飯テロモノを書きたいのですが、『飯』そのものの描写をどこまでやっていいのか基準が分りません。の返信
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飯テロモノを書きたいのですが、『飯』そのものの描写をどこまでやっていいのか基準が分りません。(元記事)
お久しぶりです。大野です。
前から連載していた作品が、ある程度軌道に乗ってきて新作品のアイデアを練っていたのですが……。
練っていたところで、タイトル通りの疑問にぶち当たりました。
作品の完成予想図。
大学受験中に親が原因で鬱になった主人公が、妹(or従妹)の高校進学が少し遠くに進学するのをいいことに妹共々家を出て二人暮らしをすることになり、その先で家事をしたり、今まで言ったことのない店で外食してみたり、バイトしたり、高校時代に同じ部活だった仲間とふざけたりする。感じの作品です。
鬱の原因について親も納得しており、かつ親自身の性格である故に理解できても親にはどうしようもなかったこと。妹(or従妹)は妹で鬱になるほどではなくとも兄の苦労を理解していたこと。兄妹がシスコン・ブラコン気味であること。
この三点を抑えて置いたうえで、なんですが。
『精神的に疲れてる主人公』がうまい飯を食って元気を出すシーンで、料理の外見及び味そのものの描写について。どれくらいの文量が相応でしょうか?
個人的には文庫本サイズで考えて八行くらいかな、と思うんですが。どうでしょう?
飯テロモノを書きたいのですが、『飯』そのものの描写をどこまでやっていいのか基準が分りません。の返信
投稿者 玄翁 投稿日時: : 0
すでにあちらの感想含め多くの方が回答しているので蛇足かも知れませんが、一応短編を読みましたので再度回答させていただきます。
ご自身でも挙げられていた孤独のグルメ、私はドラマの方を見たことがありますが、あれを例にとるとあれは食事をすることで五郎の中でドラマが巻き起こっているから面白いのだと思います。
飯を食うことでその美味さを存分に噛みしめたり、あるいは新たな発見があったりでその度に主人公の心が揺り動かされることに醍醐味がある訳で、そこを上手く表現できないと主人公がただ、飯を食って終わり、と言うことになってしまうのだと思います。
そんな訳で、御作を見るにそのドラマの部分が正直かなり弱かったと思います。
孤独のグルメに関してもっと言うと、個人的にはヒーローものなんかで毎回新たな敵役が出てくるのに構図が似てるかな、とも思います。
ヒーローの前に新たな怪人が出てきて初見の攻撃に最初はヒーローが苦しむけど、最後にはそれを乗り越えて怪人に勝利する、と言うのに割と近いかと。
主人公=ヒーロー 怪人=飯 と置き換えて見るのはちょっと奇妙に思うかもしれませんが、ほぼその図式が当てはまるんじゃないかなと思ったので言及しました。変に飯テロものと考えすぎてしまっているようなら、そう言う考え方もあるのかと参考にでもしてもらえればと思います。
あと横槍になりますが「描写不足」「説明過剰」に関して、結局のところドラマ作りが上手くできていれば解決する問題かな、と思います。飯にしろそれ以外にしろ、ドラマ作りに足りていなければ描写不足、それを越えて必要以上にあれば説明過多と言うことになるのではないかな、と。
単に描写が多いか少ないかを考えていても、中々答えは出てこないと思います。
大事なのはそれがドラマ作りに過不足なく寄与しているか、ではないかと思います。
もう練り直しに向けて動いておられるかも知れませんが、わずかでも参考になればと思います。
カテゴリー : 流行分析(なろう研究) スレッド: 飯テロモノを書きたいのですが、『飯』そのものの描写をどこまでやっていいのか基準が分りません。