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訂正(元記事)
>「神視点」ではなく「視点を誰にも固定しない三人称」と意識したほうが良いと思う。
ちょっと不親切な書き方だったので訂正。
「視点をキャラクターに固定しない三人称」
三人称の特徴はなんと言っても視点の自由度なので、一人称でも視点主がいない場所の描写は出来ないことはないけど、三人称は一人称には決して出来ない「モノ視点」という芸当ができますから。
まあ、モノに人格を与えれば一人称でも出来ますが、確か宮部みゆきの「長い長い殺人」がそんなんだっけ、そういや「吾輩は猫である」も人格アリの猫視点か。しかし、人格なしの「モノ」の視点の三人称だと当然のこと感情も独白もないので、これまたパッと見で神視点との差が微妙なんですよね。
よくあるものでは鳥や猫など動物の視点から風景を書いたりするシーンなどですね。タイトルが思いつかないけど「場」に視点を合わせる作品なんてのも、たぶん心当たりあるんじゃないかと。
まあ、言い方を変えればこれは「そういう場に舞台を固定した神視点の作品だ」と言えなくもないわけですが。
訂正の返信
投稿者 t-log 投稿日時: : 3
聖書については、サタンさんと同じく私も旧約聖書ですが、半分ぐらい読んでました。
神視点の例に出されていたので、「あれ、あそこって一元視点じゃね?」と思い当たる個所を、改めて拾い読みしました。結果、ぽいのが「カインとアベル」微妙なのが「ノアの箱舟」だけだったというわけです。
どちらも短い物語ですから、一元視点と断言するには無理がありますね。
神視点について、私は単純に「俯瞰で見た視点」と捉えてます。それを「神」と表現しているだけだと。結局、その「神」という表現が、様々な解釈を生み複雑な理論に繋がってしまっているんではないだろうか、と考えてます。
私見ですが、視点の問題ってルールではなくテクニックなんだと思ってます。
視点が固定されていようが、目まぐるしく変わろうが、神視点だろうが、読みやすければ何でもいい。
ただ、頻繁に視点が変わるのは、読んでいてわかりづらい。神視点を使いこなすのは難しい。
だったら、視点を完全に固定するか、変えるならわかりやすい方法をとるかのが、良策ではないか。
視点問題は、そこに集約されます。
サタンさんをはじめ、皆さんちょっと難しく考えすぎじゃないですか。
追伸
宮部氏は大好きな作家さんで「長い長い殺人」も読みました。
なんて言いながら、ずいぶん前なので記憶が曖昧なんですが、各章いろんな人の財布が擬人化された語り部の、一人称小説だったと記憶してます。
カテゴリー : 文章・描写 スレッド: 神視点での小説の成功例