小説の創作相談掲示板:小説の書き方Q&A。執筆の悩み相談をしよう!

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元記事:小説を何人称で書くかで悩んでいます

初めまして、くろいのです。
自分は昔から一人称で書いてきたのですが、見返してみるとなんだか幼稚に思えました。
ですので、最近は三人称で書く練習をして見たのですが、いまいち書きづらくしっくり来ません。

ここで相談なのですが、三人称を続けるべきか、一人称に戻すべきか。どちらが良いと思いますか?

上記の回答(小説を何人称で書くかで悩んでいますの返信)

投稿者 日暮一星 : 0 投稿日時:

 初めまして、日暮一星です。

 自分も書き始めたばかりは一人称で書いてましたが、稚拙というか、薄っぺらい文体が引っ掛かって以降、三人称で書いています。
 それで、なぜ自分が書く一人称の文体が薄っぺらいのかアドバイスを受けたところ『地の文に語り部(主人公)の口語調が多い』とのことでした。全体的に文章が『主人公のぼやき』みたいなっていると。ライトノベルでは読者に親しみやすいよう『一定の軽さ』も必要視されますが、軽すぎてもダメなんですね。そのさじ加減が自分には難しく、またそこが一人称の難しいところなのだと思います。

 いずれにしろ人称は『慣れ』が必要だと思うので、三人称を最近書き始めたばかりならしっくりこないのも仕方ありません。ただ、一人称に比べて書き手の自由度がぐんと上がりますので、書きやすいように三人称のルール設定を考えることをお勧めします。ルールとは三人称一元や神視点などのことです。

 自分は主人公を主観に置いた一元視点(カメラA)と、客観的に情景のみの描写を行う多元視点(カメラB)で書いています。無論、どちらも三人称の書き方です。
 カメラAは主人公を初めとする一人のみの五感や心情の情報を、カメラBは場面の風景のみを映し出す文字通りのカメラです。この二つの視点を区別するため改行をして使い分けています。同じ行に二つのカメラが混合すれば読みづらい文章に化けるからです。
 カメラAの主観設定は基本的に主人公固定ですが、必要なら場面ごとに区切って別のキャラの主観に振ります。群像劇でない限り、主観変更の多用はもちろん禁物です。
 参考になればと思い、自分が使用する三人称ルールを挙げてみました。

 余談ですが、三人称でもギャグやコメディは可能だと思います。三人称特有の真面目な文体を維持したまま、おかしな場面を真面目に書けばそれだけでもクスッとするものです。一人称特有のノリと勢いを真似ることは厳しいですが、文章のテンポやキャラの掛け合いなどを駆使して近付かせることはできると思います。

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: 小説を何人称で書くかで悩んでいます

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元記事:生身の人間とキャラクターの違いとは? キャラクターが成長するとは? どういうこと?

すみません。かなり根本的なことを聞いてしまいますが、生身の人間とキャラクターの違いとは何でしょうか?
ご意見をいただけるとありがたいです!

以下、私の考察です。

・人間
同じ状況でほぼ同じ行動をする。
変化する。
多面的で複雑

・キャラクラー
同じ状況で必ず同じ行動をする。
不変な存在。
人間の個性の一面を切り取って、それのみを全面に押し出し極端化した存在。
特定の役割を持つ。

例えば、ドラえもんののび太は、昼寝が大好きで勉強が嫌いなキャラです。。
彼が、突然勉強に目覚め、クラスで一番の秀才になってしまったら、それはもうのび太ではありません。

しかし、現実に存在する生身の人間では、勉強が嫌いな劣等生が何かの切っ掛けで東大合格を目指して猛勉強し、東大生になる、ということは起こりえます。
キャラクターとは不変の存在であり、生身の人間とは変化する存在である、と言えると思います。

時代劇で有名な『水戸黄門』では、必ずラストに印籠を出して悪人を平伏させるというシーンがあります。
しかし、一度だけ、印籠を出さずに事件を解決してしまった回があったらしいです。その時、視聴者からテレビ局に猛クレームが来たと言います。

同じ状況で必ず同じ行動をするのが、キャラクター。印籠を出さない黄門様など、水戸黄門ではない、ということです。

キャラクターは特定の役割を持った存在でもあります。
ライバルキャラ、お色気担当キャラ、お笑い担当キャラ、解説キャラ、ラスボスなどといった名称は、キャラクターが特定の役割を果たす存在であることを示しています。

例えば、なろう系ラノベでは、ヒロインは、処女で主人公を何があっても全肯定する、トロフィーガールに徹するのが役割であると言われます。
これは、なろう系ラノベの目的が、読者の承認欲求を満たすことであり、各キャラクターは、この目的に果たすために存在するギミックだからです。

もし、なろう系ラノベでヒロインが、非処女であり、主人公以外の男を好きになったりしたら、読者の自尊心を傷つけることになるので、ヒロインの役割を果たしていない、ヒロイン不適格となります。

●キャラクターが成長するとは、どういうこと?

例えば、進撃の巨人の主人公エレンは、第二部に入ったあたりから、性格がガラリと変わり、目的のために手段を選ばないラスボスっぽいキャラクターに変化しています。

最初は、母親を殺した巨人を憎み、巨人たちを駆逐してやる! 海を見に行くんだ! と少年っぽい純粋さがありましたが、仲間の裏切りや残酷な世界の真実を知って、すっかり人格が変わってしまった印象があります。

このようにキャラクターが成長すると、深い、文学的と高評価されますが、キャラクターの原則である「変化しない」に触れるので、かなり難しいと思います。

実は、ラノベ作家さんたちの話では、「キャラクターがブレるのはストーリーが破綻するより悪いこと」だそうです。
これは漫画編集者も言っているので、真実かと思います。

キャラクターがブレるのと、キャラクターが成長するのは違うと思いますが、どう違うのか、よくわかりません。

キャラクターが成長するとはどういうことなのか?
このあたりにまだ答えは出ていないので、教えていただけるとありがたいです!

上記の回答(生身の人間とキャラクターの違いとは? キャラクターが成長するとは? どういうこと?の返信)

投稿者 日暮一星 : 0 投稿日時:

 初めまして、日暮一星です。

 生身の人間とキャラクターの違い……一言で言えば『現実のものか、フィクションのものか』ではないでしょうか。
 そもそも、この双方を定義づけして違いをつけること自体不毛だと思います。どちらにせよ、その定義がアテにならないほどの『個性』が存在するので。フィクションの人間にも、それこそ人類史を辿れば漫画のキャラクターじみた人物(ヘタすると編集者からボツにされるほどの)もたくさんいますし。
 のび太にしろ水戸黄門にしろ、それはキャラクターそのものではなく『キャラクターの個性』なのではないでしょうか。

 キャラのブレというのは『世界観(環境)に合わせた変化ではなく、書き手の都合に合わせた変化』だと思います。あるいは『書き手の都合によって、そのキャラの個性を潰した結果』というか。世界観とキャラを互いにくっつかせたまま双方を書くということは、読者を楽しませる上で書き手の責任とも言えます。その責任を果たせずに変化させてしまうことをブレと呼ぶのでは。
 端的に言えば『成長=説得力のある変化』『ブレ=説得力のない突然変異』とも言いますか。キャラの変化やブレかたも様々だと思うので一言で表すのは難しいですが、自分は『不変なものはキャラクターそのものではなく、キャラクターの個性』と今のところ位置づけています。

カテゴリー : キャラクター スレッド: 生身の人間とキャラクターの違いとは? キャラクターが成長するとは? どういうこと?

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元記事:書いている小説の問題点について、意見を下さい。

 今個人で書いている小説があるのですが、個人ではどうしても解決策が見いだせない問題が出たのでご助言ください。

 一つ目は序盤の展開です。牢獄からの脱獄に加え、剣術習得までの約15万字の間、ヒロインが一切出てこない。しかし、物語の構成、性質上この二つの詳細な描写を避けて通ることが出来ない。時系列の入れ替えを行うと、短期間に二度長い回想シーンが入るか、最も書かなければならない描写ができない。というジレンマに陥ります。

 二つ目は中盤以降の内容です。主人公が精神的に追い詰められ、自暴自棄寸前な時期が約35万字ほど(一番どん底な時期はそのうち10万字ほど)続きます。その間の主人公がうざくないかどうか分からないのです。以下にその状況での主人公の言動を時系列順に複数挙げます。(米印で解説を加えます)

「何故だ!? どうして欲しいものだけいつも取りこぼして、無用の長物ばかり増えていく!? 俺は自由を共に求める仲間と、旅することさえ認められないのか!? 愛した人と共に過ごす。そんなささやかな願いさえ、許されないとでも言うのか!? なんだそれは! ふざけるな!」
※遂に危惧していた思い人の介錯までしてしまい、その墓前で超常の力を獲得した瞬間の咆哮。その力さえあれば確実に思い人を介錯せずに済み、また発想次第では悲劇の前に獲得可能だった。挙句これが5度目の介錯。

(救出、奪還ねぇ)
 失笑は嘲笑に変わる。一番救いたかった人を、一番取り戻したかった人を取り戻せなかった自身が、性懲りもなく挑むのだ。周囲からすれば勇気ある行いだが、当人からすれば愚者の振る舞いであった。
※一国の姫の単独奪還に挑む道中。ボーイ・ミーツ・ガールの典型だが、一番そうしたかった相手は己の手で殺めている。

「端的に聞く。俺の精神を魔術で操作できるか?」
ヒロイン1の顔面が蒼白になる。主人公の目は本気で自身の精神操作を要求しているのだ。ヒロイン1は自身が外出している間に、主人公に何があったかは分からない。しかし精神状態が急激に悪化したのは今の主人公の言葉で理解した。
※自身の精神の限界を感じるも、諦めることは出来ない主人公。その妥協案として精神操作に特化したヒロイン1の技量を借りて、自身の感性や性格を操作することを求めた。

「羨ましい、だと? どこがだ! 奪わなければ手に入れられず、それでいて守りたいものだけ取りこぼしたこの力の、一体何が羨ましい!? 羨ましいのは俺の方だ! お前のようになりたかったさ! お前が羨ましくてたまらなかった! でも、俺にはお前にあるものが全くなかったんだ! それでも、それでも諦めきれないからこうして無様を晒してる!」
※折りの悪い才能に恵まれた友人との衝突。主人公がその友人以上の力を持つためには、相応の望まぬ犠牲があった。それでも、主人公は夢を諦めきれない。

主人公の瞳に光はない。言葉も最小限しか発さず、纏う雰囲気は極限まで淀んでいる。その魂の狂気に操られる人形と呼ぶに相応しい有様であった。
※目的地直前の主人公を描写した地の文。直前に最悪の事実が判明し、一度完全に発狂している。構成上この後立ち直るための決定的な事件が訪れる。

例示ここまで

 軸に据えている内容が主人公の精神的成長であり、必要だとは思っていますが、流石に35万字はどうかと思うところがあります。塞ぎ込む、決断できないといったものはあまりありませんが、陰鬱な心理描写や情景描写が続くため不安です。ご意見のほどよろしくおねがいします。
 

上記の回答(書いている小説の問題点について、意見を下さい。の返信)

投稿者 日暮一星 : 0 投稿日時:

 初めまして、日暮一星です。

 参考までに、自分の書き上げた応募原稿は約12万字です。
 そういった方針の作品を書いているならまだしも、文庫本一冊に置き換えると、序盤だけでもかなり長い気が……。

 投稿文の情報だけでは、どういうストーリーでどういうキャラクターたちなのか分かりかねる部分があります。なので言い切ってしまうことは難しいのですが、単純に考えて、物語の構造上『序盤に出てこない=重要でないキャラクター』と読者に認識されても不思議ではありません。そのヒロインが物語において重要なキャラクターなら序盤に出しておくのが定石です。
 キャラクターの気持ち全てを台詞にしてしまうと、どこか説教臭くなってしまい読者が興ざめしてしまいます。思いの丈をぶちまける――というのもありますが、そういったシーンはクライマックスに添えるほうが無難でしょう。キャラクターの感情が爆発する場面などそうそうないので、節々にやられると読者がついていけなくなります。
 主人公の精神的成長を軸にしているとのことですが、成長する前と後を意識するあまり、その未熟な部分や落差を明確にしようとしすぎて、中盤での下り坂からどん底に至るまでの道のりが長くなっているのではないでしょうか。主人公の未熟な描写(これから成長する問題点の提示)が序盤で明確にされているか、その未熟さが仇となって追いやれるイベントが何度も繰り返されていないかが気になりました。

カテゴリー : 小説の批評依頼 スレッド: 書いている小説の問題点について、意見を下さい。

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元記事:バトルシーンに関するスランプについて

連投させてもらってすみません。早急に意見を頂きたいことがあったのでコメントさせてもらいます。
メディアを問わずバトル系作品には多くのザコキャラ(大半がモブ)が登場します。
ザコキャラはほぼ確実に主人公達に敗北する訳ですが、それでどういったパターンを採用するかで悩んでいます。
私の思いつくザコは主に下の二パターンだと思います。

1.北斗の拳パターン
ザコキャラとしては王道中の王道ですね。ケンシロウみたいな強い主人公に瞬殺されるのがお仕事の方達。
書くのが楽な反面、多様しすぎると陳腐な内容に陥りやすいのが難点。
2.ジョジョ3部パターン
主人公達を苦戦させるけど、最終的に何かの拍子で逆転される方達。具体的には承太郎にオラオラされたスタンド使いですね。
これもあまり続きすぎると陳腐になってしまうリスクがある。

バトル作品を書いているとこれらをどう使い分けるか、で悩んでいます。
基本は2を使うのですが多用しすぎると、上記の承太郎みたいに「どうせまた承太郎がオラオラして勝つんだろ?」みたいに思われるのが嫌で、どうも匙加減が難しいです。
というか、特段弱くないネームドキャラが相手でも上記のザコキャラパターン2みたいな構図の戦闘シーンが多くなるのですよ。
特に承太郎に関しては、あの大作家である荒木飛呂彦先生の手がけたジョジョですら発生している問題ですから、バトルは難しいとよく思います。
ちなみにこのことを例の知人に話すと「そもそも小説でバトルを書くこと自体が無意味な行為だから今すぐバトルを書くことをやめろ。それ以外で話を盛り上げられないならそもそも小説自体書くな」と言われました。

他にバトルを書いている皆様、ご意見をお願いします。

上記の回答(バトルシーンに関するスランプについての返信)

投稿者 日暮一星 : 0 投稿日時:

 初めまして、日暮一星です。

 異世界チート無双ものでない限り、バトル系作品で重要なのはザコ戦よりも、主人公最大のライバルであるボス戦だと思います。
 いかんせん自分はジョジョも北斗の拳もあまり知らないのですが、ザコキャラは『その場を演出させるための端役』だと思ってます。奇襲戦なら真っ先にやられるキャラ、逃亡戦なら行く手を阻もうとするも軽くあしらわれるキャラ、暗殺なら呆気なくやられるキャラ、ボスの手下なら彼の権力を誇示するためのキャラなど。
 名付けすら必要ないザコキャラに労を割いては他の重要な部分が霞んでしまうので、ザコキャラの扱いに関してはあまり深く考えない方がいいかと。
 知人さんの言葉についてですが、『“クライマックス=激闘”と言った構図のバトルものにはキャラクターがいないから、その構図でしか物語が書けないならバトルものは書くな。バトルのためのストーリーとキャラクターは無意味だし小説ですらない』ということではないでしょうか。独断と偏見による解釈ですが、そういった意味なら自分も理解できます。
 

カテゴリー : やる気・動機・スランプ スレッド: バトルシーンに関するスランプについて

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元記事:コンセプト(テーマ)か、主人公か?

初めて投稿します…いぶきです。

今まで適当に好きなように書いてきましたが、
最近ちゃんと勉強しようと思ってビートシートのやつで勉強しながら書いています。

ただ、書いているうちに分からなくなってきたというか、
そもそも書き始めたのは、「A君を幸せにしたい」から始まってそのままこれがコンセプトになってます。
「A君落ちのAルート」にしようと思っていたのですが、
「主人公に一貫性を持たせる」ということで考えると、話の流れからしても、
どうしても「Bさん落ちのBルート」になってしまいます。

この場合、コンセプトを変更しても「主人公に一貫性」を持たせた方がいいのか、
コンセプトに則って書いた方がいいのか、皆さまのご意見をお聞きしたいです。。

たしか、ビートシートのブレイクさんは、「書いてて『違う』と思ったらログラインは変更しなさいね」みたいなことは書いていたと思いますが、皆様はやっぱり変更しちゃいますか?

まとまりのない文章で恐縮ですが、どうぞよろしくお願いします(´;ω;`)

上記の回答(コンセプト(テーマ)か、主人公か?の返信)

投稿者 日暮一星 : 0 投稿日時:

 初めまして、日暮一星です。

「A君を幸せにしたい」という『作者の狙い』ではなく、まずは『物語の中でA君がなにをするのか』を見つめ直してはどうでしょうか。

 ブレイク・スナイダー氏が『脚本構成の父』と言わしめるシド・フィールド氏は、
【脚本を書く時に主要人物が受け身ではいけない。出来事や事件に反応するだけではいけない。何度かはよいが、常に反応するだけでは受け身になってしまい、人物像が弱くなってしまう。そしてページから消えていってしまうのである。サブキャラクターが主要キャラクターよりも面白くなってしまい、そちらに興味が移ってしまう。】
 と自身の著作で明記しています。

 これを咀嚼して応用すると、どういう意味になるのか。

 要するに『主人公がA君を幸せにするプロット』であるがゆえに、主人公の行動に対してA君は必然的に『受け身』になってしまっているんですね。それに対する反応であったり、もともと持っていた(あるいは途中で生まれた)目的や行動などがB君に生じて、A君のキャラクターが食われている状態にあるのだと思います。
 たとえ脇役でも物語の中で登場すれば、それは『目的』を持ち『行動』します。ブレイク・スナイダー氏も『脇役であっても、その行動の根底には原始的な動機が必要だ』という趣旨を著作の中で明言しています。
 客観的に見て『誰かを幸せにしたい主人公の物語』というコンセプト自体は面白いと思うので、主要人物であろう主人公、A君、B君の目的と行動を見直しつつ、最終的には主人公の目的が叶う形でプロットを完成させればいいのではないでしょうか。

カテゴリー : ストーリー スレッド: コンセプト(テーマ)か、主人公か?

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元記事:マンスリーセレブの改稿依頼

以前、『マンスリーセレブ』のプロットを投稿して意見を貰った後、小説を書いたのですが、ちょっとネタ切れを起こしてしまいましたので、皆さんのお力を借りつつ、改稿していきたいと思っております。

個人的には、
・亘宏が屋敷の住人や豪奢な生活に違和感・不信感を持つ場面を入れたい。
・ショーから逃げる途中のアクションをどうにかしたい。
・他にも、何か豪遊するシーンを入れたい。

 他にも、こうした方が良いのではないかという意見がありましたら、よろしくお願いします。
 あくまで、改稿が目的なので、ダメ出し・批評はご遠慮願います。

マンスリーセレブ
https://slib.net/89839

上記の回答(マンスリーセレブの改稿依頼の返信)

投稿者 あざらし : 0

他の方の感想は未読ですのでダブっていたらご容赦を。
あと、駄目出しや批評ではなく、あくまで気になった点、感想を書いてますが、ボーダーラインを超えておりましたらお許し下さい。

さて感想です。
うん、トゥルーマンショーですね。
参考にされるのは良いと思いますし、まずは心意気を賞賛させて頂きます。
が、元ネタの場合あれは美味しいところも映像あってこそという部分が大きいですよね。
映画トゥルーマンショーの場合、観客が世界の不自然さに違和感を感じてから映像の隅々まで疑いの目で見ます。
結婚式のクロスサインもそうですし、数多いCMもそう。
これに変わる小説ならではの表現が欲しかったです。

小説でやるなら、冒頭から言語化できないささやかな違和感を感じさせ、ところどころに重要なヒントをちりばめながらも正体は見破られない。
終盤になって物語の全体像が見えたとき『おう!』と読者に膝を叩かせる、というのがベストでしょうか。
こういう言語化できない違和感を頼りに『これは何か仕掛けてるな』と読者に感じさせるにはいくつか方法があるのですが、もっとも大きいのは『著者に対する絶対的な信頼』です。

酷なことを書きますが『○○氏が書く文章なんだから、これはミスではない』という確信ですね。具体的には(ノベルゲームですが)【田中ロミオ氏の最果てのイマ】が好例。初っぱなから違和感を感じるのですが、文章としても決してミスではない。けれど拭えない違和感がついてまわる。実際、物語を根底からひっくり返す仕掛けがほどこされており「なんだろう、なんだろう」と思いながらも、その正体がわからない。だから気づいたときに爽快感すら産まれます。
この手法はプロでも全員使えるわけではありませんので、こういう方法もある、という話しだけ。

本題は、叙情トリック要素を徹底的に隠しながら力業と確かな文章力で早期に読者の信頼を得る。(これはあくまで著者さんへの要望です。大前提として私は読むときに著者さんに信頼を置いてから読むようにしてます)
この点、リーダビリティは上々です。成功といって良いでしょう。
著者名に頼らず成し遂げられている辺りはご立派です。

ただし些細なミスが小説全体すらをも壊しかねない方法です。『トリックなのかミスなのか』の判別がつかない場合、おおよそミスと判断してしまいます。場合によっては読者にとって単なるアンフェアとも見えてしまいます。
例えばここ。
冒頭の正当防衛での『無罪』
語感としては裁判が誘因されるが、実際このケースでは裁判以前、不起訴でしょう。こういったところで語彙の選択ミスとして捉えます。(少なくとも私は)
一方でちょくちょく登場するQ&Aは、これは残念ながら楽しみを阻害する程度に理解しやすい。
これがQのみで、Aはなし、ならかなり印象が変わったように思います。

加えてカメラアングルに難あり。冒頭からしばらく俯瞰。主人公と地の文が遠い。物語との親和性が低いように感じながら読み進めます。
ところが中盤、勧められたDVDを鑑賞した辺りからカメラ位置が近くなる。
つまり、仕掛けなのかどうかの判別が本来はつかないアンフェアな状況にある(推理モノじゃないので、それもまた可)のに、書き方が手伝って明確に仕掛けとばれます。加えて前述のQ&Aという理解しやすさも助けになり、全体像がボンヤリながら丸裸になるという歪さが残念。

全体的に読者をもっとコントロールして、違和感を感じさせながらも、真相に確信を持つのを物語終盤にもっていって欲しい。
真相に気づきだすのが前半ちょい過ぎた辺りというのは、ちょっと構成に難を感じます。(現状、トゥルーマンショーを知っている人間は、ほぼ気づいてしまう仕掛けだと思います)

これに関係しますが、全体的には『著者が見た状況を描写している』様に感じられる。もちろん、これはこれで悪くない書き方ですが親和性の話し。
もっと中盤辺りのように『その場にいる雰囲気』に依る方が物語に生命力が産まれるように感じます。
カメラアングルの統一ですね。

>・亘宏が屋敷の住人や豪奢な生活に違和感・不信感を持つ場面を入れたい。

すみません。
亘宏くんより、私が不信感を感じました。
大前提として著者を信頼してから読書をスタートすると書きましたが、その上で違和感を持ちました。ほぼ物語序盤ですね。

初っぱなの屋敷に入ったところから借り物っぽさを感じたんです。(結果的にはそれが正解なんですが、たぶん意図されて読者に開示されたのではないと感じました)

周囲には何人か金持ちがいるので、ちょい参考になりそうな話しを書いておきます。
あのですね、本物の金持ち、特に親が金持ちでありその影響下で自分も金持ちという人は、自分が同年代の普通家庭で育った人よりも恵まれているという、己が置かれている立場を知っています。これは(馬鹿じゃなければ)いっそコンプレックスにすらなります。ですので『普通っぽさ』に意図的に寄ろうとします。
というのも、成金を下品なもの、として教育を受けてます。もちろん全ての人がとは申しませんが、少なくとも先祖から金持ちは、おおよそこういう傾向。

だけれども本人が普通だと思っているところで意図せずボロを出す。周囲だけがそれに気づく。と、いうのが本物の金持ち。
学生時代の話しですが、ツレのひとりがマンションで一人暮らししてました。
もちろん学生には過ぎた住居ですが、それでも『あり得なくはない』ぐらいの、こぢんまりとした賃貸マンションです。
その子の家で友人数人で集まり、料理を作ろうとなったのですが、キャベツを買い忘れいたんですね。
そしたら、その子いきなり電話したんです。全員あっけにとられましたが、小一時間ほどしたら○○百貨店の外商部と名乗る人がキャベツ数玉を持って訪問。
めでたくキャベツひと玉だけを購入して、外商部のひとは挨拶して帰って行くという。けれどその子は全く行動の異常性に気がついていない。普通に実家で行われていた日常なんでしょう。
もちろんスーパーで買い物することは知ってますが、電話で百貨店外商部のひとが持ってきてくれるのも普通だと思っている。
まぁホンマもんの金持ちは、こういう信じられないボロを出します。

でも、難しいですよね。
ホンマもんの金持ちを書くシーンじゃありませんし、かといって読者に気づかせたくもない(ですよね?)
調度品を落ち着いたものにし派手さはない、建物の材質に拘る、あとは一見無駄にみえるような空間があってこそのデザイン。ここらが描写で偽物っぽさを感じさせない辺りでしょうか。
亘宏くんについては、梨華ちゃんのお供としてというより、明らかに自分自身が持てなされている、という点だけでも不信感を抱くように思います。

あと舞台装置に関わりますので書きますが、ワインの注文シーン。
まずこういう店でいるのはウェイターではなくソムリエ。仮に一人称で通していたら亘宏くんの認識ですがそうではない。あとの部分はソムリエになっていますので、たぶんミス。
で、このソムリエですが、普通は呼ばなくとも目立たぬよう背後で待機してます。メイドさんと一緒。(高い店に限らず、客層によって変わります)
そして、まぁあり得ることではありますが普通(高い店ほど)値段を書いてません。ホスト用に渡すメニューには書いてるものを渡すこともありますが、この場合は梨華ちゃん用のメニューにだけ書いてあります。ソムリエールが亘宏くんをホストだと認識している可能性もありますので間違いとまでは言いませんが、その場合は『ホストと見まがうほど亘宏くんが堂々と見える』という印象を読者に与えるかも知れません。
意図しないミスリード、ですね。

>・ショーから逃げる途中のアクションをどうにかしたい。

粉じん爆発を故意に起こすこと、これそのものがフィクションならではですから、既になんでもアリとして頭を切り換えて読みました。
ですので、さほど気になるようなこともありませんでした。ただあっさりはしてますね。

文字数オーバー。
続きます。

カテゴリー : その他 スレッド: マンスリーセレブの改稿依頼

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投稿日時:

元記事:どうしても!

なにがなんでもライトノベル作家に
なりたいです。ここに、プロの人や
それレベルの人もいる様子です。
聞きたいのは、皆さん何本書いて、
プロになりましたか?掌握編込みで
お願いします。

上記の回答(どうしても!の返信)

投稿者 t : 0

全国に作家になりたい人が数万人います。
私やあなたが小説を書こうが、学校や仕事にいこうが、休もうが。
特別な事情があって書けなかったとしても。
仮に全国で、1日に10作品の長編小説が誕生したとします。
1年で365x10=3650作品の長編が完成する計算になります。
その3650作品が、
世の中にある、それぞれの新人賞に応募されていきます。

私やあなたからみれば大切な1作になるのですが。
相手側からすれば毎年何百作品と送られてくるうちの1作です。
応募者が何作書こうが賞には関係ありません。
倍率にすれば500作品で1位を取らなければプロは難しく。
そしてプロになれば、
毎年誕生する3650作品よりも面白くなければ……。
いずれ、プロとしてやっていくことができなくなります。
例としてあげた数字は適当なので、
現実はもっと応募数が多いはずですが、仕組みとしては大体こんなイメージです。

私はプロではないのであまり参考にはならないのですが。
名前は忘れてしまいましたがあるプロ作家さんがデビューするまでに長編を35作↑書いて、ずっと新人賞で落ち続けていたという話の方が。長編10作でデビューしたなどの話よりもよっぽどリアリティを感じます。
小説ははやい人だと2週間で1作、若い人とかは1週間で1作くらいで長編を書いてくる、といった記事はたまに見かけますね。
なので、
何本書いたかが重要ではありません。
もし、ここまでの内容を読んでネガティブに感じるようであれば。
それにふさわしい現実をすべて引き寄せ、体験してしまうことになります。
それはあまりに大変なので私から言えることがあるとすれば。

今回、ポコさんは。
もしかしたらプロになれるかもしれないと思ったので、
このように書き込んだのだと思います。
今書いている小説が面白くて楽しくて、このままプロになってしまうかもしれない。
もしそうだったら誰がなんと言おうと。
相手が読者でも、親しい家族や友人であってもです。
小説が楽しいと感じた、自分の気持ちを大切にしてあげてください。
もっというと、
小説が楽しい気持ちは、あなた以外、誰も守ってくれません。
あなたが守らなければすぐ壊れて見失ってしまいます。

具体的には、この方法で小説で書けばプロになれるぞ!
と思える自分なりの小説との付き合い方を見つけて、それを拡大させていくことです。
こうすることで努力せずに、
楽に、
自分の才能を伸ばしていくことができるようになります。

そもそも周りにいる世間や人間の反応というのは、基本的にネガティブなものです。
今回の質問内容のようなどれだけ作品を書いたかが気になる気持ちは分かりますが。
誰かと比べるものではないですし。
それを自分自身に許してしまうと、いつも、何かの対象を見つけては周りと比較してしまう癖や、思い込みができてしまい。
私には才能があるのかないのか、とか。
いつになったらプロになれるのだろうか、とか。
これらがあると小説を楽しんで書くことができなくなって、まぁ地獄に変わります。
もっといえば、血の滲むような努力を連想させるような、忍耐の日々を作り出してしまうことになります。
プロになるかどうかは周りではなく自分の心が決めることです。

私からいえることは、とにかく小説に没頭して楽しむことを、自分自身に許すことです。
小説の何が好きかは人それぞれ違います。
プロットを作るのが苦にならない人もいれば、つまらなくてやりたくという人もいます。
やりたくないことはやらなければいいです。
いずれ時期がくれば、それがあなたにとって必要なことであれば、自然といつの間にかやるようになっています。
書いて、読んでもらって、読者についてたくさん知りましょう。

一応書いておきますが、
読者の奴隷になれという意味ではありません。

私やあなたが本屋さんに行っても、置いてあるすべての本を手にとって読むわけではないです。将棋の棚に行ったら、「将棋か、自分には興味ないし時間の無駄」。
とか思って何も考えずに通過したりしませんか。
ちなみに私は将棋好きですよ、たまにきのあ将棋やるくらいですが。
自分が読者の時は、
時間の無駄だと思うものや、興味のない雑誌や本には触りませんよね。

人に読んでもらおうと思ったらそれと同じです。
相手が興味を持ってくれるように書かなければ、他人は読んでくれません。
誰だって時間の無駄だと分かっていることはしたくないものです。
読者のことを知って、
読者が何を求めているか知っておかないと人はついてきません。

長くなりましたが、周りのことは気にせず楽しんで上達するのが一番です。
応援しています。

カテゴリー : やる気・動機・スランプ スレッド: どうしても!

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投稿日時:

元記事:面白い会話とは?

特に応募用の作品を書く上で相談したい事があります。
ズバリ単刀直入に、

「面白い会話って何でしょうか」

私の作品は、はっきり言って会話の評価が最低ランクなのです。自分では、キャラクター同士の会話の内容に十分気を付けているつもりなのですが、いつも駄目なのです。
たぶん、面白い会話というものが理解出来ないせいだと思います。そこで、面白い会話とはどんなものなのか、どうやって書いたら良いのか、それをアドバイスして頂きたいと思います。

ですが、単に面白い会話と言っても、コントを書く訳ではもちろんありません。

例を挙げると、「物語シリーズ」みたいに、全く何の脈絡も無い様な会話や独り語りを続ける様なものもあれば、「ロードス島戦記」の様に、ほとんど無駄の無い作品もあります。
基本的に、「ロードス島戦記」や「銀河英雄伝説」などのシリアス系には無駄が少なく、萌え系や馬鹿っぽい作品には無駄が多いです。

それぞれ、作品の色に合った会話の内容だと思うのですが、人を引き付けてその作品にのめり込ませる様な会話とは、一体どんなものなのか、是非お願いします。

上記の回答(面白い会話とは?の返信)

投稿者 サタン : 4 人気回答!

>萌え系や馬鹿っぽい作品には無駄が多いです。
意味深な会話ではないってだけで、無駄は少ないですよ。
まあ、西尾維新は無駄が多いというか好きにやってもある程度許されるほど人気作家なので「作者のわがまま」という意味で物語的に無駄はあると思いますが。
他愛ない世間話やキャラ同士の掛け合いが書かれてるだけに見えても、実際その場面で行われてることは「意味のない掛け合い」ではありません。
一方、アマチュアの中でも退屈な台詞回しは、その大部分が作者がノリで書いてるだけの、ほぼ意味のない会話であることが多いです。
または、設定解説のためのセリフなど、作者が意味あると思い込んでるだけの無駄な会話だったりもします。
物語にとって都合のいいモノは別に問題なく受け入れられるけど、作者にとって都合のいいモノは基本的に冷めるし退屈で面白くありません。

読者は物語を読んでいるので、読み続ける以上は「物語に興味があって読んでいる」ということです。
ウチの作品の売りは設定だからキャラだからと言う人もいますが、読者は「そのキャラのストーリー」を読んでるって事を忘れてると言えるでしょう。
人間、興味のあることは覚えがいいし、注目しやすいものです。
ならば話は簡単で、「その物語に関係すること」を書いていれば、基本的に興味を引く会話文だと言えます。
シリアスな物語は「事件を追う」とか明確な目的に沿って展開するので、これが見えやすいだけですね。だから無駄が少ないと感じたのでしょう。
「物語に関係すること」を書いているのに自作に面白みがないと感じるのであれば、それはもう単純に文章力の問題です。
「良い文章を書こう」という意味ではなく、「いまコレについて話をしているよ」と問題提起を明確に出来てないのが原因でしょう。
一番大事な要素が読者に伝わってない。
どんな面白い会話でも、何について話してるのか理解できなけりゃ面白くないのは当然です。

……余談ではあるけど、このように「このシーンは何について話をしてるのか端的に答えてみて」と聞くと、面白くないシーンを書く人の答えはたいがい「物語とは関係ない要素」を回答したりする(あるいは答えられない)。本人は大事だと思って書いてる事はわかるんだけどね。
ほんで、「関係ない事じゃん」って指摘すると、これまたたいがい「いえ、だから、ここがこうで、こうなって、重要になるんですよ」と説明してくるんだけど、そのシーンで彼が表現したい事は書けてないってことが多い。そもそもその説明自体が支離滅裂で考えがまとまってない。

カテゴリー : ストーリー スレッド: 面白い会話とは?

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