小説の創作相談掲示板:小説の書き方Q&A。執筆の悩み相談をしよう!

一番合戦 仁さんの返信一覧。最新の投稿順33ページ目

元記事:壱番合戦さんの障碍者観念について伺いたいところがあります。

 このサイトには時々お世話になっています。玉城名義でラ研に書き込みをするのは初めてです。
 壱番合戦 仁さんのアシスタントをしております。静かなレスの波を撹すことを先にお詫び申し上げます。
 本来は本人に直接伺えばよいと思いますが、私自身思うところがありますので、創作者兼同類として、厳しく質問させていただきます。私自身の倫理観も怪しいので、公然とした場所で伺いたいのですが、壱番合戦さんはどう思うでしょうか?
 創作倫理に関わることですので、できる限り答えをくだされば幸いです。
 今まで壱番合戦さんのひたむきさを見てきたので、おそらくは言葉に詰まってもなにかしらの返答はあるかと存じます。覚悟のほどを試させてください。
 私は書くにしても、仮面浪人の受験やアルバイトで忙しい身です。某新人賞目指すならたぶん来年の10月に提出になるでしょう。また、私自身なかなか筆がすすまず、先方ももどかしく思われたでしょう。
 私自身の迷いを振り切るために、公然での質問、受けてくださいますか?
 

上記の回答(つむぎさん。僕は貴女の質問に精いっぱい答えたいと思います。)

投稿者 一番合戦 仁 : 0 投稿日時:

 皆様。渦中の壱番合戦 仁です。

 僕自身、まさかここまで話が膨れ上がるとは思いませんでした。お騒がせしてしまったこと、今も申し訳なく思います。

 皆様にいくつかお伝えしたいことがございます。

 僕は今まで、自身の個人的な悩みをスレッドに記載したことがあります。それによって、なんども版を荒らしてしまいました。

 ですが、誤解を恐れずにいうと、僕の小説の主人公は限りなく僕に近く作ってあります。僕という人格を丸ごとコピーしたものです。当初この小説は、私小説の部類に相当する幻想小説でした。そこから膨れ上がっていき、今の形を得ているのです。

 幾年かを経て、僕は「行って帰ってくる物語」という形式があることを学びました。それは、個人が精神的に成熟する過程、すなわち成人の儀と深いかかわりを持っていることが、多くの神話学者や民俗学者が示唆しています。

。「行って帰ってくる物語」自体、ロールプレイングゲームの根幹をなす概念でもあります。J・R・R・トールキンの作品群からおおくのRPG がうまれ、今もなお多くのライトノベルの理想的なフォーマットとして使われています。これと 私小説を混ぜると何ができるのか。
 それは、作者の影を主人公にした冒険譚に他なりません。当然、成人の儀と深いかかわりがある、行って帰ってくる物語の形式を採用している以上は、作り手が望むと望まざるとにかかわらず、内容も影である主人公の精神的な成人が大きな要素となります。影を動かすには影の主を動かさなくてはいけないのは、致し方のないことだと愚考します。

 実際、自分を抜きにして主人公を動かさなければいけないはずなのに、元が元である以上はそうせざるを得ないのです。
 僕は、この小説に四年間の間心血を注いできました。一度は完成したものの、出来はお世辞にも十分とは言えず、また、桂香/玉城つむぎさんと出会ってからは、第三版の執筆に取り組みました。

 ですが、ウリにするはずだった『「知名度の低い発達障害を描く」というライトノベル出版業界の禁忌に挑む』というスローガンがいつしか遠のいていく現状に、あらがうことができない自分に気づきました。

 どうしても、露骨な表現を避けようとする流れができてしまっているのです。試しにそういった描写をしても、非常に受けが悪く、当初想定していた「自身が当事者である」というアドバンテージを駆使しても、全く歯が立たないことに焦りを感じていました。

 「当事者でしか書けない圧倒的なリアリティを!」
 これを実現すべく努めると「しつこすぎる」とお叱りを受けてしまう。
 やがて、当事者であること。つまり自分の事としてとらえていることが、主観的な描写につながり、自分酔いしているように見えるのではないかということに気が付きました。

 すると次に求める材料が、自然と見えてきます。
 すなわち、「主観的な描写」であるならば、「客観的な意見」を取材するべきだ。
 こう思いいたりました。

 正直言って僕にとっても、こうした掲示板で私事についてお尋ねすることは苦肉の策でした。それでも、感情や思想を含めて一から構築する必要があったのです。それらはすべて、作品のコンセプトの中核を占める重要な要素でもありました。

 端的に言えば、「主人公を変えるには、自分が変わらなくては話にならない」ことに気が付いたのです。

 これを踏まえて、以前からの問題だらけの質問を投稿しようと決意しました。実際に自作を見てもらう方が早いと思い、URLを公開したこともあります。内心曰く、この本文から何かを感じ取ってくださるのではないか、と。

 期待は少しだけ外れました。投稿した質問文があまりにもつたなかったのです。
 こうして今書いている返信も、誰の怒りを買うのかよくわかりません。それでもサタンさんや、あざらしさんを始めとした皆さんは丁寧に回答して下さいました。

 僕のわがままともとれる、めちゃくちゃな自己開陳は多くの人々に迷惑をかけましたが、そこから得た着想はこれまでの比ではなく、レイヤの造形に大きくいい影響を与えました。
 ですが、まだ決定的なものをつかんでいない。かけているものがあります。

 《主人公、風祭レイヤを【障碍者として魅力的に描写する】》。
 これを成し遂げるためには、緻密なプロットづくりが要求されると、さる論客は評されました。僕も論を同じくして、高度な技術を要すると思います。
 無論、彼が障害を抱えていることは、彼の一側面にすぎません。ですが、彼が大人になれない大きな理由は、『自身の障害を受容できない事』。また、『他人との絆を結ぶことに大きな困難を持つ事』。この二つがあげられると思います。

 これを解決すべく、まずは後者の他人との絆について重点を置いて描写しました。
 ですが、結果的にそれは大きなテーマの欠如を生み出しました。
 「自身のみならず、他者の障害を受容する事」と、「障害乗り越え、成長すること」。これを情熱的に掻き切れば、いわゆる「燃え」につながると僕は踏みました。

 あざらしさんにはいつもお世話になっておりまして、この点については非常に惜しい回答をくださいます。痛しかゆしここに極まり、困っています。

 脱線してすみません。とりあえず、僕があのような、「面の皮の千枚張り」と罵られても仕方のないことをした理由を、述べさせていただきました。

 関連しているとはいえ、ご質問の真意に沿った提言ができず、僕も悔しいです。
 まだ、ご質問の意図をつかみ切れておりません。

 つむぎさん、まずは何について、決着をつけましょうか?

カテゴリー : やる気・動機・スランプ スレッド: 壱番合戦さんの障碍者観念について伺いたいところがあります。

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元記事:壱番合戦さんの障碍者観念について伺いたいところがあります。

 このサイトには時々お世話になっています。玉城名義でラ研に書き込みをするのは初めてです。
 壱番合戦 仁さんのアシスタントをしております。静かなレスの波を撹すことを先にお詫び申し上げます。
 本来は本人に直接伺えばよいと思いますが、私自身思うところがありますので、創作者兼同類として、厳しく質問させていただきます。私自身の倫理観も怪しいので、公然とした場所で伺いたいのですが、壱番合戦さんはどう思うでしょうか?
 創作倫理に関わることですので、できる限り答えをくだされば幸いです。
 今まで壱番合戦さんのひたむきさを見てきたので、おそらくは言葉に詰まってもなにかしらの返答はあるかと存じます。覚悟のほどを試させてください。
 私は書くにしても、仮面浪人の受験やアルバイトで忙しい身です。某新人賞目指すならたぶん来年の10月に提出になるでしょう。また、私自身なかなか筆がすすまず、先方ももどかしく思われたでしょう。
 私自身の迷いを振り切るために、公然での質問、受けてくださいますか?
 

上記の回答(つむぎさん。僕は貴女の質問に精いっぱい答えたいと思います。)

投稿者 一番合戦 仁 : 0 投稿日時:

 皆様。渦中の壱番合戦 仁です。

 僕自身、まさかここまで話が膨れ上がるとは思いませんでした。お騒がせしてしまったこと、今も申し訳なく思います。

 皆様にいくつかお伝えしたいことがございます。

 僕は今まで、自身の個人的な悩みをスレッドに記載したことがあります。それによって、なんども版を荒らしてしまいました。

 ですが、誤解を恐れずにいうと、僕の小説の主人公は限りなく僕に近く作ってあります。僕という人格を丸ごとコピーしたものです。当初この小説は、私小説の部類に相当する幻想小説でした。そこから膨れ上がっていき、今の形を得ているのです。

 幾年かを経て、僕は「行って帰ってくる物語」という形式があることを学びました。それは、個人が精神的に成熟する過程、すなわち成人の儀と深いかかわりを持っていることが、多くの神話学者や民俗学者が示唆しています。

。「行って帰ってくる物語」自体、ロールプレイングゲームの根幹をなす概念でもあります。J・R・R・トールキンの作品群からおおくのRPG がうまれ、今もなお多くのライトノベルの理想的なフォーマットとして使われています。これと 私小説を混ぜると何ができるのか。
 それは、作者の影を主人公にした冒険譚に他なりません。当然、成人の儀と深いかかわりがある、行って帰ってくる物語の形式を採用している以上は、作り手が望むと望まざるとにかかわらず、内容も影である主人公の精神的な成人が大きな要素となります。影を動かすには影の主を動かさなくてはいけないのは、致し方のないことだと愚考します。

 実際、自分を抜きにして主人公を動かさなければいけないはずなのに、元が元である以上はそうせざるを得ないのです。
 僕は、この小説に四年間の間心血を注いできました。一度は完成したものの、出来はお世辞にも十分とは言えず、また、桂香/玉城つむぎさんと出会ってからは、第三版の執筆に取り組みました。

 ですが、ウリにするはずだった『「知名度の低い発達障害を描く」というライトノベル出版業界の禁忌に挑む』というスローガンがいつしか遠のいていく現状に、あらがうことができない自分に気づきました。

 どうしても、露骨な表現を避けようとする流れができてしまっているのです。試しにそういった描写をしても、非常に受けが悪く、当初想定していた「自身が当事者である」というアドバンテージを駆使しても、全く歯が立たないことに焦りを感じていました。

 「当事者でしか書けない圧倒的なリアリティを!」
 これを実現すべく努めると「しつこすぎる」とお叱りを受けてしまう。
 やがて、当事者であること。つまり自分の事としてとらえていることが、主観的な描写につながり、自分酔いしているように見えるのではないかということに気が付きました。

 すると次に求める材料が、自然と見えてきます。
 すなわち、「主観的な描写」であるならば、「客観的な意見」を取材するべきだ。
 こう思いいたりました。

 正直言って僕にとっても、こうした掲示板で私事についてお尋ねすることは苦肉の策でした。それでも、感情や思想を含めて一から構築する必要があったのです。それらはすべて、作品のコンセプトの中核を占める重要な要素でもありました。

 端的に言えば、「主人公を変えるには、自分が変わらなくては話にならない」ことに気が付いたのです。

 これを踏まえて、以前からの問題だらけの質問を投稿しようと決意しました。実際に自作を見てもらう方が早いと思い、URLを公開したこともあります。内心曰く、この本文から何かを感じ取ってくださるのではないか、と。

 期待は少しだけ外れました。投稿した質問文があまりにもつたなかったのです。
 こうして今書いている返信も、誰の怒りを買うのかよくわかりません。それでもサタンさんや、あざらしさんを始めとした皆さんは丁寧に回答して下さいました。

 僕のわがままともとれる、めちゃくちゃな自己開陳は多くの人々に迷惑をかけましたが、そこから得た着想はこれまでの比ではなく、レイヤの造形に大きくいい影響を与えました。
 ですが、まだ決定的なものをつかんでいない。かけているものがあります。

 《主人公、風祭レイヤを【障碍者として魅力的に描写する】》。
 これを成し遂げるためには、緻密なプロットづくりが要求されると、さる論客は評されました。僕も論を同じくして、高度な技術を要すると思います。
 無論、彼が障害を抱えていることは、彼の一側面にすぎません。ですが、彼が大人になれない大きな理由は、『自身の障害を受容できない事』。また、『他人との絆を結ぶことに大きな困難を持つ事』。この二つがあげられると思います。

 これを解決すべく、まずは後者の他人との絆について重点を置いて描写しました。
 ですが、結果的にそれは大きなテーマの欠如を生み出しました。
 「自身のみならず、他者の障害を受容する事」と、「障害を乗り越え、成長すること」。これを情熱的に掻き切れば、いわゆる「燃え」につながると僕は踏みました。
 それでも、作品に込め切れていない。自分自身によくないバイアスがかかっていることを自覚しました。

 あざらしさんにはいつもお世話になっておりまして、この点については非常に惜しい回答をくださいます。痛しかゆしここに極まり、困っています。

 脱線してすみません。とりあえず、僕があのような、「面の皮の千枚張り」と罵られても仕方のないことをした理由を、述べさせていただきました。

 関連しているとはいえ、ご質問の真意に沿った提言ができず、僕も悔しいです。
 まだ、ご質問の意図をつかみ切れておりません。

 つむぎさん、まずは何について、決着をつけましょうか?

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 皆様。渦中の壱番合戦 仁です。

 僕自身、まさかここまで話が膨れ上がるとは思いませんでした。お騒がせしてしまったこと、今も申し訳なく思います。

 皆様にいくつかお伝えしたいことがございます。

 僕は今まで、自身の個人的な悩みをスレッドに記載したことがあります。それによって、なんども版を荒らしてしまいました。

 ですが、誤解を恐れずにいうと、僕の小説の主人公は限りなく僕に近く作ってあります。僕という人格を丸ごとコピーしたものです。当初この小説は、私小説の部類に相当する幻想小説でした。そこから膨れ上がっていき、今の形を得ているのです。

 幾年かを経て、僕は「行って帰ってくる物語」という形式があることを学びました。それは、個人が精神的に成熟する過程、すなわち成人の儀と深いかかわりを持っていることが、多くの神話学者や民俗学者が示唆しています。

。「行って帰ってくる物語」自体、ロールプレイングゲームの根幹をなす概念でもあります。J・R・R・トールキンの作品群からおおくのRPG がうまれ、今もなお多くのライトノベルの理想的なフォーマットとして使われています。これと 私小説を混ぜると何ができるのか。
 それは、作者の影を主人公にした冒険譚に他なりません。当然、成人の儀と深いかかわりがある、行って帰ってくる物語の形式を採用している以上は、作り手が望むと望まざるとにかかわらず、内容も影である主人公の精神的な成人が大きな要素となります。影を動かすには影の主を動かさなくてはいけないのは、致し方のないことだと愚考します。

 実際、自分を抜きにして主人公を動かさなければいけないはずなのに、元が元である以上はそうせざるを得ないのです。
 僕は、この小説に四年間の間心血を注いできました。一度は完成したものの、出来はお世辞にも十分とは言えず、また、桂香/玉城つむぎさんと出会ってからは、第三版の執筆に取り組みました。

 ですが、ウリにするはずだった『「知名度の低い発達障害を描く」というライトノベル出版業界の禁忌に挑む』というスローガンがいつしか遠のいていく現状に、あらがうことができない自分に気づきました。

 どうしても、露骨な表現を避けようとする流れができてしまっているのです。試しにそういった描写をしても、非常に受けが悪く、当初想定していた「自身が当事者である」というアドバンテージを駆使しても、全く歯が立たないことに焦りを感じていました。

 「当事者でしか書けない圧倒的なリアリティを!」
 これを実現すべく努めると「しつこすぎる」とお叱りを受けてしまう。
 やがて、当事者であること。つまり自分の事としてとらえていることが、主観的な描写につながり、自分酔いしているように見えるのではないかということに気が付きました。

 すると次に求める材料が、自然と見えてきます。
 すなわち、「主観的な描写」であるならば、「客観的な意見」を取材するべきだ。
 こう思いいたりました。

 正直言って僕にとっても、こうした掲示板で私事についてお尋ねすることは苦肉の策でした。それでも、感情や思想を含めて一から構築する必要があったのです。それらはすべて、作品のコンセプトの中核を占める重要な要素でもありました。

 端的に言えば、「主人公を変えるには、自分が変わらなくては話にならない」ことに気が付いたのです。

 これを踏まえて、以前からの問題だらけの質問を投稿しようと決意しました。実際に自作を見てもらう方が早いと思い、URLを公開したこともあります。内心曰く、この本文から何かを感じ取ってくださるのではないか、と。

 期待は少しだけ外れました。投稿した質問文があまりにもつたなかったのです。
 こうして今書いている返信も、誰の怒りを買うのかよくわかりません。それでもサタンさんや、あざらしさんを始めとした皆さんは丁寧に回答して下さいました。

 僕のわがままともとれる、めちゃくちゃな自己開陳は多くの人々に迷惑をかけましたが、そこから得た着想はこれまでの比ではなく、レイヤの造形に大きくいい影響を与えました。
 ですが、まだ決定的なものをつかんでいない。かけているものがあります。

 《主人公、風祭レイヤを【障碍者として魅力的に描写する】》。
 これを成し遂げるためには、緻密なプロットづくりが要求されると、さる論客は評されました。僕も論を同じくして、高度な技術を要すると思います。
 無論、彼が障害を抱えていることは、彼の一側面にすぎません。ですが、彼が大人になれない大きな理由は、『自身の障害を受容できない事』。また、『他人との絆を結ぶことに大きな困難を持つ事』。この二つがあげられると思います。

 これを解決すべく、まずは後者の他人との絆について重点を置いて描写しました。
 ですが、結果的にそれは大きなテーマの欠如を生み出しました。
 「自身のみならず、他者の障害を受容する事」と、「障害を乗り越え、成長すること」。これを情熱的に掻き切れば、いわゆる「燃え」につながると僕は踏みました。
 それでも、作品に込め切れていない。自分自身によくないバイアスがかかっていることを自覚しました。

 あざらしさんにはいつもお世話になっておりまして、この点については非常に惜しい回答をくださいます。痛しかゆしここに極まり、困っています。

 脱線してすみません。とりあえず、僕があのような、「面の皮の千枚張り」と罵られても仕方のないことをした理由を、述べさせていただきました。

 関連しているとはいえ、ご質問の真意に沿った提言ができず、僕も悔しいです。
 まだ、ご質問の意図をつかみ切れておりません。

 つむぎさん、まずは何について、決着をつけましょうか?

上記の回答(ごめんなさい。エラーが出たので、誤答してしまいました。)

投稿者 一番合戦 仁 : 0 投稿日時:

 気にしないでください。すみませんでした。

カテゴリー : やる気・動機・スランプ スレッド: 壱番合戦さんの障碍者観念について伺いたいところがあります。

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元記事:謝罪と今後の返信

深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ ...

・・・・・どうせ私のやらかした事と同じ人と同じ事をやっちゃったんでしょう?深淵覗きはほどほどに( *´艸`)

ちっぱいの話でもすんべ。シンデレラバストのブラだと、どれ可愛いと思う?あえてスポブラ派?

上記の回答(気を楽にして差し上げたい意図が伝わってきます。)

投稿者 一番合戦 仁 : 0 投稿日時:

 あの~、「肩の力抜こうぜ」っていうのはわかりますけど、僕の話題の場外でおっぱいの話をされると非常に恥ずかしいです。

 続けてくださっても構いませんが……。スレ主さんの気が和らいだら、止してくださいね?

 ちなみに僕は、シンデレラカップ派です。スポブラが理想ですね。あまり豪華な下着は好きではありません。(あんまりいやらしいと萎えますし)

カテゴリー : やる気・動機・スランプ スレッド: 謝罪と今後

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元記事:壱番合戦さんの障碍者観念について伺いたいところがあります。の返信

 ではまず、気を損ねる可能性が高い質問ばかりですよ、と先に言っておきます。

・パクトポーさんが仰ったことを要約すると、仮にも物書きとして障碍者差別をなくそうとしてるのに、しかも本人が多様性の塊とか言ってんのに、昔ならまだしも2019年8月時点でさえ書く本人が露骨に嫌そうな顔をして、むしろ助長しているのがどうなの? ということ。理屈に本人の感情が追い付いていない印象を受けました。
 客観性を求める、というのはいいことだと思いますし、主観との兼ねあいにもなるのでいい作品が生み出しやすいと思います。自分を変えたいという言葉に責任を持ってくださいね

・電車さんや汗疹クリームさんにも、何か考えとかくすぶっている思いがあるとは考えなかったのか、表出したい何かがあるのかと考えなかったのか。私もなかなか人に謝れないタイプですが、壱番合戦さんとのなろうでのメールの件を思い出し、書かせていただきました。もちろん、被害を受けたとかいうのはわかります。しかし、なぜ(おそらく頭脳的?)有利な立場であろう貴方が、あの時事情をひとつも考えられなかったのでしょうか
 ご本人が仰るように、他を受容することや成長することは燃えにつながるとは思います。しかし、内心すっごく見下しまくってるあなたが、本当にレイヤくんをかっこよく書けるんですか?
 作品内の学校で、レイヤくんが周囲を程度の低いやつらと思うことにはイラッとするけど、あくまでも当時のコピーキャラなんですよね? 現在のあなたがこれでどうするのですか。のんきに物語にあわせるつもりですか? 過去の自分は自分だけのものだから、覚えていることを信じてはいかがです?

 

上記の回答(そうです。16歳時点の僕をモデルにしているので、現在の僕を投影しにくいという欠陥があります。)

投稿者 一番合戦 仁 : 0 投稿日時:

 僕も、いい加減新しく経験したことを投影すべきなのではないかと、悩んでいました。
 「自閉症の僕が飛び跳ねる理由」という本を読みました。独特の哲学と、豊かな感性もそうですが、きちんと著書者の方は自分自身のことをよく考えていらっしゃる。

 ああいう風に言いはしましたが、あの時通訳して下さる方がいたとしたら、もっと落ち着いて話したかったと思います。

 >>電車さんや汗疹クリームさんにも、何か考えとかくすぶっている思いがあるとは考えなかったのか、表出したい何かがあるのかと考えなかったのか。 

 多分、電車さんは仲良くなりたかっただけだと思います。相手の好きなことを察するのが難しいという特性を持っているから、「自分が好きな話題を振ったら、喜んでくれるかな?」とお考えになったのだと思います。
 そこで「ごめんなさい。僕は電車のことをあまり詳しく知りません。だからお話には付き合えません」って言われたら、誰だって悲しいと思います。ことによってはパニックになっても仕方ないでしょう。だって、その時の僕は悲しい顔をしていましたから。すると、微妙なニュアンスや状況、表情を読むことが非常に苦手な彼は、ひどく動揺したはずです。

 「……あ、れ? も、もしかして私、初対面の人に失礼なことしちゃった⁈どっ、どうしよう!」

 本当にそう考えていらっしゃったかは、今となっては神のみぞ知ることですが、そう考えても不思議ではありません。
 ですが、ここで特筆すべきは、これらのやり取りが互いの水面下で、一瞬にして行われてしまった摩訶不思議の事です。恥ずかしながら、当時の僕もそれほど状況を整理する能力がありませんでした。
 ですが、今にして思えば、すごい速度で始まって終わったんだな……。と感慨を新たにするのです。

 訪問看護師さんからも指摘されます。「アクシデントが【終わった後に整理する】のは得意だけど、アクシデントの【最中に整理する】のは苦手みたいだね」と言われます。
 僕の大きな弱点の一つだと思います。

 レイヤくんのことですが、彼にはとことん本を読む、ネットサーフィンを繰り返すなどして、旅の経験を総まとめしてもらう必要があるかと思います。おそらく、僕と同じ道をたどらせるなら、避けては通れない道でしょう。それか別ルートをたどらせるか。何らかの人生をひっくり返すレベルの大イベントを体験するとか。

 こういうのはどうですか……?アイルもセツラとして生まれた時に実は障害を抱えて生まれてしまったことが、最後に明かされるとか。

 転校初日、アイルことセツラは屋上にレイヤを呼び出します。

 「レイヤくんは、あの日、私と初めて出会ったとき、白エルフの私を、ちゃんと『一人の私』として見てくれたよね?私はそれが、すごくうれしかった。だから、また一から始めるために、もう一度あの日を繰り返そう」

 「――――私を、もう一度受け入れて」

 そう言って、彼女は通学カバンからクレンジングオイルを取り出して、化粧を落とします。
 そう。その素顔は――――。重度知的障害者の特徴とそっくりでした。

 「――――でいばぐん」

 彼女は、あえて発音のコントロールを放棄し、じっと彼を見つめます。これ以上ないほど、真剣な目で、じっと見つめます。その口からはよだれが出ようとしています。でも、彼女は自分を偽ることはしません。ありのままの自分を受け入れてもらうことが、彼のためにも、自分の幸せにもつながるとわかっていたからです。

アイルが知的障害や重度の発達障害と共通点の多い白エルフだったころに、受容は済んでいるはずです。彼にとっては、白エルフという障害が、別の障害に変わっただけ。そこで、彼は気づくのです。

 「僕は、なんて小さなことにこだわっていたのだろう」と。

 一歩、二歩、と彼女に近づく内に、今まで障害を持つ人を見た時に何も意志を感じないどころか狂気すら感じたのに、彼女からは確固たる清涼な意思が感じられたことに気付くのです。それは目から鱗が落ちて、自身の症状が緩和した瞬間でもありました。
 そして、太陽がその色を次第に増していきます。夕凪の中、日差しに照らされた彼女の姿はどこまでも気高く、尊い。そう思った途端、堪らず彼女のもとへ駆け寄り、ぎゅっと抱きしめます。

 「でいばぐんど、おばじになれでよかっだ」
 「ああそれは僕だって同じだよ君の尊さに触れて本当に良かったさかくなる逢瀬を遂げられて僕も嬉しいよ愛している愛しているよセツラ今の君はとても尊い大好きだ」

 もはや彼も自分を取り繕うことはしません。どんなに聞き手にとって配慮のない喋り方や難しい表現をしても、彼女なら受け入れてくれることをわかっていたからです。もう彼は彼女をいたわることはしても、信頼を示すためならあえて空気を読みません。

 こうして、彼らは結ばれました。という。

 実話の中には、間違い電話から生まれた恋の話があって、相手の顔をお互い知らなかったといいます。会ってみたらびっくり仰天。二十代の若者が電話の向こうで愛した女性は六十余歳だったのです。
 これを参考にしました。

カテゴリー : やる気・動機・スランプ スレッド: 壱番合戦さんの障碍者観念について伺いたいところがあります。

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元記事:ラストシーンを引き立てるシーンが書けない

はじめまして、今回初めて利用させていただくブックと言う者です。

私は某文庫の新人賞に向け、小説を書いているのですが、どうもラストシーンまでの話が上手く書けません。
構成自体は浮かんでおり、キャラクターも固まり、後は書くだけなのですが、終盤までのシーンが全て作品の中で舞台装置を動かしているだけで、全く感情移入の出来ない「だからどうしたの?」と言われてしまうような作品になってしまいます。
ラストシーンばかり想像を膨らませ、中盤の話が思い浮かばず、無難なイベントで文字数を稼いでしまっているのが現状です。

そこで序盤、中盤の書き方のコツを教えて頂きたいです。
ご教授お願いします。

上記の回答(ラストシーンを引き立てるシーンが書けないの返信)

投稿者 サタン : 0

うーん……。
質問がしっかりしてるようで漠然としてるので、答えるのに難しい感じがあります。
本当に「キャラ」も「構成」も決まっててラストも作れてて、後は書くだけって状態なら、構成に沿ってキャラを自由に動かせばラストまで問題なく書けると思うから、多分、構成に問題があるんじゃないかなと思います。

邪推になるけれど、「ラスト」つまりオチを決めたら後はそこへ向かって突っ走ればいい、という感じで考えてないかな、と感じます。
物語におけるオチというのは、要するに「結論」ですから、「こういう切り口で話を始めて、関係ありそうな話題を突っ込んで、最終的にこの結論を出せばOK」みたいな事をすると、その「関係ありそうな話題」にまとまりがないので、むちゃくちゃな内容になりそうじゃないですか?
「その結論と、前の話題は何か関連性あったっけ?」みたいな。
似たような別のパターンでは、「言いたい結論」のためにロジックを考えて多少無理があっても強引に「結論」に持っていく、みたいな。
要するに「キャラがシナリオ通りに動いてるだけ」という感じで、多分こういう部分で悩んでるのかなと思います。
つまりは、「どうやって物語を結論に持っていくか」という構成の知識・技術の問題ではないかなと思います。

持論ではありますが、物語というのは「はじまり」という状態が「おわり」という状態に変化する、その過程を指すので、「はじまり」という状態と「おわり」という状態には大きな落差が求められ、その落差が大きかったり興味深いものだと面白味を感じやすいものです。
金持ちが貧乏になる、温和な人が殺人鬼になる、弱い子が強くなる、といった具合ですね。
「はじまり」と「おわり」には大きな落差があるので、これが何の衝突もなく唐突に「はじまり」が「おわり」の状態に変化することはありえません。
弱い子が理由もなくいきなり強くなったりはしない。
すると「はじまり」と「おわり」の間にある「なか」というのは、基本的に「はじまり」の状態と「おわり」の状態の衝突が描かれる事になります。
つまり。
例の場合、「弱い」という状態と「強い」という状態の衝突を書くのが正しい構成になります。
例えば「道場娘のヒロインに山籠りだと拉致られた主人公が、そこから逃げ出そうとしつつヒロインに実力で阻止されたりしながら、ヒロインが出した課題をかろうじてクリアする」となる。
主人公が「弱い」の象徴で、ヒロインが「強い」の象徴と考えれば、二人の行動は「弱い」と「強い」の衝突として書けてますよね。

まず、「はじまり」と「おわり」の間にある「なか」というのは、単にラストシーンへ持っていくための過程ではなくて、こうした「衝突」を書く場所になります。

そして、これを理解した上で次に進むと、
三幕構成においては物語の真ん中に「ミッドポイント」というのがあるとされています。
ミッドポイントというのは、一言で言えば「話を収束させるためのポイント」で、わかりやすく言うと「物語の落とし所を読者に提示する場面」です。
例えばバトルものなんかだと、だいたい「倒すべき敵」や「倒すための手段」なんかが判明するのは中間地点です。「話の終わりが見えてくる場面」なので、テーマ次第で内容は「新事実の判明」など違ってきますが。

すると、「なか」の中間地点には「ミッドポイント」という収束させるポイントがあり、そこを境に「なか」は二分できます。
「なか」の前半は物語を広げるための展開。
「なか」の後半はミッドポイントから物語を収束させていく展開。
こうすると、「だからどうしたの?」という事にはなりにくいでしょう。
なにしろ「ミッドポイント」というのは「話の落とし所が見える場面」なので、「だからどうしたの?」の答えは「だから落とし所が判明した」という内容になるし、その後も「だから話が収束する」という内容になる。
そしてオチへたどり着く。

とりあえずは「中盤は「衝突」を書く場所だ」という事を理解し、その内容、すなわち「はじまり」と「おわり」の衝突の内容を吟味してみると良いと思う。
三幕構成のミッドポイントとかはあんま考えなくても、とりあえずはそれで現状の悩みからは抜け出せるでしょう。
ミッドポイント云々は、コツとして「中間に落とし所になるシーンを考えると読者離れを招きにくいよ」という、あるいは「中間ポイントを考えると物語が小分けできるので思考が楽になるよ」という感じの話なので、たぶん次のステップで理解すべき話かもしれないです。

もっと詳しい物語の構成については、三幕構成は曖昧な物語というモノを論理的に噛み砕いた理論なので調べてみると良いかもしれません。
ただ、三幕構成は「物語がどういう構造をしているか」を紐解いた理論であって、「どうやって物語を作るのか」という創作論ではないので、「何をどこからどのように作る」という「作り方」の疑問には答えてくれないため注意が必要です。

カテゴリー : ストーリー スレッド: ラストシーンを引き立てるシーンが書けない

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元記事:文章を書いてみました

1年位前に文章力について相談した時「どんな文章を書くのか実際に読んでみないとわからない」と言われたのを思いだして、プロローグ相談所に投稿してみました。
既に結構な数の意見を頂いているのですが、その時の方々にも見ていただきたいと思い、ここに張り付けてみます。
見ていただけると幸いです。
https://weblike-tennsaku.ssl-lolipop.jp/prologue/novels/show/225

それと、その時最後にレスしてくれた方にお詫びいたします。
スレッドが埋もれてしまい、このサイトの使い方が良く分かっていなかったのでトップページ見れなくなったスレッドを探すことができず、気づきませんでした。気づいた時には古いスレッドを上げるのは良くないと思い、書き込むのをためらってしまいました。すみません。
そして返信ありがとうございます。その時は「わかっちゃいるけどそれができないんだよ」と思いましたが、今では言われた事を実践できるようになった気がします。ありがとうございます。

上記の回答(文章を書いてみましたの返信)

投稿者 手塚満 : 0

細かい点でもいろいろ推敲の余地はあるように思います。情報の出す順序での一文ごとの並びとか、各文での単語選択とか、重複などの冗長性とかとか。それらは、すらすら読めて、ぱっぱと分かるためには磨き込んでもいいかもしれません。

しかし、もっと大枠で問題がありそうに思います。そこで非常に損をしている感じです。これは小説の途中ではなく冒頭ですよね。読者を掴んで、続きを読んでもらえる作りにする必要があるはずです。

しかし、出だしからイベントが発生しているようには見えません。重要キャラクターが何かしようとする動きが感じられません。物語の舞台とか設定とか、これから読むドラマを理解する準備に、出だしからの相当部分が使われてしまっているようです。

具体的に計算してみます。このサイトのカウンターによれば、冒頭全体は、

> 文字数 : 6,335文字
> 原稿用紙換算枚数 : 16枚

となっています。主要キャラクターが具体的な動きを見せたと感じるのは、まず、

>  少年の手を取る。
> 「ちょっとこっち来て」

からでしょうか。そこまでの文字数は、

> 文字数 : 2,695文字
> 原稿用紙換算枚数 : 7枚

です。つまり冒頭のイベント開始まで、出だしから全体の43%が設定説明に費やされています。しかも、その後は設定説明主体に戻ってしまいます。キャラがちゃんと動きを見せ、その後にドラマが起こりそうと思えるのは、

>  ザッザッと歩いていると、遠くに影を見つけた。そいつはこちらを見つけたらしく、段々と寄ってきた。どう見ても人間には見えない。

からでしょうか。そこが目を引けるイベント開始になっているようです(あるいは、なり得そう)。

そうだとしますと、文字数計算ではそこまでが、

> 文字数 : 5,557文字
> 原稿用紙換算枚数 : 14枚

となります。目を引けるイベント開始までの設定説明が、実に全体の88%にもなります。文章量は原稿用紙14枚分です。そこまでは、読者は作者が語る物語舞台やキャラ紹介を読み進めねばなりません。言い換えると「お勉強」です。作者は自分の想像したイメージを語るので楽しいですけど、それを聞かされるだけの読者はなかなか楽しめません。

出だしからキャラクターを動かし、イベントを起こして読者の目を引いたほうがよくないでしょうか。よく使われる手で、あまりに使われるので避けろという人がいるほどの手法で「1行目が台詞」というのがあります。

出だしでも台詞であるだけでキャラがいること、何かに反応していることが分かります。その台詞内容が異変を暗示してたりすると、さらに興味を引くことができます。

お示しの冒頭ですと、無言で迫って来る「ソイツ」から始められないか、構成から見直してはどうかと思います。読者としては主人公エーリカも、ホーリーも知らず分からずですが、「主人公らしきキャラに危機が迫る」ことくらいは分かりますし、拍子抜けするオチだということも分かります。

そうなれば、読者は「その2人って誰なんだ?」という興味を持てます。そこから説明を含む描写にしていけば、より有利ではないかと思います。

細かいことは後、みたいなことを申し上げておいてなんですが、細かい点での注意点もあります。お示しの冒頭ですと、物語世界の舞台について具体的に示すのが少し遅いようです。はっきりと文明レベルを示唆する単語は「携帯ゲーム機」です。その後の初出までが、

> 文字数 : 1,530文字
> 原稿用紙換算枚数 : 4枚

となっています。この間、物語世界の文明レベルが曖昧です。一応、「多機能なカード」がもっと前に出ては来るんですが、どう多機能なのかは(主人公にも)よく分からない。中世欧風で魔法のある世界、でも通じてしまいます。

現代でも身近にあるアイテムが「携帯ゲーム機」になります。ゲーム機はすぐに時計機能もあると示され、現実世界でだいたいの時期も察せられます。そこから全体的、かつ具体的にイメージも確定してきます。

読者は文章から映像イメージを再現しますので、基準となるアイテムや描写は、できるだけ早く出すべきです。上記しました通り「携帯ゲーム機」だけでも相当にイメージ確定効果がありますから、ピンポイントな単語だけでも出だしには充分です。

カテゴリー : ストーリー スレッド: 文章を書いてみました

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元記事:ファンタジー作品における人物名について

ファンタジー、異世界を舞台にした作品において、日本人ぽい名前は世界観をこわしかねませんか?
たとえば主人公は外国人らしいジェームズって名前で登場人物の一人は太郎って名前だったりすると変でしょうか?
もちろんふたりは違う国の出身です
ジェームズは西の大国、太郎は東の小国、出身というような設定だと違和感は少ないですかね?

上記の回答(ファンタジー作品における人物名についての返信)

投稿者 にわとり : 0

それを言ったらジェームズだって英語圏の文化と深く結びついた名前なので、考え始めるとその異世界に英語はあるのかとか、キリスト教圏なのかみたいな問題はあるわけです。
もし厳密な意味で異世界風の命名を考えるなら、『指輪物語』のトールキンのように現地の言語を一から創作しなければならないでしょう。でもさすがにそれは労力が膨大すぎるし、設定が緻密すぎると読む方の負担も大きくなります。そこで、なんとなく"英語圏っぽい土地なら英語圏っぽい名付けにする"というお約束が許されているわけですね。なので、その異世界に存在する日本っぽい土地(たとえば『東の小国』のような)に日本人っぽい名前の人間がいることはべつに不自然ではないと思います。異世界の人名に現実世界の命名規則を当てはめているという意味ではジェームズも太郎も本質的な違いはありません。
ただ他のコメントでも指摘されているように、日本人の読者にとって日本語はあまりに馴染みがありすぎるので、異世界であることを強調するためにカタカナ表記などで適度に異化効果を狙ったほうが小説としてのおさまりが良くなる可能性はあります。あとは、海外文学によく出てくる違和感のある日本人名(『高い城の男』のタゴミとか、『ニンジャスレイヤー』のラオモト・カンとか)みたいな命名も平行世界の日本っぽさがあって面白いかもしれません。これも"海外作家の目から見た日本イメージ"というフィルターによる異化効果ですね。
ふと思ったのですが、異世界ファンタジーの執筆は「現実世界に厳密な対応物がない異世界の文物や概念を日本語でおきかえて説明する」という一種の翻訳作業を内包しているような気がします。たとえばジャガイモが(品種改良で作られた作物なので)異世界に存在するわけがなくても、ジャガイモに似た作物があればそれをジャガイモと"翻訳"するし、生態系が違っていて馬そのものがいなくても、それに似た生物を家畜化して車を牽かせていたらそれは"馬車"になります。土地柄や人名も多分同じことで、登場人物の名前の実際の発音というよりは、"英語圏っぽい雰囲気の土地"の”標準的な男性名”として、彼の名前がジェームズと訳されていると考えればいいのかもしれません。日本でも明治や大正の頃は、海外文学の翻訳で登場人物の名前を日本風に訳すということがしばしば行われていたそうですが(『フランダースの犬』のネロとパトラッシュが昔の翻訳では"清"と"ぶち"になっているのは有名な話)、それと同じようなイメージ。リアリティで変に悩んで行き詰まるよりはそういうふうに発想を転換するのがいいような気がします。

カテゴリー : 設定(世界観) スレッド: ファンタジー作品における人物名について

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