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元記事:目が見えないキャラが総じてベタ目なのはなぜ?障害を持ったキャラの萌える造形やシチュエーションとはの返信

期待されるようなことは書けませんが、所感を。

>ベタ目なのはなぜ?

デフォルメであり漫画的記号でしょう。
目が見えないと一口でいっても原因は様々です。
加齢が重大な要因となるものを除いても、症状によって眼球の状態は変わります。
正しく表現するなら、ベタで塗ったような状態より、白濁したような眼球に見えることの方が多いです。(多い少ないで語るはなしではありませんが)
ベタで塗ったような目で表現するというのは、ある種の記号(漫画的)として成立している部分が強いように思います。

このベタで塗ったような目は、漫画的記号でいうと『無感情』も表します。
『目は口ほどにものをいう』とはよく言ったものですが、目というのは感情を表しますので『そこに光を宿さない=感情を宿さない』状態の漫画記号ですね。

>目をわざと閉じて微笑んでいるときの愛らしさと言ったら!たまりません。少なくとも僕は好意的にとらえています。

(目を閉じて)(微笑んでいる)というのが、そのままではないでしょうか。
(感情を表さない記号であるベタ塗りの目)と、(微笑み)という相反する状態を避けるために目を閉じるという状態にしているように思います。

ただ、目を閉じるという行為そのものは記号だけでもありません。
全盲の方が目を閉じるのは、大きくは『空気の乾燥(目が乾かない)』つまり楽だからだそうです。本人は笑って仰っていましたが「(目を)開けても閉じても景色は同じだから」とのこと。
もうひとつは『主に音に集中している』これは日常生活で我々も普通にやりますね。ピアニストは演奏に集中すると上を向いたり、目を閉じたりといった仕草を(おそらくは無意識に)しますが、音に集中するときに視覚が邪魔になるためでしょう。さほど特殊なことではなく、我々も全神経を集中させるレベルで小さな音を聞き逃すまいとするとき、自然と目を閉じます。

さて。
本題を書きますが、私としても大切な思い出ですので若干の躊躇があります。正しく伝わるか解りませんが、ご了承を。

萌えた訳でも、キュンキュンした訳でもなく、友人です。
小学生の時、特別支援学校の運動会に参加したことがあります。学校教育、授業の一環としてクラス全員で参加したのですが、出発前に態々校長先生が教室に来て訓示をしていたことから、おそらく特別に許可を得ていたはずです。
子供ながら感じたことは、担任教師が相手側の学校教師と親しげにしていたので、おそらく先生同士の繋がりが発端だったのでしょう。

先生からは「出来る範囲で手助け」ということを聞かされていましたが、おおよそは応援。
特別支援学校の生徒さんと席を同じくして応援するのですが、率直には楽しくはありませんでした。今思えば、そもそも初めて会った子供同士が教師という大人の介入で「仲良くやれ」というのも無理があります。子供なんて大なり小なり自然発生的に摩擦があり、そこから仲が良くなっていくものでしょう。そういった摩擦もなにもなく、けれど教師の指示で応援するというのは、子供心にスベった感覚だけが妙に強かったことを覚えています。
入学式直後のような、仲良くしようとは思うが、相手がどのような人物なのかと探るような状態が精一杯だったのは、多分クラスメイト皆が感じていたのではないでしょうか。

激しい運動には不向きな子が多いので、玉入れだとか、ダンスが多かったのですが、(おそらくは)メインイベントの徒競走、リレーが始まったときです。
その子は転倒時に危険がないようヘッドギアを被っていました。
ヘッドギアはこの学校の生徒さんでは珍しくありませんが、他の子はラグビー選手のような頭や耳部分だけを保護するタイプなのに、その子はボクサーがスパーリングをするときに付けているアゴまで衝撃をクッションできるものでした。
子供心にそのボクサースパーリング姿が「カッチョエエ」と思ったものです。
足も悪いらしく、バトンを受け取るスタートラインまで片足をずるずると引きずり、それなのに腕は何かを抱くように胴体にピッタリくっつけていました。
動く足の一本でケンケンをし、そのケンケン足と顔だけが前へ前へと急いている。残る不自由な手足は、まるで飼い主を必死で追いかける犬のようだと、不謹慎ですがそう思ったんです。
ほとんど惰性と義務感だったのですが「がんばれ」と叫んだ私の声に、その子は振り返りハッキリと満面の笑みを返しました。

当時から、声は、まあ人並み以上に大きかったので妙に目立ち、またこれが妙な位置関係で座っていた教師が振り向きざまに「おい」と呼び、私に目配せをしてきました。
狡っ辛いワルガキだった私は、クソガキならではの能力で教師の望む反応に敏感でもありましたので、担任が望んでいる展開も理解できます。
当時を思い返すと赤面の至りですが、私はその子に駆けよりましたが、手を引く事が出来ません。そうしようとしても両腕は胴にピッタリとくっつき、どうも手をとると痛みがあるように思えたのです。

手持ち無沙汰になった私は、その子の肩に手を回し、抱き寄せるようにしてスタートラインまで一緒に歩きました。
リレーといってもトラック半周ほどを数人交代で走る競技でした。
生徒によって障碍も、その程度も様々な学校です。速い生徒は既にゴールしていますし、⒉番手3番手の生徒も横を抜けていきます。正直なところ、どうにも居心地の悪さを感じますが、今更その子を放置するわけにもいかず、ずっと肩を抱いてバトンを待っていました。
その子のタスキと同じ色をしたバトンが手渡されたのは、他の全員がゴールしてしばらくしてからでした。

手渡された、と書きましたが、それはバトンで殴られたような具合でした。
前走者に悪気があったわけではありません。
バトンを手渡した前走者の子も、手が不自由で押しつけるようにぶつけるのが精一杯。
私に肩を抱かれてる子も、手で受け取ることができないというだけのことです。

その子が自分で立っていられることを確認し、私がバトンを拾いました。
もうこうなったら一緒にゴールするしかありません。
ところがその子は「んっ! んっ!」と不機嫌そうな声を出すだけで、一向にゴールに向かおうとしません。
目だけが必死に訴えてきましたが、なにがしたいのかサッパリ。それどころか肩を振り回して私の手をふりほどくと顔から地面に倒れ込みました。
慌てて助け起こすと顔の真ん中から下が真っ赤。
倒れたときに、したたか鼻を打ったらしく、噴出した鼻血が校庭にちっこい水たまりを作り、私はわけもなく「ごめん、ごめん」を連呼し、教師はかけつけクラスメイトはどよめき、リレーはそれで終わりました。

というのがあらまし。
これには後日談があり、学校に手紙が届きました。
その子からの手紙だったのですが、ぐにゃぐにゃの字で「うれしかった。ありがとう」あとは、その子の名前が書かれていました。
余計なのは担任教師が私をわざわざ教壇に呼び寄せ、クラスメイトの前でお褒めの言葉と、追加の両親からの手紙を紹介したこと。
要約すると『自分でゴールまでバトンを運びたく、それを持とうとして転んだ。本人は意固地になってしまったことを後悔し謝りたく思っている。相手の両親は大変に喜んでいる。出来れば逢いに来てやって欲しいらしい』
クソガキだった私は担任教師に”後々まで語るであろうネタ”を提供したことに苛立ちはしましたが、ちゃんと謝りたい気持ちの方が強かったので、担任と一緒に相手を訪ねることをその場で了承した次第。
気に入らんかったのは、女の子を訪ねることをクラスメイトが囃し立てたこと。

『できすぎ』と思われるかも知れませんが、本当なので仕方ない。
失礼ながら、手紙の名前を読むまで女の子だったことに全く気がついてなかったんです。
スパーリング用のヘッドギアの印象が強くて顔なんて見てなかったし、髪も短かったし、背もちっこいし、そもそも私自身が思春期前だったので男女をあんまり意識してなかった。
初恋は済ませてたが、これも二次元で、現実では恋知らずの時期。(なんと家にあった美術書に載ってたベアトリーチェ・チェンチの肖像(笑) 不幸な人だがメチャクチャ可愛い。理想のタイプです、はい)

その後、数年間短い手紙のやりとり、いわゆる文通ってのをやりましたが、大切な思い出で友人です。
彼女はお母さんのお腹で事故が起きて、手足と発語が不自由になったのですが、普通の女の子と同じように勝ち気で我が儘で優しくてぬいぐるみが大好きでした。

>ですが、僕も、そんな幸せな誤解を与えられる作者になりたいです。

頑張って下さい。
毎度、視点はよいと思うのです。

最後にお勧め作品を。
【リュックベッソン監督:レオン(完全版)】
完全版を名指ししたのは、この感覚。
公開時とは異なり、マチルダという12才の少女との愛情に踏み込んでます。
まぁ、普通に劇場公開しずらいわな。
『レオンはロリコンかよ!』と非難するのは簡単。
ですが、マチルダというヒロインと愛情を育んだのであって『マチルダがたまたま若かっただけ』という見方、この感覚を掴んで欲しく思います。
たぶん今後の壱番合戦仁さんに、一滴のヒントをくれるように思います。

上記の回答(確かに拝読させていただきました。学園青春モノばりの輝かしい実話だと思います。)

スレ主 一番合戦 仁 : 0 投稿日時:

 正直に申し上げますと、あざらしさんは素晴らしい方だと思います。
 このような状況下において、一方的に嫌悪感を覚えて暴行に及ぶ輩は一定数いるだろうし、そういった者どもでなくとも嫌悪感を覚える人は、事実存在してしまっているのですから。

 もし僕がお聞かせ下さった逸話の彼女を前にして同じ立場に立ったなら、労わらなきゃとか、気を使わなきゃとか、そういったことで精いっぱいで、彼女を一人の人間として見ることを、きっと忘れてしまうだろうことが容易に想像できるからこそ、貴方様は素晴らしいと思います。

 翻って、幼き日のあざらしさんの代わりに、幼き日の僕が、その例の彼女の目の前に居て、僕がその彼女の立場だったら、きっと不甲斐ないのと、下に見られたことで、羞恥と怒りで顔が真っ赤になるでしょうね。
 僕がもし、彼女の立場に立って、あざらしさんとそこで逸話通りの展開を迎えたら、同じように後で貴方様を誇りに思ったことでしょう。

 これは、僕の創作にもかかわる重大な事実なのですが、重い障害を持った人を一人の人間として接することができない自分がどこかにいるのです。
 児童養護施設に居た頃、重度の自閉症を抱えた青年に「東海道線の電車は?」と突然聞かれました。
 アスペルガー型自閉症の僕と違って、カナー型自閉症の方は、重ければ重いほど、同じ会話、同じ運動、同じ遊びを強く好む傾向にあることを僕はきちんと知っていました。
 だけど、僕はまだその頃新入りで、彼の望むお約束の回答を知らなかったのです。そして、僕は申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。
 それもあって、せめて誠意を込めて謝ろう、自分は遊びに付き合えないんだと断ろうと思いました。
 「(年上の方なので敬語)ごめんなさい。僕は○○さんと違って電車のことは詳しくないんです。堪えられなくてごめんなさい」と、頭を下げました。
 すると彼はパニックを起こし、「プアーンッ!!」と叫びながら、電車の真似をして『僕の頭を轢きました』。
 いえ、正確に言えば、人に襲い掛かる鶏のように、僕の頭を執拗に叩きつづけ、食堂を逃げ回る僕をひたすら追いかけられたのです。
 不幸なことに、僕はその体験をする以前に、知的障害をお持ちの車いすの方に初めてお会いして、顔を目線の高さに合わせてさしあげました。そして「初めまして。僕の名前は竹牟禮基と申します」と丁寧にあいさつすると、「相手に唾を吐きかけて、微笑む」という斬新な挨拶をしてくださいました。
 それが、もぅ、嬉しくて嬉しくて~wあまりの光栄でしたので身にあまりましたよぉ~w(激怒)
 
そのことが響いたのでしょう。僕は、自らが持つありとあらゆる武術を余すことなく駆使して、その自閉症を持った男性を【排除】しました。

 今思い返せば、本当につらい思い出です。僕は最大限の誠意を彼に示しました。ですが彼から帰ってきたのは衝動と特殊性癖に任せた純然たる暴力でした。それに対して、同レベルの暴力を彼に振るい返して、僕は「何をやっても障害だからと彼らが許されるなら、同じように別ベクトルでの重症性を抱えた僕も、同じように扱われなくては不公平だ!!」と喚き散らし、心の闇に堕ちました。

 【彼らの横暴が赦されるのだから、僕の暴挙も許せ!――――否、僕は彼らの横暴の被害者なのだから、その分も暴れさせろ!というか、貴様らも俺を手伝え!モラルの観点から言ってもこれは社会義務ですらあるぞ!!】

 今からすると、そんな頭にウジ虫がわいたとしか思えないような主張を繰り返している内に、社会に僕の居場所は消えていきました。
 思えば僕の思春期とは、自らの発達障害に、人生を真っ黒に塗りつぶされた時期だったといえます。

 今でも、リアルな重障碍者を書く時には苦悩します。どうやっても彼らを、より狂気的に、黒く、悪し様に、好くても蒼味がけて、哀れにしか書けないのです。

 だからこそ、あざらしさんがうらやましいです。

 だって、自己責任が取れないレベルの障害を持った方と接して、暴力や窃盗、器物損壊を働かれても、保護者の方がきちんと誤ってくれさえすれば、「仕方ないな」とは思えますよね?

 僕はそのいずれにも被害を受けましたよ?
 ある晩、施設にあてがわれた自室に戻って、母から送ってもらった大切な雑誌を読もうとしたら、部屋が空っぽだったんです。
 となりの部屋が全開になっていたのでまさかと思い、隣人の様子をうかがうと――――。

 隣人はこういう状態でした。

                
 三三( ^q^)彡(アバァーw)
      ❘ ❘
   / ̄ ̄   ̄ ̄\
   / / |  |\ \
  \ \ | | | |
   \ \     | |
       「ア|
        |セ|
|モ|
     _____\_/________
     \「ジ||プ」 \
      \ ||ニュロローン!\
       \(山盛りあせも\ グチャミチョォ。
  \クリーム)  \
         ____________________

 はっきり言って、この光景はショックでした。誤解のないように言いますが、このアスキーアートは事実をもとにしています。僕にとってはジャンプを台無しにされたことが一番ショックだったのですが、彼は僕の部屋に侵入したついでに、僕の所持品をすべて自室に持ち込み、窃盗しました。

 無論、本人からの誠意ある謝罪などありませんでした。解っているのかわかっていないのかも判然としない、よだれがたれた間抜け面で、謝罪の言葉をオウム返しするだけ。本人はなぜ悪いのかもわかっていません。
 その幼稚園児レベルのモラルに呆れ果てました。

 ずっと、言わないで疑問に思っていたのですが、彼らに対して偏見のない人はこれらの屈辱に出会ったとしても、まだ好きでいるのが義務なのでしょうか?それが正義なのでしょうか?
 彼らを一人の人間とみなすなら、あまりにも程度の低い人が多すぎる。勿論、人は十人十色ですから、あざらしさんが出会ったような人々もいることは実体験から知っています。でもまれにしか出会いません。

 どこまでも恵まれた貴方様がうらやましいです。
 小生は、心から尊敬致します。

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イラストにおいて眼にハイライトが無いのは、以前どっかのブログで考察していた記事が興味深かった。
探してみたところサッと見つかったので、資料としてURLを置いときます。
http://sawanoya.blogspot.com/2013/04/blog-post_23.html
まあ、おそらくスレ主さんは読めないと思うので結論を書いておくと、
目の光、ハイライトは人物の「意思」を暗示させるもので、これを書かないことで「意思が宿っていない状態」を表現しているとしている。
すなわち「死体」「催眠状態」「放心状態」「冷徹な表情」などで、言葉にすれば「目が死んでる状態」。

しかし、記事では言及されてない「盲目」の場合、これは意思も魂もあるので当てはまらないように思える。
人は潜在的に「眼」に相手の意思を感じてしまうので、「意思ある人物」でありながら「ハイライトがないベタ眼」のキャラクターは「意思があるのに意思がない」という矛盾を抱えた表現となり、これを解決するため人は自然と「眼の機能そのものが死んでる状態」と感じるのではないでしょうか。
同時にハイライトがないだけでなく、「ベタ眼」だと黒塗りなわけで瞳孔も書かれていないんですよね。つまり焦点が合ってない事を気持ち悪くならない程度に表現されているのではないかと思います。

この表現の起源は、漫画だろうと思うけど、わかりません。

障害者の微笑ましい瞬間というのは、うーん。
正直、そもそも学校って障害者を別棟などに分けてたりして、健常者の生徒とはほとんど交流がない気がする。
私も中学のとき、そういう学級があることは知ってたけど一度も会ったことがなかった。

そんなわけで、健常者にとって障害者との接点がある事自体、稀だと思います。
福祉関係の講義とか地域ボランディアか何かで機会に恵まれたとかでない限り、一般的に接する事はないでしょう。
それを「知ってる」ということがスレ主さんの強みなので、アイディア募集もいいけど、もっと自分の強みを活かして武器を奮ったほうが良いと思う。
せっかく「デリケートな事は少し誤解されてもいい」と思っているのだから。
特別「微笑ましかった」と思えるエピソードだけでなく、もっと出していきましょうよ。

上記の回答(誰も知らない物語)

スレ主 一番合戦 仁 : 0 投稿日時:

 今回も博識を披露していただき、ありがとうございました。
 なるほど、人間の表情認識システムと深いつながりがあって、あの表現があるのですね……。深くていい話です。

 あざらしさんへの、二つの回答に記したとおりですが…。
 僕の心には、相反する二つの感情があります。

 一つは「悪質なモラルのない障碍者を憎む気持ち」
 一つは「余人に比べて、欠けて生まれたからこそ、その分、多く満たされることができることを広めたい気持ち」。

 それぞれの気持ちから、それぞれの回答を出させていただきました。

 やはり、サタンさんも「あの差別」を目の当たりにしていましたか。
 「恣意的な悪意がない」にしろ、別の棟に障碍者を押し込めて、幼稚園か小学校レベルの頭の悪い教育を仕方なく施し、結果的に障害を持った思春期の少年少女から健全な学校生活における青春を奪い去ることは、アパルトヘイト政策と何ら変わりない大罪だと愚考します。

 ちょうどいい機会ですね。お礼に頭の体操の仕方を教えて差し上げましょうか。僕が作った思考実験の一作です。
 作家は、常に哲学的な妄想を繰り返すことで、重く、深いメッセージ性を持った作品のネタを思いつくことが可能なのです。ぜひ参考にしてください。
 作家のモラルにかかわる事案でもあるので、頭の片隅に置いておくだけでも有意義かと思います。

 もしあなたが、読み書き計算のどれかが限定的にできなかったら。
 あるいは、衝動的に行動して失敗を繰り返しても、注意が散りやすく記憶領域の脳機能に問題があるせいで、反省できない人間だとしたら。
 あるいは、僕のように、【悪気無く】人の好意を踏みにじり、【自分にとっても思いもよらない】軽率な行動で人を傷つけ、【当たり前のことを言ったはずなのに、はたから見るととんでもない】軽はずみな言動で人を怒らせて、その人に殴られたことを【逆恨み】し、【平気な面を引っ提げて被害者ぶる】どころか、【被害者そのものとしてふるまおうとしてしまう】という、いっそのこと、フィクションじみてさえいる【障害を持っていたら】。

 そうですね。少し記述としては特殊ではありますが、二人称で書いた方がリアリティがあるでしょうか。
 僕の反省をサラッと二人称文体で追体験してみましょう。

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 あなたの名前は、「竹牟禮基」といいます。
 あなたはまだ幼いころ、ミッション系の幼稚園に入園しました。
 甘いマスクを持って生まれたので、女の子からはモテモテです。性格にはかなり難はありますが、基本的には困っている人を見捨てておけないお人よしです。そのせいもあって、先生からの評判も上々でした。
 キリストをたたえるおうたのじかんは割と好きだったので、よくみんなと参加していましたが、宗教の基礎的で素朴な疑問――――そう!神様はなぜ見えないのに、いることになっているのかというアレです!――――に、早々にぶち当たったせいで、あなたは大人たちが云うところの「いけない子」になりました。
 それでも、子供心に楽しくまっすぐに生きたくて、素敵な女の子と恋に落ちたり、光化学スモッグ警報鳴り響く園庭の血路をかいくぐったり。悪ガキどもとお気に入りの本をめぐって決闘したり、耳から血管の様な不思議な模様をした茶色い殻を掬い取って、「何だこれ?」と見つめたり。もうすぐ七歳になってランドセルを背負うのだ、と廊下のすのこに立ってまぶしい日差しに照らされながら、一人静かに胸を高鳴らせたり。
 そんな、キラキラした毎日を送っています。

 卒園式を一週間後に控えたある日の事。あなたには、ひとつだけ気がかりなことがありました。
 あなたは自分が所属する桃組の先生のことを、深く慕っていました。本気で恋していました。
 彼女に何の別れもお礼も告げぬまま去るのは、あまりにも心残りだったのです。
 ゆえにあなたは、誰もいない教室に先生を呼び出して、そっとつつましい口づけを交わし、園を去りました。

 数か月たった頃、あなたは希望でいっぱいのランドセルを背負って、桜舞い散る歩道を歩んでいます。
 新たな環境、新たな仲間、新たな人生の師。そのどれもが欲しくて、朝からワクワクして眠れません。
 そうです、そこに待っていたのは、たくさんの、たくさんの、最大の――――――――。
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 【お前、みんなとちがうんだって?どこが違うの?】【普通なのにズルいー!私も真似するーっw】【お前だけ特別とかきーんもっ】【本ばっかり読んでいるなら、英語判るよな?ハロー、グッドモーニング! abcdefg~! hijklmn! ほら~、これくらいできるだろ?やーれーよー】【ひょうきんで面白いやつだな】【いじったらもっと変なことするかな?】

 ひそひそ・・・・・・、さわさわ・・・・・・。
 「やめろ、ぼくをみるな……」
 ざわざわ・・・・・・・、どよどよ・・・・・・。
 あなたに間断なき好奇の視線が注がれる。ざわめき出す教室世界をうごめきまわる黒い影。逃げるように廊下を渡ると、まるで悪霊の住まう墓場のように、同じ光景が延々と続く。キモイ、糞、バカ、死ね。そういった死の呪文が談笑の合間に当たり前のように挟まっている。逃げても逃げても、声はあなたを追いかける。
 聴こえる声は盛大に、閉ざした脳をノックする。ウザい、呆れた、沸いているのか。思いの声が一斉に、拒んでも脳を叩き続ける。それでも、あなたは授業に参加する義務がある。

>>座りますか?

 >YES
  STATE UP THE PANIC-MODE

 「ダメだっ、それだけはだめだっ……!! 周りを傷つけることだけは絶対にダメだッ!!」
 座らなくては、座って、みんなと同じようにフツウにジュギョーを受けるんだ。
 ……あれ?『フツウ』ってなんだっけ? 
 ブヂッ!!
 あなたの頭の中で、何かが切れる音がしました。

 ざ、ざざん、ザンザンザンザンザンザンザンザンッッ!!座座座座座座座座ッッ!!!!

 「辞めてくれェェェェッッッッ!!!!!!!!」
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
 ハッ、と。あなたはベッドの上で飛び起きました。あなたは、カラダ全身に得体の知れない強い喪失感と、あたかも、聖なる存在だったのに堕天したかのような――――――。そんな、自分が自分でなくなっていくような、おぞましい寒気を覚えてます。それだけを覚えています。
 「――――――ふぅ。夢か……」
 夢の内容は、もうすでに思い出せません。ですが、あなたは少しだけ優しい気持ちにもなっていました。
 「色々、知る必要があるかもしれない」
 枕を胸に抱きこんだまま、あなたは三十分ほど考え込みました。
 「そうだな……。ゲームにかかわる仕事をするなら、物語りを学ぶのはいいかもしれない」
 そう独り言ちて、微笑みます。ひとしきりネットを通じて基礎知識を整えた後、あなたは、とある掲示板と出会います。
 「へえ、ノベルクリエイターサポート、ねぇ。面白そうだ。ハンドルネームは……」
 あなたは突然妙案を閃きました。自分はかりそめにしろ、地獄に落ちたのだから、悪魔を名乗ろう、と。
 「そうだな。地獄の大王なら、判りやすいだろう。ハンドルネームは、s、a、t、a、n、n。サタンだ」
 こうして、あなたはサイトにログインし、顔を知らない個性的な作家たちと、研鑽を重ねるのです。

 こうしてあなたは、僕と出会いました。でも、あなたは、あの夢を書くという目標を覚えていません。

 「やあ、こんにちは。初めまして……。というべきかな?僕の名前は――――」

 ここから先は、まだ誰も知らない物語――――――――。いずれ、あなたが知ることになる、そんな物語です。

                                       THE END
――――――――――――――――――――――――――――------------------------―――――――――――――――――

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元記事:社会派小説のネタ募集!ネタ探ししているそこの君!僕とディスカッションしよう!(あざらしさんが勧めてくださったレオンが発端のスレです)

 以前の僕の質問を見返すと、社会派小説の観点に立って話しているな、という自覚を覚えました。
 それならば、
 【現代文明における成人の儀の話】と、
 【核家族社会の黒歴史】や
 【理性や思考だけを育てる『頭脳教育』の是非】、
 あるいは、【家族形態の多様性について】や、
 【人間関係のオリジナライズ(固有種化)を促せる社会の実現】などの話題は、僕にとって至上命題であると思い立ちました。

 どうも、壱番合戦 仁です。ただいま、あざらしさんが勧めてくださった映画に感化されて、過集中状態です。
 これから、一つ一つ丁寧に解説していきますね。各議題に分けて投稿しますよ!これから僕の持論に対して、皆様の意見を募りたいと存じます。レッツ、ディスカッション!

 壱、【現代文明における成人の儀】

 以前、『人類文化史上において、書き手が紡ぐ物語が視聴者や読者にとって、奇しくも成人の儀の代わりとして機能している』という記述を、ある学術書にて見かけたことがあります。

 個人的には、今もなお、小説を始めとしたとした物語が、僕たち人類の心を育み続けている、とは思います。
 とはいえ、その機能は完全とは言えないでしょう。現状の社会を顧みても、ニートのオタクたちに《行きて帰りし物語》の系譜に属する本を読ませても、おそらく成長はしないでしょう。人によるとは思いますが、効果は非常に薄いと言わざるを得ません。なぜならば、《自分事としては捉えていない》からです。

 当たり前のことですが、多くの場合において、小説にせよ映画にせよ、『この本を購入したあなたは劇中の人物が起こした他人事を覗き見る立場に置かれます』、という不文律のもとに読者は存在します。
 これでは、成長することはおろか、娯楽作品の域を出ません。(エンタメ小説家のための場なのに、申し訳ない)

 少々脱線します。
 『新世界より』著/貴志祐介の漫画版のエンディングの様な手法をとることはできます。今までHEで語られた物語の主人公が、「どうせコイツ架空の人物だろ……。ケッ、ツマンネ」と高をくくっていた邪かつ健全なる感覚を持った読者たちに、「千年後のあなたへ」と告げて微笑みます。その言葉の裏に、物語そのものの重みを全部込めて読者に贈るのです。その発想力と鮮やかな手並みに僕は感嘆しました。一瞬、彼女が神の向こうの世界から話しかけてくれたのだ、と泣きそうになりました。
 でも、すぐに夢は覚めます。僕は、その本を一度閉じて、表紙を見返しました。
 なんてことはありません。【表紙に映し出された彼らは、最も本人たちにとって栄光ある姿のまま時を止め、命を得ることはありません】。
 僕は、強い悲しみを覚えました。嗚呼、物語に恋することのなんと虚しいこととか!
 だからこそ、誤解を恐れずに申し上げれば、娯楽の観点から言っても、《自分のためだけに作られた世界に行って、自分を主人公として生を謳歌し、峻厳なる試練を乗り越えて、その世界を去る》という体験を、生身で実感できる媒体を作ることができれば、物語はもっと面白くなる可能性を秘めています。
 この日本に限らず、皆誰もが『自らに精神的成長をもたらすかりそめの世界』を求めていると、愚考します。
 『事実は小説よりも奇なり』ということわざの裏には、「ある一面においては、現実は小説よりも奇妙さに優れている」=「小説並みの出来事は起きうるのだ(だから現実を悲観することはない。きっと楽しいはず)」→「でも、ぶっちゃけいうと、今年の年末休暇は俺tueee系のラノベ世界でバカンスしてェわぁ……ムナシィ」という願望が見え隠れしていると思います。(うがった解釈であることは自覚しています)

 では、これらの課題を現代技術で賄うとすれば、何があげられるか。
 今現在、可能性があるとすれば、古今東西の魔術の科学的実証や霊体の分析計測を通して『本物の異界』を探求するか。(その応用で世界創造の技術が開発されればめっけもん)
 もしくはフルダイブ技術、もしくはその代わりとなるVR技術を開発するか。
 いずれにしても、実現性自体は否定できませんが、将来の話とするしか冷静な見方がありません。

 僕だって、ここではないどこかを旅して成長したいし(異世界行きたい!)、一定の筋書きに沿ってスムーズかつドラマチックに凱旋したらかっこいいのに、と妄想しますよ。
 誰でも一度は物語を夢見ることはあると思います。
 前述のうちに『行きて帰りし物語』は、成人の儀の代わりだ、と申し上げました。
 この際です。出来るかどうかは別として、こう考えてはいかがでしょうか?
 「代わりなんて使わずに、本当に成人の儀をしちゃえ!ついでに社会制度もそれに合わせて変えた方がいいよな」と。

 皆さんなら、今の現代社会に成人の儀(または試練)は必要だと思いますか?
 もし必要なら、どんな試練を受けたいですか?また、自身の要望を別にした場合、社会全体から見てどんな成人の儀が必要だと思いますか?

 補足解説。

 我々人類は、「人間」というよくわからないものを演じてきました。
 ですが、「我々は、何という名前の生き物だったのでしょう?」

 思わず、「人間」と答えてしまった、そこのあなた。そう、それこそが社会にゆがみをもたらす元凶だと僕は考察しています。
 我々は、自然環境に適合するために道具や文化の発明を通して、「人の世」という、自然の摂理から引き離された隔離世界を作りました。そうしているうちに、自分が生き物、あるいは動物であることを誰もが忘れてしまいました。
 生物図鑑に自らを「ヒト」と記しつつも、サルに分類される自らを「万物の霊長の類」としてしまったり、絵図に書いたヒトに下着を履かせたりすることが、人が自分を動物だと思っている何よりの証拠です。

 断言しましょう。動物よりも偉いとされた「人間」は、『ヒト』という生物の在り方に立ち返って、あらゆる生命と対等になるべきです。その方がよほど健全だし、少なくとも僕はそういう立場をとります。
 僕は人間の尊性を過信してはいけないと思います。

 皆さんも、人生を生きていて一回は、自分の本能を抑えつけたことがあったかと思います。あなたが男性で、異性を目の前にしたことがあるなら、なおさら、覚えがあるでしょう。
 「そうした欲求を持つことは健全」とされているにもかかわらず、社会正義や世論、および小説を含むメディアは本能に関する事柄に対して強い嫌悪を表現します。
 いかにも食欲や性欲、自己承認欲求丸出しのキャラクターは、敵役の性格について語るとき、もはやテンプレートにすらなっています。

 ですが、ここで一度考えてください。
 「欲求を持つこと自体は健全と認めるのに、何で「お花を摘みに行っていいですか?」とわざわざ遠回しに聞いてから野糞するがごとく、人に隠れてこそこそさっさと済ませなきゃいけないの?」と。

 ヒトは、たくさんの必要不可欠で根源的な欲求をその遺伝子に刻んでいます。
 
 「気持ちいい」と感じることは罪なのでしょうか?
 本来、快感と幸福は不可分一体であったはずです。

 僕は、多くの「極端に【人間】になりすぎて、病気をこじらせた人たち」に出会ってきましたが、「禁欲しすぎたから壊れた」という方々は結構いらっしゃいました。
 キメたことがある人もいたし、イッている人もいたし、ミエテいる人もいました。
 あくまでも僕の主観ですが、彼らは非常に「人間」でした。少なくとも「ヒトらしさ」は見受けられませんでした。

 これを踏まえて考えても、おかしいですよね。
 僕らは、ご飯をたくさんおいしく食べている友達を前にして「獣みたい」と罵った、というたとえ話を聴かされても、「言い過ぎだ」とは思っても、「間違っている」とはなかなか言い出せません。

 セフレを何人も持っているけど、誰にも迷惑はかけていない。そんな幸福なチャラ男を前にして、「お前はケダモノか」とかいっても、それほど違和感はありません。
 でもよくよく考えてみたら、それはとても恐ろしいことだと思います。

 皆さんはどう思いますか?

上記の回答(社会派小説のネタ募集!ネタ探ししているそこの君!僕とディスカッションしよう!(あざらしさんが勧めてくださったレオンが発端のスレです)の返信)

スレ主 一番合戦 仁 : 0 投稿日時:

 続きです。

 弐、【核家族社会の黒歴史】

 僕は経済についてはとんと暗いのですが、人類文化学的な観点から申し上げますと、高度経済成長期という時代における資本主義は、【核家族を前提とした社会体制を根本から覆しました】。特定の世代を生きた大人たちの間では、有名な話ですね。
 結果論を承知で端的に言うと、核家族制度と資本主義は相性が悪かったのかもしれません。

 資本至上主義を掲げると、社会全体が個人に、『仕事を一番優先する事』を求めます。(労働時間という資本を切り売りしているのですね)
 あの時代の経済主義は「仕事をする人々をたくさん増して、その仕事から生まれたモノやコトを買う人もセットで増やす」ことで、経済を活性化させる狙いがあったのだと思います。AIなんてさほどメジャーではなかった頃の話です。時代が時代ですから、人力に頼らざるを得なかったのも仕方のない話かもしれません。

 ですが、その時代が残した負の遺産は、今も僕たち若者の世代に受け継がれています。
 核家族という共同体は、日本古来からの「家制度」の性格を強く受け継いでいます。
 皆さんは、「家」という文字を思い浮かべて、何を想像しますか?
 たいていの方は、プライベートな空間と、思うでしょう。
 それは一面としては正しいのですが、もう少し掘り下げると、いろいろとブラックな世界が広がっています。

 例えば、法律では家制度の慣習を考慮して、「家庭内で起きた犯罪は、極力その家庭内の法律に裁かせる」という、世にいうところの「民事不介入」もしくは「家庭内不干渉」という慣例があります。
 これを隠れ蓑にして、家族や親せきに狼藉を働く輩が後を絶たないということは、今巷でも取り上げられている社会問題でもあります。
 そうです。「家」という場所は、現代社会において「閉鎖された環境」であり、「ばれなきゃ何をやってもいい」がまかり通ってしまう危うさをはらんでいるのです。こんな状況を打破するには、既存の慣例や風習を改め、新しい社会制度を作っていくことが大事です――――――――。

 ここまでは、並の論客ならだれでも言います。でも、だれも具体的な方策については話さない。もしくは既存の社会の在り方の切り口を変えただけか、付け焼刃程度です。でも、僕はこうも思います。

 「もっと妄想すればいいのに」と。
 
――――人間が想像できることは、実現できる。

               フランス人作家、ジュール・ヴェルヌより。

 この言葉が記す通り、「妄想」は「想像」となり、「想像」は「理想」になり、「理想」は「目標」になります。あとは立てた目標に向かって、日進月歩すればいい。
 ならばこそ、もっと自由にいろんな家族の形をイメージすることが大切だと思います。

 それはそうと、我ながら思いっきり作品のネタになりそうな話ですねww
 ともあれ、二番の議題についても皆さんの意見を募集します。
 感想やご意見をどしどしお寄せ下さいね!

 それでは、次行って見ましょー!

カテゴリー : 創作論・評論 スレッド: 社会派小説のネタ募集!ネタ探ししているそこの君!僕とディスカッションしよう!(あざらしさんが勧めてくださったレオンが発端のスレです)

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元記事:社会派小説のネタ募集!ネタ探ししているそこの君!僕とディスカッションしよう!(あざらしさんが勧めてくださったレオンが発端のスレです)

 以前の僕の質問を見返すと、社会派小説の観点に立って話しているな、という自覚を覚えました。
 それならば、
 【現代文明における成人の儀の話】と、
 【核家族社会の黒歴史】や
 【理性や思考だけを育てる『頭脳教育』の是非】、
 あるいは、【家族形態の多様性について】や、
 【人間関係のオリジナライズ(固有種化)を促せる社会の実現】などの話題は、僕にとって至上命題であると思い立ちました。

 どうも、壱番合戦 仁です。ただいま、あざらしさんが勧めてくださった映画に感化されて、過集中状態です。
 これから、一つ一つ丁寧に解説していきますね。各議題に分けて投稿しますよ!これから僕の持論に対して、皆様の意見を募りたいと存じます。レッツ、ディスカッション!

 壱、【現代文明における成人の儀】

 以前、『人類文化史上において、書き手が紡ぐ物語が視聴者や読者にとって、奇しくも成人の儀の代わりとして機能している』という記述を、ある学術書にて見かけたことがあります。

 個人的には、今もなお、小説を始めとしたとした物語が、僕たち人類の心を育み続けている、とは思います。
 とはいえ、その機能は完全とは言えないでしょう。現状の社会を顧みても、ニートのオタクたちに《行きて帰りし物語》の系譜に属する本を読ませても、おそらく成長はしないでしょう。人によるとは思いますが、効果は非常に薄いと言わざるを得ません。なぜならば、《自分事としては捉えていない》からです。

 当たり前のことですが、多くの場合において、小説にせよ映画にせよ、『この本を購入したあなたは劇中の人物が起こした他人事を覗き見る立場に置かれます』、という不文律のもとに読者は存在します。
 これでは、成長することはおろか、娯楽作品の域を出ません。(エンタメ小説家のための場なのに、申し訳ない)

 少々脱線します。
 『新世界より』著/貴志祐介の漫画版のエンディングの様な手法をとることはできます。今までHEで語られた物語の主人公が、「どうせコイツ架空の人物だろ……。ケッ、ツマンネ」と高をくくっていた邪かつ健全なる感覚を持った読者たちに、「千年後のあなたへ」と告げて微笑みます。その言葉の裏に、物語そのものの重みを全部込めて読者に贈るのです。その発想力と鮮やかな手並みに僕は感嘆しました。一瞬、彼女が神の向こうの世界から話しかけてくれたのだ、と泣きそうになりました。
 でも、すぐに夢は覚めます。僕は、その本を一度閉じて、表紙を見返しました。
 なんてことはありません。【表紙に映し出された彼らは、最も本人たちにとって栄光ある姿のまま時を止め、命を得ることはありません】。
 僕は、強い悲しみを覚えました。嗚呼、物語に恋することのなんと虚しいこととか!
 だからこそ、誤解を恐れずに申し上げれば、娯楽の観点から言っても、《自分のためだけに作られた世界に行って、自分を主人公として生を謳歌し、峻厳なる試練を乗り越えて、その世界を去る》という体験を、生身で実感できる媒体を作ることができれば、物語はもっと面白くなる可能性を秘めています。
 この日本に限らず、皆誰もが『自らに精神的成長をもたらすかりそめの世界』を求めていると、愚考します。
 『事実は小説よりも奇なり』ということわざの裏には、「ある一面においては、現実は小説よりも奇妙さに優れている」=「小説並みの出来事は起きうるのだ(だから現実を悲観することはない。きっと楽しいはず)」→「でも、ぶっちゃけいうと、今年の年末休暇は俺tueee系のラノベ世界でバカンスしてェわぁ……ムナシィ」という願望が見え隠れしていると思います。(うがった解釈であることは自覚しています)

 では、これらの課題を現代技術で賄うとすれば、何があげられるか。
 今現在、可能性があるとすれば、古今東西の魔術の科学的実証や霊体の分析計測を通して『本物の異界』を探求するか。(その応用で世界創造の技術が開発されればめっけもん)
 もしくはフルダイブ技術、もしくはその代わりとなるVR技術を開発するか。
 いずれにしても、実現性自体は否定できませんが、将来の話とするしか冷静な見方がありません。

 僕だって、ここではないどこかを旅して成長したいし(異世界行きたい!)、一定の筋書きに沿ってスムーズかつドラマチックに凱旋したらかっこいいのに、と妄想しますよ。
 誰でも一度は物語を夢見ることはあると思います。
 前述のうちに『行きて帰りし物語』は、成人の儀の代わりだ、と申し上げました。
 この際です。出来るかどうかは別として、こう考えてはいかがでしょうか?
 「代わりなんて使わずに、本当に成人の儀をしちゃえ!ついでに社会制度もそれに合わせて変えた方がいいよな」と。

 皆さんなら、今の現代社会に成人の儀(または試練)は必要だと思いますか?
 もし必要なら、どんな試練を受けたいですか?また、自身の要望を別にした場合、社会全体から見てどんな成人の儀が必要だと思いますか?

 補足解説。

 我々人類は、「人間」というよくわからないものを演じてきました。
 ですが、「我々は、何という名前の生き物だったのでしょう?」

 思わず、「人間」と答えてしまった、そこのあなた。そう、それこそが社会にゆがみをもたらす元凶だと僕は考察しています。
 我々は、自然環境に適合するために道具や文化の発明を通して、「人の世」という、自然の摂理から引き離された隔離世界を作りました。そうしているうちに、自分が生き物、あるいは動物であることを誰もが忘れてしまいました。
 生物図鑑に自らを「ヒト」と記しつつも、サルに分類される自らを「万物の霊長の類」としてしまったり、絵図に書いたヒトに下着を履かせたりすることが、人が自分を動物だと思っている何よりの証拠です。

 断言しましょう。動物よりも偉いとされた「人間」は、『ヒト』という生物の在り方に立ち返って、あらゆる生命と対等になるべきです。その方がよほど健全だし、少なくとも僕はそういう立場をとります。
 僕は人間の尊性を過信してはいけないと思います。

 皆さんも、人生を生きていて一回は、自分の本能を抑えつけたことがあったかと思います。あなたが男性で、異性を目の前にしたことがあるなら、なおさら、覚えがあるでしょう。
 「そうした欲求を持つことは健全」とされているにもかかわらず、社会正義や世論、および小説を含むメディアは本能に関する事柄に対して強い嫌悪を表現します。
 いかにも食欲や性欲、自己承認欲求丸出しのキャラクターは、敵役の性格について語るとき、もはやテンプレートにすらなっています。

 ですが、ここで一度考えてください。
 「欲求を持つこと自体は健全と認めるのに、何で「お花を摘みに行っていいですか?」とわざわざ遠回しに聞いてから野糞するがごとく、人に隠れてこそこそさっさと済ませなきゃいけないの?」と。

 ヒトは、たくさんの必要不可欠で根源的な欲求をその遺伝子に刻んでいます。
 
 「気持ちいい」と感じることは罪なのでしょうか?
 本来、快感と幸福は不可分一体であったはずです。

 僕は、多くの「極端に【人間】になりすぎて、病気をこじらせた人たち」に出会ってきましたが、「禁欲しすぎたから壊れた」という方々は結構いらっしゃいました。
 キメたことがある人もいたし、イッている人もいたし、ミエテいる人もいました。
 あくまでも僕の主観ですが、彼らは非常に「人間」でした。少なくとも「ヒトらしさ」は見受けられませんでした。

 これを踏まえて考えても、おかしいですよね。
 僕らは、ご飯をたくさんおいしく食べている友達を前にして「獣みたい」と罵った、というたとえ話を聴かされても、「言い過ぎだ」とは思っても、「間違っている」とはなかなか言い出せません。

 セフレを何人も持っているけど、誰にも迷惑はかけていない。そんな幸福なチャラ男を前にして、「お前はケダモノか」とかいっても、それほど違和感はありません。
 でもよくよく考えてみたら、それはとても恐ろしいことだと思います。

 皆さんはどう思いますか?

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スレ主 一番合戦 仁 : 1 投稿日時:

 参、【理性や思考ばかりを育てようとする『頭脳教育』の是非について】

 ハイ、学園物を書いているそこのチミチミィ!!学び舎を描写するならば、教育に関しての話題に詳しくなることは大きな武器になるぞォ!考えればきっと、支倉凍砂/著『狼と香辛料』みたいなスゴいブツを書けるぞっ!君もこっちへ来給え!
 さあ、レッツ・傾★注!

 さて、今取り上げたように、日ごろから学園物を得意とする方に朗報です。
 今回は、学校教育に関する問題提起をします!僕の実体験も織り交ぜつつお届けしますねw

 思春期特有の強い飢餓感。あふれ出る豊かな情緒。猛り狂う情熱と、汚泥のように湧き出す情欲。
 これらを懐かしいと思われる方も多くいらっしゃるでしょう。僕の場合は、今もありありと思い出せます。というか、思春期末期が終わった直後なので、実感としては昨日今日レベルで思い出せますが。

 ヒトという生き物が、「アイデンティティ」という仮面を見つけ、程よく「人間」になっていくのは、大体において思春期相当の年頃だったと記憶しています。
 ですが、一部の大人は、彼らを必要以上にヒトが本来持つ生態から引き離してしまいます。いえ、よくよく考えたら、大なり小なり同じようなことはしているのです。
 問題は、「ヒトという生き物を、どこまで【人間】という獣ではない尊いとされる何らかの存在として振舞わせるか?」
「または当事者として、どこまでヒトらしく生きて、どこまで人間らしく生きるか?」

 今回はこれについて考えたいと思います。
 皆さんのご意見をどしどし募集しております!
 有意義な議論をレッツ・エンジョイ!

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 参、【理性や思考ばかりを育てようとする『頭脳教育』の是非について】

 ハイ、学園物を書いているそこのチミチミィ!!学び舎を描写するならば、教育に関しての話題に詳しくなることは大きな武器になるぞォ!考えればきっと、支倉凍砂/著『狼と香辛料』みたいなスゴいブツを書けるぞっ!君もこっちへ来給え!
 さあ、レッツ・傾★注!

 さて、今取り上げたように、日ごろから学園物を得意とする方に朗報です。
 今回は、学校教育に関する問題提起をします!僕の実体験も織り交ぜつつお届けしますねw

 思春期特有の強い飢餓感。あふれ出る豊かな情緒。猛り狂う情熱と、汚泥のように湧き出す情欲。
 これらを懐かしいと思われる方も多くいらっしゃるでしょう。僕の場合は、今もありありと思い出せます。というか、思春期末期が終わった直後なので、実感としては昨日今日レベルで思い出せますが。

 ヒトという生き物が、「アイデンティティ」という仮面を見つけ、程よく「人間」になっていくのは、大体において思春期相当の年頃だったと記憶しています。
 ですが、一部の大人は、彼らを必要以上にヒトが本来持つ生態から引き離してしまいます。いえ、よくよく考えたら、大なり小なり同じようなことはしているのです。
 問題は、「ヒトという生き物を、どこまで【人間】という獣ではない尊いとされる何らかの存在として振舞わせるか?」
「または当事者として、どこまでヒトらしく生きて、どこまで人間らしく生きるか?」

 今回はこれについて考えたいと思います。
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スレ主 一番合戦 仁 : 0 投稿日時:

 肆【人間関係のオリジナル化について】

 絆というのは基本的には「人と人」同士、応用的には「人と物」か、「人と獣」あるいは「人と霊」の間に生まれるものですから、実に様々で十人十色です。

 物語が人を描くものである以上は、そうした人間関係のフロンティアを探索することは極めて有意義と言えます。
 「博士が愛した数式」「狼と香辛料」「レオン」「俺の妹がこんなに可愛いわけがない」
 きわめて際どく、特殊な人間模様を描いたこれらの作品は、いずれもベストセラーの誉れをほしいままにしています。

 おーい!そこの初心者さん。そうだよ、プロットとにらめっこして「在り来たりだなぁ……」と独り言ちたことのあるそこの君!きっと君の役に立つから、寄っといでよw

 さあさあ、皆さんお集りかな?それでは、再開しましょうか。

 まず最初に。
 粘膜王女三世/作「白瀬千春は献身的で平等な性の女神です」という、幻の名作についてです。

 この方は、僕の目指す作風に非常に近い方で、下ネタの土石流が如き不条理ギャグと、いかなモラリストであっても、「――――これで本当に良かったのか?」と唸らせるであろう、心の奥底をえぐるえげつないシリアスをかき分ける天才です!初期の作品にこそ、ストーリー構成にに難はありましたが、最初期の作品である「キャットキラー」は、構成の欠陥を押しのけて余りある鮮烈な作風を武器に、今もなお、小説鍛錬投稿室(長編の間)の評価点ヒエラルキーの頂点に君臨する大作です!!僕は彼方を敬います!尊いぜ!

 その小説鍛錬投稿室上位ランカーが書き上げた「白瀬千春は献身的で平等な性の女神です」! なんと、これから僕が素晴らしいと評価する上、閲覧者からも好評を得ていたにもかかわらず、さる新人賞の三次選考に辛くも落とされた没作品なのです!!(没でない原稿のクオリティって一体……?)ざわざわ・・・・・・・、ざわざわ・・・・・・・。

 で。問題のこの作品は、主人公のごくごくフツーのノンケな中学女子と、養護施設で堂々と売春している変わったJC「白瀬千春」の禁断の友情を描いているんだけど、ここで出てくる友情論に僕はいたく感心した訳。

 「友達でも、今のまま好きでいていいよね……?(性的な意味で)」

 直接こう言っていませんが、時間をかけてゆっくりとこの結論へ物語は向かっていきます。
 そして淫行を繰り返した報いが千春ちゃんに襲い掛かります。
 千春ちゃんは、命がけの、中絶という試練を乗り越えて、息絶えた我が子を河川敷で火葬します。
 (ちなみにその子は、生まれてすぐ死んだので、人生を謳歌できなかった分を天国で幸せに生きてほしいという願いを込めて、天使と書いてエンジェルちゃんと名付けられました)
 そして、各々二人は今までを振り返り、お互いに「人間として千春ちゃん(主人公)を愛していた」ことに気が付いたのです。
 でも、性におおらかな千春ちゃんと違って、主人公の性的指向はストレートでした。まるっきりのノンケだけどどうするか。そして二人は、冒頭の通り「友達のまま、互いに恋をする」と決めたのです。
 こうして、大団円というにはあまりにも胸に残る重い物が多すぎる代わりに、重厚で爽やかなコクのあるエンディングを迎えたのです。(レオンが売れるなら、これを映画化したら売れると思うけどなぁ……)

 ええっと、脱線しまくりましたが、このように「親友的な家族」とか「家族的な先後輩」とか、「恋愛的な友情」とか。このように、既存の人間関係のハーフと言える関係を社会的に認めていけば、より人は人間らしく、ヒトらしく生きることができると思います。

 こうした関係性の社会受容過程において重要なファクターとなるのが、【人間関係の固有種化】だと思います。
 人と人の出会いは、いくつもの運命と偶然が重なり合って生まれた一期一会とは申しますが、ならばこそそこに生まれる関係性も、唯一無二の既存の言語におけるどの単語でも表現できない『繋がり』へと進化し得ます。このことは大変すばらしいことだと僕は思います。

 皆さんは、大切な誰かと特殊な、または固有の関係を結ぶなら、どんな関係がいいですか?またそのパートナーとして見たいことを挙げてみてください。アイディアの創出にきっと役立つはずですよ!
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 ああそうだ。粘膜王女三世さん。この板を見ていらっしゃったら、ぜひとも、「白瀬千春は献身的で平等な性の女神です(十八禁版)」を、なろうのメールで送っていただけませんか?もしくはなろうやラノベ研究所の皆さんに迷惑が掛からないサイトにのっけて下さいませんか?
 あの夜、女子たちが寝室でいつものように雑魚寝していた時に交わした女子トークの伏字が見たいです。主人公はどんな淫夢を見たんでしたっけ?千春ちゃんが最低イケメン教師に友情パワーでリベンジポルノした詳細も知りたいです!
 あとあと!あの後、主人公と千春は同性結婚したのでしょうか!その後の暮らしも見てみたいです!
 最後に、二人のベッドシーンをもっとはっきりしっかり読みたいです!自主規制なしで書けば、あの作品はもっと輝くと愚考します!テーマがテーマだけに、避けられないでしょうし、僕と粘膜さんはかなり作風の方向性が似ています。
 僕は昔、「自主規制しないでこのまま突っ走った方がうまくいきそう」と言われたことがあります。
 それはもしかすると、粘膜さんにも言えることなのではないでしょうか。
 嘆願とともに、ご参考になれば幸いです!絶対見せてくださいねー!!

カテゴリー : 創作論・評論 スレッド: 社会派小説のネタ募集!ネタ探ししているそこの君!僕とディスカッションしよう!(あざらしさんが勧めてくださったレオンが発端のスレです)

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ラノベを書き始められません。設定とかをどこまで作り込んで書けばいいかもわかりません。
ちゃんとプロットも作らなきゃ!設定もちゃんとしなきゃ!途中で折れないようにしなきゃ!と意気込んで考えてますが、まったく書き始められません。
ちゃんと作らなきゃと思って色々設定とか考えるので、もう4作分くらいは作り込んだものがあります。プロットとラストも考えてるものです。
ラノベ自体が初心者です。数冊しか読んだ事ありません。
読みも経験浅いからでしょうか。まずは数多く読んだ方がいいんでしょうか。
数冊読み始めるものの惹かれるものがないので途中で読むのをやめてしまうんです。
でもだいたいどんな文体で書いてるかはわかりました。
小説の執筆本も数冊買って読みました。文法やルールとかの。
でも書こうと思っても書き始められません。
ネットに公開するのに抵抗があるわけでもないです。公開するとちゃんと完結させなきゃとは思います。
どうすればいいかもうわかりません。もうラノベを書こうと思わない方がいいんでしょうか。向いてないんでしょうかね。
自分の世界観や空想を書いてみたい気持ちはあります。
もうどうすればいいかわかりません。誰か何かアドバイスがほしいです。

上記の回答(書き始められない!どこまで作り込めばいいかの返信)

投稿者 元々島の人 : 1

少し厳しい言い方になりますが、あくまで私がそうしてる、と言う意味で申し上げれば
①全ての事に期限を設定する。
②エタリは絶対に許されない。

つまり「仕事」並みに厳しく制限を設けるのです。
①は「プロットは」「下書きは」「第何話は」全て期日を決め、そこまでに仕上がらなかったらそこでタイムリミットです。
②はweb小説で完結させられなかったら読者の信頼を決定的に失うと思ってください。それを肝に命じて僕はなろうで13作完結させました。つまらなかったとしてもです。

カテゴリー : やる気・動機・スランプ スレッド: 書き始められない!どこまで作り込めばいいか

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投稿日時:

元記事:ネット小説に投稿するジャンルについて

こんにちは。
趣味でオリジナル小説、二次創作問わず書き続けている者です。とくにネット小説に投稿しているのは二次創作なのですが、その作品になかなか感想が付かず悩んでいます。

そして自分なりに分析してみた結果、ネット小説には私のような内容の重い(暗い)作品はあまり向いていないのではないかという結論に至りました。
その理由としてましては、私と同じ原作の二次創作を書いており、かなりの感想がついている作品を見た限りでは、ギャグ路線に振り切ったものがほとんどだったからです。
文章が少し読みにくくても、また文字が詰め詰めで読者からすると読みにくいものでも、主人公の地の文における(独り言)が多すぎるものでも、ギャグに走ったものはかなりの読者が感想を送っているようでした。
※もちろん、そのギャグというのが小説を書く上で難しいことは承知しています。

それに対して、私は主人公の心情の移り変わりや成長、今後に繋がる伏線、徐々に明らかにされていく主人公の過去などを大切にしており、その結果として一部好んで読んでくださる読者様はいらっしゃるのですが、あまり多くの読者様は得られていない状況です。
エタることの多いネット小説ですが、私は完結させるつもりですでに50万文字近く書き続けており、それも他の作品と比べて強みとなっているはずなのに感想はつかない。
また評価は1か9かみたいに分散が激しく(投稿サイトの評価は0〜10)、おそらく好みがかなり別れるんだろうなと思ってみても、そういった理由であまり読まれないのがつらくなっています。

そこでみなさまにお聞きしたいのですが、ネット小説には重い話はあまり向いていないのでしょうか?
自分の好きな小説のジャンルから切り替えないといけないのでしょうか?

お返事お待ちしております。

上記の回答( )

投稿者 サタン : 5 人気回答!

スレッドとは関係ないレスをしてスレ主さんには申し訳ないけど、
ちょっとこれはさすがに気持ち悪い。

カテゴリー : ストーリー スレッド: ネット小説に投稿するジャンルについて

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投稿日時:

元記事:冷徹なヤンデレの書き方

貴方の中で思う、冷徹なヤンデレキャラとは、どういったものかを教えて貰いたいです。
今、冷徹なヤンデレキャラを書いているのですが、書いていく内に、このキャラは「冷徹なヤンデレキャラ」なのか?と疑問に思い始め、質問させて頂きました。

初めは、

・表の顔が死体を見ても何も思わないタイプで、裏は主人公に甘々なヤンデレ

というものを書いておりましたが、批評などを頂き、

・主人公のためなら、人を殺しても構わない

といったキャラが、冷徹ヤンデレなのでは?と思い始めました。
なので貴方の中で、冷徹なヤンデレとは、どういったキャラの事を指すのかを教えて欲しいです。

上記の回答(冷徹なヤンデレの書き方の返信)

投稿者 ごたんだ : 1

阿良々木さんははかれないの老倉あたりは可能性あったなぁ!

カテゴリー : キャラクター スレッド: 冷徹なヤンデレの書き方

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投稿日時:

ライトノベル作法研究所管理人うっぴー /運営スタッフ:小説家・瀬川コウ:大手出版社編集者Y - エンタメノベルラボ - DMM オンラインサロン

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