小説の創作相談掲示板:小説の書き方Q&A。執筆の悩み相談をしよう!

あざらしさんの返信一覧。得点の高い順3ページ目

元記事:ラノベの一般読者層の知性レベルは、テレビの想定視聴者くらいを想定すべきか?の返信

みなさんご意見ありがとうございます。

私個人としては、にわとりさんのご意見が一番しっくりときました。

『読み手個人個人は本来小学3年以上の知性があるはずだけれど、「ラノベというコンテンツは頭空っぽにして楽しむもの」という意識があるため本来の知性は発揮されず、ラノベ読書時は偏差値40の状態になっている』。これが実態な気がします。ラノベってエンターテイメント・コンテンツですものね。私の中に「本を読む=知的活動」という先入観があり、「人の知性レベルは状況・状態によって変動する」というのが盲点になっていました。

また、「『語彙力ベースで考えれば小3程度で大抵のことは表現可能』だから、そのレベルが作り手の想定する知性のボトムラインとなっている」という考えも納得できました。

他、いただいた意見の中で、自分の考えと異なるものに意見を添えさせていただきます。

■手塚満さんの「本当は読者は必ず作者より賢い」について

必ずしもそうではないと思っています。というのも、読者の集合知は、あくまで各々の知識集まりであって、一つの体系としてまとまっているわけではないからです。読者集団の知識は体系化される際の批判プロセスを経ていないため、根本で間違えている可能性があります。例えば、集団の多くが特定の偏見を共有していた場合、集団の主張する『統計的根拠』は信用できないものになります。これには実例があり、作家の竜騎士07氏が自作「うみねこのなく頃に」にて問題出題編にてミステリーの謎を読者に提示して、同作の次エピソードを執筆している(エピソード8まであり、半年単位で発売された)際、2ちゃんねるに正しい答えを提示した人が一人いたらしいですが、その答えがその他大勢の連携によって「間違っている」と潰されるのを氏はリアルタイムで目撃したらしいです。
上記のような話もあり、大衆の知は、統計的に有意となる特定条件下でない限りは、あまりあてにならないと思っています。それよりかは、多くの批判を超えた専門的な体系知の方を信用すべきです。

■あざらしさんの「小説において『面白い』は少数を向いてても良い」について

そうだったら嬉しいなあと思っています。ただ、プロとしての活動を想定する際は、この考えは取り間違えるとリスクになると思っています。というのも、ラノベのビジネスモデルには以下二点の特性があるからです。

①ラノベのキャッシュは「数」によってもたらされるため
※競争差別化の話は置いておいておきます。

ラノベのビジネスモデルは、基本値上げを想定していません。これは、ライトノベルが「数のビジネス」であることを示しています。「100人に価値200を提供する」のと「200人に価値100を提供する」のでは、集団に同じ量の価値を提供していますが、後者の方がキャッシュが入ります。出版社は営利団体のため、後者の作家のほうを重宝すると考えられます。

②ラノベ作家は「売れるか売れないか」による格差が極めて大きい職業のため

ラノベのビジネスモデルは、メディアミックスを前提にしています。ラノベの中で売れたものをアニメ化してメディアミックスで稼ぐ。「リスクの少ないところでテストする」という合理的な考え方です。この時、メディアミックスの有無によって出版社にもたらされるキャッシュの差が100倍あると聞きます。また、編集者は一人当たり50人前後の作家を担当しているため、優先順位が低い人に対してはあまり時間を使えないらしいです。

これら二点は、作家の所得/待遇に対する格差の存在を表しています。私個人も前者のような「少数に強く受ける作品」を書く/読むのが好きなのですが、だから「それでいいんだ!」と開き直るのは、プロ作家活動としてのリスクになると考えています。まあ、この辺りの方針は自身の思想や技術と相談しつつ、自己責任で決定してくものだと思います。

■あざらしさんの「存在しないスポンサーではなく、読者を向いて執筆して欲しく」について

……まあ、スポンサーいるんですよね。出版社というスポンサーが。そして、スポンサーがキャッシュ上のリスクを負っている以上、それに背く意思決定は事実上できないし、してはいけないのだと思っています。会社と株主の関係と同じですね。自由なものを書きたいのなら自分の資本でやれって話ですし。ビジネス上のこの点には納得していますし、そうあるべきだとも思っています。

プロ作家としては、スポンサーの利潤を追求しつつ、エンドユーザーの要望に応えるのが職業的な義務である。スポンサーの利潤にならない商品は、自分の資本で出して、自分で資本的責任を持つ。これが正しい考え方じゃないかと思います。

時間が遅くなったので、この辺りで。
みなさん、ありがとうございました。

上記の回答(ラノベの一般読者層の知性レベルは、テレビの想定視聴者くらいを想定すべきか?の返信の返信)

投稿者 あざらし : 3 人気回答! 投稿日時:

ちょっと心配になったこともあり補足させて頂きます。
①と②については御茶ノ宮悠里さんご自身が、

>取り間違えるとリスクになると思っています。
>だから「それでいいんだ!」と開き直るのは、プロ作家活動としてのリスクになると考えています。
>の辺りの方針は自身の思想や技術と相談しつつ

と、書いていらっしゃいますので、私が意図した部分も汲み取られていると思います。

>まあ、スポンサーいるんですよね ~中略~ それに背く意思決定は事実上できないし、してはいけないのだと思っています。

出版関係の付き合いは堅い内容の会社が二社ほど、以前取材を受けた某専門誌のライターと編集者、あとはアマチュア時代にファンとして感想を書いていた方で後にプロになられた作家さんと飯を食いにいくぐらいですが、少なくとも私が見聞きし、認識している『良い関係』とはかなり異なっています。
作家と編集者はビジネスパートナーではありますが、下請けではありません。
ステロタイプ的には【サザエさん】の、いささか先生とノリスケの関係といえば良いでしょうか。
たとえ新人であっても、ちゃんと”先生”として立てるところは立てて扱われています。

仰っている関係性はプロレタリアートの世界で通用する話し。クリエイターを志されているのなら世界が異なります。
私の仕事にもクライアントという絶対的存在がいますが、それでも言いなりになんてなりません。そんなことをすれば双方とも結果的にマイナスになります。方向性に食い違いが出たときは、最終的にクライアントに利益をもたらすことが出来る理由をのべて説得します。
クリエイターの立脚点は『自分の代替えは存在しない』です。ここが希薄になると存在意義そのものが霧散します。

>それに背く意思決定は事実上できない

仮にそうなら御茶ノ宮悠里さんが書く意味は何処にあるでしょう。
費用が安く言いなりになる人なら誰だっていいわけですが、出版社側にとってもそうじゃないはずです。

作家側の技量が発展途上にあるために編集者主導になるというのは、まあこれは必然でもあります。
けれど編集者主導というのは意見を押しつけるのではなく、執筆者に対して理路整然と『良くするための説得』を重ねるものです。
その説得を聞いた執筆者は一度意見を飲み込み、その上で納得できないことがあれば編集者から納得できるまで理由を引き出す。
編集者は執筆者を納得させた上で書かせるのが仕事です。執筆者が納得しないのに、それを読んだ読者が納得するはずがない。

とはいえ出版社もいろいろ、そこに勤める編集者もいろいろでしょう。
今回補足として書かせて頂いたのも、『スポンサーがいる』と断定されていることが気になりました。
もし御茶ノ宮悠里さんが既にプロに手が届くところにあり、担当氏との打ち合わせで斯様な考えに至ったのであれば、担当氏との関係を構築しなおすことも考慮にいれて欲しく思います。

以上、お目汚し失礼。老婆心でした。

カテゴリー : その他 スレッド: ラノベの一般読者層の知性レベルは、テレビの想定視聴者くらいを想定すべきか?

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元記事:キャラクターの能力について

私の小説には『無を操る能力』というキャラが出てくるんですが、
話しの流れで、そのキャラクターと、『美を操る能力』というキャラクターが戦うんですけど、力の強さが互角なんですよ。

でも、それじゃあ不自然じゃないですか。

作中の無を操るキャラは、最強キャラのなんですよね。
なんでも、無にできるんですよ。力の強ささえも無にできる。
だから、変な話、敗北という事実を無にしてしまえば、負けないわけなんですよ。

対して、美を操るキャラの方は、能力を応用することによって得た人を魅了させ、操ることができるという力をもっているんです。
因みにこっちが敵です。

この二人を互角に戦わせるにあたって、無を操る方に何かしらの弊害が必要なんですよ。もっと言ってしまうと、その無にするキャラが、その能力を手に入れたというのも、特殊なんですよね。
必要だけれども増やし過ぎたせいで、とうとう一人では収集できなくなってしまったので、皆さんの力を借りたいと思い、ここに書き込みました

上記の回答(キャラクターの能力についての返信)

投稿者 あざらし : 3 人気回答! 投稿日時:

ご質問から読み取れる情報範囲内で書き込みますが、

>とうとう一人では収集できなくなってしまった

そうなって当然のように感じてしまいました。
個人的に浮かんだ疑問はふたつ。
1)キャラは”考えて”行動しているのだろうか?
2)物語とキャラクターがちぐはぐになっていないだろうか?

順を追って書きます。
『無を操る能力』とありますが、このキャラは好戦的な人物でしょうか?
敵がいるなら、敵の存在、それこそ個人なり組織なりを無に帰せば良いように思います。
相手を傷つけたくないなら『(キャラにとって)自分を攻撃しなくてはならない敵の事由』を無くせば良いですが、そうはしないのですよね?

もちろん物語上で、相反すること、として解決はできるとは思います。
たとえば(敵が攻撃してくる事由)と(キャラの存在意義や価値観)がかち合うような場合、『攻撃理由を無くすことで、同時に○○を失う』というロジックがあれば説明はつきます。

では『(自分に)攻撃を加えようとする意思』を無くすのは出来ないのでしょうか?
他にも疑問はつきませんが、端的にいえば『降りかかる火の粉は払わねばならぬ』方式。様々な物語の主人公が戦う理由として使われていますが、無に帰すというのは、火の粉の存在を消す、もっといえば火元から消すことが出来るように思います。
燃える火が無ければ火の粉なんて被りません。

こういう物語世界にそぐわない(かもしれない)話しは実際どーでもいいです。
問題は読者が疑問に思うことを物語上のロジックで解決できてますか? という点です。

仮に上記のような方法で『火の粉を払えるが、それをしない』としましょう。
おおよそ好戦的な人物だったり、目的のために手段を選ばない人物の場合です。

いずれにせよ考えて行動するキャラならば、その能力を徹底的に隠すように思えます。
サタンさんの書き込みと内容がダブりますが、主人公が恐れるのは敵に日常生活を利用されることでしょう。
遠距離から狙撃されたらアウトなんてのは良い方で、爆発物だけでも(郵便受け)(電子レンジ)(照明スイッチ)(トイレの流水ノブ)と気の休まる暇もありませんし、他にも(寝ている部屋にガスを流す)(ドアノブを握ったら高電圧)(椅子に座ったら串刺し)等々、物騒な手段は幾らでもありますから、身を護る最大の方法は『他者に存在や居場所、能力そのものを知られないこと』になるように思います。
あくまでご質問で使われている語感からの感想ですが、どうも『最強キャラ』『敵』『戦う』ここらから受け取った能動的な印象との違和感を感じました。

物語とキャラがキッチリ絡み合って、読者が『疑問を持たずに楽しめる』というのが特殊能力バトルが絡む物語の大前提だと思うのです。
言葉にすれば『疑問をトリガーにして現実に引き戻さず、作品世界に浸らせて欲しい』です。
率直に、個人的には『美を操る能力もナニも、敵はなぜ馬鹿正直に戦いを挑むのか?(暗殺しないのか)』これが真っ先に浮かんでしまいました。

例にするのも憚られるほど有名作品ですが【荒木飛呂彦著:ジョジョの奇妙な冒険】のディオにしろ、吉良吉影にしろ作品世界でも頭一つ飛び抜けた能力ですよね。
ディオは存在を隠し隠遁生活。
吉良吉影はお見事なことに『平穏な生活』というキーワードを利用して、キャラクターなりの価値観と合致するように行動原理に必然性を持たせています。

>無を操る方に何かしらの弊害が必要

それこそ色々ありますよね?
回数制限があれば魅了側が意図的に使わせるという戦法も使えますし、無にした事柄と代償に自分の接点を失う、これは記憶でも事象でも弊害として成立するでしょう。
それよりも、能力に対する弊害はキャラクター登場時点、できるだけ早く読者に伝える(匂わせる)べきことです。
おそらくはプロット作成により応じたご質問だと思いますのであえて書きますが、弊害では無く『無を操る能力』これそのものを、変化球なり捻るなりして多少なりとも変化、物語との親和性を考えながら発展させる方が良いように思います。

ということで頭の体操に。
ちょい悩みましたがノベルゲームで【アマツツミ】をお勧めします。(OP動画 https://www.youtube.com/watch?v=HwYOrCJ7ge0)
悩んだのは元々PC用のR18だから。ですがコンシューマー全年齢版も出てます。
メインシナリオライターの健速氏は有名作も多いですし、ラノベ作家でもありますのでご存じの方も多いかと思います。
ちなみにバトルものではありません。
主人公は他人を言葉で操るという強力な能力を持っています。ネタバレを避けて例でいうと『大富豪に全く疑問を抱かせずに数十億の金を都合させる』これぐらいは普通に出来ます。
アマツツミというタイトルからピンとこられるかと思いますが、漢字で書くと天津罪。強力な能力で当たり前です。おそらく、ですが(プロットとして)主人公の能力とラストが先行して作られたように感じます。
それぐらいラストが強烈です。
あえてバトル物を外すことで、能力の描き方の勘所、参考になるかと思います。

書かせて頂いたことは、あくまでご質問から掴んだ範囲内です。
是非とも『その手があったか!』と楽しませて下さい。
作品を期待しております。
執筆頑張って下さい。

カテゴリー : キャラクター スレッド: キャラクターの能力について

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元記事:場合によっては非常に重い題材

戦隊やライダーで言うところ「今日の怪人」の枠として添えているキャラクターの一人に「水泳で高い実績を残すものの、不慮の事故で下半身不随になった女の子」というキャラクターがいます。

彼女は敵の幹部からパワーを受け取った事で再び足が動くようになりますが、主人公達は訳あって女の子を倒してパワーを奪わなくてはならなくなります。
当然、ただの人間に戻った彼女はまた下半身不随になります。

現在考えているパターンとしては
1:少女は怪人化の副作用で暴走し、本人の意思に反して船舶を沈めるなど危険な状態だった事から止む無く討伐する。
2:少女の仕業だと思われていた客船沈没事件に真犯人がいたことが発覚し(敵幹部が少女を怪人にしたのもこの真犯人の囮に使うため)真犯人だけを倒し、見逃された少女は再び水泳に復帰。

悩みどころとしては1の方が面白そうな一方、折角また泳げるようになったのに再び足を失った少女と、彼女から足を奪った主人公という結末の救いの無さと、ここにどうフォローを入れるべきかも分からない所です。
2はハッピーエンドではある一方それはそれで都合主義臭いというのがあります(その分、真犯人についての描写は伏線等なるべく丁寧にやりたい所ですが)
何か良さそうな方法は無いでしょうか。

上記の回答(場合によっては非常に重い題材の返信)

投稿者 あざらし : 3 人気回答! 投稿日時:

いいですね。普遍的なヒーローものの面白さを感じさせて頂きました。
と、ご質問の前にひとつ。
水を指すわけではありませんが、御作には更に超えなければならないハードルがあります。

>不慮の事故で下半身不随になった女の子

おおよそ読者には『脊髄損傷』というほぼイコールで括る症状が思い浮かぶと思いますが、これは数年前から治療可能になってきています。

幹細胞を利用した治療そのものは大きな報道にもなりましたし、ご存じかと思いますが、現在では札幌医科大とニプロの共同でステミラック注という薬剤があります。
薬価も決定し、つい先日より重傷の脊髄損傷を回復させる治療が、条件付き承認ながら保険適応、おおざっぱには特殊な治療の範疇から「誰もが受けられる治療」へと変化してきています。
簡単にまとめられたページをご紹介しておいきます。https://www.nhk.or.jp/ohayou/digest/2019/04/0413.html

冒頭に書きました『更に超えなければならないハードル』というのは、読者にすれば「なぜ普通に治療を受けずに、怪人に???」という、かなりやっかいな疑問です。
ひと言で言えば、数年前には使えたネタが現在は使えない、更に年月の経過と共に陳腐化してしまう。(読者が楽しむには”いつ執筆されたか?”と”作品の時代背景は?”が重要です)

こういった『現実に引っ張られる』という現象は、特に推理小説でよく見られますが(科学捜査全般、たとえばDNA鑑定・推理ものにかなりの制約を与えました)ある種フィクションに付きものの超えなければならないハードルです。
とはいえ致命的なことではなく、手直しで回避可能な状況にあると思いますので、設定の変更をご一考ください。

では本題。
個人的には、
小説としては①
子供向けヒーロー番組の脚本としては②
でしょうか。

ダニエルさんが仰る通り、小説としては①の方が面白くなりそうな感じです。
個人的には(読者として)フォロー必須という感じはしませんでした。
感想として理由を書きます。
【少女が敵の幹部にパワーをもらったということだが、代償の予測が不足している。怪人が気まぐれで親切心を起こしたとでも思ったのだろうか? 最悪の代償を予測すべき】
【最悪の代償を予測していた上で、「それでもなお」と選手復帰を望んだ(この気持ちはよくわかる、が)のなら、それもまた因果応報。個人の自由を他人の自由で埋め合わせしようとしたのだから粛々と結果を受け入れるべき。ヤラレロ】
いや、まぁ、我ながら冷たいと思いますが^^;

主人公側の正当性に対するフォローならば、船を襲わせる前に夏の高校野球地方大会決勝戦に乱入させて球児を襲わせましょう。
いや、冗談です。
でも「目標に打ち込む選手」という、嘗ての少女の姿とオーバーラップする対象に危害を加える時点で、それは一生懸命であった自分をも裏切る行為ですよね。
襲った客船に乗っていた人も、唯々諾々と生きていたのではなく、なんらかの人生の目標がありますから、高校球児を襲わせるのと同じだと思うのです。
更に解りやすくさせるなら、こういった事由を少女に悟らせ、自分から征伐を嘆願させるってのも方法かと思います。ただ、これではあまりにも安っぽくなりますので、アイデアを絞られることを望みます。

②については【ウチのチビに見せるなら、こんな番組がいいな】です。
箇条書きで。
導入部、略
少女は敵の幹部を訝しみながらも、水泳に打ち込む熱意が勝った。(少女としては、敵の幹部というより悪魔と契約する気持ち。怪人という認識は無い)
再び水泳選手として復帰し、再起は絶望といわれていた少女が復帰したことで世間の話題になる。
主人公は報道を喜びながらも、絶望的状態から復帰したことに引っかかりを覚える。
少女は自分を助けてくれた敵の幹部から、パワーの再補充を理由に「港まで来い」と呼び出しを受ける。
港に行ったところ、折しも怪人による事件が起きる。大きな被害が出る前に現場に到着した主人公により事件は沈静化。(怪人と共に敵の幹部がいたところから、少女は事情を察する)
一方、現場近くに姿があったことから、主人公は少女への疑いを強める。
疑われるなか、少女は自ら主人公に接触し、怪人の情報を伝える。
怪人を倒すことで少女の未来を絶つことに悩む主人公。
悩む主人公を不思議に思う少女。
主人公は、怪人を倒すと再起不能に逆戻りするだろうことを教える。
少女は水泳選手としての道を絶たれることを理解しながらも、怪人を倒してくれと主人公に頼み、悩む主人公の背中を押す。
主人公が怪人を倒す。
後日、プールサイドには子供たちをコーチする、車いすに乗った少女の姿があった。
新たな人生の目標を設定した少女を見て、安堵する主人公。

と、チビに見せるならこんな感じでしょうか。
ぶっちゃけ解りやすい勧善懲悪と、間違いを犯したときの修正、正しく生きるというのは親として気になるところです。

ではでは、執筆頑張って下さい。
応援いたします。

カテゴリー : キャラクター スレッド: 場合によっては非常に重い題材

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元記事:冒頭に関する話

以前読んだ本か、あるいは映画のコメンタリーだったかもしれませんが、「アクション映画は開始10分以内にアクションを描かないと観客は退屈して帰る」のような話を聞いたことがあります。
質問したいのは、この「開始10分」は小説に置き換えて考えるとどこまでの部分なのか?という疑問です。ついでにアクションを描く際に並んで重要そうな「主人公の活躍」についてもお聞きしたいです。

自分が好きで読んだ小説をおぼろげな記憶で思い出すと、確か「フルメタル・パニック!」は少女が逃げ回るシーンからだったと思います。この作品の場合はミリタリーアクションですので「開始0分でアクション」でかつ「開始10分以内に主人公が派手に活躍」していて、どういった作品で何を期待して読めばいいのか?が明確かつテンポよく描写されていました。
「魔術士オーフェン」は化け物が部屋から飛び立つシーンからだったでしょうか?アクションでこそありませんが緊迫した場面でした。直後にギャグ風味に暴れてるので「主人公の活躍」は恐らく満たしています。
「とある魔術の禁書目録」はちょっと思い出が混濁しているのですが、最強クラスの能力者との一騎打ちからだったはず。「アクション」も「主人公の活躍」もバッチリです。
ここまで書いて思ったのですが、自分が好きな作品というのは「物語開始時点で主人公が戦闘能力を有している」ものばかりに思えます。他にも漫画になりますがジョジョでは4部が一番好きです(これは前に3作品分の積み重ねがあっての序盤なのでちょっと違うかもしれません)。

この法則をどう適用すればいいのかを若干悩んでいるのが異世界転生系です。
最初に描くのは「アクション」でも「主人公の活躍」でもなく「取得する能力の解説」だったり、なんらかの説明になりますよね?
今では転生が浸透してきて転生過程を省いていきなり本番というパターンもあると聞きます。先人の説明努力の上で成り立っていると考えると、なかなか歴史を感じます。ただ、自分はこのパターンは書けませんでした。いざ書いてみようとすると、いちいち物語の舞台のいろんなアイテムやモンスターに対する疑問を案内役に聞いてしまう展開が多くて、以前アドバイスでいただいた「設定はイベントで見せる」を実践できませんでした。解説ばかりで肝心の活躍まで行数がかかってしまったのです。
古典的手法では「最初に能力を使っての戦闘を書き、『そもそもこうなった発端は~』と回想で説明する」というものがあります。こちらもうまくものにできませんでした。回想シーンである以上、その場面に至るまでを書くことになるわけですが、どうしても長い話になってしまい、2回目の活躍までにかなりのページを食うことになってしまいました。こうなってはやはり設定資料の域を出られそうにないと感じたのと、そこまでを(作者にとって)既知の情報を延々連ねるのは思った以上に退屈で飽きてしまったのです。「暴れて欲しいところまでお行儀よく主人公を歩かせる」のは想像以上に地味で、先人の皆さまはこれを越えたのかと思うとただただ頭が下がります。

結局今は、最初から妙なことはせず時系列通りに書こうとしていて、それなりに進めることができました。ところが今度は冒頭から一向にアクションしてくれないのです。書いてる側としては一歩一歩話が進んでいるという感覚があって安心できるのですが、読者にはそんな書き手の心情など関係ないでしょう。あと一歩で派手に活躍するんだ!と思っても、そこまでに脱落されては本末転倒なわけです。できる限りの早回しで進んではいるのですが……。

今回の質問は「Webで文字を読む場合、『開始10分』は何文字程度、あるいは何章程度までに当たるのか?」というものです。世間一般の文字数内に今書いているものが収まっていれば安心して執筆できますし、はみ出していれば修正の必要があります。よろしくお願いします。

上記の回答(冒頭に関する話の返信)

投稿者 あざらし : 3 人気回答! 投稿日時:

個人的な結論から書かせて頂きます。

>Webで文字を読む場合、『開始10分』は何文字程度、あるいは何章程度までに当たるのか?

時間はとりあえず保留してですが、退屈して帰っちゃうのはWebなら速くて5行。
ページではなく、行です。
以下、ご質問の所感を細かく書きます。

個人的には、まず、大前提がちょっと違うと思います。

>「アクション映画は開始10分以内にアクションを描かないと観客は退屈して帰る」のような話を聞いたことがあります。

コメンタリーの場合、問題は『この映画が何か?』です。
マーベル系なら、まぁその通り。そういう映画で観客もそれを望んでいますから。
アクション映画全般を指すなら、一理あるとは思いますが実例が多いだけに首を傾げます。
これが広く『アクションもある映画』になると噴飯ものの話しになっちゃいます。

本だった場合も含めて、多分に比喩的な意味が強いのでは、と感じました。
そもそもアクションものに限った話しではありません。
本であれコメンタリーであれ、これはおそらくは深読みが必要な情報で『面白い映画にするには(なんらかの方法で)開始10分で観客のハートを掴み、スクリーンに没頭させないといけない』という意味あいが強いのではないでしょうか。話題の対象がアクション映画だったので『アクションでは』という枕詞がついたように思います。

私も月に5本以上は映画館で観ますけれど、大はずれの映画でも10分で帰る人なんかいません。少なくとも私はそんなの察知したことはありません。
元話の空気を読まず、あえて書きますが、クソつまんねー映画でも観る前にお金を払ってますから30分ぐらいは持ちます。
映画というのは観る前にお金を払い、あらかじめ上映時間を確保した上で観るものですから、そうそう帰りません。30分ほど過ぎると絶えきれないらしく寝る人は出ますが(笑)

で、これは『映画ならば』です。
漫画や小説の場合『退屈して帰る(作品切り)』は、もっとシビアです。
漫画雑誌では定期的に新連載が始まりますよね。雑誌によって違いますし、ギャグ等の短いものもありますがストーリー漫画の初回は60ページ前後がおおよその基本になってます。
面白ければ全部読むのは当たり前ですが、好みに合わなかった場合、初回だからという理由で全ページ読み通すかというと、まぁ、私は読みません。
切っちゃう場合は、おおよそ半分ぐらいで『退屈して帰る(読むのをやめる)』パターンが多いように思います。

小説の場合、雑誌での連載もありますが、書き下ろしが珍しくありません。
ライトノベルの場合は、大半の作品で文庫が初お目見えとなっています。

私個人を例にすると面白そうな作品を書店に探しに行くのは映画館とセットになっているのですが、タイトルで目を引いた作品冒頭をパラパラとめくります。
購入の有無を決めるのは本文5~10ページぐらいです。書恥の類いの人間ですので、『あまりにも平凡』という作品以外はおおよそ買っちゃいますが、やはり冒頭でハートを掴む作品で無いと後回しになります。

と、ここまでは漫画でも小説でもプロ作品です。
編集というプロの目を通した後に世に送り出された作品の場合でも、これぐらいのページです。
もちろん個人差はあるでしょうが、いずれにせよ世の中に出てきた全ての作品を読み通すことは不可能ですから、『退屈して帰る(読むのをやめる)』は誰しもがあることだと思います。

さて。
アマチュア作品の場合はというと、さらにシビアになります。
というのも、プロ作品の場合『最低限度の質、底の底よりは上』を保っています。(人気・有名レーベルの小説、漫画全般は競争が激しい分、レベルは必然的に底上げされていますね)
プロ作品の場合、全作品とは口が裂けても申しませんが、おおよそレベルではなく『好みの問題』が大半で読むのをやめています。
言い方を変えれば、読者にとってギリギリラインであれど『時間の無駄にはならない、大丈夫だろうという期待』が手伝っての結果です。

一方、これはアマチュア小説の良いところでもあるのですが、まさに玉石混淆。
編集というプロ、慣れた人の介入によって平らにされていない尖りっぷりが、良くも悪くもストレートに出ています。

アマチュア作品もそれなりに、というか、むしろ結構読んでいる方だと思うのですが『時間の無駄にはならない、大丈夫だろうという期待』これを裏切られる経験も、読んだ数の分母に比例して増えていきます。
正しく作品の質だけで読むという状態。
ある意味、健康的ですね。

結果、速ければ数行で読むのをやめる、というケースもあります。
これは単純に小説以前の問題で『日本語の不備』手っ取り早くいうと「読むのが苦痛」という場合。

こういった最低限のことが出来ていたとしても、読むのをやめる場合、多くて5ページでしょうか。
プロ作品より短くなるのは、『それぐらい解りやすく読む価値を見いだせない』これに尽きます。

>最初に描くのは ~略~ なんらかの説明になりますよね?

ごめんなさい。
あくまで私の場合ですが、『説明』これが最も解りやすく切る(読むのをやめる)パターンです。
もちろん説明から始まっていても光るものがあれば読みますが、そうではない場合、そして大多数のそういった作品は早々に読むのをやめてしまいます。

>確か「フルメタル・パニック!」は少女が逃げ回るシーンからだったと思います。

ご質問にある作品から一本目を例に。
異世界もやり方は同じなんです。
考え方を変えてみて下さい。
おおよそ現代を舞台にしたフィクションですが、『アーム・スレイブという人型兵器が存在して、一般学校に兵隊が転校してくる』という異世界を描いていると考えれば、見えてくるものがあるかと思います。
フィクションってのは重箱の隅をつつけば異世界に違いないわけですよ。

読者には説明せず、エピソードを通じて周知してください。
フルメタでいえば、プロローグ。
☆コピー用紙を手に入れるために、発煙弾を使用する。
☆補完としてヒロインが罵倒【引用】『戦争ボケのネクラ男』
このふたつでプロローグの役目、もっといえば作品の骨子(アクションあり・恋愛要素にも期待できる)を表しています。
もっとも説明っぽいヒロインのセリフが【引用】『スゴ腕の傭兵だか、AS乗りだか知らないけど ~』です。
おおよそ、これが説明のギリギリライン。

>解説ばかりで肝心の活躍まで行数がかかってしまったのです。

もっとも基本的な物語進行ですが、『活躍から書く』『出来事の最中から書く』ことを意識してみてください。
読者への設定説明なんて後でもできます。(フルメタだってそうでしょ?)
謎のままで結構ですので、とにかく読者に向けてボールを投げて続けて下さい。
ボールを投げ続けられる限り、そうそう飽きませんが、投げられてくるボールがないのにバッターボックスに立ち続ける暇人はそうはいません。

そして物語で、読者にわき上がるクエスチョンをエピソードで(徐々にでも)読者に伝えてください。
断片の情報でも、読者は頭で組み立てて一本の筋道をつけます。
ここは読者を信用して下さい。
出来事を丁寧に時系列で順番に書いていく、しかも飽きさせない、これを成立させるには『飛び抜けて魅力的な筆致』もしくは『飛び抜けて魅力的なキャラクター』が必須となります。
おそらくこちらの方が遙かに困難であるはずです。

>古典的手法では ~略~ こちらもうまくものにできませんでした。

戦闘シーンから始める必要はありません。
冒頭に戻りますが、「アクション映画は開始10分以内にアクションを描かないと観客は退屈して帰る」これをストレートに取るのではなく、意味を汲み取るべきだと思います。

小説の場合、まず第一に飽きさせないために、説明するのではなくエピソードで伝える。
そのための手法のひとつが『活躍から書く』『出来事の最中から書く』という冒頭です。

>時系列通りに書こうとしていて、~略~ 一向にアクションしてくれないのです

それは時系列通りではあるが、物語の開始地点に問題があるように思います。
小学校の宿題の定番ですから、日記をつけられたことはあると思います。
普通は「その日で最も思い出深い出来事」を中心にしますよね。朝起きて歯を磨いたことは飛ばしますし、トイレに行った回数だって書きません。
海に泳ぎに行ったなら、その思い出を書くべきで、家を出るところから書く必要はありません。
いきなり、
「クラゲに刺された!」
から始まってもいいのです。
この一文だけで海に行ってることは解りますよね。山でクラゲに刺されるヤツはいません。
これを冒頭にして5W1Hを交えながら日記を書くことだって出来ますよね。

>できる限りの早回しで進んではいるのですが……。

悪手のように感じます。
早回しできる、というのは、それが無駄となって存在している証明ではないでしょうか。
本当に面白い小説は、一行の無駄もありません。
家で映画を観てても、面白ければチャプターを飛ばしたりしないはずです。
『本当に早回しが出来るシーンを飛ばすことは出来ないだろうか』
これを著者であるパクトボーさんではなく『読者にとってどうか? 削ることで読者が混乱するだろうか? 混乱させない方法はないだろうか』これを基準に判断してみて下さい。

最後になりますが参考書籍を。
【冬月いろり著:鏡のむこうの最果て図書館 光の勇者と偽りの魔王】
2018年電撃大賞の銀賞受賞作ですから既読かも知れませんが、デビュー作にして上々です。
読者にとって必要な情報はエピソードで読ませる、ということが理解しやすいと思います。

ではでは執筆頑張って下さい。
応援いたします。

カテゴリー : 流行分析(なろう研究) スレッド: 冒頭に関する話

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元記事:頭のいい人の思考を再現するには

こんにちわ、にごり酒と申します。

今書いているノベルに、非常に頭の良いキャラクターがいます。賢者のような人なのですが、こういったキャラクターが頭を使ったり、本当に言いたいことを遠回しに言ったりするときに会話する描写を皆様ならどのように描かれますか?

拙い質問文ではありますが、もし宜しければご教授いただけると幸いです。

上記の回答(頭のいい人の思考を再現するにはの返信)

投稿者 あざらし : 3 人気回答! 投稿日時:

頭が良いという共通項があっても性格は様々、会話も描写もにごり酒さんが作られたキャラクターに合ったものとしか言えませんし、そもそも書き手じゃないので控えます。

ですので、ご質問から感じるところをいくつか。
世間一般で『頭が良い』というと、勉強が出来る。具体的には偏差値が高い人と同義になってるようにも感じますが、これは結果論です。
勉強に専念できる環境にあった人が、勉強を習慣づけて継続することができるということが大きく作用しますから、家庭環境にも起因します。

たとえば聖徳太子と現代の高校生が数学のテストをやれば、まず間違いなく高校生の方が点数は良いはずです。
5世紀の人間が現代数学を知っているはずがありませんから、聖徳太子は問題の意味を理解することも怪しいでしょう。

ではなぜ聖徳太子に”頭が良い”というイメージがついているかというと、代表格は10人~30人の人が同時に話したことを聞き取り、理解できた、という豊聡耳にまつわる逸話です。
これを現代風にいうと、まぁ耳が素晴らしく良いのは間違いありませんれど、それよりも特筆すべきはIQとEQが極めて高いということでしょう。

よくあるたとえ話ですが、車でいうとIQはエンジン性能。
アクセルを開けたときにどれだけの回転数、その恩恵として速度を得られるか、ということです。
対してEQは制御能力、コントロール性能。
ハンドリングやブレーキといった、猛スピードで走る車をコントロールする能力です。
どちらも高性能で、初めてレーシングコースを短時間で周回できます。

頭が良いというのは、普通の人間が10分かかることを数秒で終えてしまう。
加えて、普通の人間は一つの問題を解くのが精一杯なところを、同時に数種の問題を解決してしまう並行処理をやってのけるようなことだと思います。

で、これ、小説では充分に可能だと思うのです。
にごり酒さんが三日悩んで書いた会話と描写、仮に五行だとしますが、

>非常に頭の良いキャラクター ~中略~ 本当に言いたいことを遠回しに言ったりする

これを読者が読むのは一瞬ですよね。五行なんて誰でもすぐ読めます。
読めますが、頭が良い人がやってのける『常人を遙かに上回る速度での処理速度とマルチタスク』に、にごり酒さんがかけた時間は解りません。
著者が3日悩んでも、キャラクターは一瞬でやってのけてるわけです。
充分に頭の良いキャラクターを作り出せるのではないでしょうか?

頭が良い、というのは他にもありますが、IQとEQに関しては著者が時間をかけてでも悩むことで実現可能かと思います。

最後に。
友人にメンサの会員がいるのですが、飲み会での印象的な言葉をひとつ。
「(仕事が)楽しくて仕方が無いならともかく、そうじゃなければ会社員なんてやめればいいのに。そんなに暇なら(金が目的なら)さっさと起業すればいい。すぐ死ぬ(残り100年はないの意味)のにモッタイナイ」
EQと忍耐力はたぶん人並みだし、言われた人は会社員を続けてます。

カテゴリー : キャラクター スレッド: 頭のいい人の思考を再現するには

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元記事:ラブコメにおけるアタックって具体的には何ですか?

ラブコメでやたらと主人公にアタックする好感度MAXの明るいヒロインを書きたいのですが、どうアタックさせればいいのかわかりません。
そもそもラブコメにおけるアタックすら知らないです。
誰でもいいので教えてください。

上記の回答(ラブコメにおけるアタックって具体的には何ですか?の返信)

投稿者 読むせん : 0

とにかく近づく。
半径5メートルの法則っていうのがあるから。日常にどこまで浸食できるか?がアタックになると思います。

同じ部活に入る、同じクラスになれないなら、休憩時間の際はマメに合いに行く。

クソおもろいなーと思ったのは「0日間で男を上手にフル方法」って映画にあった「
彼氏のまくらに自分が愛用している香水を振りかけておく」ってやつ。されたくねー

あとは、修羅場ちゃんねる系で見た、烏骨鶏の目玉焼きと老舗のパン屋の焼きたてパン&搾りたての牛乳と毎朝搾りたてのオレンジ・ジュースを毎朝バイクでかっ飛ばして調達し準備していた愛が何気に重い女の「ぱっと見は簡素だけど、重い愛情に満ちた朝食アタック」

主人公に私はアタックしています。なんなら交際していますから!と周囲の女子に牽制するのもいいね。
「いつも主人公がお世話になってます、主人公がウザかったら私に言ってね!!ちゃんと〆とくから(笑)」とか
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
主人公が「いやー、俺ってば彼女に好かれすぎて困りますわー」マウントが取りやすいアレコレを入れまくったらいいよ。

そういうマウント行為を「いや、俺は不本意だしウザいんだけどさー」とか言いつつ利益だけは得ていたら最高。血祭りに上げたくなるよね。

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: ラブコメにおけるアタックって具体的には何ですか?

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元記事:女子キャラの設定をどう作れば良いだろうか…

中々異性の設定が上手くいかず、名前はどうにかなるが口調や仕草、女性(女子)が感じる物の感覚がうまく決められません。
皆さんどう言ったように異性のキャラクター設定を作っていますか?

上記の回答(女子キャラの設定をどう作れば良いだろうか…の返信)

投稿者 大野知人 : 1

 A.作るのが難しいものは作らない。

 どうせ、脚本の都合とか、自分のやりたいネタとかそういう問題があるので。
 『作るのが難しい』場合、他の物を作っちゃってから、最後に他の物との兼ね合いで作る。

 『こういうエピソードに登場させたいな』→『主人公がボケだから、ヒロインはツッコミとか常識人ポジにしようかな』→『じゃあ、取り合えず優等生で』
 『終盤で主人公のトラウマに関わるシーン入れよう』→『主人公が立ち直る時、ヒロインの一言がキッカケになるとネタとして美味しいな』→『じゃあ、特定の状況で強気になるキャラにするか』

 みたいに。
 エピソードとか、他キャラとの絡みとかで、割とフレキシブルに決めます。

 口調とかは、面倒な時は適当なラノベからマルパクリすることすらありますが。ラノベそのものの母数が多いので、どうせバレませんよ。
 マルパクリが嫌なら、なん十冊か読んでパターンを学習し、自力で作っても構いませんが……。大体皆似たような口調ですよ。一冊当たり4~5人も女性が登場すれば、4冊に一人くらいは同じ口調のキャラが居ます。そんなもんだ。

 仕草に関しては、町なり学校なりに繰り出して、5~6時間適当にほっつき歩いていればいいでしょう。
 極端に誰かを凝視しなければ、『あ、観光客/お上りさんだな』と勝手に勘違いされるので、そこら辺を徘徊して『女の子ってこういう動き方するんだなぁ』ってのを見なされ。
 それが面倒くさいなら、これも適当なラノベからパクりましょう。台詞パクった元のラノベと一緒だとバレやすくなるので、別のラノベで。

 物の感覚についてですが、要る?
 多分、読んだ感じ男性主人公で書いてるように見えるんですが、恋愛だろうが会話だろうが、『相手の価値観を理解する』事なんてハナから不可能です。
 アキラメロン。

 てな感じでございます。
 何かの参考になれば幸いです。

カテゴリー : キャラクター スレッド: 女子キャラの設定をどう作れば良いだろうか…

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投稿日時:

元記事:三幕構成のセントラル・クエスチョンとは暗示的でもいい?

絶賛三幕構成を勉強しなおし中のみりんです。

質問は、セントラル・クエスチョンについて。
ウィキペディアには、

「主人公の解決しなければならない問題である。これはセットアップの最後に観客への問いかけとして示され、その答えはクライマックスに Yes/No で与えられる。セントラル・クエスチョンは、主人公の行動する「きっかけ」という目線から立てられる (例: 「X はダイヤモンドを取り返せるか?」「Y は彼女をゲットするか?」「Z は殺人犯を逮捕できるか?」など)。すなわち「主人公は目的を成しとげられるでしょうか」ということがクエスチョンとなる (主人公の心理的な変化が目的となる場合もある)。セントラル・クエスチョンは、ストーリー上の全ての出来事に関係する。セントラル・クエスチョンの設定によってセットアップは終了し、本当のストーリーを始める準備ができる[142]。

セントラル・クエスチョンは、インサイティング・インシデントと対になっており、インサイティング・インシデントの事件によって示される」
と書かれていました。

でも今私の作品にいざあてはめようとするとうまくいきませんでした。
具体的には以下のような感じでして……

第一幕:セットアップ5W2H誰がどこでどのような状況で何をする話か:父が死に、悲しむ母を主人公天沢夜白はなぐさめる
テーマの提示:大切な人が死んでも、一緒に生きてほしい(「パパはお星様になってママと私を見守ってくれているよ」となぐさめることで提示)
インサイティング・インシデント (つかみ・FTのきっかけとなる出来事・引き込み要素):母が失踪し、母の友人と名乗る女・摩耶(ヴィラン)が家にやってくる
セントラル・クエスチョン:主人公の解決しなければならない問題:(ヴィランを倒せるか?)
主人公はどのような人物像か(主人公の日常):夜白はまじめで前向きな性格で、摩耶と仲良く暮らしていきたいと家事を率先して行うが摩耶は冷たい。
主人公をめぐる問題が具体的に何か明確化: 婚約者を名乗る月兎族の賢人が現れ、 悪霊化する幽霊の霊魂を夜空に上げる月の神になれるのは夜白しかいないと言われる。
ファースト・ターニングポイント(アクション・選択):母が生きていると知り、取り戻すと決意する

インサイティング・インシデントに連動したセントラル・クエスチョンとなると、ヴィランを倒せるでしょうか? という問いになるかと思ったんですけど、次のシーンで主人公の夜白は母の友人を名乗り、家の管理をしてくれるヴィランと仲良くしようとするような真面目な性格です。倒そうとしてないし……。(仲良くしようとする動機は、父が死に、ヴィランに母も死んだと言われ天涯孤独だと思っているため寂しいので前向きに仲良くしようとしています)つまり、セントラル・クエスチョンがすごくわかりづらい設計です。
さらに、ヴィランである摩耶がヴィランだと判明するのも、第二幕の中盤くらい。

このように、セントラル・クエスチョンが暗示的でも面白い作品になると思いますか?

というか、セントラル・クエスチョンとテーマの違いって何でしょうか?

ややこしい質問で申し訳ありません。
よろしくお願いいたします。

上記の回答(三幕構成のセントラル・クエスチョンとは暗示的でもいい?の返信)

投稿者 手塚満 : 1

セントラル・クエスチョンの語義通り、主題(テーマ)についての問いかけと考えたらいいと思います。

構想してお出で作品であれば、テーマは「母親を取り戻す」とすれば、セントラル・クエスチョンは「母親を取り戻せるか?」となりそうです。しかし、母親の存命は伏せられているし、障害となるものは母親の友人と名乗る摩耶が偽りの平和を与えにやって来ること。仰るようにセントラル・クエスチョンを出すに出せない状況ですね。

では、テーマを「平和な家庭を取り戻す」にしたらどうでしょうか。セントラル・クエスチョンは「平和な家庭を取り戻せるか?」。このクエスチョンは変遷することになりそうです。

1:摩耶とうまくやっていけるか?(達成しても偽の解決)
2:摩耶の真意を知ることができるか?
3:摩耶を倒して、母親を取り戻せるか?

物語冒頭~序盤で、主人公に偽の目的が与えられるって、よくあるんじゃないかと思います。例えば、主人公が(善人そうでいて実はラスボスであるキャラから与えられた)使命を果たそうとあがいているうちに、事件の真相や真の障害・敵が分かって来るパターンですね。隠されたセントラル・クエスチョンは「主人公は隠された悪事を暴けるか(そして解決できるか)?」なんですが、伏せられている。

しかし、主人公が何をしようとしているか(何をする話なのか)が提示できないと、読者としては読む目的を見失い、読了するモチベが削がれます。ですので、偽の目的を与えておくわけです。明示的なセントラル・クエスチョンも偽の目的に沿うことになります。

真相が分かると、明示的なセントラル・クエスチョンも変わって来るわけですが、少し大枠で見てみると、「事態を解決できるか?」というセントラル・クエスチョンは不変です。大枠はブレないけど、章/幕ごとで主人公にはセントラル・クエスチョンの具体的な見え方は変わっている。主人公が試行錯誤する物語では、そういう手法、展開を使ってはどうかと思います。

試行錯誤する主人公が揺らぐ物語でも、最初から最終的なセントラル・クエスチョンを与えることは、不可能ではありません。例えば「劇的アイロニー」を使う。劇的アイロニーは「読者は真相を知っているけれど、作中のキャラは知らない」というものです。三人称なら可能です。

構想中の作品であれば、主人公がいないシーンで摩耶に独白させるとか、主人公の不利を図るとか、母親を監禁しているシーンを入れておく等々です。主人公はそのことを知らない。だけど読者は描写から摩耶の真意は知っている。読者は「主人公、摩耶の陰謀に気づけ」「主人公、危ないぞ、そっちじゃない」とかハラハラしながら読み進めることになります。

カテゴリー : ストーリー スレッド: 三幕構成のセントラル・クエスチョンとは暗示的でもいい?

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