小説の創作相談掲示板:小説の書き方Q&A。執筆の悩み相談をしよう!

【本人から削除依頼】さんの返信一覧。最新の投稿順1ページ目

元記事:キャラの行動原理を言葉で説明するか動きで示すか。

仮に、「僕は誰かを救って死にたいと常々考えていた」と「太郎は少女を助ける為に車の前に飛び込んだ」という文章があるとします。両方の文章共、「僕」と「太郎」が誰かを助ける為には命を投げ出す人物である、という事を念頭に書きました。
前者は言葉による説明で、後者が動きによる説明となります。そこで質問です。
作品のテーマを体現するキャラクターの行動原理は、言葉による説明で示してもよいのでしょうか? やはり、言葉では無く、行動で示す物なのでしょうか? 
ご回答よろしくお願いします。

上記の回答(行動原理を言葉で説明するか動きで示すかは使い分け)

投稿者 【本人から削除依頼】 : 2 投稿日時:

> 「僕」と「太郎」が誰かを助ける為には命を投げ出す人物である、という事を念頭に書きました。

ということからすると、実際に行動を起こすキャラであることを示すものだと思います。それなら、「太郎は少女を助ける為に車の前に飛び込んだ」が適切です。実際に身を挺して助ける、というシーンの説得力は絶大です。

 一方、「僕は誰かを救って死にたいと常々考えていた」は、言葉というよりは思考ですね。太郎(=僕)の欲求、考え方、さらには哲学を示しています。ですから、両方書くこともあり得るわけです。

「僕は誰かを救って死にたいと常々考えていた」→「だから、太郎は少女を助ける為に車の前に飛び込んだ」とつなげれば、言行一致の太郎を描写できるわけです。

 考え方と行動を齟齬させることもできて、「僕は誰かを救って死ぬなんて馬鹿げていると常々考えていた」→「しかし太郎は少女を助ける為に、思わず車の前に飛び込んだ」とすれば、結構印象に残るシーンを描けたりもします。

 考え方と行動の使い分けというなんですが、もう少し敷衍して説明してみたいと思います。経済学研究などで、「直感と熟慮で判断が異なる」ということが知られています。詳しい説明は割愛しますが、直感での行動は他人を利する傾向、熟慮の行動は自分を利する傾向があるとのことです。

 よくある台詞で「つい助けちまったが、やるんじゃなかったぜ」みたいのがありますが、実際の人間の行動と思考ではよくあることであるわけです。

 別の研究では、事前の判断においては自己評価バイアスが働くことも分かっています。自信過剰のケースだと、やる前だと、実は無理なことでも「自分ならできそう」と思えてしまうものですね。例えばレストランの「食べ放題30分5千円」という宣伝を見て、「充分元が取れるほど食えるはず」と思って入店したものの、思ったほど食えなかったとかです。

 逆に心配しすぎで、実はできることでもできないと思い込んでやらない、みたいなものもあります。要は自分の能力を正しく判断しそこなうことはよくあるという、誰でも経験する事実です。

 お示しの太郎の場合だと、「常々」ですから熟慮と考えることにします。単純に考えてみると、熟慮でも利他的なのですから、直感ではさらに利他的になりそうです。しかし、自分が自分について考えていることは自己評価です。バイアスがかかっている可能性があります。

 例えば「誰かを救って死にたいと常々考えていた」というのが、理想化された自分だということですね。自分がそういう理想的な存在であると、自分に言い聞かせることによって、自信や快感を得たいだけという可能性があります。そして、誰かが車にはねられそうになるのを見て、怖くてすくんでしまい、助けられず、自分が理想から程遠かったことを知る、なんてのもよくあることです。

 一方、身を挺して人を助けたら、文句なしに行動原理となります。思わず飛び込んで助けたら直感の行動原理です。友人の重病を治す高額な手術のため、悩みに悩んだ末、全財産を投げたしたら熟慮の行動原理です。行ったことは覆りません。行動原理を明示するなら行動です。

 一方、思考レベルの行動原理は上記のようにバイアスなどのため、覆ることがあるわけですね。言い換えれば、未決定で曖昧な印象の行動原理を提示したい、特に後で覆すつもりのときには、こう思う、という形で行動原理を示せばいいのです。

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: キャラの行動原理を言葉で説明するか動きで示すか。

この書き込みに返信する >>

元記事:小説の場面転換のタイミングとは?

苑子と申します。

小説には必ず「場面転換」があると思うのですが、どのタイミングで転換したら違和感を感じずに読めるでしょうか?
いつもそこで悩んでしまい、手が止まってしまいます。

上記の回答(シーンの切り替えは本当に必要なのか)

投稿者 【本人から削除依頼】 : 5 人気回答! 投稿日時:

 考え方として「どこでシーンを切り替えるか」は作者側視点の発想ですよね。説明や描写の都合を考えるものになります。その視点は必要です。その見方を欠くと、ストーリーの運び方がグダグダになりがちです。

 一方、小説は読者に読んでもらうものですよね。読者側視点でいえば、「見て面白いものを見せてくれ」です。この見方でいえば、「つまらなくなる前にシーンを切り替える」ということになります。

 とはいえ、各シーンがぶつ切りでつながりを欠いてはストーリーになりません(だから作者側視点も必要)。必要な情報は引継ぎながら、どうでもいいことはバッサリ削除してしまう必要があります。

 森鴎外の「寒山拾得」に名描写と言われているものがあったのを思い出しました。ただ、誰が凄いと褒めていたか失念してしまいました。すみません。自分でも確認してみて、こういう運びはいいなと思いましたので、引用してみます。説明の都合上、一文ごとに改行し、各文に番号を振ってみます。

(主人公の閭(りょ)が病を得たところに、謎の僧侶が訪ねてきて、水で治せると申し出たところから。)
01> 閭(りょ)は小女を呼んで、汲みたての水を鉢に入れて来いと命じた。
02> 水が来た。
03> 僧はそれを受け取って、胸に捧げて、じっと閭を見つめた。
04> 清浄な水でもよければ、不潔な水でもいい、湯でも茶でもいいのである。
05> 不潔な水でなかったのは、閭がためには勿怪の幸いであった。
06> しばらく見つめているうちに、閭は覚えず精神を僧の捧げている水に集注した。
07> このとき僧は鉄鉢の水を口にふくんで、突然ふっと閭の頭に吹きかけた。
(この直後、閭の病はたちまり良くなってしまう。心因性の疾患をうかがわせるものです。)

 01で水を用意する段取りを始める。そうすると、小女が水を取りに行く様子、戻って来る様子などを書きたくなります。カメラ視点が小女に移り、もしかすると井戸から水をくむところなんかも描写したくなるかもしれません。

 しかし鴎外はそうせず、02でいきなり水を出しました。途中のシーンをカットしたわけです。考えてみると、このシーンで大事なのは、まずは僧の動きです。僧の不可思議な所作に読者として注目がいけば、主人公の閭(りょ)も僧に集中したような印象が生じます。だから小女に注目が行ってしまうことを避けた。それが01→02です。

 水を持ってくる動きについては02によりカット、続いて03で僧の動きの描写に移っています。何をするか不明な感じで、閭を見つめるわけですから、読者は自然と閭視点で僧に注意が向きます。

 そうしておいて04で水に注意を移します。これは06の後で分かる効果ですが、僧の不思議な動きで高めた緊張を一瞬緩めるものになっています。05で水について、まだ読者には知り得ない情報を出す。「不潔な水でないから何なの?」という感じですね。

 そうしておいて、06でまたカメラ視点を僧に移す。03で受けた印象が蘇る感じですね。そして07で僧が素早いアクションを起こす。

 もし、02を長々説明したら、03以降の効果は薄れます。小女が水くみに行くところを描写してしまえば、つい小女が僧を不気味に思う描写を入れたくなり、小女が帰って来るシーンで不安感を出そうとしてしまいそうです(私のような下手くそがやりがち)。

 でも、それでは主人公の閭視点での緊張感が途切れてしまいます。もう一度、緊張感を高める必要性が出てしまい、作者としては二度手間ですし、読者としてはあっちもこっちもと目移り、というより目が滑る感じすらしてしまいそうです。

 だから単に「水が来た。」としたのだと思います。物語に必要なものが何か、鴎外はよく承知していて、思い切った省略を用いたんでしょう。

 シーンを切り替えない話を長々としてしまいました。シーンをどこで切り替えるか、というご相談なのに。すみません。でも意図はあるんです。

 サタンさんが非常に良くて、基本に忠実なシーン切り替えの例を出していらっしゃいます。それをお借りして、そのパターンをさらに省略することを考えてみたいと思います。

> その日は素直に帰って、明日に備えて早めに就寝した。次の日は特に何が起こるわけでもなく、放課後、僕は約束の場所へと向かう。

 見事な例文ですね。必然性のあることを簡潔に描写し、かつ読む手間は少ない。イベントがない場合の時間の流し方の好例だと思います。通常はこういうシーン切り替えを用いるべきでしょう。

 しかしもし、上記描写が緊張感を高めた後で、かつ「約束の場所」について、読者の注意と緊張感を持続したかったら。上記の鴎外の手法(全部バッサリ削る)が使えると思います。例えば、

「翌日の放課後、僕は約束の場所に来てみた。」

といった感じ。つまり、「シーンを切り替えたい」と思ったとき、「本当にシーンを切り替える必要があるのか?」「そのままイベントになだれ込んでしまえないか?」といったことを考える必要があると思います。もしかすると、シーンを切り替える必要がないのに、シーンを切り替えようと思うから、悩んでしまうこともあるかもしれないのです。

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: 小説の場面転換のタイミングとは?

この書き込みに返信する >>

元記事:主人公以外視点の書き方

小説は主人公が見たものや感じたものを書きますが、主人公以外のキャラの見たものや感じたものを書きたい場合はどのように書けば良いのでしょうか?
それとも、急に主人公以外のキャラの視点で小説を書いていくのは出来ないのでしょうか?
教えていただければ嬉しいです

上記の回答(主人公以外視点の書き方の返信)

投稿者 【本人から削除依頼】 : 1 投稿日時:

> 主人公以外のキャラの見たものや感じたものを書きたい場合はどのように書けば良いのでしょうか?

 書かないで済ます方法をまず考えるべきです(理由は後述)。
 主人公以外の他のキャラの見たもの、感じたことをどうしても記述する必要があれば、ダイレクトには台詞です。何を見たか、考えたか喋らせる。

・主人公:(地の文)
「電車で向かい側の席に座っている男が、目の前に杖を突いて立つ老人に席を譲ろうとしない様子に腹が立った。」
・他のキャラ:(主人公の隣にいるとして)
「なあ、あそこで座ってる奴ってさ、ほら向かいの席、目の前にお年寄りいんのに、平気なのかな。フツー、席譲んじゃないの? 杖突いてるの見えてるわけだし」

 曖昧に表現しても大丈夫な場合ですと、主人公が他のキャラを観察した様子で語ることも可能です。

・主人公:(地の文)
「電車で僕の横に立つ友人がちらっと向かいの席を見て、顔色が変わったのに気が付いた。視線を追うと、杖を突いた老人と、その目の前に座る男。どうも友人は男が席を譲らないのが気に入らないらしい。」

 主人公と他のキャラ一名が会話しているときでも、主人公を確定的に、他のキャラを目に見えるものからの推測で描写すると、自然になります。例:主人公「不思議に思った」→他のキャラ「不思議そうな顔をした」。

> 急に主人公以外のキャラの視点で小説を書いていくのは出来ないのでしょうか?

 視点移動と呼ばれるものですが、絶対にダメ、くらいに考えたほうがいいです。一応、三人称多視点といった手法名はありますが、読者が一読して分かるようにするのは、とてつもなく難しいのです。でも、作者は割と気軽にやってしまう。そして読者から描写が分からないと言われたりします。

 作者は「こっちのキャラから見てみよう」と思って、描写の仕方を変えることができます。書きあがったものは、途中で別の視点(別キャラ、別カメラ位置)に変わりますが、作者にはよく分かります。変えたのが自分だから、当然、よく分かるわけですね。

 読者は作者の内心の意図は読めません。書いてあることしか分からない。読者は単語ごとにイメージしつつ、文章が表す全体状況を再現しようとします。別視点に切り替わったことが分かるように書いてあれば、なんとかなります。しかし、たいていは情報不足になります。

 特に絵的なものですね。例えば、どちらから見たのか。コミックなら問答無用に絵を見せられます。でも文章だと、説明して読者に絵を描いてもらうようなものになります。イメージしてもらいたい物を、どの方向から、どういう距離で見ているのか、文章だといちいち説明せねばなりません。

 しかし、そんな説明をするとだらだらと長い文章になってしまいます。とても読めないものになるでしょう。それを避けて簡潔に説明しようとすると、情報不足になり、何をどう見ているのか不明に陥ります。

 それだけではありません。視点を一人(普通は主人公)に定めて動かさないようにすれば、たとえ三人称でも、読者は一人のキャラの見たもの、考えたものを追えば理解できます。現実でも、内面まで分かるのは自分だけですね。一人分ならいつもやっている通りですから、主人公の見たもの、考えたことを追っていくのは容易です。

 これが視点を切り替えられて、複数人になると大変です。普段やってない、多人数同時進行で思考や感情を追って行かねばなりません。こっちのキャラはこう考えていて、あっちは反対にこう思ってて、みたいに情報整理も必要となります。そういう訓練を積んだ人(例えば、多人数視点のフィクションを作り慣れた人等)なら別ですが、一般向けとしては難しいでしょう。

 小説は楽しんでもらうためのものであって、状況を正確に伝えるレポートやドキュメントではありません。楽しんでもらうためには、正確さを犠牲にしてでも、楽に読めるものである必要があります。

 視点移動は作者の書ける自由度が高いため、楽に、しかも状況を正確に書き表せる手法です。しかし、作者が楽をした分は、読者に苦労させることになります。エンタメにおいては、作者が自由度の低い書き方(視点固定)で苦労してでも、読者に楽をさせるべきです。でないと、読んでもらうことすらできないでしょう。

カテゴリー : ストーリー スレッド: 主人公以外視点の書き方

この書き込みに返信する >>

元記事:主人公以外視点の書き方。主人公の目を通して間接的に他のキャラの内面を表現する

 プロ作家がどのようにして、主人公以外のキャラの心情を表現しているか、プロの文章を参考にするのが最も良いと思います。
 実際に、最近の作品から引用してみます。

 ドワーフの王ギュンターは俺の側まで馬を走らせてくると囁いた。
「しかし、厄介なものだな。武人の矜持というやつは。まあ、ワシも人のことはいえないが」
 ギュンターとティンゴッド、種族は違えど似たようなところがあるのだろう。
 会話を交わしたことはないが、その生き方に共感めいたものを覚えているのかも知れない。

以上『魔王軍最強の魔術師は人間だった(4) 』(モンスター文庫) 2017/11/30刊行 著者:羽田 遼亮 より引用

 ここでは主人公がギュンターというキャラの感じていることをその言動から推測して、「その生き方に共感めいたものを覚えているのかも知れない」と感想を述べています。
 主人公の目から見て、このキャラはこのように思っていのだろう、と地の文で書くことで、間接的に他のキャラの内面を表現しているのです。
 
 どんな分野でもプロから学ぶのがもっとも効率が良いですので、いろいろな作品を読んで、その技をマネされると良いと思います。

上記の回答(主人公以外視点の書き方。主人公の目を通して間接的に他のキャラの内面を表現するの返信)

投稿者 【本人から削除依頼】 : 1 投稿日時:

(No: 6 うっぴーさんへ返信)

 引用なさったものは「小説家になろう」サイトにもありますね。商業出版ではいろいろ手直しされたと思いますが、ネット投稿時のものでも参考になるかと思いますので、ご紹介だけしておこうと思います。

「魔王軍最強の魔術師は人間だった」(作者:羽田遼亮)
 ・第四章 ドラグーン
http://ncode.syosetu.com/n6247dd/138/

 引用部分のすぐ続きで、やはり心情を推測で述べる手法を使っています。

> 次いでやってきたのはサキュバスのリリスだ。
>  彼女も武人の端くれなのだろうか、強敵に対する賞賛を惜しまない。

 この部分ですと、「だろうか」と推測+疑問の形を取り、より婉曲になっています。また、「武人の端くれ」という立ち位置で性格を伝えている点は、作者と読者の共有知識を用いて、読者側でイメージしてもらう手法だと思います。

カテゴリー : ストーリー スレッド: 主人公以外視点の書き方

この書き込みに返信する >>

元記事:バトルを売りにした小説において、ラスボスとの戦闘シーンには派手さが絶対必要か否か。

超能力や魔術を用いた直接的なバトルを売りにした作品で、ラスボス的存在が地味な能力であるというのはよろしくないでしょうか? やはり、バトル物であればある程度の華やかさをもった能力の方がいいでしょうか? 

上記の回答(バトルを売りにした小説において、ラスボスとの戦闘シーンには派手さが絶対必要か否か。の返信)

投稿者 【本人から削除依頼】 : 3 人気回答! 投稿日時:

 派手さは強さに通じますね。大きさも強さに通じます。しかし、そうでありさえすればいいか、本当に派手さ、大きさで強さが表されているのか、よく考える必要があるように思います。

 結論を先に申し上げてみます。ラストまででラスボスの強さを表現しておくことが不可欠で、それさえできていれば大丈夫です。逆に、ラストバトルの派手さ等の、最後の部分だけでは迫力は表現できません。

 実写映像作品で、もう10年以上前のものですが、「牙狼(1期)というものがあります。当初から、ラスボスはラストで出現する巨大な「メシア」と呼ばれる魔物だとされていました。

 途中までのメインの敵ボスは、暗黒魔戒騎士と呼ばれる、主人公(黄金魔戒騎士)と対極のキャラが暗躍していましたが、終盤で暗黒魔戒騎士は自らが出現させた、巨大なメシアに飲み込まれて、いったん消えます。(まあ、悪役のよくある自滅パターン)

 当然、主人公と巨大なメシアが対決するわけですが、苦戦しつつもなんとか撃破、そこで大団円かと思ったら、暗黒魔戒騎士が復活、主人公との最終対決になります。

 この最終対決が非常に迫力があったのです。そこが受けたせいか、以降の牙狼シリーズでは、ラストの対決は、最終盤で出現する巨大なラスボス戦→序盤からいる等身大ラスボス戦、がフォーマットとなりました。

 しかし、巨大な敵の後、等身大の敵が出て来たって地味です。でも、なぜか最後の等身大ラスボスが巨大ラスボスより強いと感じられます。このことは後述します。

 別の例では、ラノベでアニメ化もされた「とある魔術の禁書目録」がありますね。ラスボスではなく主人公のほうになりますが、能力が「幻想殺し」なる「触れば異能を無効化」であることは有名です。

 これも地味です。他の異能キャラは電撃だ、反射だ、炎だ等々、派手な技使いまくりです。しかし、主人公が出てきて触るとそれらはストップ、地味な対決になります。序盤の異能キャラ中、最強のラスボスという感じの「一方通行」(攻撃全反射)との対決では、主人公は異能技を停止させ、殴り合いで決着でした。でも、手に汗握るし、燃えるし、でした。

 やはりもう古典に属しますが、コミック(とアニメ)のドラゴンボールにおいては、逆説的に「小さい者のほうが強い」というパターンがあります。サイヤ人襲来の部分では、小さいベジータと大男のナッパが地球に到達、ナッパが最初は暴れまわるわけですが、実はフリーザのほうがはるかに強い。ナッパが怯えてました。

 その後、フリーザがラスボスとして登場します。フリーザも小さいですね。しかし、並み居る強豪、強いことが充分描写された部下が、名前を聞いただけで震え上がって怯える描写がありました。

 主人公の強さを証明するのは敵、特にラスボスですね。主人公は作中の最強キャラに勝つことによって、新たな最強の座を獲得します(そこでキャラが立ったりもする)。では、ラスボスの強さはどうやって表現するのか? ラスボスです、強いんですと説明しても、強さは感じられません。

 序盤で主人公を倒してしまえば(主人公はぎりぎり生存させる)、主人公と相対的な強さは表現できます。でも、具体的な力量差が見えてしまいますね。どのくらい主人公が強くなれば勝てるかが分かってしまう。

 フリーザの強さの表し方ですと、主人公たちに容易に勝てる部下を用意していました。その部下がフリーザを非常に恐れる様子が充分描写されたので、フリーザは得体のしれない強さが感じられるものとなっていました(加えて、当時は斬新だった数値による戦闘力表示も強さの描写を助けていた)。

 フリーザやベジータの場合は、強さの表し方がセオリーと逆方向になっていて、しかし充分に強さが感じられるものです。ただし、戦闘は派手ですので、その点はご質問の件では参考にはなりません。

「とある魔術」にしても、序盤ラスボス「一方通行」が、表舞台では最強クラスとされる「御坂美琴」(超電磁砲)に恐れられ、能力的に劣るとはいえ御坂美琴のクローン御坂妹を1万人以上、圧倒的実力差で殺害したと描写されています。

 その一方通行に主人公が勝つわけですね。単に殴り倒して。派手な描写は本当のタイマンに至る前まで。主人公が触ってしまえば全ての異能の効果は消えるわけですから。

 牙狼1期ですと、明示的な描写はないんですが、暗黒魔戒騎士が巨大なラスボス:メシアに飲み込まれたけれど、飲み込み返したような印象がありました(ただし、ウィキペディアや公式サイト等では、そう明言されておらず、むしろ鎧のみ復活した、みたいな説明がある)。ですので、「この等身大ラスボス強いぞ」という感じがありました。

 戦闘は地味とは言えませんでしたが、そこまでの数多くの敵との戦闘と同等くらいの派手さです。少なくとも、巨大なメシアなるラスボスとの戦闘とは比較になりません。等身大ですしね。でも、迫力が感じられた。

 これらは全て、ラスボス敵の強さを充分感じられるよう、長い尺を使って描写したからなのです。決して、ラストバトルだけ取り出して、敵の強さは感じられません。

 長くなりました。以上のような次第ですので、最初に申し上げた結論になります。
「ラスト前までの段取り次第です。」
「ラスボスの強さを、ラスト前までで表現しきることが必要です。」
「逆にラストでだけ派手とか巨大にしても、迫力は出ません。」

カテゴリー : キャラクター スレッド: バトルを売りにした小説において、ラスボスとの戦闘シーンには派手さが絶対必要か否か。

この書き込みに返信する >>

現在までに合計57件の投稿があります。 5件づつ表示中。現在全12ページ中の1ページ目。

ランダムにスレッドを表示

燃料切れです。

投稿者 マッキー 回答数 : 8

投稿日時:

物語を作るのが好きです。 しかし、とある理由から、エンジンストップしてしまいました。 ですので、いままで散々やってきたシナリオの... 続きを読む >>

処女作前編の批評依頼。

投稿者 一番合戦 仁 回答数 : 20

投稿日時:

こんにちは!サタンさん、ブルースクリーンさん、黒鐘 黒ぅさん。 皆様も初めまして! 竹牟礼 基です! なんとこの度ついに、... 続きを読む >>

ストーリーの過程を書くに至って

投稿者 田んぼの田 回答数 : 2

投稿日時:

小説のテーマは決まってるのに、こんなかっこいいシーンを書きたい……そうと決まったら書いてみようと思って、小説を執筆しているのですが、... 続きを読む >>

ランダムに回答を表示

元記事:初歩的な質問なのですが。

こんばんは、こんにちは。
創作に索に関する質問と言えばそうかなと思いこちらに投稿させて頂きます。

さて多くの新人賞では「42文字×34行の書式で80枚から125枚」などの書式規定があるかと思います。そして多くの場合、ファイルはWordなどではなくテキストファイルを要求されます。
然しながらテキストファイル自体に文字数や行数を設定する機能はありません。
この場合、上記の例を用いますと、「42文字×34行」という書式に出版社が直してみた時に80枚から125枚を超えなければよいのか、また「42文字×34行」のような指定された書式になっていなくても文章量が既定の量を超えなければ問題ないのか、どこを調べても判然としないので、こちらで伺わせて頂きました。
わらりづらい表現がありましたらご指摘いただけますと幸いです。
ご返答、何卒よろしくお願いいたします。

上記の回答(初歩的な質問なのですが。の返信)

投稿者 通りすがり : 0

どのように解釈すればよいかと言えば、ご自身で都合よく解釈してくださいとしか言えません。主さん自身で納得のいく理由を考えるしかないと思います。

ちなみに私ならば先に述べた「ふるい」としての解釈もできますし、「42文字×34行の書式で80枚から125枚なのね、数えるの面倒だけど仕方ない数えるか。応募者がやれば1作品だけで済むけど、仮に1000本応募が来て全部がそんな感じだと出版社の人は1000作品分作業する羽目になって大変だろうな」と違う解釈もできます。
どちらも私自身は納得できます。ぜひ主さんもご自身で納得できる解釈を見つけてください。

カテゴリー : その他 スレッド: 初歩的な質問なのですが。

この書き込みに返信する >>

投稿日時:

元記事:ストーリーを作っていくコツとは

はっきり申しますと、自分は作家志望の底辺初心者です。
自分は長編を一本も書き切ったことがありません。故に新人賞に投稿したことは一度もないです。
こんなストーリーを書いてみたい、という思いでワンシーンを書くくらいが自分の限界です。世界観のアイデアやキャラクターのアイデアが浮かんでも、アイデア止まりで終わってしまいます。
自分とは違い、何度も新人賞に原稿を出している作家希望者や、様々なストーリーを執筆している方は数多くします。
彼らのようにたくさんのストーリーを作るにはどうすればいいのでしょうか?

自分とストーリーを何本も完成させる、または新人賞に応募する方々とは才能の違いによる思い、自分に諦めをつかせようともしましたが、それでもやはり夢ですので、そう簡単に諦めきれず、小説を書きたいという思いが強まるばかりです。
才能を羨んでばかりではいられないので、情けない話ですが、アドバイスをお願い致します。

上記の回答(ストーリーを作っていくコツとはの返信)

投稿者 サタン : 0

おそらく人それぞれ違うので自分で考えてくしかないと思いますが、「どういう形が物語か」というところから考えてみると良いんじゃないかなと思います。
ハッキリと「こういうのが物語だ」と書かないのは、私の考えは私にだけ有効なものなので他者にとってはさほど役に立たない他人の持論でしかないためです。

私の持論は参考までに後述しますが、基本的に「こういうのが物語」という、言ってしまえば「物語の定義」ですから根本的な部分ですよね。これが人によって違ったりするので、あくまで参考以上のものではない事に注意してください。正解を口にしてるつもりはないです。

「物語の形」が見えてくれば、似たような形を作れば良いだけなので、基本的に「物語作り」はそれほど難しいものではありません。
ぶっちゃけ誰にでもできます。ただ「物語」というのは概念であって目には見えないので、わかりにくいだけです。
なので、自分なりに「こういうもの」と答えを出してしまえば簡単につくれるようになるでしょう。

さて。持論ですが、
前述した通り「物語」というのは非常に漠然としています。
小説の数百数千ページがまとまって「物語」と言えるわけで、これはつまり数百数千ページ読まないと「物語」というのはわからない、って事でしょう。
だから、物語を作ろうにも、例えばプロットにしても「数百数千ページ」書かないと「これから書くことがわからない」って事になる。
物語を完成させるために、完成した物語が必要という矛盾。
さすがにそれはおかしいので、「数百数千ページ」の物語を極力短くして考えてみることにしました。
結論として、「勇者が魔王を倒す話」という、一行の文章に集約できるなという考えに至りました。
これが私の考える「物語の形」です。
すべての物語は一文で表現できるし、この一文を展開させればどんな物語でも書くことが出来る。

考えても見れば、主語というのはその一文における主役になる語句で、述語ないし述部というのは「それがどうなったか、どういう状態か」など主語に対して述べる語句。
であれば、「主語述語の関係」がしっかりと書かれている一文というのは、「主人公がどうしたのか・どうなるのか」という物語として認識できるんですよね。
なので、これが最小単位の「物語の形」である、というのが私の考えです。

その考えに至ってからは、私の創作はまず「一文」を作ることから始まるようになりました。
「勇者が魔王を倒す」これを展開させていけばいずれプロットになるし、小説になる。そしてそれはグダグダすることもなく確実に「勇者が魔王を倒す話」という物語になる。
そこから先は三幕構成など既存の創作技術を参考にしながら、自分なりに「一文の展開方法」を考えていきました。

「勇者が」「魔王を倒す」と、主語と述部で分けて、間に入る言葉を適当に考える。
「勇者が」「平和のため」「魔王を倒す」という感じ。適当なんで面白味もないけど。
そしたら、更に間に入る言葉を考える。
「勇者が」「故郷を滅ぼされ」「平和のため」「魔王城に乗り込み」「魔王を倒す」。
要素が5つ出来ましたが、これを三幕構成に当てはめると「故郷を滅ぼされ」がターニングポイント1で「平和のため」がミッドポイントで「魔王城に乗り込み」がターニングポイント2に当たる。
三幕構成を理解していれば、このあたりで「物語」としての完成図が見えてくる。
全体の流れが出来たと言えるので、ここで「故郷を滅ぼされ」を「勇者の故郷が滅ぼされる話」という感じで「主語述語の関係」が成立する一文に組み立て直して、「勇者の故郷が滅ぼされる話」を上記した手順を繰り返す感じで噛み砕いていく。
「勇者の故郷が」「◯◯して」「滅ぼされる」という感じ。
するともうこの時点で、新人賞クラスの長編であれば「勇者の故郷」という要素だけでワンシーンに相当するページ数になる。
この要素はすなわち「勇者の故郷である」ということがわかれば良いシーンなので、「勇者の故郷であることがわかる内容」を書けば良いだけ。
そういう「シーン」を考えるのは野乃さんも出来なくはないですよね。
計算上、5つの要素をそれぞれ5つに噛み砕くので、合計25個の要素ができます。
すると、新人賞であれば、このワンシーンに対して平均5千文字も書ければ規定の12万字になります。

よって、私の創作論から言えば、
>こんなストーリーを書いてみたい、という思い
その「こんなストーリー」を表現できる一文を作ってみる、これが第一歩です。
ただ、前述した通り、「物語の形」というのはおそらく人それぞれ認識が違い、起承転結で考えてる人もいれば設定集で概要をまとめる人もいるでしょう。
なので、あくまで私個人の考えです、という感じです。
野乃さんは野乃さんなりの「形」を見つけてみると良いかなと思います。
ぶっちゃけると、自分の方法は説明しやすく合理的で感覚に寄らないので万人に向けられると自惚れているのだけど、おそらくココにいる書き慣れた人達からすれば首を傾げる内容であろうと思う。
書き慣れてる人たちほど、それこそ人それぞれ違うので、他の方の意見も参考にしつつ自分なりの方法を見つけてみると良いでしょう。

カテゴリー : ストーリー スレッド: ストーリーを作っていくコツとは

この書き込みに返信する >>

投稿日時:

元記事:タイムリープものにおける年代表示について

私はいまタイトルにもあるように、学園タイムリープものを書いています。
あらすじを大雑把に説明すると、高校二年の主人公が階段から落ちた衝撃で入学式前日にタイムリープする……というものです。
そこで、皆様にお聞きしたいです。
このような作風の場合、年代はちゃんと決めておいた方が良いのでしょうか?

例えば「2017年に戻った」と説明したとします。となれば勿論2017年に起きた出来事を取り入れなければ……みたいな。

イマイチ理解しづらい説明で申し訳ないのですが、ご回答お待ちしてます。

上記の回答(タイムリープものにおける年代表示についての返信)

投稿者 ヘキサ : 1

内容による、としか。
例えば「バック・トゥ・ザ・フューチャー」では、未来から来たことの証明として「未来のアメリカ大統領は?」「ロナルド・レーガン」「そいつ俳優だろ、んなバカなww」というやりとりがあるわけですが。

入学式に戻る、ということは、タイムリープの目的が「何かやり直したいことがある」としたらそれをメインにすればいいだけで、別に無理に入れる必要はないかも。

映画「バブルでGO!」では、バブル崩壊の元凶となった事件を止めにタイムスリップしますが、この場合は事実に則してなきゃ意味ないし。

「ターミネーター」はロボットが暴れる近未来の状況がなければ再現できないけれど、近未来なだけに向こうの世界がどうなっているか予測できないし。

「時をかける少女」は時代ごとにリメイクされていますが、これは現役の学生に共感してもらうため、だと思うし。

今やるとしたら、キーはIT革命が絡んでくるかこないか、かもなぁ。スマホ持つのが当たり前の時代かそうでないか、とか。あるいは令和の時代が来たか来ないかとかも、近年の一大イベントだったからうまく織り交ぜれば特徴的になるかもしれないけれど、執筆ペースに自信がなければ、無理して入れないほうがいいような気もする……。

カテゴリー : 設定(世界観) スレッド: タイムリープものにおける年代表示について

この書き込みに返信する >>

投稿日時:

トップページへ

▼書き込みの検索

▼投稿者の検索

質問、相談をする!
コメントは4500文字以内。
返信通知設定(必要なければ外してください)

「私はロボットではありません」にチェックを入れてください。

ページの先頭へ

小説の書き方Q&A:創作相談掲示板の使い方・利用規約(必ずお読みください)。お問い合わせ