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生身の人間とキャラクターの違いとは? キャラクターが成長するとは? どういうこと? (No: 1)

スレ主 うっぴー 投稿日時:

すみません。かなり根本的なことを聞いてしまいますが、生身の人間とキャラクターの違いとは何でしょうか?
ご意見をいただけるとありがたいです!

以下、私の考察です。

・人間
同じ状況でほぼ同じ行動をする。
変化する。
多面的で複雑

・キャラクラー
同じ状況で必ず同じ行動をする。
不変な存在。
人間の個性の一面を切り取って、それのみを全面に押し出し極端化した存在。
特定の役割を持つ。

例えば、ドラえもんののび太は、昼寝が大好きで勉強が嫌いなキャラです。。
彼が、突然勉強に目覚め、クラスで一番の秀才になってしまったら、それはもうのび太ではありません。

しかし、現実に存在する生身の人間では、勉強が嫌いな劣等生が何かの切っ掛けで東大合格を目指して猛勉強し、東大生になる、ということは起こりえます。
キャラクターとは不変の存在であり、生身の人間とは変化する存在である、と言えると思います。

時代劇で有名な『水戸黄門』では、必ずラストに印籠を出して悪人を平伏させるというシーンがあります。
しかし、一度だけ、印籠を出さずに事件を解決してしまった回があったらしいです。その時、視聴者からテレビ局に猛クレームが来たと言います。

同じ状況で必ず同じ行動をするのが、キャラクター。印籠を出さない黄門様など、水戸黄門ではない、ということです。

キャラクターは特定の役割を持った存在でもあります。
ライバルキャラ、お色気担当キャラ、お笑い担当キャラ、解説キャラ、ラスボスなどといった名称は、キャラクターが特定の役割を果たす存在であることを示しています。

例えば、なろう系ラノベでは、ヒロインは、処女で主人公を何があっても全肯定する、トロフィーガールに徹するのが役割であると言われます。
これは、なろう系ラノベの目的が、読者の承認欲求を満たすことであり、各キャラクターは、この目的に果たすために存在するギミックだからです。

もし、なろう系ラノベでヒロインが、非処女であり、主人公以外の男を好きになったりしたら、読者の自尊心を傷つけることになるので、ヒロインの役割を果たしていない、ヒロイン不適格となります。

●キャラクターが成長するとは、どういうこと?

例えば、進撃の巨人の主人公エレンは、第二部に入ったあたりから、性格がガラリと変わり、目的のために手段を選ばないラスボスっぽいキャラクターに変化しています。

最初は、母親を殺した巨人を憎み、巨人たちを駆逐してやる! 海を見に行くんだ! と少年っぽい純粋さがありましたが、仲間の裏切りや残酷な世界の真実を知って、すっかり人格が変わってしまった印象があります。

このようにキャラクターが成長すると、深い、文学的と高評価されますが、キャラクターの原則である「変化しない」に触れるので、かなり難しいと思います。

実は、ラノベ作家さんたちの話では、「キャラクターがブレるのはストーリーが破綻するより悪いこと」だそうです。
これは漫画編集者も言っているので、真実かと思います。

キャラクターがブレるのと、キャラクターが成長するのは違うと思いますが、どう違うのか、よくわかりません。

キャラクターが成長するとはどういうことなのか?
このあたりにまだ答えは出ていないので、教えていただけるとありがたいです!

カテゴリー: キャラクター

この質問に返信する!

生身の人間とキャラクターの違いとは? キャラクターが成長するとは? どういうこと?の返信 (No: 2)

投稿者 ヘキサ : 0 No: 1の返信

投稿日時:

脳内をクレヨンしんちゃんの「これからも、ず~っと5歳!」がリフレインしておりますhexaです。
矢島晶子さん、6月いっぱいで野原家から卒業ということで……残念なことです。

キャラクターの「ブレる」「ブレない」は、視点ぶれとも関係する話なので、小説媒体では特に大事な話だと思っています。私は「そのキャラクターがきちんと周囲を認識し、変わろうと決意したことに説得力があればOK」だと思っています。

持論ですが「視点ぶれ」=「認識のずれ」=「認識の甘さ」だと思っておりますので、周囲の状況と噛み合っていない変化をしている場合は「ブレ」で、噛み合っている場合は「成長」もしくは「適応」「順応」だと思っています。

 クレヨンしんちゃんやサザエさんのように、環境ごと変わらないのであれば、変わる必要がないし、変えないほうがいいと思います。

補足です (No: 3)

投稿者 ヘキサ : 1 No: 2の返信

投稿日時:

エレンの場合はもとから「目的達成意識の高さ」がキャラクターでしたので、
「目的のために手段を選ばなくなった」は状況に対する適応であり、ブレではないと思います。

私は「目的意識」から離れているか、いないかもブレの判断基準にします。
離れるように変化していくのは「逃避」とかいいますかね……。

生身の人間とキャラクターの違いとは? キャラクターが成長するとは? どういうこと?の返信 (No: 4)

投稿者 日暮一星 : 0 No: 1の返信

投稿日時:

 初めまして、日暮一星です。

 生身の人間とキャラクターの違い……一言で言えば『現実のものか、フィクションのものか』ではないでしょうか。
 そもそも、この双方を定義づけして違いをつけること自体不毛だと思います。どちらにせよ、その定義がアテにならないほどの『個性』が存在するので。フィクションの人間にも、それこそ人類史を辿れば漫画のキャラクターじみた人物(ヘタすると編集者からボツにされるほどの)もたくさんいますし。
 のび太にしろ水戸黄門にしろ、それはキャラクターそのものではなく『キャラクターの個性』なのではないでしょうか。

 キャラのブレというのは『世界観(環境)に合わせた変化ではなく、書き手の都合に合わせた変化』だと思います。あるいは『書き手の都合によって、そのキャラの個性を潰した結果』というか。世界観とキャラを互いにくっつかせたまま双方を書くということは、読者を楽しませる上で書き手の責任とも言えます。その責任を果たせずに変化させてしまうことをブレと呼ぶのでは。
 端的に言えば『成長=説得力のある変化』『ブレ=説得力のない突然変異』とも言いますか。キャラの変化やブレかたも様々だと思うので一言で表すのは難しいですが、自分は『不変なものはキャラクターそのものではなく、キャラクターの個性』と今のところ位置づけています。

生身の人間とキャラクターの違いとは? キャラクターが成長するとは? どういうこと?の返信 (No: 5)

投稿者 とある書籍化作家 : 0 No: 1の返信

投稿日時:

まず勘違いされていますが、ストーリーが進行すればキャラクターは必ず変化します。
ドラえもんと水戸黄門は「時系列さえも不明、ストーリーが進行しない」からこそ不変でいられるのです。
たとえばワンピースのルフィも、ギアとか戦闘的な能力で変化が起きています。
もちろんなろう発のキャラクターもチート能力の獲得等で強く、変化していきます。

その上で、キャラクターがブレると成長の違いは単純です。
読者や編集が好意的に捉えれば成長。否定的ならブレている。

成長もブレるも、キャラクターの変化の見方次第です。
絶対的な基準はただひとつだけ、売れた作品のキャラクターの変化はいいものだ。
これだけです。

生身の人間とキャラクターの違いとは? キャラクターが成長するとは? どういうこと?の返信 (No: 6)

投稿者 クロウド : 1 No: 1の返信

投稿日時:

 キャラクターとは作者と物語の都合で必須要素以外がすっぽり抜けたあるいは削ぎ落された存在。ただし、都合の上だけであって本来は文章にならない部分でもっと人間性を保有している。
 最近はキャラクター記号論が幅を利かせていますから、後半がすっぽ抜けている方が多いですが。
 私の視点として、なろう論は売れる理由のひとつにはなりうるが、なろう論が売れる原因たりえない。先の質問にもかぶりますが、いろんな否定論不要論がラノベ界隈を通り過ぎてゆきましたが、結局固定化した概念というものはなろう論にはないんですよ。いわゆる『逆張り』がなろうの根源です。

 個人的なつっこみとして、水戸黄門の件。これはデマです。ごく初期は印籠を出してませんでしたというのは別として、出さずに解決した回は存外にあるものです。
 うろ覚えですが、おそらくクレームが入ったのは出さなかったからではなく、いつものご老公なら減刑の口添えをするレベルの事件の解決を放棄し将軍だったか譜代大名だったかに丸投げした回だったかと。
 また、印籠を出すのは一種の見栄です。見栄というものは本来、インパクトを与えクライマックスや余韻を生むものです。別な言い方をすると空間を支配した瞬間を切り取り印象付けるのが見栄です。
 よく言われるパターンやお約束という言葉は簡単ですけれども、見栄の効果について陳腐化させてしまいます。そして、迷妄してしまう。

 成長について。
 ブレるブレない以前にダメなパターンとして、根拠のない変化があります。
 どんな物事にもトリガーがあってその先にそうなるべき事態というものがあるものですが、そのトリガーが存在しなかったりそもそも書いていなかったりすると問題です。
 それを念頭に、ドラゴンボールのベジータで考えてみましょう。
 理想>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>現実
 くらいの差にコンプレックスがあることはしっかり見てきた方ならば知っているかと思います。このため、時々ネタキャラ、負け犬、生身スカウターなどと揶揄する読者もおります。
 ですが、最終的にはこのコンプレックスさえ飲み下してしまいます。これは地球で生活する上でライバルと交流したり家族を持ったこと、どうしようもない敗北を重ねつつもやるべき時に勝ち星を得たりするうちに理想と信念が変化していったからです。正しくは理想が変化したのではなく、信念に新しい概念が付与されて大きくなったというべきですか。(邪悪凶悪にして孤高のサイヤ人の王子から、その血を継ぐ家族を守り育むために手段を選ばないサイヤ人系地球人へ)
 こうした変化が成長です。
 また善人が悪人に、悪人が善人に転化するのも変化や成長でありますが、その原因もベジータのように最終的に理解できる形になっていないとダメです。

 キャラのブレとはもっと簡単なもので、天邪鬼やむらっ気のあるキャラは別として、設定忘れて違うことさせちゃダメ程度でよろしいかと。
 ベジータですらちゃんと追っていれば変化の理由が理解できるのに、ブレているキャラに挙げられます。読者ってそんなもんです。
 そんなところに悩み根本を突き詰めようとするのであれば、それはラノベではなく似非哲学であったり純文の方向に逝ってしまいますよ。

生身の人間とキャラクターの違いとは? キャラクターが成長するとは? どういうこと?の返信 (No: 7)

投稿者 サタン : 0 No: 1の返信

投稿日時:

端的に言えば、キャラクターは人間を記号化したもの、と思っています。
イラストで考えてみると、アニメキャラの造形は完全に人間離れしていて少女漫画のイラストなんて眼球が頭蓋骨に収まりきらないだろうってものもありますよね。
でも不自然ではない。
当たり前ですがこれは「人間」をデフォルメしたもので、可愛らしいという記号がわかれば良いので成立している絵なんだろうと思います。
それを文章で表現しているのが、小説におけるキャラクターでしょう。
もちろん、「目が大きいことを説明する」という見た目の話じゃありません。
人間の記号化を文字で表現する、という話。

だから、「成長」も「ブレ」も基本的には現実の人間基準。
正義を愛する完全無欠のヒーローが悪に染まるというのは、事情があればないことはない。
人間、どう転ぶかわからないものだしね。
でも、正義のヒーローが万引きとかカツアゲとかしょっぱい悪事を働く、親友の陰口を叩く、というのは「キャラじゃない」からキャラクターとしてはブレてると思う。
もちろん、そういうキャラですって前提があるならいいんだけども。
最初に設定した「記号」から外れてしまうと、それは「ブレてる」と思う。

一方、ドラえもんののび太が一生懸命勉強して頭が良くなりました、というのは確かにキャラではないけど「成長」だと思う。
二次創作でドラえもんを作ったのはのび太だってオチがあったけど、あれは良かったね。

ではこの違いは何かというと、あくまで持論でしかありませんが、
成長というのは「記号」そのものが変化している、と私は思っています。
のび太の場合、のび太は「バカで貧弱で意思が弱い」というキャラクターなので、基本的にはこのキャラから反れる行動は「ブレ」に当たる。
でも、その「バカで貧弱で意思が弱い」という記号自体が変化し(変化するという展開の物語がある前提)、「ドラえもんのために一生懸命勉強するんだ」となると、キャラクター自体は変化してないけどそのキャラに内在する「記号」がガラッと変わるわけですね。
すると、それ以降は「一生懸命勉強する、頑張る」という行動が真になり、これに反することこそ「ブレ」に当たるようになる。

まあ、簡単に言えば。
「ブレ」ってのは、一度変化したくせに元の位置に戻ったりする場合で、書き慣れてない人は意図せず作者の癖が展開に表れてしまうために、キャラじゃないことをキャラにさせてしまう。故によく言われることではないかなと。
一方で「成長」ってのは、「変化」なので、元に戻ったりしない。
例えば「漫画家を目指してたけど、今日から小説家を目指す!」と宣言した人が、翌日「やっぱ漫画家になりたいなー」なんて言ってたら「おまえブレブレじゃねーか」と言えるでしょ。
「変化」は良いものだけど、それが固まってないと「ブレ」になる。
だから、「小説家もやめて、いまは映画監督に興味あるわ」になると、これもブレ。でもそういう「移り気で飽き性なキャラ」は固まってるので、そういう視点で見ればかえってキャラが出てる。
同じ経過であっても、「小説家を目指しているけど、少し興味があるから今は映画脚本を書いている」だと、まあちょっと怪しいけど「成長」に当たると思う。

生身の人間とキャラクターの違いとは? キャラクターが成長するとは? どういうこと?の返信 (No: 8)

投稿者 あまくさ : 0 No: 1の返信

投稿日時:

まず『ドラえもん』『水戸黄門』ですが、それは物語の類型が違うんですね。
『ドラえもん』はキャラも魅力的ですが、「ひみつ道具」のアイデアを中心に作られたショート・ストーリーというのが本筋で、キャラはそれを効果的に見せるためのツールとして位置づけられているように思います。
『水戸黄門』の場合、黄門様一行はドラマ論的には実は主人公ではありません。ふらっと立ち寄って事件を解決して去っていくという狂言回し的存在で、各話の事件の当事者ではないからです。

物語にはいくつかの基本形があり、それらのうちの有力なものとして、「失われたものを取り戻す」「欠けているものを獲得する」というパターンがあるのではないかと思います。戦乱という状況で失われたものは「平和」。魔王に拐われた恋人を助けにいく物語なら、失われたものは「恋人」。主人公が引っ込み思案な自分の性格に悩んでいるのなら「勇気」が欠けているわけで、それを手に入れるストーリーは成長の物語ということになります。
肝要なのは、その何かを手に入れるために主人公が主体的に行動することだと思うんですね。それがあれば、正念場で主人公が序盤と性格が変わったような行動をとっても、キャラがブレたという印象は与えないものなんじゃないかと。
類型が違うと最初に書いた『ドラえもん』でさえ、ドラえもんが安心して未来に帰れるように、のび太がジャイアンに立ち向かっていくというエピソードがあったじゃないですか。そういう行動をとった理由と想いがきっちり読者に伝わるように描かれていれば、ご都合主義ともキャラブレとも言われないという好例です。

で、そういうことを分かりやすく読者(視聴者)に伝えるためには、キャラの基本的な性格はシンプルに固定されていた方がいいんですね。これが現実の人間だともっと複雑で、あんなにすっきりと1足す1は2みたいな行動はとりません。だから人の心理は曖昧で分かりにくく、色々誤解が生じたりするわけです。
それが、生身の人間とキャラの違いでしょう。

追記 (No: 9)

投稿者 あまくさ : 0 No: 8の返信

投稿日時:

何年か前に、純文学の研究者がラノベの分析に取り組み、それをラノベ風に書いてみたという本を読んだことがあるんですね。その中に、ラノベ読みの女の子が文庫本を読みながら目にうっすら涙を浮かべていたというくだりがありました。で、主人公は、芥川龍之介を読んで泣いている人を見たことがない、と思うんですね。印象的なエピソードでした。

人間の行動や性格を、分かりやすく加工したものがキャラクター。しかし、ややもすれば底が浅いと思われがちなそういう手法に、むしろ読者を感動させる力(カタルシスを生む力)が秘められているのかもしれません。

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タイトル:生身の人間とキャラクターの違いとは? キャラクターが成長するとは? どういうこと? 投稿者: うっぴー

すみません。かなり根本的なことを聞いてしまいますが、生身の人間とキャラクターの違いとは何でしょうか?
ご意見をいただけるとありがたいです!

以下、私の考察です。

・人間
同じ状況でほぼ同じ行動をする。
変化する。
多面的で複雑

・キャラクラー
同じ状況で必ず同じ行動をする。
不変な存在。
人間の個性の一面を切り取って、それのみを全面に押し出し極端化した存在。
特定の役割を持つ。

例えば、ドラえもんののび太は、昼寝が大好きで勉強が嫌いなキャラです。。
彼が、突然勉強に目覚め、クラスで一番の秀才になってしまったら、それはもうのび太ではありません。

しかし、現実に存在する生身の人間では、勉強が嫌いな劣等生が何かの切っ掛けで東大合格を目指して猛勉強し、東大生になる、ということは起こりえます。
キャラクターとは不変の存在であり、生身の人間とは変化する存在である、と言えると思います。

時代劇で有名な『水戸黄門』では、必ずラストに印籠を出して悪人を平伏させるというシーンがあります。
しかし、一度だけ、印籠を出さずに事件を解決してしまった回があったらしいです。その時、視聴者からテレビ局に猛クレームが来たと言います。

同じ状況で必ず同じ行動をするのが、キャラクター。印籠を出さない黄門様など、水戸黄門ではない、ということです。

キャラクターは特定の役割を持った存在でもあります。
ライバルキャラ、お色気担当キャラ、お笑い担当キャラ、解説キャラ、ラスボスなどといった名称は、キャラクターが特定の役割を果たす存在であることを示しています。

例えば、なろう系ラノベでは、ヒロインは、処女で主人公を何があっても全肯定する、トロフィーガールに徹するのが役割であると言われます。
これは、なろう系ラノベの目的が、読者の承認欲求を満たすことであり、各キャラクターは、この目的に果たすために存在するギミックだからです。

もし、なろう系ラノベでヒロインが、非処女であり、主人公以外の男を好きになったりしたら、読者の自尊心を傷つけることになるので、ヒロインの役割を果たしていない、ヒロイン不適格となります。

●キャラクターが成長するとは、どういうこと?

例えば、進撃の巨人の主人公エレンは、第二部に入ったあたりから、性格がガラリと変わり、目的のために手段を選ばないラスボスっぽいキャラクターに変化しています。

最初は、母親を殺した巨人を憎み、巨人たちを駆逐してやる! 海を見に行くんだ! と少年っぽい純粋さがありましたが、仲間の裏切りや残酷な世界の真実を知って、すっかり人格が変わってしまった印象があります。

このようにキャラクターが成長すると、深い、文学的と高評価されますが、キャラクターの原則である「変化しない」に触れるので、かなり難しいと思います。

実は、ラノベ作家さんたちの話では、「キャラクターがブレるのはストーリーが破綻するより悪いこと」だそうです。
これは漫画編集者も言っているので、真実かと思います。

キャラクターがブレるのと、キャラクターが成長するのは違うと思いますが、どう違うのか、よくわかりません。

キャラクターが成長するとはどういうことなのか?
このあたりにまだ答えは出ていないので、教えていただけるとありがたいです!

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