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神視点での小説の成功例 (No: 1)

スレ主 あいうえお 投稿日時:

 まず、現在私は三人称多視点の小説を創っているので、この質問は「神視点の小説は読者の混乱を招きやすい」という定説に触れることなく、誰が見ても秀作だと思わせるような神視点の小説への興味、から出たものです。
 ということで、その存在の有無と、「秀作」があれば作品の題名を是非教えてください。興味を持ちましたら、今後読ませて頂くかもしれません。

カテゴリー: 文章・描写

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神視点での小説の成功例の返信 (No: 2)

投稿者 サタン : 2 No: 1の返信

投稿日時:

神視点は定義が微妙なので、多視点なら神視点として考える人も(プロアマ問わず)います。
神と作者の堺が曖昧で差別化しにくいために「作者の語りで書いている」ものは神視点と大差ないわけです。

まずは「三人称」とは何か、を説明してみます。
三人称とは「第三者の語り」による物語です。これは「物語に対して第三者」という意味で、すわち「物語と関わりのない何者かが語り部になっている」という事です。
いくら作者であっても、作者自身を物語に登場させない限り物語の中の人物に直接干渉できないし物語に登場しない存在は、物語にとって「第三者」になります。
そういう存在による語りは全て三人称と言われます。

しかしそれで語ると、例えば昔話のように「一方その頃◯◯は~」と、視点を飛び越えた語り口調になってしまったりします。
昔話程度なら問題ないけど、例えば「Aさんはこうして死にました、Bさんも死にました、生きてる人は誰もいなくなりました」といった場合、「誰も生き残ってないのに、どうやってその話が伝わったの?」という事になります。
ようするに作り物なのがわかっちゃうし、いうなればリアリティがなく物語に対して没入感がなくなってしまう。
そこで考えられたのが「視点」という概念で、これを終始誰か(あるいは何か)に固定する、視点を作者や神から登場人物に移したほうが良い、と考えられました。
そうして今の三人称一視点や多視点があります。

神視点は何でも書けると思いがちだけど、個人的な見解で言えば、逆に何も書けない手法だと思います。
なぜなら、登場人物の視点に出来ないからです。神の視点なので。
神は登場人物全ての心情を知っているけど、それはあくまで神を通して語ることが出来るだけで、登場人物の視点にすることは出来ません。
つまりは物語の外側にいる第三者という客観的な立場からの言葉しか書けないので、「何でも書ける」と思ってるような事は何一つ書けないと思います。
おそらく、神視点で書かれた小説で世界的なヒットを飛ばした作品は「聖書」じゃないかなと思います。
作中の「神」は登場人物の一人だけど、語りは筆者による口語なので「登場人物の視点にはならない第三者の筆者による語り」という手法的には神視点のソレです。

聖書が神視点だと聞いてなんとなくわかったかと思いますが、そもそも神視点で書くなら多視点で書かない理由がないんですよ。
横にガソリンエンジンがあるのに蒸気エンジンを実用的なものにするには、と言ってるようなものです。
もちろん、それでもボイラーが現役であるように、部分的に神視点にすることはあります。
例えば劇中劇であることを印象付けるために「登場人物以外の何者かによる語り」を投入したり、などですね。

そのうえで多視点を中心として神視点のように複数のキャラクターの心情などを書いていくテクニックもあるにはありますが、気をつけることが多くて非常に面倒くさく、上手く書けても混乱を招きやすいため「作者が視点の扱いを理解していない」と評価されがちです。
多視点を神視点と言う事もあると書きましたが、まあ、ちょっと言葉悪く雑な言い方をすれば「多視点の出来損ないを神視点と言って皮肉ってる」ということもあると思います。
または多視点=神視点と考えてる人の記事や本を読んでの事かもしれません。
これは、最初に書いたけれど、神と作者の違いが曖昧なので、いまはもう文章的に多視点=神視点と言っても具体的にどこがどう間違いなのか指摘しにくいため、認識を誤ってるとも言えないと思います。

そんなわけで、広い意味で神視点=多視点と考えりゃ参考は腐るほどあります。
視点の扱いを理解してる人の神視点はもう多視点と同義なので。
エンタメを意識したラノベよりも一般文芸や純文学の方が多いと思う。
正確に「神の視点で書いている」という作品を挙げるなら、聖書など技術的に古い作品しか存在しないと思う。
ようするに、「視点」の概念が薄かった頃の三人称作品だね。
小説という媒介に拘らなければ、落語や漫談など「語り手」が実在するものでは神視点(語り部視点)が現在も使われています。

神視点での小説の成功例の返信の返信 (No: 5)

投稿者 シン : 2 No: 2の返信

投稿日時:

回答ありがとうございます。
やはり、神視点は不合理なようですね。
「聖書」は神視点なのですか。まあ、正直な話、流石にそれを読む気は毛頭湧きませんでした。(笑)
神視点に関する様々な説明ありがとうございました。

神視点での小説の成功例の返信 (No: 3)

投稿者 ヘキサ : 1 No: 1の返信

投稿日時:

神視点非推奨派のhexaですが、イマドキのライトノベルでしっかりと神視点の特性を使いこなせているものをひとつだけ、上げてみます。

お月様(なろうの女性向けR18)なので直リンクは避けますが葉月クロルさんの「黒いおみみのうさぎなの」です。これはもう「この神ナレーションの語り口でなければ笑えない」レベルのキレのあるツッコミが売りですので、今どき神視点を使用しよう、という気概のある人はここまでこの「傍観者視点の売り」をしっかり意識していなければ失敗するくらい危険なことは重々承知の上で使用を決意してください。

この方は他の作品も人気が高いので、まずは他の視点を充分に使いこなせるようになってから、でなければとてもお薦めできるものではありません。くれぐれも安易に真似しようとは思わないように、しっかり覚悟を決めてください。

神視点での小説の成功例の返信の返信 (No: 6)

投稿者 シン : 1 No: 3の返信

投稿日時:

回答ありがとうございます。
>「この神ナレーションの語り口でなければ笑えない」レベルのキレのあるツッコミが売り
まあ、純然でない神視点の通用なのでしょうね。
やはり不合理っぽいですね~。ちなみに私は、神視点で創ろうとは露も考えていないので大丈夫です(笑)。
作品の紹介ありがとうございました。

神視点での小説の成功例の返信 (No: 4)

投稿者 藤谷要 : 1 No: 1の返信

投稿日時:

こちらの記事に視点について触れているんですが、
映像化を意識した作品だとカメラ視点(神視点?)で書かれることが求められるみたいですね。
https://www.koubo.co.jp/reading/rensai/article/wakasaki/wakasaki_1403.html
おススメの作品も載っていたので、
参考になれば幸いです。

神視点での小説の成功例の返信の返信 (No: 7)

投稿者 シン : 1 No: 4の返信

投稿日時:

回答ありがとうございます。
紹介してくださった記事は、的を射ていて良かったです。
ここから、一作以上の発見を進めていきたいと思います。
的を射た回答ありがとうございました。

神視点=作者の知識と主観が地の文に入り込む (No: 8)

投稿者 あまくさ : 1 No: 1の返信

投稿日時:

多視点と神視点は少し違います。多視点は単に複数の視点という意味ですが、神視点というのは作者が知っていることは何でも書いてしまうということです。その中には複数のキャラの心情なども当然含まれますから多視点に似ていますが、事件の背景となる事柄とか、SFだったら特殊な物理法則だとか、あるキャラとキャラが仲が悪い理由の解釈だとか、過去の出来事だとか、遠い将来に主人公が遭遇する運命だとか、もう何でもかんでもです。
「そんなに何もかも知ってるやつなんて、神様だけだろ?」という多少の揶揄をこめて、「神視点」と言うんですよ。まあ、そこまで行かなくても、作中のキャラクターから遊離した知識や主観が入り込んで来がちなのが神視点の特徴です。

例えば小説ではないですが、『ちびまる子ちゃん』ではナレーターがやたらにキャラの行動につっこみを入れるでしょ? あれは誰がつっこんでいるのかよく分からないから、一種の神視点です。ああいう手法、マンガやアニメだとわりとマッチするようですが、三人称の小説の地の文であれをやると鬱陶しくなると思います。ラノベの場合、一人称ならよくありますよね? 一人称ならつっこんでいるのも登場人物の一人なので、そういう性格のキャラとして設定してあれば違和感がないんです。

映画やアニメを含む物語の形式の中で、「地の文」というのがあるのは小説だけです。いわゆる「カメラ視点」とも微妙に違う小説だけにある要素で、ここに作者の主観が入り込むのは要注意。これが神視点の最大の問題点です。
繰り返しますが一人称では地の文もキャラ描写の一つになるので、ここに入る主観は作者や神の主観ではなく語り手キャラの主観ということになるんですね。だから大丈夫なんです。

ということで。
シンさんがやりたいことが単に「複数視点」であれば、注意点はシンプルです。視点が切り替わる部分を分かりやすくすることと、特定のキャラに感情移入させにくいというデメリット。主にこの二つでしょう。
しかし、上で説明したような神視点をやりたいのなら、かなりのセンスと実力が問われます。
昔のエンタメ小説にはむしろ多かったですけどね、神視点。これが得意な人は、地の文に味を出せる人、雑多な内容をまとめ切れる腕力のある人です。
『国盗り物語』や『竜馬がゆく』のころの司馬遼太郎作品は、そんな感じでした。(後年の司馬作品は作者の歴史観を延々と書き綴る随想のような感じで、ファンじゃないととても読めません)

神視点=作者の知識と主観が地の文に入り込むの返信 (No: 9)

投稿者 シン : 0 No: 8の返信

投稿日時:

回答ありがとうございます。
やはり、定説は定説ですね。あと、私は神視点での作品は創るつもりは毛頭ありませんので、大丈夫です(笑)。
昔のエンタメ小説には神視点の小説が結構あったのですか。全く知りませんでした。
司馬遼太郎の作品ですかぁ......。正直、全く関心はありませんでしたが、2冊程持っているので、後年かどうかは知りませんが、取り敢えず読んで確認したいと思います。
神視点に関する説明と、その他の説明ありがとうございました。

神視点での小説の成功例の返信 (No: 10)

投稿者 あざらし : 2 No: 1の返信

投稿日時:

ご質問を拝読し、ちょっと切り口を変えてみます。
流れとして一人称を飛ばせませんので、冒頭で一人称が混じりますがご容赦を。

小説の人称ですが、ほぼ全てが一人称か三人称ですよね。もちろん二人称小説もありますし、実際に名作も存在しますが”極めて特殊な物語”に限られます。

ところが小説以外の物語となると、三人称が基本、というかほぼこれだけです。
映画も漫画も一人称っぽいのは、小説で言うところの三人称単一視点のカメラ位置(ちょい変化)である作品ばかりです。
小説以外で一人称が多数派をしめる物語というと、これも小説の延長線ですがノベルゲーぐらいでしょうか。
それぐらい一人称というのは小説ならではです。

例えば、よくありますが一人称で書かれたラノベをアニメ化したケース。
これもカメラ位置を主体にいえば、アニメ化するために三人称単一視点(っぽいもの)に変化させています。
理由は簡単で、一人称は映像化するのに無理がある。
一応、実際にやった映画もありますのでご紹介を。
【2015年ハードコアhttps://www.youtube.com/watch?v=vP2b4PiXSqQ】
好き嫌いは別にして、観客を主人公と同化しようとする試みですね。

言い方を変えれば『一人称は、一人称で無ければ語れない物語』もあります。
物語での約束事、これを逸脱すると、物語をゆがめて大失敗してしまうケースがチラホラしてきます。
個人的な感想ですが、有名どころでの代表格は【涼宮ハルヒの憂鬱】のエンドレスエイト。(超有名作ですが、今となっては年月も経っていますので、未読・未視聴であれば【エンドレスエイト】でググってみてください。当然ネタバレですので今後楽しむ予定があればお勧めしません)
原作小説では主人公はループする時間を知り得ませんし、読者も物語の結末まで時間が繰り返されていることを知りません。
理由は一人称だから。つまり視点人物が知り得ない情報は読者も知り得ないのが一人称です。
ところがアニメでは、同じ内容を演出を変えて何度も放映するという暴挙をやらかしてます。

視点人物が知り得ないことは、読者もまた知り得ない、という物語の土台にまで手を入れた結果、悪い方に作用した例ですね。
視点が変わるというのは、物語にも変化を与えます。

冒頭より一人称について実例を交えて書きましたが、小説という枠を省いて、物語として見ると、三人称を選択されるというのは自然な展開でもあります。
『三人称多視点』
これは、主人公が知り得ない情報、主人公が不在である場所の出来事、これらを物語に組み込む上で必要になってくる書き方です。
『神視点』
人によって解釈が色々ありますが、心情・内面をベースにすると、心理に自由に立ち入るか、もしくは全く立ち入らないかのいずれか。
これを区別していないと、

>「神視点の小説は読者の混乱を招きやすい」

こうなります。
もちろん他にも様々な原因がありますが、もっとも「やらかしてる」パターンが多いのはコレ。登場人物の心理。
私は単なる読者なんですが、ちょい例を。

主人公太郎くんに、ヒロイン華子ちゃんが予期せぬ告白をするシーン。と、しましょう。
シナリオ風に書くと、
―― 告白シーン
華子、太郎の手を握り、告白する。
こうですね。監督や役者さんが(物語全般と、それまでの関係性を考え)演技をつけます。

これを文章にすると、
1)突然、手を握られて太郎は驚いた。華子は恥ずかしさを押しとどめるように口を開く。
2)突然、手を握られて太郎は口をあんぐりと開けた。華子は恥ずかしさを押しとどめながら言葉を絞り出した。

と、まぁ例文なんで面白み皆無なのはお許しを。
1)は太郎の心理に立ち入った場合。「驚いた」わけです。華子ちゃんは「押しとどめるように」(太郎が)見た。
2)が華子の心理に立ち入った場合。「恥ずかしさを押しとどめた」わけです。太郎は「口をあんぐりと開けた」(華子が)見た。

誰の心理にも入り込まないと、
3)突然、手を握られて太郎は口をあんぐりと開けた。華子は恥ずかしさを押しとどめるように口を開く。

なんか、字面がグチャグチャしますね。
内容も、よく言えばサッパリしている、悪くいえば何も引っかからない。
総括して読みにくい。

両者ともの心理に入り込むと、
4)突然、手を握られて太郎は驚いた。華子は恥ずかしさを押しとどめながら言葉を絞り出した。

混乱というより、いっそ拒否感が出ます。私だって、いくら活字好きでも物語がよほど面白くない限り、もし一般小説でこれをやられたら読めません。
ただ、ラノベの場合『いまからラノベを読む』という心構えがありますので、多少の「やらかし」は許容範囲です。率直には物語の邪魔をしない文章なら読みます。

とりあえず心理面から例をあげましたが、こういう3)や4)を易々とやっちゃう作家さんもいらっしゃいます。

>>「神視点の小説は読者の混乱を招きやすい」

つまり、これは「よほど達者な筆致が無ければ」という条件があります。
ただ『よほど達者な筆致』なだけに、そうでないケースが多数、つまりは定説になっているだけではないでしょうか?

小説で神視点を利用するかどうか。
これも三人称単一視点を基本として、ほぼカバーできるはずです。心理面の問題はシークエンスで視点を切り替えればリーダビリティに影響を与えません。

映画にしろ漫画にしろ、アニメだって物語としての心理面はキャラクターの演技が基本です。モノローグの多様なんて、凡百の手腕ではうるさいだけになっちゃいます。
それでも神視点を利用する作家さんがいらっしゃるというのは、達者な筆致を持った著者がやれば、確かに効果的だからです。
登場人物の内面に踏み込み、その人物の感情に寄り添いながら物語を楽しむというのは、ある種、小説が持つ最も光り輝く魅力です。
人称は物語を主体にして、その物語を最も引き立てる手法が正解なのではないでしょうか。

ということで実例を。
【栗本薫著:グインサーガ】
発行部数3300万部という超有名なベストセラーですね。巻数も化け物ですが、40巻ぐらいまでは(あくまで個人的な話し)夢中になって読みました。
極めてスケールの大きい話しですので、神視点で無ければ、こういった物語にならないという好例かと思います。

文章面でお勧めの著者さんを。
【海老沢泰久著:美味礼讃】
小説としての神視点、の実例ではありません。
というのも基本的にノンフィクション作家さんです。
お勧め作も辻調理師学校の創設者が題材。
あくまで読みやすく、かつ内容の濃い文章を書かれる著者の力量としてご紹介しました。

ではでは、執筆頑張って下さい。

神視点での小説の成功例の返信の返信 (No: 11)

投稿者 シン : 0 No: 10の返信

投稿日時:

回答ありがとうございます。
「グインサーガ」は知っていましたが、神視点だったのですね。また、「神視点 小説」と調べても全く的を射たものが出てこなかったのに、「グインサーガ 神視点」と検索したら、3つくらいの紹介を見つけることが出来ました。
「グインサーガ」はどうやら神視点の小説では有名な方らしいですね。
>登場人物の内面に踏み込み、その人物の感情に寄り添いながら物語を楽しむというのは、ある種、小説が持つ最も光り輝く魅力です。
確かに魅力的だとも思いますね。漫画などは、神視点が多いですよね。
他のサイトも参考にし、取り敢えず「グインサーガ」と他何冊かを、その本の文章の良し悪しが判断出来るまで読んでみたいと思います。
1人称の説明から3人称までの説明、そして神視点の小説の紹介ありがとうございました。

小説の理想形 (No: 12)

投稿者 あまくさ : 1 No: 1の返信

投稿日時:

グイン・サーガの栗本薫さんは、自分は小説の「絶対音感」を持っていると何かに書いていました。どう書けばいいか自然にわかるのだそうです。あの作家の書き方を視点で括れば神視点ということになるでしょうが、たぶんあの人は自分が神視点で書いているというようには意識していなかったと思いますよ。
普通に書いていただけだと思う。

で、この「普通」っていうのがクセモノで。
何事も「普通にやれ」って言われるのが一番どうしたらいいかわからないでしょう?

司馬遼太郎さんも栗本薫さんも括れば神視点になると思うけれど、読んだ印象はかなり違います。司馬さんの作品は文章も内容もクセがつよくて、好きでない人はたぶん鼻につきます。
栗本さんの作品はもっと透明感がありました。これもご本人がどこかで書いていたのですが、「名文を書く気はない。読者が文章を読んでいることを忘れて物語に没入できる方がよい」とのことでした。
神視点なのに読んでいて引っかかるところがなく、すらすら自然に物語に入り込める。そういう書き方ができれば、小説の一つの理想形だとは思います。

小説の理想形の返信 (No: 16)

投稿者 シン : 0 No: 12の返信

投稿日時:

回答ありがとうございます。
他の方も栗本薫の「グイン・サーガ」を例示されていたので、やはり神視点の小説では有名な方のようですね。
<神視点なのに読んでいて引っかかるところがなく、すらすら自然に物語に入り込める。そういう書き方ができれば、小説の一つの理想形だとは思います。
僕も、そういう本を読んでみたいですね。「グイン・サーガ」がそのような本であれば嬉しいですが...…。
栗本薫などの紹介ありがとうございました。

神視点での小説の成功例の返信 (No: 13)

投稿者 t-log : 2 No: 1の返信

投稿日時:

まず視点について基本的なことをおさらいしておきます。

太郎が次郎に近づく場合、太郎視点だと

 太郎が次郎のもとに行った。

次郎の視点だと

 太郎が次郎のもとに来た。

違いは「行った」のか「来た」のかです。よく、一般の読者は視点なんて気にして読んでいない、なんて言われます。が、太郎視点の文章を続けることで、読者は無意識のうちに太郎の視点で読み進み、太郎に感情移入していきます。

もうひとつ例を上げます。

 A 太郎は次郎を殴った。次郎に太郎は殴り返された。
 B 太郎は次郎を殴った。次郎が太郎を殴り返した。

Aは太郎視点で描かれています。ですが「返された」という受動的な表現が、野暮ったく文章のテンポを阻害してます。Bの方がスピード感があり、アクションシーンには適してますね。

ただBは、視点が太郎から次郎に移ってるようにみえます。ですが、そうではありません。実際、三人称一元視点の作品に、よくみられる表現です。これは視点が一歩引いた、俯瞰になってるのです。映像作品に例えると、太郎側から撮っていたカメラが、二人を横から撮るアングルに切り替わったのです。

ここから、また太郎視点に戻れば問題ありません。ですが、次郎視点に移行したり、また俯瞰になって今度は傍観者の花子の心内描写に移ったり。ということを繰り返していると、読者は混乱してしまいます。

視点が移動したことを、文中で示してやれば混乱しないように思えます。が、読者は一言一句、逃さず読んでいるわけではありません。読みやすさを追求するならば、頻繁な視点の変更は避けるべきです。

また、視点の知識を持っている読者は、視点移動に敏感です。文中で示してやれば理解してくれます。むしろ意識していない一般の読者の方が、視点の迷子になりやすいのです。

シンさんは、神の視点ではなく多視点の作品を書いているとのことなので、この視点移動を読者が無意識のうちに行えるよう、注意する必要があるでしょうね。

神視点での小説の成功例の返信 (No: 14)

投稿者 t-log : 2 No: 1の返信

投稿日時:

神視点について。
ひとつ前のレスで挙げた例

 A 太郎は次郎を殴った。次郎に太郎は殴り返された。
 B 太郎は次郎を殴った。次郎が太郎を殴り返した。

Aは太郎視点、Bは一歩引いた俯瞰の視点と説明しました。この俯瞰の視点を続ければ、神の視点の作品になります。
客観的事実を、淡々と書き連ねていけば「神視点の小説は読者の混乱を招きやすい」なんてことにはならないのですが、そうは行かないのが小説です。

三人称一元視点の作品は、視点者以外の心内描写をしてはいけない、なんていわれます。が、これは「心内描写をする=その人物の視点」だからです。

つまり、神視点で複数の心内描写をすると混乱するのは、多視点で頻繁に視点変更するのと、同じことだからです。神視点だから複数の心内描写をしても良い、ではなく、視点が移動しても読者が混乱しない描写を心がけることが大切です。

もうひとつ、神視点が混乱する理由。
ダメ出しみたいになって申し訳ないのですが、あざらしさんの出した例

3)突然、手を握られて太郎は口をあんぐりと開けた。華子は恥ずかしさを押しとどめるように口を開く。

心内描写を排した表現とのことですが、これ素直に読めば、太郎視点ですよね。

神視点の作品で、部分的に登場人物の視点に入り込むことはOKです。
あざらしさんの例でも、前後の文脈次第では、混乱することなく読み進めるかもしれません。

ですが、神視点の例としては、不十分ではないでしょうか。
神視点で書こうとすると、こういうミスが起きやすい。そこが問題点です。

ちなみに、あざらしさんの例文を、神視点にすると

 華子が太郎の手を握った。突然のことに太郎は口をあんぐりと開けた。華子は恥ずかしさを押しとどめるように口を開く。

うーん「突然」が太郎視点になってるかなぁ。難しいですね。

神視点での小説の成功例の返信の返信 (No: 15)

投稿者 シン : 0 No: 14の返信

投稿日時:

回答ありがとうございます。
やはり、神視点は難しそうですね。
<ただBは、視点が太郎から次郎に移ってるようにみえます。ですが、そうではありません。実際、三人称一元視点の作品に、よくみられる表現です。これは視点が一歩引いた、俯瞰になってるのです。
こういうのは確かに普通に良くありますよね。
神視点について詳しい説明ありがとうございました。

神視点での小説の成功例の返信 (No: 17)

投稿者 t-log : 2 No: 1の返信

投稿日時:

皆さんが、神視点の例に挙げていた作品を少しだけですが、読んでみました。

「聖書」
翻訳の仕方にもよるでしょうし、成立したころに視点なんて概念もなかったでしょうから、論じる意味があるのか疑問がありますが、「カインとアベル」なんかはカイン視点と見ることもできます。「ノアの箱舟」も微妙な感じ。でも全体的に見れば、神視点なんでしょうね。

「黒いおみみのうさぎなの」
Web版で確認しました。
イルークレオンの視点から始まり、ミイシャに移動。そのあともちょっと微妙ながらも視点移動を繰り返して、「その5」辺りから神視点になってますね。序盤しか読んでないので、後々また誰かの視点になるのかもしれませんが。
神視点だから読みにくいということは、ありませんでした。むしろ一元視点のところで、視点が揺らぐ方が気になりましたね。
お話はとっても面白かったので、続けて読もうと思います。

「竜馬がゆく」
試し読みで、一章のみ読みました。
神視点ではなく、乙女(おとめ:竜馬の姉)の視点じゃないですか。
当時はまだ、視点について言及されてなかったのでしょう。なので、乙女が居ない場面は、神視点になってますが、心内描写も乙女のみですし、乙女の視点と考えて間違いないと思います。
江戸に旅立つところまでしか読めなかったので、それ以降、誰の視点で語られるのか、わかりませんが。ひょっとしたら、神視点になってるのかもしれないですね。

「ハードコア」
映画の予告映像ですね。実験的な作品だったようですが、数年しか経ってないにもかかわらず、今ならVR作品で一人称映像は溢れてます。時代の移り変わりの早さに驚愕です。

「グインサーガ」
試し読みで冒頭部分を読みました。
有名な作品にもかかわらず、未読でした。これは見事な神視点ですね。
ただ、これも古い作品なので最近書かれたもの、129巻を確認してみました。試し読みできる範囲が少ないので、何とも言えませんが一元視点になってるような。
栗本氏没後に書かれた132巻は、確実に一元視点ですね。

「美味礼讃」は試し読みができませんでした。
私も神視点の作品には興味があったので、たいへん勉強になりました。ありがとうございました。
一部しか読んでないので、誤認があるかもしれません。ご指摘いただければ幸いです。

神視点での小説の成功例の返信の返信 (No: 18)

投稿者 サタン : 2 No: 17の返信

投稿日時:

>「聖書」
>でも全体的に見れば、神視点なんでしょうね。
ごめん。ぶっちゃけ例に出しても読む人いねーだろ、と思って例に出した。実は私も倉庫にあった古いのを半分くらいしか読んでない。
おっしゃる通り視点の概念がない頃の作品なのでハッキリ言って無茶苦茶です。これを神視点だと言うのは難しいでしょう。
単に「視点がない作品は自然と作者視点になりやすく、それは技術としては結果的に神視点に近いものだ」というだけですから。

神視点は神様による一人称視点で書かれた三人称作品だと考えると三人称多視点との違いは見えてきますが、
三人称視点である以上、これは物語の外側にある第三者の視点で語られているという事なので、一元視点も多視点も「その中で誰にスポットを当てているか」という問題でしかないと思っています。
語り部たる第三者を強く意識すれば文章的に、f-logさんが書かれたように「俯瞰で書かれた文章」になり、すなわち登場人物のうち誰の視点にもしないのが純神視点とでも言う作品の特徴だと言えるでしょう。
しかし、それで言うと三人称多視点において「誰の視点でもない場面」というのは往々にしてあるので、これを神視点と定義すると、私の主張である「神視点は古い技術で今は使われていない」は完全な誤りです。

あくまで個人的な解釈ですが、「作者」と「読者」との間に「これどこのカメラ?」とでも言うべき疑問の「視点」が入って、「作者」「キャラクター」「読者」となるのが昨今の技術だと思う。
ようするに視点というのは作者と読者をつなぐインターフェイスなわけですね。
ここに、完全に物語とは関係ない「神」を入れると「作者」「神」「読者」になるわけですが、こうすると作者が直接語れば別にその「神」いらなくね? となるので、近年の「視点」の技術が確立するまでの古い技術が神視点だ、という認識です。
「作者」「視点なし」「読者」という作者の語りで書くものとは別だ、という考え。
もっとも、「視点なし」と「神の視点」はどう違うの? と言われると大きな差はないと思うので(それこそ文章面で些細な違いがある程度だろう。視点のない聖書を神視点の技術として挙げてるし)、いまや多視点を神視点と言う人もいるし、この技術を追うのであれば、「神視点」ではなく「視点を誰にも固定しない三人称」と意識したほうが良いと思う。
……だからそれが神視点だつってんだろ、という話をされてたことはわかるのだけども。

訂正 (No: 19)

投稿者 サタン : 2 No: 18の返信

投稿日時:

>「神視点」ではなく「視点を誰にも固定しない三人称」と意識したほうが良いと思う。
ちょっと不親切な書き方だったので訂正。
「視点をキャラクターに固定しない三人称」
三人称の特徴はなんと言っても視点の自由度なので、一人称でも視点主がいない場所の描写は出来ないことはないけど、三人称は一人称には決して出来ない「モノ視点」という芸当ができますから。
まあ、モノに人格を与えれば一人称でも出来ますが、確か宮部みゆきの「長い長い殺人」がそんなんだっけ、そういや「吾輩は猫である」も人格アリの猫視点か。しかし、人格なしの「モノ」の視点の三人称だと当然のこと感情も独白もないので、これまたパッと見で神視点との差が微妙なんですよね。
よくあるものでは鳥や猫など動物の視点から風景を書いたりするシーンなどですね。タイトルが思いつかないけど「場」に視点を合わせる作品なんてのも、たぶん心当たりあるんじゃないかと。
まあ、言い方を変えればこれは「そういう場に舞台を固定した神視点の作品だ」と言えなくもないわけですが。

人気回答!訂正の返信 (No: 20)

投稿者 t-log : 3 No: 19の返信

投稿日時:

聖書については、サタンさんと同じく私も旧約聖書ですが、半分ぐらい読んでました。
神視点の例に出されていたので、「あれ、あそこって一元視点じゃね?」と思い当たる個所を、改めて拾い読みしました。結果、ぽいのが「カインとアベル」微妙なのが「ノアの箱舟」だけだったというわけです。
どちらも短い物語ですから、一元視点と断言するには無理がありますね。

神視点について、私は単純に「俯瞰で見た視点」と捉えてます。それを「神」と表現しているだけだと。結局、その「神」という表現が、様々な解釈を生み複雑な理論に繋がってしまっているんではないだろうか、と考えてます。

私見ですが、視点の問題ってルールではなくテクニックなんだと思ってます。
視点が固定されていようが、目まぐるしく変わろうが、神視点だろうが、読みやすければ何でもいい。

ただ、頻繁に視点が変わるのは、読んでいてわかりづらい。神視点を使いこなすのは難しい。
だったら、視点を完全に固定するか、変えるならわかりやすい方法をとるかのが、良策ではないか。
視点問題は、そこに集約されます。

サタンさんをはじめ、皆さんちょっと難しく考えすぎじゃないですか。

追伸
宮部氏は大好きな作家さんで「長い長い殺人」も読みました。
なんて言いながら、ずいぶん前なので記憶が曖昧なんですが、各章いろんな人の財布が擬人化された語り部の、一人称小説だったと記憶してます。

人気回答!訂正の返信の返信 (No: 22)

投稿者 あまくさ : 4 No: 20の返信

投稿日時:

神の視点という言葉を最初に使ったのはフランスの哲学者のサルトルです。

(1)彼女は自分の嘘を意識せざるをえなかった。(2)しかし、彼女はこの嘘に安住し、平然としていた。

小説において)こういう文章はおかしいと論じています。
(1)も(2)も「彼女」の心理描写ですが、(1)は客観的であるのに対し、(2)には「安住し、平然としていた」という何者かの「批評」が入り込んでいる。そこに齟齬があるんじゃないかということです。

まあ、哲学者の言うことだから小難しいですよね(笑
ですがこの指摘は世の小説家たちには「痛いところをつかれた」という感じがあったのか、「神の視点」という言葉はあっという間に広まっていきました。一人歩きした末に、今では普通の創作用語になってしまいました。人によって違う意味で使っていることも多いので、注意しないと議論がかみあわなくなります。
サルトルの論からしても、元々は批判的な意味がこめれられた言葉だったと思われます。しかし、肯定的な意味で使う人もいますよね。

というわけで以下はあくまでも私見ですが。

◎三人称一視点 : 小説の手法として、かなり強力なツールだと思っています。一人称よりも客観性を保ちつつ、視点を固定することによって描写に臨場感を持たせることができます。

ただ、三人称一視点は先人の試行錯誤によって洗練されてきた手法であって、三人称としてはむしろ特殊な書き方なのだと思います。今はごく普通になっているので特殊という感じはしませんが。
 三人称で視点を意識するということは、文学史的にはやや新しいんですね。ただ、古い作品でも部分的には見事に三人称一視点になっていることがあります。聖書まで遡れるかどうかは分かりませんが、江戸時代に書かれた『雨月物語』の「菊花の約」にそんなシーンがあったように記憶しています。

◎三人称神視点 : 簡単に言ってしまえば視点にあまりこだわらないということ。だから、部分的にこだわるのも有りです。

・俯瞰的視点
・登場人物の内面に視点が入り込む
・書き手の批評が入り込む

などバラエティに富んだ表現が可能になりまが、安易にやると大抵は読んでいて違和感のあるものになってしまいます。ただ物語性の豊かな作品には、この書き方の方が適している場合があると思っています。

訂正の返信の返信の返信 (No: 23)

投稿者 サタン : 2 No: 22の返信

投稿日時:

哲学者が言い出したことだったのか。知らんかった。勉強になりました。
>簡単に言ってしまえば視点にあまりこだわらないということ。
それを私は一つの方法論として解釈してるから変なんですかねぇ。
三人称一視点:一人称に近づけた三人称。
神視点:三人称に近づけた神様による一人称。
というイメージがあります。
……まあ、白状すれば私も神視点を磨いてた時期があったんですよね。かなり昔だけども。初心者あるあるだと思うけれど、例によって視点の扱いを理解してなかった頃で「漫画のようなカメラワークを実現させたかった」という、なら漫画描けやってよくあるパターン。
それなりに形にはなっていたと自負しているけど、素直に視点の扱いを覚えたほうが良いのも事実でスッパリ止めました。複数のキャラクターに目を向けたいなら多視点で書いたほうがマシだと思った。
結局のところ視点の扱いを覚えないと、というか視点の扱いに長けてないと、視点を理解してない人の作品になってしまうという結論は変わらなさそうですね。
違和感なく神視点を書ける人は、技術や経験というよりセンスや作家のもともとの個性の域かなぁ。

訂正の返信の返信の返信 (No: 24)

投稿者 t-log : 2 No: 22の返信

投稿日時:

神の視点って、元々は批判的な意味でつかわれていたんですね。勉強になります。

私の解釈が間違ってるかもしれませんが、最初の方でサタンさんが例に挙げていた「Aは死んだ。Bも死んだ。そして誰もいなくなった。…ってこれ誰が書いとんねん! 神か!」ってことですよね。この議論、むかし見た覚えがあります。
私はあんまり気にしませんが、「本当にあった○○」みたいなので、これやられると興ざめですね。

三人称一元視点って、誰がいつ頃始めたんでしょうね。
一人称の感情移入のし易さと、三人称の客観性を兼ね備えた、優れた手法だと思います。

多元視点は群像劇を描くには欠かせない手法ですね。章ごとに視点が変わるのは、私見ですが一元視点の応用だと解釈してます。場面転換などでちょくちょく視点変更するのは、混乱を招きやすいので注意が必要ですね。

神視点での小説の成功例の返信の返信 (No: 21)

投稿者 ヘキサ : 2 No: 17の返信

投稿日時:

>イルークレオンの視点から始まり、ミイシャに移動。そのあともちょっと微妙ながらも視点移動を繰り返して、「その5」辺りから神視点になってますね。

確認してみましたが、違いますね。「その3」で既に「イルークレオン、強く生きろ」という地の文がありますよね? これが神視点なんです。この部分がちびまるこちゃんのナレーション突っ込みだと思ってください。

>むしろ一元視点のところで、視点が揺らぐ方が気になりましたね。

たぶんこれが、上記の部分ではないかと思います。「どう考えても笑いを取りに行っている」から私はいいかなと思ったわけで、シリアスで単なる解説でやろうとしているのは面白くなかったりします。

あと「他の作品も一元視点だ」という指摘が多いようですが、つまりうまい神視点の使い手の方は最初はなるべく誰かの視点に固定して、慣れてきたり登場人物が増えてきてから神視点にしているんですよ。だからすんなり入り込めるのではないかと思っています。

ちなみに栗本薫氏も若い頃視点ぶれした作品を書いているのがあってそれを読みましたし、彼女が中島梓名義で道場主を務めていた「小説道場」では、視点の概念をしっかり説明しています。そして、門弟ひとりひとりの技量に合わせて「君にはまだ神視点は勧められない」などとチェックを入れています。おもな理由は「ひとりひとりのキャラクターをくっきり書き分けられているか」などだそうです。

実際、私も昨今のweb小説の普及のおかげで玉石混交状態になったから知ることができましたが、視点ぶれさせてしまったものというのは本当にひどいものです「Aの口からBでなければ言えないセリフが出てくる」などの恐ろしい破綻、キャラ崩壊を目にしたことがあります。率直に言って、世に出ている有名な作品より、そういう恐ろしい失敗例のほうが勉強になったと思っているくらいです。

あと、あまくささんの仰っていた「絶対音感」を認めたのが最高弟の江森備ですが、「くせのない、水が沁み込むように頭にスッと入ってくる文体」でない人の個性も認めていて、それが次に段位の高かった尾鮭あさみです。恐ろしくくせが強すぎて読者をまっぷたつに別れさせるタイプという感じでした。

あとは……神視点が「純然たる俯瞰」という考え方にはちょっと疑問が。それこそ聖書の言葉を引用してみますが「はじめに言葉があった」という文句がありませんでしたっけ? リアルに考えると「いや、はじめに宇宙があって地球があってっていう『世界』があるのが普通じゃない?」と突っ込みたくなるんですけれど、これが言葉、視点の本質を一言で言い現わしているんじゃないかって気がしてます。「そこに何が存在しているのか、それを認知できる何者かの意志がなければそれを表すことはできない。そのための表現手段が言葉なんだ」ってことじゃないかと。

なので「難しく考えすぎ」という気にはなれませんね。ものすごく奥が深い問題だと思っています。

神視点での小説の成功例の返信の返信の返信 (No: 25)

投稿者 t-log : 2 No: 21の返信

投稿日時:

神の視点について様々な解釈がありますが、私は「神視点の小説は読者の混乱を招きやすい」という点から、技術論だと捉えてます。

地の文でツッコミが入るからと言って、読者が混乱したりしませんよね。
「些細な一言が、のちに悲劇を生むとは、この時の太郎は思いもしなかったのだ」なんて文章も、ダサいかどうかはともかく、問題視する人は少ないと思います。

じゃあ神視点の何が、混乱を招くのか。
それは、乱雑な視点の移動と、俯瞰で描写するのって意外と難しいよね、ということではないでしょうか。

例を挙げると「あちら・こちら」という表現は三人称ではあまり使わない方が良いとされます。一元視点なら、問題ありません。視点者に近い方が「こちら」遠い方が「あちら」です。が、俯瞰で不用意に「あちら」なんて書くと、読者からすればどの方向を指しているのか、わからなくなります。

「突然」なんて表現も、誰にとっての突然なのかによっては、俯瞰の視点で使うと違和感が出ます。

そもそも、一元視点に対比しての神視点であれば、俯瞰の視点と捉えて論じるのが適当ではないですか。

一元視点で地の文にツッコミがあったとしても、違和感はありませんよ。

「黒いおみみのうさぎなの」
ツッコミの有無は置いておいて、誰の視点かだけを追いかけると、「その2」のイルークレオンが部屋を出るまでが彼の視点。それ以降がミイシャの視点です。
視点が揺らぐと感じたのは「その3」のガリオンとの絡みの部分でず。ですが、視点に注視して読んでいたため過敏になっただけで、普通に読んでいたら気にならなかったかもしれません。
「その4」は、イルークレオンからミイシャへと視点が変わります。部分的に揺らぎがありますね。
そして「その5」からは、時折登場人物の心内描写を交えながら俯瞰の視点で描かれます。

というのが私の解釈です。

他の作品については、仰る通り一元視点から神視点に変わるのかもしれませんね。

人気回答!神視点での小説の成功例の返信の返信の返信の返信 (No: 26)

投稿者 ヘキサ : 3 No: 25の返信

投稿日時:

>地の文でツッコミが入るからと言って、読者が混乱したりしませんよね。
「些細な一言が、のちに悲劇を生むとは、この時の太郎は思いもしなかったのだ」なんて文章も、ダサいかどうかはともかく、問題視する人は少ないと思います。

ああ、それは「読者の混乱」の問題ではなく「没入感の妨げ」ですね。
神視点の問題点は「読者の混乱」だけじゃないんです。もうひとつに上げられるのがこの「没入感の妨げ」です。

>視点が揺らぐと感じたのは「その3」のガリオンとの絡みの部分で

あ、わかりました。初見で大して話もしてない状態で「トラにしては優しい」とか言っちゃってるあたりですね。確かにそのへんはそうかもしれません。でも、この時点でもう既にガリオンの思考も入ってたりするので、やっぱり神視点だと思います。

……で、話題に上がらない怖い問題点に「視点ぶれ」「破綻」があります。なぜ話題に上がらないかと言うと、通常一次選考落ちするからです。だから、そういう審査を通っていないなろうやアマチュアの作品にも目を通す「小説道場」では時折みかけるんです。

そして、グイン・サーガ自体も破綻を起こしたまま未完で引き継がれている、という点に注意してください。
もっともこれはどちらかというと「時系列入れ替え」が引き起こした矛盾みたいですけどね。グイン・サーガはとにかく「予言」が多いために起こったらしいです。未来は神様でもわからない。

で、「読者から見てわかりやすければそれでいい」と仰っていますが、書き手の話にまで話題に及んでいないことには注意してほしいと思っています。
先程「没入感の妨げ」を挙げましたが、読者だけでなく、作者のほうが没入できてない状態で書いてしまう、ということがあるんです。そのため、思考の表層をすくっただけのような薄っぺらい人間性のキャラクターばかりが集まったような物語になってしまったりするんです。なので小説道場では「キャラクターをくっきり書き分けられること」が条件に上がっているんです。テクニックの問題というよりは「役の作りこみ」の問題だったりする。どちらかというと集中力の問題だったりして。

それでですね……失敗例は、挙げたくないんですよ。どなたもやらかして軒並み大ダメージくらっているので。本当に、「まさかこんなおバカな失敗するわけないだろ」ってくらいのズレを引き起こしちゃったりしてるんですよ……だから、気軽に薦められるものではないんです。私でも、こんな失敗絶対やらかしたくないってレベルの震えあがるほど怖い思いをしたので。

神視点での小説の成功例の返信の返信の返信の返信の返信 (No: 28)

投稿者 t-log : 1 No: 26の返信

投稿日時:

「~太郎は思いもしなかったのだ」という文章がストーリーの流れをぶった切るので、没入感が妨げられるということですよね。
それって、人称とか視点とか、関係なくないですか?
例えば、「ここでその説明いる?」みたいなケースもあると思うんですよ。そこでリズムが狂って没入できなくなる。あるいは、急に回想シーンに突入するとか。
最初の例だって、一人称でも成立しますよね。「些細な一言が、のちに悲劇を生むとは、この時の私には想像すらできなかった」
神視点だけに起こる問題点ではないと思いますよ。

「視点ぶれ」について。
まず自分が書く場合ですが、「読者から見てわかりやすければそれでいい」とは思ってません。一元視点なら、絶対に他視点にはならないよう細心の注意を払います。多元視点の場合は、視点移動が無意識に行われるように工夫します。本当に出来ているかは自分では判断できませんが。
Webで小説を読むようになって、他人の作品に関しては寛容になりました。読んでいて混乱しなければ、ぶれていてもいいんじゃないか。実際、なろう系の書籍になってる作品で、視点の揺らぎがあるものも存在しますから。ラノベの世界では、そこまで煩く言わなくてもいいんじゃないかと。
もちろん、hexaさんのこだわる気持ちもわかります。繰り返しになりますが、私自身、執筆の際は肝に銘じてますので。

>門弟ひとりひとりの技量に合わせて「君にはまだ神視点は勧められない」などとチェックを入れています。おもな理由は「ひとりひとりのキャラクターをくっきり書き分けられているか」などだそうです。

「小説道場」は、恥ずかしながら読んだことがないので、私の解釈が正しいかどうかはわかりません。
が「神視点」を「多元視点」と置き換えても成立するんじゃないでしょうか。
つまり、各キャラクターをしっかり掘り下げておかないと、視点者にはなれないよ。という意味だと捉えました。

語り手とカメラを意識させるのはまずい (No: 29)

投稿者 あまくさ : 2 No: 28の返信

投稿日時:

横槍、申し訳ありません。

>「~太郎は思いもしなかったのだ」という文章がストーリーの流れをぶった切るので、没入感が妨げられるということですよね。
>それって、人称とか視点とか、関係なくないですか?

これは人称・視点に関係あると思います。
「~は思いもしなかったのだ」という文章は、一人称であれば語り手キャラが未来の時点から物語を振り返っていることを示します。しかし三人称の地の文でそう書くと、「誰が振り返っているのだろう?」という疑問が生じてしまいます。
もちろん三人称の地の文はすべて誰が語っているのか分からない「空気」のような存在なのですが、読者にそれを意識させてしまうことがまずいのです。「今、読んでいるのは所詮作り話にすぎない」ということを読者が思い出し、それによって醒めてしまうおそれがあるからです。

映画のカメラ。三人称小説の語り手。この二つはどちらも、観客や読者は物語に没入しているときには存在を忘れているはずです。それを思い出させてしまうような表現は避けるべきです。

語り手とカメラを意識させるのはまずいの返信 (No: 33)

投稿者 t-log : 1 No: 29の返信

投稿日時:

なるほど、詳しい解説ありがとうございました。とても勉強になります。
その上で質問があります。
「~は思いもしなかったのだ」という文章、一人称では問題はなく、三人称神視点では没入感が妨げられる。とのことですが、三人称一元視点の場合はどうですか。
視点者の思考と捉えることもできるので、問題ない。か、やはり神の視点であるから、適当ではない。どちらでしょうか。

もうひとつ、三人称では地の文に嘘があってはならないといわれます。逆にいうと、視点者が知らないことでも、事実であれば書くことができます。
以前のレスで、あまくささんは神視点であれば表現できることの例を挙げてました。それは、たとえ事実であっても一元視点ではダメだと考えますか。

>事件の背景となる事柄とか、SFだったら特殊な物理法則だとか、あるキャラとキャラが仲が悪い理由の解釈だとか、過去の出来事だとか、遠い将来に主人公が遭遇する運命だとか

この中で、「あるキャラとキャラが仲が悪い理由の解釈」は視点者の解釈であれば可能だか、それ以外はNG。「遠い将来に主人公が遭遇する運命」は、上記で論じられている。ではそのほかは?
例えば、過去の出来事だったら、一般的に知られている歴史を振り返るのなら大丈夫だが、登場人物の過去はNGなのか、それとも一般的な歴史でもダメなのか。

お答えいただければありがたいです。

語り手とカメラを意識させるのはまずいの返信の返信 (No: 35)

投稿者 あまくさ : 2 No: 33の返信

投稿日時:

以下はあくまでも私の考え方なので、もちろん異論はあると思います。また、視点・人称はルールではなくテクニックだというお考えには同感です。だからこそ原則論ではなく、それぞれの視点の長所・短所を踏まえた上で最も効果を発揮させるためにはどう書くのがよいかという私なりの方法論から意見を述べています。(なので論理的には矛盾することを言っている場合があるので、この問題は説明するのは難しいんですね。まあ、やってみます)

(1)
>「~は思いもしなかったのだ」という文章、一人称では問題はなく、三人称神視点では没入感が妨げられる。とのことですが、三人称一元視点の場合はどうですか。

三人称一視点と最も相性が悪いと思います。

(2)
>例えば、過去の出来事だったら、一般的に知られている歴史を振り返るのなら大丈夫だが、登場人物の過去はNGなのか、それとも一般的な歴史でもダメなのか。

一般的な歴史はOKでしょう。三人称一視点の記述は、基本的に視点人物(視点を固定する人物)の知識と一致させた方がいいように思います。

(1)について。
「~は思いもしなかったのだ」という文章は、一人称でも問題はあると思います。
こういう書き方の問題点は三つ。

A 時系列の乱れ。過去を振り返る文章なので、叙述の流れを止める、進行中の時間の流れと合わないなどの問題が生じる場合があります。

B 物語全体が回想になってしまう。

 小説の時間には大きく2分して、回想型と現在進行型があるように思います。どちらがよいか一概には言えないでしょうが、緊迫感をつくためには現在進行型の方が有利です。「~は思いもしなかったのだ」と書くことによって読者と物語の距離感が遠くなってしまうリスクがあるんじゃないかと。

C カメラは過去を振り返らない。

 現代的な三人称の視点は比喩的によく言われる「カメラ視点」であり、人格を持たないのが特徴です。
ただ、文学史的にはこの「人格を持たない視点」という手法が確立するまでが大変だったんですよ。「昔々、あるところに~」というのは、語り手が過去の知っている出来事について語っているという体裁をとっていますよね? つまり作者視点・語り手視点が物語の原型なんです。
三人称の地の文から作者を切り離し得たのは、現代小説の大きな方法的成果。なのに、「~は思いもしなかったのだ」という文章を含めて作者の顔が地の文に出てきてしまう書き方は、古典的な語り手視点の世界に引き戻してしまうんです。

で、ですね。
一人称であってもA・Bには絡んできますから、問題がないとは言えません。ただし一人称はCには引っかからないという意味で、先の書き込みでは大丈夫だと書きました。
なぜなら一人称は普通に語り手視点です。ただし、語り手は作者ではなく作中の登場人物のうちの誰かという体裁をとっています。カメラ視点三人称とは別の方法で、地の文から作者を隠しているんです。なので「~は思いもしなかったのだ」と書いても一応違和感は少ないのだと考えられます。

で、三人称一視点。これは最も実践的な視点手法で、簡単に言えば一人称と三人称のいいとこ取りを狙っているんですね。なのでこの手法は、何をやってよくて何がダメなのがという判断が難しいんです。

私見ですが三人称一視点の最大の狙いは「臨場感」だと思うんですね。

一人称にも物語と読者の距離感が近くなるという長所がありますが、語り手キャラの主観が目立ちすぎるため、「場の空気間」を表現するためには必ずしも適していません。三人称一視点は読者を視点人物に寄り添わせつつ、視点人物の心理描写は(軽く入れる人もいますが)淡泊にとどめるので、臨場感を出すためには最適な手法だと思うんですね。

つまり三人称一視点は、説話的物語手法(神視点)から現代的な三人称に進化してきた過程の一つの到達点なのだと考えています。

(2)について。
これまで述べてきたような理由で、三人称一視点では現代的三人称の客観描写を守りつつ、一人称的な効果も取り入れることを目指したいのです。そのために、文章そのものは三人称のルールに従いながら、敢えて一人称の制約を加えてしまうという方法が考えられます。一人称の制約の一つは「視点人物が知らないことは書かない」、ですよね?
なので、そのキャラが知り得ない他人の過去は書いてはいけないし、歴史の知識など誰でも一般的に知っていておかしくない過去は書いてもかまいません。

(補足)
ここまで三人称一視点(一元視点、単一視点)を推奨するような書き方をしてきましたが、一方で「現代的神視点」みたいな手法もありなんじゃないかと個人的には考えています。
ハリウッドなどで物語の面白さの基本は神話に見出せるのではないかと研究されていることからも分かるように、神視点的な手法は波乱万丈で内容の豊富なストーリーを書くにはおそらく適しているのだと思います。
ここまで神視点の欠点をいくつか書いてきましたが、逆に言えば従来の神視点的書き方からそういう欠点を取り除けばいいということでもあります。単に多視点の弊害ならば、 f-logさんも仰っているように読者が混乱しないように書けばすむだけの話です。しかし神視点には hexaが指摘されたように、地の文に「作者」が不用意に顔を出すことによる没入感の妨げという別の弊害もあると思うんですよ。このもう一つの弊害は、一見、視点・人称とは無関係に見えるからこそ、気付かれにくいんじゃないかと。
しかしこれは神視点を無頓着に採用することによって発生しやすい弊害なので、やはり視点・人称の問題の一つであるし、読むに堪える優れた神視点小説を書くためにも強調しておきたいところです。

語り手とカメラを意識させるのはまずいの返信の返信の返信 (No: 36)

投稿者 t-log : 1 No: 35の返信

投稿日時:

詳細な回答と解説、ありがとうございます。大変参考になります。

(1)について。
Aの問題点については、私も認識してました。最初に例として出した際に「ダサいかどうかはともかく」と書いたのも、こういう部分が単に視点の問題だけではないからです。例として最適ではないと思いつつ、他に思い当たらなかったので、注釈付きで挙げました。
A・Bの問題は人称視点とは関係ないので置いておくとして、Cの部分で一元視点は引っかかるということなんですね。
一元視点のチェックに、一人称に変換するという方法がありますが、この件については通用しないようですね。

質問しておいてなんですが、私の感覚として、三人称の地の文に人格が垣間見えることが、そこまでリーダビルティーに影響するんだろうかと疑問があります。
先の例では、それ以外の問題点の方が大きいのではないかと。好例が思いつかないので、間違ってるかもしれませんが。

回顧型の小説
歴史小説によくみられるタイプかなと思います。そもそも過去の出来事であることが、前提ですからね。
人物を描くのなら、感情移入もしやすく、臨場感もある「現在進行型」が向いてますが、歴史の転換期にスポットを当てたものや、その時代になにが起こったのか、客観的に描く作品なら「回顧型」が向いているんじゃないでしょうか。

>三人称一視点の最大の狙いは「臨場感」

私の考えでは最大のメリットは「客観性」だと思っています。
一人称の場合は、すべて視点者の言葉で語られるので、それが作者の主張と同一視されがちです。ですが、かならずしもそうではありません。三人称にすることによって、視点者と距離を置くことができ、作者の意図が別にあることを示せることが、大きいのではないかと考えます。

(2)について。
>基本的に視点人物(視点を固定する人物)の知識と一致させた方がいいように思います。

ということは視点者が知りようのない「特殊な物理法則」などもダメということですね。
私は、三人称の地の文には、客観的事実でないと書けない。逆にいえば、客観的事実であれば、何を書いてもかまわない。と考えており、視点とと結び付けてはいませんでした。
今回、皆さんの指摘を受け手元にある小説をチェックしたところ、視点者の知識から逸脱した内容には触れていないとこに気づきました。
また、サタンさんの「作者の解説文」の見解を読んで、確かに視点者の知識から逸脱した内容については、最初か途中で挿入するかの違いはあれど、物語の進行とは切り離して記述してあるなと、思い当たりました。
とうことで、質問させていただいたのですが、やはりそうなんですね。
この件について、「三人称なんだから、客観的事実は書いても問題ないでしょう」という考えの人はいないんでしょうか。いれば、意見を伺いたいです。
子供が視点者で、地の文に大人でないとわからないような記述がある、というのは例外なんでしょうね。

「現代的神視点」
当てはまっているかどうかは、わかりませんが、ファンタジーで吟遊詩人が語るという、体裁をとった作品を読んだ覚えがあります。
三人称の変わり種としては、金田一耕助シリーズは、実在する金田一探偵の冒険譚を、友人である作家の横溝正史が記録に残す、という形になってました。
横溝氏が登場する作品もありました。
当初から想定していたとは思えないので、シリーズを続ける際に何らかの必要性があったのでしょう。

語り手とカメラを意識させるのはまずいの返信の返信の返信の返信 (No: 37)

投稿者 あまくさ : 1 No: 36の返信

投稿日時:

実は私は視点オタクの気がありまして(笑

>質問しておいてなんですが、私の感覚として、三人称の地の文に人格が垣間見えることが、そこまでリーダビリティーに影響するんだろうかと疑問があります。

そこは書き手の腕かな。使いこなしてしまう作者はいると思います。しかし、多少なりともリーダビリティを損なう恐れのある文章を大して意味もなく書いてしまうのは避けておく方が賢明です。書かなければすむだけの話なので。

>私の考えでは最大のメリットは「客観性」だと思っています。

異論はありませんが、それは三人称そのもののメリットかなと。三人称一視点(一元視点)の話なら、三人称なのに一人称のように一人の人物に視点を固定する理由を知りたくなりますよね?
その疑問への答えとして、 f-logさんは「読者を混乱させないため」ということをあげていらっしゃいます。一方、私と hexaさんは「それもあるけれど、他にもメリットがあるんじゃないか?」と考えているわけです。そこで微妙に意見が食い違っているのだと思います。

三人称の記述には客観性がありますが、読者と物語の距離感が遠くなりがちという問題点があると考えています。
三人称一視点には、読者が物語の世界の中で実際に情景を見たり誰かと会話したりすることを疑似体験させるという狙いもあると思うんですよ。
一人称にもそういう効果はあるでしょうが、語り手の主観が前面に出すぎるのと、語り手と読者が向き合ってしまうような感覚もあるので、世界を疑似体験させるには必ずしも最適ではない気がするんですね。
なので、むしろ臨場感という点において三人称一視点は一人称よりも優れていると考えています。

>「三人称なんだから、客観的事実は書いても問題ないでしょう」という考えの人はいないんでしょうか。

いや、もちろん問題ないと思いますよ。
というか三人称の原則としては間違いではないということです。ただ、一視点には上記のような狙いもあるという考えに立てば、その狙いにはそぐわない。だから、わざわざ一視点にするメリットが半減するんじゃないかという考えです。

ただ。
世の中には妖怪のような剛腕をもった作者もいるもので、上のような考えを嘲笑うようにあたかも視点に無頓着なような書き方で、リーダビリティもそこなわず臨場感も演出してしまうんですね。
そういうのを個人的に「現代的神視点」と考えています。

ちょいと横槍を (No: 38)

投稿者 サタン : 0 No: 37の返信

投稿日時:

>読者と物語の距離感が遠くなりがちという問題点があると考えています。
物理的(?)には「読者とキャラクターの距離」ではないかなと私は思っています。
読者はそのキャラクターに感情移入して物語を体感するため、結果的に物語との距離も離れる。
故に、キャラクターを介さない書き方をする作家やそれに適したジャンルでは問題が起きないか最小限になっていると感じます。

読者と物語をつなぐ最もわかりやすいツールがキャラクターなので、一人称はもとより三人称でも誰かしらに視点を固定したほうが良い。一人に固定するなら一元視点、それを章ごとシーンごとで入れ替えるザッピング方式なら多視点。
しかし、別に「つなぐツール」はキャラクターばかりではないので、ここに「何か」を置くこともできる。
例えば「監視カメラ」とか「動物視点」とか。

ここで f-logさんに対しての指摘になりますが、
>この件について、「三人称なんだから、客観的事実は書いても問題ないでしょう」という考えの人はいないんでしょうか。いれば、意見を伺いたいです。
>子供が視点者で、地の文に大人でないとわからないような記述がある、というのは例外なんでしょうね。
「人称」の問題と「視点」の問題が、一部で混線してるような気がします。
三人称視点は第三者の語りなので、視点主が子供であっても「大人でないとわからない記述」は書けますし、書いても問題なく、例外ではなく一般的な三人称の用法だと思います。
それは、「子供の状況を第三者が代弁してる」ようなものなので、「子供が知らない事を書けない」というわけではないです。
私が書いた「序盤に世界観を説明するタイプの小説」はけっこう意地悪な例でした。他に例が思いつかなかった。
あの例は私の個人的な「視点のこだわり」がだいぶ現れた例で、三人称であっても視点を固定するならその視点から物事を描写すべき、という考えがあります。「大国が戦争をしている」という説明がなされる冒頭であるなら「王子は戦争の歴史について整理していた」という場面でなければならない。
とまあ、私の個人的な構成の美学ですね。ただの美学であってルールではない。

「三人称の視点はキャラクターにこだわらない」という話ですが、
以前私が挙げた例の「長い長い殺人」や「吾輩は猫である」は一人称ですが、一人称は「モノに人格を与えないとモノ視点にできない」のですが、三人称は人格を与えなくてもできます。
なぜなら第三者がそれを代弁してる形に出来るからです。
私は神視点を古いものとして見向きもしていませんでしたが、今回のスレッドにおいてノンフィクションや歴史ものにおいて有効な要素ということに気づけました。
そしてそれを考えると、この両ジャンルは「事実・史実」にスポットを当てている、それを介して読者を物語に引き込んでいるので、キャラクターを介さない神視点が技術として成立すると考えます。
さて。では「長い長い殺人」や「吾輩は猫である」を三人称で書いたらどうなるかと考えると、財布や猫は人語を理解しないため、この地の文は「何者か」を意識させます。
すなわちそれが現代的神視点ではなかろうか。
これら例は「それは猫・財布視点の三人称一元視点・多視点だろ」とすぐにわかりますが、作家としてそれを伏せていたら読者にはわかりません。
特に財布視点だなんてわかるわけもない。何者かの神であるとしか言いようがない。そのうえ、この「モノ視点」を多視点のごとく場面ごと別モノに変えていったら絶対にわからない。
するとこれはパッと見で我々の目には「あたかも視点に無頓着なような書き方、にもかかわらず臨場感をも演出できている」と映るのではなかろうか。
うーん。思いつきに過ぎない考えだろうか……。

神視点での小説の成功例の返信の返信の返信の返信の返信の返信 (No: 30)

投稿者 ヘキサ : 2 No: 28の返信

投稿日時:

>それって、人称とか視点とか、関係なくないですか?

そのへんはあまくささんが言っていることにまったく同意なのでパスさせてもらう。サタンさんも言ってるけど物語→神→読者の中継点となっているケースがあって「神要らねぇええ!」と思うのがまずい使い方をしているやつ、「あなた(神)がいてくれないとこの作品の面白さは半減してしまう」ってのが「ちびまるこちゃん」「黒いおみみの~」のナレーション。

個人的には、歴史小説は「まあ……解説してくれるのはありがたい」「でもやっぱり微妙かも」の二派に分かれるジャンルだと思っています。

>神視点だけに起こる問題点ではないと思いますよ。

そうなんだけど、一人称→三人称一元→三人称一元のシーン切り替え→三人称神視点の順に「起きやすく」なるんです。だから、小説道場ではこの順番で視点の使い方をマスターするのが推奨されている。

>なろう系の書籍になってる作品で、視点の揺らぎがあるものも存在しますから。

は? なろう系の書籍化作品ですと? そんな「玉」のほうを見ていて問題なんてあるわけないじゃないですか。小説道場だって、有段者(書籍化レベルの人)には「まだところどころ視点が揺れているが、そんな些細なことはどうでもいい。瑕瑾を探すというやつに過ぎぬ」というくらい、道場主は視点を重要視しつつも同時に寛容な人なんですよ? 私だって、f-logさんに指摘されるまで気づかなかったくらい通常は意識してないんですよ?

だから「石」のほうを見ると勉強になるんですよ。道場主もそのつもりで見ていたそうですから。

>「神視点」を「多元視点」と置き換えても成立するんじゃないでしょうか。

さっきも言ったことの繰り返しになるんだけれども、だんだん難易度が上がっていくんです。そして、難易度の低い手法で書いていれば見逃さなかったレベルの失敗をやってしまう、それが恐ろしいところなんですよ……。

関係ないことをちょい横槍 (No: 31)

投稿者 サタン : 1 No: 30の返信

投稿日時:

>サタンさんも言ってるけど物語→神→読者の中継点となっているケース
個人的にはそのケースしかねえだろ、と思ってたのだけど、あざらしさんが「ノンフィクション作家」をオススメに挙げてるのを見て、ハッとした。
ノンフィクションは専門外だしまったく興味なかったんで気づきもしなかったけど、hexaさんの言う「ナレーション」に類すると言っていいのかどうか、ともかく多視点でなく神視点が良い場合(作品の一部で神視点を使うなどではなく)もあるのだと考えを改めました。
作者視点だと作者の主観が入った文章になるし、まあそれは避けられないけど、神視点のほうが「記事」に近く事実を書くノンフィクションとの相性は悪くないのだと。

それで言うと歴史モノも相性は悪くないのだけど、やりすぎるとただの教科書になってしまうし、
>二派に分かれるジャンルだと思っています。
「その時代の歴史を読んでいる」か「物語のドラマを読んでいる」か、という違いで分かれてしまうのでしょうね。

まあ、ぶっちゃけ本当に正しく分析すると、なろう系どころか三人称で書かれてる文芸作品の大部分で「視点のゆらぎ」はあったりもすると思うんですよね。
わかりやすく「やっちゃってる」人は、建物の外観を説明してからその建物の廊下を歩いてる人物に視点を合わせたり。
人物から建物の外観は見えないハズなんで、建物の説明が神視点になってるんですよね。
もっとも、「人物は建物の外観を既に知っているから、それを人物に説明させることに何の違和感もない」とも考えられるので、視点のゆらぎはない、と言えるんですけども。
でも、この時点で「その人物が建物の外観を知っている」という事を読者はまだ知らないので、読者としては「人物は外観を見たことがあるのだろう」と解釈する。
このため視点のゆらぎが起こっていないように見える。これを誰でも普通にやってるから、普段はあんま意識しないんですよね。
私はそれで良いだろうと思う派なので、「読者がわかればどうでもいい」と思っちゃいますね。
神視点ではなく、人物Aと人物Bとの間で「視点がゆらぐ」事も、まあ無いほうが良いけど、読者に伝わっていれば問題ないし、でも、確かに「視点がゆらいでるからわかりにくい文章になっている」という事はあるし初心者には多いので、そこは指摘するし「ゆらがないようにしたほうが良い」と助言もする。
わかりにくい文章の原因が「視点のゆらぎにある」という可能性が高い、ってだけではなかろうか。

ーーそう思って読んでるから、神視点による「作者(神)の解説文」なども、その場で一番視点が近い人物の解説である、と解釈して読んでたりする。
古いSFやファンタジーにたまにある「世界観の説明から入るタイプ」の小説は、これって「その世界観の説明部分は神視点だよね?」って話になると思うんですよね。
でも、次のシーンで某国の王子様が出てきて王子の視点で三人称が始まったら、「王子が知ってる事を最初に説明しただけの、王子視点の三人称」と私は考える。
もともと三人称は一人称と違って執筆の際にコレといったルールは無いですからねぇ……。
視点の問題も、「誰かに固定したほうがわかりやすい」とか「何にスポットを当ててるか明確にすべきだ」という話であって、別にルールではありませんし。
だからhexaさんが言うように 一人称 → 一視点 → 多視点・神視点 とその視点の数が増えていくと難しくなっていくんですよね。

関係ないことをちょい横槍の返信 (No: 34)

投稿者 t-log : 1 No: 31の返信

投稿日時:

視点の揺らぎについて、よくあるパターンは「A視点で進む中に、数か所B視点が混じる」のと「いつの間にかAからBに視点が移ってる」というのがありますね。
後者はスムーズに移行していれば、何の問題もありません。が、前者は視点の揺らぎに寛容な立場を表明しておきながら、やはり気になりますね。
特に、書籍になってるヤツなんかは、編集者が指摘してやればいいのに、って思ってしまいます。そこまで気にするのって、自分だけかと心配になってたんですが、結構いらっしゃるようで、安心しました。ありがとうございます。

神視点での小説の成功例の返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信 (No: 32)

投稿者 t-log : 1 No: 30の返信

投稿日時:

私は最初から「視点の揺らぎが読者の混乱を生む」と主張してます。その上で、「揺らぎがあったって、混乱なく読めれば別にいいよね」と言ってるわけで、混乱が生じるようであれば、それはダメに決まってるじゃないですか。
hexaさんが「読者から見てわかりやすければそれでいい」を否定されたんで、「いや、視点に関しては、書籍になってるもので、揺らぎがあるもの存在しますよ」と言ったまでです。

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タイトル:神視点での小説の成功例 投稿者: あいうえお

 まず、現在私は三人称多視点の小説を創っているので、この質問は「神視点の小説は読者の混乱を招きやすい」という定説に触れることなく、誰が見ても秀作だと思わせるような神視点の小説への興味、から出たものです。
 ということで、その存在の有無と、「秀作」があれば作品の題名を是非教えてください。興味を持ちましたら、今後読ませて頂くかもしれません。

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