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甘粕さんの返信一覧。最新の投稿順35ページ目

元記事:作品と作者の人格の返信

これは客観的な側面と主観的な側面があるんじゃないかと思います。まず客観的な面から少し。

1.客観的な損得

少し前に、発行巻数も10を超え、アニメ化も発表された商業出版ラノベで、作者のSNSでの中韓に対するヘイト発言が掘り出され(それも数年前)、数日でアニメ化中止、原作出版も無期限停止になったことがありました。

これは「表現の自由」と絡めて語る向きも多かったように思います。が、出版、アニメ化は商業行為です。企業は損失になると見たら撤退するのは道理です。作者の自由を守って、従業員を犠牲にすることはできません。

その事例で何がまずかったかと申せば、私見ですが、アニメは中韓と深く関わることが理由の1つであったと思います。まず中国ですが、人口が多く、潜在視聴者数は膨大です。アニメは利益が出にくく、アニメータなどのクリエイターに報酬で報いることが十分ではありません。

中国でのアニメ放映は多大な商業的利益をもたらし得ます。ハリウッド映画などでも、中国人の役柄を加えることが多くなっているのも、世界展開での観客動員数を考慮してのことだそうです。アニメだって同じでしょう。作者が中国ヘイトを垂れ流していた、ということは、つまり客を罵倒していたということになります。それでは儲けようがありません。やらないのも当然です。

韓国については人口が日本よりずっと少なく、視聴者数的にはあまり稼げないでしょう。しかし、アニメ制作では深いかかわりのある国です。本格的に協業を始めたのが、調べてみますと、1967年の「黄金バット」、翌68年に「妖怪人間ベム」です。これがヒットし、以降、途切れずにアニメ制作の協業が続き、深まりもしました。

日本に来て仕事をしている韓国系クリエイターも多い。非常に不幸なことですが、京アニ放火殺人事件でも韓国系クリエイターも亡くなっています。作者に韓国ヘイト発言があれば、制作陣に動揺が起こることはリスク要因となります。アニメ制作者は過重労働が多く、しかし報酬が低いわけですから、他へ移ってしまうことはあり得ます。避けられるのも仕方ないことです。

上記は1事例ですが、作者が不特定多数、特にターゲット視聴者、制作協業者に対するリスクの高い行動をすると、メディアミックス展開どころか、原作自体が潰れてしまうことだってある、ということになります。ですから、不特定多数向けで成功したければ、嫌われやすい言動、行動は避けておけ、となります。
(逆の事例もありまして、普段の言動だけでなく、作品自体も多数から嫌われるものを作っている人もいます。ニッチながら安定した支持を得る戦略と思われます。)

作者の戦略と言動が不一致なら、「そういう行為は作者さんの将来を潰すぞ、やめるまで読まない」と告げるのもアリでしょう。ただ、作者が「いや、ニッチな市場で生きていくつもりだ」と言い出したら、それまでですが、

あるいは、作者の言動が反社会的であるような場合もあります。そういう作者の作品を読むことは、反社会行為を支持することになりかねません。商業出版なら、作者の反社会的行動に資金を与えることになる。積極的に読まない、買わないという選択もアリでしょう。

2.主観的な好悪

主観的なものだと、申し訳ないんですが、スレ主さん含めて、人様のことは分かりません。内面までわかるのは自分自身しかないからです。以下は、スレ主さんの事例に該当するかどうかは全く分かりません。それでもご参考までに、回答している自分自身の経験を申し上げているだけ、とお受け取りください。

普通は、作品Aを読む、という意識で読むんじゃないかと思います。作者が誰かは、読書中は意識していない。最も多い、普通の読書の態度と思われます。人によっては、作品はすぐ有名になるが、作者が誰かを知ってもらうには10年かかる、なんて言ったりもするようです。

別のケースもあります。作者Bが書いた作品Cを読む、という意識で読むこともあります。これは、作品Cを通して作者Bを見ている状態です。作品Bが割とどうでもいいことすらあります。著者が著名人であることをウリにするのはよくあることです。これは小説に限りません。

例えば、AKB48の歌曲は、聴くとAKB48のメンバーやパフォーマンスを思い出す、感動が甦る効果があります。つまり、歌曲だけを評価していない。もし歌曲自体が好きなら、他のもっと歌唱力のある歌手・グループのカバーがヒットするはずですが、ヒットどころか、そもそもあまりないのが傍証でしょうか。AKB48メンバー・パフォーマンスと歌曲がセットで受けているということですね(おそらく、戦略的にそうなるようにしていそう)。

作者名を意識した途端、誰かを叩く行為を思い出して不快なら後者であり、もともと、「○○さんが書いた作品」という影響を(おそらく無意識に)受けていた可能性も考慮すべきでしょう。

さらに「誰かを叩いているから」が本当の理由かどうかも、よく考える必要がある。例えば、よく見聞きするものに「○○さんは臭いから嫌い」というものがあります。経緯を調べると、(別の理由の)嫌いが先にあって、その嫌いな人の臭いを理由にするようになった、という事例が散見されます。

逆の事例が、人ではなくて食べ物ですが、例えば納豆。最初は臭いが嫌い、食欲が失せると言っていた人でも、例えば健康にいいはずだからと食っているうちに好きになることがあります。好きになると、納豆の臭いがしたら食欲が増すということも起こる。これは、慣れる以外に、納豆を食べた後の体調の変化も(無意識に)感じ取っての変化らしい(このことを「美味しい」が分かるのは食べた十数時間後だ、と表現する人もいたりする)。

そのように、好き嫌いなんて容易に逆転することだってある。主観的なものである上、理由を誤認することも、変化することも、よくあるということです。「○○は自分が好きな漫画キャラを女性蔑視だと不当に非難した叩いた。だから○○の書いたものなんてもう読めない」と感じたとして、本当に「叩いた」ことだけで嫌いになったかどうかは怪しい。

前から嫌いと思う点があったかもしれない。むしろ、あるのが普通です。ある他人について、どこを見ても好きだ、少なくとも嫌いでないなんて、あり得ない話です。どんな他人でも、基本的にその人自身のために生きているのであって、自分が気に入るように行動・言動の選択、果ては人格形成しているはずがないですから。

他人は、おおむね八割がたは自分と異なり、二割がたは共感できる。異なる八割がたのうち、二割くらいは相容れない。そういう傾向があるように思います。そうなると、さらにややこしくて、自分的には嫌な話にたどり着くしかありません。

ある他人のある行為を見て、その人の書いたものが嫌いになったとして、その「ある行為」を気にしているのは、他ならぬ自分です。その他人が、自分の嫌なことを見るのを無理強いでもしたら話は別ですが、そういうことはあまり起こらないでしょう。

つまり、たいていは自分の選択のせいであるわけです。他人の嫌な面をわざわざ覗き込んで、嫌だ嫌だと愚痴っている状態ということです。例えるなら、カメムシを自分の鼻先で潰しておきながら、臭いじゃないかと怒っているような状況です。

といったことを申し上げると、「じゃあ気にしなければいいのか」となりそうですが、そうではないです。それは自分にはできません。嫌なことは、思い出したくなくても、気になります。一種の警戒ですから。警戒は生存のための本能の一部です。取り除くことはできません。気にしまいとすると、かえって強まることすらあります(嫌な記憶に注意を向け、反復強化してしまうとかです)。

ですが、「嫌だと思っているけど、根っこには嫌な面を見に行こうとする自分自身に理由の一端がある」と意識することはできます。

そう思っても読めなければ仕方ありません。読まないだけの話です。楽しみたいのに苦痛のほうが大きかったら、何をしているのか分かりません。もし作者は依然として嫌いであっても、作品への嫌悪感が減じて読めるようになったら、儲けものです。読めばいい。

加えて、「自分の創作のための勉強だ」と思える場合は、ある程度は自分の嫌悪感を客観視できて、きちんと読むこともできやすくなります。

以上、繰り返しですが、全て私自身の話です。自分の個人的な経験でも、もし参考になるならと書いてみました。

上記の回答(作品と作者の人格の返信の返信)

スレ主 甘粕 : 0 投稿日時:

ありがとうございます。
非常に参考になりました。
偶然とはいえ、嫌な部分を見てしまった自分の責任というのも重々感じております。

客観的な損得に関しては当然の事ですね。
また読めるようになれば嬉しいですが。
(身近な友人だったという所も今回大きいと思うんですがね)

カテゴリー : その他 スレッド: 作品と作者の人格

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元記事:作品と作者の人格の返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信

アニメーションとかは、断定的な言葉をつかう小説と違い【同じ感想を抱かせない】という面で、観る価値はあると思ったりもします。
上記のアニメ電波系SF哲学っぽかったですし。意味不明すぎて【ユリ熊嵐 考察】とかもザラにありますから。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 私はユリ熊嵐というアニメーションに【創作活動における同調圧力と炎上、暴走】を重ねていたので、いろいろ思う所が出るわー。という感覚です
 =======================

二元論はwikiってきました。善悪二元論の方はちょい違うニュアンス。梵我一如系なら近いですね。
世界(梵)の中には私(我)がいて、それがさながら一つの如(ごと)し

・・・・ゆえに私こそが世界の法律である!!(極論、しかもやや電波)みたいな全能感がネットだと出やすいよねー。くらいのノリで、&そういう恐怖を知覚できない事が怖いよね!!って言いたい感じです。

========================
甘粕さんは失望している(のでしょうか?)
尊敬に値するはずの友人氏の、尊敬に値しない言動を見てしまい、今までの敬意がひっくり返って憎悪や怒りになりそうで苦しんでいる(のか?)そういう潔癖な所がすごく【少女チック】だと思っちゃう。

友人氏に正義の鉄槌を下す、透明な粛清者になりかけてないよね?大丈夫そう?みたいな解釈ですね。

上記の回答(作品と作者の人格の返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信)

スレ主 甘粕 : 1 投稿日時:

あ、二元論は男女二元論の方です。
言葉足らずでした。すみません。

女々しいとは良く言われるのですが、少女チックと言われてしまうともう何も恥ずかしくて相談出来なくなってしまいます…。

そうですね、失望というか
なにやってんだよ、作家になろうとしている人が……みたいな呆れた気持ちもありますね。作品、ここの批評掲示板にもあるんですけど、凄くこだわりのある世界観で(若干人を選ぶ部分)誰にも真似できないオリジナリティに加えて文章力があります。ここにいる人達にぜひ読んでもらいたいです。大好きだったんですよ、その小説

互いにアドバイスや感想を言い合う仲でしたので余計に気持ちの揺れ幅が大きく、自分の抱いた感情にも相手にも怒りがありますね。私みたいな馬鹿ごときが制裁などできませんので、そんな事はみじんも思っておりません。

カテゴリー : その他 スレッド: 作品と作者の人格

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元記事:作品と作者の人格の返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信

あるいは少女という年齢の層がやたら【男性的な要素】が強くなりがちで、それを感じてしまっているのかも。
あの時期に一気に二次性徴が進みすぎて「アンバランスな子」って男女ともに多いですから。

少女っていう時期は、少年期と違い、ある種の異様な雰囲気があるんですよね。
 好きな声優や俳優の結婚に怒り狂い、狂信者だったのが一転して苛烈なアンチになったり、【クラスタ】と呼ばれる無法集団になって暴走したり迷惑行為を行ったり。同調圧力でえげつない制裁を行なったり・・・・・少年より少女の方が凶暴で苛烈で、破滅的な極端さがある。

 ヒロインに究極性を求めすぎる如月さんとか、主人公に万能性を求めすぎる金村さん、そして友人に失望し憤(いきどお)ってしまう甘粕さんとかは、憧れや崇拝が行き過ぎて「対象が一ミリでも自分の理想から外れてしまう事を許せない」少女の潔癖さに似ていると思うんですよ。
心理学における【投影】あるいは【同一化】っていうんですっけ?

好きだからこそ憎んでしまう理想取りでないことに癇癪をおこして固執してしまう。そんな感じ。

少女をテーマにした作品はそういうのが見どころだと思う。試しに読むと、今だからこそ共感できて造詣が深まると思います。
個人的には入手しやすさと手軽さから梨木果歩の【エンジェル・エンジェル・エンジェル】とか推したい。

上記の回答(作品と作者の人格の返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信)

スレ主 甘粕 : 0 投稿日時:

少女性ではなく、多分発達障害の同一化しやすい所が出ている可能性があります。
それに関しては然るべき機関に相談するとして。

男も女も異性の感覚な私にとって
そういう少女の特異性みたいなものも余りわかりません。怖いなと思う時はありましたけど。

ありがとうございます

カテゴリー : その他 スレッド: 作品と作者の人格

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元記事:作品と作者の人格の返信

気に入っている絵師がTwitterをメインに活動していながら、絵を出すアカウントでそのまま政治について云々しだすと「頼むからアンタは自動描画マシンでいてくれ…」と思うだけに気持ちはよく分かります。

自分のスタンスとしては内心どう思うかはともかく「分けるべき」と考えております、特に作品が面白いなら都合よく忘れてしまおうと考えてますし、上記の絵師もポリティックな発言についても基本無視しております。
些細なことで楽しめるものが減ってしまうのは損だと思いますので。

ただそれにも限界が来る時があるとしたら、叩いている対象への憎悪や嫌悪を自分の作品にまで持ち込んで、尚且つそれが然程面白くない場合ですね。
件の友人の作品に例えるなら、フェミニストを模したヴィランを作中に登場させて、単に醜悪で愚鈍な悪役としてやっつけられるだけという展開を採用したら、でしょうか。
そういう状況に陥っている場合大抵作者がただ鬱憤を晴らしたいだけという事が多く、今後に期待できなくなるというのがあります。

結局は成果物次第、と言った所でしょうか。
出来上がったものが日頃の言動の「臭み」を感じさせないのなら無視しますし、逆に成果物まで自分の怒りや憎しみで台無しにするようなら、成果物諸共非難したい所ではありますね。

上記の回答(作品と作者の人格の返信の返信)

スレ主 甘粕 : 0 投稿日時:

物語の中に若干歪んだものが入ってきたりした時に限界がきましたね。

確かに成果物次第な気がします

カテゴリー : その他 スレッド: 作品と作者の人格

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元記事:作品と作者の人格の返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信

あくまで「読むせん的に」は【少女っぽい】所がある「気がする」ってだけなので、正解かどうかまでは知らないですね。それこそ男女二元論じゃないわけですから。「へー、俺ってそーなのかなー?(鼻ほじ)」くらいでお願いします(;´∀`)

上記の回答(作品と作者の人格の返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信)

スレ主 甘粕 : 0 投稿日時:

わかりました。
そういうふうに考えた事もなく
非常に新鮮でありました

カテゴリー : その他 スレッド: 作品と作者の人格

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元記事:処女作執筆に当たって、願望と技量の釣り合いが取れないことについて

始めまして、ヤマネコと申します。
この度、創作活動を少し前に始めて、処女作を執筆しております。
しかし、「あれを盛り込みたい」「これをああしたい」という願望が山のように連なっているため、現実で持っている私の現在の技量ではそれら願望を再現しきれないところがあります。
結果として、執筆が滞り、どうしても完成の目を見ることができない状態にあります。

実のところ、小説の処女作を書こうと試みたことはこれが始めてではなく、何回も何回も同じ壁に当たって執筆を挫折してしまいます。
ラ研のサイトは一通り閲覧したのですが、解決策が「処女作は自分で駄作だと感じても良いから、とにかく完成させる」という記述があります。が、私の場合欲張りなのでしょうか、願望が実現できないと途端にモチベーションを維持することができないのです。
こんな私が、処女作を描ききるにはどうしたら良いでしょうか?

拙い文章ですが、何か意見などを頂けましたら、ありがたいです。どうか、よろしくお願いします。

上記の回答(処女作執筆に当たって、願望と技量の釣り合いが取れないことについての返信)

投稿者 のん : 0

 こんばんは、のんです。他人の気がしない質問ですね。
 私も「アレやりたいコレやりたい」が大量にあるのですが、キャラクターを制御出来ないので思うようにいきません。勝手にキャラが動いて「あ、この展開ダメだ。修正しなきゃ」と思った瞬間、頭が真っ白になって筆を投げます。

 なので、ふわっとしたイメージだけ持って後はキャラクターに任せた方が捗るんですよね。それで長編が書きあがるかは、現在挑戦中ではありますが。

 取り合えず、何か1本完結させたいのでしたら、息抜きとして短編に挑戦してみてください。
 長編にするには無理そうな一発ネタを適当に用意して、後はノリと勢いです。それで短編は書けますので、気楽にやって下さい。

 始めた段階で無理をすると、苦手意識が付いてしまいます。折角アイディアとやる気があるんですから、楽しみましょう。

カテゴリー : その他 スレッド: 処女作執筆に当たって、願望と技量の釣り合いが取れないことについて

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投稿日時:

元記事:学生でやることは?

今私は学生です。はい。今のうちにやっておくべきこと、大人になって小説を書くにあたり困ったことはありませんか?

上記の回答(学生でやることは?の返信)

投稿者 サタン : 0

あります。ありますとも。
ハッキリと言ってしまえば、創作なんぞにかまけず青春を謳歌しましょう。
友達と良く遊び、部活を満喫し、学業に専念しましょう。
バイトでこき使われることを経験し、可能ならボランティアや地域サークルなどに参加し年の離れた人と仲良くなりましょう。
その経験が、大人になって小説のネタになるし、ネタにしようと意識しなくてもワンシーンを書くときに助けになります。
学生の間に創作関係でやるべきことは、読書を続けるくらいで十分です。

若い頃に得た経験というのは大事だし、マラソンの趣味など体力を付けておくだけでも有効です。
20後半や30超えると、6時間もPC前に座ってられません。1日くらいならまだしも、毎日やるなら体力をつけておかないと無理。
学生の頃からスポーツ関係の部なり趣味なり持って、習慣として身体を動かすことを意識してったほうがいい。

そもそも、創作というのは「自己表現」であり、そのための手段でしかありません。
文学ではなくエンタメを書きたいんだと言ってもこれは同じ。
ところが「創作だけやってきた人」というのは、確かに作るのは上手いけど、経験が足らないから「表現したいものが少ない」という事が多い。
要するに、文章は上手いけどネタは微妙、となる。
小説はインドアなものだけど、発想、アイディアの起点はその多くがアウトドアなもので、外にあります。
だから、外で多くの経験をしてきた人のほうが下手でも面白い作品を書くし、多くの人の共感を得やすい。
上手い、下手、こういうのは技術的なものなので、大人になってからの数年で身につくものですが、「若い頃の経験」は若い頃にしかできない。
20代になって高校に入り直す根性があれば別ですけどね。それだって若返るわけじゃないから難しいけども。

カテゴリー : やる気・動機・スランプ スレッド: 学生でやることは?

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投稿日時:

元記事:プロットでキャラ設定を書いていると稚拙な中二ノートに感じてしまう

こんにちは。
現在小説のプロットを書いているのですが、その中でキャラ設定で悩みが有ります。

だいたいキャラ設定って頭の中に浮かぶ「キレモノのクールな主人公」「ゴツくておちゃらけた相棒」「意味深なライバル」みたいなイメージを具体化するものだと思うのですが、
そこから物語を動かす動機づけとして「実は〇〇の過去がある」「実は〇〇の宿命を背負っている」みたいな一言を書いた瞬間にプロットが稚拙な中二ノートに見えてきて萎えるのです。

当然そういう設定も重要なのは分かるのですが、やはり簡単にポロッと書くと陳腐で安っぽく見えてきてしまうのです。

なるべく設定が中二ノートみたいに稚拙なものにならない書き方ってあるのでしょうか?

よろしくおねがいします。

上記の回答(プロットでキャラ設定を書いていると稚拙な中二ノートに感じてしまうの返信)

投稿者 サタン : 1

動機づけが中二的だからではないでしょうか。
キャラクター性としては「キレモノのクールな主人公」だけで十分で、「クール」「切れ者」な様子が見て取れるシーンを作れば少なくとも初期案は形になるでしょう。
しかしそれではキャラを作っただけで話に入ってこないため、動機付けを考える。
ところが、この動機付けで「実はこういう過去が」と中二的な要素を入れてしまうと「クール」「切れ者」という場面が「中二」を窓口に物語に加わることになるので、全部が一気に中二的になってしまうのではないかなと思う。
つまり、意図してなくても「実はこういう過去があってクールです」「実はこういう過去があって切れ者です」という印象になってしまってるんじゃないかな。
「動機付け」というのは物語にとってとても大事なものではあるけど、その実、それほど重要なものではありません。
ようは、そのキャラが物語に入っていける要素であれば問題ないので。
だから例えば「実は家族を敵に殺された過去がある」とかそういうキャラクターの行動原理や原風景など根本に触れるような要素であっても良い、というレベルの話。
「で、あっても良い」というレベルね。
主人公は金が大好きで金のためならなんでもやる。という設定なら、「実は~」なんて動機付けは不要でしょう。金を用意する展開にすりゃ主人公は動ける、すなわち物語に入ってくるので。
主人公やキャラクターが積極的に行動するようになる要素であれば、動機はそれで必要十分です。

物語を考えるうえで、おそらく「設定の繋がり」を意識してるんじゃないかなと思うんですが、どうでしょうか。
こういう設定だから、主人公はこういう性格になった。とか。こういう設定があるからこういう能力になった、とか。
因果関係を考えればそれ自体は悪いことではないけど、やりすぎると、そのために用意した感というか作り物感が出てしまうので、しばらく「実は~~」シリーズは封印してみたらどうでしょうか。
闇に蠢く怪物と戦う宿命を持っていなくても、平凡な高校生が戦うことになる過程は書くことができます。

と、言いつつ。
でも、そればっか考えてしまうってことは、たぶん中二的な要素が好きな人だと思うから、それを自分でバカにせず受け入れて中二な物語を書くのが一番楽しいと思いますよ。
それは稚拙でかっこ悪いと感じるのかもしれないけど、中二な物語なんて客観的に見たらどれもカッコいいもんじゃないです。
読者としては物語の中に入り込んでるからかっこよく見えるけど。
プロット、つまり概要だけつまんで見ればたいしてカッコよくないし、下らないうえにダサいことが多いです。
それをカッコよく仕立て上げる作家が凄いので、その稚拙な中二ノートをカッコよく仕上げる練習をしてみる、というのも良いと思います。

なにしろ、「カッコいい設定」を作るのがゴールではないので、たぶん、スレ主さんに必要なことは「納得できるプロット・設定を書く方法」ではなく、「書いたプロット・設定に納得できる手段」だと思う。

カテゴリー : キャラクター スレッド: プロットでキャラ設定を書いていると稚拙な中二ノートに感じてしまう

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