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ふわーさんの返信一覧。得点の高い順1ページ目

元記事:頭脳戦を書きたいの返信

手っ取り早く書くんであれば、単純に実際にある詐欺の手口などのエピソードをそのまま形にすればいい。
頭脳戦や心理戦は、実際は大したことしていないのよ。例えばノーゲーム・ノーライフの中でも人気エピソードの「しりとり」なんて、私もあの話すごい好きだけど、実際は単にしりとりしてるだけでしょ。
むしろ、作者のオリジナル要素が入り込んでるチェスの話のほうが微妙だったんじゃないかな。ボードゲームなのに主人公が口八丁で駒を扇動するって、チェス関係ねーじゃんって感じの話じゃなかったっけか。
「しりとり」の場合は、ラストの「相手が口にするワードを主人公が誘導する」って場面さえ浮かんでりゃ基本的に同じエピソードは作れる。もちろん、そのエピソードをどうやって盛り上げるかどうやって緊張感を作るかってのは作者の腕だから、これはあくまで同じ構成のエピソードは作れるという意味でしかないけどね。
ノーゲーム・ノーライフの「しりとり」は盛り上がりも緊張感も良かったし、それらを演出していくしりとりのルール設定も面白かった。

ようは、頭脳戦って「最後の主人公勝利確定の場面をどうやって作るか」っていう、他のジャンルと大差ないことしかしてない。
その過程において騙し騙されがあるから頭脳戦たりえてるわけで、そしてその過程の頭脳戦ってのは緊張感の演出ができるほど面白く、また同時に、その緊張感の演出が出来るのであれば頭脳戦の内容は割と何でもいい。
逆に、何でもいいからこそ「今回はボードゲーム!」「今回はカードゲーム!」「今回はオリジナルゲーム!」と頭脳戦の内容を変えていける。

なので、「主人公勝利確定の場面」のイメージというか状況をまず考える。テーマにするゲーム・賭け事を決めるのが先かは人によるかなと思う。
これが思いつかん場合、実際の詐欺被害などを参考にするといい。Amazonで「詐欺」で検索すれば古今の手口がまとめられた本がいっぱいある。
こういう資料をベースにしておけば「どこでどういう伏線が必要」みたいなのは、おおよそわかるだろうと思う。
そしたら、あとは緊張感を煽って「勝利確定の場面」まで誘導していけばいい。

ノーゲーム・ノーライフの「しりとり」の場合、これは敵を発声含め行動不能の状態に持っていければ良いわけで、極端な話しりとりのラリーは2・3回程度で勝負はつく。
ぶっちゃけ、頭脳戦を考えなけりゃ「女性服」で女性の服だけを消せるんだから「女性の生命」とか言えば1ターンで男の主人公の一人勝ちなわけで、設定自体は結構ザルよ。面白いから全て許されるけども。
だから、その「敵の行動不能状態」までを遠回りして緊張感を演出してってるってだけで、敵さんの魔力的な力を奪ったのも地表を消したり先にマントル消したりしてたのも、別にする必要はなくて、「全てこのためだったのか」と見せかけてるだけ。そういう演出で、そこが面白いんだから別にディスってはいないのだけども。
「敵の行動不能状態」つまり「主人公の勝利確定の場面」まで、どうやって緊張感を煽っていくかって話が頭脳戦の書き方ってことになると思う。

その手段は、一般的には「負けたらどうなる」ってことを強調してくのが多いね。戦闘モノとかは「勝利条件」を明確にすることが多いけど、頭脳戦は「負けたら」ってことを強調する場合が多い。
まあ、そのほうが緊張感を煽っていけるからね。
だから、主人公がマイナス思考をしない人物像の場合は、そういうマイナス思考をする相方がセットでついてきたりする。
ほんで主人公が選択をミスって慌てたりして、そのミスそのものが相手の油断を誘う罠でした、で勝利して終わりとか。そういう作り方になるね。

上記の回答(頭脳戦を書きたいの返信の返信)

スレ主 ふわー : 13 人気回答! 投稿日時:

回答ありがとうございます。
「詐欺のエピソードを形にする」ということですが、詐欺の手口とゲームでの演出がうまく私の中で結びつかないです。
例えばどんなものがあるのでしょうか。

カテゴリー : ストーリー スレッド: 頭脳戦を書きたい

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元記事:可愛いヒロインの描写の返信

ハッキリ言えばキャラクターによって違います。
その性格の個性を出すことがキャラクターの魅力に繋がり、強いては「可愛い」という描写に繋がります。
なので、それを「ヒロイン(女の子)の可愛い仕草」と一括りにしてるのが問題ではないかなと思います。
例えば、「見栄を張る」というどー考えても可愛い仕草ではない展開でも、キャラクターが「ツンデレ」だと、まさにそれがツンデレの特徴の一つなので、ウケるのはそういう「見栄を張る・意地になる」といった場面ですよね。

となると、「可愛い描写とは何か」ではなくて、「書きたいキャラクターの個性は何か」という話になるので、ここで「可愛い描写」を提案してそれを上手く書いたとして、しかしおそらくキャラに合わず描写が成功することは無いかと思う。
「やきもちを焼く」というのは多くのキャラクターで当てはまりやすい可愛い要素ですが、まあこう言うとアレですけど「やきもちを焼く姿が許されるキャラ」でなければ可愛くないです。

上記の回答(可愛いヒロインの描写の返信の返信)

スレ主 ふわー : 3 人気回答! 投稿日時:

キャラクターの性格によって可愛さは変わるのですね。
ただ技術不足なのか、ツンデレ的可愛さしか思いつかないのが現状です。

カテゴリー : キャラクター スレッド: 可愛いヒロインの描写

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元記事:学園物の主人公を平凡、凡人にしたくないの返信

意見としてはオミクロンさんとだいたい同じなので特に新しいことは書けないかと思いますが、言いたいことが出てきたのでちょいと返信してみようかなと思います。

まず、
>学園物や現代物の男主人公は顔はイケメンではない普通、勉強も運動も特別得意ではないということが多いです。
この分析は間違いではないと思うけど、「現代モノ」「学園モノ」とジャンルを限定してしまうと人気を得られそうな主人公像も限定されていくので、ある程度はしょうがないことです。
ちなみに「人気だからよく使われる」という事じゃなくて、「人気だからそういう主人公が残る」という話であって、広く見れば「ごくごく普通の高校生」という主人公像はそんな多くないかと思います。
まあ、これも「主人公の時点で平凡ではない」という意見に通じてしまうんですが、もともと「平凡な高校生」という主人公の流行りはエロゲの主人公が走りでした。でも、エロゲ主人公だから異様にモテるわけで、この時点で平凡じゃないんですよね。
そういったものを除外して、強いて言うのであれば、「涼宮ハルヒの憂鬱」に出てくる主人公「キョン」のようなタイプが「平凡な主人公だ」と言えるでしょう。
ツッコミしか取り柄がないけど、これは物語進行上の役割でしかないし、個性的なツッコミをするわけでもないし。
ただ、「涼宮ハルヒの憂鬱」は正確には主役はヒロインである「ハルヒ」で、主人公として見える「キョン」は物語の語り部であるだけなんだよね。
こうした「主役をサブキャラ視点から語る物語」というのは古くからあって、有名所ではコナン・ドイルの「ホームズ」なんかがそうですね。
語り部であるワトソンの視点から超天才のホームズの活躍を書いていく、という物語。これも言ってしまえばワトソンは凡人の域を脱しない「普通の人」を代表するキャラクターになります。
つまり、「平凡な主人公」というのは実際こうしたモデルの物語以外にはほとんど無いので、今問題にされてるいわゆる「自称平凡主人公」というのは「設定でそう言ってるだけ」の存在でしかないわけです。

そんなわけで、極端な話、「俺は秘密組織でNo1のエージェントで女の子にモテモテだけど基本的には平凡などこにでもいる高校生さ」とか言ってるのと何も変わらないんですよね。
原作エロゲから一般に入ってヒットした有名作で言うとFateシリーズの主人公「衛宮士郎」が、物語開始時には「平凡な人物」として描かれてるけど、実際ぜんぜん平凡じゃないんですよね。
設定的な魔術云々って話を抜きに考えても、「両親はおらず、広い武家屋敷で一人暮らし。近所付き合いのある若い担任のお姉さんが毎日のように入り浸り、後輩が朝食を作ってくれる」という時点でツッコミ入りまくりの「特殊性」を持ってます。
それで何が凄いのかというと、そんな「ありえないほど特殊な人物」を、「平凡」として書いてる書き手が凄いんよ。

ええっと、わかるだろうか……。
「平凡であることが必須」なのではなくて、「そう見せる」ことが大事なんです。
「平凡でどこにでもいるような男」が、「異様にモテる」という展開になるから面白いわけです。
「凡人と思ってた人物」が「活躍して頼られる」から面白いわけです。
凄いヤツが凄いことしても、これは当たり前の結果なのでなんも面白くないでしょ。
だから、世にある「自称平凡」という主人公は、その特徴を抽出してみるとぜんぜん平凡じゃありません。むしろ特殊性の塊です。

物語のロジックの話をすると、そもそも物語というのは「変化」があることが面白味を得やすいです。
例えばジャイアンが敵をぶんなぐっても、大して面白くない。ジャイアンなら殴りそうだし、ジャイアンにとって普通の行動じゃん?
でも、のび太が敵の前に立ちふさがると、何故か盛り上がる。それでのび太が負けたとしても「のび太のくせによく頑張った」みたいな感じになる。
これは「弱者」の象徴であるのび太が「強者」に挑むから面白いわけで、「弱い」から「強い」の変化、「勇気がない」から「勇気ある行動」への変化、そうしたものに人はカタルシスを得やすいので、面白い、という事になる。

で。話を「平凡」に戻すと、
物語の結論として、つまりオチを考えてみると、恋愛モノなら「勇気をだして告白」とか戦闘モノなら「強敵に打ち勝つ」とか、そういう感じなわけです。
じゃあここで「のび太の例を取ってカタルシスを考えてみた場合、序盤で主人公はどのような人物像が適切か?」という命題に答えた場合、その多くの回答は「平凡」になりませんかね?

ただ、この話だけを真に受けると「主人公は平凡なのがベストなんだ」って誤解される人もいるかもしれないので念の為書くと、
この話は「物語モデルの一つとして、こういう考えもある」というだけです。
例えば「僕は友達が少ない」など「平凡な主人公と個性的なサブキャラ」という図においては、これはどっちかっていうと主役は個性的なサブキャラで「個性的なサブキャラに振り回される主人公」を楽しく読む物語なので、この手の主人公は終始変化なく平凡であることが多いです。
変化あるのは主旨である個性的なサブキャラの方って事が多いですよね。主人公像は問題ではないし、サブキャラを立てるために主人公を無個性にしてるだけですから。
この話題もオミクロンさんの回答の焼き増し的な感じになりますがw
あるいは「ひぐらしのなく頃に」の主人公は特殊性なんてほとんどありませんが、別に「強者に打ち勝つ」など「凡人から変化するポイント」にカタルシスを置いてるわけじゃないので、逆に凡人でも超人でも問題ない、という感じです。単に超人だったらすぐに事件が解決しちゃうので凡人になってるだけであって。

まあ、もっと漠然とした話を無責任に言ってしまうと、主人公無双や転生モノなど主人公の特殊性を押し出したモノが流行っているのは事実なので、「自称平凡」という特殊性を隠す(無いのではなく隠す)主人公像は正直なとこ相当古いんじゃないかなと感じます。
それこそ学園モノや創作部系が流行った「涼宮ハルヒの憂鬱」の時代がピークで、今は、そのノリが好きな読者だけが残ってるってのが現状ではないかなと。
だから、主人公無双や転生モノはファンタジーが主流だけど、別に学園モノで似たようなことをして特殊性を押し出す主人公像でもウケると思いますよ。
「30代のオッサンが事故で死んで、気がついたら中学生に戻ってた」なんて設定の話は昔からありましたし、超強い不良の主人公が無双する不良漫画とかテーマが不良だから無双に見えないだけで実際無双してますよね。
そういう学園モノ、現代モノのラノベは確かに最近あんま見かけないので、狙い所じゃないでしょうか。

上記の回答(学園物の主人公を平凡、凡人にしたくないの返信の返信)

スレ主 ふわー : 2 投稿日時:

返信ありがとうございます。
ホームズが主人公でワトソンの視点になるとどうしてもワトソンの方に感情移入してしまいそうです。だから、主人公の視点にしたいです。
「よう実」は主人公が超人的なのに目立たないようにしているのは「平凡に見せている」ということでしょうか。

もし主人公が超人的ならそれを超える困難を用意する必要がありますね。
物語が進むにつれて主人公が周りに認められていくことが私の理想なのかもしれません。
昼行灯のような主人公は好みではないですね。問題を解決している姿を周りに知ってもらいたいですし。
私自身がハルヒのドンピシャの世代ですので、主人公や語り部は平凡でなくてはならないという強迫観念のようなものがあるのかもしれません。
学園もので無双する主人公、どう上手く見せるのか難しいですね。

カテゴリー : キャラクター スレッド: 学園物の主人公を平凡、凡人にしたくない

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元記事:頭脳戦を書きたいの返信

自分も頭悪いんで、天才やら頭脳戦とかは、書こうと思うと未だにビビります。苦手分野となりますんで、参考程度に受け取って頂けると幸いです。ただ、苦手分野ほど「うまい人はどうやっているのか?」と思うものでして、気の付く点も出てきます。

1.演繹より帰納

手塚治虫さんなどが言っている、物語作りの手法で「演繹と帰納」というのがあります。演繹は「こうなったら、どうなる」と時系列順に発想するものです。物語での現時点から、未来を予測し、選択していくわけですね。天才・頭脳的でないキャラですと、充分に使える手法です。

言い換えますと、天才・頭脳的なキャラだとやりにくい。先の読めなさが大事ですから。天才キャラが何かするごとに、疑問が生じ、続いて種明かしで「あ、そうか」となるような展開は時系列では発想しにくいものです(天才作者以外は)。

帰納は「こうなっているのは、こうだったからだ」と時系列を逆にたどる発想です。推理ドラマなら、例えば「現場のここに犯人の指紋が残っている」と犯人に事実を突きつけるラストを考えたとします。次に「なぜ指紋がそこにあったのか」を考え、犯人のミスを組み立てていくわけです。

この帰納なら何とかなるかもしれません。なにせ、結果ありきですから。見事な結末にたどり着くのはどうするか、ではなく、見事な結末前提でどうするか考えるなら、見事な結末自体は崩れません。

2.思考過程の圧縮

受験生のときに予備校講師にならった「賢そうに見える書き方」邪道の技があります。まず、きちんと論理を積み重ねる、平易で首尾一貫した文章を書いておきます。疑問に思うところがない、分かりやすい文章となります。が、それだけに普通の印象しか生じません。

その文章から、適当に文単位で削除します。論理が飛躍した、ちょっと考えながら読まないと意味が通じない文章となります。ですが、それが高確率で「賢そうな文章」に見えるわけです。

なぜなら、読み手は考えながら読まないと分からない。話のテンポは元より格段に速い。となりますと、「書き手は頭が良さそう、この文章もそれが現れている」と感じがちです。でも、元の文章から情報が減ったに過ぎません。少しも内容は良くなってない。

リアルで使うのは邪道です。が、フィクションなら有効です。緻密に考えた筋道(キャラの行動、言動)を、飛ばし飛ばしに手早く見せれば、キャラに思考力がありそうな印象にしやすい。要は過程を適当に省けばいいわけです。

3.マジックに習う

サタンさんが、詐欺の手口を研究するようお勧めで、自分も確かにと思うものがあります。類似ではマジック(手品、奇術)があります。マジックは詐欺から技術流用することもあります。ギャンブルでのトランプカードのすり替えは、カードマジックで使われたりしています。

マジック教本が多数あり、やり方も詳細に説明されていますね。なにせ実際にやってみる前提で書いてあるわけですから。いかに観客を騙して、あり得ないことが起こったかに見せかける技が満載です。種を知るとガッカリしがちなのがマジックですが、トリックを知るのが面白いのも事実でしょう。

この場の思い付きですが、マジックの応用で少しやってみます。サンプルですんで、面白みの足りない点はご容赦ください。

――――――――――――――――
 沈みゆく船で救命ボートを出そうしていた男は、逃げ遅れた最後の女に呼びかけた。ボート一艘しかなく、一人乗りだから、あなたが乗れと。しかし女は男が先だったからと、互いに相手が乗れと主張して譲らない。
 男はコインを取り出した。
「じゃあコイントスで決めよう。当てたほうがボートに乗る。それでいいよね?」
 男はコインを弾き上げ、手の甲でパチンとキャッチした。
「いいわ。表」
 男は急にしゃがみ込み、自分の右足の先を見つめる。女が不審そうに覗き込むと、男は言った。
「ほら、ここ! 表だったよ」
「落としたの?」
 男は頭を掻いた。
「いや、生まれて始めたやったから」
 女がボートに乗り込むのを見届けて、男は左足をどかした。裏を見せるコインがあった。
 予め床に置いていた二枚のコイン。表のは右足で踏んで、裏のは左足で隠していた。そして、手の甲にあったコインは、頭を掻くときに隠したのだった。
――――――――――――――――

 書いてみると、やっぱりつまらないですね。筆力が足りないせいですが、こういうトリックは手品教本に満載です。

4.凄いとか面白いと思える作風は実は苦手分野のことが多い

がっくりさせそうな話ですが、自分が思いつかないものは感心、感動しがちです。意外性が際立ちますからね。面白いと思ったらやりたくなるものではあるんですが、やれるようになるまでの道のりは長いと覚悟する必要があります。繰り返しですが、苦手だからこそ面白がれるわけです。

自分でも容易に思いつけることには、感銘を覚えません。それを命題として、対偶を取ると「感銘を覚えるならば、自分では思いつけない」からだとなります。真である命題の待遇は真です。

ただ、面白いと思えたことについて、モチベーションの効果は高いです。困難を乗り越えるだけに、やり遂げたときの感動も大きくなります。

それほど面白いとも思えなくても自分がやれることで読者に感動してもらうか、自分がやりたいと思ったことが茨の道でも進んでみるか、考えておくべきだろうと思います。

上記の回答(頭脳戦を書きたいの返信の返信)

スレ主 ふわー : 2 投稿日時:

回答ありがとうございます。

1.演繹より帰納
先に結果を考えて、そこから展開を逆算していくということでしょうか。

2.思考過程の圧縮
少ない文章で伝えることでかしこく見えるということでしょうか。

3.マジックに習う
マジックのタネが戦略に繋がるということでしょうか。

カテゴリー : ストーリー スレッド: 頭脳戦を書きたい

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元記事:作家目指して何もしなかった10年の返信

つまり、憧れてるだけ。ってことかな。
貴方に足りないのは、何より「物語を作る楽しさを知る」ってことじゃないかな。
今までは、作ってても別に楽しくなかったでしょ。むしろ設定の矛盾や何が面白いのかを考えて答えが出なくて悶々として苦痛を感じる事が多かったんじゃないのかな。
上手くいかないから、最初の頃は楽しかったかもしれないけどだんだん苦痛が大きくなってしまって、手は動かないけど憧れだけは変わらずある。

作家は、まあ、形を問わなければ今からでも別に問題なく目指せるけど、新人賞は諦めたほうが良いと思うよ。
色々理由はあるけど、リソースを割くなら新人賞のために動くよりも書いたものがすぐ評価に変わる方向性にシフトしたほうが良い。

ただ問題はやはり万年書かない作家ってとこだよね。
書かなきゃ何にもならん。
「物語を作るのが楽しい」って人は、考えるよりも書いちゃうからなぁ。
文章はどうとか設定がどうとか、もっと本を読んでインプットしてからとか、そういう思考の前に「書く」があるから。

うーん……たぶん、小説のことを「作品」って思ってるのかなぁ。
良いものを作ろうとしてる、ミスを恐れてる、より良いものを知って自分の作品の質を上げる、みたいな。
よくいるのは「読者に突っ込まれるからもっと良いアイディアは~」みたいな初心者だけども、
まず小説に良いも悪いもないから、そういう思考を改めないと書けないと思うよ。
だって、貴方の考えを有り体に言うと、「作家になってから執筆したい」って言ってるようなものだし、執筆しなきゃ作家になれないのに、作家として誰からも文句言われないレベルにまで書かずに修練してから執筆を開始するような因果関係が逆転しないと不可能な感じだもの。
うーん……
物事は変化するから もともとは~ って話はあんま相応しくないけども、
貴方は「大説」って知ってますか。小説ではなく大説。
大説ってのは政治思想とかを論じた本のことで、まあ本屋でビジネス・政治・経済あたりに置いてある本のこと。
対して小説ってのは、そこに空想を混ぜたもの。
何かしら論じたいことがあるけど、それに空想を混ぜて「こうだったら」的な妄想話が小説。
プラトンがアトランティスの話を書いたけど、あれは当時のアテネ貴族の堕落っぷりを伝説の楽園って空想に例えて「堕落してるとアトランティスのようになりますよ」と書いた、まさに「小説」なのよ(という一説があるだけだけど)。
もしプラトンがアトランティスって名前を出さずに「アテネの貴族は堕落している!」と書いていたら、これは「大説」なわけ。
で。
もともと「小説」ってのはそういう「自説を論ずる手段であり、そこに空想を混ぜたもの」だから、「自説」に良しも悪しもないのよ。
著者はそういう考えですね、ってだけだから。
その自説を書くに「上手い書き方」というのはあるし、大衆に合う考えなら「面白い」と言われることも「つまらん」と言われることもある。
けど、自説を論ずるのに、つまり「自分が言いたいことを言う」のに、「本当にこれでいいのか」「もっと準備をしてからのほうが良いのではないか」なんておかしいでしょ。
今回で言いたいことが上手く言えなかったら次回で上手く言い換えて伝えりゃいいだけだもの。
「面白い」「面白くない」は、単に大衆ないし個の読者に「合う」か「合わない」かの話でしかなくて、小説に良しも悪しもないのよ。
ただ作者の「言いたいこと」があるだけ。

とはいえ、それを理解したところで問題もあって、要するに「貴方にはそもそも『言いたいこと』が無い」って問題。
だって貴方が作家になりたいと思うのは創作意欲ではなくただの憧れだからね。
作家という姿になりたいだけで、小説を書きたいわけじゃない。
書きたいのであれば、この相談は「小説を書きたいがどうしても書けない」になってるハズだけど「作家になりたい」になってる。
ハナっから 書きたいこと 表現したいこと が無いのに、小説家という存在に憧れてしまっている。それはおそらく好きな作品を読んで「こんなのが書ける人になりたい」と思ってしまったからだろう。それ自体は良いが、根底に表現したいことが無いため虚構に憧れてしまっている。

そんなわけで、長々書いたけど、貴方の憧れは間違っているから早々に諦めたほうが良い。

それでも作家になりたい諦めきれないと思うなら、理想を捨てるべきです。
そうだな、アダルトを書いてみれば良いと思うよ。
アダルトは物語もあるけど別に物語は重要じゃないでしょ。面白さも重要じゃない。重要なのはエロいかどうか。
「書くべきもの」「表現すべきもの」が明確でブレないので、そういうジャンルをやってみると良い。
アダルトが嫌ならホラーもお勧め。怖けりゃ良くて主旨が明確。
でも、理想を捨てるためには「抵抗感があるもの」に手を出すべきだから、アダルトがいいと思うよ。
あと、アダルトは初心者がいきなり長編とかに挑みにくいジャンルでもあるから、短く完結させられるという意味でもお勧め。
ついでに、エロシーンがそれなりに書けりゃエロゲの外注ってセンもあるし、絵描きを雇って自分で作って販売することもできる。
書けないのがモチベの問題だとすると、いつ売れていつ人気者になれるかわからんラノベ作家よりも、まあ例えばDMMとかでエロゲの個人販売のダウンロード数と価格を掛け算してみ。手数料差し引いてもびっくりするくらいのタイトル結構あるよ。人気作は一作で数千万稼いでたりするし。そういう数字でわかるもの、購入してみて「このレベルが!?」って思って自分にもやれると思うことが、新しいモチベに繋がるんじゃないかな。ゲームシナリオなら全部を文字で表現する必要がないから文章も気にならないし。
それで「物語を作る」ということに慣れてあわよくばそこに「楽しみ」を感じられたのなら、そこではじめてエロではないラノベで小説を書けるようになるかもしれないし、それが本となって作家と呼ばれるかもしれない。

上記の回答(作家目指して何もしなかった10年の返信の返信)

スレ主 ふわー : 2 投稿日時:

返信ありがとうございます。

私の悩みは何もかも的外れだったのですね。
作家になるから書くのではなく、書くから作家になる。
多くの執筆者たちは楽しいから、書きたいという気持ちがあるから、書き続けられるのですね。
まったく見当外れな気持ちで生きてきた自分に書けるわけはない。
痛感しました。
「こんな文章でいいのか、もっと良いものが書けないのか」なんて考えばかりでいるのは時間の無駄。とにかく書かなければいけなかった。

アダルトな小説は読みますし、好きです。
自分の妄想を発揮して、「こうなったらいいな」「こういうのいいな」と思いながら、チャレンジしていこうと思います。

驚いているのは「これ以上やっても無駄だからやめろ」と言われなかったことです。
諦めなければ可能性はごくわずかでもあるのでしょうか。

カテゴリー : やる気・動機・スランプ スレッド: 作家目指して何もしなかった10年

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元記事:冒頭の場面(ワンシーン)の長さ

いつも創作Q&Aを拝見しております。
早速質問させて頂きたいのですが、それは表題の通り「ワンシーンの長さ」についてのことです。
私は今書いているのは「勇者とお姫様が二人で冒険の旅をする」というコメディチックなお話です。
そんな物語の冒頭が「勇者がお姫様を牢獄から助け出す」という二人の馴れ初めのシーンなのですが、なんと42字×34行のページ設定で20ページ・2万5000字もあります(全部で150ページくらいの話にしようと思っています)。
このシーンの流れとしては「勇者が牢獄にとらわれたお姫様を見つける」→「勇者はお姫様を連れて牢獄の外へ向かう」→「外にはお姫様を捕まえた強いモンスターがいた」→「勇者は強いモンスターと戦い、なんとか勝利を収める」というストーリーになっています(あくまでも物語の「冒頭」です)。勇者とお姫様の掛け合い(ギャグ)を書いていたら長くなってしまいました。
この初っ端の20ページは時間も場所もほとんど変わりません。話の筋も「勇者がお姫様を助け出す」というもので、多少変化はありますが(「お転婆なお姫様は王国に帰らず勇者と旅をしたいと言い出す」)、基本同じ話です。

他の方のライトノベルを読んでいると、冒頭のシーンは軽めに抑えてテンポよく場面を切り替えてる気がします。
(例えば……「酒場」で仲間を集めて、「翌日の朝」に「ダンジョン」を探索し、手に入れた財宝を「町の宝石店」に売る……という感じです)
中盤やラストシーンならともかく、やはり冒頭から20ページもの同じ場面を続けると読者はうんざりしてしまうのでしょうか?
冒頭は2~3ページごとに「別の日」、「別の場所」となるようにプロットを練った方が良いのでしょうか?

とりとめもない質問となりましたが、よろしくお願いします。

上記の回答(冒頭の場面(ワンシーン)の長さの返信)

投稿者 ごたんだ : 0

“プロになる”までなら気にする必要はない悩みです。

儲けを気にしないなら、付いた編集が最低限の能力があるならに限り、それは編集の仕事だからです。

全然気にしないとまで言いませんが、審査員はその辺のバランスは気にしないどころかぶっ飛んでいる位を望んだりしそうですね。

カテゴリー : ストーリー スレッド: 冒頭の場面(ワンシーン)の長さ

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投稿日時:

元記事:人類を滅亡の危機に追いやりたいのですがどうしたらいいですか?

お世話になっております。三毛と申します。
以前、投稿したプロットを見直して要らない箇所を削る作業をしていました。起と承まではいいのですが、転と結が思いつかなくて困っています。

私はこの話のラストに人類の90%近くを絶滅させようと思っております。
理由は、アポカリプス世界が好きだからというのと、主人公がサバイバーに活躍し、衰退世界で細々と生きる人々に感謝される展開にしたいからです。

ところが、この物語の舞台は現代です。
一体何が起これば、この現代で全てのライフラインが止まり、人類が90%滅亡してくれるのか?
そこに至るまでの経緯や展開をどのようにすれば自然に衰退させられるのか?
何某か知恵をお貸しいただけますと幸いです。

上記の回答(人類を滅亡の危機に追いやりたいのですがどうしたらいいですか?の返信)

投稿者 サタン : 0

>ラストに人類の90%近くを絶滅させようと思っております。
数字を考えないほうが良いかと。
それは設定上の話でしかないので、原因は何でもいいから「多くが亡くなった」とすれば良いだけ。
つまり。
設定上9割の人類が消え、主人公の周囲には仲間が数人いる。という状況と、
設定上1割の人類が消え、主人公の周囲には仲間が数人いる。という状況では、
これ、物語を語るうえで設定以外のどこが違うのか、という話。
同じでしょ。
9割じゃなくて「絶滅に近いほど人類が消えた」という形になれば良く、80%でも99%でも別に問題ないと思う。

ほんで、「絶滅に近いほど人類が消えた」を実現したいなら、そういう設定を作りゃいい話。
すごくシンプルな答えを出せば「死亡率90%の新種のウィルスがばら撒かれた」とかすりゃそれで解決。
あるいは「人類のみを標的にした攻撃で1割を残して全員死んだ」とか。
徐々に衰退させたいなら、「人類から生殖機能がなくなった」とすれば、二十数年で半分以下になるんじゃないかな。人類の平均寿命が80歳だから、人類に残された時間は80年ってことになる。少子高齢化を考えると最初の10年でかなり減るね。
要するに「九割死ぬだろう設定」を作りゃいいだけで、「現実的に九割死ぬだろう手段」を探す必要はない、という事です。
エヴァンゲリオンもラストは二人残して人類は絶滅するけど、てか正確には同一化したのかな、まあともかく「そういう設定」なだけでしょ?
映画版バイオハザードでは3以降世界が滅亡してる感じだけど、これは「バイオテロ」「バイオ災害」っていうその物語の設定でしかないでしょ。
そういう設定を作りゃいいだけですよ。

カテゴリー : 設定(世界観) スレッド: 人類を滅亡の危機に追いやりたいのですがどうしたらいいですか?

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元記事:なろう系ラノベに努力の要素を持ち込むのはタブーか?

なろう系ラノベは、「友情」「努力」「勝利」の法則を掲げた少年ジャンプとは対極にある存在で、読者はチートハーレムを望んでおり、主人公が努力するのはタブーである、ラノベ読者は努力が嫌いである、という言説があります。

一方で、ラノベ新人賞の下読みさんによると、物語には成長要素が不可欠で、読者は登場人物が成長していく姿に心を動かされると言います。
果たして努力をせずに、成長が描けるのか?

実は、なろう系ラノベの読者は努力が嫌いなのではなく、対価の約束されていない努力が嫌いというのが真実だと思います。

その証拠として、主人公がモンスターを倒して経験値を稼ぎ、ステータスをアップさせる、新たなスキルを獲得するというタイプの物語が多いことが挙げられます。

これはシリーズ累計発行部900万部突破のヒット作「ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか 」(GA文庫・2013/1/11刊行)がパイオニアとなった要素で、主人公などの登場人物のパラメータがゲーム的に表示され、モンスターを倒すたびにこれがアップしていきます。

「ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか 」の主人公は、登場した当初は最弱でしたが、成長速度が異様に早くなるスキルの持ち主で、どんどん強くなっていきます。
この成長要素が快感だったわけです。

なろう系の異世界転生とは、より本質的に言えば、ゲーム世界への転生です。
ゲームの世界では、モンスターを倒せば必ず経験値やアイテム、お金が手に入ることが約束されており、努力が無駄になりません。

これはラノベの読者層であるオタクに馴染みやすい要素であるため、受け入れやすく、努力して強くなっていく主人公に感情移入しやすくなっています。

しかし、これ以外の方法で努力したり、主人公の成長を描いたなろう系ラノベ(書籍化作品)は、寡聞にして知りません。
もし、これが以外の方法で努力したり、主人公の成長を描いた書籍化作品がありましたら、その内容などを教えていただけるとありがたいです。

なろう系に努力の要素を持ち込むのはタブーか?についてもご意見をいただけるとありがたいです!

上記の回答(なろう系ラノベに努力の要素を持ち込むのはタブーか?の返信)

投稿者 かにさん : 1

初めまして。

すみません、私はなろう系小説は価値観合わない(楽しめない)ので、
こちらだけ意見を述べさせていただきます。

>なろう系に努力の要素を持ち込むのはタブーか?

「なろう系はアウト。ラノベはやりようがある」というのが自分の主張です。

私は『旧ラノベ読者が大人になり会社に入って「努力じゃどうにもならん!」と現実に打ちのめされて「完全現実逃避」の「なろう系」を好むようになった(成長を忌避し『癒し』のみを求めるようになった)』と解釈しているのですが、本当にターゲットがこの文脈上にいるのでしたら努力は書いたらダメなんでしょうね。主年齢が30代でしたら会社なうでサラリーマンなう(あるいは派遣?)でしょうし。「努力で出世できるの??(なれないでしょ?)」「努力で正社員になれるの??(なれないでしょ?)」みたいな唾吐き「ぺっ」な対応を受けそうな気がします。

ただ私は、現中高生である純ラノベのターゲット層に対しては努力を描いていいとも思っています。社会不安から保守傾向が進んでいると言われてますが、10代や20代前半はまだ学生身分で『社会(だいたいは会社)』という『次のプラットフォームへの移行』を前提としているプラットフォーム上にいる点がなろう層とは違うと思うのです。

会社に入っていくらか経つと社会的ポジションとアイデンティティが強く紐づいてきますし、社会上のポジションの固定化がそのまま「自分の可能性」の固定化と感じられる=『詰む』のでしょうが、中高生大学生くらいは、まだ『自分の可能性を信じる余地』(「場所を変えれば輝けるのでは?」という期待)が残っているはずなので、やりようがあると思うのですね。

例えば、「それぞれにそれぞれの輝き方がある」ことを肯定したうえでの努力とか。具体例を挙げるなら、漫画のアイシールド21(24だっけ?←なぜあいまいなのか……)みたいなものでしょうか。『ボールキャッチが大得意だけどボールを投げるのが下手』な野球部員が、キャッチ一本優秀な点があればやっていけるアメリカンフットボールチームに入って活躍する(1キャラクターの話ですが)、などのストーリーはラノベに応用すれば売れる気がします。

思うに、『「努力」の前提に環境とのフィットやマッチがある』のが、現代の価値観なのかと。「環境とフィットしない状態の努力や苦労は無意味・無価値・無駄」というのが、現代若者の本音なのかもしれないなあと思ったりします。

長々とすみません。
さらりと読んで考えたことなので、論点がズレていたらごめんなさい。
何かの参考になれば幸いです。

カテゴリー : 創作論・評論 スレッド: なろう系ラノベに努力の要素を持ち込むのはタブーか?

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