小説の創作相談掲示板:小説の書き方Q&A。執筆の悩み相談をしよう!

雨オカマさんの返信一覧。得点の高い順4ページ目

元記事:【質問/考察?】主人公及び異世界の設定・描写、その解釈についての返信

「中世ジャガイモ問題」についてですが、少し論点がずれてるんじゃないでしょうか。

ファンタジーは別世界の話だから、なんでもあり」だからといって、中世欧州風にも関わらず、高層ビルが建ち並んだり、自動車が走ったりするのは、どうなんでしょう。違和感がありませんか。
もっと極端な例を挙げると「平屋や二階屋の木造建造物が建ち並び、城郭には天守閣がそびえる。そして、ちょんまげを結った男たちが闊歩する」なんてことになると「日本じゃん! 中世、どこ行った!?」という事態に陥ります。

「中世ジャガイモ問題」とは、単にジャガイモの存在について言及するものではなく、中世欧州風の剣と魔法のファンタジーにおいて、その世界観を崩さない範囲はどこまでなのか。それを問うものです。
その象徴が、ジャガイモであり、シャワーです。

基本情報として、南米原産のジャガイモは中世欧州には存在しません。
にもかかわらず、中世欧州の世界観を現すために、風景や街並み、食事をする様子を描写、そこにジャガイモが登場したらどうでしょう。
「この作者、なんもわかってないな!」となるんじゃないでしょうか。

もちろん、ジャガイモひとつで作品の評価が上がったり下がったりはしません。こういう細かい指摘をしてマウントを捕った気になる読者も、ただ単にウザいだけです。
ですが、小さな瑕疵でも頻発すると、作者の作品に対する姿勢に疑問を抱かざるえません。
逆に、聞き馴染みのない料理名が登場して、調べてみると当時に流行った物だったりすると、「やるじゃん」と嬉しくなりますよね。

書き手として作品に深みを出すためにも「中世ジャガイモ問題」は意識すべきだと思います。

上記の回答(【質問/考察?】主人公及び異世界の設定・描写、その解釈についての返信の返信)

投稿者 雨オカマ : 0 投稿日時:

 確かに、アラビアンファンタジーでことわりなくアボカドが出てくれば(基本)面食らうでしょうね。やっぱりイチジク、ぶどう、ナツメヤシの実なんかが普通ですね。アラブ的環境のなかでも多分原産地としてアボカドが出てもいいはず(いや、生育条件上だめかもしれないけど)、けどなんとなく違和感がある。つまりは必然性以外の要素があるということでしょうね。「世界設定」には反しないで「世界観」というものに反する場合があると言えるかもしれません。
 世界観になじまるということであれば色々な要素が絡むでしょうけど、一つとしては「時代投影」とでも言うべきものがありそうです。異世界を理解させるために基本的な時代を指定するということで、それに反するときには描写的にことわりを入れるというルールはあるように思います。
 「中世ヨーロッパ風異世界」が「アラブ風異世界」「ラテンアメリカ風異世界」「南アジア風異世界」「中華風異世界」とは違って「RPG風ファンタジー」と看做される場合があるのがジャガイモ問題をややこしくしているかもしれません。私も基本念頭にあったのはこっちでした。こちら側にはかなり広い範囲のヨーロッパの時代の要素がはいりこんでいるようです。

カテゴリー : その他 スレッド: 【質問/考察?】主人公及び異世界の設定・描写、その解釈について

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元記事:三幕構成のセントラル・クエスチョンとは暗示的でもいい?

絶賛三幕構成を勉強しなおし中のみりんです。

質問は、セントラル・クエスチョンについて。
ウィキペディアには、

「主人公の解決しなければならない問題である。これはセットアップの最後に観客への問いかけとして示され、その答えはクライマックスに Yes/No で与えられる。セントラル・クエスチョンは、主人公の行動する「きっかけ」という目線から立てられる (例: 「X はダイヤモンドを取り返せるか?」「Y は彼女をゲットするか?」「Z は殺人犯を逮捕できるか?」など)。すなわち「主人公は目的を成しとげられるでしょうか」ということがクエスチョンとなる (主人公の心理的な変化が目的となる場合もある)。セントラル・クエスチョンは、ストーリー上の全ての出来事に関係する。セントラル・クエスチョンの設定によってセットアップは終了し、本当のストーリーを始める準備ができる[142]。

セントラル・クエスチョンは、インサイティング・インシデントと対になっており、インサイティング・インシデントの事件によって示される」
と書かれていました。

でも今私の作品にいざあてはめようとするとうまくいきませんでした。
具体的には以下のような感じでして……

第一幕:セットアップ5W2H誰がどこでどのような状況で何をする話か:父が死に、悲しむ母を主人公天沢夜白はなぐさめる
テーマの提示:大切な人が死んでも、一緒に生きてほしい(「パパはお星様になってママと私を見守ってくれているよ」となぐさめることで提示)
インサイティング・インシデント (つかみ・FTのきっかけとなる出来事・引き込み要素):母が失踪し、母の友人と名乗る女・摩耶(ヴィラン)が家にやってくる
セントラル・クエスチョン:主人公の解決しなければならない問題:(ヴィランを倒せるか?)
主人公はどのような人物像か(主人公の日常):夜白はまじめで前向きな性格で、摩耶と仲良く暮らしていきたいと家事を率先して行うが摩耶は冷たい。
主人公をめぐる問題が具体的に何か明確化: 婚約者を名乗る月兎族の賢人が現れ、 悪霊化する幽霊の霊魂を夜空に上げる月の神になれるのは夜白しかいないと言われる。
ファースト・ターニングポイント(アクション・選択):母が生きていると知り、取り戻すと決意する

インサイティング・インシデントに連動したセントラル・クエスチョンとなると、ヴィランを倒せるでしょうか? という問いになるかと思ったんですけど、次のシーンで主人公の夜白は母の友人を名乗り、家の管理をしてくれるヴィランと仲良くしようとするような真面目な性格です。倒そうとしてないし……。(仲良くしようとする動機は、父が死に、ヴィランに母も死んだと言われ天涯孤独だと思っているため寂しいので前向きに仲良くしようとしています)つまり、セントラル・クエスチョンがすごくわかりづらい設計です。
さらに、ヴィランである摩耶がヴィランだと判明するのも、第二幕の中盤くらい。

このように、セントラル・クエスチョンが暗示的でも面白い作品になると思いますか?

というか、セントラル・クエスチョンとテーマの違いって何でしょうか?

ややこしい質問で申し訳ありません。
よろしくお願いいたします。

上記の回答(三幕構成のセントラル・クエスチョンとは暗示的でもいい?の返信)

投稿者 雨オカマ : 0 投稿日時:

 混乱もあって読みにくい文章になってしまいましたが、ご返事ありがとうございます。
 最終的には「母を救う」というところになるかもしれませんが、その目的を持つのは母の事情がわかったあとで、どうもあとのほうになるのかな思います。wikiによればセントラルクエスチョンは最初のほうに提示されるものなので、その内容が果たして一幕段階で「救う」まで含むのかというのがすこし疑問でした。最初に提示されるべきはもう少し単純なもので、だんだん目的の意味が深くなっていく、そういのが今まで見た物語のなかでは一般的な気がしたのです。
 もしかしたらハリウッド式では序盤で目的とその解決法を全て出して一切そこは揺るがないのかもしれません。でも、この物語ではだんだんと相手のことを知っていくことが主人公の目的達成に必要であると同時に、そのことを突き詰めると、主人公の目的達成を危険に晒すという構造であり、それがスリリングな魅力を持ってる気がします。母の意図を知り、彼女を思うなら、主人公の思いは捨て去られなくてはいけないかもしれない、というように。話を聞く限り、目的の姿が変わっていくときの衝撃が大事なので、用語として第一幕に出さねばならないらしいセントラルクエスチョンを、全体のテーマとか終盤の目的そのものとして捉えると良くないかな、と。それらは序盤に出してはいけないものですが、セントラルクエスチョンは序盤に出してしまうらしいので。
 ・・・という感じで、わりとどうでもいい、用語問題が個人的に引っかかってしまって、そのうちセントラルクエスチョンにクエスチョンって感じ(?)になって、独りよがりになってしまい、失礼。

カテゴリー : ストーリー スレッド: 三幕構成のセントラル・クエスチョンとは暗示的でもいい?

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元記事:魔法の威力と、知性について

初めまして、清坂香と申します。
以後、よろしくお願いします。

現在、創作活動をしているのですが、
世界観の設定で相談したいことがあります。
以下の中から、どれか1つだけでもいいので、
詳しい解説、お願いします。

ラノベに限らず、ほとんどのRPGゲームでは、
賢そうなキャラ(「知性」の数字が高いキャラ)が、
魔法使いとなっているのですが、
なぜ知性が高いと、魔法の威力が高くなるのでしょうか。

呪文書を読むと、魔法が発動するパターンがあるのですが、
「呪文書を読むと魔法が発動する原理」を、説明できる方はいないでしょうか。

上記の回答(魔法の威力と、知性についての返信)

投稿者 雨オカマ : 0 投稿日時:

 ほとんど良い答えが出そろってますが、補完となればということで回答しておきます。かなり内容的に被ってますが、ご容赦ください。
 知性と魔術の結びつきですが、デ・ラ・ポルタという魔術師曰く、「魔術とは自然哲学(科学)の実践」です。というのも、「自然を意図通りに動かす」という一見したところの奇跡は、自然に対しての理解と知識に技術を加えておこなわれるからです。なので科学者は魔術師です(大嘘)。
 このデ・ラ・ポルタ自身は、ちょっと私の記憶があやふやですが、「あの草には蛇の毒を治す効果がある。蛇が嫌がるから」とか「この木の実は蝙蝠に似ているから食べると虚言癖になる」的なことを言ってましたが。科学じゃなく魔術どころか迷信ですな、童話の魔女の世界。しかし、正しければ科学になったわけです。なにせ自然哲学の知識、似た者同士は似た効果を持つという中世の自然哲学(現在の迷信)を実践することで、無知なものから見た奇跡を起こしているから。でも時代を経るとそれは間違いだと分かる。ただやり方はまちがいですが、デ・ラ・ポルタは少なくとも魔術を奇跡ではなく知識に基づかせたわけです。一方で奇跡の一種と考えられてもいたわけですが、そういう風に魔術と呼ばれていたものを知識に基づかせる思想は昔もあったわけです。だからINTが高いというモデルができたのかも(かも)

 もっとファンタジックな迷信を(個人的にいじくりまわしつつ)もとにして答えますと「そもそも自然を動かしているのは知性だから」とも言えるかもしれません。実は、物理世界の上には天上世界、言い換えるとメタ物理世界、形而上学的世界があってですね、それが下位世界の法則を形作っているのです。それは肉体を精神が動かすのと同じです。人間の知性は経験から知識を作り出すと考えがちですが、その形而上学世界の真なる知識の影みたいなものを受け取ってるんですね。我々は不完全ながらその知性を持っているので、ある程度その自然操作力を利用できるのですが、それは肉体の範囲に限られ、肉体を通して物理的に干渉することでしか他の物に影響を与えられないのです。しかし正しい知識を入手するほど、我々の精神は物理世界の基礎となる天上世界に近づくのです。そしてもし直接に(精神の源である)天上世界の操作を行えるほどに精神が天上世界と一体化するなら、我々は自然法則を操るような(通常の人間精神から見た)奇跡を起こせるでしょう。まさに家畜の知性では理解できない方法で人間が家畜の運命を、人間の知性では及ばない法則によって天上世界が人間の運命を支配するように、下位の運命を克服し、普通の人々はその業を奇跡、魔術と看做すようになるでしょう。
 形相とかイデアとか、そういった考えの影響で我々の知識は形而上学とリンクしているという考え方があり、その場合、知識は今のような地上世界から得られたものではなく、天上世界(メタ物理世界)へと近づく過程で得られるのです。この天上というの霊的世界ですが、実際惑星とか恒星とかの世界と考えられ、惑星の運航は天上世界の動向を知らせてくれると思われていたのです。なので「『金星(美とか性欲とかを司る)』が精神を感化し、梅毒を植え付ける」や「人間の淫らな想像力が自〇行為のさいインキュバスを生み出す。子宮に入らなかった精液がそれらを生み出す」というような「惑星(天上)→精神→物体」という考えが成立しているのです。
 以上は図書館で読んだ『パラケルススと魔術的ルネサンス』とか『自然魔術』から構成しましたが、内容あやふやなのであくまで知識と魔術師に関する個人的設定ということでお願いします。

 上記は知性と魔術師の関係を補強する設定案を(怪しい知識のもと)書きました。次は本を使っての発動ですが、これは元になる怪しい知識がないので、私が見かけた設定を分類するの留めます。本などが魔法の発動に影響を与える設定として
1「超常的存在(神、精霊)との対話に必要である」
2「身体の中の特殊なエネルギー(魔力的なもの)を集中させるために必要である」3「自然にある特殊なエネルギーに働きかける」
4「エネルギーを格納した特殊な空間と繋がる文字である」
という感じで「奇跡を起こす存在、非現実を起こす存在(超常存在、形而上学世界、特殊なエネルギー)」との媒介者という役割を担っているようです。それぞれ本や世界に特殊な改変が行われていますね。1特殊な存在とのコミュニケーション、なので本自体は普通の本、ただの言葉。2は特殊なエネルギーのためのただの精神集中の道具ですから、これもただの本です。3は自然操作機器、偏在する特殊なフリーエネルギーに信号を発することで天候操作をするスマホみたいなものですかね。主な奇跡の根拠はエネルギーですが、本も「ただの本、ただの文字」ではなく特殊な装置として存在することが多そうです。4は、力を文字自体が異次元的に格納できる、ジョジョのエニグマみたいなもので、特殊な空間と装置としての本ですね。
私が紹介したケースでは、本自体はふつうのもので、特殊な天上世界がそれ(知識)と繋がっている感じですね、ただこれは知識と魔術師の話だったので、思えば本を使っての攻撃の根拠にはなりません。あれ、そういえば別々には答えは出したつもりだけど、「知識があると魔法が強い」ことが「本で魔法が発動」の根拠になってる説明が出せてないようですね・・・まぁ参考までにってことで。

カテゴリー : 設定(世界観) スレッド: 魔法の威力と、知性について

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元記事:「現実世界の石器時代の人間」が「現代風の異世界」に転移する話を描きたいんですが

「異世界に転移する人間=現代人」とか「異世界=現代ほど文明が発達していない中世ヨーロッパ風の剣と魔法ファンタジー世界」という固定観念を壊したくて、「現実世界の石器時代の人間」が「現代風の異世界」に転移する話を描きたいんですが、「現代風の異世界」ってどんな風に描けばいいんですか?「現代ほど文明が発達していない中世ヨーロッパ風の剣と魔法のファンタジー世界」ならそれこそ腐るほど例がありますが、「現代風の異世界」は見たことがないのでいまいちわかりません。特に異能・超常要素とかなくても、魔王とかわかりやすい人外の悪役がいなくても、架空の土地だけで話が展開すれば「ちゃんと『現代風の異世界』してるな」とか思ってもらえるんでしょうか?
あと「現代風の異世界」を描いている作品があったら教えてほしいです。なおこのスレで言う「現代風の異世界」というのは「現実世界から枝分かれしたIFの世界」とかじゃなくて、「現実世界とは最初からまったく関係ない架空の世界」という意味です。

上記の回答(「現実世界の石器時代の人間」が「現代風の異世界」に転移する話を描きたいんですがの返信)

投稿者 雨オカマ : 0 投稿日時:

地球をモデルにしたうえで、大陸とかを自分で作り直して、そこに現代のテクノロジーを加えたうえで、モンスターや魔法などの現代科学になじみない要素を加えなければ、「枝分かれではない現代=歴史を共有しない現代(に近い文明レベルの世界)」「異世界=地球に似た別惑星」というようなものは出来るでのはと思いましたが・・・そんな感じでしょうか
似てる製品の固有名が違うとかだけだとわからないですが、地形が違うとか、歴史が違うとか、色々やれば一応特別魔法とか出さなくとも「違う星か?」ぐらいにはなるのかなと思います、具体的な描写方法さっぱりですが
普通原始人が現代文明に来たら「原始人身体能力すごい」とかテクノロジーに対する強さみたいなのがアピールされる気がしますが、その場所を「微妙に違う異世界」にする意味はなんなのでしょう
原始人ってほとんど偏見のない「赤ちゃん」みたいなものを想像しがちで(ピクルみたいなイメージ)、「偏見の衝突」みたいのが想像しにくいのは気になったりします、私には馴染んじゃうか動物扱いかしか考えられない
浦島的伝説を知ってる程度の時代の人間が飛ばされて、「ここはもしや私たちの世界の未来では・・・」って勘違いして、一見すると現代のものと同じ製品なんだけど、実は「なんか微妙に違うテクノロジー」を学ぶみたいな、ツッコミ不在のギャグ小説とかなら面白いかはさておき、設定は生かされてることになるのかな

カテゴリー : 設定(世界観) スレッド: 「現実世界の石器時代の人間」が「現代風の異世界」に転移する話を描きたいんですが

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元記事:天皇について作中で触れることの可否

 お久しぶりです。大野です。

 質問内容は大体タイトル通りなのですが、いくつか補足をば。
 俺はいま、『現実世界を舞台にしたファンタジー物』を書いているのですが、オリジナリティを出来るだけ削って、実在の伝承・神話そのままの魔術・魔法・妖怪・神などが登場する作品を考えています。
 ただ、日本全体にやや右傾化の風を感じているので、天皇をどこまでネタにして良いのか、という所。

 その中の一環として、主人公に乗り越えさせる壁が大きすぎる場合に『それ、神様が解決すればよくない?』となるのを回避するため、『天皇は神ではない』というのを書こうと思っています。
 ただ、俺は実家単位でリベラルーーっていうか左寄りの界隈の人間なので、『別に左寄りではない読者』に受け入れうる展開・内容であるかに結構自信がありません。以下のような内容は受け入れられるのでしょうか?

①天皇について作中で触れる事。
②っていうか、まあ正直アホみたいだと思ってるけど『陛下』ってつけないこと。
③天皇が神ではない理由:『古事記』において『ニニギ(漢字は読みづらいので略)が石長比売を追い返したため、永遠の命を失った』という項目を、『人間にされた』と拡大解釈。憲法については触れない。

 ここまで三つは比較的受け入れられるかな、と俺は思っています。

④天皇制についての批判。主人公(及び作者)が捻くれているため、キャラ的に言うと挟まざるを得ないが、許されるのか。
 ④-A 批判内容としては、『天皇個人は尊敬するが、制度そのものについて言うと人権を踏みにじるような物である』という程度の事。
 ④-B 副次的に、主人公が『陛下』と尊称を付けないことについて、『「陛下」というのは王につける言葉だ。そういった押し付けをするのは、天皇に勝手な義務や期待を押し付ける言葉であって、民主主義社会の人間としてふさわしくない』と言う事。
⑤並びに、制度そのものに問題を感じている主人公が制度擁護派を『正直馬鹿だと思う』と言う事。

 以上、五点です。
 身内であれば政治家だろうが金持ちだろうがスパスパ悪口を言うのですが、当然表の場に出せないことは承知しています。その上で、皆さんだったらどこら辺まで受け入れられるか、というのを聞いてみたいです。

上記の回答(天皇について作中で触れることの可否の返信)

投稿者 雨オカマ : 0 投稿日時:

通りすがりで、失礼。作品についても、天皇制の議論についても詳しくないので、ちょっと的外れかもしれませんが質問してもいいですか。
 その作品では「天皇制」はこっちの世界とほぼ同じものだけど、世界観として神的存在等が実在していて、かつその世界の天皇陛下自体は「神的存在の子孫かつ歴史的経緯あって現在はただの人間」ということなんですね
 その世界の「天皇制」は「神的存在との関りに天皇としての君臨の根拠がある(例えば子孫だから預言的なものを受け取れる、毎日の祈祷で本当にある程度稲作がうまくいく等)」という「ファンタジー的な魔術王の名前が天皇」という状態ではなく、そのまんま今の象徴としての天皇制と同じものが機能しているという感じなんですね。
 しかし、「魔術師サイドは古事記・日本書記を事実としている」という話をしていましたが、そのうえで彼らと話して主人公が「象徴天皇制」を批判しなければならない場面というのはなんなのでしょうか。魔術師サイドはなにか理由があって象徴天皇制を支持していて、その反論でしょうか。
 日本書記や古事記や風土記などの神典群の内容が実際にありうる世界なら、「三大神勅」等が、宗教ではない物理的な効力を発揮することになりえますし(神との約束を守ることが五穀豊穣につながるなど)、それを(恐らく実際の魔術を駆使できる)魔術師サイドなる人々が支持しているとなると、彼らにとっては「象徴」ではないわけで、その相手に「象徴天皇制批判」をするのはどういうことなのでしょうか。
設定によっては我々の世界の天皇制論争と無関係なものとなりえるのではないでしょうか。それだからといって天皇陛下関連のタブーワードに引っかかる危険は避けがたいかもしれませんが、少なくともその点わかりやすく説明できれば理解を示してくれる人もいると思うので、ひどい炎上にはならないのでは・・・甘いかもしれませんが。

カテゴリー : ストーリー スレッド: 天皇について作中で触れることの可否

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元記事:日常パートが書けません。

今書いている物語を端的に言うと、シリアスバトル系です。
戦闘シーンや陰謀シーンはある程度書けるのですが、その間の日常パートというのがどうにも書けません。
書いたとしても、本当に面白いシーンになるのか、もしかしたら読者はここで離れてしまうのではないかと思ってしまいます。

皆様に教えていただきたいことは三つあります。一つ目は、日常パートは全体でみて何割に抑えるべきか(あるいは書くべきか)、二つ目は、どのように書けば日常パートでも読者を惹きつけられるか、三つ目は、日常パートの書き方(あるいはアイデアの思いつき方)は何であるか、の以上三つです。

細かい指摘であっても大歓迎です。ぜひよろしくお願いします。

上記の回答(日常パートが書けません。の返信)

投稿者 ふ じ た に : 1

Q1、日常パートは全体でみて何割に抑えるべきか(あるいは書くべきか)、

うーん、ごめんなさい。分からないですね。
メインのストーリーから話が逸れていなければ、「これって読む必要があるの?」みたいに感じられないのでは?って思いますけど。

Q2、どのように書けば日常パートでも読者を惹きつけられるか、

例えばですが、主人公の勝利で終わったあとに、日常パートで他のキャラから「主人公すごーい!」みたいな主人公上げのシーンを描けば、それは必要なシーンとなるので、読み手はつまらないとは感じないのでは?って思いました。

あと、その日常パートでストーリーに変化(起伏)がないから、つまらないように感じてしまうのでは?とも、推測してみました。

Q3、日常パートの書き方
物語がファンタジーなら世界観を伝える必要もあるので、主人公の日常を描くのも大事な場合もあると思いますよ。

日常パートに私自身あまり詳しくないので、なんとなくの回答で申し訳ないです。
あくまで個人の意見ですし、合わなければ流してくださいね。

よいお年をー!

ではでは失礼しました。

カテゴリー : ストーリー スレッド: 日常パートが書けません。

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投稿日時:

元記事:人の心がわからなくても心を打つ作品は描けますか?

私は自分でもかなり人の心の機微がわからない方だと思ってるんですが、そういう人間でもラストオブアスや寄生獣みたいな人の心を打つと評判の大作って作れるんでしょうか?
それともそんな大それたことは考えずに、もっと下劣というかスナック感覚で楽しめる作品を作ることを考えたほうがいいんでしょうか?
それと「ハートフルなことで評判の作品を描いたのに血も涙もない発言をした」みたいな作品と人間性が真逆な作家がいたら教えてほしいです。
そういう人の話を聞けば「自分でも心を打つ作品が描けるんじゃないか?」と自信を持てるので。
とりあえず私の知っている限りでは、和月伸宏さんが主人公が弱きを助け強きをくじき弱肉強食を否定すると評判のるろうに剣心を描いておきながら、児童ポルノを所持(弱者が虐げられている現状を許容)していましたが。

上記の回答(人の心がわからなくても心を打つ作品は描けますか?の返信)

投稿者 サタン : 2

人の心を打つ作品、ようは感動モノってのは、一種のロジックが確立してるので、やり方を覚えて実行するスキルがあれば割と誰でも作れます。
例えば、虐待を受けてる小さな女の子が母親の誕生日に頑張って夕飯を作ったのだけど、母親は出先で男とディナーを楽しんだまま深夜に帰って来て、娘を無視してそのまま寝室へ。娘は一人で用意した夕飯を食べた。
とまあ、そんなシーンを読んだとして、スレ主さんはどう感じますかね。母親への怒りか娘への同情か、って感じじゃないかな。
このように、人間が「かわいそうだな」と思える状況はだいたい決まってて、かわいそうな子が頑張ってれば応援したくなるのは当然で、そんな子に意地悪する人物には怒りを覚えるものなんですよ。
まあ、私もそこまで他人に共感しないので、あくまでロジックとしてそうだってことを知ってるだけなんですけども。

「こういうことを書けば読者はこう感じるだろう」というのが、感動モノの場合は他と比べて割と楽なので読者の感情を揺さぶる「演出」の面で言うとコツを覚えればけっこう簡単です。
なので、そうだな。
適当な作品を単純化してみてください。
「主人公が悲しい思いをする」「ひどいことが起こる」「ほんの少しの幸せを感じる」
みたいな。
そしたら、「主人公が悲しい思いをする」は「主人公が悲しい思いをする内容なら何でもいい」と考えて、主人公が悲しむ展開を考えてみてください。
他の要素も同じように。
感動ものはこうしたロジックが既に決まってて、あとは設定や演出によるところが大きかったりするので、こうすりゃ比較的簡単に感動モノを作れます。
つまり、人の心がわからんでも、誰でも作れます。
例えば、「主人公は少し変な名前で、学校でイジメられて恥ずかしい思いをする」「特に名字が嫌だ、こんな名前いますぐ変えたいと言うが、実は主人公は養子で本当は違う名前だった」「それを知ったとき主人公は自分の言葉がどれだけ両親を傷つけていたかを理解して、養父母の愛情を強く感じた」とか。
こういう感動する流れを理解すりゃ、あとは既存の作品を読んでその流れを学んで自分に取り込んでいけばいい。

カテゴリー : その他 スレッド: 人の心がわからなくても心を打つ作品は描けますか?

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投稿日時:

元記事:書いてる途中で「つまらない……」と強く感じてしまう

初めまして、みなさんに相談したいことがあり投稿しました。

もう10年以上も似たことが続いているのですが、小説を書いているとすぐに「つまらないな……」と感じて筆が止まってしまいます。
思いついたプロットや会話文、設定をかきとめている間は楽しいのです。
しかし3日間もすると、

・「なんかつまらないな……」
・「これ、全然おもしろくないな」
・「こんなの書いて意味あるのか?」
・「すごい薄っぺらいな」
・「説教臭いし、テーマもよくわからない」

と自責に似た感情が生まれ、嫌悪感がどんどん増して書くことを放置してしまいます。
自分で自分の揚げ足取りを永遠に繰り返している気持ちです。
なにがあって自分でこんなに自分を貶めているのか、よくわかりません…
スピリチュアルな問題なのかと考えた時期もありますが、結局何にも答えが出ないまま年月だけが過ぎています。

そこでみなさんにお聞きしたいのですが、
書いてる途中で「なんかつまらない」と強い感情に駆られたとき、どのようにその状況を解消していますか?

また、「自分の場合は○○が原因で同じ状況になった」といった思い当たることがあれば教えてほしいです。

上記の回答(書いてる途中で「つまらない……」と強く感じてしまうの返信)

投稿者 ヘキサ : 1

つい先日、ン十年前の黒歴史入りしかけて途中で止まらせていた作品を仕上げまで持っていくことができたhexaです。

その作品は、他の方から原案を頂いたものだったのでストーリーやキャラにぶれがなかったこと、比較的短めだったので終わらせてみようと思えることができましたが、それでも「これつまんないとか、矛盾があるとか思われるかも。今更仕上げてどうすんだ」という自身のメンタルやテーマ寄りの問題の部分はありましたし「これを表現する語彙が探し当てられない、終わりをどう結べばいいのか迷う」などの技術面での迷いも両方ありました。

仕上げた感想としては、つまんないかもと思う気持ちを振り切って仕上げようと考えたこと、当時よりも適切な語彙や表現が見つけられることができて成長したなと思えたこと、などがとても自身の成長に繋がったという気がしています。

ただその一方で、それよりも昔に考えていながらまだストーリーが纏まっていないものも沢山あって、今やっとひとつ昔の作品を仕上げられたことで「他もそのうち仕上げられるかなー」とようやく期待が持てるようになった、というところです。

おおむねサタンさんが詳しく書いてらっしゃいますが「いろいろ足そう」の思考は危険、と私にも思えます。むしろ「これだけが書けていればいい」を見つけて短めに切り上げたほうがいいように思えます。その「これ」を一文で表せる(「ログライン」という用語で通っていることもあります)のはやっぱり大事だという気がしています。それ(ログライン)を持っていることが書いている最中の自信、心の拠り所となると思えることがわりとあるなと感じました。以上、何か参考になればと思います。

カテゴリー : やる気・動機・スランプ スレッド: 書いてる途中で「つまらない……」と強く感じてしまう

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投稿日時:

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