小説の創作相談掲示板:小説の書き方Q&A。執筆の悩み相談をしよう!

手塚満さんの返信一覧。最新の投稿順59ページ目

元記事:「名前だけ借りた別物」の是非

近年のラノベではオリジナルのモンスターの登場は避け、ポピュラーなモンスターの使用が編集から求められるとの話を聞いた事があります。

それも踏まえて私は敢えて作中最も多く登場する雑魚敵にゴブリンでもスライムでもなく蛇のモンスターのバジリスクを使用する事にしました。

ただそのバジリスクがヴェロキラプトル風のオリジナルのモンスターに名前だけ借りてきたような状態で、オリジナルにあった毒や石化能力も(スライムやゴブリンのポジションのわらわら出てくるタイプの敵にあったら厄介すぎるとはいえ)オミットしています。
せいぜい爬虫類という事以外原型を留めていない状態に仕上がりました。

本音としては馴染み深いモンスターハンターのランポスやゲネポスをそのまま使いたかった所に適当な爬虫類系モンスターの名前を付けた結果の産物です。

他にも私がポピュラーなモンスターの名前を使うと大抵上述のバジリスク並のアレンジを加えているのですが、これは「ポピュラーなモンスター」を使ったと言えるのでしょうか。

上記の回答(「名前だけ借りた別物」の是非の返信)

投稿者 手塚満 : 1 投稿日時:

ご質問文の範囲内だけで考えて結論を先に申し上げますと、読者の負担になるネーミングになる恐れがあるように思います。できれば避けるべきです。ただ、そのままでなくてもよいなら、工夫の余地がありそうです。

バジリスク(またはバシリスク)は古代からの伝承に登場する空想上の生物で、ゲームなどでも採用されたこともあって、かなり知られているものだと考えて差し支えないと思います。ですから「バジリスク」と言っただけで、あるイメージが湧きます。

しかし、構想されているフィクションにおいては、一般的なバジリスクのイメージとは異なるものに仕上がっているわけですね。そのフィクションを実際に読んだら、別イメージのバジリスクとなっている。

すると読者は、「バジリスク」という単語で一般的なバジリスクをまずイメージし、続いてそのフィクション固有の「バジリスク」にイメージしなおすことになります。これは、ややこしい感じが生じて、意外に大変です。引っ掛け問題みたいなものになりかねません。楽にすらすら読めない要因になってしまいます。言葉からのイメージを間違うと、作品を誤解しかねないわけですから。

よく知られた名詞を借りるのは、説明が不要、ないしは短くて済むメリットがあります。全くのオリジナルですと、作中の説明を理解し暗記するなど、かなりの労力を要します(絵で表現するコミックやアニメ、実写等ではたいてい問題ない)。

文章作品では、見たこともないオリジナルの外見を表すのは大変です。言葉は情報量が少ないですからね。簡単な図形の少ない組み合わせの絵でも、言葉だけで説明してコピーを描いてもらうと、似ても似つかないものに仕上がることが多いという実験があったりします。

ですので、一般的によく知られたものを多用したり、オリジナルなものでも「~のような」という比喩を用いて、伝える工夫を凝らすことになります。少しだけ名前を変えるという手もあります。ゲームのFFシリーズでは、聖剣エクスカリバーの偽物として「エクスカリパー」なんて剣が登場します。聞くところによると、濁音は力強く響き、半濁音は可愛らしく響きそうです。言われてみると、半濁音の「エクスカリパー」だと、強そうな剣には聞こえないように思います。

「バジリスク」に戻りますと、そのまま使うとややこしいですが、慣れ親しんた単語であるメリットも使いたいのも自然な人情ですよね。例えば、バを半濁音に変えて「パシリスク」ならどうか、と考えてもいいように思います。やはり例えばですが「バジリスクを情けなくしたようなパシリスク」みたいな感じですね。

オリジナリティ、親しみやすさ、読者の負担等々、いろいろ相反する要素をどう取りまとめ、何を妥協してどこを強調するか、いろいろバランスの取り方が考えられると思います。エンタメ作品では、基本的には「すらすら読めて、楽に間違いなくイメージできる」が優先になるような気がします。

カテゴリー : 設定(世界観) スレッド: 「名前だけ借りた別物」の是非

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元記事:「名前だけ借りた別物」の是非の返信の返信

はいせんせい( ゚Д゚)ノ
ヴァンピールは吸血鬼ハンターDだと思うの。カムパネルラならぬ「ヴァンパネラ」だったはず。ググったらとんでもエロアニメに誘導されたけど(笑)

上記の回答(「名前だけ借りた別物」の是非の返信の返信の返信)

投稿者 手塚満 : 1 投稿日時:

読むせんさん(No.5)へ

横から申し訳ありませんが、ご指摘は必ずしも正しくはなく、多少混乱しておられる恐れがあるように思います。

・ヴァンピール:「ポーの一族」では、ポーの一族(バンパネラ/ヴァンパネラ)とは別系統の吸血鬼種族。登場キャラではファルカがいる。

・ダンピール:東欧などの伝説に登場し、吸血鬼と人間の間に生まれた者。「吸血鬼ハンターD」でも登場(主人公もダンピール)。

私は上記のように理解しておりますが、いかんせん知識が断片的ですので、もしかすると分類がいろいろあるかもしれません。

カテゴリー : 設定(世界観) スレッド: 「名前だけ借りた別物」の是非

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元記事:書きたい話があるんです。

初めまして。ちょっと相談したいことがあります。ここの利用者の方で、書きたい話があるから創作を始めたという方はいらっしゃいますでしょうか。

自分はまだ一つも作品を作ったことがありません。ですが、書きたい話があります。
10年くらい前から、自分で作ったキャラを頭の中で動かしたり、競わせたりという遊びをやってきました。
最初は眠れない時の為の暇潰しという感覚でしたが、続けているうちにキャラクターにも愛着がわいてきまして。
で、そいつらを使った話を作ってやろうと決めたはいいものの、ストーリーがなかなか決まりきらず。そうして執筆開始をずっと先延ばしにしてきたのですが、ここ3年程でストーリーの大まかな流れがやっと決まり始めました(遅いですね)。
構想を進めていったのですが、その中には、自分でも納得のいく出来の話もいくつかは作れました。

ですが、ストーリーの約半分くらいが出来たところで、(冒頭からラストまでの流れの中で、構想できてる部分が半分くらいという意味です)ストーリーを作っていくことに不安を感じるようになってしまいました。

理由としては、これまで作品を作ったことがない未熟さも考えられますが、もう一つ、構想に時間をかけすぎたということが考えられるのです。

これまで、暇な時にはキャラを動かしたりするということを、10年くらいしてきました。おそらく、これを欠かした日は少ないと思います。結果として、この話は自分の人生の中でも特に大きな要素となってしまいました。

もしこの話が完成してしまったら、自分の人生は終わってしまうのではないだろうか、という不安を、いつからか感じるようになってきてしまいました。
もちろん他にやりたいことはありますが、大目標であるこれを達成してしまったら、クリア後のゲームの世界を生きているようになってしまうのではないだろうかという感覚があります。

他に作りたい話が特にあるわけではありません。キャラクターやネタのストックも、思い付くものは全てこの話に還元してます。ですので、この話が完成したら他の話を書くという可能性は低いと思います。

それでも、この話だけはいずれ完成させたいと思ってはいるのですが。

前置きが長くなってしまいましたが、ここで相談です。

これまで作品を完結させること、あるいはそもそも執筆を始めることに抵抗を感じてきた方。それをどのように克服されましたか。

答えていただけたら幸いです。

上記の回答(書きたい話があるんです。の返信)

投稿者 手塚満 : 1 投稿日時:

自分の全てを出し尽くす結果に対する不安って、小説だけではないですね。本当に出し尽くせるのか、ということは置いておきます(その点については、既に優れた回答もありますから)。

例えば、作曲でも同じようなことを親しく聞いたことがあります。ある方(極めて優秀な方です)が今まで学んだこと、優れた曲をいくつもなんども聞いて感じたこと等々、自分にあるすべてを投入して曲を作るつもりだから、その後はもう曲は作れなくなりそうだ、とのことでした(加えて年齢的になこともあったけれど、まだ引退するような歳ではなかった)。

自分は己が半人前であることもわきまえず、「いや、音符一つ一つが選択の結果でしょう。選ばなかった音符だったらどうなっていたかと考えたら、終わらないんじゃないですか」と申し上げてみました。その方はそれに対して特に何も仰いませんでしたが、その後もときどき話をするようになりました。

小説の完成前には、完成後のイメージがブレているという問題があります。まず、イメージできる完成結果は、しばしば可能性の塊になっています。主人公含む各キャラは、常に何かから選択して行うという、意思決定を行っています。ですので、「もし選ばなかった選択肢を選んでいたらどうなったか」という疑問が残されます。しかも多数です。

ちょっとお金で例えてみます。自由に使ってもいい一万円を持っているとします。いくら自由だからといって、何に使おうか考えますよね。美味しい食事もあるでしょうし、映画を何本も観てもいいし、映像ソフト買うとか、普段は手を出さない高額の書籍等々、組み合わせも含めて、一万円の使途は数多とあります。

何にしようか考えているときにはワクワクします。だけど、実際に使うときには、たった一通りでしか使えません。一万円のステーキと一万円の映像ソフト両方というわけにはいかない。一万円を使う前のワクワクは「1万円×選択肢の数」です。使うときには一万円の価値のもの一つしか手に入りません。物凄く落差があります。

全力を出したらもう何も残らないんじゃないかという不安は、おそらくは使う前の一万円の評価です。まだ作品が(最終の)形になっていないので、可能性の塊全部を見て、やりつくしてしまうと感じているのはないでしょうか。

実際に形にできるのは、非常に具体的な一例にすぎません。「主人公がこのときこうしていたら」という、書かなかった選択肢は膨大に生じます。物凄く上手く書けても、膨大な可能性の中に一つに過ぎない。可能性の一つを実現したら、他の可能性がどうしても思い浮かんでします。書いたらお終いどころか、終われないのが業であるのが小説ですし、創作一般はたいていそうでしょう。

もちろんそうらならない可能性は考えられますね。サタンさんがいい例を挙げていらっしゃいます。「風と共に去りぬ」ですね。実質的に自伝なのでは、別作品が書けないのも道理です。作品完結以降の自分の経験が溜まらないといけないんですから。

では、同様のことがTourdionさんにも起こるか、と考えると、どうもそうなりそうにありません。なぜなら、書こうとしている小説のキャラクターは想像で作り上げ、活躍も想像してできてきたものですよね。ご自身の経験も加味されているでしょうけど、大半が想像の為せる業のはずです。だったら、ネタは尽きません。

しかし、ネタ切れで書けないってよく聞きますね。やっぱり、全力を尽くしたらネタ切れになるのか。知ってることも、考えられることも使っちゃうわけですから、不安にはなります。しかし、想像の産物なんです。知ってることは生きていれば増えるし、勉強すればさらに急速に増えます。知ってることが増えたら、考えられることも増えます。

それでも、勉強しているようだし考えてもいるらしい人(本人もそう思っている)がネタ切れと言うこともあります。荒木飛呂彦さんによればですが、興味が尽きるとネタも尽きるんだそうです。ネタが尽きたんじゃなくて、興味が尽きるわけですね。

その場合、書けなくても問題はないでしょう。もう興味がないんなら、やりたいと思ってないわけです。仕事だったら解決策を考えないといけませんが、趣味でやっているのなら問題ないでしょう。他の面白いことをやればいいだけなんですから。

結局、全力を傾けて書き上げてみても、問題になるようなことは起こりそうにありません。書き上げてみたらもっとできると思うか、もう充分やれたと満足するか、どちらかなんですから。

カテゴリー : やる気・動機・スランプ スレッド: 書きたい話があるんです。

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元記事:学園異能バトルものはオワコンなのか

はじめまして。藤村と申します。
最近、ファンタジー学園ものはありますが、学園異能バトル(現代)ものはほとんど見かけません。
なので、もうすでにブームは去っていて、書き手としてもそれは避けたほうがよろしいのでしょうか。
回答、お待ちしております。

上記の回答(学園異能バトルものはオワコンなのかの返信)

投稿者 手塚満 : 1 投稿日時:

学園異能バトル(現代)ものと表現されるほどのジャンルとなったわけですが、要素の組み合わせですよね。それぞれが何かということは、考えておく必要があるように思います。

・学園:舞台であり、基本的なフォーマットが分かりやすい。範囲が自然と限定されもする。
・異能:誰もが欲しくなるような常人にない能力であり、キャラの分かりやすい個性・特徴でもある。
・バトル:見せ場が戦いであることを意味している。
・現代:時代区分であり、現代は歴史的知識もほぼ不要で最も分かりやすい。近未来も現在の延長で分かる。

学園物がオワコンということはないですよね。現役中高生に対しては身近で分かりやすい舞台ですし、それ以上の年齢層でもほとんどが元中高生であり、誰もがよく知っているし、懐かしく思う人も多い。

異能もオワコンではないですよね。魔法、超能力が使えたらと思う人は多いし、本当にあると信じている人も古代からいるし、現代にもいる。それくらい欲しいものであるわけです。

バトルがオワコンということもないですよね。戦う物語が廃れたなんて話は全く聞きません。相変わらず燃える分野のはずです。

近未来含む現代劇だってオワコンではない。TVドラマなんかだと現代劇は分かりやすいだけでなく、作りやすいこともあって相変わらず多い。

どれもオワコンではない。しかし、仰ることも正しいですよね。学園異能バトル現代劇だと、新たに大きくヒットした学園異能バトル現代劇が思い当たりません。要素を考えると廃れる要因がどうも見当たらない感じなのに、なぜそうなっているのか。

そもそも学園異能バトル現代劇って、どうして流行り始めたのか。そのジャンルで思い当たるのは、現在もアニメが放映されている「とある魔術の禁書目録」があります。アニメ化もスピンオフ含めて、いくつもある。「最弱が凄い」というのも、「とある」シリーズで広まった手法ではないかと思います。「最弱」も一時はいろんな作品で盛んに取り入れられました。

おそらく、オワコンになって来たのは「とある」類似作ではないかと思います。「とある」が気に入った人が、似たような作品を求め、その需要に応えて追随者が作品を供給してきたわけですが、直接的なバリエーションがそろそろ尽きてきた可能性が考えられます。「とある」初出が2004年ですからね。14年も類似作が出続ければ、そういうことになってもおかしくありません。

バトルがメインではない同時期のものとしては、「ゼロの使い魔」(2004年~2017年)が思い浮かびます。バトルはメインでないけれど、異世界転移ものです。「ゼロの使い魔」をそのまま踏襲した作品は多くないと思いますが、異世界転移の書きやすさを知らしめる効果はあったんじゃないかと思います。なにせ、現代の若者の感覚で記述していいんですから。

作者ヤマグチノボルさんの病没は痛恨でした。他の作者でシリーズは完結はしたものの、同じ路線をジャンルにまで引き上げられなかったのは、ヤマグチさんが書き続けられなかったことが大きいように思います。

異能がないけどバトルが凄いのが「フルメタル・パニック!」(1998年~2011年)でしょうか。もう何年も前に完結していますが、アニメはつい最近も作られ、放映されました。これの直接的な類似作は、やはりあまりないように思います。SF要素も濃いですからベースとなる科学考証もシビアになりますし、軍事関連も詳しく記述しないといけません。かなりの勉強量を要しますから、容易に真似ができない。

こういった人気作の中で、「とある」はフォーマットが確立され、かつ平易でもあったので見様見真似もしやすかったといえるように思います。だから、追随者が出て、ジャンルとなり栄えた面があるように感じます。だけど上述しましたように、「とある」を意識的、無意識的に追う人が十数年出ていれば、やはり「とある」以外は淘汰されてしまうんでしょう。

ですので、繰り返しになりますが、オワコンになったのは「とある類似作」であって、学園異能バトル現代劇という括りだと、オワコンということではないと思います。単に追随したくなる新作が出てこないだけです。

言い換えれば、学園異能バトル現代劇に付加するべき、めぼしい新機軸が出てないということですね。私は自分にオリジナリティがないことを自覚していますので、学園異能バトル現代劇を狙ったら失敗するのは確実ですが、アイデアが出せる人はオワコンかどうかなんて気にしてないんじゃないでしょうか。

カテゴリー : 設定(世界観) スレッド: 学園異能バトルものはオワコンなのか

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元記事:凄く納得しました!

う~ん、なるほど、謎が解けた気分です。
要するに箇条書きにすると。
・自分が書きたいことに無理な力を入れすぎていて、くどすぎるので要改善。
小説は作者に読まれるためのものではなく、読者に読まれるためのもの。
・自分しか感動出来ないものを、他の人にも感動できるように調整するのは止めた方が良い。
・お化け屋敷の主よろしく小説という名のお化け屋敷をどう上手く作って、お客さんを喜ばせるかを考えた方が良い。
こういうことですね。
長編と短編の違いがよくわかりました。
まさか、掌編の説明までして下さるとは思いませんでした。
ヤフーの知恵袋でいえばまさしくベストアンサーです!
ありがとうございます。
あと、僕が書いた小説をご覧になってくださった、ということですが、例えばどの辺が痛々しい、もしくは読みにくいでしょうか?
改善点を指摘して下されば幸いです。
引用して下さって結構ですので教えて頂けませんか?

上記の回答(凄く納得しました!の返信)

投稿者 手塚満 : 1 投稿日時:

続きですが、この返信もボロカスにこき下ろす内容でも読める、受け止められるとお思いになれない場合、以下は読まないようにしてください。

―――――(注意)以下、非常に辛らつです――――――

一番大きな問題点は「思いついたことを書いてしまう」癖だろうと思います。自分が思いついたことを書くのは面白いものです。自分がイメージしたこと、考えたことが文章になるわけですからね。自分には良く分かるし。自分が工夫したことだから充実感などもある。

だけど、読者と共有できるものではないですよね。作者の内面や努力なんですから。読者に提示するのは小説本体だけです。

読者は、「すらすら読めて分かり、苦も無くイメージできて、しかも面白いもの」しか求めていません。勉強するつもりで読むのではないですから、当然です。読者は作品を改善したいとも思わないし、作者の力量を上げようとも思わない。ただただ、「面白いものが欲しい」としか思ってないんです。

だから、作者が考えたことを知ってもらおうとしてはダメです。読者が知りたくなること、読者が意外に思うことを与えてください。面白いこと思いついても、人に話してみると面白がられない経験はあるはずです。思いついたことの99%くらいは他人は面白がってくれない。ですから小説を書くときも、考えたことのうち、最高の1%しか書いてはいけないのです。

しかし、いきなり最高の1%なんて書き出せませんよね。だから推敲するんです。主に削りに削る作業になります。自分の書いたものだから惜しむ気持ちが起こりますが、「神に遭うては神を斬り、仏に遭うては仏を斬り」(捨てるのが惜しいものほど、捨てなければならない)でやらないと、他人が読んでくれるものにはなりません。

そうまでしても、つまらないと言われることは多いと思います。ですが、「どこがつまらないのか?」と尋ねてはいけません。何かがつまらなくしているなら、「惜しいなあ」とか「せめて、ここはこうしてくれたら」と言ってくれます。

「つまらない」って、たいていは「面白いところがなかった」です。なのに、「どこがつまらない?」と聞かれたら困ります。喩えてみると、白紙を見せられて「ここには何が書いてない?」と聞かれるようなものです。

「つまらない」とだけ言われたら、面白いところがなかったと覚悟してください。ただ、感想は読者ごとですから、過剰に心配する必要はありませんが(感想を気にし過ぎると、方向性を失って迷走するリスクがある)。

私自身、以上のことが全部、充分にできているとは到底言えませんが、読者(これは日本語が読めれば充分)として感じ、書くのができる人の話も加味して、こうしたほうがいいという意見をまとめてみました。

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: 読後感を爽やかにするにはどうすればいいのか?短編を書く上で気を付けておくべきこととは何か?

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元記事:好きなジャンルと要素はあるけれどストーリーが作れない

ライトノベルが好きで自分でも何かを書きたいと思っていますが、話が思いつかないです。
参考にライトノベルを読んだりアニメを観て、こういう展開が好きだと思うけど、自分なりのプロットにならず丸パクリしか出てこない。
例えば、主人公チートでヒロインにモテモテハーレム大好きです。
けれど、いざ自分で書こうとしたら、どういうのを書いたらいいか、自分なりというか自分の理想で物語が出てこないです。
例えば、ミステリーは好きですが、自分でトリックや謎を生み出せません。
また、ファンタジーの知識はほとんどありません。ネトゲはしてませんし、ダンジョンゲームやTRPGや一般的なRPGもしたことがありません。なので、ゲームのような魔法とかステータスとかのイメージがありません。
キャラクターについても、こういうキャラが好きというのはありますが、自分でキャラを生み出せない。

スタートラインにすら立ててない、話にならないと自覚はあります。
好きだけど、自分の中で創作できない。
どうしたら生み出すことができるでしょうか。

上記の回答(好きなジャンルと要素はあるけれどストーリーが作れないの返信)

投稿者 あまくさ : 0

>参考にライトノベルを読んだりアニメを観て、こういう展開が好きだと思うけど、自分なりのプロットにならず丸パクリしか出てこない。

そういう段階であるならば、いっそ丸パクリから始めるのも一つの手かもしれないですよ。一から十まで真似でいいからとにかくラストシーンまで書き上げてみるというのは、けっこうよい経験になると思います。

物語には型があるので。

その型を、見よう見まねでいいから自分の手を動かして再現してみることで、体得できることがあるものです。

中には写経(プロの作品を書き写す)というのを勧める人もいますが、個人的にはそこまでしなくてもいいような気もします。それよりは、一応まがりなりにも自作を書いてみる方がいいんじゃないかなと。
ただ、そうは言ってもストーリーやネタやキャラクターを思いつけないと言うなら、そこは思いっきりパクっちゃいましょう。

そんなふうにして書き上げた作品はどこかに公開できるようなものにはならないかもしれませんが、どう頑張ろうと知恵を絞ろうと、初心者の方が最初に書いた小説がまともに評価されるということは普通はありません。スレ主様が天才なら別ですが。

要するに最初は気楽に好きなように書いてみればよいという話をしているのですが、「気楽に好きなように書く」というのも実はけっこうクセモノで、「何でも書いてよい」というのは「何を書けばよいかわからない」ということなんですね。往々にして。
だからあくまで練習と割り切って、パクってでも書き進めてみるといいよということです。

カテゴリー : やる気・動機・スランプ スレッド: 好きなジャンルと要素はあるけれどストーリーが作れない

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投稿日時:

元記事:小説の書き方

自分はキノの旅やしにがみのバラッドのような短編の小説を書きたいなと思っています。どうしても長編は苦手なので
特にしにがみのバラッドみたいに主人公以外のキャラの話がメインになる場合、どうしても同じようなパターンが決まったり、本来の主人公が中盤あたりで関わってくる面がなかなかうまくかけません。なにかコツのようなものはありますか?
いろいろ初心者なところがあるのでぜひ教えてください。

上記の回答(小説の書き方の返信)

投稿者 あわ : 2

小説ではありませんが、高橋葉介氏の「夢幻紳士(回帰編)」などは参考になるかもしれません。
初心者であれば、ご自身のやろうとしている表現を上手くこなしている作品を多く見て、吸収し蓄えるのが効果大だと思います。
映画、小説など何でも漁ってみてはいかがでしょうか。

カテゴリー : ストーリー スレッド: 小説の書き方

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投稿日時:

元記事:意外性とテンプレのどちらを取るか

拙作の一番最初のエピソードで検討している展開の、ラノベという媒体的な面での是非について悩んでいます。

この第一話においては「普通の男子高校生」の一人称視点から始まり、謎の転校生と、その前後彼の学校で起きている連続殺人、及びその犯人である怪人の目撃情報について触れます。

オチに関しましては、端的に言えばこの現主人公は所謂「信頼できない語り手」であり、犯人である怪人の正体は彼でした。
メタ的にも正体が発覚した後は、真の主役である件の転校生にあっさり退治され、視点もそれからは転校生の方になります。
どうでもいい話ですがこの旧主役の変貌する怪人は「蜘蛛みたい」と描写し、スパイダーマンと見せかけてショッカーの蜘蛛男という意味合いも込めた物です。

近々アニメ化される某漫画作品で見た手法を拙作にも取り入れてみたいという考えから採用した一方、一度読者に自分と同一視してもらった主役を突然突き放して退場させる事は、漫画でするのとは訳が違うのではないかと思った所です。
読者が離れてしまわないか心配です。

上記の回答(意外性とテンプレのどちらを取るかの返信)

投稿者 読むせん : 0

あー・・・少年マンガなら【スワンプマン】を主役にしますね。

怪人であることを主人公も知らず、転入生を敵対視するも真犯人は自分だった。
 自覚によって怪人能力をコントロールするようになった主人公が転入生の助手兼主人公として活躍。

転入生はあくまでトラブル配達人でありサブ主人公、主人公はトラブル処理する係ってやつ。

カテゴリー : ストーリー スレッド: 意外性とテンプレのどちらを取るか

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