小説の創作相談掲示板:小説の書き方Q&A。執筆の悩み相談をしよう!

黒々さんの返信一覧。最新の投稿順3ページ目

元記事:戦闘シーンの書き方について(長文ですみません)の返信

ケンガンアシュラでも書く気なの?(´・ω・`)
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①まず現実にはあり得ない方法がなぜ発生するの?
「これ現実にないからおかしくない?こんな動きできなくない?」って言われるのが怖いこと(例えば刀を片手で持ってふって戦うとか)

あのさー、それゾンビに我が子が踊り食いされそうになってるママさんに同じ事いうのんか?筋繊維ズタズタに断裂させてでも「それ」をしなけりゃいけない時は、やるんだわよ。できなくても「やらなきゃなんない」んでしょうが?
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
②なぜ【敵役】にはそれができるのんや?
切られ役なんてある意味主役より主役になるべき瞬間の存在だってのに、主人公なんて木っ端役にそれを犬死にさせようって時に何考えとんのんや?
例えばやけど、自分は【天空の城ラピュタ】の主人公は誰やと思とる?
パズーや思うとるか?

あれの主人公は【パズー以外のほぼ全部】やで?
ラピュタへの憧憬に自分の全てを賭けて探し当てて滅んだムスカ大佐
ムスカの賭けに一緒に乗って、勝ちを得るも、わずかな財宝と共に死んだモウロ将軍
軍部の上前を撥ねてやろうと舌なめずりをする貪欲な宇宙海賊ドーラ一派
先祖の遺産と数奇な運命に翻弄される事となる少女シータ
シータ皇女の帰還を待ち続けた飛行型ロボット兵
廃墟と化した城を守り続けた庭師型ロボット兵
あきらかに飛行石の詳細をしって行動に隠れ暮らすポム爺さん
明らかめちゃくちゃに開発されほじくり返された地上世界に暮らす人々
プラスマイナスありとあらゆる遺産の塊であるラピュタ

パズーは案内人でしかないねん。万能とかメアリーが重要なんじゃない。主人公の【位置】を間違えたらあかんで?あとラピュタ内のメアリースーは圧倒的にドーラさんや。メアリースーは、おってええねん。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
③知らね。好きにしたら?

④武器商とか出したいならあっても良いよ

上記の回答(戦闘シーンの書き方について(長文ですみません)の返信の返信)

スレ主 黒々 : 0 投稿日時:

コメントありがとうございます。
ラピュタはそうだったんですね。ずっと勘違いしていました。
手厳しい返信ありがとうございます。現実との矛盾や評価に対する恐怖などでなかなかかけない部分が多くありましたが頑張っていこうと思います。ありがとうございます。

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: 戦闘シーンの書き方について(長文ですみません)

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元記事:戦闘シーンの書き方について(長文ですみません)の返信

悩みが多いですね。
読者目線や有名作の動向に配慮するのは大切なことですが、迷ったときには思い切って自分のやりたいことをやってみる方がいいかもしれませんよ。

>こういうことができそう&創作だから問題ないよね。と思いますが、

私も「創作だから問題ない」でいいと思います。

>今の時代現実でありえないことを書くと色々言われることが多くなったので

そんな傾向がなくもない感じもしますが、過度に気にしないことです。
例えば『パリピ孔明』のクライマックス。渋谷のゲリラライブについて「現実にあんなことをやったら迷惑だ」という批判がネット界隈でみられたようですが、そんな意見にいちいち取り合っていたら創作が萎縮してつまらなくなります。物語のキャラは現実にできないことをやってくれるから爽快感があるので、それを否定されたら立つ瀬がありません。

>主人公たちが負ける流れがどうしてもかけないため、

>俺つえええになってしまいそうなこと

>器用貧乏とかメアリー・スーなど色々言われそうなので怖いです。

「なってしまいそう」じゃなくて、負けない主人公を書いたらもちろん「俺つえええ」になります。だから、どちらかを選択するしかないんですよ。

「俺つえええ」を避けるなら弱点を作るとか、苦戦させるとかするしかありません。でも、それはやりたくないのでしょう?
じゃあ、しかたがないじゃないですか。

そもそも「俺つえええ」とか「メアリー・スー」と言うといけないことのように聞こえますが、「規格外の強さを持つ主人公」と言えばそんなにダメにも聞こえないのでは?
書く前から批判を心配するのはやめて、自分の望む主人公像を作るにはどうすればよいかに集中する方が本筋ではないでしょうか?

>戦闘シーンを事細かく書いていることが多い(SAOや魔法科や境ホラなど)ため細かく書かないといけないのか?

そういう作品が多いというだけで、闇雲に見ならう必要はありません。気になるなら、SAOや魔法科や境ホラなどの作品において、戦闘シーンを細かく描くことによってどんな効果を生んでいるのかに注目してみてください。それが自作に取り入れられると感じたら参考にすればよいというだけです。

>戦闘シーンを書くために武器辞典みたいなのを買ったほうがいいのか?

別に必須ではないと思いますが。

>武器を調べてもうまくかけないことが多いです。

他の方法で調べられているならそれでよいのでは? と思いますが、ご自分でそれでは不十分と感じるなら(試しに)武器事典的なものを買ってみるのもいいかもしれません。

>たまにロボと生身の人間での戦闘がありますが、あまり書かないほうがいいのでしょうか?倒し方や動き方に矛盾が出たり、ロボなら兵器やロボ相手の方がいいと聞いたことがありますが気になったので。

一概には言えないでしょう。
スレ主様の読まれた「たまにロボと生身の人間での戦闘がありますが」という作品では効果的に書かれていましたか?
よく書けていて面白かったのなら、そういうのもありという証拠。
あまりよくないと感じたのなら、具体的にどこがよくないのか(つまらないとか、リアリティが欠如しすぎているとか)を考えてみるとよいかと。

>長い文章で申し訳ございませんが

いいえ。
質問はむしろ長めな方がいいです。短文すぎて状況がわからず、回答のしようがないという質問がけっこう多いので。

上記の回答(戦闘シーンの書き方について(長文ですみません)の返信の返信)

スレ主 黒々 : 0 投稿日時:

いつもコメントありがとうございます。悩みが多くて申し訳ないです。戦闘系のを書後とするとどうしても悩みが増えて、聞けるところがなくてここに書きました。
自分は親から「現実」な面を強く育てられた結果「これ現実だとありえなくない?」という考えがどうしても浮かんでしまう傾向がありますね。
批判とか評価を見ると悪い傾向に考えてしまいがちで今に至るのかなと思います。
ロボvs人間の戦闘では面白いものがあったと思いますね(書いている人がクリエイターらしいのでうまく書いているのかなと思います多分)
色々勉強して書いていこうと思います。ありがとうございますm(_ _)m

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: 戦闘シーンの書き方について(長文ですみません)

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元記事:戦闘シーンの書き方について(長文ですみません)の返信

気にしすぎ。というのがスレ主さんに対して思った率直な感想。

>1;持っている武器同士のぶつかり合いで現実にない方法で書いた場合「これ現実にないからおかしくない?こんな動きできなくない?」って言われるのが怖い
つまり、剣と魔法の戦闘は「現実に剣撃が飛ぶとかありえないからおかしくない?」とスレ主さんは思うってことかい?
そもそも、「現実にありえる通りに書いた話」なんてのはノンフィクションでやればいいことで、ラノベのエンタメではむしろ逆で「現実にありえないことを書く」から楽しいんですよ。
その「現実にありえないこと」を「ありえそうに書く」のが作者の腕でもあるし、読者の反応が怖いからと目を背けたら「現実」という常識から抜け出せない殻を破けない演出しかできなくなると思う。
もちろん、その現実を突き詰めたストリートファイトをエンタメ的に盛り上げるって方向性もアリだから、「現実」がダメという話でもないけども。
ただ、「現実」は地味なので、そこを突き詰めるなら地味なものを派手に見せる発想力と技術力が必要で非常に難しい。

「現実にありえないこと」はむしろ狙って書いた方がいい。狙って書けば「どこが現実的ではないのか」を作者が理解している状態を作れる。なら、あとはその現実的ではない部分に「説得力」を持たせる作業を考えるだけで良くなる。
批判が怖いのであれば、批判される場所をあえて作り、フォローを入れる。
つまり、「これ現実にないからおかしくない?こんな動きできなくない?」って場所を狙って作って、その直後に「ああ、こういうことなら変でもないか」と納得できる要素を入れてやればいい。
たまに雑魚とか敵キャラがトリッキーな主人公の動きとかに「こんなことあるわけない!」みたいに否定したりするじゃん?「おまえは☓☓だったハズだァー!」とか。あれは読者の「批判の代弁」を雑魚キャラがやってるのよ。それで批判を集めて、主人公が「こういう理由があると知らなかったんだな、馬鹿なヤツだ」って おかしくない理由 を書く。そうすっと読者も、主人公の回答があまりに変でなければ納得する。

>2;主人公たちが負ける流れがどうしてもかけないため、近距離と遠距離の武器を持たせてどんな状況でも一人でできるようにしたいが、俺つえええになってしまいそうなこと
私見だけども、その手の悩みを抱えてる人は「戦闘の意味」を考えてないんじゃないかなぁ、と思う。
主人公が戦って勝てばそれでOK? 勝って、だから何なの。
「戦いに勝利する」というのは古典的には「勝った方の正しさが証明された」って意味になって、戦闘は心情や信念の衝突の比喩表現なんだよね。
だから、「どちらが強いか」という力比べだけの戦闘しかやってきていないのであれば、勝ち続ける主人公像は「俺つええ」にしかならない。
それ以外にメッセージが無い戦闘だから。
でも、例えば「かつて主人公に敗れた魔王軍元幹部」が満身創痍でゴブリンの集落まで落ち延びてヒ弱なゴブリン達に救われたため、彼らを守るため「ゴブリン被害に苦しむ人間の町から派遣された元勇者」と対するみたいな展開を作る。
さて、この戦闘でスレ主さんは「単純な力比べの戦闘で元幹部を圧倒する元勇者の主人公」を書けるかい?
主人公が勝つにしても、この戦闘の意味は「正義はどちらにあるのか」とかそういう意味が込められるから、単純な戦闘にはならないはずだ。
主人公は元幹部を圧倒して倒すけど、人の害悪になるゴブリン達を掃討しながら後味の悪さを感じ、自らの正義に疑問を感じる。これは「戦闘の意味」を考えると主人公の敗北だよね。
今回の例では敵側に事情を作ることで戦闘自体をドラマチックな展開にしてみたけど、古典的なものでは師匠が主人公を庇って死んでしまって直後の戦闘に「主人公が戦う決意をする」という意味を込めたりとか、そもそも「戦闘自体を物語の一部にちゃんと落とし込んでる」ことが出来てれば、こういう悩みは無いと思うよ。
それで「俺つええ」になってるんであれば、物語自体が「俺つええ」の物語だから、それはそれで正解なんだしさ。

>3:戦闘シーンを事細かく書かないといけないのか?
状況がわかれば良い。
『境界線上のホライゾン』あたりは、まあ、人気作家ではあるけど、ちょっとディスってしまうと、あの作家は書きすぎ。
都市シリーズあたりも読んでたけどさ、分厚い単行本の半分近くが戦闘とか単純に飽きる。
どー考えても同じ内容を半分か1/4くらいのサイズで書けるはずだよ。無駄が多すぎ。おまえの単行本は百科辞典かよ。
でも、ファンによると設定の解釈とか独特な世界観を読み解いていくのが楽しいらしくて、私が「無駄」と思う部分こそ彼の作品の魅力なんだよね。

つまり、スレ主さんが読む本の傾向が「戦闘シーンが細かい」のであって、基本的には状況がわかってテンポ良く進むもののほうが良い。
ただ、その「細かさ」が魅力と言えることもあるから、スレ主さんの文章力や作品作りを知らないとここではいい加減なことしか言えないと思う。
再三に繰り返し、基本的には「状況がわかれば良い」。
その基本形があって、そこにデコレーションしていく肉付けが重厚であるかどうか、設定を盛り込んでいくかどうか、その設定は簡単に語れるものかどうか、そしてそれらは作者の芸風的にどうなのか、いろいろあると思うかな。
個人的には、最初からデコレーションされたものを目指すよりも最低限っていう基本形を知った方がいいとは思う。

>4;戦闘シーンを書くために武器辞典みたいなのを買ったほうがいいのか?
辞典が必要なほど豊富に武器が出てくるなら、そりゃ買ったほうが資料集めが楽になると思うよ。
現状でそれほど必要性を感じていないのなら、別にいいと思う。
こういうイチジャンル特化の辞典ってのは、基本的にはその辞典単体では資料として不足してる。
最低限の事しか書いてないで量を詰め込まなきゃいけないから。
だから、ジャンル特化の辞典は、「調べるための資料を選定する道具」とでもいうか、資料集めのためのインデックスだと思った方がいい。

>5;たまにロボと生身の人間での戦闘がありますが、あまり書かないほうがいいのでしょうか?
いや、全然そんなことないと思う。どういう矛盾が出てくるんだろう。
まあ、そもそも「人間より弱い戦闘ロボット」って存在価値がないから、確かに存在矛盾はあると思うw
でも、「そんな強いロボットも倒せるくらい凄い主人公なんですよ」という描写に矛盾はないから、作者の腕次第。
結局のとこ1とか2とかの回答を繰り返すことになる。
「人間を制圧することに特化した戦闘ロボ」を破壊できる主人公というのは現実的に人間離れしてておかしいけど、そういう非常識だから面白いし、その非常識を納得できる展開を持ってくるのが作者の腕だし、その戦闘ロボのロボたる弱点を突いて「この世界観のロボはこういう設定でこういう構造」という解説のための戦闘っていう戦闘の意味をちゃんと作ったり、そういう、なんて言うかな、
「戦闘シーン」という上っ面だけ表面だけを書くんでなく、ちゃんとシーンの主旨を考えればいいと思うよ。

上記の回答(戦闘シーンの書き方について(長文ですみません)の返信の返信)

スレ主 黒々 : 1 投稿日時:

いつもコメントありがとうございますm(_ _)m
自分は「刀を片手で使う」というのを書いてみたいと考えていいのかなと不安になっていました。あと昨今いろいろなことに過激に反応する人が増えたので。
「単純な力比べの戦闘で元幹部を圧倒する元勇者の主人公」ですが、書いているときに矛盾やいろいろもりすぎてしまう可能性が高いですね。最終的には、ごちゃごちゃになるかも
・確かにあの作品は色々書かれて面白いですが細かすぎる面が多いですね。例えば「武器を相手に体に攻撃する→倒れる」じゃつまらないから色々付け加えたほうがいいのかなと思っていました。
・武器辞典は買いました(ネットで武器を調べてもよくわからないのが多くなったので)
戦闘者の作品は色々読んでいますが、かなり細かく書かれているのが多くなりました。書いている方々はすごすぎます。評価とか見るとどうしても気にしすぎてしまいますね。少しずつ直していこうと思います。ありがとうございます。

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: 戦闘シーンの書き方について(長文ですみません)

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元記事:戦闘シーンの書き方について(長文ですみません)

こんにちは。自分は戦闘物の作品を書きたいと思っていますが戦闘シーンがなかなかうまくかけません。悩んでいるのが以下の問題です。

1;持っている武器同士のぶつかり合いで現実にない方法で書いた場合「これ現実にないからおかしくない?こんな動きできなくない?」って言われるのが怖いこと(例えば刀を片手で持ってふって戦うとか)
2;主人公たちが負ける流れがどうしてもかけないため、近距離と遠距離の武器を持たせてどんな状況でも一人でできるようにしたいが、俺つえええになってしまいそうなこと
3:戦闘シーンを事細かく書いていることが多い(SAOや魔法科や境ホラなど)ため細かく書かないといけないのか?
4;戦闘シーンを書くために武器辞典みたいなのを買ったほうがいいのか?
です。

1は自分の脳内ではこういうことができそう&創作だから問題ないよね。と思いますが、今の時代現実でありえないことを書くと色々言われることが多くなったので「現実でできないやつを書くのはおかしいのかな」と思ったからです。

2は自分の最大の欠点で、複数持つより一点のほうが強いというのがあります。しかし負けるのがどうしても書けない&リアル職場で「一人でも対応できるようにする」というのを染み込まれたので複数を持ったほうがいいのかと考えました。でも器用貧乏とかメアリー・スーなど色々言われそうなので怖いです。

3は自分はそういう小説読むと、どんな動きをしているのかわからなくなることがあります(読解力が終わっています)そのため武器を調べる→脳内でどう戦っているか想像する。流れになります。いろんな小説見るとかなり長く戦っている感じで書かれていることが多くて、今の時代はそういうのが流行っているのかなと思いました。そこまでかける自信がないです。

4は武器を調べてもうまくかけないことが多いです。なので、武器辞典があったら買ったほうがいいのかなと思った方です。

長文で大変申し訳ございませんがアドバイスがありましたら教えてください。

上記の回答(戦闘シーンの書き方について(長文ですみません)の返信)

スレ主 黒々 : 0 投稿日時:

追加の質問ですみません
5;たまにロボと生身の人間での戦闘がありますが、あまり書かないほうがいいのでしょうか?倒し方や動き方に矛盾が出たり、ロボなら兵器やロボ相手の方がいいと聞いたことがありますが気になったので。

戦闘に関するなにか(ゲーム作ったことある人や武道溶かしたことある人)の経験があるとうまくかけているイメージがあります。自分はオンラインゲームをプレイしたことがありますが自分は前者の経験がないので1のようになってしまいます。
長い文章で申し訳ございませんが何卒宜しくお願いします。

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: 戦闘シーンの書き方について(長文ですみません)

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元記事:作品の流れについての返信

>いま迷っているのは「全編通しての主人公をメインにした作品」か「全編通しての主人公が各話の主人公を導く側の作品」のどちらを書くかで迷っています。

「全編通しての主人公をメインにした作品」をA型、「全編通しての主人公が各話の主人公を導く側の作品」をB型とします。

で、参考にしてほしい作品があります。『水戸黄門』です。

あれは、いわばA・B折衷型という感じがします。ストーリーの骨組みはどちらかと言うとB型なのですが、黄門様一行の存在感が強すぎて各話のキャラの影が薄くなっています。

どうしてあれがB型なのかと言うと、黄門様一行はどんなに目立っていても「通りすがりの人」にすぎないからです。そういう位置づけのキャラはストーリーの基本から言えば「主人公」にふさわしくありません。
だって、自分の問題を解決しているわけではないんだから。立ち位置はサポート役の域を出ません。

ただ。

『水戸黄門』の主人公はやはり黄門様ご一行だと誰もがイメージしているだろうと思います。
あの作品の場合はストーリー以前に黄門一行のキャラに人気があるのが大きいのでしょうが、「通りすがり」とはいえ視点は黄門様寄りに作られている点も重要だと思います。(事件が起こったところに黄門様がやってくるのではなく、黄門様が旅先で事件を目撃する形が多い)

つまりですね。

「主人公らしさ」というのは理屈ではなく、「演出によるキャラ立ち」「視点」「登場頻度の多さ」でだいたい決まるんです。

そう考えると、

>後者は、全体の主人公より各話の主人公がメインになる感じで、全編通しての主人公の話は後々に来る感じです

ここは注意が必要かと思います。

そもそも「導く側」(サポート役)という立ち位置は主人公とやや相性が悪く、その上、前半の登場が少なかったり視点が別のキャラ寄りだったりすると、ほぼ「主人公らしさ」がありません。いいところ「重要な脇役」止まりになってしまいます。

ですから、全編を通してのキャラをあくまで「真の主人公」と読者にみなしてほしいのならば、そのキャラが構成上の必要から前半の活躍が少ないとしても、冒頭や要所要所でそのキャラの「視点」を読者に意識させるなどの工夫は不可欠だろうと思います。

以上のような問題もあるので、

>2;視点や心理の件ですが、

御作の構想のような「誰が主人公なのかわからなくなりそうな作品」では特に、視点の扱いは重要ですよ。
ぶっちゃけ読者は「視点人物」を主人公視する傾向がありますから。

>ただそうなると相手はどんな感じで思っているのかわからないんじゃないかと思ってしまいます。しかし混同しないためにはやはり一人の心理をかいたほうがいいのでしょうか?

はい。
読者が一人の心理にフォーカスするように誘導することが重要だと思います。その「特定の一人の心理」が「主人公らしさ」につながります。

最後に、視点人物以外のキャラの内心がわからないという問題について。

現実のスレ主様が誰かと話すとき、その人が何を考えているか本当にはわからないですよね? しかし、「多分こんなことを思っているんだろう」くらいはわかることもあるんじゃないですか? 正確に当たっているかどうかは別として、表情や口調からある程度は見当がつくのが普通だと思いますが、いかがでしょうか?

一人称または三人称一視点で視点人物以外のキャラの心理を描写するときは、視点人物からみた印象を想像しながら書けばいいです。具体的にどんな感じに書くかはサタンさんが説明されているので割愛します。
これは、わりと小説の技術の基本ですからマスターしておいた方がいいですよ。

上記の回答(作品の流れについての返信の返信)

スレ主 黒々 : 0 投稿日時:

いつもありがとうございます。リアルの状況により返信が遅れてしまい申し訳ございません。
水戸黄門は何回か見たことがありますが、そのような流れがあったんですね。となるとかなり書くのが難しいと感じてきました。
心理についてですが、自分が相手を見たときの表情や口調で見当がついても、実は違っていたというパターンもあってその結果すれ違いになった。というのがありましたが書き方ですかね。
こう考えると小説を書くのが本当に難しいと思い始めてきて、この後かけるか不安になりそうですね
ありがとうございます。

カテゴリー : キャラクター スレッド: 作品の流れについて

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元記事:どうやったら三人称多視点のストーリーが書けるようになりますか

私は三人称多視点のストーリーを書きたいのですが、混乱してしまってどうやって書けばいいのかわかりません。コツとかあるのでしょうか?

上記の回答(どうやったら三人称多視点のストーリーが書けるようになりますかの返信)

投稿者 杜 値 : 2

久しぶりに見たところ、要領を得ない、間違った説明がなされていたので、補足と訂正です。
「視点」は、一人で一つだけ持っているものです。
二重人格者は一人で2つの視点を持ち得ますし、特殊な宇宙人で頭が3つあり、それぞれが独立して思考するのであれば3つの視点が、こういう特殊なものを除いて、視点は一人一つと言えます。
「人称」とは、一人称、二人称、三人称とあり、英語ではI(we)、you、he・she・it(they)と分かりやすく分けられますよね。
この組み合わせで物語は書かれます。

一人称は「私」の時点で語られます。
基本は私の一視点です。
一人称語り手が入れ替わる場合、一人称・多視点となります。

さて、問題は三人称です。
一視点・神視点・多視点と分けた方がいましたが、これは間違いです。
「三人称は神視点」、これは登場人物ではない語り手が物語とは別に存在し、登場人物の周辺を語るということです。
映画やドラマのカメラと例えても良いかと思います。
一人にカメラが寄り添った場合は彼が言うところの「三人称・一視点」、誰にも寄り添わずに俯瞰して描くのが「三人称・神視点」、複数の人物にカメラが切り替わるのが「三人称・多視点」……ということなのかもしれませんが、全ては神でありカメラマンである三人称の視点による語りです。

例えば一人称の場合。
「その死体を見つけた時、私の心臓は早鐘のように私の心を響かせた。」
自分のことなので、自分の心情について語ることが可能です。
三人称の場合。
「彼はその死体を見つけると、その心臓は早鐘のように打ち鳴らされた。」
以上のように語られる本人を客観視したような表現になります。
多くの方が映画に例えたのはこのためです。ちなみに、映画では一人称を装って心の描写などを差し込んでいたとしても、基本的には三人称側の作品です。

ところでこのような描写も見受けられます。
「その死体を見つけたとき、心臓は早鐘のように打ち鳴らされた。
『マジかよ……』
頭の中で混乱と恐怖が入り混じる。」
このように内面に踏み込み、人称を伏せられると、一人称なのか三人称なのか曖昧になりがちです。
区別する方法としては、「三人称の神視点・カメラマンは登場人物の心を読めない」ことがポイントです。
一人称では、私は私の内面を知り得るので、私の心を説明できます(正しいとは限りませんが)。
三人称では、登場人物の内面を知るためには、台詞にしたり、「悲しい、と◯◯は思った」と客観的に描かれる必要があります。このような直接的な表現は安っぽい三人称になりがちで、本来三人称は読み手の想像力の余地を残しつつ、作者の伝えたいことを間接的に伝えるところに醍醐味があるかと思います。

最後に、説明のために一人の方の説明を引用しましたが、個人攻撃をしたいわけではありません。
ただ、誤った説明で混乱を招くようなことをしたくなかったため、追記をした次第です。

カテゴリー : ストーリー スレッド: どうやったら三人称多視点のストーリーが書けるようになりますか

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投稿日時:

元記事:掲示板に思うこと

 ドラコンです。下記リンク先「過去に『小説の批評依頼』でスレを立てた作品が完結したので広告させてください!」で、ヘキサさんが「ノベル道場(小説の批評依頼掲示板)」について意見を述べられました。

 https://www.raitonoveru.jp/counsel/novels/thread/7211

 そちらのほうに私見を書いても良いのですが、元記事とは関係のないことでもあり、新たにスレッドを立てさせていただきます。
 
●「ノベル道場」「鍛錬投稿室」について

 これは管理人のうっぴーさんに宛てての私見というより、作者への私見です。「ノベル道場」「鍛錬投稿室」について、3点ほど気になることがあります。投稿する作者のほうで、もう少し気を配れば、感想も付きやすくなるのでは? との感じもします。

 1、リンク先が開けない
「ノベル道場」でのことです。投稿から1年以上経っているのならともかく、投稿直後にもかかわらず、作品投稿先のリンクが「権限エラー」などで開けないことがあります。リンク先に慣れた感想人が、当該作品を探し出して、感想を書いた例もありました。ですが、リンクが開けぬのであれば、その時点で読みようがありません。しかも、「リンクが開けない」との指摘があっても、訂正の追記がなされないこともあります。投稿者判断で、当該投稿の修正・削除を可能にする必要もあるのではないでしょうか。

 2、感想に返信がない
 投稿後数箇月以上経った作品であれば、感想に対する返信がなくても分からなくもありません。ですが、投稿直後なのに感想が付いても、返信をしない作者がかなり居ます。それも、「1」で例示したように、作品リンク先が開けぬにもかかわらず、当該作品を探し出しての感想にも、返信が付いていませんでした。

 3、ネタバレは気にしないほうが良いのでは?
 ネタバレを嫌う方もいるでしょうが、読者の時間的負担を考えると、あらすじやタイトルでのネタバレは気にしないほうがよいのではないでしょうか。

 あらすじ欄がある「ノベル道場」のほうはまだマシですが、「鍛錬投稿室」の作者コメント欄は、作者の挨拶や「〇〇賞一次落ち」といった作品のプロフィールは長々書いても、あらすじが全く書かれていないことが結構あります。タイトルと作者コメント、あらすじで作品が全くイメージできないことが少なくありません。これは正直キツイですよ。また各話にも、見出し感覚でタイトルをつけてあるほうが、本文を読む前に話の流れが把握しやすく、助かります。

 ですので私は、あらすじは、「あおり型あらずじ」ではなく、新人賞下読みさんが喜ぶ「公募型あらすじ」のほうが、本文を読む前に概要が把握でき、読了時間の短縮につながり、ありがたいです。

 ・参考「第二研究室」→「ライトノベル新人賞の応募要項Q&A」→「下読みによるラノベ新人賞攻略Q&Aまとめ」→「●あらすじについて」
 https://www.raitonoveru.jp/howto/h5/715f.html

 『どんな本でも大量に読める「速読」の本』(だいわ文庫、宇都出雅已)
 主に、ハウツー本を対象にした速読本です。本文を読む前に、本の内容が要約されている目次・まえがき・あとがきを10回目を通す、拾い読み(特に見出し)・パラ見を繰り返す「高速大量回転法」を勧めています。
 
 速読するための本ですが、小説を書く側としても、これを応用し、出だしからオチまでネタバレを含めて書く「公募型あらすじ」を付ける、見出し感覚で小刻みに各話のタイトルを付けるのが、読者の負担を減らす有効な一案と考えます。なお、『どんな本でも大量に読める「速読」の本』の考え方には賛成ですが、速読効果にはかなり誇大広告な感じがします。
 
 そして、以下のくだりがあります。
 「小説だって速読できる」
 「最初にあらすじを知ったからといって、その小説の面白みがなくなるものではありません」
 「実際「内容がわかっている本は速読できるけれど、内容が分からない本は速読できない」と開き直るような速読教室もあるぐらいです」
 
 ・公募型あらすじが上手い例
 「赤眼の王道」
 https://weblike-tennsaku.ssl-lolipop.jp/review/novels/show/934
 
「赤眼の王道」は公募型あらすじの書き方が本当に上手く、あらすじだけである程度批評が可能なぐらいです。このあらすじだったので、読んで批評を書きました。

 
●「創作相談掲示板」について

 これはうっぴーさん宛の私見になります。

 暫定的ですが、「創作相談掲示板」に、以下の3つのカテゴリーを設けられませんか(もちろん、独立した掲示板として設けていただいても構いません)。ただ、いずれにせよ、迷惑投稿への対策は必要かと存じます。

 「雑談」
 旧掲示板に存在した「交流掲示板」がなくなり、新掲示板の名前が「創作相談掲示板」なので、相談ないし質問でないと投稿しづらい感じがします。雑談でも投稿しやすくできませんか。

 「ラノベ書評」
 「創作資料紹介」
 ここ数年、「ラノベ書評」「ハウツー本(創作資料)」コーナーは、実質更新停止中のように拝察します。以前は、私もこれらのコーナーに投稿していました(投稿後、ご掲載いただけるまで数日~数箇月と差がありましたが)。「こういうラノベ・資料を探しています」との質問があれば、回答の形で紹介しています。ですが、自分のほうから、紹介するのはやりづらく感じます。また、特に創作資料のほうは、本のみならず、ウェブサイトも対象にできませんか。

上記の回答(掲示板に思うことの返信)

投稿者 大野知人 : 1

お返事、ありがとうございます。
まず、ご報告。僕の方も自分で立てたスレッド含め『返信がありました』メールが来ません。恐らく四月終わりごろからです。

それからシステムまわり云々は理系の友人に聞いて『一回作ったモンを直すのは難しい! 馬鹿にするな!』と怒られました。無知の余り、色々無茶な要求をしてしまったところもあると思います。申し訳ありません。

こういったスレッドでサイトの使いやすさ・使い方について意見交換でき、本当にありがたいと思っています。

カテゴリー : その他 スレッド: 掲示板に思うこと

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投稿日時:

元記事:ライトノベルでのターゲット層について

私は前職で長い間WEBの仕事に携わってきました。
SEOなども行い、ターゲット層の調査やキーワード調査などは本格的に行ってきており、お客様との打ち合わせでも企業提案やコンサルタントも行っていました。

このサイトでは、ターゲット層が10代であるという記述を見かけ、それが正しいのか疑問に思い、インターネット上での既存データを調べました。
理由として、基本的に収入のない年齢層をターゲット層だと誤認している企業様が非常に多いためです。

スマホでの通販利用者年齢分布では、10代は50代とほぼ同じで最低ライン、一番多いのは30代と20代、次いで40代。
データ参照 https://netshop.impress.co.jp/node/5950

amazonでの購入品目が1番多いのは書籍類なので、上記数値と同様の分布図と推定できる。
データ参照 https://research.nttcoms.com/database/data/002069/

結論からいうと、購入者層は20代~40代が圧倒的に多く、10代をターゲット層と指定しているのは再検討すべきであるといえる。

また、小説がラノベ化し、仮にアニメ化までしたとします。
そのときの放送枠は深夜帯であり、10代が見るいわゆるゴールデンタイムではない。
講談社の少年ジャンプ等のようにゴールデン枠で放送される枠ではない。

また、現在人気の小説家になろうでは、転生ものが圧倒的に人気である。
この傾向は、読者層が自身の未来に希望が持てなくなったからという裏返しの物であり、その体験は社会経験によるものが大きい。
自身の夢が何かをまだ見つけていない10代という年齢層の傾向とするには、過分な誤りが含まれている。

10代の読者もいるので、わかりやすい文章で書く、という点は理解できるが、ターゲット層を10代だけに絞り、20代以上の年齢層の意見を無視するといった姿勢は明確に謝りだと言える。

結論。ライトノベルでの主要ターゲット年齢層は20~30代である。

といえるかと思われますが、いかがでしょうか。

上記の回答(ライトノベルでのターゲット層についての返信)

投稿者 あまくさ : 3 人気回答!

ある意味、こういう議論が起こるのを待っていました。
ラノベの主要購買層が20~30代だというデータそのものはこれまでにも何度も指摘されたことがあるし、我々も知らないわけではないのですよ。ただ、このサイトでその問題について突っ込んだ議論がされたことはないような気がするので。
今日はあまり時間がとれないので、私なりの考えを取りあえず簡単に書いておきます。

小説には、型というものがあります。
10代の少年・少女を主人公にした物語は、30代の成人を主人公にした物語とはまったく違うものになるんですね。ラノベというのはそういう型をベースにして成熟してきたジャンルなんです。大人にはない、まっすぐでピュアな感性や正義感。そういったものが描きやすいというのも特徴の一つ。そういう物語に魅力を感じるオッサンもいるということです。
また、今現在30才の読者でも、10年以上前には10代だったわけです。そういう時期に発展したラノベというジャンル・型に慣れ親しんだ層がいるということでもあります。

サタンさんが同じデータに基づいても出版社と作家では考え方が違うと仰っているのも、たぶんそういうことだと思います(違っていたらすみません。汗)。
我々は「10代向けの物語を好む30代」というややこしい読者を相手にしないといけないわけなんです。なろうの隆盛は今後そういう状況を変化させていく可能性も感じますが、今はまだ時期尚早。しばらくは静観かな? と個人的には思っています。

まあ、ざっとこういう感じが私の考えなのですが、非常に興味深い問題ではあります。私の考えもまとまっているとは言えず、今後の方向性としてどういうものを目指して行けばいいのかについては結論が出せていません。
他の方のお考えも伺ってみたいところです。

カテゴリー : その他 スレッド: ライトノベルでのターゲット層について

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