小説の創作相談掲示板:小説の書き方Q&A。執筆の悩み相談をしよう!

のんさんの返信一覧。最新の投稿順6ページ目

元記事:「死神」と対になる関係の存在ってなんでしょうか?

・死神と対になる存在の名称
自分は、主人公が死神と契約するタイプのお話を描きたいなあと思っています。
物語の舞台は人間界が中心で、その人間界の上と下に冥界と天界がそれぞれ隣り合わせに存在するといった設定です。

主人公が契約するメインヒロインの女の子は、冥界出身の「死神」という設定で、死神とは冥界で強い力を持つ者だけが名乗ることを許され、君主制の冥界では爵位をもつという設定です。(君主制は天界も同じ)

その下に一般程度の力をもつ「悪魔」という普通の冥界の住人(=いうなれば平民?)が存在する……といった感じで、敵は天界の住人ということにしたいです。

ただ、ここからが本題なのですが、冥界のメインヒロインである「死神」と主人公が戦うことになる天界の敵勢力のしっくりくる名称が思い浮かびません。

天界の勢力は最初「天使」かなーと思ってんですが、どちらかというと「死神」の敵っていうより「悪魔」の敵ってイメージです。
だから「天使」の上に「神」という存在がいるって設定にして、神の使いである天使と戦う、って感じにしようかなと思ってたんですが、死神と神って対比はなんか名前的にしっくりきません(死神は神のなかの一種というイメージがあって、対比という感じではない)

また、ラノベ的に「天使」やら「神」が敵と言われて、読者はこいつら倒そう! って盛り上がれるかと言われるとそれもまた微妙な感じもします。(天使や神は正しいもののイメージがあるため。)

「死神」と対になる敵の名称でいい物は何かないでしょうか。それとも、このままでも別にいいんじゃね、って思われればそれでも構いません。だれか忌憚のない意見を頂けないでしょうか。

上記の回答(「死神」と対になる関係の存在ってなんでしょうか?の返信)

投稿者 のん : 0 投稿日時:

こんにちは、死神の対義語というと悪魔を思い浮かべてしまいます、のんです。

死神と悪魔をセットにするのなら、堕ちた神と堕ちた天使と考えては如何でしょう。
死の神ではなく死んだ神。あるいは神と対比できるだけの力を持った悪魔=死神。作中で冥界のイメージが〈死〉なら使えると思います。

天使や神を倒そうとして盛り上がれるかは、魔王や魔物といった悪役を主人公にした話も人気ですから大丈夫です。

カテゴリー : 設定(世界観) スレッド: 「死神」と対になる関係の存在ってなんでしょうか?

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元記事:三幕構成のセントラル・クエスチョンとは暗示的でもいい?

絶賛三幕構成を勉強しなおし中のみりんです。

質問は、セントラル・クエスチョンについて。
ウィキペディアには、

「主人公の解決しなければならない問題である。これはセットアップの最後に観客への問いかけとして示され、その答えはクライマックスに Yes/No で与えられる。セントラル・クエスチョンは、主人公の行動する「きっかけ」という目線から立てられる (例: 「X はダイヤモンドを取り返せるか?」「Y は彼女をゲットするか?」「Z は殺人犯を逮捕できるか?」など)。すなわち「主人公は目的を成しとげられるでしょうか」ということがクエスチョンとなる (主人公の心理的な変化が目的となる場合もある)。セントラル・クエスチョンは、ストーリー上の全ての出来事に関係する。セントラル・クエスチョンの設定によってセットアップは終了し、本当のストーリーを始める準備ができる[142]。

セントラル・クエスチョンは、インサイティング・インシデントと対になっており、インサイティング・インシデントの事件によって示される」
と書かれていました。

でも今私の作品にいざあてはめようとするとうまくいきませんでした。
具体的には以下のような感じでして……

第一幕:セットアップ5W2H誰がどこでどのような状況で何をする話か:父が死に、悲しむ母を主人公天沢夜白はなぐさめる
テーマの提示:大切な人が死んでも、一緒に生きてほしい(「パパはお星様になってママと私を見守ってくれているよ」となぐさめることで提示)
インサイティング・インシデント (つかみ・FTのきっかけとなる出来事・引き込み要素):母が失踪し、母の友人と名乗る女・摩耶(ヴィラン)が家にやってくる
セントラル・クエスチョン:主人公の解決しなければならない問題:(ヴィランを倒せるか?)
主人公はどのような人物像か(主人公の日常):夜白はまじめで前向きな性格で、摩耶と仲良く暮らしていきたいと家事を率先して行うが摩耶は冷たい。
主人公をめぐる問題が具体的に何か明確化: 婚約者を名乗る月兎族の賢人が現れ、 悪霊化する幽霊の霊魂を夜空に上げる月の神になれるのは夜白しかいないと言われる。
ファースト・ターニングポイント(アクション・選択):母が生きていると知り、取り戻すと決意する

インサイティング・インシデントに連動したセントラル・クエスチョンとなると、ヴィランを倒せるでしょうか? という問いになるかと思ったんですけど、次のシーンで主人公の夜白は母の友人を名乗り、家の管理をしてくれるヴィランと仲良くしようとするような真面目な性格です。倒そうとしてないし……。(仲良くしようとする動機は、父が死に、ヴィランに母も死んだと言われ天涯孤独だと思っているため寂しいので前向きに仲良くしようとしています)つまり、セントラル・クエスチョンがすごくわかりづらい設計です。
さらに、ヴィランである摩耶がヴィランだと判明するのも、第二幕の中盤くらい。

このように、セントラル・クエスチョンが暗示的でも面白い作品になると思いますか?

というか、セントラル・クエスチョンとテーマの違いって何でしょうか?

ややこしい質問で申し訳ありません。
よろしくお願いいたします。

上記の回答(三幕構成のセントラル・クエスチョンとは暗示的でもいい?の返信)

投稿者 のん : 0 投稿日時:

 こんばんは、思ってた話と違ったようなので再び失礼します。

▼大切な人が死んでも、一緒に生きてほしい
 これを「一緒にいて欲しい」と捉えたんですが、寂しさを表に出していたのは主人公よりも母親の方だったんですね。「死なないで」って意味でしたか。

 となるとこのテーマは息子を亡くしたヴィランにも当てはまりますし、他の方も仰っているようにヴィランを味方として考えたら良いんじゃないでしょうか。中盤で敵だと判明したとしても、「死なせたくない相手」くらいには出来ると思います。

 一幕目でヴィランを母親の代わりにすると、「息子を亡くした」ことや、それに対するヴィランの悲しみを出していくことになりますが。それでもよければ母親の代わりにしてテーマの提示に使って、ターニングポイントで母親の生存が分かったら、そちらも助ける方向に舵をきればいいでしょう。

 この場合セントラル・クエスチョンは「母親(の心)を救えるか?」ですかね。
 サブ的にヴィランの救済や敵対する事への葛藤も書けそうですが、何にせよヴィランが死んでしまうことでラストの何ともいえない物悲しさがうまれると思います。

 では、今度こそ失礼しました。
 

カテゴリー : ストーリー スレッド: 三幕構成のセントラル・クエスチョンとは暗示的でもいい?

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元記事:三幕構成のセントラル・クエスチョンとは暗示的でもいい?

絶賛三幕構成を勉強しなおし中のみりんです。

質問は、セントラル・クエスチョンについて。
ウィキペディアには、

「主人公の解決しなければならない問題である。これはセットアップの最後に観客への問いかけとして示され、その答えはクライマックスに Yes/No で与えられる。セントラル・クエスチョンは、主人公の行動する「きっかけ」という目線から立てられる (例: 「X はダイヤモンドを取り返せるか?」「Y は彼女をゲットするか?」「Z は殺人犯を逮捕できるか?」など)。すなわち「主人公は目的を成しとげられるでしょうか」ということがクエスチョンとなる (主人公の心理的な変化が目的となる場合もある)。セントラル・クエスチョンは、ストーリー上の全ての出来事に関係する。セントラル・クエスチョンの設定によってセットアップは終了し、本当のストーリーを始める準備ができる[142]。

セントラル・クエスチョンは、インサイティング・インシデントと対になっており、インサイティング・インシデントの事件によって示される」
と書かれていました。

でも今私の作品にいざあてはめようとするとうまくいきませんでした。
具体的には以下のような感じでして……

第一幕:セットアップ5W2H誰がどこでどのような状況で何をする話か:父が死に、悲しむ母を主人公天沢夜白はなぐさめる
テーマの提示:大切な人が死んでも、一緒に生きてほしい(「パパはお星様になってママと私を見守ってくれているよ」となぐさめることで提示)
インサイティング・インシデント (つかみ・FTのきっかけとなる出来事・引き込み要素):母が失踪し、母の友人と名乗る女・摩耶(ヴィラン)が家にやってくる
セントラル・クエスチョン:主人公の解決しなければならない問題:(ヴィランを倒せるか?)
主人公はどのような人物像か(主人公の日常):夜白はまじめで前向きな性格で、摩耶と仲良く暮らしていきたいと家事を率先して行うが摩耶は冷たい。
主人公をめぐる問題が具体的に何か明確化: 婚約者を名乗る月兎族の賢人が現れ、 悪霊化する幽霊の霊魂を夜空に上げる月の神になれるのは夜白しかいないと言われる。
ファースト・ターニングポイント(アクション・選択):母が生きていると知り、取り戻すと決意する

インサイティング・インシデントに連動したセントラル・クエスチョンとなると、ヴィランを倒せるでしょうか? という問いになるかと思ったんですけど、次のシーンで主人公の夜白は母の友人を名乗り、家の管理をしてくれるヴィランと仲良くしようとするような真面目な性格です。倒そうとしてないし……。(仲良くしようとする動機は、父が死に、ヴィランに母も死んだと言われ天涯孤独だと思っているため寂しいので前向きに仲良くしようとしています)つまり、セントラル・クエスチョンがすごくわかりづらい設計です。
さらに、ヴィランである摩耶がヴィランだと判明するのも、第二幕の中盤くらい。

このように、セントラル・クエスチョンが暗示的でも面白い作品になると思いますか?

というか、セントラル・クエスチョンとテーマの違いって何でしょうか?

ややこしい質問で申し訳ありません。
よろしくお願いいたします。

上記の回答(三幕構成のセントラル・クエスチョンとは暗示的でもいい?の返信)

投稿者 のん : 1 投稿日時:

 こんばんは、のんです。横文字に弱いので質問を理解できているか怪しいですが、三幕構成についてだったので失礼します。

▼セントラル・クエスチョン:主人公の解決しなければならない問題:(ヴィランを倒せるか?)
 セントラル・クエスチョンが作品内の全ての出来事に当てはまるのなら、この問題は微妙なところ。私の受けた印象では、このヴィランは中ボスくらいです。もしヴィランが敵全体を指していたとしても、テーマから逸れてはいないでしょうか。

 テーマに合わせて「また母親と一緒に生きられるか?」でいいと思います。一幕目では母親が失踪して、どうやら生死不明だったようですから、不可能だとならないように、ちょっと工夫が必要ですが。
 そこは摩耶を母親の代わりに一緒に生きたい人にしようとしたり、落ち込んで沈んだりが行けそうですね。

 ターニングポイントが【母が生きていると知り、取り戻すと決意する】である以上、母親が軸になってそうです。
 ターニングポイント自体で目標の提示がなされているので、セントラル・クエスチョンも「母親を取り戻せるか?」がより適切かもしれません。

▼セントラル・クエスチョンが暗示的でも面白い作品になると思いますか?
 これは作品の軸。あるいは作品そのものだと思います。ですから、これを表に出さないのは難しいですね。

▼セントラル・クエスチョンとテーマの違いって何でしょうか?
 前者が作品そのものなら、後者はその先。物語を通して伝えたいものでしょうか。主人公が青春を謳歌できるかという物語を通して、青春の素晴らしさを伝えるような、そんな感じで私は考えております。

 以上で、乱文失礼しました。
 

カテゴリー : ストーリー スレッド: 三幕構成のセントラル・クエスチョンとは暗示的でもいい?

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元記事:主人公の欠点

強くてハイスペックな主人公が大好きです。
だから弱くてダメな主人公は大嫌いです。
・体力なくて運動音痴
・喧嘩弱くてヒロインにボコボコにされる。不良にボコボコにされてヒロインに助けられる
・学校の成績悪い癖に勉強しようともしない
・要領が悪い
・察しが悪い
・普段から努力しようとしない
こういう主人公は大嫌いです。

しかし、主人公に欠点が無いと感情移入できないというのも事実です。
またシャーロック・ホームズのような、ワトソン視点みたいなのは書きたくないです。
弱くて頭悪くて情けない主人公の姿は見たくないし書きたくないのですが、その場合どんな欠点を描けばいいのでしょうか?

回答、ご意見をお待ちしております。
よろしくお願いします。

上記の回答(主人公の欠点の返信)

投稿者 のん : 3 人気回答! 投稿日時:

 こんばんは、のんです。

>その場合どんな欠点を描けばいいのでしょうか?
 物語のキャラクターにおける欠点というのは、困難をぶつけるための布石だと考えています。ですから、どういった困難をぶつけたいのか、話の本筋は何か、それしだいですね。

 また欠点と言っても本人の性格や能力に限りません。単純にお金が無かったり社会的地位が低かったりしても良いでしょう。困難にさえぶつかれば問題ありません。
 何でしたらハイスペックであること自体を欠点と捉え、僻みから周囲に足を引っ張られていくのも面白いと思います。数の暴力は強いですよ。

 それから、共感型でない憧憬型主人公と割りきって、欠点を作らないのも一つの手です。最終的に勝つのが主人公だとして、圧倒する必要は有りますか。無ければ同レベルの敵を用意するだけで困難の完成です。
 が。もちろん凄い人(達)が凄い事を淡々とこなすのと、普通の人が普通の事を淡々とこなすのは、読者側から見ても同一になります。主人公最強モノで他者にスポットが当たりやすい所以ですね。その点のみ御注意下さい。

カテゴリー : キャラクター スレッド: 主人公の欠点

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元記事:自分の作品の違和感

皆様はじめまして。ラノベ作家をガラにもなく目指している雨月と申します。以後お見知りおきを。

私ごときの質問を見てくださってありがとうございます。

さて、曖昧な質問で申し訳ないのですが……。

オリジナルの小説を書いていて、毎回起きることなのですが、たった数ページ分書いただけで、違和感が起こってその先を書くことができなくなるのです。
違和感の正体はなんなのかわからないんです。文章が変なのか、キャラが変なのか、キャラ同士の会話が変なのか、ストーリーが変なのか、ただ単に面白くないのか、全くわからないのです。
とりあえずストーリーを壱から再び考え直してみたり、キャラの設定をもっと細かく考えたりしましたが、違和感は抜けません。
結果、また新しいものを考えて、同じように違和感ができて、とループしてます。

皆様はこういった経験はあるでしょうか。
あるのでしたら、こういった場合どのようにしていますか?

上記の回答(自分の作品の違和感の返信)

投稿者 のん : 0 投稿日時:

 こんにちは、のんです。
 私も似たようなことがありました。書き出す前に持っていたイメージと、実際に書いてみてそれに抱いたイメージが噛み合わず、嫌になって放り出してしまうんです。

 これは単純に実力が足りていないせいですので、すぐに直るものではありません。ですから妥協点を作りましょう。
 雨月様は普段プロットを作っていますか? 長編は大変ですし、数話程度で終わるようなプロットを作ってみてください。それが出来ましたら、今度は1話ごとに小さなプロットを作るんです。私はそれを妥協点にしました。

 1話目はどんな状況から始まって、どんな状況まで行けば2話目に変わるのか・どこまで設定を明かせばいいか・登場人物は誰か。そんなメモのようなもので構いません。
 完成したらその通りに書いてみてください。プロットにある項目が全て満たされていればOKです。そこで妥協して次に行きましょう。
 参考になりましたら幸いです。

カテゴリー : ストーリー スレッド: 自分の作品の違和感

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元記事:マネージャは部員?

こんばんは。
素朴な疑問です。
よく部員が5人いないと廃部になるとかありますが、マネージャーは部員としてカウントされますか?
5人で団体戦やバスケットなどプレイヤーが5人いないとやれない競技はダメですが、個人競技ならマネージャーを数に入れても良いような気がしますが教えてください。よろしくお願いします。

上記の回答(マネージャは部員?の返信)

投稿者 サタン : 0

部の名簿に名前があるなら部員です。
なので、例えば外部から監督を呼んで指導してもらってる、その娘が好んでマネージャー的なことをしてくれてます、という場合は学校の生徒ですらないし名簿に名前がないでしょうからマネージャーをしてるけど部員ではないことになります。
これは漫画的な例だけど、部員ではないマネージャーってパターンはそれなりにある。
通常は試合を組んだりとかマネージメントをするのは顧問だから、マネージャーと言われてイメージする人物像が部員なのか部外者なのかは、その設定次第でしょう。
大学の頃の友人は、学校外から、えーとなんつったっけスポーツ栄養士だっけ、選手専門の栄養士を目指してる人をマネージャーとして採用してました。
友人の場合は部員扱いではないって言ってた気がする。

おそらく団体競技や個人競技といった話じゃなくて、所属がどこかって話じゃないでしょうか。
素人考えだけど、普通に考えて学校の生徒じゃないのに学校の部活に所属しますってのは無理だと思うので、学校の外から募集する場合は部員じゃないでしょう。
学校に所属してる生徒なら、名簿に名前を載せるかどうかはマネージャーになるその人次第の事かなと。

カテゴリー : 設定(世界観) スレッド: マネージャは部員?

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投稿日時:

元記事:原作レイプの被害を受けました

どうも皆さま、お久しぶりです。マリン・Oと申します。
まず本題に入る前に一言断っておかなければいけないことがありますが、本日の私はいささか精神が荒れています。
そのため知らず知らずのうちに皆様を不快にさせてしまう物言いをしてしまうかもしれません。
その際には遠慮なくお叱りの言葉を下さい。

前置きが長くなりましたが本題に入ります。
先日立てさせて頂きましたスレッド「プロットの作り直しについて」への書き込みでどうしても許せない書き込みがありました

その書き込みでは私が先日皆様に掲示したキャラクターが無残なほどに改悪されて書かれていたのです。
特に改悪が凄まじかったのはライバル役のベアトリクスでした。
そのプロットでのベアトリクスはどこを取っても短所しかないキャラクターにされてしまいました。
人目をはばからず自暴自棄になる、追加された弟子にはただただ高圧的、挙句の果てには人道に反する振る舞いをする。
皆さまはこのようなキャラクターに魅力を感じるでしょうか?少なくとも私は一片も感じませんでした。
ただ悪辣なだけで印象の良い長所が一つも書かれていないからです。
普通こんなものを原作者の許諾を得ずに作るでしょうか?

正直に言って、素人の同人活動の範疇で原作レイプの被害に遭うなんて思ってもいなかったです。
私はこの勝手な解釈を許せません。我が子同然の思い入れで作っているキャラクターをこんな無残な形に改変されたら誰でも怒って当然だと思います。
その後なぜこのような解釈をしたのか考案者に説明を求めたのですが、納得できる回答は得られませんでした。

皆様はこのような被害を受けたらどう対処されるのでしょうか?
どうか怒りと憔悴でボロボロになった私に立ち直る力を下さい。

上記の回答(原作レイプの被害を受けましたの返信)

投稿者 t : 1

京都ののとよ最高旅行から帰ってきて久しぶりにラ研に立ち寄ってみると、名前がでていて驚きました。私は同じ小説を書く者としてここにいる皆さんのことを尊敬していますし、なかでもマリンさんにはとても感謝しています。

たしか前の前の記事でスカーを入れるか入れないかで迷っている。を読んでから、私は喫茶店やカフェでスケッチブックを広げると。紙の端にエリカ、スカー、ベアトリクスと3人の名前を書いて、約10日間ほど、ここからどのような完結が読者を惹きつけるのかについて考え続けました。
その答えをどう書くのが恩返しに近いかを考え、作者様の意図である”既存の二人の設定を大幅に変えないといけないような提案以外は肥やしにしたい”。そして「授人以魚 不如授人以漁」でした。

学校と戦闘の授業、それと誘拐事件のあわせて3つの背景がある。
分かり辛かったようなので、これを少し説明すると、

必要最低限の食事が保証されているので学校には生徒がやってきます。
つまり学校があるというだけで、物語における社会では、それなりの生活基盤があることが分かります。
ようは明日食べるために1日の大半を消費する生活をしなくていい、ということです。

次にポイントは戦闘の授業です。
戦闘の授業には、これを学校という教育機関で行わなければならない、何かしらの必然性があります。その理由はだいたい3つに分類できます。
①共通の敵がいて自衛のため。(大陸全土にモンスターや悪魔などがいる)
②卒業後は人間兵器としての役割を期待される。(国家間の戦力バランスに影響を及ぼす)
③趣味や文化など。(ガールズパンツァーなど)

たしか私の記憶では、エリカ、スカー、ベアトリクスにはそれぞれ所有武器が割り振られていたはずです。ということは日本固有の武器に「刀」があるように。
3人が形の違う別々の武器を得意としている背景にも、何か特別な理由をつけることで、”お前の出身や国の武器が気に入らない、新作スマホゲームおま国設定やめろ”。
だからイジメるなどと、そこから話を広げることもできます。

そして誘拐事件があるということは、当たり前ですが、犯人にはリスクをおかすだけのメリットがなければ発生しません。昨日今日でたまたま思いついたから、誘拐事件起こしちゃった☆ にはならない。誘拐事件が起きるまでの、例えば国家と宗教のドグマといった背景だったり、犯人にもそれなりの準備期間と動機と理由が必要です。

”誘拐事件の被害にあったことがきっかけでスカーがようやく己の無力さに気が付き、それがきっかけでベアトリクスと和解する展開を考えていました。”、とあります。
スカーはなぜ誘拐事件の被害者に選ばれたのでしょうか。
べつの言い方をするなら、犯人が! スカーを誘拐相手に選んだ理由があります、それが学校でのイジメの原因になったとか、スカーの代役を入れるためのトリガーとして機能するとしてもいいわけです。

エリカ、スカー、ベアトリクスが暮らす世界では学校で戦闘の授業あります。現実に住んでいる私達は、時代が戦時中でもなければ、そのような授業はありませんでした。
すごくざっくりと、
学校と戦闘の授業、それと誘拐事件の背景を組み合わせただけですが。

その大陸には全世界から将来有望な生徒が集まる実力主義の学校があって、文明もそこそこ。
スカーは隣の大陸の大国出身、ベアトリクスはスカーの隣国である小国出身、エリカは今流行りの奴隷なりあがりとでもしておいて。
ベアトリクスはスカーの国が嫌いなのでスカーをイジメる。
エリカは奴隷出身なのでスカーに寄り添って助けようとする。
スカーは大国出身だったので誘拐事件の被害に遭う。
怒ったスカーのパパが、ベアトリクスの国を滅ぼそうとして、ベアトリクスは本国に呼び戻されるとか。

キャラで詰まる原因の多くは、読者にあると錯覚させなければいけない物語の世界のことを、作者が知らないからです。今書いた連鎖させるやり方はただの付け焼刃で、まだまだ続きがありますが。
だからといっていきなり異世界だとか取材だとか、イジメを物語に織り込むとなっても、私もそうですが教養がないと難しい……。

この場合は身近なところから、学校に通う生徒はどんな人達? 戦闘の授業があるってなんで? 誘拐事件は誰が何の目的で、どこをゴールにしているの? 
といった手掛かりを頼りに外堀を埋めていきながら、このキャラはここにはまりそうかなとたくさんご自身でアレンジなさって、物語を組み上げてみてはという意味でした。

カテゴリー : その他 スレッド: 原作レイプの被害を受けました

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投稿日時:

元記事:視点主の移動に合わせて情景描写してしまう。結果情景描写が多くなってしまうが、それはいけないことでしょうか?

初めて投稿させて頂きます。ヤーマダと申します。よろしくお願いいたします。

相談はタイトル通りの事なのですが、自分は一つのシーンにおいてあまりに多くの情景描写をしてしまっているように思うのです。例を書いてみます。

「繁華街にAはいた。歩道橋の上で夕日に暮れる街を見下ろし呆然と立ち竦んでいる。
 風に流されて香ってくる食べ物の匂い。聞こえてくる喧騒は、彼がこれまで暮らしていた場所とは比べ物にならないほど鮮烈で僅かばかり怯んでしまう。だがこれから始まる新たな生活を思うと心は次第に昂っていった」

というシーンを書いたあと、何かイベントがあり場所を移動したとします。すると繁華街からは移動しているので、また移動先の描写をしてしいます。多分必要以上に。

「人並みを掻き分け走り続け、繁華街からは遠く離れた住宅街にまでAは来ていた。
 今や辺りには夜の帳が落ちて喧騒は遠のき、人の影は一つもない。ただ無機質な街灯いくつか建ち並び発光を続けているだけだった」

と、このように夕暮れの繁華街のシーンから移動して夜の住宅街のシーン。二つの場所を詳細に書くと冗長にすぎるのでは無いかとおもってしまいます。
どうでしょうか? 一つのシーンで複数の場所に移動してその都度情景描写をするというのは文章がだれてしまいすか? ちなみに即興で書いたので短めになりましたが、二番目の文章での情景描写はいつもだとこの1.5倍になってしまいます。
やはり移動先の描写は少なめの方がいいのでしょうか? ご回答よろしくお願いいたします。

上記の回答(視点主の移動に合わせて情景描写してしまう。結果情景描写が多くなってしまうが、それはいけないことでしょうか?の返信)

投稿者 手塚満 : 1

お示しの文例は主人公が繁華街から閑静な住宅地へ移動したというものですね。即興とのことですので、2つの文例はつながっているものの、それらの前後の文脈はないわけですか。

そうなると、もしその2つの文章に限定するなら、ざっくり申せば「なんとも判断しづらい」になります。もし「この文章で情景が目に浮かぶか?」ということなら、「大丈夫でしょう」となります。なかなかに上手ではないかと思います。それゆえに書きすぎてしまうことを懸念されているのでしょうか。思ったことを、なまじ言葉にできてしまうから。

ですが、書きすぎ、適切、不足かどうかの判断は、2つの文章の前後が問題となります。

もし2つの文例が冒頭であるなら、「以降で、2つの文章の描写が後で使われるか」が問題となります。

1つめの「繁華街」(とその状況)は、これ以降の描写で使われるのか。もしは主人公Aの生い立ちとの対比ということなら、その生い立ちの特徴が以降で使われるか。もし住宅地の閑静さとのコントラストであれば、なぜ対比が必要かが2つの文章の後で活かされるのか。などなどです。

2つめの「住宅地」については、閑静な様子が描写されています。続くシーンで閑静さが必要なのなら、いい描写でしょう。ただ、わざわざ「無機質な街灯」と「無機質」を入れて読者の注意を引いています(「発光」もちょっと異様な感じを与えている)。この街灯は続く描写で無機質な感じであることを含め、使われるのか。使われないなら省いてしまうのも手です。

繁華街と比べて閑静な住宅地でありさえすればいいのなら、「繁華街の夜の喧騒を逃れ(るように)、閑静な住宅地まで来た」などでいいかもしれません。主人公の生い立ちを匂わせるなら「不慣れな繁華街の夜の喧騒を逃れ、閑静な住宅地まで来ると、ほっと一息ついた」など。

「チェーホフの銃」と呼ばれるコツがあります。「もし銃を(観客、読者に)見せたのなら、後のシーンで使われなければならない」というものです。逆の言い方では「銃が使われるなら、予め見せておかねばならない」となります。

ただ、これを厳密に用いると、非常に殺風景な描写になってしまいます。リアリティ、臨場感を持たせるための雰囲気づくりの描写も必要です。しかし、作者は「これはこの場限りの小道具」と思っても、読者には分かりません。その場限りなら、その場限りと分かるように書かないといけないわけです。

読者は出てきたものは覚えておこうとします。何が大事か分からないからです。熱心な読者ほどそうなります。不必要に描写を増やすと、一生懸命読んでくれる読者の負担になってしまいます。

そして、その読者が情景描写に出てきたあれこれが、二度と使われないと感じた途端、落胆します。無駄に覚えされられたという徒労感です。

ですので、その場で効力を発揮する描写(キャラの目立った性格・特徴とか、場面の不気味さとか、その場での読者の感情をかき立てるもの)、既に出した情報を受けての自然な描写、後で使うと匂わせる描写(そして実際に使う)であるかどうかで判断すべきです。

簡潔にまとめてみますと、シーン単位で描写の過不足を判断することは事実上不可能で、文脈的・物語的な前後の要請に沿った描写量・程度であるかで判断すべきとなります。

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: 視点主の移動に合わせて情景描写してしまう。結果情景描写が多くなってしまうが、それはいけないことでしょうか?

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