元記事:あと、追加で質問です。
別件ですが、なろう系小説では『対象となる読者がキャラクターを通して常に称賛され続ける世界』を構築することが大事だと聞きました。
その観点から考えると、僕の小説に感情移入した場合、あまりにも屈辱にまみれています。それが僕自身の持ち味だとも思ってはいるのですが、読者はいい気分がしないでしょう。
何か工夫した方がいいのでしょうか?
第三稿の物語は終盤に向かいつつあります。今から修正することは不可能に等しいですが、次回作の参考にしたいです。
回答をお待ちしております。
上記の回答(あと、追加で質問です。の返信)
投稿者 桂香 : 0 投稿日時:
壱番合戦さんお久しぶりです。桂香と申します。覚えていらっしゃるでしょうか
今年もマラソンが名物の某チャリティ番組が目前に迫るなか、こういった質問があったので気になりました。
実は、もう少し昔から公的に疑問が出ていることでして、2016年の24時間テレビのフィナーレあたりの裏番組で、NHKが「バリバラ」という番組コント形式で『24時間テレビ』をパロッたVTRを放送していて、壱番さんの疑問に影響があるだろう内容になっています。参考程度に見るのもいかがでしょうか。健常者の過半数、障碍者の9割が嫌うと記事アンケートより
記事:「24時間テレビ」は障害者の「感動ポルノ」 裏番組のNHK生「バリバラ」に大反響
動画:https://www.youtube.com/watch?v=mLOC9d_8OJc
某ツイートによる内容紹介:
ドキュメンタリー風映像では、「それらしい」音楽やキーワードで、いかにも「健気な」障害者として描かれているのだが、それをぶち壊すように「使えない」発言を連発し、そのたびにスタッフが「その話いらないっす」などと軌道修正する。要するに、24時間テレビを完全にパロディー化したコントなのである。
なお、以前の会話を見て思ったのですが、一つのこと(前はロスチャイルドだかロックフェラーだかで今回はバリバラかな)だけを信じず、事象に関するほかの情報を自分で探し出すことを考えるといいと思います。私も人のこと言えませんが、ネットより書籍で調べると精度が上がるかと思います。(正解が必ず出るとは言っていない)バリバラの普段の放送内容を見たりして、信頼できる情報源か一考するのも悪くないでしょう。
毎度毎度(イ〇トさんがついているとはいえ)足が不自由な子にエベレスト登山だの泳ぎが苦手な島の子に無理やり3か4キロ遠泳だのは普通に拷問かと。
ちなみに、あの番組の障碍者批判はともかく、後ろ足を怪我している犬に無理やりギネス記録取らせたってこともあるので、これも関連で。
https://celebsokuho.com/8105.html
あと、私は乗り越えることと抱えることは並立すると考えています。乗り越えることだけを考え独り歩きさせるからそうなるのだと思いますよ。抱えたまま成長といいますが、いずれ人との衝突は免れ得ません。思考の癖はまあ個人に任せるとして、自立して、自分で考えて、不必要な部分を削ろうとか言うのはどうしても必要かと。語義の拡大解釈をしすぎだと思います。
書き方としては、正直奇をてらうか否かでちがってくるんですけど、たとえば「おれは普通の高校生、田中祐介」と本人の頭の中で堂々と言えるような書き方をすべきかと。「考え方は同じ……はずなのになぜか違うんだよなぁ……」と普通の少年少女として悩ませるとか。
薬の作用副作用に個人差があるように、出るとこと出ないところは人によって違いますし。その内側の推測がどっかずれている気がするというミステリ調も悪くないでしょう。特に本人が何かを抱えていた場合、読者に疑似体験させることもできますしね。
与えられたものが同じで、共感する部分が圧倒的に多くても、内部の器質に対する認識の誤解やそれに関する認知で互いにずれた生活をしている。みたいな。
ただ、壱番さんの場合、架空種族いっぱいの異世界転移ときていますからそれは難しいでしょう。ならば逆の認識、共通項をみつけだすという方向からはじめると良いかもしれません。そのなかの普通(モブとも常識人とも)を10人ぐらい用意して主人公と交流をはかる、という書き方をおすすめします。
確かに、小説家になろうなどであればこの手の読者とは相性が悪いです。カクヨム等別サイトに投稿するか、なろうでも玉狙いの人の竿にかかるかの2択。あとは、ツイッターの宣伝などで稼ぎましょう。硬派厨や逆張り好きもいますし、「普通のなろうとは違う!」をキャッチコピーに求めている人だっています。自分を支えてくれそうなユーザ層を見極め、彼らに向けたアプローチ戦略を練って、ほかのことはキレイさっぱり忘れちゃいましょう
カテゴリー : 創作論・評論 スレッド: 作中の障碍者の扱いについて。
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