小説の創作相談掲示板:小説の書き方Q&A。執筆の悩み相談をしよう!

アンデッドさんの返信一覧。投稿の古い順2ページ目

元記事:物語の考察のさせ方について

こんにちは㎜というものです。
面白い作品は読者に考察させる内容が含まれていることが多いですよね。
読者にはただ一つの答えではなく、様々な答えを考えさせ、議論させるものが私個人的には面白い作品であると考えています。
そこで、考察について4つの質問があります。
①作品によって異なると思いますが、どういった内容が読者にとって考察し甲斐のあるものになるのでしょうか?
②どういった点(例えば、登場人物の言動、舞台の背景等)に考察させる要因を入れたらいいのでしょうか?
③読者に考察させるので、作者側であらかじめ答えを用意しておいたほうがいいのでしょうか?ただ、私としては答えを用意して作品を書き、考察させるとなると、その答えに導かせる作品になってしまい、読者の考察の答えが1つだけになりそうで不安です。
④そもそも、今の読者に考察させるような作品を好むひとはいるのでしょうか?
みなさん回答お願いします。

上記の回答(物語の考察のさせ方についての返信)

投稿者 アンデッド : 0 投稿日時:

今自分でそういう類いの話を書いていてノベル道場にも書き込んでいるので、その立場からコメントしてみようと思います。

エヴァとかには影響は受けてるんですが、まずコンセプトとして考察させたいというのは余りなかったです。
謎を色々と提示してそれが気になって読んでもらえたら、伏線回収でハッとしてもらえたら強みになるなという感じでした。

①やっぱり謎の提示ではないでしょうか。
②謎はあらゆる点で提示できると思います。少なくとも自分ではそういう印象で書いてます。
③僕が今書いてるのは完全に答えを用意してますが、用意しない手法もありかとは思います。ただそれは注目度が高い商業作品やプロであるから活きる印象で、素人がやってみせてもスルーされそうです。
④進撃の巨人がヒットしたのも比較的近年でまだ完結もしてない作品ですから、普通にいるんではないでしょうか。

カテゴリー : 設定(世界観) スレッド: 物語の考察のさせ方について

この書き込みに返信する >>

元記事:異世界ファンタジーの数値化された能力について

 最近の異世界ファンタジー物は大抵の場合、ゲームの世界が舞台というわけでもないのに主人公の持つ能力をレベルやスキル、ステータス等、ゲームシステムのように数値化する傾向にあるように思いますが、これはなぜでしょうか?
 ゲームであればストーリーの中でシステムに言及するのはメタ表現としてタブー視され、世界観に沿った表現に変更が加えられるのが普通だと思います。NPCがシステムに言及するときはプレイヤーに対する説明であって主人公に対する説明ではないはずです。NPC同士でポケモンの種族値がどうのといった会話は本来ありえません。
 ライトノベルにおいて、特にゲーム世界が舞台ではない作品で登場人物の能力や強弱をゲームシステム的な数値によってあらわすことに関する世界観・設定上の理由、作中での説明で一般的なものは何でしょうか?

 個人的にはスキルやステータスといった数値のみで強弱を示すものはあまり好みではありません。例えば、「200のダメージを与えた」だけではそれが致命傷なのかただのかすり傷程度なのかが判然としません。数値で強さを表すには比較対象や基準値が必要だと思いますが、それならば直接、常人なら死ぬであろう一撃を耐えた等と描写すればいいのではないでしょうか? わざわざ数値に置き換える必要は無い気がします。

 ゲーム的な異世界について、数値化された能力について皆さんはどう思いますか?

上記の回答(異世界ファンタジーの数値化された能力についての返信)

投稿者 アンデッド : 3 人気回答! 投稿日時:

単純に同人的な感覚に基づくものかと。
あれいざやろうと考えたら存外面倒臭いですよ。僕はゲームも好きですが、小説でそれを視野に入れた時に労力の苦痛を感じました。
小説を書こうとしたなら小説らしく表現した方が結構楽です。
それをわざわざゲームっぽくやってるのはその表現が好きだからだろうし、好き故に同時にその人には楽でもあるんでしょう。
そもそも小説を書いてる感覚ではないんだと思います。ゲームしてる時のプレイ感覚に基づいてやってる。
僕は大昔子供時代に自分でなんちゃってボードゲームみたいなのやなんちゃってゲームブックみたいなのを一人で作った頃がありました。いわゆる一人遊びなんですが、あれと同じなんだと思います。
遅れてきた一人遊びが小説に乗せられてるので、やはり同人的な感覚で受け入れられて共有されてるんでしょうね。

カテゴリー : 設定(世界観) スレッド: 異世界ファンタジーの数値化された能力について

この書き込みに返信する >>

元記事:異世界テンプレは創作論と矛盾しているのでは?

 俗になろう系と呼ばれる異世界転生/転移ファンタジー作品について、これらの作品で用いられるテンプレートが一般的な創作論との間に矛盾や乖離を生じているのではないのかと疑問が浮かんだのですが、それが自分の理解が足りていないだけなのかどうか判断がつかないので皆様の意見を伺いたく思った次第です。

 個人的に疑問に思った点は、
:いわゆるチート転生ものにおいて、ブレイク・スナイダーが【魔法のランプ】もので盲信二段重ねと呼ぶタブーを犯しているのではないのか?(1.異世界へ転移 2.その世界で異質/異常な能力を獲得 さらには「魔法なしでやることを学ぶ」という重大な要素にも反している)
:主人公のコンフリクト(葛藤、対立)が薄いか全く無く、それによってアーク(人格/精神面)の変化に乏しい(成長要素が能力面に偏っているか、最初から成長の余地がなく、いつまでも変わらない)
:「行って帰る」の「帰る」に値する部分が欠落しているのではないか?(転移したまま元の世界に戻らない/戻ろうとしない)

 また、自分が参考にした創作指南書は
・「SAVE THE CATの法則」(ブレイク・スナイダー)
・「工学的/物理学的ストーリー制作入門」(ラリー・ブルックス)
・「ストーリーメーカー」(大塚 英志)
他、となります。

 これらの創作論について間違った理解の仕方をしているようであればご指摘お願いします。

上記の回答(異世界テンプレは創作論と矛盾しているのでは?の返信)

投稿者 アンデッド : 1 投稿日時:

テンプレとは言われてますがその実、特殊なメソッドで成り立ってるなという印象は拭えないです。
一般的な創作論は多分大方世界中に通用します。
けどなろうのメソッドは日本の更にピンポイントをターゲットにしてる。
何に似てるかと言えばケータイ小説ですし、既存の商業にあった物ではなくて同人にあった物が浮上した印象なんですよね。

カテゴリー : 創作論・評論 スレッド: 異世界テンプレは創作論と矛盾しているのでは?

この書き込みに返信する >>

元記事:【雑談的質問】初めて長編を書いたときどうなりましたか?

【雑談的質問】
初めて長編を書いてる初心者なのですが
・10万文字から20万文字弱の長編を書こうとしてプロットだけで4万文字になって、ボリューム合ってるのか不安で仕方ない
 ┗思いついたシーンや掛け合いもメモついでに書いているのでそのせいもありそう
・自分の書いたプロットで泣いた
 ┗キャラに感情移入し過ぎて職場で思い出し泣き?して必死に顔を隠した
って状態になりました

前述の通り長編を書くのは初めてなので、ふと疑問に思ったのですが、皆さんが初めて長編を書いたときってどんな感じになりましたか?
すいません、単純に私の好奇心というか興味です。
【雑談的質問】ってことで、どうか気楽に皆さんの「あるある」「ねーよ」を投下してくださったら幸いです。

上記の回答(【雑談的質問】初めて長編を書いたときどうなりましたか?の返信)

投稿者 アンデッド : 1 投稿日時:

現在初長編を書いてる者です。
僕はプロットは用意しない派で15万字で収まるように書いてます。
現在は約11万6000字ですがペース的には丁度良いんじゃないかなという感覚ですね。

感動するかどうかは、今回初めて自分の作品で感動しました。
今後書く予定の場面を想像しても、既に書いてある文章を読んでも感動しますね。
それから自作にフィットした音楽を聴いてる時に、書く予定の場面が浮かんできて泣いてしまった事もあります。
これは自分でも驚きました。

カテゴリー : その他 スレッド: 【雑談的質問】初めて長編を書いたときどうなりましたか?

この書き込みに返信する >>

元記事:自信満々の小説がダメダメだったら、どうする?

 長い期間、設定を練って、自信満々の小説の設定や物語を作ったとする。
 実際に指摘をして貰ったら、これでもかと言うほどダメダメだった。
 どうしますか?

・もう一回同じ作品を練り直す
・その作品は忘れて、次の作品を作り上げる

 など。
 

上記の回答(自信満々の小説がダメダメだったら、どうする?の返信)

投稿者 アンデッド : 0 投稿日時:

初めまして、最新作が常に最高傑作(自信作)のアンです。
僕の場合は、というのをお答えしたいと思います。
まず指摘を受けて自分でもダメだなと思った場合は何度でも直します。
次の作品も書きますが、前の作品は忘れません。
僕は掌短編も20作以上書いてきて、そのどれもが基本的に成功だったと考えてます。
大抵ある程度評価を得たのもありますし、そうでない場合も作品が悪いんではなく機会がなかったと考えてます。
読まれてない機会とか評価をしてくれる人に当たってない機会とか色々ですね。
だから機会を得るまで推します。それで実際に評価を得られての実態調査としても身に染みてます。
ただこれは個人の能力による作品の出来にも作用するので、誰でもそうすればいいという訳でもないですが。
少なくとも自信作ならば諦める事はないと考えてます。必ず陽の目を見た経験上ですね。
但し、年単位の粘りと推しにも工夫がいります。

カテゴリー : やる気・動機・スランプ スレッド: 自信満々の小説がダメダメだったら、どうする?

この書き込みに返信する >>

現在までに合計18件の投稿があります。 5件づつ表示中。現在全4ページ中の2ページ目。

ランダムにスレッドを表示

プロットの空白部分の対処について

投稿者 やとう 回答数 : 17

投稿日時:

いつもお世話になっております。 ヴィクトリア朝風な国家を舞台の作品に挑戦中のやとうです。 コロナや大雨などなど困ったニュース... 続きを読む >>

よければ質問者が最優先で、雑談しませんか?

投稿者 読ません 回答数 : 0

投稿日時:

建ててみました。良ければ荒らしたいニートが私です。 続きを読む >>

小説が書けない時の対処法

投稿者 蜜柑 猫 回答数 : 5

投稿日時:

最近、小説が書けないです……。 スランプではないのですが、書く気が起きないというか、この先の展開は把握しているのですが、どうしても... 続きを読む >>

ランダムに回答を表示

元記事:表現技法と「憎悪の理由」へのご意見募集

 オミクロンです。現在進行形で執筆中の長編も、終盤に差し掛かってまいりました。皆様の温かい助言あって、ここまでこれたと思います。此度もまたいくつか助言を頂きたく、ここに投稿させていただいた次第です。よろしくお願いいたします。

 本題に入らせていただきます。まず一つ目の質問は、「主人公在籍での三人称多元視点メインの可否について」です。

 物語のある決定的な出来事から、当初は主人公一人称視点の基本文体(地の文)から、三人称神視点に基本文体がシフトします。そしてさらなる決定的な出来事による主人公復活まで徹底しているのです。ですが主人公は死亡も離脱もしていないのです。

 主人公を主人公から一時的に引きずりおろし、主人公含む中心人物の人間関係を主人公に据えるといえばいいでしょうか。私はこれを「主人公が自分自身すら見失う」のと、「主人公以外の人物の掘り下げ」という理由で使用しております。

 ここで問題なのが、主人公という存在がいながら、全体俯瞰のような視点が長く(おおよそ20万字ほど)続くということです。もちろん主人公が復活した後は、基本主人公の一人称視点に戻ります。さらに復活直後に「自分自身すら見失っていた」という主人公の独白(地の文)が入ります。

 皆様に評していただきたい一つ目は、この技法はありか、なしか。という点です。もちろん忌憚なき意見もお待ちしております。

 次なる質問に参ります。内容としては「一人称視点で恣意的に五感情報を書かない技法はありか、無しか」という点です。似通っていて申し訳ありません。

 一人称視点における五感情報の重要性については重々把握しています。視覚のみならず嗅覚、聴覚、触覚、味覚を過不足なく文章に組み込むことにより、情景描写がよくなることは承知の上です。

 ですが先述の「自分自身すら見失っていた時期」や、「蛇足のため省略したさほど重要でもない時期」に度重なる無茶を主人公は重ねます。その結果、主人公から五感情報が徐々に失われ、最終的には色彩以外の視覚と聴覚以外を全喪失します。

 要は徐々に痛覚(感覚)が薄れ、味を感じなくなり、匂いが区別できず。色彩すら失われていくのです。

 これももちろん終盤で人物会話でネタばらしをします。ですがそれまでは完全シームレスに五感情報を著しく欠いた一人称視点文章が続きます。皆様に評していただきたいのは、この技法の是非についてです。

 最期の質問に参ります。これは技法とは関係がありません。単純に意見を募りたく書きました。内容としては、「人間はどんな存在に対して絶対的な不快感を抱くか」という内容です。

 ここで書いた「不快感」の意味において、五感情報や容姿、因縁は関係ありません。一片の対話の余地もなく、微塵の躊躇もなく「排除」したくなるような感覚です。

 憎悪であり、嫌悪であり、軽蔑でもあり、不寛容でもあります。作品中にも書いていますが、まさに「不倶戴天の敵」という意味です。

 私はこの理由に、「自分とはほんの少しだけ、だが決定的に違うIFの姿」という同族嫌悪のようなナニカを理由に据えました。分かりやすくするのなら、Fateのエミヤが衛宮士郎に抱く感情を、逆に衛宮士郎がエミヤに抱いている。とでも言えばいいのでしょうか。

 ですが個人的にはもう一押し「絶対的な不快感」の理由が欲しいところです。なにかアイディアがあれば教えていただけると幸いです。

 以上です。よろしくお願いいたします。後、私自身が少々繁忙期に入った関係により、返信が非常に遅れる可能性があります。ご容赦ください。

上記の回答(表現技法と「憎悪の理由」へのご意見募集の返信)

投稿者 サタン : 1

>この技法の是非についてです。
・人称の変更について。
「技法」という意味でアリかナシかと言えばアリでしょう。ダメな理由が思い浮かばない。
ただ、うーん……
普通に考えれば、ここはサブキャラ視点の一人称として書くでしょう。三人称にする場合は「主人公が不在だから」という事が多いと思う。
サブキャラを掘り下げるなら、なおのことサブキャラ視点のほうがやりやすいだろうし。
そこであえて三人称にしたのは「主人公が自分自身すら見失う」という意図があるためだと思う。
「見失った視点」を三人称で表現してるのかなと。
それ自体は面白い試みだと思います。
でも、三人称にするだけで「見失った視点」を表現できるとは思えないし、それは三人称をやってる時点で読者に理解できないと「意図ある三人称表現」ではなく「普通の三人称」としか認識しないので、
>さらに復活直後に「自分自身すら見失っていた」という主人公の独白
と、三人称が終わった後に説明されても、遅い。
すると三人称の時点で何かしらの工夫が必要だと思う。
試みとしては面白いけど、聞く限りではもう一つ工夫が必要だろうと思います。

・五感の描写がない一人称
ぶっちゃけ、それこそ三人称の出番だと思うのだけど、前述した意図があるなら主人公に視点を戻さないとギミックとして成立しないので、視点は主人公に戻したいところでしょう。
でも、うーん……。
五感に障害を持ってる主人公の話はいくつか思いつくけど、そのどれもが三人称・語り部役のサブキャラによる一人称だったなぁ。
五感情報がない一人称ってなんかあったかな……ありそうな気もするんだけど、思いつかないや。
難しい、というか、できるのかな……。主人公の独白メインになっちゃわない?
せめて周囲の情報がわかる手段がないと、どうしようもないと思う。
なので、「徐々に失われる」という事なので「完全に全てを失うまで」なら問題なく書けると思う。
そして、その表現自体も問題ないと思う。

妄想だけど、主人公が五感を完全に失ったら、サブキャラの視点で一人称にしてやると面白いかもね。
三人称だと「見失った表現」になっちゃうので、そしてそういう表現を既にしているので、ここでサブキャラ視点にすることは「大事な人を見失わない」という表現になるんじゃないかな。

こういう表現の是非は、アイディアだけじゃなく書き方にも寄るので、実際読まないことにはわからんことかなと思います。
作者の技量やセンスの有無でも変わってきます。
でも、それを試してみるのはとても良いことだし、挑戦的な姿勢は書き手の立場としても読み手の立場としても、個人的には非常に好意的に思います。

>人間はどんな存在に対して絶対的な不快感を抱くか
「異物」ですね。
自分自身ってのも同じかな。自分が二人いることは有り得ないから、同じであるほど異物感がすごくある。
でも別にトイレの便器に花がいけてある、みたいな作為的な異物感は不快ではない。むしろ面白い。
そこにあること自体が異物、という異物感、って言ってわかるかな。
それこそ自分が二人とかってのがソレなんだけども。
例えば多指症ってのがあるけど、そういう障害ではなく、ある日突然自分の指が6本になってたらすごく不快。
存在すること自体が不自然な異物感というのは、不快だと思う。論理的に存在を理解できていても、不快かな。

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: 表現技法と「憎悪の理由」へのご意見募集

この書き込みに返信する >>

投稿日時:

元記事:今現在では考えられない設定

私今、人間の意識がコンピュータに繋がれ、意識がコピーされる。そしてゲームの中で、一生生きていく。地球と火星がネットワークが繋がれ、その中でMMOをやるというシナリオを書いています

これってテンプレですか? ラノベは同じような話を好むと聞いたので、非テンプレじゃないかと心配です

ソードアートオンラインに影響を受けて作ったのですがどうでしょうか?

上記の回答(今現在では考えられない設定の返信)

投稿者 ごたんだ : 0

えっ、そこに突っ込んだ『フラクトライト』編じゃないの…??

あれこそ、ページが老いている側から書いてない。
というか元ネタが、明らかにソーダ&アイス31じゃないし、デウスエクスミラーで焼き潰して直してんわ…

カテゴリー : ストーリー スレッド: 今現在では考えられない設定

この書き込みに返信する >>

投稿日時:

元記事:小説投稿サイトにおける感想への返信について

小説を書いている方、そして読者として読んでいる方にお聞きしたいことがあり、相談させていただきます。
作者の方は自分の作品へ感想がきた際に返信をしていますか?
読者の方は感想を書いた際に返信がきたほうが嬉しいですか?
先日なろうに投稿している(連載中の)作品に初めて感想をいただき、返信をするか悩んでいます。

感想は「面白いです」といったもので、嬉しいしありがたかったです。
なので普通は返信でお礼をするべきなのかもしれないのですが、どうしても私は作者が見えてしまうのが嫌かもしれないなと思ってしまい、悩んでしまいます。
なんと言ったらいいのか、作者の人間性というか顔というか、「こういう人間が書いているんだな」と読者の方に思われてしまうかが不安です。作品の世界やキャラクターに作者の影がチラついてしまい、純粋な読み物として楽しめなくなるのではないかと。
「このキャラこんな台詞喋ってるけどこの作者が書いているんだよな」と思われてしまうのではないかと。

私は本の後書きやTwitterなどでも作者の方はあまり自分の私生活などを書かない方が良いと思っているタイプです。
でも私と違って「どんな人間が書いているか知りたい」という人がいることも理解しております。というか、そのタイプが多数で私が少数派だと思います。でも私のような考え方の人もいるのだろうとも思ってしまいます。

やはり一般的には、そこまで細かい事は気にせず読書できますか?
感想をしたら、返信をもらえたほうが今後も読もうという気になりますか?
それとも作者が余計な事を喋らないでくれと思いますか?

どうすべきか凄く悩んでしまっています。皆さんの考え方を教えていただければ幸いです。

上記の回答(小説投稿サイトにおける感想への返信についての返信)

投稿者 ごたんだ : 2

分の悪いギャンブルかと…

まず、作者の情報が入れば味わいは変わります。
人間の五感はかなり良い加減で感染に永久するのはもちろんのこと、ネットナンタラを編集はともかく、出版社全体では気にする人は出て来て、そういうのはエロい人だったりします。
でなきゃ、PNなんて推奨しません。
PNはプレーンの略です。
ネットでファンサするくらいなら、一字でも多く作品を影と言うのが、編集の本音で、編集の仕事とは危険物に危険物を混ぜて、より尖ったものを作るのが仕事で相手はより情報が少ない方が不意を付けます。
作者情報は軍事機密のようなもので
扱いの難しいほど会社に利益を齎し、ライバル会社に奪われるリスクが減ります。

更にネットコミニケーションで作品の情熱を忘れる“番長化”は多いのではないかと思います。

リスクだけを考えるならネットの露出は最低限でいいです。

カテゴリー : ストーリー スレッド: 小説投稿サイトにおける感想への返信について

この書き込みに返信する >>

投稿日時:

トップページへ

▼書き込みの検索

▼投稿者の検索

質問、相談をする!
コメントは4500文字以内。
返信通知設定(必要なければ外してください)

「私はロボットではありません」にチェックを入れてください。

ページの先頭へ

小説の書き方Q&A:創作相談掲示板の使い方・利用規約(必ずお読みください)。お問い合わせ