飯テロモノを書きたいのですが、『飯』そのものの描写をどこまでやっていいのか基準が分りません。の返信
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飯テロモノを書きたいのですが、『飯』そのものの描写をどこまでやっていいのか基準が分りません。(元記事)
お久しぶりです。大野です。
前から連載していた作品が、ある程度軌道に乗ってきて新作品のアイデアを練っていたのですが……。
練っていたところで、タイトル通りの疑問にぶち当たりました。
作品の完成予想図。
大学受験中に親が原因で鬱になった主人公が、妹(or従妹)の高校進学が少し遠くに進学するのをいいことに妹共々家を出て二人暮らしをすることになり、その先で家事をしたり、今まで言ったことのない店で外食してみたり、バイトしたり、高校時代に同じ部活だった仲間とふざけたりする。感じの作品です。
鬱の原因について親も納得しており、かつ親自身の性格である故に理解できても親にはどうしようもなかったこと。妹(or従妹)は妹で鬱になるほどではなくとも兄の苦労を理解していたこと。兄妹がシスコン・ブラコン気味であること。
この三点を抑えて置いたうえで、なんですが。
『精神的に疲れてる主人公』がうまい飯を食って元気を出すシーンで、料理の外見及び味そのものの描写について。どれくらいの文量が相応でしょうか?
個人的には文庫本サイズで考えて八行くらいかな、と思うんですが。どうでしょう?
飯テロモノを書きたいのですが、『飯』そのものの描写をどこまでやっていいのか基準が分りません。の返信
投稿者 読むせん 投稿日時: : 0
わかんない。
そもそも鬱になると、プロテイン流し込んで過ごすタイプなもので・・・・(;´∀`)咀嚼はもちろん消化すらツラくなる。むかし料理エッセイでそういうタイプのプチ鬱がある(女に多い)ってのは読んだことがありましたけど、自分がそうとは思わなかったし・・・・。
・・・共感を求めるなら描写おおめ。食事の楽しさを求めるなら少な目のほうがいいかも?
「みおつくし料理帳」と和田はつ子作品とか、女性作家の作品を見ていると、「自分で食べる」のではなく自分が作って「人に食べてもらう」前提の料理です。
【仕上げにパラりと降った、ネギの青みが目に鮮やかだ】くらい。
カテゴリー : 流行分析(なろう研究) スレッド: 飯テロモノを書きたいのですが、『飯』そのものの描写をどこまでやっていいのか基準が分りません。