小説の創作相談掲示板:小説の書き方Q&A。執筆の悩み相談をしよう!

ミヤゾノ ツバサさんの返信一覧。最新の投稿順3ページ目

元記事:小説が書けません😿この後のストーリー作ってもらえますか?の返信の返信

想像しても、似ているような作品に出来上がってしまったりパクリて言われるのが怖くて自分の想像以外で他人の想像した意見が聞きたかったのです。そもそも、私は読むのが大好きで毎日読んでますが書くとなるとだめです。ただのわがままに聞こえますが‥秘密は結構重要です。
自分の中でストーリーがあるから傷つくとはどうゆことでしょうか‥?やはり、私は小説を書く才能がないのでしょうか?

上記の回答(小説が書けません😿この後のストーリー作ってもらえますか?の返信の返信の返信)

投稿者 ミヤゾノ ツバサ : 0 投稿日時:

のるたまさんってすごく繊細な方ですよね。お若いのかな?

周りの目が気になって、自分がやりたい事ができない書きたいものが書けないって、すごくもったいないような気がするんですよね。
100人中100人に好かれようなんて無理なのと同じに、パクリだと言われないようにするのはまず無理です。
読んでくれる人が多ければ多いほど、一定数の反対意見やアンチは発生します。
どんな有名な作品や作家にだって、「パクリだ」と言ってくる人はいるんです。

私が好きな有名なアニメ監督なんか、若い頃はファンからのアンチ意見が怖くて、一時期精神を病みかけたらしいです。

だったらまず、自分の書きたいものを書いちゃった方いい。
それで楽しんでくれる人がいたらなおいい事じゃないですか。

また、才能とは努力の上に成り立つものです。
ただ足の速い人が、すぐにオリンピック選手になれる訳ではありません。
呼吸法とか筋肉の使い方とか、重心の置き方とか、色々なトレーニングを重ねた上で、(運とかもあって)オリンピック選手になるんです。
確かにどんなに努力しても才能に恵まれない人もいます。

努力した者が成功するとは限らない。
しかし、成功している者は皆努力している。

この名言、結構好きです。

カテゴリー : やる気・動機・スランプ スレッド: 小説が書けません😿この後のストーリー作ってもらえますか?

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元記事:作品と作者の人格

良く作品と作者の人格は分けて考えろ、とは言いますが、Twitterなど素が垂れ流しになっている現代だと、呟きなどの印象からどうしても読むのが無理になってしまったり、なかなか分けて考えるのは難しいと最近良く感じます。

良く交流していた物書き友人もフェミニストばかり叩いているのを見てしまってから読めなくなったりしました。

皆様は分けて考えられるタイプですか?
それとも分けては考えられないというタイプですか?

また上記の友人の様に執拗に誰かを叩いている人にどの様な印象を持つでしょうか(私の心が狭いだけでしょうか?)

色々な考えを聞いてみたいです。

上記の回答(作品と作者の人格の返信)

投稿者 ミヤゾノ ツバサ : 0 投稿日時:

元Vedaです。

過去の偉人や現代の著名人も、何か世間的に素晴らしいことをしていても、性格やプライベートではクズ……なぁんて事は多々ある話で。
個人的に一例を挙げるならば、昔の偉人では野口英世、現代だと2012年に芥川賞を受賞した小説家の田中慎弥氏。
田中氏は芥川賞受賞の記者会見で、「芥川賞をもらっておいてやる」発言した時は、こいつクセ強すぎ。嫌なヤツだなぁ〜と思っていましたが、賞を取るぐらいだから素晴らしい作品を書いているのでしょう。

数年前までは甘粕さんのように、例えば作者が嫌いだと作品も嫌い……と、分けて考えられなかったのですが、去年から分けて考えられるようになりました。

「完璧な人間などいない」という事を悟ったんです。
(そういう風に考えられるきっかけは長くなるので割愛します)

多分人って、何か素晴らしい作品(小説に関わらず)やモノなどに触れると、この作品を創作する人ってどんな素晴らしい人なんだろうと期待を寄せ、まるで非の打ち所が無いような完璧な人間を無意識のうちにイメージしてしまうと思うんです。
ですが、現実のその人を見て落胆する。

でも、どんな素晴らしい作品を創り出す人だって、どんなに素晴らしい功績を残した人だって、私たちと同じ弱い心も汚い心も持っている人間なんですよ。
そう思うと、なんか人間って面白いなぁと思うようになってきました。

ただ、人対人なので、相性が合う・合わないはあるかと思います。
私も、どうもこの作家の(人を叩く)人間性は好きになれないから作品も今はもう好きになれねぇな。と思う人はいます。
かつては好きでその人の作品をたくさん読んでいたのに(笑)
でも、10代後半の頃その作品に出会ったおかげで、凝り固まった思考がその人の毒(?)によってうまい具合中和され、今の私が居ると思うと、「あの時あの作品に出会ってよかった(今は嫌いだけど)」と思っています。

今、読みたいと思うものを読む。それが1番だと私は思うんです。
読みたく無いものをいやいや読んでも、身にならないと思うんですよね。

カテゴリー : その他 スレッド: 作品と作者の人格

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元記事:脚本の面白さを知るには?

小説の書き方というより読み方の話になります。

周囲の友人はソーシャルゲームのストーリーにハマっているのですが、自分はそういったゲームのストーリーにいまいちハマることができません。
絵はパターンで決まっているし、地の文はないし、声は時間を食うしで、どうも自分がそうした(特にシリアスな部類の)ストーリーを「魂から」楽しんでいるような感じがしないのです。

自分はとある書籍(何とは言いませんが)を読み、漫画の読者はジャンルごとに異なる眼鏡を持っていること、訓練によってそれを克服できることを学びました。そしてその訓練によって、今まで苦手としてきた漫画をはじめて「魂から」楽しめた気がしたのです。

ソーシャルゲームのストーリーは、漫画や小説のように個人個人の意識が演出に反映されるということが、ほぼ無いように感じます。
自分が読んだ書籍は漫画をいわばテクストとして扱うものであり、漫画になんらかの演出が施され、視点となる人物が用意されていることをほぼ前提としているため、複雑なカメラワークや地の文での比喩などを使うことのできないソシャゲのストーリーを分析することには向かないように思えます。

そのような「ソシャゲのストーリー」(もしくは「戯曲」とでもいうべきモノ)は、読者が自らそれを脳内で演出する権限が強くなると見ることもできますが、それはどこまでいっても「公認されないごっこ遊び」であって、「自分は今椅子として提示されたもの(もしくは使い方の決まっていないモノ
)を勝手に自分で机として使っているのではないか?」という不安が拭えないのです。

何かこうした(演出のない)「脚本それ自体の面白さ」もっと言えば「脚本それ自体でキャラクターを好きになるということ」を(おそらくは読書の終わった後に熟慮することなく、自然と)体験できるように自分の眼鏡を変えることについて、何かヒントになるようなことは無いでしょうか?

上記の回答((Al化の前フリかなぁ…??!))

投稿者 ごたんだ : 0

頭蓋骨は大事にしようぜっ!!!?
そら、編隊の入り口でサイボウズの入り口でもあるからっ!!!?

カテゴリー : その他 スレッド: 脚本の面白さを知るには?

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投稿日時:

元記事:作風の変化を実感したら

どうも度々お世話になっております。マリン・Oと申します。
最近プロットの候補を多く作るように意識し始めました。
というのも実は最近TRPGのGMをするようになったから、ストーリーを作る趣味が新しく増えたのですよね。(使用しているシステムはソードワールドです)
そこでプロットの草案を多く考えるようになっているのですが、ストーリーの作風が小説を書き始めた頃と比べて大分変化しているのです。
初期の習作はアクションシーンに力を入れた明るい作風なのですが、今は面白いものを書こうとするとどうしても人間ドラマの要素が強くなってしまいます。
まあ、そもそも小説はアクションものに向いた媒体ではないのですから、別に自然なことなのかもしれません。
作風の変化を感じるのは自然なことなのでしょうか?

上記の回答(作風の変化を実感したらの返信)

投稿者 サタン : 2

自然なことだと思うし、良い変化だと思います。

アクションは小説には不向きとは言えやはり男性読者層に好まれますから、そこに力を入れるのも良いと思います。
しかし、アクションが小説に不向きなのは「アクションそれ単体」では小説として成立しないためだと思っています。漫画でも映像でも「キャラが動いて何かのアクションをしている場面」ってそれだけでサマになるし作品として成立する。
けど、小説で同じことをしても「で、これは何が言いたいの」って感じにしかならない。
だから小説でアクションを書く場合は物語に添える形になる。

一方で人間ドラマは映像やイラスト以上にキャラクター(の内面)を描写することが得意なため、小説にとても向いてる。
しかし、人間ドラマというのは当たり前だけど「人間同士のドラマ」なので読者に他者への理解が必須で、この感性が未熟な10代やそれ以下の年齢の読者には、正直ウケが悪い。
キャラクター同士がいがみ合ってる理由などが理解できなきゃ、その口論の様子も面白くないからね。
人間ドラマというのは登場するキャラクターに依存して比較的対象年齢が高くなりがちです。
要するに、派手さがない。
いやまあ、工夫次第でどうにでもなる事ではあるんだけど。

で、その工夫の一つとして、人間ドラマとアクションというのは非常に相性がいい。
人間ドラマという物語をアクションって添え物で彩るとアクションに深みが出るし物語が華やかになる。
作風の変化は実際に読み比べてみないとわからないけど、書いてるモノの変化については変化と言うより次のステップに進んでいるため変わっただけ、という印象を得ます。
いまは人間ドラマのコツを覚えて、しばらくしたらアクションを加えて彩りを良くしていけば良いのではないでしょうか。
もちろんそのまま人間ドラマ一本で行く道も良いと思います。

カテゴリー : ストーリー スレッド: 作風の変化を実感したら

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投稿日時:

元記事:小説の台詞について

小説のセリフについて、
主人公が対立しているギルドマスターを殺すと発言したりするのですが、ラノベ読者はこれを見て少々やりすぎなんじゃないかなあとか思わないですか?

ラノベ、漫画ではたとえ対立している相手でも殺すと発言するのはダメですか?

上記の回答(小説の台詞についての返信)

投稿者 手塚満 : 1

判断基準に疑問があります。文脈がないと判断できない事項を、単語レベルで考え込んでしまってないでしょうか。繰り返しですが、気にされているのは文脈から切り取った断片でしかありません。しかも、フィクションではよくある台詞の欠片でしかないです。

ですので、たとえ主人公でも、「殺す」と言っただけではなんともいえません。というか、それくらい当たり前、くらいな数の事例があるはずです。だってフィクション内であり、リアルで誰かに言い放つわけじゃないんだから。

問題が出るとしたら行動のほうでしょう。本当に殺したのか、相手はどんなキャラか、動機・方法・理不尽さの程度等々が主人公のキャラに即しているか、とかでしょう。殺害自体は、やはり当たり前にある、くらいの事例があるはずです。物語なんですから、殺しも盗みも発生して、しかしリアルの警察が逮捕に来るとかはあるわけない。

フィクションでは何でも自由にやれます。問題は、その行動・言動が(ニュアンス等含めて)そのキャラに即しているか否か、です。次いで、無駄か否かも大事。キャラにそぐわないならやめておく、そのキャラっぽいが無駄ならできるだけやらない(キャラ特徴の描写とか例外はある)、キャラに適していて物語的に効果が見込めるなら積極的にやる。原則としては、その程度です。

カテゴリー : ストーリー スレッド: 小説の台詞について

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投稿日時:

ライトノベル作法研究所管理人うっぴー /運営スタッフ:小説家・瀬川コウ:大手出版社編集者Y - エンタメノベルラボ - DMM オンラインサロン

プロ作家、編集者にアドバイスしてもらえる!勉強会で腕を高めあえる!小説で飯を食べていきたい人のための創作コミュニティ。学生には交通費1000円を支給。

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