返信一覧の表示
途中での意図的な人称変更は問題ない? (No: 1)
スレ主 ばかむすこ 投稿日時:
小説を書き始めて今日で丁度8ヶ月の初心者です。素人クサイ質問でしょうが、皆様よろしくお願いいたします。
処女作がやっと電撃規格で120枚を超え、最後の山場、バトルシーンを書いているのですが、人称で悩んでいます。
書き始める前、サイトで勉強した際、初心者には一人称がよいとあったので一人称で書き始めました。
今までは特に問題なかったのですが、最後のバトルシーンが1対多数(主人公側)で、書いていると三人称みたいになってしまいます。
山場なのでしっかりと書きたいのですが、一人称で書くとあっさり薄味になってしまいそうです。
例えば、主人公が気絶中のことは書けない、といいますが、それなら敵の攻撃をくらい、もがき苦しんでいるときも同じですよね。僕はその間の味方の行動も書きたいのです。劇中リアルタイムで。
他にもバトルシーンがありますが1対1なので一人称で書いてあります。
確かこちらで見たと思うのですが、プロ作家の方が「人称が崩れていても関係ない、面白ければいいんだ」みたいなことを書かれていましたが、 バトルシーンだけ三人称にしてもいいものでしょうか?
文章は拙いのですがストーリーはまずまずだと思っているので、書きあがったらどこかの賞に出してみたいです。バトルシーンだけ三人称にしたら審査に影響あるでしょうか?
また、一人称みたいな三人称はいいが、三人称みたいな一人称はダメだ。というのもどこかで見ましたが、これは正解でしょうか?
カテゴリー: 文章・描写
この質問に返信する!途中での意図的な人称変更は問題ない?の返信 (No: 2)
投稿日時:
回答すべきことが複数あるようですが、とりあえず本題でありそうな「戦闘シーンのみ3人称にしても良いか?」に答えますと、
まあ、究極的には創作は自由なのでダメではないです。
しかし、それが新人賞の評価にどう影響するだろうかと考えると、おそらく減点対象でしょう。
なぜなら、「その場面を一人称で書けなかったから三人称で書いている」ということがバレバレなので、単純に技術力のなさをぶっちゃけてしまっているためです。
そうではなく「物語の構成上・構想上、三人称にすべき箇所です」という作りなら問題ありませんが、あきらかにそうではなさそうだし、おそらくは下読みさんでなく私が読んでも「一人称で書けなかったんやな」と感じる出来だろうと予想できる。
理由は、そこで三人称にする理由がなさそうだから、です。
新人賞を想定するなら、今回のように減点対象になりそうな事は控えるべきで、一人称で統一したほうが良いでしょう。
もちろん理由あっての事なら問題ありません。
例えば「主人公には第三の眼の能力があって、戦闘を俯瞰で見れる」なんて設定があったとしたら、戦闘シーンのみ三人称にすることは「能力の表現描写」なので減点対象にはならないだろうと思う。
でも、自身で初心者と言っていて、今回の作品が処女作だと言うのであれば、正直なとこ、私が言うような小難しい事ほっといて、やりやすい手段で完走を目指したほうが良いです。
人称を変えて書いてみて、友人かネットか新人賞の選評か、なんらかの形で読者の反応をもらい、「人称を変えた事の何がまずかったのか」を実感したほうが経験として身につくと思う。
挑戦する前にイケるかどうか助言をもらう事は良い事だと思うけど、何事も挑戦してからわかることも多いし、私の言葉にスレ主の作品が当てはまらず、なんか上手いこと行ったなんて事だって十分に考えられます。
なので、いくつかの疑問には私見ながら答えようと思うけど、基本、あんま気にしないほうが良いと思う。
では次に
>例えば、主人公が気絶中のことは書けない、といいますが、それなら敵の攻撃をくらい、もがき苦しんでいるときも同じですよね。
こちらですが、正確には「一人称で書くことは難しい」で、別に不可能ではないです。
例えば、主人公が目を覚ましてから気絶中の事を知らされるという形で「俺はそのとき気絶していたが、彼が言うにはーー」と書けます。
攻撃を食らってもがき苦しんでる時も、
「強烈な蹴りを食らってもがき苦しむ。膝をついて動けないでいると、「ぎゃあ」と相棒の悲鳴が聞こえた。相棒も俺と同じ目にあったようだ。」
てな感じで書くと、苦しんで動けない周囲の状況がわからない主人公にあって、相棒が同じく蹴りを食らって悶てる様子がわかりますよね?
割と、書き方次第でどうにでも書けます。もちろんリアルタイムに書けます。あるいは「現在進行形」と読者が感じるように書くこともできます。
基本的に一人称は「主人公が認識できない事は書けない」というルールがあるので、これは「じゃあ、どうやってそれを認識させるか」という工夫の連続です。
それは当然のこと、場数を踏んでないと簡単な事でもなかなか思いつかないし、割と難しいです。
一人称は初心者向きという事に嘘はありませんが、深いところを探ってみると意外と一人称というのは上級者向けでかなり難しいです。
「終始主人公視点の一人称」で難しいことを考えなければ非常に簡単で初心者向けなのですが。
で、まあ、話題が戻ってしまうけど、「ヒロインの心情を書きたいから……」とか「戦闘シーンを多角的に書きたいから……」という理由で視点や人称を変えてしまうと、つまりそういう技術のなさを露呈するって事なので、減点対象ってことです。
最後に、
>また、一人称みたいな三人称はいいが、三人称みたいな一人称はダメだ。というのもどこかで見ましたが、これは正解でしょうか?
正解と言えば正解かもしれんけど、「三人称みたいな一人称」と、つまり「それが一人称として成立してる作品である」という前提なら別に後者も問題ないと思います。
でも、おそらく「三人称みたいな一人称」は一人称として破綻してる可能性が高いので(例えば視点の扱いなど)、NGになりやすいと思う。
私が好きな作品で「ブギーポップは笑わない」というのがあるんですが、確か一巻は一人称のオムニバス形式なものの、どーもイメージでは三人称の群像劇に感じてしまう。
なので、一人称として成立してる前提なら、このように例はありますよ、と。
一方、「一人称みたいな三人称」は、問題になるのは三人称の扱いで、この三人称というのは基本的に何でも書ける自由度が高い手法です。
自由度が高すぎるために、素人が手を出すと無茶苦茶になりやすい。
その原因として挙げられるのが「視点」というものの扱いです。
つまり、「いま、誰の視点から物語を語っているか」「この文章は誰の視点によるものか」そういうのがわかりやすく書けないと三人称は書けないし、視点の扱いを覚えないと変な三人称になってしまう。
で。
「一人称みたいな三人称」というのは「一人称」の特徴すなわち「主人公ないし視点主に視点を固定する」という書き方なわけで、「三人称一元視点」なんて言われますが、三人称の難しい所の「視点」を固定してしまうために、一人称と同じく視点を考えなくても良くなる。素人にもやさしく非常に書きやすくなります。
でも、これを「一人称みたいに心の声を誰彼かまわず書けるんだ」と考えてしまうと、「その心の声の一文、誰が思ってる言葉なの!?」ってなってしまう(つまり視点の扱いを理解できてない作品)ので、
まあ、三人称は基本的に自由なのでダメとは言い切れないけど、小説的に読者に優しくない文章であるため、減点対象だし、普通に読みにくい作品になります。
なので、「一人称みたいな三人称はアリで、三人称みたいな一人称はダメ」というのは正解と言えば正解だし、そーでもないと言えばそーでもない。
ほんで、なんかえらく長く書いてしまったけど、途中でも書いたけども、初心者なら書く前からあれこれ気にしないで、思いついたように書くのが良いと思う。
書いたあとで、意見をもらって次回作に活かすか改稿するか、と考えるのが良いんじゃないかなと。
私の回答としては全体として「戦闘のみの人称変更はやめたほうがいい」というものだけど、ほんと、意外とやってみたら良いのが出来た、なんて事もあるので、
素人だからとか、勉強になると思ってとか、そういうんじゃなく、とりあえず思いついたように書いてみるのが一番いいと思います。
途中での意図的な人称変更は問題ない?の返信 (No: 3)
投稿日時:
サタン様、ご丁寧に回答くださりありがとうございました。
本文のほう読みづらかったことでしょう。
スマホからでしたので全文が一度に見えなかったもので、
改行後も頭を空けたはずなのに。
親身にお答えいただき本当にうれしいです。
サタン様のアドバイスのとおり、このまま最後まで書いてみようと思います。
そして推敲時に納得できるバトルを一人称で書けないか、頭が爆発するくらい考えてみます。
いろいろな小説の書き方のサイトをみて勉強しているのですが、それらとプロ作家の作品が違うときがあり、初心者の僕は困惑します。
がんばります、ありがとうございました。
途中での意図的な人称変更は問題ない?の返信 (No: 4)
投稿日時:
結論から申し上げてみます。ご質問文からしますと、8:2で「やめたほうがいい」ではないかと思います。上手く行く可能性もあるけれど、リスクの高いギャンブルになりそうです。人称・視点の途中変更は避けて、最初から三人称に書き換えるか、バトルを一人称で乗り切ったほうがよさそうです。以下、そのことを説明してみます。
1.視点移動禁止は単なる技術的なコツ
視点移動するなという戒めはよく言われます。ルールとか公募なら採点基準みたいな、形式上のことと勘違いされることも少なくないようです。ですが、「人称が崩れていても関係ない、面白ければいいんだ」の通りです。面白く読めたのに、視点移動をあげつらうとしたら愚かでしかありません。
単なるコツなんですね。しかも(私のような)初級者向けです。面白いための絶対条件って何か。読んで分かるものであるのが必須ですよね。よく分からないのに面白い、バトルが手に汗握るなんてことは起こり得ない。描写がよく分からない文章の原因を調べてみると、視点移動を安易に使っている例がよく見つかる。だから「視点移動は避けよ」というコツが言われるようになるわけです。
2.視点の扱いが分かっていれば移動は大丈夫
それでも、視点移動・切り替えして上手く行く可能性から申し上げてみると、スレ主さんが人称別の制限を理解されていらっしゃるようだからというのがあります。一人称だとバトルが淡白になりそうと予想されてますよね。一人称主人公がもがき苦しんでいるときに、他のキャラの行動などでしょうか、地の文の描写が難しくなることも分かっておられます。
特に視点主人公がもがき苦しんでいるときのご理解ですね。一人称にしたものの、描写がおかしい例はしばしば遭遇します。実例はちょっと控えまして、捏造してみます。
強盗が入ってきたらしいので一人称主人公が炬燵の中にうずくまって隠れたのに、入って来たのがやっぱり強盗で(※ 知らない人ではなく強盗と分かってしまっている)、部屋のあちこちを探っているのをありありと描写してしまう。そういう失敗描写です。簡単に言えば、作者視点を一人称視点主人公が共有してしまっている。
(↑三人称みたいな一人称の例でもあります。)
3.一人称のメリット・デメリット
一人称の利点は初心者に書きやすいとよく言われます。同時に難しいとも言われます。相反するようですが、別の面を言っているもので、作者レベルの相違も考慮したものです。
初心者にやりやすいというのは、シーンをイメージするのがやりやすいことがあります。作者が視点主人公となって、そのシーンを演じる空想をすればいいわけですので。三人称のようなカメラワークの工夫は要らない。描写の混乱が生じにくく、分かりやすいように自然と書ける。
しかし、それが制限にもなるわけで。視点主人公からしか見ることができないわけですね。視点主人公の目の前にドアがあれば、開けるまでは向こう側は見えない。背後も見えない。目をつぶったら、音(や触感)しか分からない。視点主人公の意識上の問題もあり、激痛があれば、周囲の描写はほぼやれない(きちんと周囲を描写してしまうと、「主人公、痛がってないじゃん」みたいな印象が生じかねない)。
視点主人公に見えていない場所、方向で他のキャラの活躍するとか、迫って来る強敵というシーンを描きたくなったら、一人称の制限はとても邪魔になります。そこが「一人称は難しい」と言われるゆえんの一つですね。シーンで最も印象深いものがあるのに、主人公に見えていないというだけで描けない。見えてないけど手に取るように分かる、なんて描写って高等技術というしかありません。
4.三人称を兼ねる一人称
それができたら、三人称みたいな一人称かもしれません。落語で類似と思えるものを見ることがあります。故米朝師匠ですと、ぱっぱとキャラ切り替えして混乱がありません。まるでコミックを読むかのような妙技でした。しかしそれは三人称みたいな一人称ではない。
故枝雀師匠ですと、キャラを切り替えず主人公をずっと演じることがよくあります。周囲のキャラは、主人公の反応で描写していました。しかし、主人公の周囲のキャラの言動、行動がが手に取るように分かるのです。そういうのは、三人称みたいな一人称の例だろうと思います。もちろん、それに限るわけではありませんが。
5.読者の(主人公等への)感情移入
三人称でも迫真のバトルは描けますし、動作主体であれば、三人称のほうが分かりやすくできるようにも思います。バトルに至るまでは、主人公の一人称で心情をしっかり描き、山場となるバトルではバトルが映えるよう三人称にする。いい方法のように思えます。ですが、読者側からどう見えるか。
読者は一人称主人公に沿って読んできたわけですよね。地の文も主人公の台詞です。文章比率で95パーセント以上、ずっと主人公が語り、喋る内容で主人公を追って来た。そして山場。突如として三人称に切り替わる。主人公から遠ざかる感じは出てしまいます。地の文は、誰かよく分からない、突然出てきた説明する人です。地の文の語り手って、ある意味、最重要キャラです。三人称なら名無しですが、主人公以上に読者に語り掛ける存在です。そんなキャラが主人公に成り代わって出てくるわけです。
感情移入が断ち切られるリスクは高いと見る必要があります。読者から下手だなとも思われるリスクも高い。ですが、スムーズにつながっていればまだなんとかなります。しかし、描写的にはつながっても、読者の感情移入の仕方は大きく変えられてしまうわけです。しかも、最も大事な最期の山場、クライマックスで、です。
冒頭でいきなり惹きつける(出だしのツカミ)以上の工夫が必要になると思います。冒頭は前提抜きで書けますが、クライマックスならそこまでの流れを乱さず引き継がないといけません。ですので、よほどに三人称のメリットが一人称を大きく上回ってないと、作者的に怖くてやれることではないと考えるべきかと思います。
途中での意図的な人称変更は問題ない?の返信の返信 (No: 7)
投稿日時:
手塚様勉強させていただきました。心よりお礼申し上げます。
僕の技量では自然な移行は難しそうです。
しかし、このまま一度チャレンジしてみて、納得できなければ一人称に直すか、全部を三人称に変更してみようと思っています。
以前、人称を勉強していた際「最近はプロでも人称が崩れている」というブログあり、その例に累計1000万部超えの有名作品の名が上がっていたので気になってました。
ありがとうございました。できましたら次質問したときもよろしくお願いいたします。
途中での意図的な人称変更は問題ない?の返信 (No: 5)
投稿日時:
途中で人称を変えるのは絶対にだめとは言いませんが、問題ないかと聞かれたら問題はあると答えざるを得ません。悪手にはなりやすいです。
>僕はその間の味方の行動も書きたいのです。劇中リアルタイムで。
そうであれば、バトルシーンだけでなく最初からすべて三人称にするのが最も堅実な方法ではあります。
>一人称みたいな三人称はいいが、三人称みたいな一人称はダメ
これは大雑把すぎて是とも非とも言えませんが、まあ言いたいことはわかります。「三人称みたいな一人称」は別にダメではありませんが、三人称的に書くと一人称の魅力は半減するんですね。だから、あまり意味がないことは多いです。「そう書くんなら三人称にしちゃえよ」みたいな。
逆に一人称的な特徴を三人称に持たせることには意味があります。
具体的に言うと、三人称の形をとりながら一人のキャラに視点を固定してしまうんです。三人称であっても読者は視点の固定されたキャラに寄り添うようになるので、感情移入をさせやすいという一人称の強みを三人称でも実現できるんですね。
それでいて、この書き方の場合、形式は三人称なので必要に応じて三人称に戻れます。一人称から三人称に急に切り替わるという不自然さはありません。
こういう書き方を「三人称一視点」あるいは「三人称一元視点」などと言います。一人称と三人称のいいとこ取りができる便利な方法なので、世界観が大きくてバトルシーンなど派手なストーリー性のある物語を書くのには向いています。
というわけで今後、質問されているような問題に逢着することが多いようなら、三人称一視点という手法を検討してみることをお勧めします。
が。
今回のご質問の場合にかぎって言えば、上の提案はおそらく現実的ではないだろうと思います。
公募用の長編をすでにあらかた書き上げ、最後の山場にかかってらっしゃるのですね? そしてここまで一人称で書いてきていると。
これを一から書き直すのはたいていは労力が大きすぎますね。単に文章を直すだけではすまない場合もありますし。
なので、全体には手を付けないでバトルシーンだけ何とかするとしたら、
1)不自然な感じになって審査でも減点されるリスクに目をつむって、人称切り替えを決行する。
2)一人称で表現する方法を工夫する。
結局はこの2拓になります。
それじゃ話が振出しに戻るだけじゃないかと思われるかもしれませんが、メリットとデメリットを冷静に見極めることには意味があるので。
どちらを選択しても一長一短だとしたら、どちらでも好きな方を選べばよいわけですが、仮に1を選ぶとしたらあまり悩むことはないと思います。書きたいように書けばいいだけなので。
2の方はどうでしょう? これを少し考えてみますね。
三人称のメリットは表現の幅の広さ。大きな舞台で複数の人間が激しく動いているようなシーンを描くことができます。それはそれで技術がないとごちゃごちゃしてしまうでしょうが、少なくとも一人称ではとうていできないことが、やろうと思えばやれます。
それに対して一人称のメリットの一つは一人のキャラの心情に焦点があてやすいこと。戦いへの恐怖、勝利の爽快感、予想外の展開への驚き。そういう一人の人間の主観を通してシーンに色付けすることができます。
>例えば、主人公が気絶中のことは書けない、といいますが、それなら敵の攻撃をくらい、もがき苦しんでいるときも同じですよね。僕はその間の味方の行動も書きたいのです。劇中リアルタイムで。
敵の攻撃をくらって、もがき苦しんでいる。敵が止めを刺しに来る。「やられるっ」と確信したが、敵の攻撃が来ない。顔を上げると敵が別の方向を見て驚愕している。
次の瞬間、味方の姿が初めて主人公の視界に飛び込んでくる。
……例えばこんな感じでしょうか。
こういうシーンの場合、主人公が敵と戦いはじめたときにはその味方はまだ居なくて、間一髪間に合ったようにすると効果的。
さらに工夫するなら、彼(彼女?)がそこに現れないと思わせる理由を作っておく手もあります。主人公と仲たがいしていたとか、別の敵と戦っていたとか。駆けつけるのが困難だと思わせる状況を作った上で登場させれば、会心の活躍が描かなくても想像できますよね?
直接描かず鮮やかに想像させるというのは、ストーリー作りのよい訓練になりますよ。伏線や、ここぞという重要な場面をを盛り上げる前振りがうまくなります。緊張と解放。流れをつくって読者に予感させ、最も効果的な瞬間に一気に解放する呼吸です。
三人称みたいな一人称について (No: 6)
投稿日時:
なお、「三人称みたいな一人称」というのが、一人称なのに視点人物が知り得ないことを書いてしまうという意味なら明確にNGです。
そのような一人称のルールは守ったうえで、文体や記述の客観性が三人称とあまり変わらない感じの書き方をする人もいるので、それは別にダメではないけれど一人称の魅力を半減させているのであまり意味がないと思うと書きました。
繰り返しますが、一人称は視点のルールを崩すことは許されません。しかし三人称には視点のルールはないので、意図的に一人称の視点のルールを課すこともできるし、それにはメリットがあります。
そういう意味で、
>一人称みたいな三人称はいいが、三人称みたいな一人称はダメだ。
と言っているなら正しいです。
三人称みたいな一人称についての返信 (No: 8)
投稿日時:
あまくさ様親身に解答くださりありがとうございました。
中盤の山場でバトルを書いたのですが、そこは1対1だったので問題なく書けました。
今回は最後の山場とあり、力を入れて書いていたところ、「あれ?主人公がこんな状態でまわりがわかるわけないやん」と気付き、解決策がないかしばらく悩んでいました。
途中まで書いているので、このまま完成させてみます。
機会がありましたらまた御教授くださるようお願いいたします。