小説の創作相談掲示板:小説の書き方Q&A。執筆の悩み相談をしよう!

【本人から削除依頼】さんの返信一覧。最新の投稿順5ページ目

元記事:小説の設定に無理があるのか不安です

小説ストーリーといいますか、ざっくりとした設定を思いつきました。
それが、無理のあるものではないか心配なので、ぜひアドバイス頂きたいです。

主人公の男子高生が、クラスメートの目立たないが優しい美少女に告白する。
しかし実は彼女はお嬢様で、許婚がいると言われてしまう。
諦めようとする主人公だが、彼女に「実は、諦めきれない初恋の人がいる。相手はどこの誰か分からないから、家族には言ったことがなかったけれど、婚約が確定する前にどうしても探しに行きたい。探すのを手伝ってくれないか?」
と頼まれる。主人公はそれを受けて、彼女と初恋相手を探す。

なかなか見つけられないまま、1か月が経ってしまう。
主人公は落胆し、彼女との登校中ぼんやりしていたために自転車とぶつかるが、なんと、自転車に乗っていたのが彼女の初恋相手だった。
しかも、その人は男子のようなだけの女子(イケメン女子)で、彼女の勘違い…

主人公たちがその人に事情を説明すると、「彼女の許婚は、もしかしたら自分が片思いしている他校の生徒かも……」という返答が。

主人公は許婚とその人をくっつけようと奔走し、2人はめでたく交際することに。
そして、主人公と彼女も両思いになりハッピーエンド。

というストーリーなのですが、もしかして無理がある設定なのではないか?と不安です。

アドバイスお待ちしています!
よろしくお願いします。

上記の回答(小説の設定に無理があるのか不安ですの返信)

投稿者 【本人から削除依頼】 : 1 投稿日時:

 主な登場人物は4人ですね。4人中、ヒロインの婚約者だけは積極的に動いて物語を動かすのではなく、一種の物語上の障壁(主人公が克服すべきこと・もの)になっているようです。

 A. 主人公(男子高校生、ヒロインに惚れる)
 B.ヒロイン(婚約者あり、別に初恋の人あり)
 C.サブヒロイン(ヒロインの初恋の人、ヒロインの婚約者に片思い)
 D. 婚約者(主人公の勝利条件を有する受動的キャラ、他のキャラの行動の要)

 ストーリーの時系列的な流れは以下のようになっていますね。

01:主人公がヒロインに告白する。
 →ごく普通のイベント。
02:ヒロインは婚約者がいるとして断る。
 →ごく普通の破局。
03:ヒロインが主人公に初恋の人(片思い?)探しを協力依頼、主人公同意する。
 →意外な展開(無理が生じる可能性あり)
04:(初恋の人探し、難航)
 →いったん盛り下げる(第一の山場の準備に必要)。
05:主人公がアクシデントでヒロインの初恋の人発見。
 →意外な展開(無理が生じる可能性あり)
06:しかし初恋の人は女性(サブヒロイン)だった。
 →意外で、ヒロインには最大の障壁(最大の無理が生じそう)
07:サブヒロインからの情報「婚約者は自分の片思い相手」
 →問題解決のヒント(ここも無理が生じる恐れ)
08:(主人公がサブヒロインと婚約者を接近させようと努力する。)
 →いったん盛り下げる(ラストん山場の準備に必要)
09:サブヒロインと婚約者の交際成立=婚約者のヒロインとの別れ
 →最大の障害を突破
10:主人公とヒロインのカップル成立
 →副作用による問題解決(物語構造上の無理が生じる恐れ)

 上記で、単に「無理」と書いたものは、実はそれほど恐れる必要はないと思います。そんな偶然があるのか、と現実ではなりますが、フィクションです。無理を無理と感じさせないようにするのがリアリティの技術であり、作者の腕前です。

 言葉を変えて言うなら、無理がある部分こそ見せ場とできる、ということになります。全てあり得て必然に感じられ、奇跡や幸運(あるいは事故や不運)がないフィクションなんて、つまらないではないですか。工夫のしどころです。
(もちろん、無理を通しさえすればいい、なんてことではない。それでは単にあり得なさだけが目立つ。)

 どうしようもない無理が生じるとすれば、上記の10(主人公とヒロインのハッピーエンド)です。どうみても、直前の09(サブヒロインと婚約者のカップル成立)のほうが山場、見せ場です。なぜなら、その前段の08で主人公が努力するのが09の成就のためなのですから。08~09にはヒロインが重きを成していません。

 つまり、主人公の問題解決のために「婚約者がヒロインと決別してまで、サブヒロインを選ぶ」にスポットが当たってしまいます。婚約者の意思が、物語を左右してしまうわけですね。これが敵役ならラスボスで、倒してしまうべき存在ですが、この話だとハッピーエンドに持っていかなければなりません。

 言い換えれば、主人公が最大の努力を傾注する婚約者であり、婚約者がサブヒロインを選ぶかどうかでハラハラするわけです。ヒロインの決断といったことがそっちのけになります。結果として、印象に残るのは努力をした主人公以外では、重大な意思決定をした婚約者です。そしてサブヒロインに花が持たされる。どのキャラの印象が強くなるかは明らかだと思います。

 そこが構造上の問題点です。上記で無理と表現したのは、主人公とヒロインのカップル成立が印象に残りにくい運びという意味で申し上げてみました。物語進行上の無理とは性質が異なり、書き方次第で解消できるものではなさそうです。

 これを解消する一案としては(ベタですが)、ヒロインが勘違いの初恋を諦めるところを強調しておいて、諦めるために初恋の人の恋愛を成就させようと決意させてはどうかと思います。苦渋の決断であり、初恋が破れても好意は変わらないというヒロイン像ですね。そこを主人公も協力する。

 あるカップルを成立させようと、恋愛感情がないキャラ2名が奔走しているうち、奔走していたキャラが接近して、成り行き的にカップルになるなんて話はよくあったと思います(上記でベタと申し上げた要素の一つ)。

 あくまでも参考の一例ですが、ヒロインに充分にスポットを当てておいてから、主人公とヒロインが一緒に行動させることをメインで描くなら、婚約者とサブヒロインを目立たせすぎることなく、主人公とヒロインのキャラを立てることもできそうに思います。

カテゴリー : 設定(世界観) スレッド: 小説の設定に無理があるのか不安です

この書き込みに返信する >>

元記事:キャラクターによる殺害描写

バトル物のライトノベルにおいて、メインキャラクターに悪役を殺させるのは、控えた方が良いのでしょうか?
物語において、悪役を退場させるなら死亡退場は鉄板だと思うのですが、さすがにメインキャラクターにやらせるのは避けるべきでしょうか?

上記の回答(キャラクターによる殺害描写の返信)

投稿者 【本人から削除依頼】 : 1 投稿日時:

 作風にもよる話で、一括りにいい悪いは言いにくい問題ですね。

 ドラマなども含めて、昔の作品を考えてみると(古典は物語がシンプルで考えやすい)、悪党を殺しまくっている作品もあります。最近でもスペシャルがある「必殺仕事人」ですね。この作品だと、主人公チームが悪党どもをラストで殺さないことには、話が締まりません。

 必殺仕事人だけでなく、類例はいろいろ見つかりそうです。ただ、ダーク系という共通点はあると思います。

 作品的な多数派としては、たとえ悪役を死なせるにしても、例えば「殺す」を「倒す」と言い換え、ラスボスを人間ではなく異形の化け物にしたりしています。やはり、主人公が悪役といえど「殺す」となると、主人公に「非情」「冷酷」といったイメージが付加されるからでしょう。

 個人間バトルものの古典「ドラゴンボール」で主人公の悟空がどれくらい悪役を殺したか、ちょっと考えてみます。

・ピッコロ大魔王(初代)
 →悟空が殺した。しかし、初代はジュニアを生み出し(転生を匂わせる)、以降、ライバルのレギュラーに。
・ベジータ(サイヤ人襲来編)
 →悟空は撃退しただけ。以降、ライバルキャラ化。
・フリーザ
 →悟空は止めを刺さず(むしろ助けようとした)、フリーザは自分の技で自滅して死亡。
 →フリーザはサイボーグとして復活するが、止めを刺したのはトランクス。
・セル
 →一度目はセルが自暴自棄の自爆(悟空は周辺への被害を防いでの巻き添えで死亡)。
 →復活したセルに本当に止めを刺したのは、悟空ではなく息子の悟飯。
・魔人ブウ
 →善と悪に分離したブウの悪のほうだけを悟空が殺した。悪のブウはすぐ、無垢な子供に転生し、悟空が面倒をみた。

 確かに殺しているケースがありますが、殺された悪役はただちに転生などで蘇っています。その他のケースでは、サブキャラが殺し役になっています。
 また、同作ではドラゴンボールを集めて生き返らせることもできると明示的に描写されています(さらにこの世とあまり変わらぬあの世があったり、いろいろ死に対するリカバリーがある)。

 なぜ主人公が悪役を殺さないか。もちろん、主人公イメージが壊れる、汚れるといった直接的な理由は大きいと思います。しかし、それだけではなさそうです。

 主人公が頑張るのは、善悪物では悪の起こす問題の解決のためです。悪がはびこるのを止めるためには悪を消すしかない。だから悪を殺す。そういうのが単純には解決を与えます。

 ただ、悪を消すのは悪役キャラの退場だけではないですよね。悪役を改心させ、更生しようとする悪役を許す、というパターンもあります。これだと、主人公を聖化する感じになります。倒すより感銘度を高くできる(許しさえすればいい、というものではないですが)。

 なぜなら、「殺す」より難しい「許す」ですから。聖書でも対人関係では「汝の隣人を愛せ」(旧約)から「汝の敵を愛せ」(新約)に歩を進めています。自分を殺しかねない敵を愛するって、事実上不可能だと思いますが(例えば家族を殺した殺人犯を許して愛せるか、とか)、要求水準が不可能レベルなのが宗教だったりします(多少弁護すると、「だから懺悔しよう、そうすれば神は喜んで許してくれる」がポイントだったりする)。

 そのことを使った感じなのが、例えば「るろうに剣心」ですね。主人公の剣心は、初登場以前に数多を斬り殺したことになっています。しかし、ある事件を境に不殺を決意、殺さず解決することを誓ったキャラとしてスタートします。

 でも、多数が殺し合った憎悪が残っているといっていい、明治維新直後の時代です。剣心がもう殺したくないといっても、敵が容赦なく襲ってくる。剣心に深く恨みを抱く敵も少なくない。剣心の大事な仲間も狙われる。

 当然、剣心は再び殺すかどうかの境界線状で揺れ動くことになり、そこが作品の魅力の一つになっています。志々雄真実編(京都編)では、志々雄の信念をついに曲げることはできず、形式的には志々雄の自滅(身体が発火して死亡)ですが、事実上は剣心が止めを刺したと言っていい感じでした(そうなると分かっていて止めず、むしろ志々雄の生死を問わない奥義を繰り出した)。

 しかし、何度もできる作劇ではありません。雪代縁編(人誅編)では、ラスボス敵役の雪代縁は生き残る結末になっています。雪代縁も、ヒロイン薫を拉致しても殺さなかったりするなど(薫殺害を偽装しただけ)、ラスボス側に殺されるべき理由が発生するのを回避してもいました。

 あくまでも有名・人気作の一例でしかありませんが、ラスボスを殺すにしても殺さないにしても、そこを本気で描くなら、どちらも一筋縄ではいかない、なかなか難しいもののように思います。

カテゴリー : キャラクター スレッド: キャラクターによる殺害描写

この書き込みに返信する >>

元記事:視点の移動について

新人賞に応募するため、戦記物のラノベを書いているのですが「村上海賊の娘」や「忍の国」のように、別々の戦場で起きている出来事を交互に見せる形で戦闘を進めていると、二ページに一回(酷い場合には一ページ)毎に視点を変えていました。
視点変更の際は一行開けてはいるのですが、頻繁に視点を変えるのは読みづらいでしょうか?

上記の回答(視点の移動についての返信)

投稿者 【本人から削除依頼】 : 0 投稿日時:

 結論を先に申せば、仰る範囲で考えて、「視点移動は固定したほうがいい」になります。

 視点移動はするなとよく注意されます。分かりにくくなるからと。しかし、プロ含む上級作者の中には視点移動を(積極的に)用い、読者から分かりにくいと苦情を言われている様子がなかったりもする。

 視点移動という言葉があるのは、禁則だということではなく、そういう技法があるからなんですね。だから用いてもよい。ただし、きちんと扱えるなら、言い換えれば、作品内容を一切知らない読者がすっと一読して、迷わず理解できるように書けるなら。

 経験則ですが、たいていの発展途上の作家、特に我々みたいな経験がまだ浅い作家志望者だと、ほぼ失敗します。これは、一つには作者と読者の作品に対するスタンスが違うからです。

 作者は当然ですが、物語をイメージしてから言葉で表します。残念なことに、言葉が伝えられる情報量は少なく、特に絵的、音的なものはほぼ伝えられないと言っていいでしょう。モナリザの絵を知らない画家に、説明文章だけ渡してモナリザの模写が描けるか。無理です。五線譜ではなく、やはり言葉でベートーベンの運命を説明して、運命を聞いたことがないリスナーに運命を聞いたときの感覚が伝わるか。やはり無理です。

 言葉にした時点で、どんなシーンであろうが、極端に情報量が減り、絵も音もなくなってしまうのです。伝えられるのは記号だけ。例えば「猫」と書けば、日本人ならたいてい猫の画像や動画を思い浮かべられます。猫の鳴き声も同じです。猫を知っているからですね。つまり、読者の知識を全面的に借りて伝えるのが文章作品なわけです。

 場面転換での視点移動についてはどうか。キャラAの視点で記述された文章を読んで、作者に追いつくようにして読者もだんだんキャラAの見えるものが見えてくる。そして、空行たった1行がある。

 一応、場面転換かなと思いはします。読み進めたら確かに空行前と何か状況は違う。そこまでは分かる。だけれど、それをどのキャラが見ているかも伝える。それも視点キャラが変わっって、キャラBになったことも併せて伝えてもらわないと、元のキャラAが見ているものとして理解しようとします。当然、わけが分からなくなります。

 じゃあ視点移動時に何を書いておけばいいか。シーンを見ている視点キャラは誰か、視点キャラに見えている状況は何か、シーンの作内日時はいつか、最低でもこの三つを教えてもらわないと、視点移動に読者はついて行けません。

 章、節といったはっきり切れ目だと分かるのなら、まだなんとかなります。読者としても、さっきの続きではない可能性を十分に考慮しますから。でも、1~2ページごとに切り替え、しかも空行1行しかヒントがない。まず間違いなく分からなくなります。

 しかもです。例えば、作者さんとしてはキャラAとBの同時進行で切り替えつつ書いているとします。作者さんはAのシーンと視点を切り替えたら、当然、Bに移ると分かる。だけど、読者には全く分からない。たとえ別のキャラだなと感じ取っても、別のキャラCで切り替わったシーンなのかもしれないと思う。

 ですから、切り替えるたびに、視点キャラ、状況、日時をまず描写に混ぜつつ説明してから、狙いのシーン描写に移らないといけない。それが1~2ページごとにできるのか。もしやったとしたら、1~2ページごとに本筋と無関係の、視点キャラを切り替えた説明が入る。読者的にはかなり無駄に読む感じがしてしまいます。

 使いたい気持ちは分かります。例えば、複数の同時進行すべきシーンがあり、それぞれのシーンが他のシーンと絡むことがあり、山場では各シーンの結果が集まって来る、という物語構造だったら、視点移動しつつ、各シーンを少しずつ同時に見せていきたい。確かにそれが成功したら、ラストで「なるほど、こうなるのか!」という驚きが生じますよね。

 だけど、たいていは読者側の負担になるのです。少しずつ進行するキャラ別シーンを脳内でしっかり把握し、整理せねばなりませんから。読者としてやりたい作業ではありません。読み進めたらすいすい頭に入るくらいでないと読めないのです。だって楽しみたくて読むんだから。決して作者さんが構想した話を勉強したいわけではない、だから努力なんかしたくない、手間がかかるのも大嫌い。

 ですから、すっと一読して分かるように書けて、読者が退屈しないようにできるのなら(つまり上級者であり視点移動技法を習得済み)、視点移動を使えばいいと思います。でも、視点移動していいかどうかお尋ねということ、現在お使いの視点移動技法のご説明が的外れなことから、おそらく視点移動テクは身に着いていないと思われます。だから、やめたほうがいいです。

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: 視点の移動について

この書き込みに返信する >>

元記事:初めてラノベを書くのですが、、、

はじめまして!!現在働きながらラノベ作家を目指して日々勉強中の細井翔というものです。最近少しずつ物語を作り始めたのですが、わからないことが沢山出てきて、悪戦苦闘の毎日です。。。
そこでいくつか聞きたいことがあるのですが、この場では「作品を複数同時に書くべきか」について聞きたいのです。
最近、仕事中に思いついたネタを元に書き始めていたのですが、後日「あれ?こっちの方が面白くね?」と思い2個同時に書いていたら、数昨日「あ、、、また浮かんだ、、、」と、今では3つ同時に物語を書いているのですが、このままだともっと増えそうで、、、正直、作品が完成させられるのかも不安で仕方ありません。でも1度書きたいと思ってしまうと、どうしてもその作品に心がいってしまい、集中できません。
初めて書くのは、やはり1つに絞ってまずは完成を目指した方が良いのでしょうか?それとも創作意欲掻き立てるままに、身を任せて複数書いた方が良いのでしょうか?
皆さんからしてみたら「勝手にしろ」って感じですよね。すみません。。。
ですが、もしよければご指導頂けないでしょうか、、、?
よろしくお願いしますっ!!!!!!

上記の回答(初めてラノベを書くのですが、、、の返信)

投稿者 【本人から削除依頼】 : 1 投稿日時:

 初めて書く、と仰るのが謙遜かもしれないことを考慮して、回答してみます。

 もし、作品を書き上げ、推敲もして完成させたことがおありでしたら、他の作品も書き始めるか、今の作品を仕上げるか、気持ちがしっくり来そうなほうを選べばいいでしょう。どちらにしようか迷うということなら、どちらでもいいのです。

 しかしもし、まだ1作も仕上げたことがないのでしたら、まず今取り組んでいる作品を書き上げ、推敲を重ねて、自分としては(とりあえずは)これ以上はできない、というところまで仕上げてみてください。

 1作を書き切って仕上げたときの嬉しさを経験するということですね。作品アイデアをを思いついた楽しさは、既に経験されています。このアイデアを具体化したら、どうなるかとわくわくしますよね。

 だからこそ、作品を仕上げたときの充実感を伴った嬉しさも経験しておく必要があるのです。両方知ってないと、どちらにすべきか比べることができませんから。

 ですが、長編だとこれが大変です。ラストまで書く手間は膨大なものがあります。ですので、掌編か、せいぜい短編で今の作品を仕上げてみてください。構想的に短編でも収まりきらないなら、冒頭からキリのよさそうなところまで取り出し、オチを適当に考えて完結させてはどうかと思います。

 人それぞれの面がありますから、確かにこうなるとまでは言えませんが、おそらく完成させる嬉しさのほうが、アイデアを得て書き始める楽しさより、喜びは大きいんじゃないかと思います。

カテゴリー : ストーリー スレッド: 初めてラノベを書くのですが、、、

この書き込みに返信する >>

元記事:話の筋を作りながら物語のテーマにぶち当たるまで思いつくままに書いていていいんでしょうか?& アスペルガーの作者がアスペルガーを題材にしていいんでしょうか

どうも竹牟礼です。
「一番合戦 仁」というペンネームでやっています。

紛らわしいのでこちらの名前にすることにしました。

以下長文失礼します。

一つ目の質問です。
僕には小説の師匠がおりまして、 人となりを簡単に説明しますと、 かつて11人体制のプロジェクトを組んで途中で頓挫したという経歴を持つ、そこそこ経験のある現役同人小説家です。
( 現在は神話系の話を書いてるそうです)
そんな彼の指導のもといつも書いているのですが、彼のアドバイスで「本当にこれでいいのか?」と思うものがありました。

別スレッドでも少し書きましたが、「テーマというものは物語の最後でぶち当たるものだからどんどん書き進め。 出来上がったものが面白くなくても話の筋はできているはずだ。 それをたたき台にして推敲すればいい」 というものでした。

僕の作品のあらすじを以下に少しだけ説明させていただきます。

アスペルガー症候群を持つ主人公が七つの種族が治める異世界へワープし、謎の少女を暴漢から助ける。
事情をよく聞いてみると、彼女たちの種族は差別されていて、 村は差別主義者に焼かれて両親も焼き殺されたという。
お兄さんは破壊神の力に取り憑かれていて、各地に災いを振りまいてるという。
そのお兄さんを探しに 二人は旅に出る……、と言うお話です。

そ師匠の言う通り書いてみたのですが、やはり自分の作品が書いていても面白くないし、見ていても面白くないのです。
計画通り進んでいると言えば聞こえはいいですが違和感を禁じえません。
本当にこの書き方でいいのでしょうか?

二つ目の質問です。

(先に断っておきますが僕はアスペルガー症候群の当事者です)

先にも書きましたが アスペルガーの主人公が僕の小説に登場します。

軽々しく表現するべきじゃないことは重々承知しておりますが、ライトノベルの業界では「アスペルガー」という単語が出てきたことは過去一度もないでしょう。
一般文芸を見渡してもそうそうそんなタイトルは見つかりません。
( もしそんなテーマで売れてるのであれば 本に疎い人であっても誰の耳にも入っている筈です)
「発達障害×ファンタジー 」 というジャンルはまだまだ未開拓であり、うまく料理すれば僕にしか作れないとても面白いストーリーになるではないかと僕は分析しました。
いわば諸刃の剣です。
下手くそなものを書いて発表すれば確実に 身を滅ぼしかねないほどバッシングされます。
( 僕はよく知りませんが、筒井康隆のてんかん騒動とか)
少なくとも通常であれば素人や定型発達の人が扱う代物ではありません。

なのに、せっかく主人公は『アスペルガー症候群』という設定にしたのに設定自体を物語に絡めることができないのです。
それ単体でもかなり重い要素なのに、そこに破壊神、人種差別、 と重たくて暗い要素が加わり、作品全体がまとまってないような気がします。

そろそろ質問したいことのまとめへ移りましょう。

1.アスペルガーの作者がアスペルガーの 主人公を出していいのか?
また、アスペルガーの作者が、 実体験をもとにアスペルガー症候群を題材にしていいのか?

2. 「物語のテーマにぶち当たるまで話の筋を掴みながら場当たり的に書いていき出来上がったら推敲する」という書き方でも大丈夫なのか?

色々と書き連ねてきましたが、以上の2点について質問したいと思います。

どうぞお手柔らかによろしくお願いいたします。

補足: 僕は本気でかつて自分にも向けられた発達障害に対する差別や偏見を、他でもない自分のペンによってぶっ壊そうと思ってます。
ですからアスペルガー症候群という症名も バンバン出して行くつもりでいます。
カテゴリーエラー起こしてるのは重々承知です。
そうでなければこの世の中は変わりません。
いくら大人に読まれる内容の本をアスペルガーという題材で書いたとして、 理解するのは大人であり 10代20代に響きません。
そこで感化された大人がいくら動いたとしても、イジメはなくならないのです。
かといって療育の専門家が10代向けに書いた説教臭い教育本なんて、誰も読みはしない。
ならどのようにして彼らに訴えかけるべきか。
答えはただ一つ。
彼らが一番よく目にするライトノベルというジャンルに 発達障害というキーワードを以て一石を投じる必要があります。
僕がそのつもりで書いていることをご了承ください。

上記の回答(本人の経験をもとにしていいか、師匠とはどういう人か)

投稿者 【本人から削除依頼】 : 1 投稿日時:

 以下、出来る限りのことを申し上げておりますが、門外の者ですので、間違いもありましょうし、誤解もあるかと思います。また一個人の考えでもあります。予めお詫びし、ご了解、ご高察をお願いいたします。

―――――――――――――――

> 1.アスペルガーの作者がアスペルガーの 主人公を出していいのか?
> また、アスペルガーの作者が、 実体験をもとにアスペルガー症候群を題材にしていいのか?

 なぜこういうYes/Noの選択にするのか、ちょっと戸惑います(こういう選択肢に絞った経緯が分からない)。ただ、前段で竹牟礼さんご本人がアスペルガー症候群だと自己紹介されておられ、そこからは当事者・経験者だから他人よりよく分かるという実感をお持ちのようです。

 確かに、普段は気にしていない人よりはずっと知識があり、ご自身の経験としては感覚的な細部に至るまで感じ取っておいででしょう。なんとなれば、自分の内心まではっきり分かるのは自分以外にはいないわけですから。

 アスペルガー症候群について、一般的で初歩的なことから考えてみます。専門医がよく参照する臨床基準資料にDSM(「精神障害の診断と統計マニュアル」米国精神医学会編)があるのはご存じだと思います。現在、第5版、DSM-5(2013年~)ですね。
(他に、ICDがあるが、個人的に聞いている臨床への用いられる度合いや、最新版ICD-10ができた時期などを考えて、割愛します。)

 DSM-5からはアスペルガー症候群の記載がなくなったこともご存じだと思います。アスペルガー症候群という括りで診断することが難しく、他の症状と合わせて判断したほうが良い、といったことがあったようです。その辺りの事情は、専門家での議論であって、私のような一般人には分かりません。

 ただ、アスペルガー症候群という症名から、どういう人なのかということを考えるのは難しいということだけは確かだと思います。アスペルガー症候群だからどうこうと、肯定的、あるいは否定的、さらに差別的に考える一般人がいたとしたら、もう専門医でも諦めた判断に固執し、勝手なイメージでやってしまっている可能性が高いと判断すべきでもあると思います。

 ですので、フィクションであっても、「主人公はアスペルガー症候群です。だからこういうキャラなんです」といった描写は、誤解を広げないように書くのは非常に難しいと思います。専門医に近いレベルの知識と経験が必要ではないでしょうか。

 なお、これは当事者団体などの活動とは別の話です。生きづらさがあって診察を受け、アスペルガー症候群だと診断され、だからといって生きづらさは解消されない。周囲から差別的扱いも受ける。だから、当事者で集まって問題を解決していこう。それは、非常に大事で、DSMの改定が悪影響を与えないようにしなければなりません。

 竹牟礼さんが構想してお出での物語で、当事者の苦しみの部分にスポットを当てるのなら、問題は起こしにくいかもしれませんね。それも、ご自身が経験したことに限定して、内面含めて描くのなら、さらに問題は少なくなりそうです。

 簡潔に言い直しますと、アスペルガー症候群という括りで一般的に創作してしまうと、傷つく人、困る人、誤解する人が多数出そう。ある一人のアスペルガー症候群の個人的な経験として創作するなら、あまり問題ない創作をすることはできそう(注:できそう、であって、個人経験にすれば何を書いても大丈夫、とはならない)。

 もう少し枠組みを広げて考えてみます。精神医学の本はどれくらいお読みになった経験がおありでしょうか。一般向けのものではなく、大学の医学部で教科書になりそうなものや、臨床心理士が読むようなものです。

 総合的な精神医学教科書を2冊ほど読んだことがあります(他にハンドブック的なものも読んだが、症名の浅い解説程度で参考にならず)。それと臨床心理士向けの参考書。年長の作家志望の知り合い(その後、商業デビュー)から、狂気がないと、少なくとも狂気が分からないと小説なんか書けない、というアドバイスを受け、分からないので読んでみたのです。

 ちょっとびっくりしました。主に2点です。1点めは、どの症状も大なり小なり自分に当てはまるものがあること。もう1点は、まるでフィクションのキャラを解説してるんじゃないかと思えたことです。

 どういうことかと思ったんですが、理解に至る手がかりは精神医学教科書内にありました。異常という状態を舞台に置き換えた喩えがあり、舞台全体を均等に明るく照らしているのが普通の状態だとすると、失調した状態は舞台全体が暗くなったり、一部にだけスポットライトが当たっている状態との説明でした。

 さらに、バス停の喩えもありました。いつも定刻より30分遅れてバスが来るバス停がある。ある日、たまたま定刻通りにバスが来た。いつも通りでない観点からは異常事態と思えるが、定刻通りが本来だと考えると、他の日はずっと異常だったと思える。つまり、価値判断基準次第でどちらにも変わってしまう。

 フィクションだと、キャラの一面を強調しますし、そのために誇張もしますよね。現実にはいそうもない奇矯なキャラはフィクションに数多といます。例えば、照れるたびに主人公を張り倒すヒロイン、なんてちょっと前はよくあったりしましたが、現実にいたら大変です。

 そういうキャラでも理解できるのは、読んでいる読者自身にも、可能性としてはあるため、推測可能だからでしょう。この点は、構想されてお出での物語が読者に理解される可能性を示唆します。しかし、理解できるために非常に誇張されて、現実では見当たらないほどの奇矯なキャラも大勢いるわけです。むしろ、どんどん奇矯にしていかないと、面白みが出ないほどです。

 力を尽くしてアスペルガー症候群の主人公を描いてみたら、ごくありきたりのキャラだった、なんてことになる可能性は低くありません。

 それでも、お考えの差別をぶっ壊すという点が魅力にならないか。構想の重要なポイントの一つのはずですね。現実だって、誰かを虐げるより、一緒に笑うほうが楽しい。それは、笑うからではなく、悪いことをしていないから、つまり罪の意識を感じないからですね。フィクションで得た感覚と知識を現実にも持ち込んで、もっと嬉しい。そうなる可能性はあります。

 しかし、注意点も考えておくべきでしょう。多くのフィクションでは問題を解決しています。奇矯なキャラも、周囲、特に仲間とやっていけるようになるラストが多いわけですね。そう考えると、もう先行例が数多とあるわけです。むしろ、フィクションの大多数がそういうもの。その中で勝ち残れるだけのものがあるか、よく考えておくことが必要だと思います。

 なお、作者本人がアスペルガー症候群だから、というのは小説を補強するものにはなりません。そこをセールスポイントにしてしまうと、作者の魅力込みで小説を読んでもらうことになります。有名人ならともかく(「ああ、これをあの人が書いたんだな」という快感が生じる)、我々無名人では無理でしょう。

 それに、アスペルガー症候群をよく知らない人がターゲット読者層ですよね。知らない人だと興味を引くことすら難しい。タイトルや内容梗概に興味を引かれて読み始めるのは、おそらくかなり知っている人です(だから、もともと差別的ではない点も、ターゲット読者層から外れてしまう)。

 難しいですが、読み始めてもアスペルガー症候群がテーマに含まれているとは分からず、読み終わってから「主人公はそういう人だったのか」と分かり、何らかの感慨を残すように書ければ、成功できるような気がします。

―――――――――――――――

> 2. 「物語のテーマにぶち当たるまで話の筋を掴みながら場当たり的に書いていき出来上がったら推敲する」という書き方でも大丈夫なのか?

 これは「師匠に師事する」ということだと考えて、回答を考えてみます。師匠ってどういう存在なんでしょうか。「教えますよ」と宣伝して、入門者からお金を取る師匠なら、フィットネスジムのパーソナルトレーナーみたいなものです。弟子の希望を叶えるために教えてくれる。

 一方、尊敬できる仕事をしている人に、「弟子入りさせてください」と頼み込んで師匠になってもらうような場合だと、全く異なりますね。

 師匠は弟子の希望を聞く義理はありません。師匠のレベルに達したい弟子が、師匠についていかねばなりません。師匠は何の譲るところもない。「自分はこうしているんだ。お前も同じようにやれ」です。

 もし、「師匠から自分のやりたいことをダイレクトに教わりたい」とお考えなら、やりたいことを教えてくれない師匠からは離れるべきでしょう。そうではなく、「この人のレベルに達したい、この人からは小説がどう見えているか垣間見たい」とお考えなら、自分を曲げてでも師匠に倣う(習う、ではない。念のため)べきでしょう。

カテゴリー : 小説の批評依頼 スレッド: 話の筋を作りながら物語のテーマにぶち当たるまで思いつくままに書いていていいんでしょうか?& アスペルガーの作者がアスペルガーを題材にしていいんでしょうか

この書き込みに返信する >>

現在までに合計57件の投稿があります。 5件づつ表示中。現在全12ページ中の5ページ目。

ランダムにスレッドを表示

何で小説を書いているのかさっぱりしません

投稿者 DYDYDYDY 回答数 : 9

投稿日時:

小説を聞き始めた頃は一話を書いたらすぐサイトに上げたりして人の反応を見たりすごく楽しかったんですけど最近はそんな活き活きしい感じ... 続きを読む >>

魔法少年バトロアモノのテーゼについて

投稿者 アライ 回答数 : 4

投稿日時:

魔法少年のバトロアモノの小説を構想しているのですが、作品のテーゼをどうしたら表現できるのか、悩んでおります。 テーゼとしてはオスば... 続きを読む >>

敵キャラ(少女)の場合の扱い方のアドバイスが欲しいです

投稿者 腐れ卍坊主 回答数 : 10

投稿日時:

最近なろうで小説投稿を考えています。 最初の敵キャラの話なのですが、私の小説家仲間と話していました。私の小説の最初の敵の話をしたら... 続きを読む >>

ランダムに回答を表示

元記事:書きたいけれど書けない、そんなモヤモヤなときに

はじめまして。深由と申します。こちらの作法やルールもろくにわからないまま、相談させていただきたく投稿しました。

先週プロジェクト・アニマへ企画書を応募し、さあ締切から開放された、というところで何も書けなくなりました。いえ、書けるけれど、書いても書いても何かがしっくりこず焦りばかりが先立って、中途半端な短編を書いたり他の物書き友だちさんが活動してらっしゃるのを見るのが辛くて仕方がなくなりました。
今現在は期末テスト前ということもあり創作に意識を集中させることはできませんが、どうしてもこのモヤモヤとした感情を消化させたいと思っています。
焦ってばかりで、創作を楽しいと思える気持ちさえ今はありません。ただひたすら、「何かを書きたい」という衝動に取り憑かれています。

こちらでこんなことを言うのもあれかもしれませんが、描写や表現に重きを置いた小説を得意とします。エンタメ(ライトノベル)も、書きはしますが下手です。
ですが私の小説への評価として、「ありきたり」「派手さがない」「一辺倒」がよく挙がります。ここも直したいと思います。

こんなモヤモヤな時、皆さんならどうされますか? 現在は対策として他の創作仲間さんとの情報を遮断したり、インプット期間と称して憧れの作家さんの本を読んだりしています。しかしモヤモヤは晴れません。
また、前述の三つの課題はどうすればクリアできますか?より良いものを、作家に少しでも近づけるものを書くための力をつけていきたいです。

よろしくお願いします!

上記の回答(書きたいけれど書けない、そんなモヤモヤなときにの返信)

投稿者 サタン : 3 人気回答!

「ありきたり」
これは一般的な感覚から言うと、いわゆる「テンプレ」や「王道」ということで、ではそれを回避しよう、と考えるかと思います。
でも、その結果が「ありきたり」という感想なので、そもそも書き手のセンスが常識的なんだと思います。
常識的な感性を持って展開を考えるために、常識的な回答しかなく、考えれば考えるほどに「ありきたり」になりがちではないかなと。
人として常識的思考を持ってることは当たり前で良い事なんですけどね。創作的には邪魔でしょう。
よくある事だと思うのだけど、まったく考えないで適当に時間をかけずにあっさり書いた小説のほうが逆にウケがいい、なんて経験ありませんかね?
これは「常識的なことを考えてない」ので、かえって創作的に良い発想をしてたりするためだと私は思います。
作り込むと秀逸なアイディアも常識によって平均化されてしまうので、面白くなくなるんですよ。
でもこの手段は「作り込む」という方法を放棄してしまうので、短編とかならともかく長編だと持続が難しいし、実行しにくい。
なので真逆のアプローチとして、むしろ「テンプレや王道を率先して利用する」というのが手軽でおすすめです。
「ありきたり」をなくしたいのに何故テンプレや王道を利用するのかと言うと、
テンプレってのは話の流れとして形が決まってるものです。それが当たり前で当然だと思っています。なので、その一部を外すだけで読者からすれば「斬新」に見えます。
「戦車」には軍人が乗ってるのが普通の常識的発想ですよね。じゃあ「女子高生」が乗ってたら?
普通を外すのが大事。ということは、そもそも「普通を書く」というのが大事。でないと「外す」ポイントが作れないので。
ガルパンだって、ありゃストーリーラインだけを考えれば「優勝しなくちゃ廃部になる!」ってド直球の王道部活モノでしょ。
「ありきたり」を回避したいがために「ありきたりな王道・テンプレ」を忌諱してるのではないか、と思います。

「派手さがない」
小説は文字だけなので、実際に作品を読まないと何を意味して「派手さ」と言ってるのかわからないのですが、ここではおそらく「展開に派手さがない」という意味として答えようと思います。
これは結局はインパクトや意外性の話になるので、「ありきたり」の回答と似通ってきます。
というのも、「意外性」つまり「意外」って、まあ言葉を変えれば「予想外」ってことですが、「予想外」ってことはそれを予想してる人の頭には、すでに想定するイメージがある、というのが前提になることはわかりますかね?
「事前に予想してる」でもそれが「外れる」から「予想外」なわけで、誰も想像できないような突飛な事を書けば良い話じゃないわけです。
これは「事前に予想している」という読者の「予想」をコントロールできりゃ、それを「外す」だけで簡単に予想外は作れます。
では、どうやって「予想のコントロール」をするか?
「ありきたり」を書けば、読者はそれを簡単に予想できるし、作者としても読者が何を予想してるのか簡単に把握できますよね。
で、ここぞという場面でテンプレから外してやれば良いわけです。
主人公が活躍してヒロインっぽい女の子を助けりゃ、二人はいい関係になるのかなと予想できます。でも助けたと思ったけど実は手遅れで、ヒロインっぽい子は生ける屍となって主人公に剣を突き刺す、みたいな。
主人公が試練的なのを克服していよいよラスボスに挑むぞってなれば、普通に考えりゃあとはラスボスと戦うだけと予想できます。だからそこでライバルを出して私闘をする、なんて展開はよくあるけど燃える展開です。
そしてそういう展開は得てして印象深くなるので、読者に与える衝撃は大きくなり、すなわちインパクトが大きくなりやすいという事になります。

「一辺倒」
これは多分、一つの話で一つの話題しか扱わない・扱えないためではないかなと思います。
極端な話、複数の話題が絡み合う群像劇で「一辺倒」という感想は聞いたことがない。
まあ、全部の話題で似たようなことしかしてないシナリオならそういう感想にならないとも限りませんが。
であれば、単純にサブプロットに力を入れれば解決するのではないかなと思います。
既にサブプロットを利用してる場合は、メインプロットへの混ぜ方に問題があるのかなと思います。
……あるいは「山がない」ということを指して言ってるのかな。
この場合、三幕構成などで構成を学べば改善が見られるかと思います。

>インプット期間と称して憧れの作家さんの本を読んだりしています。
ぶっちゃけると賛同者が少ないと思うので、あくまで私の方法ですが、と前置きしますが、
憧れの作家の本を読むのは逆効果と思います。
当然、良い影響を与えてくれるのでメリットは大きいのですが、それ以上に影響を受けすぎるデメリットのほうが大きいと感じるためです。
面白い人のマネはどんどんすべきだからパクリとかは問題じゃないんだけど、似たようなのを作ると憧れの作家と自分を比べてしまって、「自分の中にある完成イメージ」が高くなってしまって、自分の作品が合格ラインを突破できなくなるんですよね。
ようは満足できるハードルが高くなるので、筆が動きにくくなる、と考えています。
好きな作家の作品は、あくまで好きだから読むだけの趣味で、私は意図的に参考にしないようにしています。
特にやる気が出ない、スランプ気味なんて時は絶対読みません。
そんなときにオススメなのは、逆にめっちゃ下手な素人のWeb小説や、自分が嫌いな人の作品です。
だって、コイツが書く作品よりも俺のほうが面白いの書けるもの。って気持ちになるためです。
すんげー退屈だから、こんなの読んでるくらいなら自分で書きたい、って思っちゃう。
前述した「合格ライン」もコイツらを基準にすりゃ楽に越せる。
「できない」よりも「できる」ほうが楽しみを感じやすいのは当然で、合格ラインってハードルは低いほうが良い。
向上心があって高いハードルに設定すりゃ、そこを乗り越えたときのカタルシスもひとしおだけど、それが簡単にできりゃ苦労はいし、向上心が少なくとも書いてりゃ上達するので、ハードルを常に超えられるようになったら、ある程度のところで新しい事にチャレンジ、つまり新しいハードルを用意すりゃ良いだけです。

「書きたい」という気持ちはあるけど書けない、というのはハードルが高くて現状の自分では超えられる気がしないとか、「やる前から諦める気持ち」の現れだと思うので、ハードルが高いのが原因ではないかなと。
「なろう」などでWeb小説など未熟な作品を読んでみると良いのではないでしょうか。
基本つまんないけど、つまんないと思って読んでると意外なところで面白い発見があって勉強にもなりますよ。
ちなみに、つまんない作品の読み方は、好意的に率先して面白いところを見つけていく、という事です。
欠点は意識するまでもなく目につくので、面白いところを見つけるまで読んでくと、素人ながらに独自のセンスが見えて楽しめます。

カテゴリー : やる気・動機・スランプ スレッド: 書きたいけれど書けない、そんなモヤモヤなときに

この書き込みに返信する >>

投稿日時:

元記事:小説のプロローグ相談。もう面倒くさいから『出張版』ではないです。

 はい、タイトルで『また大野か』と思った皆さん大正解。大野です。
 数日前、こちらで相談した『現代を舞台にして、魔術師(などなど)相手に詐欺師が頭脳戦する話』のプロローグを勘案してきたので、ちょっとばかりご相談。
 なお、今回は(メンドクセーので)別スレの『プロローグ相談』に移動する形でなく、このスレッドで話す形でお願いします。

 さて、本題。現物を見てもらう前に、俺の作品構想をば。
 まず今回の目標は『読者を騙す』こと。と言っても皆さんには概ね言っちゃうんで拍子抜けになると思いますが、諸々ご意見くださると幸いです。

 全体のプロットとしては『第一の事件→第二の事件→第三の事件前編→第三の事件中に死にかけた主人公の回想→第三の事件後編』という形のシンプルな『短編連作』を想定しています。ただし、『全ての事件において共通する探偵以外の登場人物が第三の事件の黒幕』と言う形をとって、『主人公が人知れず事件の妨害を行っていた』ような雰囲気を出したい。
 
 さて、すごく大雑把な所を書いたところで、プロローグの登場人物&プロットです。括弧でくくった情報は、解決パートまでは伏せられる内容になります。後もう一つ、この世界における『魔術師・その他オカルト』は『嘘を吐く』ことが出来ません。作中にもちゃんと書きます。

 瓜坂誠司:魔術探偵を自称する無能力者(無能力者であることは、読者のみ知っている/詐欺師)。第一の事件の語り部。探偵としてのスペックもそれなりに高く、相手によって演技をして自分の顔を使い分ける。

矢加部月菜:事務所の居候兼バイト(幻影系能力者/本当は化け狸だが、第一の事件時点では超能力者と勘違いされる)。普通の人間として生きてきたので、精神的・肉体的にかなり貧弱。ただ、根はまっすぐでしっかりしている。

 ヤマモト:探偵の親友を自称する狂言回し(正体は某大物妖怪/ヤマモトは『瓜坂が付けた仇名』)。世界中を渡り歩いては、何かしらの厄介事を探偵に押し付ける。そのため、瓜坂が『素』で接し、文句を言う数少ない人物。数か月前月菜を拾い、探偵に押し付けた。ライネス・エルメロイとか、峰不二子(次元にとって)に近いキャラ。

 ルイス :今回の依頼人。苗字は『スリップジグ』(愛蘭語/伏線要素)。ロンドンの魔術師で、『日式魔術を研究する!』と飛び出した姉が日本で死んだため、解決を依頼した。基本的に人道とか気にしないタチだが、『裏切者と共同研究なんてできない』とのこと。(全編通したラスボスであり、ちょくちょく『嘘でないけど』な発言をする)

 マリー :ルイスの姉(真の依頼人/とある事情から『自分の死の偽装』と後始末を依頼した)。魔術師には珍しく、道徳観念に理解があり家族愛もある少女(そこを利用され、全編通して共犯者にされる)。(前述の依頼も妹のとある計画のためにやった)。表向きの依頼理由は『魔術師をやめるため』であり、嘘ではない。

  被告人s:ルイスを含む、スリップジグ家の数名。マリーが家督を継ぐ・いろいろな遺産を受け取る人物であったため、またマリーの研究が特殊だったために横取りをしようとしたなど、全員に動機がある。彼ら一人一人に『私は殺してません』と言わせても、『死に掛けを放っておいた/未必の故意』は『(直接)殺した』と言い切れないため、イタチごっこになってしまう。そのため、主人公は『どのようにして死んだか』の観点で犯人を捜す。

 第一の事件・プロット。
①商店街の手伝いから帰った瓜坂の元に、ヤマモトから電話が掛かって来る。数日中に依頼人が来る、と言う彼のセリフに瓜坂は『また厄介事か』とため息を吐くと、月菜に茶葉を買いに行かせるのだった。
②その翌日。やって来た依頼人相手に、相手の正体を推理してある程度の信用を掴む瓜坂(ヤマモトの事前情報で知っている内容)。いくつかの事情を確認したのち、現場に赴くこととなる。
③事件現場に着いた探偵s。彼らが目にしたのは和風な板張りの上に広がる魔法陣とその上に広がる血だまり(致死量以上)、そして部屋を守る結界。結界を通してもらった瓜坂は『証拠隠滅を防ぐため』と関係者を追い出す。
④探偵と助手の会話シーン。倫理的にどうのとかいう助手をあしらいつつも、時に向き合い、しばし雑談する。やがて瓜坂は『見つけた』と言って(懐から出した)証拠品を持ち上げ、ルイスたちを読んでくる。
⑤(表向きの)解決パート。事件はいたってシンプルな事故死と瓜坂は断定(嘘)。マリーが『日本式-西洋式』の術陣の属性変換をミスった等として地面に広がる魔法陣についてご高説を垂れる。『本当に他殺じゃないのか?』と詰め寄るルイスに証拠品(偽)を出し、『そんなものは見つからなかった』という関係者には『日本式の風水を応用した結界で隠していたようですが、壊れてしまった』(嘘)と言い張る。ルイスが納得したことによって(ルイスは真相を知っている/瓜坂は左記の内容を知らない)、他の関係者たちも黙り、事件解決となる。
⑥解決編(真)事件から数日、平日の昼間にマリーが事務所を訪ねてくる。瓜坂に料金を支払い、しばらく談話するマリーであったが、職員の欠勤によって早めに帰って来ていた矢加部に詰め寄られ、瓜坂は真相を説明することとなる。『人を騙すのは悪いことだ』と言う矢加部に対し、『じゃあ、今回の一件で損をした人間は誰だ?』と瓜坂は問いかけ、『騙すことによる人助け/騙してでも悪人を裁くという意思』を瓜坂は語る。

以下。現行制作版プロローグ。
御意見、お待ちしております。
https://kakuyomu.jp/shared_drafts/84evzzQ5otmweKU6qcNVI2WXVhv7n5ji

上記の回答(小説のプロローグ相談。もう面倒くさいから『出張版』ではないです。の返信)

投稿者 読むせん : 0

チョイ気になった部分
レッドキャップかワイルドハントの説明を入れてもいいかも( 漢字とかにしてルビを振るだけでもいい。首切り小鬼や百鬼夜行とかでも十分ニュアンス理解ができる)

マドモアゼルはマダムとかの呼称の未婚女性を指す【フランス語】
そこまで五月蠅くない方が多いですが、フランスとイギリスは仲が悪い事が多いらしいので、場合によっては依頼人にカチンと来させてしまうかも
ーーーーーーーーーーーーーーーー
提案
粗過ぎの要約がイイ感じすぎて先行知識に物語がおいこされる、逸( はや)る気持ちが湧きました。
設問内でも気合入れて「出し惜しみ」して欲しいかも(;´∀`)

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: 小説のプロローグ相談。もう面倒くさいから『出張版』ではないです。

この書き込みに返信する >>

投稿日時:

元記事:死んだら星になる

1、死んだら星になる、と聞いたことがあるのですが、元ネタがもしあれば教えてください。(ネットで調べた限りでは確かなことはわかりませんでした)

2、作中で、死んだ人の魂を星にする魔法を使いたいのですが、本文で「星にする」と書くのはカッコ悪い気がします。「星に上げる」「空に架ける」? 「架空する」だと変だし漢文忘れたし……と迷走しています。「架天する」「成星する」?
造語でも良いので、何かカッコいい言い回しがあれば教えてください。使用頻度が高いので、出来ればいくつかレパートリーがあればベストです。

3、死んだ人の魂を星にする、という魔法を、主人公に使わせたいのですが、魂を星にする、ということは霊が消滅してしまうことになります。主人公が人殺しをしているように見えますか?
一応、霊魂は、地球にとどまっていると悪霊化してしまうので、空に架け星にすることで地球の浄化&霊魂の救済をする、という設定にしようと思ってはいます。

以上3点、よろしくお願いします!

上記の回答(死んだら星になるの返信)

投稿者 ふ じ た に : 0

先日は色々と失礼しました。
お言葉に甘えてやってきました~。

2、ぱっと思いついたのが「昇天」でした~。

3、についてですが、ある宗教では死んだ魂は神の元へ行くという考えだったと思うので、魂が消滅するのではなく、天(空)に召されるという考えなら、人殺しのようには見えないと思いました。
死んで成仏した人は、空から見守っているよ~みたいな。

合わなければスルーしていただいて構いませんので!
ではでは失礼しました。

カテゴリー : 設定(世界観) スレッド: 死んだら星になる

この書き込みに返信する >>

投稿日時:

トップページへ

▼書き込みの検索

▼投稿者の検索

質問、相談をする!
コメントは4500文字以内。
返信通知設定(必要なければ外してください)

「私はロボットではありません」にチェックを入れてください。

ページの先頭へ

小説の書き方Q&A:創作相談掲示板の使い方・利用規約(必ずお読みください)。お問い合わせ