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元記事:許される見殺しと許されない見殺しの違い

「異世界転移した者が元の世界に帰るっていうのは、異世界より元の世界での生活の方を優先するということだが、まったく悪いことではない。『元の世界に大切な人がいるから』みたいな大層な理由ではなく『早く帰ってAV観ながらオナニーでもして~』とか『単にめんどくさいから』みたいな超個人的な理由でも、だ」をテーマに「異世界転移した主人公が『だり~めんどくせ~わけわかんね~』とか言いながら異世界に興味を持たずさっさと元の世界に帰りたいとしか考えず、最後は放置しておいたら異世界の人間が何人も死ぬような問題が残っていても全く関心を持たず元の世界に帰っていく」という話を描いたら「この主人公薄情だな」と言われてしまったんですがなぜでしょうか?
漫画版デビルマンの主人公はサバトでデーモン化を免れた人間がいても見殺しにしましたがまったく批判されず、サバトでの見殺しに関しては後ろめたさとは無縁のヒーローとして扱われてますよね?
心当たりとしては「他の異世界転移ものは主人公が異世界に関心を持ってなんやかんやするって話が多いから、ここまで主人公が異世界に無関心で帰れるようになったらさっさと帰るって話はウケが悪いのかも」と思ってるんですがどうなんでしょうか。
ついでに聞かせてもらうと、ドラクエ8のストーリーを「賢者の子孫見殺しツアー」とか揶揄する人がいるのはなぜでしょうか?
あれだって漫画版デビルマンが許されてることを思えば何もおかしくないと思うんですが。

上記の回答(許される見殺しと許されない見殺しの違いの返信)

投稿者 サタン : 3 人気回答! 投稿日時:

ぶっちゃけ、質問の意味がわからんかな。
だって、異世界(の人々)に無関心で興味持たない主人公なんでしょ? いや、その時点で薄情な主人公像じゃんか。
そういう主人公を書いて読者の感想で「薄情だな」と言われ、作者がそれに疑問を持つって意味がわからん。
「薄情」って「情に薄い」って書くわけだからさ。
マザー・テレサが「愛情の対義語は無関心だ」って言葉を残してるけど、人は興味を持つから愛情が生まれてくわけで、世界に無関心な人は薄情だよ。薄情でなければ多少でも興味を持ってるよ。
なので、再三繰り返しだけど、薄情な主人公を書いておきながら薄情だと読者に言われて何故もなにもない。

スレ主さんの作品の問題は、「主人公が薄情であること」ではなく、「薄情な主人公や物語を面白くできなかった」ってこと。
もしくは読者がそこを読み取れなかったってこと。
読んでないのに何故そう言い切れるのかっていうと、作者が「主人公の薄情さが面白味だ」と認識してないことがお悩みから読み取れるから。
そのテーマの面白味はどう考えても「周囲に興味を持たない主人公が自分にとって大事なことのために動く薄情な展開」だと思うんだけど、その面白味を押し出せていなかったと思われる。

で。
その面白味が活かせてれば、つまり「薄情なとこが面白いよね」という作品であったなら、同じ展開でも読者の感想は「薄情だから良い」となるし、最後に異世界人を見捨てて帰るオチでも「この主人公ならこうだわな」ってなる。
面白味を活かせてなかったから、というのが原因だし問題点。

>漫画版デビルマンの主人公はサバトでデーモン化を免れた人間がいても見殺しにしましたがまったく批判されず、サバトでの見殺しに関しては後ろめたさとは無縁のヒーローとして扱われてますよね?
こうした既存作と比べる疑問をちょいちょい聞くけど、その部分だけにフォーカスしても意味がなくて、例えば肉親が人間に殺された直後とか「その展開が納得できる状況づくり」を上手くやっていたり、例えば主人公の悪魔の部分を強調したいなど「もともと主人公にそういう部分があるという設定の描写」がちゃんと出来ていたり、そのシーンに至るまでの過程でちゃんと積み上げてきてるから問題ないし、おそらくは作者の意図した通りのイメージを読者に持たせることに成功している。
逆に言えば、
例えば漫画「ベルセルク」で主人公が人を見殺しにせず、正義の心に目覚めて人助けをしはじめたら、それこそ読者からツッコミが入る。

「見殺し」という展開に「許される・許されない」なんて絶対的なラインは無いし、それは作者が物語の中で作り上げるもの。
それで言うと、そもそも「薄情な主人公」としておきながら作者がその魅力を理解していなかった様子なので魅力を押し出せていない作品だろうし、面白味であるはずの部分を読者から「薄情だ」と言われてしまった以上、作者がそのラインを作り上げることが出来なかったというだけ。

なので、
>許される見殺しと許されない見殺しの違い
問題はそこじゃないと思うよ。

カテゴリー : ストーリー スレッド: 許される見殺しと許されない見殺しの違い

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元記事:物語作品の「何が駄目なのか」が読者視点で分からない

 こんにちは。今回も軽めの相談的なやつなのですが、変な内容かもしれません。答えにくかったらすみません!

 私は読者としての視点で物語作品を読む(もしくは見る)とき、どんな作品でも基本的に面白いと感じてしまう困った感性を持っているんですよね。

 一般的な感性を持っていないからなのだと思ったのですが、何を読んでもつまらないと感じないんですよね。まぁ自分の書いている作品が全世界ナンバーワンの駄作だと思っているから、必然的にそれ以上は全部面白いと感じるってだけ……とも思うのですが、こうなると一つ怖いことがありまして。

 世間一般でいう「つまらない作品の、つまらない展開」を面白いと感じてやってしまうのではないか、ということです。これは書き手として致命的だと感じております。かといって、他の人の作品が滅茶苦茶に言われているの(ダメ作品まとめ動画的なのや、ネットでバッシング受けているのとかはキツいです……)を見るとめっちゃ悲しくなって泣いてしまうぐらいアレなので、これ本当どうすればいい!?って感じです。

 普通に何かを見て「つまらない!」と感じられたら、その実感を創作に活かせるのですが……そうなる方法ってありますかね!?

※実写版デビルマンでもダメでした。教会で向き合うシーンカッコいいと思ってしまいました。実写版進撃の巨人については、一時期めちゃくちゃハマってたぐらいです(原作は2巻出た頃から発売日に買っているレベルでファンではあるのですが……おかしいですよねw)

上記の回答(60パーセント主義と技術論。返信は不要です。)

投稿者 あまくさ : 0 投稿日時:

すみません、逆に負担をかけてもあれなので私からは終わりにするつもりだったのですが、読むせんさん宛て№54を拝見していくつか思ったことがあったので。そちらから特に何か無ければ返信は不要です。

>うーん、自分の作品を読者視点で読むのって難しくないですか?

これも技術論で考える方がいいと思ってるんですね。

本質的な意味で他者の視点を持つことは不可能です。でも、それは哲学的な意味であって。
経験と思考によって他者の視点を60~70%くらい把握することは普通に可能です。で、技術論って60パーセント主義でいいんですよ。60%もできてない人、いっぱい居ますから。

60パーセント主義で自分の作品を読者視点で読むのは、習得可能な技術です。そして、そのくらいで十分有効だと思います。むしろ、それ以上を目指しても意味がありません。

>自分の人格を矯正する手段はあるのかな?といった意味合いでした。

>だからといって感性を矯正することって不可能じゃないですか?

人格や感性は、矯正しちゃダメですよ。仮に上手くやれて成功したとしても、何かが効率的にはなるけど何かが失われる、ユートピアの皮をかぶったディストピアの世界です。そして、失敗したら人間を破壊します。
矯正していいのは、これも技術です。スポーツの基礎練習は矯正そのもの。それと同じです。

自分が何をやりたいのかはしっかり維持した上で、それを達成する能力だけ切り離して矯正するということです。そういう矯正は必要です。

カテゴリー : その他 スレッド: 物語作品の「何が駄目なのか」が読者視点で分からない

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元記事:許される見殺しと許されない見殺しの違いの返信

ぶっちゃけ、質問の意味がわからんかな。
だって、異世界(の人々)に無関心で興味持たない主人公なんでしょ? いや、その時点で薄情な主人公像じゃんか。
そういう主人公を書いて読者の感想で「薄情だな」と言われ、作者がそれに疑問を持つって意味がわからん。
「薄情」って「情に薄い」って書くわけだからさ。
マザー・テレサが「愛情の対義語は無関心だ」って言葉を残してるけど、人は興味を持つから愛情が生まれてくわけで、世界に無関心な人は薄情だよ。薄情でなければ多少でも興味を持ってるよ。
なので、再三繰り返しだけど、薄情な主人公を書いておきながら薄情だと読者に言われて何故もなにもない。

スレ主さんの作品の問題は、「主人公が薄情であること」ではなく、「薄情な主人公や物語を面白くできなかった」ってこと。
もしくは読者がそこを読み取れなかったってこと。
読んでないのに何故そう言い切れるのかっていうと、作者が「主人公の薄情さが面白味だ」と認識してないことがお悩みから読み取れるから。
そのテーマの面白味はどう考えても「周囲に興味を持たない主人公が自分にとって大事なことのために動く薄情な展開」だと思うんだけど、その面白味を押し出せていなかったと思われる。

で。
その面白味が活かせてれば、つまり「薄情なとこが面白いよね」という作品であったなら、同じ展開でも読者の感想は「薄情だから良い」となるし、最後に異世界人を見捨てて帰るオチでも「この主人公ならこうだわな」ってなる。
面白味を活かせてなかったから、というのが原因だし問題点。

>漫画版デビルマンの主人公はサバトでデーモン化を免れた人間がいても見殺しにしましたがまったく批判されず、サバトでの見殺しに関しては後ろめたさとは無縁のヒーローとして扱われてますよね?
こうした既存作と比べる疑問をちょいちょい聞くけど、その部分だけにフォーカスしても意味がなくて、例えば肉親が人間に殺された直後とか「その展開が納得できる状況づくり」を上手くやっていたり、例えば主人公の悪魔の部分を強調したいなど「もともと主人公にそういう部分があるという設定の描写」がちゃんと出来ていたり、そのシーンに至るまでの過程でちゃんと積み上げてきてるから問題ないし、おそらくは作者の意図した通りのイメージを読者に持たせることに成功している。
逆に言えば、
例えば漫画「ベルセルク」で主人公が人を見殺しにせず、正義の心に目覚めて人助けをしはじめたら、それこそ読者からツッコミが入る。

「見殺し」という展開に「許される・許されない」なんて絶対的なラインは無いし、それは作者が物語の中で作り上げるもの。
それで言うと、そもそも「薄情な主人公」としておきながら作者がその魅力を理解していなかった様子なので魅力を押し出せていない作品だろうし、面白味であるはずの部分を読者から「薄情だ」と言われてしまった以上、作者がそのラインを作り上げることが出来なかったというだけ。

なので、
>許される見殺しと許されない見殺しの違い
問題はそこじゃないと思うよ。

上記の回答(言葉足らずだったので補足)

スレ主 堕天使 : 1 投稿日時:

>「異世界転移した者が元の世界に帰るっていうのは、異世界より元の世界での生活の方を優先するということだが、まったく悪いことではない。『元の世界に大切な人がいるから』みたいな大層な理由ではなく『早く帰ってAV観ながらオナニーでもして~』とか『単にめんどくさいから』みたいな超個人的な理由でも、だ」

このテーマの真意は自分にとって大事なこと云々ということではなく単に「見殺しという行為自体まったく悪いことではない。だって漫画版デビルマンはそのことでまったく非難されてないんだから。この作品の主人公を非難しないでくださいね。だって漫画版デビルマンの主人公はまったく非難されてないんだから。」ということです。つまり主人公を特に薄情な人間として描いたつもりがないから薄情呼ばわりされたのが心外だったわけです。
主人公が元の世界に帰りたがる理由を『元の世界に大切な人がいるから』みたいな大層な理由ではなく『早く帰ってAV観ながらオナニーでもして~』『単にめんどくさいから』というどうでもいい理由にしたのは「見殺しという行為自体まったく悪いことではない」ということを強調したいがためです。
私は主人公が薄情呼ばわりされた後も「見殺しは見殺しだ。全部許されるべきだ。漫画版デビルマンの主人公がサバトでデーモン化を免れた人間がいても見殺しにしたのも、ドラクエ8の主人公たちが賢者の子孫を見殺しにしたのも、私の作品の主人公が異世界の人間を見殺しにしたのも全部同じことだ。」と思っていますが、「それでも私以外の人間にとっては許される見殺しと許されない見殺しの2種類が存在するのが現実なら、せめてその理由を知りたい」と思ったから質問しました。

カテゴリー : ストーリー スレッド: 許される見殺しと許されない見殺しの違い

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元記事:言葉足らずだったので補足

>「異世界転移した者が元の世界に帰るっていうのは、異世界より元の世界での生活の方を優先するということだが、まったく悪いことではない。『元の世界に大切な人がいるから』みたいな大層な理由ではなく『早く帰ってAV観ながらオナニーでもして~』とか『単にめんどくさいから』みたいな超個人的な理由でも、だ」

このテーマの真意は自分にとって大事なこと云々ということではなく単に「見殺しという行為自体まったく悪いことではない。だって漫画版デビルマンはそのことでまったく非難されてないんだから。この作品の主人公を非難しないでくださいね。だって漫画版デビルマンの主人公はまったく非難されてないんだから。」ということです。つまり主人公を特に薄情な人間として描いたつもりがないから薄情呼ばわりされたのが心外だったわけです。
主人公が元の世界に帰りたがる理由を『元の世界に大切な人がいるから』みたいな大層な理由ではなく『早く帰ってAV観ながらオナニーでもして~』『単にめんどくさいから』というどうでもいい理由にしたのは「見殺しという行為自体まったく悪いことではない」ということを強調したいがためです。
私は主人公が薄情呼ばわりされた後も「見殺しは見殺しだ。全部許されるべきだ。漫画版デビルマンの主人公がサバトでデーモン化を免れた人間がいても見殺しにしたのも、ドラクエ8の主人公たちが賢者の子孫を見殺しにしたのも、私の作品の主人公が異世界の人間を見殺しにしたのも全部同じことだ。」と思っていますが、「それでも私以外の人間にとっては許される見殺しと許されない見殺しの2種類が存在するのが現実なら、せめてその理由を知りたい」と思ったから質問しました。

上記の回答(言葉足らずだったので補足の返信)

投稿者 サタン : 1 投稿日時:

繰り返しになるけど、薄情というのは情が薄い、この情とは愛情のことなので、
>『元の世界に大切な人がいるから』みたいな大層な理由ではなく『早く帰ってAV観ながらオナニーでもして~』『単にめんどくさいから』というどうでもいい理由にしたのは「見殺しという行為自体まったく悪いことではない」ということを強調したいがためです
「大層な理由」もなく見殺しにするのは、情が薄いから、対象に対して少しの愛情も持ってない、少なくともオナニーのほうに情が傾いているわけなので、
別に、人命よりもオナニーを優先することが悪いことだとは思わないけど、実際に「オナニーよりも人命のほうが愛情は薄いです」って言ってるんだから、そりゃ薄情でしょ?
繰り返しを繰り返すけど、オナニーよりも愛情のが情が薄い、って自分でずっと言ってるんだから。
で、そこが面白いところだと考えて書いているのに、作者が「主人公は薄情である」と認識していないのだから、その面白味は出せてないよね。という回答でした。

カテゴリー : ストーリー スレッド: 許される見殺しと許されない見殺しの違い

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元記事:言葉足らずだったので補足

>「異世界転移した者が元の世界に帰るっていうのは、異世界より元の世界での生活の方を優先するということだが、まったく悪いことではない。『元の世界に大切な人がいるから』みたいな大層な理由ではなく『早く帰ってAV観ながらオナニーでもして~』とか『単にめんどくさいから』みたいな超個人的な理由でも、だ」

このテーマの真意は自分にとって大事なこと云々ということではなく単に「見殺しという行為自体まったく悪いことではない。だって漫画版デビルマンはそのことでまったく非難されてないんだから。この作品の主人公を非難しないでくださいね。だって漫画版デビルマンの主人公はまったく非難されてないんだから。」ということです。つまり主人公を特に薄情な人間として描いたつもりがないから薄情呼ばわりされたのが心外だったわけです。
主人公が元の世界に帰りたがる理由を『元の世界に大切な人がいるから』みたいな大層な理由ではなく『早く帰ってAV観ながらオナニーでもして~』『単にめんどくさいから』というどうでもいい理由にしたのは「見殺しという行為自体まったく悪いことではない」ということを強調したいがためです。
私は主人公が薄情呼ばわりされた後も「見殺しは見殺しだ。全部許されるべきだ。漫画版デビルマンの主人公がサバトでデーモン化を免れた人間がいても見殺しにしたのも、ドラクエ8の主人公たちが賢者の子孫を見殺しにしたのも、私の作品の主人公が異世界の人間を見殺しにしたのも全部同じことだ。」と思っていますが、「それでも私以外の人間にとっては許される見殺しと許されない見殺しの2種類が存在するのが現実なら、せめてその理由を知りたい」と思ったから質問しました。

上記の回答(言葉足らずだったので補足の返信)

投稿者 手塚満 : 0 投稿日時:

サタンさんへの返信だし、サタンさんから的確な回答が出てるんだけれども、どうも気になりまして、少し差し出口をお許しください。

作中で主人公がモブ含む他のキャラ見殺しをするのは薄情ではないとお考えなわけですよね。その証拠として有名、人気既存作で見殺しにする描写が多々あるけれど、読者/視聴者から薄情と悪評価は受けていない。もっとも他作品、特に話題にならない不人気作で見殺しがどう評価されたかは分からないわけですが。

つまり「ある作品で見殺しは薄情とのの悪評価はされないのに、ある自作での見殺しを薄情と酷評されるのはおかしい」。これは論理的には有名な誤謬です。創作的にはよくある間違いです。今の場合、創作面のほうが大事ですね。

見殺しは現実的にはできれば避けたいものとされるのはご存じでしょう。仕方ない、とはされても褒められることは稀です。逆に見殺しにせずに救った(例えば線路に転落した人を救う)、なんてのはニュースで取り上げられ、警察から表彰されたりするのはご存じのはずです。つまりヒーロー扱いですから、フィクションに取り入れて問題ない。

逆に欠点になる、なりやすいポイントを「あの作品でも『許されている』」から取り入れても大丈夫だろうと考えるのはリスキーです。なぜ許されているか、よく分析しないと悪評価されるポイントだけを高確率で取り入れることになります。

主人公が誰かを見殺しにして納得されるとして、見殺しにするシーンだけで納得が生じるわけがありません。必ず前後の支えがあるんです。見殺しシーンの前段では、例えば「この主人公なら困った人を助けない(、そこが魅力だ)」というイメージが既に生じていて、その期待通りに誰かの危機で主人公は見殺しにする。

あるいは見殺しにされるキャラに相当な悪印象を生じさせておいて、危機に陥っても助けてもらえないことが天罰みたいに感じられるようにする。

そうでなく、「ここで主人公がこのキャラを助けるはず」と期待できるのに、見殺しにして、読者に「あれ、なぜだ?」と疑問を生じさせるやり方もあります。その場合は、後段でなぜ主人公が見殺しにしたかを描くことになります。必ずしも見殺しを納得できる運び(例えば主人公の隠れた本性が露わに)ばかりとは限りません。主人公に後悔させるために、見殺しにする運びにあえてしておくこともあります。

いずれも、見殺しにするシーンではないところで、見殺しを支えているということです。見殺しの前段で準備し、後段でフォローする必要があります。見殺し以外でも同じです。例えば「決め台詞」ってあるわけですよね。繰り返しパターンを用いる作品で頻出し、言えばジーンと感動するのが「決め台詞」です。

しかし、その決め台詞を全く関係ないシーンとか、冒頭で叫んでも決め台詞の効果は得られません。その決め台詞が出るべき段取りを整えないと効果は出ない。例えば、これから目の前の敵に立ち向かうときに発する決め台詞を、食事の前の「いただきます」の代わりに言わせても、決して燃えるものは発生しません。やはり敵を目の前にしないと。

ですので、

> 「それでも私以外の人間にとっては許される見殺しと許されない見殺しの2種類が存在するのが現実なら、せめてその理由を知りたい」

については、

「見殺しの前後が違っているからだ」

となります。他作品の該当するシーンだけ見倣って、そのシーンだけで考えても無駄なんです。

カテゴリー : ストーリー スレッド: 許される見殺しと許されない見殺しの違い

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元記事:なろう系ラノベに努力の要素を持ち込むのはタブーか?

なろう系ラノベは、「友情」「努力」「勝利」の法則を掲げた少年ジャンプとは対極にある存在で、読者はチートハーレムを望んでおり、主人公が努力するのはタブーである、ラノベ読者は努力が嫌いである、という言説があります。

一方で、ラノベ新人賞の下読みさんによると、物語には成長要素が不可欠で、読者は登場人物が成長していく姿に心を動かされると言います。
果たして努力をせずに、成長が描けるのか?

実は、なろう系ラノベの読者は努力が嫌いなのではなく、対価の約束されていない努力が嫌いというのが真実だと思います。

その証拠として、主人公がモンスターを倒して経験値を稼ぎ、ステータスをアップさせる、新たなスキルを獲得するというタイプの物語が多いことが挙げられます。

これはシリーズ累計発行部900万部突破のヒット作「ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか 」(GA文庫・2013/1/11刊行)がパイオニアとなった要素で、主人公などの登場人物のパラメータがゲーム的に表示され、モンスターを倒すたびにこれがアップしていきます。

「ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか 」の主人公は、登場した当初は最弱でしたが、成長速度が異様に早くなるスキルの持ち主で、どんどん強くなっていきます。
この成長要素が快感だったわけです。

なろう系の異世界転生とは、より本質的に言えば、ゲーム世界への転生です。
ゲームの世界では、モンスターを倒せば必ず経験値やアイテム、お金が手に入ることが約束されており、努力が無駄になりません。

これはラノベの読者層であるオタクに馴染みやすい要素であるため、受け入れやすく、努力して強くなっていく主人公に感情移入しやすくなっています。

しかし、これ以外の方法で努力したり、主人公の成長を描いたなろう系ラノベ(書籍化作品)は、寡聞にして知りません。
もし、これが以外の方法で努力したり、主人公の成長を描いた書籍化作品がありましたら、その内容などを教えていただけるとありがたいです。

なろう系に努力の要素を持ち込むのはタブーか?についてもご意見をいただけるとありがたいです!

上記の回答(なろう系ラノベに努力の要素を持ち込むのはタブーか?の返信)

投稿者 のん : 1

 こんばんは、のんです。
なろう系の作品がチートで溢れかえったのは、読者様が既に抑圧された状況にあるからではないでしょうか?

 サタン様が仰られているように、カタルシスを得るには『抑圧と解放』が必要です。

 ライトノベルの主人公は基本的に読者様が感情移入しやすいよう、読者様に似せて作られていますよね。
 でしたら読者様が既に抑圧された状況にある以上は主人公も同じであり、それは理解しやすいものだと思いますし。
 サラッと弱者であることを提示して、その後いきなり転生してチートを貰って無双する。と言う、『解放』の段階へスキップする方法が合理的なのでしょう。

 しかし最初はそれでよくとも、読者様はだんだんと物語に入り込み、現実とは切り離して考えるようになります。
 勿論「自分も同じだ」と共感はするでしょうが、それはキャラクターが該当する言動をとった時だけ。物語内の『抑圧』を省略して『解放』へとスキップ出来る類いのものではありません。

 結局は物語内での抑圧も必要になります。
 何でもかんでもチートを使って一瞬で解決していては、ワンパターンで飽きてしまいますからね。主人公の努力と言いますか、ひねりが必要です。

 例えば。チートといえど今の使い方では解決できない問題にぶつかったとします。
 そこで主人公は新たなチートの使い方を模索する訳ですが……。チートはチートですから成功はほぼ約束されていますし、主人公も大して悩みません。
 それでも、これは1つの努力と言えないでしょうか?

 私の知っているなろう系は、こういった苦のない努力タイプが多かったです。
 ストレスフリーな抑圧とでも言いましょうか。人気作ほどしかっり抑圧されている気がしますが、『抑圧と解放』の比率は大差ない印象を受けました。なろう系の特徴なんでしょうかね。

▼なろう系に努力の要素を持ち込むのはタブーか?

 練習(修行)や勉強といった読者様にとって身近でストレートな『努力』はあまり見かけなくなりましたが、オブラートに包まれるようななっただけで『努力』は変わらずしています。
 きっと、努力そのものが物語から排斥されることは無いでしょう。

カテゴリー : 創作論・評論 スレッド: なろう系ラノベに努力の要素を持ち込むのはタブーか?

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投稿日時:

元記事:カタルシスの分散

 こんにちは、大野です。

 今回、ちょっと分かりにくいタイトルになってるんですが、大雑把に言えば「話の落としどころで迷っている」という感じです。

 今俺が描いている(推敲中)作品は現代ファンタジーを舞台とした魔術探偵モノです。主人公は『嘘や多少の法律違反を厭わず、最終的に丸く収まれば真実にこだわる訳ではない』探偵を主人公にして、半分頭脳戦・半分アクションみたいなことをする作品を目指しています。
 
 問題のラストシーン付近のプロットなんですが、『探偵が黒幕の陰謀に気付く』→『陰謀がなされる直前で探偵が妨害に入る』→『陰謀を阻止する』→『黒幕が降伏』→『後日談でエンディング』くらいの物を考えています。
 まあ、探偵モノとしては王道なんですが。

 主人公をおちゃらけた性格にしてしまったこと、作品そのものが『スタイリッシュな探偵』より『ちょっと気の抜ける探偵』を目指していることもあって、『格好良く陰謀を阻止してしまっていい物かなぁ……』と思っている部分が有ります。
 
 そこで、『黒幕が降伏した後、しかし実は「陰謀を阻止するために使った仕掛け」が見せかけだけ作った偽物だった」と主人公がネタバラシするシーン』を入れようかと迷っています。主人公のキャラ的にはいかにもありそうな事なのですが、一方で作品のカタルシスとしてはよろしくないと思う部分もあります。
 こういう、『最終決戦後の気の抜けるおふざけ』みたいなの、やっても良いと思いますか?
 皆さんの意見を聞ければ幸いです。

-----------
 俺の作品を既に知ってる人へ。『具体的にはこういう事よ!』って奴。
 『オカルト探偵(さぎし)、今日も騙る』という作品の話です。

 物語終盤、新月の晩(旧暦一日)にとある儀式をしようとするラスボスの元へたどり着いた主人公の瓜坂は、『日本では神無月に入ると土地の神様がいなくなり、大地の魔力が大きくズレる』事を利用して(気付かせずに)、相手が儀式を行う時間を引き延ばして、『神無月に突入させることで、儀式が出来る条件を破る』用に持ち込み、陰謀を砕く。
 という展開で書いています。

 今回やろうとしていることとしては、この『神無月に入ると大地の魔力が大きくズレる』部分について、『実は全部嘘で、別の手段で『大きな魔力の気配』を生み出して、さも儀式が失敗するかのように思わせた』という二段オチのネタバレを入れようかと思っています。
 具体的に言えば、最終決戦のいくらか前に『黒幕が主人公を始末するために仕向けた魔物』を主人公側が利用する形にしようかと考えています。クトゥルフのアイツですが、推敲の結果別の魔物に差し替えることになりました。

 俺の作品をご存じの方も、そうでない方も。こぞって意見を頂けると幸いです。

上記の回答(カタルシスの分散の返信)

投稿者 あまくさ : 1

一応話をスレの論点に戻したところでバトンを拾ってくれた人がいたので、後はおまかせしようと思ったのですが(笑
なんか議論が深化しているようなので、もう一度バトンを拾ってみます。当たりガチャ認定してもらったのを喜んでいいのかどうか不明ですが、まあ、褒められたと思っておくことにします。

>幼稚園高学年のころ、今とは違い天才寄りだった俺は、『幽霊』という妖怪(じゃないという説もある)に対して凄い興味を持っていました。まあ要するに、『死ぬとどうなるのか』ですね。

私は小学二年生くらいの頃に、人間は死んだら完全に消滅し、天国も地獄もないんだと思っていました。だから幽霊・妖怪もまったく信じていなくて、現代人なら誰でも普通にそう考えていると何となく思っていたのですが、そうでもないのでしょうか?
私の場合、幼稚園~二年生くらいに祖父と祖母が毎年一人づつ亡くなっていた時期があり、葬式ばかりやっていたので人間が死ぬってどういうことなんだろうと考えたんですね。そんな時期に誰かオトナに聞かされたことに、覚えていませんが何かしら影響されたのかもしれません。そういう刷り込みが、以下、大野さんとも少し世界観が違ってくる原点になっているのかなと思ったりもしますが、まあ、よくわかりません。

で、『物理法則と自由意志のジレンマ』について。この場合の物理法則とは「決定論(広義に言えば因果律)」のことですよね? 一般的な物理法則と自由意志は別に抵触しないと思われますから。

『物理法則と自由意志のジレンマ』。それはおそらく以下のような思考かと思います。
世界は必然性と偶然性と作為性の三つによって成り立っています。しかし、ビッグバン以来すべての因果の連鎖を俯瞰する神の視点から見たら、偶然性も作為性も実は存在せず、すべては必然のはずだという考え方ね。
この考えはしかし、「そうなのかもしれない」としか言いようがなく、そうだと証明する方法はたぶんありません。
算数では「1+1=2」と教わりますがこれも実は絶対の正解ではなく、「+」という加算の計算法を厳密に定義してはじめて成立する「条件付きの正解」でしかないことはお分かりかと思います。

決定論も同じで、そもそも「論理」というやつは、ある条件を仮定した時にこの命題は真か偽かという思考でしかないんですよ。これは人間の脳の限界で、人間は論理的であろうとするかぎり上記のような思考の枠組みを逸脱することができないようにできています。

ちょっと根源的なお話。
人間をとりまく世界なるものの実相について、ショーペンハウアーが私なんかよりずっと上手い言葉で説明してくれている本があるので(『意志と表象としての世界』冒頭)、引用します。

(引用始め)
世界は私の表象である。このことは、生きて認識するあらゆる存在に妥当する真理である。
(中略)
人間が知っているのは太陽や地球そのものではなく、ただ太陽を見る目や地球に触れる手を知っているに過ぎない。
(中略)
すなわち、世界はそれとは別の、世界を表象するもの(世界を見渡している視点人物というような意味です。あまくさ注釈)、すなわち人間との関係性のうちに存在するということである。
(引用終わり)

平たく言えば、私たちの体験は、現実なのか脳の誤作動によって生み出された幻なのか区別がつかないということです。
とは言えデカルトのコギトじゃないですが、世界が幻想であるなら少なくとも幻想は存在していることになりますから、百歩譲ってそれが何であるのかは分からないとしても何かしらは実在していると言えます。

何かが存在している。

これが出発点です。

そして、その「存在する存在物」は我々の360度周囲を取り巻くように存在している。われわれはそう実感しており、それを我々は「世界」または「環境」と呼んでおり、すなわち人間は本質的に「世界内存在」であると言えます。

人間は「世界内存在」であり、動物も「世界内存在」ですが、人間と動物には決定的な違いがあります。それは、動物は主に本能によって世界とつながり、人間は(本能もあるとは言え)主に脳が作用する「思考」によって世界とつながっているということです。

人間は知覚というセンサーによって外界の情報を受け取り、その情報を脳が処理することによって「世界観」を生成しています。このプロセスを通して人間が外界に働きかけるために、「論理」という形式を脳が運用しているんです。
しかし人間の脳も一器官に過ぎませんからその情報処理能力には限界があり、よって人間の世界認識も論理的思考も、その限界を超えることはできないわけです。

論理なんて、たかだかその程度のものです。

で、やっと「因果律論」「決定論」にもどります。
それらは限界があり不完全な人間の論理思考による机上の空論にすぎず、真実でも何でもありません。
人間は動物と違って主に本能より思考によって世界にアプローチすると述べましたが、本能だって無いわけじゃありません。いわゆる「勘の良い人」の行動や判断が秀才の論理を凌駕することがあるのは、それが理由です。

なので、非論理的な「素朴な直感」を信頼してもいいんですよ。

決定論に対抗する「素朴な直感」としては、私はよく「暴漢に襲われたときの行動」を例にとっています。
暴漢に襲われて命の危険を感じたときの反応は、「逃げる」「抵抗する」「立ちすくんで殺される」その他ですよね。それらのどれを選択するのもビッグバン以来の決定事項。そう考えて抵抗せずに殺されるのも自由ですが、いみじくもここで「自由」という言葉が出現しています。選択は必然的決定事項と考えることもできますが、まったく真逆に決定事項と考えて成り行きに身を任せるのも一つの選択とも考えられます。決定事項と思ったことが自由選択とも捉えられ、自由選択と思ったことが決定事項とも捉えられます。
要するにね。どっちも人間の脳が考えていることに過ぎないじゃないですか。
暴漢が襲ってきた。殺されるのも怪我するのもいやだ。いやだから逃げるか、自信があるなら反撃する。そういう反応が素朴に自然で普通でしょ?

それは素朴に「自由意志」だと私は思います。

カテゴリー : ストーリー スレッド: カタルシスの分散

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元記事:キャラクターから作るのかストーリーから作るのか

ここでは何度も相談させていただいている者です。
そして一歩が踏み出せない者です。
ストーリーについて、あらすじにしてもプロットにしても何から手を付けるべきなのか悩んでいます。また登場人物もどう魅力的なキャラクターにしたらいいか悩んでいます。
転生するのか、舞台は現代なのかナーロッパなのかは置いておいて、私が書きたい大まかな要素は、
「主人公が複数のヒロインと一緒に敵と戦うファンタジーハーレムもの」
です。
キャラクターから作ってからストーリーを思いついたとしても、「このキャラはこのストーリーに相応しくない」ととなりキャラクターを作り直す。また、ストーリーを考えて、「面白くするにはどういうキャラクターにどんな役割を与えるべきか」が分からなくなりそうです。
自分が何から手をつけるべきなのか、そのために何を学ぶべきなのか教えていただきたいです。

上記の回答(キャラクターから作るのかストーリーから作るのかの返信)

投稿者 カイト : 1

こんにちは、カイトと申します。
あくまで、「私だったらこうします」という内容ですが、どんごるさんの書きたいジャンルで考えてみました。

①大まかなストーリーラインを決める
・特殊な生まれの主人公は、育ててくれた両親や故郷のため、安全な生活を脅かす魔王を退治することを決意する。自分を慕ってくれる3人の女性たちと共に魔王城へ向かう途中に出生の秘密を知り、一時は心が折れそうになるが、ヒロインたちの励ましで立ち直る。そして、見事魔王を退治して故郷へ凱旋する。
②キャラクターの性格・物語上の立ち位置を決める
・主人公 正義漢だが打たれ弱い
・魔王 この世を魔物の世界にしようと目論む 実は主人公の父
・ヒロインa 主人公の幼馴染 正統派
・ヒロインb 旅の途中で出会う 知性派
・ヒロインc 襲ってきた低級魔物が主人公に惚れてついてくる ツンデレ
③起承転結でプロットを組む
起 主人公の生い立ち、魔王退治の契機と出立
承 ヒロインたちとの出会い、旅の模様
転 実は魔王が父親だということが判明、挫折と立ち直り
結 魔王と戦って勝利、凱旋
④細かいプロットを練る(登場人物の性格に則したエピソードを入れる)
⑤書きながら細かな調整を入れる

という感じでしょうか。桃太郎とスターウォーズを混ぜてみました。
④と⑤は流動的というか、今まさに私自身も実感しているところですが、プロットを綿密に練っても、いざ書いてみるとその通りに進まないことが多くて。(それは綿密に練れてない、ということなのかもしれませんが)書きながら、「説明パートが続くからバラそう」とか、「読んでてつまんないから削ろう」とか、細かく調整をしながら書いています。

ただ、余計なお世話かもしれませんが、初めて書く物語で複数のヒロインを同時に動かすのは、ハードルが高いのではないでしょうか。ハーレムものがお好きなようなのでおそらく完成イメージはしっかりあるのだと思いますが、そのイメージを上手く形にするというのはなかなか難しいものです。そして、できないと悔しい。
「何から手をつけるべきか」について、老婆心ながらおすすめするのは、「主人公とヒロインの絡みを描いたショートショートを習作として書く」です。それをそのまま作中のエピソードとしてもいいですね。キャラクター像がより具体的になり、動かしやすくなるのではないかと思います。

合わないと思ったらスルーしてください。
創作活動応援しています。

カテゴリー : ストーリー スレッド: キャラクターから作るのかストーリーから作るのか

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