小説の創作相談掲示板:小説の書き方Q&A。執筆の悩み相談をしよう!

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元記事:作品内にライブ場面を出すような場合について

こんにちは。初めてこの掲示板に投稿させていただきます、稲七と申します。
書こうとしている小説の中で、ロックシンガーによるライブが行われる場面が頭の方にあるのですが、歌詞を考えようにも曲が作れないのでうまく音数合わせができず、困っています。ライブ場面なので、歌詞だけでなく「どこで音を伸ばすか」というような要素も入ります。
こうした場合、メロディーのことは考えずに歌詞を(とりあえず音数だけ一番二番で揃えて)作って音は適当に伸ばす形で書いてしまうものか、メロディーも頑張って作るのか、そもそもライブ場面だからといって音楽の中身そのものには踏み込まないようにして創作コストを下げるのか。
皆さまならどうお考えになりますでしょうか。

上記の回答(作品内にライブ場面を出すような場合についての返信)

投稿者 【本人から削除依頼】 : 4 人気回答! 投稿日時:

 とりあえず、4拍子(実は8ビート)、8拍子(実は16ビート)でリズムを押さえておくといいと思います。後は適当、ひたすら適当です。本当にメロディ付きにするときだけ真剣にやればいいです。

1.4拍子(実は8ビート)
 普通の音を「・」強くなる音を「●」で表すと、「・・●・/・・●・」です。ツツタツ/ツツタツみたいな感じ。強くなる音は必ず3拍目です(日本的なリズムは1拍目が強いのが多いので注意。昔のロックコンサートで日本の聴衆が1拍目に手拍子入れて、バンドメンバーが苦笑いなんてあったらしい)。

 ちょっと変則を入れて、音を伸ばすのを「-」で表すと、「・・●・/・・●・/・・●・/・-●-」(ツツタツ/ツツタツ/ツツタツ/ツーター)みたいにもなります。4小節単位にして4小節目を変則的にする。

 これに歌詞を載せればいいのですが、いったん仮名で書いてみたほうがいいです。ご質問文から適当に切り出してみます。

> 書こうとしている小説の中で、ロックシンガーによるライブが行われる場面が頭の方にあるのですが

 これを仮名で書いてみて、4文字ごとに区切ってみます。文字といっても音節を意識するので、「しょ」などの小さい文字付は1文字でカウントするといいと思います。

「ん」は前の文字とひっくるめて1文字カウントでも、「ん」だけで1文字でもいいです(その辺りは俳句の流儀を参考にしてもいい)。

 4文字ごとで切れ目が悪いとことは長音「ー」で誤魔化します。「ー」も1文字にカウントします。逆に「ー」のせいで4文字ごとにしにくい場合は「ー」を削除。

 上記の4小節目の変則を入れてみるときは、助詞(てにをは)は削除してもいいと思います。そのほうが歌詞っぽくなることがあります。

かこうと/している/しょーせつ/のーなか/
ろっくしんが/によるー/ライブが/おーこー/
なわれる/ばめんが/あたまの/なーかー/
あるのー/ですがー/……

 これに、あくまでもできればですが、上記の3拍目の強い音を意識して、ちょっと歌詞をいじると、さらにそれっぽくなるはずです(今回は割愛)。

 とりあえず、漢字交じりに戻します。歌詞の文字的な見栄えを考えて、削除した長音「ー」を戻してもいいと思います。

書こうと/している/小説/のー中/
ロックシンガー/によるー/ライブが/おーこー/
なわれる/場面が/頭の/なーかー/
あるのー/ですがー/……

 どうも「おーこー」とか、そこで改行するとか、「なーかー」も見栄えが悪い。そこで、適当に変えて以下のようにもできます(歌詞の休符を考えて、掛け声にするとかもできる)。

書こうと/している/小説/のー中/
ロックシンガー/によるー/ライブが/行わ/れる(ハッ)/
場面が/頭の/中ー/あるのー/ですがー/……

 かなり適当です。歌にする予定がないんだから、適当でいいです。ただ、そこそこリズムありそうに見せかけることは必要だろうと思います。スラッシュ(/)を外すと以下のようになります(助詞を削除したポイントは読点「、」を入れて読みやすくしてもいい)。

書こうとしている小説のー中
ロックシンガーによるーライブが行われる(ハッ)
場面が頭の中ー、あるのーですがー……
(さらに文字的な見栄えで小変更を入れても可)

1.8拍子(実は16ビート)
 4拍子の1音を2音にします。やはり普通の音を「・」強くなる音を「●」で表すと、「・・・・●・・・/・・・・●・・・」です。

 強くなる音は2音にはならない点が要注意かもしれません。ツツツツタツツツ/ツツツツタツツツみたいな感じですね。たらしい)。

 ちょっと変則を入れて、音を伸ばすのを「-」で表すと、「・・・・●・・・/・・・・●・・・/・・・・●・・・/・-・-●-・-」(ツツツツタツツツ/ツツツツタツツツ/ツツツツタツツツ/ツーツーターツー)みたいにもなります。4小節単位にして4小節目を変則的にする。

 後は4拍子で同じ要領で歌詞を当てはめて行けばいいです。

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: 作品内にライブ場面を出すような場合について

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元記事:少女向けと少年向けの違い

少年向けと少女向けの違いがよくわかりません。
設定からして少女向けだと言われました
少女向けと少年向けだとどこがどう違うんですか?
私は戦闘シーンを入れたいのですが少女向けだから無理と言われてしまいました
女性が主人公で戦闘は難しいですか?

上記の回答(少女向けと少年向けの違いの返信)

投稿者 【本人から削除依頼】 : 1 投稿日時:

 例えばですが、少女コミックは三角関係等も含めての恋愛ものが多く、少年コミックはスポーツも含めてバトルが多い、みたいな(ステレオタイプですが)印象があります。

 少年誌では「争い」を描き、少女誌では「諍い」を描く、と言い換えてもいいかもしれません。そういうテンプレなんでしょう。だから、少女ものとジャンル分けされると、「争い」を描かれると読者ががっかりすると危惧する向きもあると思います。

 もちろん、何を描くかは作者の自由です。もし、「たとえ少女ものと言われても、がっかりされてもバトルを入れるんだ」と思えば、入れたらよいです。

 しかし、もし「せっかく少女ものらしさがあると言われたんだから、少女もののテンプレに従ってみるか」と考えるのなら、そういう路線で一作を仕上げてみるのも一興かもしれませんね。

 少女ものと少年ものの違いは何だということについては、やはり自分で両方のジャンルを読んだり、観たりしてみるしかありません。感性的なものなんで、実感してみるしかなく、実感するには経験してみるしかありません。

 だけど、とりあえずやってみるとしたら、上記のような違いだと、大雑把に理解して、やってみてもいいような気がします。例えば以下のような要領。

 とりあえず、ヒロインを設定し、ヒロインを大事にするようにして、恋愛要素をメインで入れる。ヒロインは彼氏キャラに好意を抱く。そこへ、同じく彼氏キャラに好意を抱くライバル女子を登場させる。登場時のライバル女子の魅力としては、モブキャラ基準では、ライバル女子>ヒロイン。

 少年ものだと、ヒロイン vs ライバル女子の構図を直接的に描き、ヒロインとライバル女子を争わせます。軽い感じなら、どちらが彼氏キャラとデートの約束を取り付けるるかで争い、ライバル女子がヒロインを排除しようとし、ヒロインも負けじとライバル女子を抑え込もうとする。

 だけど、女性向テンプレだと違ってきます。ライバル女子が嫌味なキャラであれば、ライバル女子は直接的にヒロイン排除の行動をしても可です。しかし、ヒロインは嫉妬をしても、ライバル女子に直接的には向かいません。

 判定を彼氏キャラに預けるのです。だから、ヒロインがライバル女子を攻撃することはない。ヒロインは彼氏キャラに救いを求め、彼氏キャラによりライバル女子を排除してもらう運びになります。

 言い換えれば、少女路線テンプレでは、ヒロインの力は価値判断の力を持つ彼氏キャラによって発揮されるのです。彼氏キャラ=勝利条件=価値評価の神に選ばれる、ということですね。少年ものだと神頼みをせず、ライバル同士の直接対決です。

 物凄く大雑把に一部のテンプレだけで説明してみました。大雑把にして部分的な点、ご高察を願います。自分の描いているものがどういう路線なのかをきちんと知って、長所を生かすのなら、やはり幅広いジャンルに当たってみる必要があることは、念押しして述べておきたいと思います。

カテゴリー : その他 スレッド: 少女向けと少年向けの違い

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元記事:どうやったら三人称多視点のストーリーが書けるようになりますかの返信

はじめまして。
「三人称」「多視点」は矛盾した概念です。
三人称は神の視点で語られるため多視点にはなり得ません。逆に多視点は一人称語りが複数ある状態です。

あくまで推測ですが、基本は三人称だけれど、複数の人物の一人称が混在している状態……でよろしいでしょうか?

その場合、地の文章はナレーションとしての三人称語りを意識して、登場人物たちの心情などは行動で表現したり、台詞で喋らせれば良いかと思います。

太郎は怒りに満ちた足取りで歩みを進めていく。
「こんなはずではなかった!」
その怒気に満ちた声に、彼に付き従う次郎は身をすくめた。

あとは、書いて読み返した際に、一人称になってしまっていないか見返すことでしょうか。
ナレーターの気持ちで読み、違和感がなければ問題ないはずです。

最近は三人称語りに一人称が混ざるような手法もあるため、上手く書かれていれば問題ないと思いますが、まずは練習として純粋な三人称で書いてみられてはいかがでしょう?
拙い説明ですが、参考になれば幸いです。

上記の回答(どうやったら三人称多視点のストーリーが書けるようになりますかの返信の返信)

投稿者 【本人から削除依頼】 : 3 人気回答! 投稿日時:

 杜 値さんに申し上げます。

 三人称多視点というものは矛盾した概念ではありません。多少、人称と視点について、説明申し上げてみたいと思います。

1.一人称(通例、視点では分類しない)
 主人公が自分の視点から地の文を語ります。視点は(原則として)主人公のみですので、一視点しかないと考えるべきでしょう。
 ただし、シーンごと、あるいは章ごとで視点キャラが変わることがありますので、「その場での主人公」の視点と言ったほうがいいかもしれません。

2.三人称一視点
 三人称ですが、シーン中のどれかのキャラから見たように描写するものです。
 よく、一人称の自称「私/僕/俺」をキャラ名に入れ替えたものに近い、などと説明されます。

3.三人称神視点
 三人称で、どのキャラにも近くない視点で描写する手法です。

4.三人称多視点
 三人称で、かつどれかのキャラから見る視点で描くのですが、三人称一視点と異なる点は、シーンや章ごとで視点キャラが変わる点です。
 三人称神視点において、神の視点が自在に移動する場合は、この多視点を含めてしまるかもしれません。

 以上のような分類が使われますので、このスレッドでは上記の4についての話だとご理解いただければと思います。

カテゴリー : ストーリー スレッド: どうやったら三人称多視点のストーリーが書けるようになりますか

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元記事:伏線の張り方

初めて書き込みます。伏線の張り方がわからず、展開が止まってしまいます。
最近関心したのが、友人に見せてもらった劇場版トライガンで、序盤の何気ないやり取りの中で何度か固い干し肉の塊が出てくるんですけど、物語の中盤~終盤にかけて、主人公が撃たれて一度は死んだみたいになるんですが、後で生きて出てきて、その理由が胸ポケットに件の肉塊を入れていたために銃弾を防げた…という顛末なのですが、一体どこから考えたらそんなふうに話が繋がるのか、わからないです。進行上に自然発生した肉を再利用したのか、撃たれるシーンまで話を作ってから、助かる理由として肉のエピソードを序盤に書き足したのか……。しかもこの肉、主人公が「ナイフを貸してくれ」と登場するために必要なキーアイテムで、後から書き足したと仮定したら、じゃあ元の登場はどうなっていたのか、と謎が謎を呼びます。
つまり、伏線を張るには話を作りながら張るのか、粗筋ができてから書き足すのかという話なのですが、伏線が無いと粗筋も組めないし、粗筋が無いと伏線も張れないし、という状況になってしまうのです。どうすればよいのでしょうか。

上記の回答(伏線の張り方の返信)

投稿者 【本人から削除依頼】 : 4 人気回答! 投稿日時:

 伏線でよく引き合いに出されるのが「チェーホフの銃」で、「第1章で銃を見せたら、後の章で発砲しなければならない」というものです。時系列を逆にして考えると、「銃が撃たれたのなら、予め銃を登場させておく必要がある」となります。

 冒頭で銃を登場させたから銃を使うシーンを考えるか、銃を撃つシーンが欲しいから、冒頭で銃を出す工夫をするかは、発想法の相違です。結末が合理的になるように原因を考えるか、ある出来事が何を引き起こしそうか考えるか、ですね。どちらでもいいし、どちらも使えれば言うことなしです。

 申し訳ないことに、劇場版トライガンは見てなくて、TVアニメのほうだけしか知りません。TVアニメだと、主人公ヴァッシュと相棒のウルフウッドが人質を取られて脅迫され、戦わされて相撃ちになり、二人とも血まみれで倒れた。でも、実は血に見えたのは服の下に隠していたトマトケチャップだった、なんてシーンがありました。

 これだと伏線張らなくて大丈夫なケースです。相撃ちが偽装だったことは、ケチャップの割れた瓶さえ描写すれば、後は視聴者は察してくれます(なるほど、二人して一芝居打とうと仕込んでたのか、みたいに)。

 干し肉の防弾だと、そうもいかないですね。未見ながら想像すると、主人公の幸運(ヴァッシュだと悪運と言うべきか)を演出するためでしょうか。撃たれて致命傷だったはずなのに、あっけらかんとして再登場するためにはどうするか。

 敵は主人公より強く、どう戦っても勝てない。必ず主人公が先に撃たれてしまう。しかも心臓の位置。しかし主人公生存ルートを工夫するとなると、防弾。しかし、防弾チョッキを予め着込んでたりすると興ざめになりかねない。

 ここで作者としては考えることになります。一つには「撃たれるシーン以前で、なんか使える物あったっけ?」です。仮に、干し肉がナイフの必然性を演出するためだけに出したとします。でも「硬い干し肉だったな、それで防弾しようか」と思いついたとします。

 ここまでは、発想としては時系列に沿うものですね。既出のアイテムの再利用です。しかし、そこから時系列を遡り、「じゃあ、胸に干し肉入れる必然性を作ろう」となります。そこで、例えば干し肉を取ろうとする猫がいたことにする等々とさらに遡っていくことになります。

 撃たれたけど防弾できていた、なぜか、という時系列を遡る発想が最初にある場合もあります。胸に意外なものを入れていたことにしようと思いついた場合、必ずしも干し肉を思いつきませんね。よくあるのが、「胸ポケットの懐中時計が防弾した」でしょうか。

 胸ポケットのの懐中時計はごくありきたりなアイテムです。そこで、懐中時計に意味を持たせることを考えたりします。例えば、主人公が尊敬する祖父の形見とすれば、懐中時計が銃弾を防いで壊れた→天国の祖父が守ってくれた、みたいになります。

 しかし、いかんせん懐中時計は手あかのついた手法です。胸ポケットに入っていて当たり前ものも同様です(身分証明書になる警察手帳とかいろいろ)。そういうテンプレを避けたいとすると、突拍子もないものが胸ポケットにある必要がある。突拍子がなければなんでもいいわけで、例えば干し肉を思いついたとする(小腹がすいてなんか食いながら書いてると、そういうことがよくある)。

 じゃあ、なんで干し肉が胸ポケットに入っているのか。食わずに取っておいた分があるからか。と時系列を遡って考えることになります。そこで、取っておく分を切り分けるためナイフがいるよね、防弾するほど硬い干し肉なら、そのナイフは鋭利で頑丈でないといけないな。みたいに思いついたりもするでしょう。そして、そのナイフはナイフで、何かエピソードに絡めたくなる(チェーホフの銃の原理)。

 これに加え、レッド・ヘリング(燻製ニシンの虚偽)というものもあります。読者の目を逸らすためのアイテムやキャラです。推理物なんかだと頻出です。伏線だと、それがうまく伏せられるために、目立つものを配することがよくあります。偽の伏線みたいなものですね。真の伏線を目立たせなくして、伏線を伏線らしくするために使えます。

 しかし、伏線は覚えておいてもらわないといけないので、目立たせないといけないというジレンマがあります。対策としては、伏線となるアイテム(やキャラ)に、いったんオチを付けるというテクがあります。干し肉なら、例えば食事で争奪となり、最後に奪い取った主人公が胸ポケットに入れて、「俺の干し肉だ!」と宣言するとかですね。コントのためのアイテムだと読者に誤認させるわけです。

 それも難しい場合は、伏線となるアイテムを繰り返し出してしまいます。読者が慣れて気にしなくなる効果を狙うわけです。有名な話では、イソップの羊飼いの少年ですね(慣れてしまうのは作中のキャラですが)。羊飼いの少年は何度も何度も「オオカミが出た」と叫び、村人は慌てるが、毎回オオカミはいない。村人が羊飼いの少年の言葉に慣れて反応しなくなったとき、本当にオオカミが登場するわけです。

 よく考えますと、一人称か三人称一視点では、主人公は常に登場していて、全生活が描かれます。サブキャラは必要に応じて部分的に描かれます。モブキャラだと1回限りで、演出上の必要のためだけだったりもする。

 ですが、サブキャラも作品世界内でずっと存在していますよね。モブキャラだって同じです。必要なシーンのときだけ無から出現するわけではなく、描かれていないだけで主人公と同じく全生活を持っている。

 アイテムも同じはずです。必要なときにひょいっと天から降って来るわけではない。ずっと作品世界内に存在しています。宿屋があったら、主人も従業員もいるし、宿帳もあるし、炊事場には鍋やフライパンや釜がある。それも作品世界内で、主人公が出てくる前からあり、主人公が去ってもなくなったりしないわけですね。

 つまり、描かれているか否かを問わず、キャラもアイテムもずっとあるわけです。描かれていないけど、存在していて当然のものがたくさんある。でないと、作品世界にリアリティがなくなりますよね。ですから、伏線に使える物は実はたくさんあり、作者はその中から選べばいいわけです。

 と簡単には言いましたが、これが結構大変で。作品世界内にいるはずのキャラもアイテムも要不要に関わらず、どのように在るかを考えるわけですので。でも、考えないと作品世界がいかにもな作り物、作為的になります。

 だから、大変でも作品世界を隅々まで詳細にわたって考える。すると、伏線のネタも見つかります。

カテゴリー : ストーリー スレッド: 伏線の張り方

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元記事:どうやったら三人称多視点のストーリーが書けるようになりますか

私は三人称多視点のストーリーを書きたいのですが、混乱してしまってどうやって書けばいいのかわかりません。コツとかあるのでしょうか?

上記の回答(どうやったら三人称多視点のストーリーが書けるようになりますかの返信)

投稿者 【本人から削除依頼】 : 13 人気回答! 投稿日時:

 こういうことを申し上げるのは、大変恐縮であり、不本意でもあるのですが、前回のご質問(キャラクターの動かし方)のこともありますので、あえて申し上げてみることにします。

 結論から申せば、三人称多視点はもとより、複数キャラの登場する小説をチョコさんが執筆されることは、現状では難しそうと思えます。そう判断する理由は、一つにはご質問文の書き方、もう一つは回答に対する応答です。

 ご質問文のほうですが、お悩みの点を含むチョコさんのご事情について、圧倒的に説明不足です。チョコさんを普段からよく見て、よく話してもいる周囲の方ならともかく、赤の他人に対して分かるようには書かれていません。

 私も前のご質問に回答しておりますが、断片的な情報からあれこれ推測したものの、チョコさんのご要望に沿ったものだったのかどうか、全く自信がありません。

 小説の読者のほぼ全員は見ず知らずの赤の他人です。チョコさんの作品も、チョコさんも全く知らない人に物語を説明せねばなりません。ネットでの質問という、具体的に聞きたいことを、赤の他人に言葉で直接呼びかける行為においてすら極めて説明不足。ならば、自分の考えた物語を一方的に述べる小説が分かるように書けている可能性は極めて少ないと推測せざるを得ません。

 つまり、三人称多視点以前に、分かるような小説を書けていない可能性があります。

 また、前のご質問への回答へ何ら返信することなく、新たに質問をされておられます。自分の悩みについて聞いて、何らかの回答が返って来たにも関わらず、応答しなかったわけですね。

 もちろん質問という趣旨からすれば、聞きたいことが聞けたのなら、それでもいい。ピンとくる回答がなかったのなら、スルーしたっていい。

 だけれど、赤の他人と言葉だけでやり取りするチャンスは逃しています。回答に対して、こう理解したとか、回答のこの部分はまだ分からないとか、レスポンスを返せなば、さらに回答を補足してくれる可能性は低くありません。そこから、自分の言ったことが相手にどう理解されたかを確かめることができます。

 これ、小説という「赤の他人に、自分のキャラや物語を分かってもらう」ということの練習になるんですよ。赤の他人に自分の考えを伝え、赤の他人の考えや気持ちを言葉だけから読み取るわけですから。前回のご質問のような言いっ放しでは、それができません。もし、普段からネットでは言いっ放しであれば、赤の他人に分かるように物語る練習が圧倒的に不足している恐れがあります。

 小説を書こうとしてキャラの会話で詰まるのも、それが原因かもしれません。

 小説だけでなく、ネットでの質問や雑談等々のあらゆる機会を使って、「赤の他人でも分かる話を書く」「赤の他人の話を読み取る」練習をしてみてください。小手先の技術は、その後でしか有効ではありません。

カテゴリー : ストーリー スレッド: どうやったら三人称多視点のストーリーが書けるようになりますか

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元記事:和風ファンタジーを書きたいのですが、どこまで勉強すればいいのでしょうか?

タイトルの通り、私は和風ファンタジー風の作品を描きたいです。舞台は現代日本なのですが、その時代で隠れて生きる妖怪たちを題材に作品を書きたいのです。
その上で、物語の題材ってどこまで勉強したらいいのでしょうか?
妖怪はもちろんでしょうが、昔話や古典、古文なんかも勉強したほうがいいですかね?というかどこまで勉強すればいい作品が作れるのかわかりません。
どうしましょう?何かいい教材はありませんか?

上記の回答(和風ファンタジーを書きたいのですが、どこまで勉強すればいいのでしょうか?の返信)

投稿者 サイド : 0

今、「わたしの幸せな結婚」というマンガを読んでいます。(小説は未読
和風ファンタジー×嫁入りというジャンルなので、被るものもあるかなと。

この作品の何がいいかというとタイトルで何がやりたいのかが、一発でわかることです。
そのまんま、「わたしの幸せな結婚」を描きたい、それが根本です。
本を読んでネタを探す前に、そのような一言で示せる「目的」を考えてみてもいいのかな、と思います。

ヒロインが持つ要素として、
1 継母、異母妹に疎まれ、いじめられる。
2 異能を持たない。
3 お金も教養も無い。
4 以上から、卑屈で暗い。
などがありますが、それらは「幸せな結婚」を盛り上げるための切っ掛けであり、二次的な要素です。
多分、スレ主さんが勉強しようと思っているのは、その部分なのかなと思います。
ですが、他の方達が仰っているように、「一言で示せる自分の目的」(上記した「幸せな結婚」)を定めること優先させた方がいいのかも、というのが個人的な意見です。

まあ、僕もネタを探してフラフラ本を読んだり、ネットをずっと見てたりするんですが、だいたい後悔するので、その前にじっくり目標を考えてみてもいいかも、という感じですね。

カテゴリー : ストーリー スレッド: 和風ファンタジーを書きたいのですが、どこまで勉強すればいいのでしょうか?

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投稿日時:

元記事:プロローグの書き方について

初投稿です。失礼ありましたらすみません。

物語はじめに書くシーンが、プロローグとして正しいのか、もしくは第一話として扱った方が良いのか、意見を聞きたくて質問しました。

プロローグとして挿入しようとしているのは、「主人公は何か書きたいものがあって小説の書き方について調べ物をしている」シーンです。

しかし、この後の本編では小説とは全く関係のないストーリーが進みます。
そして後半になってようやく「本編に登場するキャラクターは本来迎えるべきだったシナリオを制作者の都合で変えられてしまった」といった事実が明らかになります。
その後、紆余曲折あって「主人公自身の手で本来の物語を書く」といった冒頭のシーンに繋がるようになっています。

プロローグとして正しいのか悩んでいる理由は、プロローグってなんだと思い調べてみたところ「物語の概要」や「舞台の説明」と知りました。
しかし、私が書こうとしているものはそのどちらにも属さないと考えたためです。

繰り返しになりますが、
このようなシーンはプロローグとして扱って良いのでしょうか。それとも第一話として扱った方が良いのでしょうか。

回答をよろしくお願いします。

上記の回答(プロローグの書き方についての返信)

投稿者 読むせん : 0

あー・・・・・
―――――――――――
プロローグ(読み)ぷろろーぐ(英語表記)prologue
翻訳|prologue

日本大百科全書(ニッポニカ)「プロローグ」の解説
プロローグ
ぷろろーぐ
prologue

「序詞」「序幕」「前口上」などと訳される。劇の開幕に先だって口上役が登場して、当時の政治や社会への批評を絡ませたりしながら劇の大筋を説明する場合と、短い一場面を設けて、これから始まる劇の内容を暗示する場合の二つの形がある。
ーーーーーーーーーーーー
なので、書きたい文字数で変わるんとちゃう?

===================================

なんか昔観て印象的やったのは『ブリスター!』って邦画で、しょっちゅう【the save your planet】ってセリフが出てきたやつ。

たぶん、この映画で言う【the save your planet】がプロローグやねん。

観てくれた方がええねんけど、面倒やろうからザックリうろ覚えネタバレするわ、興味でたらアマプラとかで観てみ?
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
①ヘルバンカーの話
地獄の罪業を回収することで世界平和をもたらすヒーロー【ヘルバンカー】の苦悩と活躍の話。

1,人間が悪事に手を出す瞬間を「魔が差す」というように、その世界には邪悪コインか魔インとかいう呪物があり、それを手にすると誰もが悪事に手を出してしまう。

2、たしか主人公は妻子持ちエリート・銀行マンやったねんけど、邪悪コインに呑まれたチンピラ達に妻子を殺され、自身も死に体(しにたい)になる。

3、で、男が快気後に【罪を憎んで人を憎まず】なヒーロー【ヘルバンカー】に進化。
 人々が持つ邪悪コインを強奪しては地獄貯金箱に全回収し、魔が差さない世界による世界平和を作ろうと頑張り始める。

4、ところが、邪悪コインを回収しても悪事をするやつは別に減りもせず、それどころか【ヘルバランサー】という敵対組織が現れて邪悪コインを人々にばら撒く始末。

5、【ヘルバランサー】たちは地獄から来た正義の味方だと言ってくる。
 邪悪コインは必要悪をもたらす物であって、それを勝手に人々から奪い取ってしまった【ヘルバンカー】のせいで世界の善悪のバランスが崩壊し、世界大戦すら誘発しそうになっているのだ!と【ヘルバンカー】の行動を断罪してくる。

ダークヒーロー【ヘルバンカー】は、むしろメチャ極悪なヴィランだったのだ。

6、【ヘルバンカー】は自分の行いによる罪業に、そして必要悪という世界調和のために妻子を奪われた事への反発心に苦悩する事になる。

・・・・・・・・・
7、ここらへんで作者が死ぬか、別の同時連載作品が当たったかで、作者が【ヘルバンカー】の執筆を止めてしまい、エタる(笑)
ーーーーーーーーーーーーーー

②主人公ユウジは、昔に絶版になったアメコミ作品【ヘルバンカー】の激重オタク。  
彼が【ヘルバンカー】の初期ロットフィギアが現存の噂を聞きつけ、現物を手に入れようと暴走する話。これが本編

なんかオタク共が暴走する姿がクッソ醜くて、観てらんなくなるほど痛い。でもオタ活の果ての破綻感がリアルで、バカ作品として良作だった気がする。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
③1000年後の未来の話

1,異星なんかな?砂の惑星を、奇妙な男が旅する話
なんか過去の戦争で使われたトンデモ兵器のせいで地球が静止してしまっていて、世界はゆっくり崩壊中らしい。

2,奇妙な男はトンデモ兵器の再起動による世界の再起動を狙っていて、そのために必要な【鍵】を持って【聖地】へと向かっている

 
3,【鍵】の正体は1000年以上は前に作られたアンティーク玩具【ふぃぎあ】で。
 頭のオカシかったらしー科学者は悪ノリなのか何なのかは知らんけど、その【ふぃぎあ】に内蔵されたボイスボックスの音声を起動キーワードにしていた。

 アンティークゆえの雑音含めてのキーワードだから、声真似とかでは再起動できないみたい。

4、奇妙な男は世紀末覇者どもに襲われたり、ボイスボックス起動時に必要らしい乾電池探しに苦労したりとうとう聖地にたどりつき、鍵である【ふぃぎあ】っで機械を起動する

こうして世界はフィギアによって救われたのだー!!
=================
本編は②なんだけど、①③のエピソードがあちこちに挿入されていて、最後にバカ神ゲー風に終わる感じ。

全部に伏線要素があって、全部見ると連鎖するねん。

①③くらいの情報量が居るなら断章くらいになると思う

カテゴリー : ストーリー スレッド: プロローグの書き方について

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投稿日時:

元記事:異世界の文化や言語を考えるのは不毛か

売れる/売れない等は別として、異世界(=この世界と地続きでない世界)の文化や言語(あるいは異世界を構成する任意の「この世界と異なる要素」)を考えることは(SFとしてまたは純文学として)「正しい」のでしょうか。

というのも人が異世界へ行ったとき、その人が異世界に辿り着き生存し知的生命体と遭遇する確率はともかくとしても、たどり着いた世界の住民が肺で酸素を取り入れ呼吸するものである確率や, 住民の口腔等の形が地球人のものと似ていて人間の可聴域内かつ発声可能な音を出す確率, 会話の内容が人間の持つ処理能力で理解できる確率などを考えるとあまりにもご都合主義であり、今更言語や文化といった余りに微々たる違いを考えたところでそれらを埋め合わせることはできないように思えます。そこまで「運命力的な力」が働いているなら、なぜ完全に地球と同じ世界まで持っていくことはできなかったのかと思うのです。

これについて二つほど反論を知っています。一つは「異世界側の人物が呪文で主人公を呼び寄せていたり、あるいは異世界に関わる何らかの意思持つ存在が主人公を移動させる話の場合、人間に近い存在がしたことであるので異世界に人間が居るのは納得できることである」というもの。
もう一つは「それが転移モノ(=主人公が異世界の人物に生まれ変わる話)である場合、魂の器は人間しか有り得ないから、異世界へ行く場合は人間の住む世界だけを選んで転移できる」というもの。
どちらも納得できる論だとは思うのですが、何故かなんとなく違和感を覚えます。うまく言葉に出来ないのですが、どこかに作者の匙加減な部分が見える気がするのです。

また自分でも一つ反論を考えてみました。それは「あらゆるフィクションに於いて超自然的な出来事を語る際には読者の理解しやすいものに加工する必要があり、異世界のありようはその影響を受けている」または、「少なくとも自分の考える異世界では常人には理解できない出来事が繰り広げられており、それらを他者に語った時点で人間の理解できる形に喩えられる性質がある」というものです。しかしながらこの論はともすると「読者に理解できなさそうな出来事は考えなくて良い」という考えにも繋がる筈で、そのようにして作者や読者の都合のために「嘘っぽくなさ」を追求するのをやめるのは甘えではないかと思っています。

ファンタジー世界の架空言語を考えていらっしゃる方々がたまにいらっしゃいます(トールキン, セレン, Fafs F. Sashimi, 中野智宏, etc...、敬称略)。その人たちは架空言語を何からの形で存在させたいから書いているのでしょうが、自分としては設定面と同様、物語としての「嘘っぽくなさ」も大事にしたいと考えています。

ファンタジー(あるいはフィクション全般)に言えることなのかも知れませんが、ともかく自分はこうした疑問を抱き、創作が止まってしまいます。些細な問題かと思いますが、回答お願いします。

上記の回答(異世界の文化や言語を考えるのは不毛かの返信)

投稿者 あまくさ : 1

SFやファンタジーにかぎらず純文学・私小説まで含めて、すべての小説は作者の脳内で作り出されたものであり、現実そのものではありません。したがって徹底的にリアリティを追求した小説であっても、作者の「作為」が微塵も入らないということは有り得ません。
また、純文学の作者が実体験や現実社会の事象にもとづいて作品を書いたとしても、そこには作品を通じて何かを読者に伝えたいという「意図」があるはずです。「意図」があれば当然、ストーリーの組み立てを「作為的」に「操作」することになります。
そのような「作為」「意図」「操作」は、あえて悪い言葉に置き換えれば「ご都合主義」に他なりません。作者の意図する方向にストーリーを誘導していることには違いないですから。

昭和のころの純文学作家は「いや、そういう操作をいっさい排除して、ありのままに書くのが真の文学だ」みたいなことを言ってましたけどね。そういう主張に対しては昭和の純文学界の中でさえ「そんなことは不可能。滑稽な思い込みに過ぎない。小説には作為があるのがあたりまえだ」という批判も出ていましたよ。
だいたい太宰治とか芥川龍之介とか、そうとう話を盛る作家じゃないですか。

という認識をふまえるなら、ファンタジーから純文学まで含めて実は「ご都合主義」が小説の本質だと言えます。

ま、これはあくまで私の考えなので異論はみとめますが、仮に上記の認識を前提にすれば、ファンタジー設定の現実との矛盾がどうのなんて議論は根底から崩壊してしまうんですね。

ファンタジーなんだから好きなように書けばよい。ただし、演出としての真実味と、作品世界内の最低限の整合性は必要。
また、異世界の文化や言語を考えるのは、不毛とか不毛じゃないとか議論するのがそもそもナンセンス。そうしたければそうすればよいし、したくないなら別にしなくてもかまわない。

それだけの話です。

   *   *   *

ということで、差し支えなければスレ主様の「フィクションの定義」をまずお聞きしたいところです。

カテゴリー : 設定(世界観) スレッド: 異世界の文化や言語を考えるのは不毛か

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