をわかりやすく伝える努力をしなきゃならないのに、そこで「自分が読みやすい・美しいと思う文章」に固執するのは、エゴでしかないかな。
再三だけど、
一行一行の文章に固執してこだわった結果、全体がイメージしやすくより良い作品になりましたってことも考えられるし、少なくとも私はそこまでの技量にはならなかったって話で、スレ主さんに対して「エゴだ」って言ってるわけじゃない。私の場合はエゴだった、ということ。

ほんで、じゃあ今はというと「正しい文章」を心がけてるよ。
正しい文章と言っても堅い文章ではなく、日本語の基本の基本である単文・複文・重文を理解して使い分ける程度。
あとは主語述語の関係を意識することくらい。
というのもね、あくまで「文章」単体で見た場合、作者や読者各々の主観を省いて考えると、「読みやすい文章」ってのは「正しい文章」のことだと思ったから。
あまり気にしすぎても良くないので、基礎だけは意識しておくって感じであとは適当ですね。

問題の「表記ゆれ」だけど、基本的には私も前スレの あまくささん や上のレスの 読むせんさん の回答に同意するところです。
けれど、一つだけ懸念してることがあって、
それは前述した内容で薄っすら書いたのだけど、結論から言うと「作者の自分ルールなんて読者は知らねーよ」ってこと。
前レスから引用させてもらうと、

>『今何時』と『いま何時』
>これでどちらが読みやすいと聞いて左と答えられたらそれまでだけど、自分は右の方が読みやすいと思います。
>『今は何時』と『いまは何時』
>これだと左の方が読みやすいと自分は思います。

ここだけ読むとその通りだと思います。私もそのように書いています。
けれど、例えばこれが小説の文章として「表記ゆれ」の問題として挙げられるとしたら、

「いま何時?」
 Aの声に、俺はスマホを取り出した。
「今は五時過ぎだよ」

と書かれていた場合、私なら「んっ?」と思います。
「今」と漢字で書いたのは何の理由なんだと。

さて。ここで長ったらしく上に書いた私の持論を、いまこの一瞬だけ理解してみてください。
大事なのは「わかりやすい文章」ではなく、「その場面のわかりやすさ」なんですよ。
「わかりやすく」あるべきは文章ではないんです。
ぶっちゃけ、私個人の感覚で言えば、これは「表記ゆれ」の問題ですらないです。
ただの「作者の(よかれと思ってやってる)自分ルール」の押し付けが読者のカンに触った、という問題だと思う。

じゃあ、こういう場面では「文章」を優先するのではなく「シーン」を優先してわかりやすくしたほうが良いのかというと、私はそう思う。
けど、「今」と漢字で答えたキャラが知的なキャラだとか和風なキャラだとか何かしらの理由があるなら、同じ状況でも「いま」と「今」を混在させることもある。
そのほうが「キャラクター性がわかりやすい」と思うため。

これはセリフだけでなく地の文でも同じで、私の場合は基本的には「いま」とひらがなで書いて、そこに理由があるなら「今」と漢字で書くこともある。

ただ、私はスレ主さんのエゴだと結論付けてるけど、何度も注意を繰り返すけども、これはあくまで 私はそう思う ってだけで、最初に回答した通り、作者の手癖に身を任せて自然と形が落ち着くのを待ったほうがいいと思う。

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: 表記ゆれへの見解

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元記事:ストーリーの肉付け、もっとプロットを詳細にするには

ストーリーにしてみたいアイデアや、最終的にはこんな結末に落ち着くストーリーを書いてみたいという考えはあるのですが、執筆している途中で筆が止まってしまいます。
一度何故そうなるのか考えたり調べましたが、自分の作成したプロットは数行しかなかったり、骨組みがあっさりしたものなので、大筋はできているのですが肉付けが甘いのかもしれないと思いました。
それが原因で内容も薄くなってしまいます。
もっと裏付けや具体例を足して、説得力を増したいところですが、それが自分にとってとても難しいです。

例えばのプロットで、

父親のような立派な騎士になりたくて騎士学校に入る主人公

だけど主人公には騎士になる才能がなくて、苦悩を強いられる

何やかんやあって(ヒロインを守りたいと思ったり、修行をしたり、事件を通じたり、父親の憧れで騎士になるのではなく自分の本当の意思で騎士になりたい理由を見つけたり)主人公が強くなる

騎士として認められる

普段以上に大雑把なプロットを作ってみましたが、これにさらに肉付けをしてストーリーに出来ないで、そこで執筆がストップしてしまいます。

ストーリーの大筋に肉付け、説得力のあるアイデアや展開を加える方法があれば教えてください。

と、宜しければ短編を作るコツがあれば教えてください。
ストーリーを作る上で、たくさんの短編を作るのはその練習になると聞いたので、それが知りたいです。

上記の回答(ストーリーの肉付け、もっとプロットを詳細にするにはの返信)

投稿者 あまくさ : 0

はじめまして。

トンボの子さんは、物語の形というものを感覚的にはつかんでいらっしゃると思いますよ。料理に喩えると、素材の組み合わせくらいまでは何となくイメージできるけれど、料理の技術を知らないからレシピにならないという感じです。

では、示されたプロットから。
まず主人公を軸にして、一貫する要素と変化する要素を考えてみます。
一貫する要素は「立派な騎士になりたい」ということ。変化する要素は「父への憧れ」から「自分の意思で騎士になりたい理由を見つける」ではないでしょうか?
そこを押さえたら、次には「騎士になりたい本当の理由」は何かと考えます。まあ、いろいろ考えられるところですが、示された中から拾うなら「ヒロインを守りたいと思ったり」を使うのがオーソドックスかなと。
父への憧れから騎士になりたいと思ったということは要するに父の外見の様子をカッコイイと思っただけで、中身がないんですね。しかし、ヒロインが悪役にさらわれるなどのイベントを契機として、主人公は彼女を命をかけてでも助け出したいと強く願います。助け出すためには強くならなくちゃダメですよね? つまり「修行をしたり」と「主人公が強くなる」は目的ではなく手段なんです。そして強敵に立ち向かう過程で、何かを成し遂げるために自己を犠牲にする勇気に目覚めるとともに、騎士を目指す真の理由は苦しんでいる弱い人たちを守るためだと気づく、という感じです。「修行して強くなる」は目的ではなく目的に近づくための手段。「騎士として認められる」は結果にすぎません。

あと、主人公の出発点が父への憧れだったという所に目をつけてみます。あくまで一案としてですが、主人公が幼かった頃は立派な志を持っていた父が、王国の政争に巻き込まれ最愛の妻を死なせてしまったなどの理由からしだいに闇落ちして、悪役の黒幕になってしまうみたいな味付けも考えられます。
とかなんとかの工夫によって、ストーリーに面白さを付加していきます。

……とまあ、多少在り来たりかもしれませんが、レシピの作り方としてはこんな要領かなと。

カテゴリー : ストーリー スレッド: ストーリーの肉付け、もっとプロットを詳細にするには

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元記事:人に共感できないやつが文章を書くときの注意点

お久しぶりです。
当方実際の人物にしろ物語中の登場人物にしろ共感できません。
現実は他人が何を考えているかまるでわからないので能動的には行動せず、物語を読む際はストーリーを俯瞰し続けるかメアリー・スー的なキャラを出して引っ掻き回すような楽しみ方をします。
そんな人間が物語を書くときにはどのようなところに気をつければよいでしょうか?

上記の回答(人に共感できないやつが文章を書くときの注意点の返信)

投稿者 サタン : 1

私の場合は割り切ってますね。
人が面白いと感じる・感動する・興味を持つ道筋のロジックで数学的に考えてます。
だから、そもそも感性では書いていないです。
個人的な意見でしかないけど、感性で書くのは純文学に近い一般文芸だと思ってる。

いやだってさ。
例えば「そのキャラがカッコよく見える演出」とか、やっぱエンタメのラノベでは意識していくわけだけども、これ客観的ですよね。
主観的に「カッコよく見える仕草をしよう」と思って書かんですよね。
だからそもそも作者が主人公や登場人物に共感して書く必要はないんだと思いますよ。

もちろん共感して書いてる人を否定するわけではないし、共感して書けば作者の思いも込められるだろうから、それはそれで良いと思うけど、別に必須ではないと思っている。
印象的なシーンが書ければ良い、というより、印象的なシーンが「作れれば」良いので、自分に合ってる作り方を見つけるのが良いのではないでしょうか。

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: 人に共感できないやつが文章を書くときの注意点

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