初めまして、皆さん。渋谷の野良犬と申します。
最初に一言断っておきますが、小説執筆について悩んでいるのは僕ではなく、小説家を目指している僕の友人です。僕は彼の夢を真剣に応援していますので…。
彼とは、個人的にも交流があり、お互いに持っている漫画の貸し借りなどをしたりしているのですが、先日貸してた漫画を返す際に「気になるシーンがあってそれがどうしてもわからない」という事を言ってきました。
それは、長い事家を離れて旅をしていた主人公が、やっと家に帰ってきて久しぶりに学校に顔を出したものの、幼馴染であるヒロインがヒロインの従兄弟と付き合うようになっていた事を知って、ショックのあまり(彼女に対してだけは素直になれない性格から来る照れ隠しや、思春期特有の強がり、従兄弟に対する嫉妬もあって)「俺はこいつの事なんか別に何とも思ってねぇや!付き合いたきゃ勝手にすりゃいいだろ!!」と暴言を吐いた場面でした。
僕が主人公がなぜこんな事を言ったのかについて説明して、やっと納得がいったようですが、どうも小説執筆などでも、自分がヒロインとの恋愛のシーンを書く事は、からっきし苦手であった事が判明したのです。
僕も昔は漫画が好きだから漫画部に所属してみたものの、自分の絵の下手さとストーリー創作能力の無さに唖然として、その道には見切りをつけた経験があるので、話を考える事の大変さはよくわかっているつもりです。
その後、よく話してみると彼は「自分の書く作品はドンパチやるか。物事を理論的合理的に進めていく考え方に基づいた産物」と言っており、人間の感情があまりよくわかっておらず、小説を書く時も作者である自分の目線に基づいた主観的なものばかりだったのです。言い換えれば、キャラの目線になっていないのです。
詳細は言えませんが、実は彼は今も住んでいる山の中にある田舎で、幼少期に同級生や教師に酷い目に遭わされた経験から、人間不信の強い所があり人付き合いがあまり得意ではないのです。
その頃のトラウマを思い出した時に、語気が荒くなって他者に対して不信感を剥き出しにしたり、極度に敵を前にしたような身構えた態度を取ったり、自分の好き嫌いを基準にしたモラルとはかけ離れた極端な考え方をしたりと、人としてそれはどうなのかと思う部分もありました。
もしやと思って、自分自身が女性の誰かを好きになったり、告白したり、付き合ったり、別れたりといった恋愛経験がないのか聞いてみた所、やはりなかったようです。本人曰く、人を愛するという感情が欠落までとは言いたくないけど、閾値レベルにないのかもしれないと言っています。
そのためか、ストーリーを考える際に頭の中で女性というものが動いてくれず、他の人の作品の萌えキャラに心を動かす事はあっても、現実の女性はおろか、自分で書く段であってもヒロインを動かせないのは、自分の作家として致命的な弱点だと仰ってます。
やはり、ここは何かしら創作の肥やしや引き出しを増やすために、彼に恋愛ドラマや映画を見せたり、現実に女の人と関わらせるようなレンタル彼女を借りてデートをさせたり、何か異性と触れ合うことのできるサークルに参加させるなどして『女性の目線と考え方』を彼の中に落とし込めればいいのでしょうか?
皆さんはどうすれば、彼はヒロインや女性を小説執筆で動かせるようにしていけると思いますか?
ご意見、お待ちしております。
この掲示板でも類した質問があったりするわけですが。
> 『女性の目線と考え方』を彼の中に落とし込めればいいのでしょうか?
これが支障になってるんでしょうね。こういう考え方に陥っているのも類例質問にありました。個性的であるべき作中のキャラを「女性」で十把一からげにしてしまう弊害です。現実でも「あなたは女性だ。女性はこう考え、こう言うべきものだ。然るにあなたはそうしていない」とか言い出したら、大問題引き起こしかねないでしょう。
大分類から個別を規定するのは悪手なんですよ。仮に平均的、代表的な「女性」を想定しても集団的なものに留まり、個々人については無意味です。個々人を考えるなら、個々人を見ないといけません。フィクションのキャラでも同じです。
1.キャラを抽象化すべきではない
人間を男女に分類するのはいいでしょう(とりあえずマイノリティといったことは置いておいて可)。が、例えばスレ主さんが男性だとして「男性の目線と考え方」を身に着けていると言えますか?
その「男性の目線と考え方」で、自分の創作の男性キャラが頭の中で動いてくれますか? もし、お出来になるとしたら既に天才、ないしは熟練者です。その要領で女性キャラも動かせます。ご友人も同様です。
が、普通はそんなことない。動かそうとするのが男性キャラだとして、「リアルのどこにもいない、ある作品の中だけにいる、たった1人のキャラ」ですよね。そのキャラを「男性」という記号に埋没させたら、動かそうにも動かせませんよ? ましてや「動いてくれる」には決して到達しません。
2.キャラは「この世にたった1人」の個性を持つから動かせる
物語を進めるとして、「この男性キャラなら、この場合にはこうするだろうか?」「この男性キャラなら、あの女性キャラにこう言うだろうか?」等々と悩んで、ストーリーを進めたり、ドラマを発生させたりします。「あの男性キャラならこうはしないかもしれないが、この男性キャラならやりかねない」とか思いつつ、想像を巡らせるわけですね。
もし「男性なら、この場合にはこうするだろうか?」「男性なら、女性にこう言うだろうか?」等々だとどうでしょうか。どうキャラを動かしていいか、分からなくなります。行動を起こす源泉たる個性が消えるからです。さらに「男性なら、この場合にはこうべきか?」「男性なら、女性にこう言うべきか?」みたいに迷妄が深まってしまいもする。特定の、たった1人のキャラなのに、そのキャラの属性のごく一部に過ぎない情報に、キャラの命である個性が埋没してしまうわけです。
3.個性において、性別は下位の属性でしかない
ですので、「この女性キャラならどうするか?」で「女性」に注目してはいけないわけです。むしろ「女性」を無視して考える。「女性」でキャラの性格特徴設定はできません。キャラ設定は、例えば「怒りっぽい」としてみたりするわけですよね。それですら具体性を欠いてキャラを動かしにくいので「額が広いと言われたら激怒する」とか、もっとピンポイントな特徴に仕上げていきます。そうなった原因エピソードも想定したりする。
そうするとキャラが動かせる(こういうときに、このキャラはこうすると想像できるようになる)。動かしているうちに、キャラ自身が動くような感覚を覚えることもあります(いわゆる「キャラが走る」)。そうできるのも「世界広しといえども、この作品だけの、たった1人のキャラ」だから。「性別」「世代」「職業」等々の属性、肩書をキャラ本来の個性の前面に出してしまっては、決してキャラは動きません。
3.たくさん読んで、たくさん書けばいい
しかし、無手勝流で想像してキャラを動かせるかといって、やはり難しいということはあります。小説書きのコツはよく言われる1つにして基本中の基本が「たくさん読んで、たくさん書く」です。インプットは書くために必要です(現実の経験からではないことが大事かも)。アウトプットは読者からのフィードバックを得るために必要です(このまま進むか、修正かけるか等)。
4.何かが分からないとしても問題ではない
ご心配事は、分かる人には分かるんだけど(もしかしたら8割がたの人)、ご友人には分からないシーンがある、ということでしょうか。別にそれでいいんじゃないでしょうか。それが現時点での作者の個性の一部です。スレ主さんには分かるけど、ご友人には分からないとして、取り立てて言うほどのことではありません。
そんなこと、たくさんあるはずですから。ある人には分かるけど、別の人には分からないなんて普通にあります。無難な例を考えてみると、「納豆大好き、匂いかいだだけで食欲がわく」という人もいれば、「目の前で納豆食う人がいただけで食欲がうせる、あの臭いは吐き気がする」という人もいます。どっちかが正しいなんてことはない。
このシーンのこのキャラの気持ちがよく分かる、という人もいれば、このキャラってバカなのではないか、と思う人もいて、少しもおかしくありません。しかし幸いなことに、ご友人はスレ主さんが説明してみると、手間はかかったものの、納得できたわけですよね。
5.自分が実感できずとも、可能性を感じ取れるなら充分
おそらく「そういう気持ちになる人もいるのか」くらいでしょうか。現実の気分としては持てないけれど、可能性は分かるといったところでしょう。それこそ、創作の大事なポイントです。可能性を理解できるなら充分です。可能性が理解できるなら、キャラの動かし方として普通にして基本である「このキャラなら、こういうときこうする/こうはしない」を考えるのが可能になってきます。
納豆の例えで続けると、基本的には臭いんです。発酵食品はおおむねそういうところがある。が、消化がよく、発酵によって発生したいい成分もあったりするわけですね。すると、食ってから何時間か後の体調はよくなる。そういう経験で納豆が好きになっていきます。しかし、納豆の成分が他で充分に摂取できているなら、納豆の恩恵は感じず、嫌な臭いしか分からない。納豆の好き嫌い一つとっても、個々人の習慣~生活史が影響しているわけです。言い換えると、生きていくための個性です。
6.これは分かる、あれは分からない、も作者の大事な個性
シーンが分かる/分からない(さらに、好き/嫌い、等々)とて同じです。その人の今までの経験に裏打ちされた感覚です。そこを否定したら、その人を否定し、能力を損なうことにもなりかねません。
分かろうとしても分からないなら、それでいいのです。それでも気になって、分かる人の説明を聞く気を起こしたら、もう充分です。さらに説明を聞いて分かる部分も出たら幸運です。でも、幸運はいつもは起こるわけではないから、幸運であるわけです。
7.(結論再掲)各キャラ個人の個性が大事、属性は参考程度
ですので、キャラが女性だからとか、とりあえず忘れたらいいです。代わりに「このキャラだから」にしてはどうでしょうか。そうするために(とりあえず)必要なことは、もうご友人は持っているでしょう。ピンポイントに「このシーンが分からないようでは」とかで『矯正』にかかるべきではありません。作中のキャラの個性を形作るのは、作者の個性だといってもいい。「たくさん読む」が為されている限り、作者の個性を損ないかねないことは避けるべきです。
なお、作者本人の性格とか実生活の経験とか、どうでもいいことです。読者に見せるのは作品ですんで。